こんにちは。子育て&教員のマインドサポーター、hanaです。
ようこそお越しくださいました。
最近、ニュースやSNSで話題になっている人間関係トラブルを見ていると、「分かり合えないのか、分かり合わないのか、どっちなんだろう?」と思うことがあります。
今日は、私自身の経験も交えて、「分かり合うためにはどうしたらいいのか」を考えていこうと思います。
中学校に勤務していた頃(今から15年ぐらい前です)、地域の研修会で、障害をもつ児童生徒への教科指導について、研究発表をしたことがありました。
私の立場としては、指導主事についていただいて、内容に関しては助言をもらった上での発表でした。
発表が終わり、質疑応答の時間になったときです。
発表を聞いていたある先生が、手を挙げて言った言葉に、私は衝撃を受けました。
「障害のある子どもに、努力を強いている。これは虐待ではないのか。」
「勉強ができるのならば、特別支援学級には来ていない。できないことをさせて、かわいそうではないか。」
その先生は、特別支援学級の担任を長くされているということで、「障害のある子どもは、学校で楽しく生きることが一番大切で、国語や算数などの教科の学習はいらない。」というお考えの方でした。
私はその考えは全く納得ができませんでした。
その場で自分が何と答えたか、今では全く覚えていませんが、同席していた指導主事が「できるかもしれないことを、機会も与えずにいることの方が教育的には虐待です。」と静かに怒っていらっしゃったことは覚えています。
こんな考え方をする先生が、現場にいるとは。
私とは別の学校で勤務されている方でしたが、「もし同じ学校で働くことになったら、相容れないだろうな。」とその時は思っていました。
その数年後。
私の勤務していた学校に、その先生が赴任してきました。
当時私は特別支援学級の担任。
その先生は、新設された特別支援学級の担任になりました。(特別支援学級の人数が多くなったので、学級が増えたのです。)
つまり、同じ立場のため、話をする機会が増えるであろうことが予想されました。
最初、「これは困ったな・・・うまくやれるだろうか。」と思いました。
でも、考え直しました。
「その先生の実践の中に、何か学べることがあるかもしれない」
「その先生の言動の中に、私にも納得できることが一つぐらいあるだろう」
100%考えが同じと言う人もいませんが、同じように、「100%考えが違うという人もいないに違いない」と思ったのです。
以前言われたことは忘れて(忘れたふりをして)、接することにしました。
その先生のクラスには、新1年生が入学してくることが決まっていました。
私のクラスにも新1年生が入ることが分かっていたので、前年度のうちに、私は2学級分、入学式当日の教室装飾を作っておきました。
自分のクラスの生徒と一緒に、「どんな子が来るのかな」「誰が担任になるのかな」などと他愛のない話をしながら、折り紙を折ったり、画用紙を切ったりして、春らしい華やかな装飾物を作り上げました。
4月1日。
その先生が赴任してきて、早速、教室の案内が私に任されました。
最初、何と声をかけたらいいか迷いましたが、
「〇〇先生、ようこそ△△中学校へ。よろしくお願いします。」
とシンプルに言いました。
その先生は、
「私がもつ学級は、新設なんですよね。そういう経験はしたことがないから、緊張します。」
とおっしゃいました。
入学してくる生徒の実態を一緒に確認していくと、その先生がだんだん不安そうな表情になっていくのがわかりました。
病弱のため、登校が難しいお子さんだったからです。
「入学式、来られるでしょうか。」とその先生は不安そうにおっしゃいます。
私は、
「もしかしたら、入院先での病室のベッドサイドで、ささやかな入学式をすることになるかもしれないというお話でした。」
と伝え、
「差し出がましいとは思ったのですが・・・〇〇先生も赴任されたばかりで、何かとお忙しいでしょうし、緊張もされていると思いまして・・・」
と、一枚の画用紙と、装飾物、1枚のCD(時代ですね!)を手渡しました。
「この画用紙は、入学式の式次第です。式は短いほうがいいと教頭先生からのお話がありましたので、校歌を聞いて、〇〇先生が新入生呼名をして、校長先生がお話して、その日は終わり、という形にしてあります。小さい画用紙なので、壁にマスキングテープで貼れると思います。それと・・・こっちは装飾物で、私のクラスの生徒が、3月に作ってくれました。病室も少しでも明るくなるように、虹のデザインになっています。・・・これは、CDです。3月の修了式のときに、生徒達が歌ったものを録音しておきました。1,2年生しかいなかったから、ちょっと迫力はないですけど、生徒達に事情を話して、一生懸命歌ってもらいました。生徒達の中には、小学生の頃からその新入生のことを知っている人もいましたので、「ああ、あの子が入学してくるんだ」ってわかったみたいです。みんな一生懸命歌ってくれました。」
その先生は顔が真っ赤になり、ぽろぽろ涙をこぼされました。
「ありがとうございます・・・。私、今更ながら、hana先生に本当に申し訳ないことをしたと思っています。何年か前の研修会のときに、先生の教科の実践に対して、『障害のある子どもに努力を強いて、虐待ではないのか』って言ったんです。・・・でも、今わかりました。hana先生は虐待をするような人じゃない、って。本当にすみませんでした。私のような不器用な物言いしかできない人間のために、ここまでしてくださる方が、生徒のことを考えていないわけがないです。」
その言葉に、私の方がびっくりしてしまいました。
覚えていたんだ、と。
その後、その先生とは何事もなかったように(笑)一緒に働くことができました。
私とその先生とでは、得意なものが真逆でした。
私は国語や数学、英語などの主要教科の授業や作業学習が得意。
その先生は生活単元学習や体育が得意。
私は指導が細かくて、その先生はざっくり。
案外いいバランスでした(笑)。
一緒に授業をしたあと、「(私は)ちょっと指示が細かすぎましたね。」などと言うと、「そうですね、もうちょっと生徒の動きを待ってみてもいいと思いますよ。」とアドバイスをしてくださっていました。
確かに、その先生は、生徒の動きを自然に引き出すのがとても上手でした。
努力させずに、自然にできるようにしてしまうというか。(内容にもよりますけど)
すごいなあ、と思っていました。
その先生は、以前、私のことを「よく」知らなかったから、ほんの20分の研究発表を見て、私に食って掛かってしまったのだと思います。
つまり、「よく知ること」、これが「分かり合う」ための第一歩です。
力で争う前に、まずよく知ること。
よく知るためには、話し合う(対話する)こと。
そして、「この人は私とは相容れないかもしれない」、と思い込まないこと。
「この人は気に入らないから」と、いきなり悪口を言わないこと。
「この人の中にも、私が理解できることがきっとある」と信じて対話を続けること。
分かり合うのは、時間がかかるのです。
私も、(間は空いていましたが)数年かかりましたから。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。