絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

67 件中 1 - 60 件表示
カバー画像

学校現場の裏側教えます

教師という仕事に興味がある人の質問に何でも答えます。私は30歳で教師になったので、転職の相談にも乗れます。●相談内容例・どこで教員免許を取るべき?・教員採用試験とは?・教員採用試験に落ちたらどうなる?・給料は?・ボーナスは?・お休みは?・土日出勤は?・長期休みは?・部活動顧問の回避方法・教師の何が大変?・毎日勤務時間(17時)に帰る方法・なぜ教育現場がブラックと言われているか・いわゆるモンスターに出会った時の対応策・学校現場で起こるトラブルの例・意外と知らない校務分掌(←これが教員を苦しめている)・会議の種類・教員のやりがい・退職金について・定年退職後の選択肢について●教員の1日のスケジュール例(7限まであるとほぼ勤務時間になります)8:30 朝の打ち合わせ8:45 朝のHR8:50 1限9:50 2限10:50 3限11:50 4限12:50 昼休み13:25 5限14:25 6限15:15 帰りのHR、掃除15:30 部活動、会議など17:00 勤務時間終了19:00 生徒完全下校19:30 教員完全下校学校には知っているようで知らないことがたくさんあります。生徒側からは見えない世界が結構あるのです。あなたの知らない世界を覗いてみませんか?
0
カバー画像

教師が子どもの可能性をつぶすとき

こんにちは!輝き親子コーチングぽこあぽこ主宰のぽこです!ブログにご訪問いただきありがとうございます🤗今回は、「教師が子どもの可能性をつぶす時」というテーマでお話します。疑問に思った同僚の発言 私が以前勤務した学校でのことです。 いわゆる荒れた小学校で、児童の学習意欲は低く、喧嘩が日常茶飯事というような小学校でした。 その学校に勤務し始めてすぐのことでした。 算数の授業の時のことです。算数の授業はティームティーチングで行っており、私がTeacher1(以下 T1)として授業を進めていました。 机間指導をしていたTeacher2(以下 T2)が私に近寄ってきて耳打ちしました。 「ノートに書く量が多すぎて 子どもがやだって言ってるよ。」 私は、子どもたちに「最初は大変かもしれないけど書いているうちに慣れて 今よりもはやく書けるようになるからね。」と声をかけながら取り組ませていました。 それに、その学年が書く量として、決して多すぎると言われる量ではなかったのです。 私としては、T2の教師に「頑張ってるな。 今は大変かもしれないけど 慣れてくるからな。踏ん張りどきだぞ。」などと子どもたちを励まして欲しかったのです。 けれど、T2の教師は、「子どもが負担に感じているからやめさせろ。」と言いたかったようです その考えの根底には、機嫌よく授業を受けてもらうために子どもの要求を聞くというものがあったようです。 何しろ、喧嘩、トラブルが日常茶飯事の学校でしたから・・・・。 私が感じた疑問でも、本当にそれが良いことなのでしょうか? それって子どもの可能性を潰してないですか? 子どもの可能性を信じてい
0
カバー画像

日常の忙しさに追われるあなたへ:生き急ぐ心理を探る

生き急ぐってどういうこと?その心理に迫ってみた!どうも、みなさん。最近、友人の生活を見て「生き急いでるなぁ」って思うことありませんか?僕の大学時代の友人なんかがまさにそれ。彼はスノボ、釣り、キャンプに、ドラムを叩いたり、子供とスポーツしたりと超アクティブ。仕事も患者さんのために一生懸命で、いい接骨師なんだけど、なんだか生き急いでいるように見えるんですよね。 一方、僕はというと、専業トレーダーという職業柄もあるのか、自宅でコーヒーを飲みながらゆっくり過ごすのが大好き。トレードについてあれこれ考えるのも楽しいし、合間にちょっとトレードするだけで生活が成り立つので、外部に幸福感を依存することもないわけです。人生で、いやその日1日、ほんとにやるべきことって1個くらいしかないよね。でも、ふと考えたんです。「生き急ぐ」ってどういう心理から来てるんだろう?って。もしかしたら、僕の友人だけじゃなく、自分や周りの人にも当てはまることかもしれません。そこで、今回は「生き急ぐ」人の心理についてちょっと掘り下げてみましょう。 1:やりたいことが山ほどある! 「生き急ぐ」人の多くは、仕事や趣味などでやりたいことがたくさんあります。死ぬまでにやりたいことが多すぎて、毎日スケジュールをびっしり詰め込んで忙しくしているんです。自分のやりたいことだから本人には負担じゃないんだけど、他人から見ると「なんでそんなに頑張るの?」って思われることも。パワフルで前向きな性格とも言えますよね。 2:将来が不安で焦ってる 一方で、将来に対する不安から焦ってしまい、生き急いでしまう人もいます。「老後にちゃんと生活できるか不安」
0
カバー画像

安孫子ちゃんのこと

今日はふと思い出したことがあるんです。昔、僕が会計事務所で働いていた頃、20歳にしてすでに簿記1級を持っている女の子が入社してきたんですよ。彼女の名前は安孫子ちゃん。かわいくて、本当に優秀な子でした。簿記1級って、とんでもなく難しい試験ですよね。普通、20歳でそれを持ってるって聞くだけで「すごいなぁ」と思っちゃいます。でもね、ちょっと考えたんです。安孫子ちゃんがその簿記1級を持っていたことで、彼女の人生は本当に幸せになったのかなって。もちろん、彼女はその後、結婚してしばらくは仕事を続けたかもしれない。でも、いずれ家庭に入って、仕事から離れたのかなって思うと、あの資格はどれだけ彼女の人生に影響を与えたのかなと。もしかしたら、簿記1級を持っていたことで、それなりの男性に出会うチャンスが増えたのかもしれないけど。 一方で、トレードは違います。学んだその日から、すぐに自分で稼ぐ力がつくんです。これは本当に大きい。男性でも女性でも関係なく、知識があればその日のうちに結果を出せるんですよね。安孫子ちゃんみたいな優秀な人が、もしトレードに興味を持っていたら、きっともっと自分の力で道を切り開けたんじゃないかなって。 そういえば、ついでに思い出したんですが、東海林ちゃんという女の子もかわいくて優秀でした。彼女も簿記の才能があって、将来有望な感じでしたね。やっぱり、優秀な女性って憧れるし、何よりもその才能をもっと広げていける環境があればいいのになと思います。
0
カバー画像

子供でもトレードできる?トレードの再現性と可能性を探る

トレードの再現性について考える 僕の持論だけど、トレードは実は簡単で、誰にでもできるものなんだよね。子供でもお年寄りでも、学歴がなくても関係ない。いつも親子のマネーリテラシー講座とか大学生のインターンを受け入れてる経験からもわかる。確かに技術的にはそうだよね。難しい数学も物理学も、語学も必要ないし。でも、ここで重要なのは、トレードを「職業」として考えた時の話。 例えば、小学生から大学生までの子供たちがトレードを職業にできるかっていうと、僕はちょっと難しいと思うんだよね。なぜかって言うと、彼らにはまだ生活がかかっていないから。確かに、バイトの代わりにトレードをするっていう選択肢もあるけど、それでも「絶対にトレードしなければ」という使命感は生まれにくいと思うんだよ。 僕たちプロの職業トレーダーは、何かを賭してトレードを続けているんだ。人生だったり、家庭だったり、時間やお金だったり。でも、子供や学生は、住むところや生活のためにトレードするわけじゃないから、勝つことはできても続けていけない。続けていけないなら、それは職業にはなり得ないということなんだよね。 でも、学生を卒業してトレードを職業としてやるようになると、状況が一変する。途端にプレッシャーがかかるんだよ。そこで正しいメンタルコントロールを教えてくれるトレード塾に入ることができれば、学生トレーダーだった子も、晴れて一人前のトレーダーになれる可能性を秘めていると僕は思う。 だから、トレードの再現性について考えると、技術だけじゃなくて、トレードをどう職業として捉えるかが大事だと思うんだ。トレードアイデアラボではプロの職業トレーダーを
0
カバー画像

回顧録20 コロナ禍の退職

かねてから予定していた退職でしたが、折しもコロナ禍が迫っていました。2020年の春といえば、数か月前までは海外の話、そこから一艘の船の話、さらには東京の話、と着実に感染者が広がっていたころです。私の住んでいた山形県では、感染者がほとんどいませんでした。全国的にも、感染者ゼロの時期が長かった自治体だったと思います。いなかったからこそ、一度感染がわかったら、ひどい扱いをされました。まだワクチンはおろか、治療薬もなかった頃です。東京から帰省した家族から感染したことがわかった家庭に、石が投げ込まれるといったこともありました。予防も治療も難しく、感染経路も不確かな中で、不安だけが広がっていきました。そこから1年は、山形県内で感染するということは、かなりの差別や偏見を受けることを意味していました。それほど、感染者数が少なく、感染者ゼロを維持することが求められていたのです。多くの感染者が出たことで、逆に適応も早かった都市部とは真逆の状況でした。そんなころでしたから、急遽、学年末試験や卒業式、終業式の中止や簡易化が決まりました。予定されていた試験は中止され、登校禁止の状態になりました。卒業式はごく短時間に、各学級で卒業証書を渡すだけとなりました。勤めていた学校には遠方から来て下宿している生徒も大勢いましたから、早急に保護者の元に帰す必要があったのです。確か、2月の中旬には、学校に生徒が来ることはなくなったと思います。結果的に、私は退職を生徒たちに伝える機会を失ってしまいました。当時1年生の担任をしていましたが、急遽登校が禁止になり、退職のことを伝える機会を失ってしまったのです。緊急事態の中で、
0
カバー画像

回顧録19 そして、退職へ

ともかくも、学校を離れて、もっと世の中を知りたいと思うようになりました。集団の中でチームとしてできることもある一方、独立した主体を持っていた方が都合がいいこともあるでしょう。当時から身の回りに個人事業をしている人も多かったので、なんとなく独立するという選択肢もイメージできていたことも大きいかもしれません。長年集団の中で仕事をしてきて、その魅力もわかった上で、独立の道を探るようになっていきました。転職ではなく、独立。教師という専門職にとってはあまりモデルケースがないので、周囲からすると驚く部分もありましたが、自分自身は自然な流れでした。まずは退職して、全国のフリースクールを見て周りたいと思っていました。せっかくだから、海外の学校を見るとか、美術館を巡るとか、観光も兼ねて飛び回るのもいいと思っていました。そんな活動を通して、自分の事業を具体的にしていきたいと思っていました。そして、いざ退職となって同時に訪れたのが、コロナ禍だったのです今回も読んでいただき、ありがとうございました。 ぜひ「いいね」をいただけると、とても励みになります。よろしくお願いします。 また、メッセージもぜひお待ちしております。記事への感想や質問など、プロフィールから気軽にお寄せください。 他の記事にもご意見を頂戴できれば幸いです。お待ちしております。 古原大樹(作家・マルチアーティスト/吉村ジョナサン)
0
カバー画像

回顧録18 夢想を現実にすることの難しさ

もともと教師を長く務めるつもりがなかった私でしたが、気がつくと10年以上が経っていました。学校というのは不思議な場所で、3年を1サイクルとした流れがあります。それは単に担任をしているクラスの生徒だけではなく、授業を受け持っている生徒や部活動で受け持っている生徒に対しても、その感覚があります。3年を1サイクルとして、それが重層的に重なっているわけですね。1サイクルが終わっても、同時に別のサイクルが始まっている。そのようにして、次々に訪れる出会いと成長と別れに飲み込まれるようにして、月日が過ぎていきました。その中で、そのサイクルから抜け出したいという時期が、何度も訪れました。定期試験の試験監督をしながら、ぼんやり考えます。今行っている教育の課題はどんなことか。もっとこんなことをしたらいいのではないか。大抵は、現状の課題を打破するようなアイディアの夢想でした。それが夢想であるのは、それを現実にするのにはいくつものハードルがあったからです。自分が考えていることを、周囲の同僚に共有し、実現に向けて動いていく。特にその最初の段階、アイディアの共有が難しいところでした。何度か夢想を現実にするための試みを繰り返すうちに、どこか諦めのようなものが出来てきたのだと思います。夢想することのおもしろさの一方、それを共有することの難しさ。実現することの遠さ。それでも、ふとした日常の隙間に、そのような夢想は訪れました。ぼんやりと試験監督をしたり、部活動の様子を見守ったりしているときに、夢想するのです。そしてまた、そんな時に思うのは、「自分は何をしているのだろう」ということでした。今やっていることは、意味の
0
カバー画像

回顧録17 教師の転職先

学校の教師を辞める人は少なくありません。定年退職や転居に伴うもの以外にも、さまざまな理由があります。病気による休職も少なくなく、身体的・精神的な疾患によって退職に至ることは珍しくないと思います。最近ではよく知られるように、学校の教師の労働環境は過酷です。個人の努力でどうこうできるものではありません。そのような状況で転職を決める人は大勢います。そこで考えたいのが、教師を辞めた後の進路です。教師を辞めた後に、民間の事業会社に就職する人も少なくありませんが、やはり何らかの形で教育の仕事に就く人が多いような印象があります。教師になるためには、ある程度の努力が必要です。教員の免許を取るためには、大学に行き、所定の授業を受け、教育実習を受けなくてはなりませんそして、教師になるための試験の対策をし、試験を受けなければなりません。その上で、必ずしも試験に合格せずとも、教師として働いている人は大勢います。ただ、試験を受けなければ、その資格が得られません。そのようなある程度のハードルがありながら辿り着いたキャリアです。それなりの動機があることがほとんどでしょうから、やはり、教育に対して思いを持った人が多いのだと思います。それでは、教育に関わる仕事には、どんなものがあるのでしょうか。例えば、違う学校で働くということがあります。ある高校から別な高校に行くこともあれば、高校から中学校に行くこともあります。私立の高校から公立の高校に行くこともありますし、その逆もあります。また、学習塾という道もあります。今では、受験を目的とした学習塾以外にも、自然の中で活動することを目的とした塾や、プログラミングを学ぶ塾、
0
カバー画像

回顧録16 フリースクールという選択肢

フリースクールという学びの選択肢が知られるようになったのは、ほんの最近のことです。日本のフリースクールにも歴史はあるものの、一般にはあまり通じませんでした。その背景には、そもそもフリースクール自体が少ないということ、そして、学校に知られていなかったことがあります。私が教員として働いている中で、フリースクールという学びの選択肢があることは、知識として知っていました。しかし、実際にフルースクールに行ったこともなければ、そこで働いている人と会ったこともありませんでした。不登校に向き合う中で、学びの選択肢について考えることがありました。当時関心があったのが、フリースクールとオルタナティブスクールでした。そんなときに、フリースクール全国ネットワークのフリースクールスタッフ養成講座を受ける機会がありました。オンラインを用いて、全国から参加できるというものでした。今ではすっかりおなじみになったZOOMを用いた講座ですが、コロナ禍の前はまだまだ珍しい頃でした。当時としては先端的な取り組みとして、オンラインで学び、交流しあう講座を受けることにしたのです。その講座では、一方的に講義を受けるというよりは、参加者同士の意見交換が活発に行われました。その中で、今まさにフリースクールで働いている人や、フリースクールを立ち上げようか迷っている人が参加していました。そんな中で、学校の教員として参加しているのは、私だけでした。フリースクールに関心を持つ人の多くが、不登校状態にある子どもの保護者や当事者です。ここに至るまでに、学校や学校の先生に良い気持ちを抱いてはいない人が多い印象でした。そんな中で、学校の教員側
0
カバー画像

回顧録15 教員になってからの余暇

教員になって数年は、文字通り休みもなく働いていました。平日は8時前に学校に行き、21時頃まで部活動。休日も8時過ぎに学校に行き、19時頃まで部活動という毎日でした。休みはほぼなく、一年に数回あるかないかの休みの日には、美術館に行ったり、イベントに行ったりと、予定を立ててアクティブに過ごしていたと思います。若かったのですね。また、その時間がない中をかいくぐって、ゴスペルのサークルや、吹奏楽の団体での活動にも顔を出していました。とても安定して参加できる状況ではありませんでしたが、自分の好きなことをできる時間を持てていることで、精神的には充実していたのだと思います。数年して、少し時間に余裕ができるようになりました。部活動が変わったことが大きかったです。平日は20時頃まで校務。休日は丸一日学校にいるということはあまりなく、数時間から半日だけ仕事をするという日が増えました。それでも、休日に引率ややっておかなければならないこともありましたので、結局はほぼ毎日仕事をしていました。自分で調整できる状態ではあったのですが、休みなく過ごしていたころの癖がなかなか抜けませんでした。完全にワーカホリックな状態です。そのころになると、時間があれば家で寝ていることが多くなったように思います。あまり外に気持ちが向かわず、せっかく時間ができたのにも関わらず、家を出ることができませんでした。仕事を始めて10年程経ったあたりで、初めて「旅行」というものをするようになりました。それまでは、遠征や仕事で遠方に行くことはありましたが、プライベートでどこかに行くことはありませんでした。特に「旅行」という意識でどこかに行く
0
カバー画像

回顧録13 校務分掌とは何か

聞きなれない言葉に「校務分掌(こうむぶんしょう)」というものがあります。これは、学校の用語で、先生方の役割分担を指します。名称や仕事内容は学校によって違いますが、「教務(きょうむ)」「生徒指導」「進路指導」などが代表的な校務分掌です。「教務」は主にその学校でどのような授業をするのか、成績をどのように評価するのか、といった、学校の幹ともいえる部分を担当します。私の場合は、教科書関係の手続き、学籍の管理、研究誌の発行、集会の運営などを行っていました。「生徒指導」は主に生徒の学校生活に関わる部分を担当します。校則やいじめ対策、不登校支援、特別支援といった動きの中心となる部分を担当します。私の場合は、直接分掌に割り当てられたことはありませんでしたが、部活動や委員会活動、不登校支援などで関わることが多かったです。「進路指導」は主に進学や就職、それに向けた行事や取り組みについて担当します。私の場合は、補習の計画、模擬試験の手続き、高校生向け求人の管理、お便りの発行などを行っていました。私は他にも、オープンキャンパスの計画や調整、学校説明会での学校や入試についての説明、中学校への訪問、広報誌の作成、高校入試業務なども行っていました。今では「教育業務支援員(スクール・サポート・スタッフ)」がいる学校もありますが、学校の仕事は全て教員が行うのが基本です。担任や教科担任、部活動顧問や委員会顧問、学校行事の仕事などに加えて、これらの校務分掌の仕事(顧問や行事の割り当てなども「校務分掌」ということもあります)があります。これらは全てつながっており、それぞれを切り分けて外部に委託することが難しくなってい
0
カバー画像

回顧録12 部活動顧問と会計

部活動顧問にとって大きな負担の一つが、会計処理です。部費を集めたり、大会や練習試合、イベントごとに集金して、その予算をもとに外部指導者への講師料や練習場所代、交通費代などにしていきます。まずは予算を立てるところから始まります。支出として何が必要なのか。交通費一つとっても、場所や期間によって金額が変わります。一つひとつに業者に見積もりを頼んだり、金額を調べたりして、支出金額を出します。次に、学校から補助は出るのか、部員一人あたりいくら集金すればいいのか、などを考えます。その上で、収入と支出のバランスをみて、予算を立てていきます。予算が決まったら、その内容で大丈夫かどうか、学校に許可を得ます。事業内容を含め、無駄な出費はないか、生徒の負担が大きすぎないかなども大事なポイントです。学校から許可が得られたら、今度は生徒から集金します。集金方法はさまざまですが、私は現金で処理していました。現在であれば、もう少し集金方法にも選択肢があるのかもしれません。この集金というのがまた大変で、すぐに出せる家庭もあれば、ぎりぎりまで出せない家庭もあります。本人が保護者に連絡していない場合もありますし、家庭の事情である場合もあります。場合によっては、行事が終わってからの納入になってしまうことも少なくありませんでした。それらの現金の扱い、誰がいつ出したのか、いつ出せるのかなどを、随時把握しておく必要があります。もちろん、さまざまな支払いをするのも顧問です。それぞれの請求に従って、支払いをしていきます。学級の納入金や委員会の納入金、教科の納入金など、日々さまざまなお金を扱う顧問にとって、この支払いを忘れてい
0
カバー画像

回顧録11 部活動の大会運営

部活動の顧問の仕事は、対外的な部分も多いです。部活動によっては、校内で完結するものもありますが、多くの部活動が外の団体とつながっています。代表的なのが、部活動の大会や練習会などを実施する団体です。例えば運動部であれば、全国高等学校体育連盟(高体連)です。各都道府県や地域ごとにその支部が設けられています。私がいた山形県の場合は、全国高等学校体育連盟の下部組織として、山形県高等学校体育連盟があり、その下にさらに村山地区高等学校体育連盟や庄内地区高等学校体育連盟などがあります。また、さらに各競技に専門部が置かれ、各競技毎に役員がいて、主に顧問の先生方がその役員をするんですね。その文化部バージョンが、全国高等学校文化連盟(高文連)です。こちらにも支部が設けられ、各専門部もあります。その他にも、日本高等学校野球連盟(高野連)のような団体もあります。このような団体に重複して参加しているようなこともあります。例えば、私が受け持っていたボランティアをする部活動の場合、日本赤十字社の青少年赤十字、国際ロータリークラブのインターアクトクラブ、国際ソロプチミストのSクラブ、社会福祉協議会のボランティア登録、といった外の団体とのつながりがありました。特に高体連、高文連は、基本的には先生方によって運営されています。大会や研修において、計画し、予算を立て、告知し、とりまとめ、実施し、報告をする。これらを、学校の中の仕事とは別に行うわけですから、先生方の負担は大きいと思います。当然大会の運営も先生方が行うわけで、私の場合は引率も含めると、吹奏楽部、合唱部、柔道部、アーチェリー部、ボクシング部の大会に関わった
0
カバー画像

回顧録10 部活動は学校と密接に関わる

部活動の顧問の役割には、学校への許可申請というものもあります。学校の責任のもとで行うのだから当然ですが、いくら生徒のためだからといって、なんでもかんでも許可されるわけではありません。危険なことや予算的に厳しいものはもちろんですが、その学校独自の事情というものもあります。例えば、ある部活動だけが体育館を独占して使用することはできないし、ある部活動だけ遠征がやたら多いというのも、よく検討が必要になります。つまり、他の部活動とのバランスを取るということがあります。また、学校行事との兼ね合いもあります。体育祭の翌日に遠征を組むというのはちょっと健康面に心配があるし、期末試験を休んでまで大会に参加するとなると、参加する際の対応を含め検討が必要でしょう。部活動の大会の日程は、高体連(高等学校体育連盟)などの実施団体でも、各学校の事情を加味して設定されます。また、実施団体から出される日程を加味して、各学校の行事予定は組まれます。それでも、どうしても重なってしまうことはあるのです。他にも、部員それぞれの事情も加味しなくてはいけません。資格試験の日程や、進学・就職試験の日程、心身への負担や経済的負担など、多様な生徒がいる中で、部活動の取り組みを考えなくてはならないのです。時には、部活動として学校行事へに参加することもあります。文化祭や体育祭に部活動毎のデモンストレーションや役割分担があることも多いと思います。オープンキャンパスや学校紹介動画、広報誌への記事掲載などに協力することだってあります。部活動はあくまで学校の教育活動の一部であり、学校によっては学校の顔でもあります。部活動を目当てに入学して
0
カバー画像

回顧録9 部活動は担任と二人三脚で行う

高校教師の仕事に、部活動の顧問があります。部活動の顧問というと、その競技を指導するコーチと同じような役割だと思えるかもしれませんが、それは顧問の仕事のほんの一部です。最近は部活動の地域移行が試みられるようになってきましたが、それでも顧問という仕事が完全には学校から切り離せないのは、顧問の指導者としての側面以外の側面が大きいからです。顧問の仕事は、直接生徒と対面して行う仕事以外にも、たくさんあります。まず、部活動はあくまで学校の中の組織です。それも、教育活動や生徒会活動の中に位置づけられており、その中で手続きが行われます。当然、学級担任とのやりとりは重要です。その生徒がどのような家庭事情を抱え、どのような進路志望を持ち、学級での様子はどうなのか。どのような困難を抱え、どのような魅力があるのか。そういったことを、学級担任と部活動顧問は随時情報を交換しています。なぜなら、学級で見せる顔と部活動で見せる顔は当然違いますし、それぞれの場所でしかわからないこともあるからです。また、部活動を続けていくのにも、本人のバックグラウンドやプライベートな事情に配慮が必要なこともあります。進路に向けて必要な書類の作成にも、部活動の出来事や大会結果は重要です。教室でのトラブルや、部活動でのトラブル、家庭でのトラブルについては、迅速に情報交換する必要も出てきます。そういった、担任との二人三脚でその生徒をみていく、ということが、部活動顧問にとって最も大事なことだと思います。部活動の顧問は、その競技の専門性以上に、まずは教師としての専門性が必要なのです。今回も読んでいただき、ありがとうございました。 ぜひ「い
0
カバー画像

回顧録8 困難への想像力

発達障害という言葉は、今現在でも一つのものごとを指す言葉ではなく、教育、福祉、医療の文脈、さらには一般に流布するさまざまなニュアンスを持って使われる言葉です。それでも、十数年前においても、学校における不登校支援にとって、「背景にはさまざまな困難があるのだ」ということを理解することには役立つ概念でした。本人や家族の抱える困難は、学校の中では担任が一番わかっています。生徒や保護者と直接関わってきたからです。だから、本人や保護者が困難を抱えていることはわかっています。しかし、それを他の先生方にわかっていただかないと、支援や配慮につながりません。当時は例え、うつ病などの疾病があったとしても、所定の進級・卒業の要件をクリアしなければ、留年することが一般的でした。学校の中のことは、基本的に校長の権限で大抵のことは通ります。ですが、そこにも学校内の理解はもちろん、社会的な理解の裏付けが必要でした。まだまだうつ病などの精神障害、そして発達障害、さらには、名前のつけられない困難に対する配慮をすることは、簡単なことではなかったのです。そんなころに、発達障害という知識と名前を得た私は、その概念を裏付けとして、なんとか学校内の理解、校長の理解を得られないか模索しました。それも、簡単なことではありませんでした。今でも混乱している発達障害という概念を、その端緒すらつかめていない先生方に理解してもらうことは、非常に難しいことでした。結果的に、何年もかかって少しずつ理解を得ていきました。もちろん、誤解や偏見は多くあります。それでも、不登校の背景にある発達障害、そして、精神疾患や、名前を持たない困難についても、
0
カバー画像

回顧録4 不登校と向き合う

私が働き始めたのは、ちょうど「不登校」という言葉が知られるようになってきたころでした。状況によって「登校拒否」とか「登校しぶり」とか、いろいろと言葉を使い分けられていた時期でもあります。場合によっては「怠学」というレッテルを貼られてしまうこともありました。今とは違って、「学校に通えるようにする」ことが唯一の目標になっていました。また、フリースクールのような外部のリソースも少ないころでしたし、学校内での柔軟な対応すら難しかったころでした。暴力や喫煙といった目で見えるような問題については対応の蓄積があった学校も、不登校にどう対応していけばよいかについては個々の先生によって違いがありました。不登校という状態は、決して新しいものではありません。また、個々によって実態は大きく違います。だからこそ、柔軟な対応が求められるのですが、それはなかなか難しい現状がありました。一つの理由は、高校の仕組みにありました。高校には卒業要件が決まっています。出席日数や各科目の出席時数、成績などに要件があります。今ではそれらを各学校の裁量でかなり柔軟に運用するようになりましたが、これらの要件はもっと厳格なものだったのです。ですから、要件を満たすことができなければ、理由はどうであろうと進級も卒業もできない、というのが一般的な対応だったと思います。今回も読んでいただき、ありがとうございました。 ぜひ「いいね」をいただけると、とても励みになります。よろしくお願いします。 また、メッセージもぜひお待ちしております。記事への感想や質問など、プロフィールから気軽にお寄せください。 他の記事にもご意見を頂戴できれば幸
0
カバー画像

回顧録3 やんちゃな生徒たち

食べてすぐ寝ると胃がもたれる。それがわかっていても、眠ってしまうんですよね。いったいどのくらい寝ればもたれないのか。食べるものや、体調にもよるでしょう。数分後でももたれないこともありますし、数時間開けても、もたれることはあります。ということで、松屋の限定商品を食後に寝落ちして、胃もたれの中起きている私です。結局大学卒業後に就職したのは、地方の私立高校でした。もともと商業高校で、当時の商業高校といえば、ちょっとやんちゃな生徒も多かった。その名残で、いくらかやんちゃな生徒が残っていたころです。今となっては懐かしい話ですが、生徒の中には、時に暴力をふるってしまう生徒が少しだけいました。往時に比べればほんのささいなものです。いつも暴力をふるうというわけでもなく、友人同士の喧嘩とか、教師への反抗とかで、ごくまれに表出されるようなものでした。それは怖いというよりも、思春期の健全な反応という気がしました。机を蹴ったり、相手につかみかかることでしか表現できないものが、彼らにはあったのでしょう。また、そのように達観できるくらいに、そんなことはまれでもありました。これがいつも起こっていて、自分の身にもいつ降りかかるかわからないような暴力であれば、そんなに余裕のある受け取り方はできなかったでしょう。そんな彼らは、基本的には人懐っこく、心優しい青年たちでした。今回も読んでいただき、ありがとうございました。 ぜひ「いいね」をいただけると、とても励みになります。よろしくお願いします。 また、メッセージもぜひお待ちしております。記事への感想や質問など、プロフィールから気軽にお寄せください。 他の記事にもご意
0
カバー画像

回顧録1 教師になるとは思っていなかった

先日のブログで、「ココナラのイメージが2000年代で止まっていた」と書いたのですが、ココナラの創業が2012年ということで、すっかり思い違いしていましたね。それにしても、たった10年でここまでのものにするとは。やや就職サイトとしての趣も強くなってきているのが若干不安ですが、トライアンドエラーを繰り返してきたココナラですから、おもしろいような方向に進んでいくのではないかと思います。ご依頼を検討される方々のためにも、少しずつ自分のことも書いていきたいと思います。私は大学卒業後、全日制の高校で13年間働きました。教師という仕事には絶対に就くことはないと思っていたので、人生なにが起こるかわからないものです。高校生のころから、教育問題には関心がありました。しかし、だからこそ、教師の在り方というもの、学校というものの在り方というものに不信感のようなものもあったんです。高校2年生くらいまでは、音楽の道に進みたいと音大を目指していました。それが、進路変更によって、教育学部を目指すようになるんですね。それでも、やっぱり教師にだけはなりたくない、そう思っていたのに、教師になってしまったわけです。だから、教師になった後も、教師の在り方、学校の在り方には批判的な目はいつもあったような気がします。今回も読んでいただき、ありがとうございました。 ぜひ「いいね」をいただけると、とても励みになります。よろしくお願いします。 また、メッセージもぜひお待ちしております。記事への感想や質問など、プロフィールから気軽にお寄せください。 他の記事にもご意見を頂戴できれば幸いです。お待ちしております。 古原大樹
0
カバー画像

人間関係トラブルは「成長のチャンス」

運動会シーズンを過ぎると、夏休みが見えてきます。ここからの2ヶ月、子供同士のトラブルが増えてきます。基本的な考え方として持っていたいことは人間関係トラブルは「成長のチャンス」です。とはいっても「いじめ」は厳禁障害が残るような危険な行為も厳禁食べ物、飲み物など「生命」かかわる安全を脅かす行為も厳禁つまり「危ない」「きたない」「ずるい」ことをしない人に育てることは必須。トラブルが起きたら… ① 行為を止める ② 事実確認を丁寧にする ③ 原因となった気持ちを確認する ④ どうすべきだったか考えさせる ⑤ 自身が取っていた言動について「親」はどう感じるか想像させる ⑥      〃        「相手の親」   〃 ⑦ 納得できていない、言い足りない気持ちはないか確認する ⑧ 必要に応じて「謝罪」「許容」を行う① けがなどの危険がある場合、まず行為を止めます② 事実確認は、教師が頭の中で推測したことを補完しながらきいてはダメ!  •    端的に事象を聞く  •    言葉づかいや態度など、違う方向の指導にならないようにする  •    「?」と感じた部分は必ず質問する  •    「嘘」が疑われるときは、最後まで話させたあと、もう一度確かめる③ その時の自分の中にあった気持ちに向き合わせる  •    加害側は特に重要。「バカにする気持ち」「傷つけたい気持ち」    「妬みや嫉妬」など負の感情を認知させることが    「規範意識」の涵養に繋がります。  •    双方の気持ちを聞かせることも大切。  •    「お互い様」の部分も多いものですが、この言葉をそのまま使うのは    
0
カバー画像

若い先生におススメ!これ知ってれば、保護者対応も怖くない

保護者からの電話、 ドキッとしませんか? または、急に保護者が来校してきたとか。 「子どもが友だちから意地悪されたようだ」 「学校に行きたくないと言っている」 このような相談ならまだいいですが、 理不尽なクレームを受けると精神的にもかなりやられます。特に先生になりたての頃とか、 年齢が保護者よりも若い時とか 保護者と普通に話すのでさえ緊張しましすよね。 自分もそうでした。 実は、保護者対応には 基本的な対応の原則があるんです。 この対応を知らずに 保護者の怒りを買う先生たちは 多くいます。 私自身、 教員歴20年以上ありますが この対応を誤って、 失敗したこともあります。 (まだ十分に対応の仕方を学んでいなかった頃です) ただ、 この対応の仕方を学んでからは 保護者対応でこじれることは ほとんどありませんでした。 教員人生の後半は、 担任業を外れ 担任をサポートするために 学校内の問題行動や保護者対応ばかりを 中心に行ってきました。 時には、管理職の盾になったりフォローしたりしたこともあります。他校での研修講師に呼ばれることも多々ありました。おそらく のべ200件以上 保護者の方と 色々なお話をさせていただいてきました。 中には、学校や地域で有名な「モンスターペアレント」と呼ばれるような方もいました。最初は怒り狂ってくるような方も正しく対応していけば普通に戻って冷静な話ができます。また、その前の対応が正しければ このような怒り狂ってくること自体も起きずに済みます。今回は、自分がこれまで経験してきた中で学んだことを 20分の動画にまとめて話しています。 基本的な内容が中心になるの
0 500円
カバー画像

「中国映画”初恋の来た道”」はイイねぇ~♪

日本だと、あまり有名ではないかな?知っているヒトは、知っている?映画!中国映画で、チャン・ツィー主演の、「初恋の来た道」じゃね。も~大好き!も~~、何回観たか!^^;監督はあの「チャン・イーモウ」じゃね。抒情的な雰囲気のある「映像」を撮る監督じゃ。イイんだよねぇ~、これが!^^だから「ベルリン映画祭」で「銀熊賞」を取ったのじゃ。日本は”千と千尋の神隠し”が受賞したのが有名じゃ。^^(((初恋の来た道)))まだ、チャン・ツィイーが19才くらい?の若い時に撮った映画じゃけど、まだ今のような「大女優」になる前の映画だけど、やっぱ「演技」ウマイわ~♪^^だけど、彼女はすんごい優秀な生徒じゃったのじゃ。「ダンス」が得意でコンテストで優勝もしている学生じゃった。それで単発ドラマに出たあとに、この映画「初恋の来た道」に出演じゃ。^^ただ英語名のタイトルは「家路」というなんかやっぱ日本人のつけるタイトルの方がイイネ!^^なんか「ランボー」だって、英語名は、「ファーストブラッド」だよ~。なんなん?「最初の血?」、まあ「最初に仕掛けた!」なんていう意味じゃろ~けど、なんだか、よくわからんわい。ホホホ^^そうそう、それで映画の内容じゃ。この映画は、主人公たちの”大人になった息子”が最初に登場する。(白黒画像)その息子が”教師だった父の死”を知り、故郷に車で帰る。故郷の家に母が待っていた。母は父を心から尊敬し、深く愛していた。母と息子は”葬儀方法”で少し意見が違ったが、最終的に多くの生徒から”愛された先生=父”は昔ながらの葬儀で長い道程(父が母に出会った道)を厳(おごそ)かに大勢に抱えられながら行われ
0
カバー画像

学校でのLGBTQの対応課題など

近年、良い言われるようになってきた言葉です。この意味は、セクシャルマイノリティのことで、その名称の頭文字を並べたものがこの名前になっています。セクシャルマイノリティの人達は、一般的な理由とは違う理由で、自殺などのリスクを背負っている場合もあります。その中で、早期のケアが指摘されています。そこで、学校などで、セクシャルマイノリティの子どものケアを行ていく取り組みが研究されていたり、進められています。重要なのは、チームでの活動とされており、学級担任,学校医,学校歯科医,学校薬剤師,スクールカウンセラーなど学校内における連携,また医療関係者や福祉関係者など地域の関係機関との連携になります。このように様々な役割の人達が連携していくことで、ケアの効果が出ることが研究されています。カウンセリングをする立場として、自分も考えていく必要があります。
0
カバー画像

エモーショナルメンター#74

今日のマインドセットは、 【日本の教育を改革せよ!】です。今日はちょっと退屈な話をします。 日本の教育の話です。 僕は、今の日本の学校教育は 危機的状況にあると思っています。 まず、 ================= 教師の質が下がってます ================= 教育者としての自覚やプロ意識が低い人が 増えてると思うんです。 この原因は色々あるとは思いますが、 教師の地位も下がっていることや、 仕事量の割りに給料が低いことが 大きく影響してるはずです。 その結果、教師を目指す人が少なくなっているので、 必然的にいい人材が集まらない状況ですよね。 昔は違いました。 教師を目指す人が今よりたくさんいたわけです。 当然、教師を希望する母数が増えれば 質の高い先生も増えます。 それと、 ================= 今の教育カリキュラムにも 問題があると思ってます ================= 今の学校教育は、カリキュラムが 大学進学をゴールとしているので、 本当にグローバルに活躍する人材を育てよう! 日本のために活躍できる人を育てよう! というカリキュラムではないと感じてます。 そもそも大学への進学って目的じゃなくて、 自分の知識や能力を高めるための 「1つの手段」じゃないですか。 それ以外にも知識や能力を 高める方法はあるわけですよね。 そして、今の日本を見ると、 大学に行くよりも他の手段を選んだ方が、社会に出た時に、自分の力で生き抜いていく 知識や能力を身に付けることができる って感じる人が増えてしまっていると思います。 学校の価値がすごく下がってきて
0
カバー画像

予想外の結末になった生徒からの相談

人生は 何がおきるかわからない 今回の話 きっかけは生徒さんの相談でした   そこから 予想外の展開の連続で 信用されていたのか・・・ 試されていたのか・・・ 想像もしていなかった なんともいえない結果になりました (まだまだ 急展開すぎて頭がついていけない・・・) だけど 私の大切にしたい部分を 大切にしながら 行動にうつせたのは 私の中で良かったと感じます今回の出来事を経験して みえてきた私の課題 まだまだ 感情に振り回され 客観性を失う 未熟な自分 ダイレクトに 相手の気持ちを感じてしまう自分 信用されたい いい相談員でいたい自分 説得しなければ 期待に応えなければと 結果にこだわっていた自分 出来事に視点がいくと 気持ちや本音がみえなくなり 現実問題に振り回される だけど 感情や気持ちに 耳を傾けすぎても 客観性を失うことになる かといって 客観的すぎても 淡々としすぎて気持ちが伝わらない 偏りすぎないこと こだわりすぎないこと バランスって本当大切 大切に思う人だからこそ 反応が怖くて言えない だけど 大切な人だからこそ 伝えてほしいこともある 「100%あなたの味方だよ」 と子供達に伝え 家族を大切にしたいと思った夜でした 「えっ!?ママ急に何?」 と言った反応でしたが(笑) 私の心は 気持ちを伝えられて満足! 今回の出来事を経験して こんなにも真剣になって 本気で考えてくれた人がいたこと 手を差し伸べてくれる人がいたこと 私にとっても 自分の存在意義を感じた瞬間でした カウンセラーとして 大きな成長に繋がった 貴重な経験・・・ ありがとう  
0