『「自己責任論」の抱える矛盾』~汝の隣人を愛せよ~

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コラム

現代は自己責任論が大手を振ってまかり通っている社会である。
すべては自己責任と言ってはばからない人たちで日本社会は溢れ返っている。

しかし、そういう人たちは果たして理解しているのだろうか。
自己責任論というものはやがては自分自身の問題となるということを。

誰でも色々な理由で危機的状況に陥ることはあるはずだ。

数年前にシリアでイスラム国に人質として拘束されたジャーナリストの後藤健二さんは、自己責任論により日本国民から見捨てられ、イスラム国により処刑された。

「そんな所に勝手に行ったお前が悪い」という声が多く、結果的に見殺しにされたのである。
私はそのニュースを知り、とても悲しい気持ちになった。

現代の日本の閉塞感の原因はそういったところにあるのではないだろうか。
少し失言してしまった芸能人や著名人をネットではここぞとばかりに叩く。
現代日本が不寛容社会と言われるだけのことはあると思う。

自己責任論を声高に叫ぶ人たちは、自分がそういう立場に立ったときのことを考えていない。

誰でも怪我や病気であっという間にビンチに陥ることはあるはずだ。

或いは社会不適合者みたいに言われる人たちも、一昔前の日本ならちゃんと社会の一員として認められていた。
そういった人たちを現代日本の社会は徹底的に叩きのめし、社会から抹殺する。

もう一度言う。

自分自身がそういう立場に陥ることだって充分に有り得る話なのだ。
そういう社会から抹殺された人たちが大量殺人などを起こしたとして、そこに私たちの責任は一切ないと果たして言い切ることができるのだろうか。

社会には連帯責任というものが必ずついて回る。
私たちの社会がそういった殺人鬼、怪物を作り出してしまったのだから、そのことについて私たちにはある程度の責任はあるだろう。

私たちは取り戻さなければならない。
真に思いやりのある社会、他人に寛容な社会を。

「汝の隣人を愛せよ」とはイエス・キリストの言葉だが、今、私たちに必要な隣人愛というものを教えてくれる貴重な言葉だと思う。




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