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空だって飛べるよ 8話 カルト宗教④自慰行為・婚前交渉禁止

宗教以外の人を世の人と呼び極力関わらないように教えられていたが恋愛や、結婚すら同じ宗教の人としかしてはいけなかった。また同じ宗教の人同士でも結婚するまでは二人きりで会ってはいけなかった。手を繋いだりキスをしたりまして婚前交渉なんて許されなかった。異性に車に乗せてもらう時は基本2人きりになってはいけなかったしどうしてもという時は助手席ではなく後部座席に乗るよう教えられた。自慰行為についても禁止されていてポルノ雑誌や、映画等を見る事すら悪とされた。友達を作ってはいけないだけではなく恋愛すら出来ない人生。小学生の時から私にはお先真っ暗な未来が決められていて制限だらけの人生を歩んでいた。楽しいことなど1つもなく自分の意見や希望など頭に上る事も許されない。ロボットというよりかは奴隷という言葉の方が近かったと思う。ロボットなら心を痛めることはないので。アンネフランクの本やナチスドイツで行われた独裁政治を思いながらこれよりは全然マシだと思って過ごしていた。平和な日本に生まれ、生活していながら、だ。(最初から読む)空だって飛べるよ ~はじめに~https://coconala.com/blogs/4336217/382329
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空だって飛べるよ 7話 カルト宗教③世の人

世の人。その宗教では未信者のことをそう呼んでいた。世の人と遊んではいけません。世の人と友達になってはいけません。世の人と結婚してはいけません。母の教えに忠実だった私はその言葉に従った。小学校の時は中休みも昼休みも放課後もひたすら本を読んでいた。
みんなが友達とドッチボールをしてても放課後公園で遊んだり、友達の家に行っててもそれに参加したことは無い。家に帰ってもテレビもゲームもおもちゃも無い。
折り紙や塗り絵で母が遊んでくれる事も無い。
あるのは宗教の書籍と広辞苑だけ。中休みも昼休みも放課後も私はひたすら本を読んでいた。
小学校の図書室から本を借り、毎日最低5冊は読んでいた。
下校時は二宮金次郎かのように本を読みながら帰っていた。お陰で低学年図書室の本は全部読み尽くしたし、高学年図書室は辞書の類以外は読み干してしまった。クラスの男子の一部が私の事をメガホンと呼んでた。「目が本」という意味らしい。物語の中に入り込むと別人の気持ちになれ、現実逃避できた。特に好きだったのは赤毛のアン、足長おじさん、アンネの日記。いつか私の所に誰か救いの手を差し伸べてくれないかな。この家から連れ去ってくれないかな。そう思ってた。小公女セーラのように実は別に親がいましたってのを考えなかったのは残念ながら実の親だという事は疑いようがなかったからである。次へ→https://coconala.com/blogs/4336217/392486(最初から読む)空だって飛べるよ ~はじめに~https://coconala.com/blogs/4336217/382329
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 プログラミングスクールに150万円かけた体験

「プログラミングって何から学べば良いかわからない‥」「プログラミングスクールって高額過ぎて踏み出せない‥」そんな風に思っていませんか? 私もそうでした。私は4人子供を育てながら小学校で教員をしていましたご存知のように教員は超絶ブラック。子供に学びを教える喜びを味わいながらも、自分の働く環境について強く疑問を持つようになりました自分を変えたい、新しい技術を学びたい。プログラミングって興味あるけど、何から始めたらいいかすらわからない。独学は挫折の連続。スクールは高額で決心がつかず、迷って動けない時期がずっとありました結局貯金をはたいて、某有名プログラミングスクールに通うことに決めましたそこでの学びは私にとって本当に有意義でした。専属の先生が一つ一つの質問に丁寧に答えてくれて、安心して学ぶことができました。子育て仕事と苦労しながら先生の支えがあってなんとか卒業できましたしかし卒業後に、ある後悔をしました。それは、「スクールが即戦力のエンジニアまで専門性を高められるほどの環境」だからこそ、私のような「基礎基本もわからない初心者にとって無駄に高額すぎる環境」だという気づきです例えるなら初心者にとってスクールは【小学生が算数を学ぶのに大学に通う】ようなもの私はプログラミングを学んだ嬉しさと、どこか満足しきれない思いを抱えて卒業しました。もしこの話を聞いて少しでも興味を持っていただいた方には、私のような思いをさせないように、私がプログラミングスクールに150万円以上費やして学んだ知識・経験から、基礎基本の部分をまとめ、お子さんから大人まで初心者の方にも分かるように、安価な値段でお教えします。
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空だって飛べるよ 6話 カルト宗教②祝い事禁止

神を祝うこと以外、何も祝ってはならない。お祝い事は一切禁止されていた。誕生日、正月。ひな祭り、クリスマス、七五三、入学祝い、成人式。 幼き日の私から言わせると「お雛様?何それ美味しいの?」である例えば校歌。これは学校を祝う歌だと歌うことを禁じられていた。そして「校歌斉唱、起立!」と言われたら、立たずに席に座っているように言われた。立つ行為自体が祝う為の行動になるからだ。みんなが起立して歌っている間一人席に座ってないといけなかった。引っ込み思案な私は学生期間中ずっとそれに悩まされた。細かい話だか最初から立っている場合には座る必要はなかった。出来ることなら会の間ずっと立ったままが良いと思っていた。同じ意味で誕生日も祝えなかった。小学校2年生の時に産休で休みを取った先生の代わりに若い代理の先生が来た。毎月誕生会を開くと言われ、誕生会の時間が設けられた。当日はみんなで半円を描いて座り、誕生月の生徒は前に出て
バースデーソングを歌ってもらい、折り紙で作ったメダルを首にかけてもらう。私はいつものように勇気を揺り絞って宗教上の理由で出来ないと伝えた。若い先生は「そんな事先生の口からみんなに言えない。自分で説明して」と言ってきた。誕生会当日。結局私はみんなに言えず誕生日のクラスメイトと一緒に前に並ばされた。手作りのメダルが首にかけられる。私はすぐさまそっと首から外し片手に握りしめた。顔が紅潮し手に汗が噴き出す。おめでたい時間だろうが私にとってあんな苦痛な時間はない。みんなの行為を踏みにじらないといけないからだ。誕生日の歌が歌われる間ずっと俯いて涙をこらえていた。 ぶっちゃけ親の指示なのだから連
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空だって飛べるよ 5話 カルト宗教①入団

私は両親からただの一度も誕生日を祝ってもらったことがない。お金がなかったからでは無い。 おめでとうの言葉すらかけてもらったことが無いのだ。 両親とも健在だが死ぬまで口にされる事は無いのだろう。母は私が3歳の時にある宗教に入団した。貧困と暴力から逃げるために宗教に走ったのか、宗教にかぶれているので父の暴力が始まったのか私は知らない。自称キリスト教を名乗るその宗教は何を置いても「神」が優先だった。自分の命より、子供の命より、神。たまに宮崎の祖父母の所に家族で行くことがあった。母方の実家なのに夜中に突然「おい、行くぞ!」と家族を叩き起こし、何の承諾も得ずに泊まりに行くのだ。今のようにスマホがある時代ではなかったので祖父母からしたらビックリである。祖父母の家に行くと父の暴力が無いので嬉しかったが私は極度の乗り物酔いだったため、山道をスピード違反しながら走る荒い運転で毎度嘔吐していた。私が吐いても誰も気にも止めず車を止めることも背中をさする事もなくただ一人でビニールを抱えて吐き続けていた。気持ちが悪くて窓を開けたくても「A子(妹)の喘息が出るから」と隙間程度しか開けさせてもらえなかった。それでも祖父母宅に行くと父の暴力がないし、まともな食事が出来るので嬉しかった。祖父母は後に母から勧誘され同じ宗教に入るのだが、その前は年末に行くとお年玉をくれていた。でもそれが私たちの手に渡ったことは一度も無い。帰りの高速で父はポケットから私たちのお年玉の袋を出し、私たちの目の前で堂々と破って高速代として使っていた。次へ→https://coconala.com/blogs/4336217/387097(
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空だって飛べるよ 4話 フリーターの両親

いま両親はとっくに60歳を超えている。1,000万あった借金は一度完済した。
だが再び借金の肩代わりをする羽目になり、とうとう自己破産した。
私が上京して何年も経つが、仕送りを送金してもらった事も食料や衣類を送ってもらった事もない。むしろ毎月私が送金していた時期すらある。 実家はいまだに賃貸のまま。
保険どころか年金すら払ってなかったので、死ぬまで国からお金が支給される事はない。
それなのに2人とも一度も定職につかずバイト生活をしている。最近は働き口も無くなってきてるらしく、この歳で「ハローワークにいかないと」だとか、「市営住宅に申し込んだが外れた」だとか言っているのだ。小学生の頃から(歳とった時にどうするんだろう)と思っていたが、私が大人になり、孫が出来る年になっても変わらない生活をしている。次へ→https://coconala.com/blogs/4336217/385865(最初から読む) 空だって飛べるよ ~はじめに~ https://coconala.com/blogs/4336217/382329
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空だって飛べるよ 3話 実家はゴミ屋敷

加えて実家はゴミ屋敷である。
庭付き3DK+S、駐車場付き6万円。それなりに広さがある家だとは思うが家の中は物で溢れかえってた。洗濯物や脱いだ上着は常に椅子の上にあり、宗教の書籍は壁一面に置かれていた。小銭もあちこちに置かれていて、床にも鞄や収まりきらない書籍や服が散らばっていた。とにかく物が捨てれない親で、昔流行った健康ぶら下がり機は物干し竿を吊るす柱として再利用されていた。 庭には動かない洗濯機や壊れた自転車が何台もあり、発泡スチロールを使った植木鉢が大量に積まれ、手作りの鶏小屋の上にも物が沢山置いてあった。子供4人が巣立った一軒家だが、いまだ布団を敷くスペースもないくらい物で溢れかえってると言う。
こうやって他人事のように話しているのは、今は実家を出て都内に移り結婚して子供もいるがその間一度も実家に足を入れた事がないからだ。
九州にいる3人の兄妹も皆結婚してるが、配偶者やそのご両親、子供すら恥ずかしくて実家に入れた事がないと言うからこの状況を少しはイメージ出来ると思う。

次へ→https://coconala.com/blogs/4336217/385494(最初から読む) 空だって飛べるよ ~はじめに~ https://coconala.com/blogs/4336217/382329
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空だって飛べるよ 2話 パンの耳を食べて過ごした幼少期

朝ごはんはパンの耳だった。
それは近所のスーパーに置いてあり私たちもよく買いに行かされた。
3斤用パン袋一杯にパンの耳が詰められ、マジックで無造作に値段が書かれていた。
一袋大体30円〜50円。
食パンや菓子パンがきらびやかに並んでる端に、無造作に置かれていた。
一日に一袋しか売られてないのだが、買いそびれることはまずなかった。
きっと誰も買う人なんかいなかったのだろう。
たまに無くなっていると母が慌てていた位だから。

袋の中にはサンドイッチ用に耳を落としたスティック状の物や、辛うじて四角を留めている物などが一緒くたになって入っていた。
それをトースター一杯に広げ、カリカリに焼いてマーガリンを付けて食べるのだ。
取れる所のギリギリまでスライスされた耳は中央に大きく穴が開いてた。
穴の周りは生地が薄いので全体をカリカリに焼いて食べようと思うと、穴の周囲が黒く焦げた。
たまにふわふわの部分が残ってる耳を見つけると、すごく得した気分になったものだ。

そんな中、父だけは毎日「白いご飯」を食べ、切れ端を寄せ集めたサービス品とはいえ「刺身」を食べ、「瓶ビール」を飲んでいた。
缶ビールより高価な瓶ビールを飲んでいたのは、缶ビールには缶の匂いがして美味しくないからだそうだ。
「そんな贅沢なこと言ってられるのか」幼心にいつもそう思ってた。

自宅の庭に鶏が二羽飼われていた。
恐らく父の趣味だと思う。借家の小さな庭に父の手作りの鶏小屋があった。毎朝卵を産んでくれる貴重な鶏なのだが、その餌がパンの耳だった。
小学生になった私たちは餌作りをさせられた。パンの耳を細く切り、みじん切り。
大根の葉(ス
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空だって飛べるよ 1話 父の借金

人に物心が付くのは何歳からなのだろうか。因みに私は3歳である。
そしてその時にはもう父が作った多額の借金にまみれた家庭の中にいた。

父が借金を負ったのは友人の保証人になりそれを踏み倒されたからだと言う。
当時の価格で1,000万。
だから気づいた時からうちはずっと貧乏だった。

親から何か買ってもらったという記憶が無い。
おもちゃや洋服どころじゃ無い。
市販のおやつ1つ買ってもらった記憶が無いのだ。
服は必ず誰かのお下がりだったしランドセルも親から買ってもらってない。
次へ→https://coconala.com/blogs/4336217/383585(最初から読む)空だって飛べるよ ~はじめに~https://coconala.com/blogs/4336217/382329
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空だって飛べるよ ~プロローグ~

夜中にふと目が覚めた。手が動かない。起き上がろうとするが足も動かない。頭がボーッとする。 薄明かりの中段々と周りが見えてくる。 白い天井、カーテンで仕切られたベッド。 そしてそのベッドに私の両手、両足が縛り付けてある。 「誰かー」「誰かー」虚しく響く私の声。これがいつの記憶か分からない。 この後に優しい女の人の声が「よく気付いてあげれたわ」と言った記憶があるので初めて手首を切った日かもしれない。 何度もこういう事があったし 今となっては記憶から消え去ってしまう位過去の話で思い出せない。次へ→https://coconala.com/blogs/4336217/383240(最初から読む) 空だって飛べるよ ~はじめに~ https://coconala.com/blogs/4336217/382329
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空だって飛べるよ ~はじめに~

私は結婚して2人の子どもを持つ兼業主婦です。 優しい夫に恵まれ、一部上場企業でシステムエンジニアとして働きながら都内に一軒家を建てる事が出来ました。 その後、起業して個人事業主として働きながら母親業も楽しんでいます。学校から帰ってきた子どもたちに手作りのオヤツを作ったり料理教室の先生もしています。 自慢をしているのではありません。 人は願えば何だって出来ると言う事をお伝えしたいのです。 空を飛びたいと強く願った人が飛行機を作りました。 宇宙に行きたいと願った人がスペースシャトルを作ったのです。遠くに行きたいと願った人が車を作り、離れた人と喋りたいと思った人が電話を作りました。人は本気で変わろうと望めば、あらゆる状況を乗り越えて変わる事が出来るのです。 かくいう私はと言うと 虐待、カルト宗教、借金にまみれた両親の元で束縛された生活を続けていました。宗教以外の友達を作る事を禁じられ、結婚する事を禁じられました。そして大学へ行く事、就職する事を禁じられました。母からネガティブ志向を植え付けられ、出来ない子と言うレッテルを貼られました。宗教の教えに背いた意見を言うと、問答無用で親子の縁を切られます。 私には選択の余地はない。私は何もできないずっとそう思って生きてきました。そうした生い立ちをした私はついに壊れます。 過食、拒食、心療内科へ入院、自殺未遂、精神科へ入院。 うら若き22歳。彼氏無し、友達無し、高卒、フリーター。両親は自己破産。現役カルト信者。人生摘んだね。 そう言われて仕方ない状態でした。 這いつくばって這いつくばって、血反吐吐きそうな思いをして。 人生に希望なんて持てない、
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.14 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.14 霊能家系に生まれても、異端であるなんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。恋愛してみてもなんだかしっくりこない。結婚もなんだかどうにも上手くいかない。良い男なんてこの世にいないんじゃないか、と思うぐらいの目に遭って、普通なんて程遠い苦労をする事になって、普通に愛されて普通に幸せになって、普通に人生を送る、しかもなんとなく平穏に。そんな望みは叶うことはないまま今に至る。さて、宣言どおり恋愛や結婚話を語ろうと思ったのだが、これが結構記憶を辿るのに苦労した。人生の重きに「恋愛」がない事が原因だと思うのだが、忌々しいものだから封印しているのもあるのかもしれない。でも忌々しいかと思うと、全てが悪い事ではないし、それぞれに学びがあったのだから、そこまで忌々しいかと言うとちょっと分からない。人生、経験値が高い方が良いと思っているから、それすらも糧にしてきた。だから、全部を否定することは出来ないのだが、あくまで「事例」として書こうかと思っている。そうして、前回の事情で福岡に戻る事になった。そうして、二回目の結婚をして再度離婚することとなった。この二回目の離婚について書き控えるのは、まだ相手と交流があるからだ。離婚後は、良い父親だと思う。まあ、それなりの距離感だから言える事だ。人が良いんだか悪いんだか分からんが、趣味に生きるかナニに生きるのかは知らんが、これからも良い距離感で息子に様々追い越されて行くのを見て楽しんでくれ。お互いの人生をお互いが生きれば良いし
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.13 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.13 霊能家系に生まれても、異端であるなんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。恋愛してみてもなんだかしっくりこない。結婚もなんだかどうにも上手くいかない。良い男なんてこの世にいないんじゃないか、と思うぐらいの目に遭って、普通なんて程遠い苦労をする事になって、普通に愛されて普通に幸せになって、普通に人生を送る、しかもなんとなく平穏に。そんな望みは叶うことはないまま今に至る。さて、宣言どおり恋愛や結婚話を語ろうと思ったのだが、これが結構記憶を辿るのに苦労した。人生の重きに「恋愛」がない事が原因だと思うのだが、忌々しいものだから封印しているのもあるのかもしれない。でも忌々しいかと思うと、全てが悪い事ではないし、それぞれに学びがあったのだから、そこまで忌々しいかと言うとちょっと分からない。人生、経験値が高い方が良いと思っているから、それすらも糧にしてきた。だから、全部を否定することは出来ないのだが、あくまで「事例」として書こうかと思っている。遠い砂漠にでも旅に出るような、そんなウキウキした気持ちでこれからの未来を楽しみに戻った横浜。父のところにお世話になりつつ、娘を民間の保育園に預け、仕事に出ることとなった。公営の保育園になかなか空きがなく、また、見学に行った保育園では、どうもお昼寝タイムだったようで薄暗く、そうして眠れない子供が職員室に行ったら、とてもドスの効いた声でその子を呼び捨てにし、「とっとと寝ろ」と恫喝していたのでそこはやめておく事にした。見
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みなさま はじめまして

シャリと申します(^v^)ココナラではアイコンイラストを主に出品しています。自己紹介なので、ゆるく読んで頂けたら嬉しいです。物心ついたころから絵を描くことが好きで最近ではオイルパステルという画材にはまっています。クレヨンよりこってりした質感で指でのばしたり、色を重ねたり、手軽に絵が描けてとても楽しいです。クロワッサン🥐美味しそうに描けました。。🤤mungyoのオイルパステルですこれからもゆったりのんびりお絵描きを楽しんでいきたいです🍀読んで頂きありがとうございました(^v^)
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.11 霊能家系に生まれても、異端である

なんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 恋愛してみてもなんだかしっくりこない。 結婚もなんだかどうにも上手くいかない。 良い男なんてこの世にいないんじゃないか、と思うぐらいの目に遭って、普通なんて程遠い苦労をする事になって、普通に愛されて普通に幸せになって、普通に人生を送る、しかもなんとなく平穏に。そんな望みは叶うことはないまま今に至る。 さて、宣言どおり恋愛や結婚話を語ろうと思ったのだが、これが結構記憶を辿るのに苦労した。 人生の重きに「恋愛」がない事が原因だと思うのだが、忌々しいものだから封印しているのもあるのかもしれない。 でも忌々しいかと思うと、全てが悪い事ではないし、それぞれに学びがあったのだから、そこまで忌々しいかと言うとちょっと分からない。人生、経験値が高い方が良いと思っているから、それすらも糧にしてきた。 だから、全部を否定することは出来ないのだが、あくまで「事例」として書こうかと思っている。 確か最初の「カレシ」は中学生の頃、21歳の男性だった。 何で知り合ったんだっけ、と思ったんだが覚えていない。 ただ、今思えばどうかと思う(苦笑 でも、同級生だとなんだか幼い、と感じていた私は、思い切り年上という事で安心していたと思う。ただただ、欲しかったのは父性だなと、今ならわかるのだが。FM横浜を聞きながらドライブするだけで大人の仲間入りをしたような気持ちになれたし、なんとなくそれが「付き合う」という事なんだろうと思っていた。しかし今思えば、意思の疎通なんてほとんど出来
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連載「霊能者かんなぎの連載「霊能者かんなぎの人生」vol.9 霊能家系に生まれても、異端である人生」vol.9 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.9 霊能家系に生まれても、異端である なんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 母が、多額の借金を残して、新しい人と家を出たのは、小学校高学年の時だった。その少し前から家に帰らない日が増えていたのと、服装がどんどん派手になっていたので、小学生の私も何か感じるものがあった。「友人なのよ」なんて男の人に会わされた事もあったけれども、 相手の人は誤魔化しているようでちゃっかりと匂わせていたのも、 子どもながらに感じていた。 なんとなく、「大人って気持ち悪いな」という感情だけを抱えて、 でもそれを口にすることもなく過ごしていた。 そんな日々が続いたある日、母が私にこう言った。 「私、パパと別れてもいいかしら」 なんだか小学生にしては変に達観していた私は、 「ママの自由だからしたいようにすればいいんじゃない」と答えた。 そうして、したいようにした母は、家を出て行った。 なぜか高校に入るぐらいまでは、本当に時々、突然帰ってきてはあれこれ説教を巻き散らかしたり、恩着せがましくご飯を作って消えてったけど。そうして、あれから何十年もの間、折に触れて、 「あなたが離婚していいって言ったから離婚したのよ」と言われ続けた。 親になって思う。 子どもに離婚の決定を押し付けて出ていって、それを一生言い続けるなんて、私にはできない。何よりも、子どもを置いて出ていくなんてできない。 生涯女であろうとそれはどうでも良くて、でも、責任を子どもに押し付ける母は、いつまでも母親には
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.8 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.8 霊能家系に生まれても、異端である なんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 先に書いたように、「楽しい事」「ワクワクする事」が大好きだった私は、 家では母の意思通りに存在する人形で居なければならなかった。 私は勉強が出来る子だったと自分で言うのもなんだかなと思うのだが、全ての教科でほぼ満点を取るような小学生だった。それは、なにかを無理したからとかそういう事ではなく、「知る事」が大好きだったからでしかない。小学生の勉強なんて、知らない事を知るのが好きだったら、大体何もしなくても頭に入る。勉強が嫌いだったら頭に入らないなんて当たり前の事で、子どもなんて興味を持てば、勝手に頭に入るものだと思っている。それでも、テストで良い点を取れば褒められたいのもまた子どもである。 しかし母は、私がテストで満点を取っても、「私の子だから当然」という事で、褒めるなんて事は一度もしなかった。褒めるのはいつも自分。「私の子だから」ただそれだけだった。それでもいつかは褒めて貰えるものかと期待していたが、それは叶わなかったので、私は中学後半になって勉強が嫌いになって、勉強を捨てた。嫌いになったら頭に入らない。当たり前だ。成績が落ちていく私を母はどう思っていたのかって?「友達が悪いから」それだけだった。褒める事はないのは分かった。 それよりも何よりも、どんな事が引き金になって母を激昂させるか分からない。私はそっちの方に神経をすり減らしていた。 夕日が綺麗だなと夕日を見てい
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.7 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.7 霊能家系に生まれても、異端であるなんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 さてさて、重い話が続いた後にはライトな話でもしよう。 小学生の頃の私は、冒険好きの怖いもの知らずだった。 男子と遊ぶ方が性に合っているぐらいのアウトドア派で、人形遊びにもゴム飛びにも興味がなく、昼休みはドッジボールをする為の場所の確保に走り、あまりにも本気でやるものだから、ついにドッジボール女子からも外され、もう一人の同じような女の子と一緒に、男子に混じってドッジボールをやっていた。男子も男子で、本気でやっても泣かない女子だったものだからとてもやりやすかったようで、それはそれは、豪速球を投げつけてくれたものだった。なので、母お気に入りのちょっとお高いお洋服はいつも泥だらけだったし、 あちこちに痣もあったり、怪我をしていたりと、今こそまさに、神父様の言っていた「赤チンキちゃん」状態なんだな、と思うような女子だった。そうして休み時間にドッジボールをした後は、放課後に再度集合して、近所の森に秘密基地を作るのが定番だった。 毎回、何かしらのアイデアを出し合い、試しては、絶望したり喜んだり、それはもう楽しい時間だった。 ある時は誰かが強いロープを家から持ってきて、これで木に結びつけてブランコを作ろう、と言い、私は木登りが得意だったので、なるべく高いブランコを作りたくて、木の枝に必死でくくりつけた。そのブランコは、所詮小学生が作ったものだから、座る為の板もなく、ただただロープの
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.6 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.6 霊能家系に生まれても、異端であるなんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 【注意喚起】 ※今回は幼児性愛者・変質者等による虐待または未遂を含む内容です。ご自身の心の危険を感じる方はこの先に進まないでください※ それから、その先に色々な事があっても、何よりも母に知られない事を優先し続けたまま小学生になった。 夏休みと冬休みは、母の実家に数週間帰るのが恒例で、その時はだいたい父が仕事の期間だったので、母と弟と三人で、または従兄弟たちと一緒に子どもだけで飛行機に乗るのが定番だった。祖父母の家には、両親が離婚し、祖父母の養子に入れられた、ちょっと年上の従兄弟が居た。 その従兄弟は、祖父母がかわいがっていたのもあり、従兄弟の中でもちょっと年齢より幼くワガママで、そうしてちょっと意地悪だった。だから私はその従兄弟があまり好きではなく、ほとんど会話をした記憶もなかった。 なので、年末に、年越し番組を見たいがために頑張ってテレビの前で起きていた私は、他の皆がギブアップしたにも関わらず、その従兄弟がなかなか自室に行かない事に気まずさを感じながら、それでもテレビ見たさに、お互い無言の空間に居た。そうして、無言のまま飲み物を取りに行った従兄弟は、なぜか私の隣に座った。何か会話をする気にでもなかったのだろうか、と思ったのだが、私はそんな気も起こらなかったので、従兄弟の方を見る事もなかった。 その次の瞬間、幼少期の「異質な手」の記憶が蘇った。 さすがに、その意味は
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.5 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.5 霊能家系に生まれても、異端であるなんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 【注意喚起】 ※今回は幼児性愛者・変質者等による虐待または未遂を含む内容です。ご自身の心の危険を感じる方はこの先に進まないでください※ 私は、子供の頃はよく、いわゆる幼児性愛者のターゲットになっていた。 あれってなんなんだろうね。 「親に言えなさそう」 「家庭環境に問題がありそう」 「孤独そう」 何かそんなものを嗅ぎ分けるセンサーでもあるんだろうか。 人気のないところに連れて行かれ写真を撮られたり、お菓子で釣ろうとされたり、突然雑木林のようなところにひっぱりこまれるなんてザラだった。ある人は友達になってくれる良いお兄さんとして近寄ってきた。 実際、歌のお兄さんにいそうな健康的な風貌だったのもあり、子どもたちにも人気があった。いつもジャージを着ていて、それがまた歌のお兄さんに見えたのかもしれない。 それに実際のところ、子どもたちと良く遊んでくれて、 とても楽しい遊びを教えてくれたり、 子どもたちの喧嘩の仲裁にも入り、 いつも爽やかな笑顔で、子どもたちもお兄さんがいるとばあっと笑顔になったものだった。 一人でいても、そのお兄さんが来れば、退屈せず過ごす事ができ、 もれなく私も、そのお兄さんが大好きだった。 しかし、大人から見ればそうではなかったんだと、今なら分かる。 ある日、子どもたちの中の一人のお母さんがやってきて、「あなた、この子達と遊ぶのはやめてもらえませんか」と
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.4 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.4 霊能家系に生まれても、異端であるなんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 そうして、「誘拐作戦」が失敗した後の日々もさして変化はなく、教会に通ったり、変わらず誰に言う事もなく見えないモノたちと会話したり遊んだりする日々の中で、ある日、「お父さんに会いにいくわよ」と母に連れ出されれた事があった。「お父さんに会いにいくわよ」と言うが、父とは同居していた。 ただ、よく出張に出ていたので、多分出張先に会いに行く、という意味だろうと解釈し、なんとなくついていった。阪急電鉄に乗り、そこからバスに乗ったと思う。 どんどん変わる風景は、どんどん重く、暗くなって行き、 なんとなく重くてジメジメとした空気を感じながら、バスを降りて母と弟と歩いた。 バスを降りてから、ずっと人が誰も居なかった事を記憶している。 風景は山と川と、古い家がたまにぽつぽつとあるぐらいで、寂しい場所だなと感じた。 そうして、薄暗い川沿いの道を歩いていくと、二階建てのアパートのような所があり、その二階の窓から、父が笑顔で手を振っていた。「こんなボロボロの古い所に泊まっているんだ」 そう思いながらも、まあ、こんなに山の中だし、そんなもんなのかな、と思い、父の待つ部屋へ上がった。やっぱり部屋の中もなんだか薄暗いし、ジメジメとしているし、居心地の悪さばかりが募り、早くここから帰りたいなとずっと考えていた。そうしたら母が嬉しそうに言ったんだ。 「ここに引っ越そうと思うんだけどどう思う?」と。 母
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.3 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.3 霊能家系に生まれても、異端であるなんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 「私にはあなたが悪い事をすればすぐに分かるのよ」 「嘘をついてもすぐ分かるのよ」 母の口癖だった。 うちは隔世遺伝の霊能者家系なので、母たちに目立った霊感は無かったが、 それでも、たまに出てくる直感力はあったと思う。 これは誰しも持ち得るレベルのものだと思うので、ある意味「親の勘」レベルであるとも言える。 そうして、他の出来事についてはほほう、と思う事もあったが、 私に対しての母のその直感力は、往々にして外れている事が多かった。 「あなたは嘘をついているわね」 本当の事を言ってもそれが母の意に沿わないものだと、母は頑として認めなかった。 嘘でも意に沿ったものだと母はとても満足そうな顔をした後に、長時間の小言と折檻の後に「出ていきなさい」と外にほおりだし、ある程度の時間が経つと、「謝罪しなさい」と言って家に入れるのが恒例だった。恒例というぐらいには頻繁だったものだから、私はすっかりそのルーティンに慣れてしまった。 家に入れて欲しくて泣きわめきながらドアを叩く弟を後目に、「どうせ時間が過ぎればいつも通りの手順で家に入れるのに」と思い、泣くことも焦る事もなくただ外に立っているだけだった。泣きわめきもしない私の事を「可愛げのない子」と言い、弟だけが先に家に入れてもらえるのも恒例だった。 それでも、私は演技でもあんなみっともない真似はしたくなかった。 何より、自分は嘘をついて
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連載「霊能者かんなぎの人生」vol.1 霊能家系に生まれても、異端である

連載「霊能者かんなぎの人生」vol.1 霊能家系に生まれても、異端であるなんとなく、人生を書き綴ろうと思った事に対した理由はない。 ただ、同じような思いをしている人がいるならば、そういう人に届けば良い、そう思った。 私は確かに霊能家系の生まれであるが、それでも、その中では異端であったため、その力を重宝される事はなく、重宝されたのは同じような力を持った別の子らであった。「わかりやすい霊能者」 そういう言葉で表現するしかないのだが、別の子らはそういった霊能者だった。 わかりやすく霊が見え、わかりやすく「あなたの知らない世界」のようなオカルト番組に出てくる体験をしていて、また、見えている世界も、口にする事もそのような番組そのもので、「人が求めるのはそういう霊能者なのだろうな」と思うようなものだった。霊能家系なら生きやすかったでしょう、周りの理解もあったでしょう、と言われるがそんなことはない。 そんな家系に生まれても、その家が「わかりやすい霊能者」を求める家系であったから、私は異端として扱われ、理解者はタイラーと、あとは父ぐらいのものだろう。他の、直系であるはずの母方の親族たちの大半は、私を理解はしなかった。 「空想好き」そう言われて無かった事にされ、私が発した言葉は別の子が言った事になり、別の子がもてはやされる。だったら、もう言葉なんて発せず勝手にやったら良いんではないか、そんな事を割と小さいうちに思うようになったので、親戚の間では「おとなしい子」「ずっと漫画を読んでいる子」と思われていたようだ。だって、喋ったって無駄じゃん。 皆が求めている世界観は、私の中にはないのだから。 子供の
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米沢牛

暑中見舞いにとお友達から米沢牛をいただきました!初の米沢牛!最近、お友達が各地の特産品を送ってくれることが多くて、戻れない橋を渡っています。ベアたんちってかなり貧乏なんですけど、なんか次々美味しいものが送られてくる……しかし今回は(珍しく)お腹を壊しませんでした!ベアたんはIBSの症状を持っていて、先々月あたりから調子が悪くて特効薬を飲んでいるのですが、そのおかげか焼肉パーチーをしてもお腹壊れませんでした!(普段高確率で壊れる)いやぁ、米沢牛。初めてでしたが、少し肉の繊維感もあり、甘みも深く、ちょっと感動しました!よく高い肉だととろけるだけで肉感が少ないことが多いのですが、これは肉感をしっかり感じました!普段は贅沢な肉といえばアメリカ産の固めのザブトンステーキなので、これは格が違いましたね……そしてそして、お腹いっぱいになりました。同居の友達が、米沢牛は300gだから、追加のお肉がいるだろうとお肉セットを買ってきてくれていたのですが、追加のお肉、余りました。なので、今日も焼肉です。こんな贅沢しててよかとだろうか!!!もう戻れない橋を渡りきっているような気もします……
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公務員やったのに、なんで魔女やっとんの??

毎度です。玲です。北海道在住。関西人。流暢な関西弁と、オッサン的河内弁のバイリンガルです。ネットショップとかもやってるんで、自称なんちゃってIT系魔女です。高校出てすぐ、包括的地方自治体に就職しまして、手堅い人生選んだはずやったんですけどねぇ。どこでどない間違うて、魔女になってしもたんですやろな。 ちなみにワテが自分で魔女て言うとるんは、べつにどっかの魔女スクールで学んだとか、そういうのやありません。自称ですわ、自称。勝手魔女。 お客さんから、何してはるんですか、て聞かれた時に、ヒーラーも違う、カウンセラーでもない、占い師もちょっと違うし、リラクゼーションいうても今はしてへんし…、で、どない説明したらええかわからんかったんで、苦し紛れに「魔女です」て言い出したんが始まりです。 魔女はええですよ、免許も要らんし。よぅわからんなりに、何となく、何してるかの雰囲気は伝わりますやろ。ハッキリした定義がない分だけ、「こんなん魔女ちゃうがな!」てツッコまれることもあらへんし。 みんな魔女名乗ったらよろしいねん。 とりあえずそんな勝手魔女がどういう流れで出来上がったんか、書いときます。【職歴】 包括的地方自治体で20年くらい勤務 総務で広報公聴、講演会企画、秘書、経理、契約、入札とか総合病院で特定疾患等の公費医療制度担当、診断書発行、クレーム対応、院長あて投書箱管理、カルテ管理、電カル化、レセプト、会計システム管理運営、患者統計などなど。職業訓練校で失業手当業務、通学定期届け、就職率統計など。公立大学で人事、採用、給与計算、非常勤雇用、社会保険、税金関係、システム構築などなど地方自治体を退職
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みー日記 20220521

最近みーにゃが甘えっ子です。なんか……めっちゃみーとお話している時間が増えました。最近めっちゃ喋るんですよ!ベアたんがめっちゃ話しかけてたから、言葉が通じると思ってるのかもしれないけれど、何やら猫語で、めっちゃ話しかけてくるんです。そして、なぜか一緒に住み始めて7年くらい経った今になって、布団の良さに目覚めたようです。みーは固いところが好きで、だいたい固いところで寝ていることが多いんですが、最近ベアたんが夜寝る前のマッサージを受けていると、隣に来るようになりました。最初はマッサージの間だけ隣にいたんです。ところが、ある日見たら、昼間、ベアたんの枕を枕にして寝ていました。みーはベアたんの匂いが好きなようで、よくベアたんの椅子にいたりもしたのですが、枕。最初はちょこっと頭を乗せて寝ているだけだったんです。あら、可愛いな……と思って過ごしていたその数日後、なんと、枕の真ん中でリラックスして寝るようになっていました。で、その枕の良さに気づいてから、何やら積極的に布団を嗅ぐようになりました。みーは布団が嫌いで、自分のベッドに行くときも出来るだけ布団を踏まないように歩いていました。ところが、最近布団で寝るんです。ベアたんの足元にピトっとひっついて、寝ている……7年も経って、いよいよイエネコ化してきたようです。最近ベアたんが基本家で仕事してるから安心してるのかな……もっとお近づきになりたいと思います。雑談・猫話できます(*´ω`*)ココカラ↓↓
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過集中が好き

過集中が好きです。昔からです。昔はお家で内職をしていました。ひたすらDMの封入作業だったり、シール貼りだったり、チラシを折り込む仕事だったり。もちろん、どんな仕事でもいいわけではありませんが、とにかく昔から過集中することが好きです。昨日は過集中して作業していました。ひたすら塗りの作業。イラストを描いているとよくある作業です。イラストはアイデアを考えてる時間が一番長いです。でもこの時間をあまりベアたんは好きではありません。どちらかというと、お題があって、それを描いたり塗ったりしていく作業が好きです。塗り絵とかイラストロジックとか好きですね。イラストに限らず、過集中する時間は大好きです。例えばゲームセンターでひたすらスロットを回している時間。スイカやバーだけをひたすら狙って目押しします。疲れるんですよ。でも、この疲れたときの休憩に飲む缶コーヒーがまた格別で!画像の切り抜き作業なんかも好きですね。身体を動かすより、手先でなにか細かいことをチマチマ集中してやるのがいいです。前職では新聞にチラシを折り込んで、それを配布するという仕事をしていましたが、配布するのは足を使うのであまり好きではありませんでしたが、このチラシを折り込む作業は毎週楽しみにしていました。チラシが多いほど燃えます。時間が経つのもあっという間です。今日もひたすら塗り込んでいく作業です。一番好きな時間です。楽しんでお仕事していこうと思います(*´ω`*)現在イラストは受付をストップしていますが、見積もり・ご相談は受け付けています。チャットは随時受け付けておりますので、お気軽にお声掛けくださいね(*´ω`*)
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アジカン

好きです、アジカン。実は、アジカンを好きになったのは大人になってずいぶん経ってからでした。曲は何となく聞いたことがあって、アジカンという略称も何となく知っていたけれど、まともに聞いたのはここ15年くらいの間です。それまで、アジアン・カンフー・ジェネレーションという名前すら知りませんでした。それまでずっとV系が好きで来たので、他のアーティストについてはホント、無知で。青春時代はV系と暴威とジュリーくらいしか聞いていなかったので、アジカンを知った時はとても新鮮な気持ちになりました。ギターのサウンドが気持ちよくて。青春時代に、ギターを弾いてみたいなと思い、ちょこっと練習したり、洋楽のギタリストの有名な人の曲を聞いたりはしていましたが、ギターをメインに二人も推してるバンドの曲はあまり聞いたことがなくて。ちなみに、青春時代にバンドを組もうと練習していて、暴威の布袋さんに憧れていたこともあり、ギターを希望したベアたんでしたが、下手すぎるので、ボーカルにされた経緯があるので、ギターをめっちゃ弾きながら歌うそのスタイルにはしびれました!歌も、ちょっと気怠い感じとシャウトを組み合わせた、アジカン独特の歌い方で、アジカン歌う時はだいたい真似して歌います。そして、そのファッションも好きで。なんというか、独特ですよね。今はだいぶシャレオツになってしまったけど……ちょっとその辺にいる大学生みたいなファッションで歌うのがとても好きでした。等身大なのに、等身大じゃない、みたいな。最近はカラオケにMVで映像が入ってるので、その映像作品のクオリティも楽しんでいます。みなさんの好きなアーティストについても聞かせて
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美術の時間も遊んでいた。

後悔していることがあります。それは……学校の美術の時間を真面目に受けなかったことです。そう、美術の時間。ベアたんは基本学校はサボリーヌだったので、中学の頃はずっと体育館裏で、友達とお菓子を食べながらしゃべっていたりしていました。たまに授業に出ても、真面目に描かなかったり。造形の時間は何度かトライしたけど、途中まで真面目にやらなかったし、途中から真面目にやったけれど造形は致命的だったので、先生から怪訝な顔をされるものを作成してしまったり。中学の頃は美術部でした。でも、顧問の先生一回も来たことないし、ずっと友達と卓球してました。描いてる子は漫画描いてて……よくみなさんが想像する美術部の姿からは程遠い美術部生活を送っていました。クロッキーとかデッサンとかね……最近までしたことなくて。真面目にやっていればよかった……真面目にやっていたことと言えば、教科書やテスト用紙の落書き。落書きには魂込めてました。昔の友だちに、ベアたんの絵とは?と聞くと、多分アフロの聖徳太子という答えが返ってきます。とにかくアフロの聖徳太子は練習した……で、そんなんで真面目にやってこなかったので、絵の基本が出来ていません。ちなみにデジタル絵も勝手に適当に始めたので、これまた基本が出来ていません。でも、今はYOUTUBEとか、便利なものがありますね(*´ω`*)ほとんど見てることないけど、たまーに尊敬する絵師さんの配信見たりしています。まぁ、何にせよ、青春は貴重だったというお話で……そんなベアたんにイラストを頼みたい方には色々メニューを用意してありますので、プロフィール、覗いてくださいね(*´ω`*)
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プロフィール

改めまして、自己紹介しますはーい!リトルです(^ ^)男です!身長は178センチ体重68〜70キロA型 かに座誰が興味あんねん笑続きまして趣味 スポーツ観戦 お風呂「温泉、サウナ」   旅行  カラオケ お酒→基本なんでokオッサンやん笑好きなスポーツ サッカー スノボー 格闘技好きな食べ物 ラーメン  餃子  唐揚げ      中華屋の息子なん?犬派?猫派? 今猫飼ってる 犬も好き性格 まじめ笑 話する聞く好きやめて良かった事  煙草 やってみたい事  富士山登頂 旅好きな言葉 【挑戦】【出来る】【一期一会】そんな感じで!これからも好きな事や挑戦する事を増やしていければなと思います☆☆近目標☆ブライトタッチ・ブログいいね15やるぞ!出来るぞ! 出来るぞ!やるぞ!いろんなジャンルのブログ書けるように努力します!暖かい目で見ていただければ幸いでございます♪♪誰か興味あんねんプロフィール回覧ありがとうございました笑気になった方は是非お話しましょう‼︎誰か気になっておくれ〜〜〜( ̄∇ ̄)ではまた‼︎
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気がついた時には、描いていた

ベアたんは小さい頃から絵を描いていますが、最初の絵の記憶というものがありません。気がついたときには、父と姉と「しりとりお絵かき」というゲームをして遊んでいました。おそらく記憶にあるのは2、3歳のころ。「しりとり」と言っても、しりとりではなく、古今東西のようなもので「あ」というお題が出されたら「あのつくものをたくさん描く」わけです。そして、たくさん描いて、それが何を描いたか当てっこをしていって、一番多くわかるものを描いた人が勝ちという単純なルールです。チラシの裏を使ってやっていました。小学校2年生辺りまでは、姉がいた影響もあってお姫様や王子様を描いていました。ベアたんのお家ではマンガはあんまり読んだらいけないことになっていて、図書館で学習マンガを読む程度だったので、そんなに素敵なお姫様は描けませんでしたが、それでも描いていました。小学校中学年以上になって、友達の家でマンガを読ませてもらうことが増え、少しだけお姫様から脱却をしました。高学年になった頃は犬を飼っていたので、自分で作った勝手学級新聞に飼い犬のイラストを添えたりしていました。中学校になって。中2の頃に、テニス部をやめて美術部に入った時に、初めて高河ゆん先生とCLAMPさんの作品を知り、衝撃を受けました。また、周りの友達の絵の上手さに衝撃を受け、絵の練習を始めました。スケッチブックなんて買えなかったので、チラシの裏や学校のノートにひたすら描き続けました。それでもアニメ・マンガ絵は上達せず……当時は少年サンデーとかを借りて読んでいたので、そういう先生方の影響が強く出たマンガを描いていました。近隣の中学校の友達とサークルごっこ
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英語が話せるまでブログ DAY25

いままで喘息がひどかった内容を投稿していましたが、そんなさなか、嘔吐下痢にまで感染して大変きつかったです。父親に移されて、親子して、嘔吐下痢なのでトイレの取り合いに(笑)ごはんがまずくなる話してごめんなさい(笑)久しぶりの嘔吐はやばいですよ~~も~~~~っろきつかったですwwwwなんか流行ってるみたいなので、皆さんもコロナだけじゃなく、ウイルスや細菌はいろんなところに潜んでいるので気をつけて下さい。まぁ~そんな日々を過ごしていたので、全然勉強もできず、ぽけ~トしてました。だいぶ体調も回復してきたので、大好きなYouTubeRでシャドーイング、(喘息で声めっちゃ小さいけど~)久しぶりにしたので、なまっているのを感じました。。口が回らないんです!!!!これは、大問題です!!明日からまた口を回して、息をしていきたいと思います。
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なべのプロフィール

はじめまして 心理カウンセラーのなべと申します ブログ初投稿なので簡単なプロフィールを…✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼  「あなたの本当の声」を聴く お手伝いをします✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼ 幼少期から自身の外見・成績・才能へのコンプレックスが強く また元来の努力家という長所が裏目に出始めた 不妊治療・出産・育児・ワーキングマザー期に 夫の発病・死別を経験しました 葬儀が執り行われるなか 「きっと涙があふれてくる…よね?」と思いながらも 気付いた時には法要が滞りなく終わっていることに気付き 愕然としたのが2020年の夏の出来事です 「旦那…死んじゃったのに涙出てこないなんて …きっとわたし薄情な人間なんだ」 と自分を責めはじめ 次第に表情…とりわけ「笑顔」を失っていく自分を通して 人は辛く悲しすぎることがあると 「何も感じない」「感情の箱に蓋をする」状態になることを思い知りました こんな自分をどうにか変えたい 子達と笑い合える日常をつくりたい という思いから決意したのは「本気で自分と向き合う」こと 敬愛するメンターの講座を通して 両親・夫・幼少期の担任教師と自身との関わり合いを紐解くことで 価値観のリセットを行い 徐々に自分を好きな気持ちを思い出しはじめると 自分の本音が湧いてきました 「もう辛い・苦しいは要らない!」 また、周囲へのジャッジをやめることで 最終的には 自分自身を監視し続けていた もうひとりの自分との和解・共存の道を見つけることができ もうわたしにダメ出しする為の監視はしな
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若者

機関銃のように飛び出す。魂が弾丸のように熱くなる。おまけに回転まで掛かっている。今十七歳。奴のファッションが気になり、あの娘のスカート丈がちらつき、我が足前髪の揃い具合に嘆く。花粉症。母親の愚痴みたいな、くしゃみにまみれた症状じゃない。もっと苛立たしくて暑苦しく、そしてどこかドキドキした光景。自分は一体何者なのか、そんなありきたりな人生論が踊り狂う日々の中、鏡に縛られた魔女のごとく誰もが似たモノ同士で集い合う。僕は自転車のペダルを力いっぱい蹴りつけた。魂が大音量で低音を鳴らし地球の芯を突き抜ける。ほら、今この瞬間、星の裏側で誰かが振り向く。僕は胸をときめかせながら、風が運ぶものはいつだって新しい季節なんだと思った。
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初投稿

初めて投稿いたします。以前から、気にはなっていたんですが、チャレンジしようと思います。初めては、いろいろ緊張しますね。まずは、自己紹介。現在、株式会社を立ち上げて、今年は10期目になります。この前、取締役重任の手続きをしました。株式会社代表取締役。そう聞けば、さぞ成功している人間と思われるでしょう。しかし、実質は正反対。セレブの生活なんて夢のまた夢。成功体験少なめの人生で、紆余曲折しています。苦難の人生というわけではありません。ただ、失敗が多いだけで、タイミングに乗れば、うまくいっていたかもしれません。勉強には、あまり興味がありませんでした。自分はできない人間だと思っていました。まさか、後日こんなに勉強するなんて、思ってもみませんでした。臆病者で、行動力が遅い。臆病というのは、いいことと悪いことがあります。データをじっくり吟味する。失敗例を参考にする。時間をかけて調べる。それはけして悪いことではないと思います。そののちに、成功するためのステップだと思えば。ただ、十分だーたがたまった後は、行動力が重要です。動かなければ、失敗はしません。しかし成功は決してあり得ないのです。成功者から学ぶことも大いにありますが、失敗から学ぶことも大いにあります。どちらかというと、私は失敗ばかりなので、学ぶことが多いです。「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」オットー・フォン・ビスマルクはい、私は歴史好きの愚者でした。最近、気に入っている言葉です。いまうまくいってなくても、腐ることなく、頑張って聞けたらと思っています。話し始めると、長いので、今日はこのあたりにしておきたいと思います。特に、YouT
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フィリピン人妻は宇宙人

昨日迄ブログで「フィリピン人妻は宇宙人」を掲載していたシグロです。この度、アマゾンのキンドル出版をする事になりましたので、投稿を削除させて頂きました。ご愛読頂いておりました皆さまには心から感謝申し上げます。今後は日々の出来事を不定期ではありますが、掲載したいと考えています。また、アマゾン・キンドル出版より「フィリピン人妻は宇宙人」の他、「それでも貴方はフィリピーナを愛せますか」も出版しておりますので、是非ご一読頂けますと幸いです。最後に本ページでご提供しております、各種サービスは継続中ですので、フィリピン関連でお悩みの方、お困りの方いらっしゃればお気軽にご相談下さい。今後共どうぞよろしくお願い致します。2021年吉日シグロ
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自伝を信じすぎるな

あなたが今、目標としている人、あこがれている人はいますか? この人のようになりたいと、その人がなぜ成功したかを学びその行動をそのまま自分もしようとしていないでしょうか。 実はその行動危ないかもしれません。 あなたがその行動をしていたら、あなたは小学校の同級生である健康な子に、なぜ健康なのと聞き「毎日鼻くそを食べているから」と言われ鼻くそを食べ始めようとしているのと同じことです。 結論、一人の情報を鵜呑みにして実践していくのは危険です。 成功する可能性もあれば、失敗する可能性もあります。 就活、勉強でも同じです。 成功したというのは、言ってしまえばただの結果です。私自身も、大学の部活で成功を収めたこともありますが、成功と失敗は紙一重だと考えています。勝負は時の運です。成功したときにだけやっていた行動なんて特になかったです。 もし、あなたがどうしても成功者から学びたいのであれば、成功者を探し、その時にしていた行動をまとめ多くの人に共通しているところがないかを調べるべきです。 そして、成功している人はこういった行動を多くしているなと判断してから取り入れるのがベストだと考えています。 しかし、その結果は早くから行動しろ!などの普遍的なことになってしまうことが多いのですが・・・
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人が人であるということ-1

ぼうとする頭で、まだ開ききらない彼女の目に映るのは、住み慣れた部屋の様子。 隣のカーテンは中途半場にやや斜めがかって半分だけ開いており、そこから朝の光が漏れている。 その光で照らされた先には無造作に置かれた雑誌が散らかり、傍らには口を閉じることを忘れてしまったかのように半開きになった物言わぬバッグが置かれている。 それはいつか彼女が出かけた時に使っていたもので、その時に置かれ、そのままで放置されている。 彼女の名前は如月燈子。 だけど彼女はその名前が嫌いだった。 自分の名を見るだけで身震いがし、なんとも言えない感覚が彼女を襲う。 できることならその名を誰にも呼んでほしくないし、自分の記憶からも消し去ってしまいたいとさえ思っている。 自らの存在そのものと一緒に。 両親が言うにはその名はとある寺の住職に命名していただいたとか。 生まれた時に名付けていただいたことを両親は自慢げに語る。 ただ、彼女はその話を聞く度嫌気がさした。 両親が付けてくれた名前ならもう少しましだったのではないか、もし名前を付けてくれるような両親なら、 そこまで考えて、彼女は考えることをやめる。 考えても無駄なこと、過ぎ去った過去、与えられた現実はいくら考えても変わらない。 ベッドの上で、頭を巡らせ、考えに浸り、頭の中を整理する。 ただ、目覚めたばかりということもあり、その日見た夢が混じるのかうまくまとめることができず、もやもやとした気持ちになる。 仕方なく、まだけだるい体を持ち上げ、だらだらとベッドから立ち上がる。 その部屋は、本当にシンプルで
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自費出版ちょっと待った!「在庫地獄で死にました」私のしくじり自費出版を告白します

くみこは激怒した。 未だにこんな手法がまかり通っているのかと。 先日メッセージが届いた。 自費出版予定だが、友人に冒頭部を読んでもらったら『まとまってなくて、読者が置き去りになる』と感想をもらった。編集者に相談したら、「原稿流出リスクがあるので、見せないでください」  と言われた。編集者がこんなにポンコツだと思わなかった。既に契約しており、引き返せない。  私は5年以上前に、自費出版をしているのだが、 その時の怒りが蘇ってきた。 このケースは、まだ序章である。 今回は、私が自費出版した時の話を 書きたいと思う。 1、おめでとうございます!の罠 母との死別を機に、私は本気で小説家を目指した。 公募ガイドを買って、応募できそうな賞に片っ端から応募。 とにかくガムシャラだった。 そんなある日、一通の手紙が届いた。 「おめでとうございます!特別賞に受賞しました!」 その文面に、私の心は躍った。 本気の執筆開始から三か月。 自分の文才が認められたようで、嬉しかった。 文面はこう続いた。 「弊社より出版したいと思います。 本来80万円での案内になりますが、 特別に50万円でご提供できます」 *特定防止のため、要約してます。 私は考えた。 手元にそんな大金はない。 しかし、出版など、夢のまた夢である。 それが50万円で手に入るのか…。 この機会を逃したら、出版する機会などあるだろうか? 名刺代わりに1冊あってもいいのでは? 「文章を認めてくれたこの会社にお願いした方が、よいものを作れるのではないか?」 が最大の決め手となり、私は自費出版を決めた。 2
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走れ!フリーターパパ    

妻は二十歳、僕はその2つ上、ついに後3ヶ月で可愛い女の子もやって来るんだ。家賃4万の1K、二人仲良く暮らしていると前置きは置いといて、仲良く幸せに暮らせてはいるものの、現実はそう甘くはないなぜかって?だって僕には仕事が無い、貯金も無い、学歴も無いなんのスキルも無い、毎日パチンコで食べてるような底辺人間。(ちなみにパチンコで勝つノウハウはあるので需要があれば書いちゃおうかな💭💭)そんな僕が最近ハマってる事があるそれは、パソコンだパソコン1つで好きな時間に好きなところでお金が稼げればこんなにカッコ良くて自由な仕事はないと思ってる。勿論パソコンなんて触ったことなくて、3ヶ月前に始めたばかりなのだが何をしたらいいのか分からず、毎日タイピング三昧、ようやく1ヶ月程、で会社員として普通に働ける程度のレベルにまでタイピングが上達した。(ちなみにEタイピングをお勧めする( 笑 ))こんな僕が先日プログラマーの会社に応募して、7日に体験セミナー&面接に出向くのである。そんな僕のここから始まる 「僕の成り上がり物語」である。こんなブログに需要はないと思うが、俺でも出来るという事を証明したい人生の一部をここに記録するフリータパパ
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初出品しました

初出品しました。親切丁寧な対応と高品質なサービスをお約束します!ご相談だけでもぜひ。
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ココナラはじめました♪

ココナラに登録し、本日より活動スタートです!高品質で反応の取れるWeb画像をお手頃価格で。親切丁寧をいつも忘れず、一生懸命頑張ります!!
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お久しぶりです~!

少しずつ冬が近づいてきましたね★寒くなって、秋が最近ないような気がして少し寂しいです( ;∀;)すこしココナラお休みモードでいたのですが仕事がだいぶ落ち着いてきたので、再度復活していきたいと思います~!ご依頼いただけたらいいのですが。。笑ブログも少しずつ日記程度にはなるのですがしていきたいと思いますので、改めてよろしくお願いいたしますm(__)m★
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器用貧乏な人生

40年の労働人生、、長かったですがまだまだ働かないといけないのです。なぜなら貧乏だから(爆)なぜ貧乏かというと話せば長いのでぼちぼち書いていきます😁
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