不登校って、悪いこと?

記事
学び
今日は、元教師・現スクールカウンセラーとして、不登校について思うことを書きたいと思います。

「不登校」って、まるで問題案件のような響きを放つ言葉ですが、そこまで問題じゃないと思うんです。
(引きこもり、対人恐怖症、暴力的などの他の要素があれば話は別ですが。)

本人が「合わない」と感じたり、違和感を感じたりして、積極的に「行かない」ことを選択した場合ならば、
そこに「選択」という大切な決断が伴っているのだから、問題視する必要はないのではないだろうか。

もちろん学生の考えることはまだまだ幼く、視野は狭い。
楽な方に流され、ただ面倒なだけなのにそれらしい理由をつけて登校しないケースも多いでしょうね。
そうしたケースはじっくり見極めて話を聞いて、先生も保護者もしっかり連携して、寄り添ってあげないといけないと思います。

でも、その中に埋もれている、「積極的に登校を拒否する学生」が、近年増えているように感じる。

学校は小さな社会。
その中に適応できなかったからと言って、ほかの社会はいくらでもある。
合わなくなった金魚鉢から、新しい金魚鉢に飛び込むことなんて造作もない。

ひとつの社会に縛られることなんてない。
ましてこれからの時代、尚更、ひとつのことにこだわっていたらついていけない。
「当たり前」が「当たり前」じゃなくなるVUCAの時代。
何が正しいかは自分で決める。敷かれたレールなんて、もう誰の前にもない。

「学校に行く」ことを積極的に選択するのもあなたの自由。
積極的に拒絶するのもあなたの自由。
そう、まるで、転職が当たり前になってきたことのように。

不登校生徒を担任したことがある。
集団の中に入ることがどうしても出来ない子だった。

その子ははじめ、学校に来れないことを
「自分はみんなの中に入ると怖くなってしまうから、普通じゃない。だから普通の生き方から外れてしまった」

と言って負い目を感じていたけど、

私は開口一番、
「普通って何?ならなきゃいけないの?」
と聞いた。

生き方なんて人それぞれだよ。
多様性の時代に、普通も何も無い。
学校なんて狭い枠に囚われて、あなたの可能性を見くびる必要なんて無いよ。

そう伝え続けた彼は、胸を張って不登校になって‪(笑)、外部試験の勉強や起業のための勉強を一生懸命やって、自分の選んだ学校へ進学して行った。

それ以降も、
定期的に数日登校拒否して、心を整える子、集団の中に入ることが出来ないから登校せずに適応指導教室に通い続ける子を見てきたけど、
私は手放しで応援した。君の選択だ。って。

来たくても来れない場合を除いて、
不登校を気にする時代はもう終わった気がする。
ましてステイホーム化、オンライン教育がこれだけ進んだ現代、
同じ場所で、同じ教育を、同じ方向を見ながら、同じ時間に受ける画一化された教育の限界が、もう来ているんじゃないのか。

子供たちの自由が、私にそう語り掛ける。
いつだって子供の発想は自由で、可能性は無限大で、行動力はパワフルだ。
こんな私にも、時代を切り開く力をくれる。

もちろん学校には来て欲しい。
来て、たくさんの人と触れ合って、多くのことを学び取ってほしい。

それでもそこに適応できないなら、無理して通う必要なんてない。
君に合わせた「学び方」はいま、ごまんとある。
「学校に行けない」なんてことだけで、君の可能性を諦めないで。

不登校、という言葉に、必要以上に、縛られないで。
大丈夫。その言葉、もう問題視する時代じゃないから。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す