絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

57 件中 1 - 57 件表示
カバー画像

★3連休は読書/プレゼンテーションZen

私は、明日から一応3連休です。それで、アマゾンで以前購入したプレゼンの本でも読もうかと。そんなことを、ふと思ってみました。本のタイトルは、「プレゼンテーションZen 第3版」です。/概要/・この本は、効果的なプレゼンテーションのための原則や概念、創造的なアイデア、実例などを紹介した本です。・著者はガー・レイノルズというプレゼンテーションのデザインと実施についての第一人者です。・この本は2008年に英語版が出版されてから世界的なベストセラーになりました。・日本語版は2009年に第1版が、2011年に第2版が、最新版の第3版は2021年に出版されています。・第2版ではDVDが付いており、著者のプレゼンの様子やインタビューなどが見られます。・この本での基本原則は「抑制」「シンプル」「自然さ」で、聴衆と自分にとって分かりやすく伝えることを重視しています。この本を読んで実践すれば、プレゼンテーションのスキルをもっと向上させることができるのではと・・・ 期待しています。ZEN(禅)というところがいいですね!それでは、どうぞ素敵な3連休を。
0
カバー画像

禅の教え【自休】

自らの意志で立ち止まり休むことを決める。禅では「何かをしよう」とする心【作為(さくい)】を手放し自然な状態に立ち返ることが重要とされています。【自休】は 自分の内側を見つめ 考えを改める為に取る時間とも言われています。「自我を休め、思考を鎮める」為の大切な時間。「考えること」「何かになろうとすること」をやめる。一休さんも、千利休もこの教えに従い名前に『休』という字を入れているそうです。他と比べたり”何か”を外側に強く求めることを手放し自分の内に満ち足りる『自足』という意味を持つ言葉をつけ足した【自給自足】という禅の言葉は「自己の内に帰り、外に求めず、自然と調和して生きる」という生き方を表しています。忙しく働き続けている思考や感情心を止め静寂に還る自休の時間を持ちましょう。
0
カバー画像

人生はオセロのように。

 みなさんこんにちは。防災訓練と地域清掃を終えた千冬です。 実はみなさんにお知らせが。 なんと 私 昨日初めてココナラの依頼がありました。 ほんとにびっくりして、焦ってしまってちぐはぐしてしまいましたが、何とかできました。 夢かと思って、ウロウロしたり、バイクのエンジンをかけたりしてみましたが、夢ではありませんでした。 サービスをご利用いただき誠にありがとうございました。 さて、今日は人生はオセロのようにです。 過去の失敗って残っていませんか?友達と喧嘩したこと、パートナーや恋人ともめたこと、仕事の失敗など、人間は自分にマイナスな事を心に残す傾向があります。 例えば1000円拾ったことより、1000円落としたことの方が心に残るのです。そうして心の中に黒いオセロがたまっていき、白いオセロが少なくなるのです。 ただ、白いオセロを増やす方法はいくらでもあるのです。黒に思う出来事を白に変えるだけなのです。そうやって白いオセロを残す努力をすることで、大きな白いオセロを手にするチャンスがきます。 その大きな白いオセロを掴むと、今まで悩んでいた黒いオセロがパタパタとひっくり返って白いオセロになるのです。 よく老夫婦が「昔は大変だった」とニコニコ笑顔で話しているのを見たことがあると思います。これが黒いオセロを白いオセロにひっくり返した人のことになります。 今の現実は黒いオセロでも、いつか必ず白いオセロがひっくり返してくれます。小さな白いオセロを集めて、大きな白いオセロを手にしましょう。 さて、今日も最高にバイク日和です。日曜日の午後を有意義にお過ごしください。                 
0
カバー画像

〇〇でモーニングアタックが改善?

こんにちは。マインドサポーターのhanaです。ようこそお越しくださいました。皆さんは、「モーニングアタック」という言葉、聞いたことはありますか?文字通り、「朝の攻撃」です。朝起きたとたんに始まる、くしゃみ、鼻水。私の場合、2時間ぐらい続いてしまいます。着替えて洗顔して、気持ちよいスタート!といきたいところですが、くしゃみと鼻水が・・・朝食を作っているときも、食べているときも、また、くしゃみと鼻水が・・・これが2時間ぐらい続くものですから、メイクするのはいつも出掛ける直前。バタバタしてしまいます。自分がバタバタするだけならまだしも、一番きついのは「肌荒れ」です。ティッシュの使い過ぎで、鼻のまわりは乾燥してカサカサになってしまいます。夏だというのに、家にいてもマスクを手放せない状態ですから、マスクの中はいつも蒸れていて、気持ち悪いです。そんなわけで、朝からとても憂鬱なのです。しかし! あることを始めたら、劇的に改善したんです。それは・・・「朝一番の換気」です!!!※「モーニングアタックには換気がいい」という情報は(おそらく)見当たらないのですが、換気を始めてからモーニングアタックが起きないのです。なので、エビデンスはないですが(笑)、「私の場合」ということで。最近、お掃除や禅の本を読んでいたら、「風を通す」ことがとても大切だと今更気づきました(笑)。そこで、毎朝、起きたらすぐに換気をするようにしたのです。私は毎朝、4時半に起きているのですが、起きたらすぐに窓を開けて、空気を入れ替えます。入れ替えついでに、自分も深呼吸。白んでいく空を見ながら、「一日が始まるなあ・・・」と、しばしぼん
0
カバー画像

【禅】あなたのいる環境があなたを表す

靴が揃っていないのは 心が揃っていないから。 本がバラバラに置かれているのは 自分の心がバラバラだから。 部屋に埃が積もっているのは 心に汚れが溜まっているから。 周りの人が優しくないのならあなたが自分に優しくしていないから。自分を取り巻く環境全てが私達の心を反映している。”小さな整え”の積み重ねがやがて大きな変化を生み心軽やかに現実も穏やかに変わっていく。世界の全てが変わっていく。
0
カバー画像

稲妻が落ちる前に、場は知っている

こんばんわ、Rayです。稲妻は、空から落ちてきているだけではない。地上からもまた、空に向かって、見えない手を伸ばしている。今日は、出来事が起こる前の、場に満ちている静かな気配について書いてみます。稲妻は、突然落ちるように見えます。さっきまで暗かった空に、ある瞬間、光が走る。そして少し遅れて、大きな音が鳴る。私たちはその瞬間を見て、「あ、雷が落ちた」と思います。けれど本当は、稲妻はただ上から一方的に落ちてくるだけではないようです。空と大地のあいだには、目に見えない電気の気配が満ちている。雲の側から、見えない道のようなものが少しずつ伸びてくる。そして地上の木や建物の側からも、それに応えるように小さな光の道が立ち上がる。そのふたつがつながった瞬間、私たちはようやく、稲妻としてそれを見る。つまり、光る前から、場はすでに変わっているのです。この写真を見ると、稲妻が空から落ちているだけではなく、木の側からも稲妻が応じようとしています。※ストリーマーと言います。もちろん、細かい科学の説明をしたいわけではありません。でも私は、この感じがとても大事だと思いました。稲妻は、何もない場所に突然起きるのではない。場がすでに帯電している。空と大地のあいだに、もう何かが満ちている。その気配が限界まで高まったとき、私たちはそれを「出来事」として見る。おそらく、慧眼なあなたもピンとくるのではないでしょうか?何かが起きたあとで、「ああ、やっぱりそうなったか」と思うことがあります。あの人の言葉。あのときの沈黙。急に変わった空気。なんとなく感じていた違和感。出来事は、ある日突然起きたように見えます。けれど本当は、そ
0
カバー画像

寝ている間にも呼吸ができること。

「諸法無我」。これは「あらゆる事物は常に変化している為、形を変えないものなどどこにもない」という意味の仏教の大切な教えです。この「俺」という存在も変わり続けているため、この「俺」だったり、「我」だったりはどこにも存在しないということを述べているのです。今「俺だ」と思っているこの「俺」は、理屈上1秒後には変化している。そのようなものを果たして本当に「俺」と呼ぶべきなのかということですね。この世界に形を変えないものなどどこにもない。この世界のあらゆるものは常に変化を続け、定義に収まるところを知らないわけです。その一方で形を変えないものが1つだけある。それが先ほどから登場している「俺」という自我、つまり人間の概念です。繰り返しになりますが、我々人間の体に至っても、毎秒確実に歳をとっているわけです。その「変化すること」自体が、真実のあり方でもあるわけです。逆に言えば変化しないものが仮にあるとしたらそれは実存しているものではなく、空想の、あるいはまやかしの存在だということでもあるわけですね。この「自我意識」、あるいは概念というのは一向に変わりません。常にそこに延々と止まっている。だから常にこの「俺のこと」を紛れもなく「俺だ」と思ってしまうわけです。概念は変化しません。それ以外を除く、この世の全ては変化をします。この私も変化し続けており、従ってこれは私のものではなく、また私という存在でもないのです。例えば、「なんだ今日のご飯もお茶漬けか、味気ないなぁ。」このように思ったとします。実際に毎日味気ないご飯が出されると、このように愚痴をはきたくなるのが我々です。しかし味気ない食事だとしても「喉元
0
カバー画像

刻石流水(こくせきりゅうすい)

枡野俊明という人の本をよく読みます。禅寺の住職にして、美大教授、庭園デザイナー。禅に根ざした生き方のヒントを多く執筆しています。私は「禅、シンプル生活のすすめ」、「上手な心の守り方」など数冊を読んでいます。文字数が少なく、ページレイアウトも読みやすいので、無理なく1日3ページほどつらつらと読めます。 素直に受け入れられる話が多いですが、その中で特に気になった内容を紹介します。まず「与えた恩はすぐに忘れろ」。次に「受けた恩は決して忘れるな」。別のページに書いてありますが、これは表裏一体ですね。で調べてみると「刻石流水」という言葉がありました。受けた恩は石に刻み、かけた情は水に流せ、という意味です。 私たちは、損得、貸し借りの世界で生きています。だからどうしても「あれだけ貢献したのだから、しかるべき報いがほしい」となります。これは当然だし、そもそもこれを否定したら労働は成り立ちません。ビジネスでは、持ちつ持たれつ、ギブ&テイクがあたり前。見返りを期待しないのはきれいごとに聞こえます。 少し視点を上げて、生活での心構えのように考えてみてはどうでしょう。つまりこの考え方を言葉にして思い出せばイライラしない。例えば、「我が家は旅行のお土産をお隣さんにあげたのに、お隣さんは何もくれない」なんてことも、刻石流水、刻石流水、と唱える。困った時に助けてもらっても同じです。こちらは忘れず、逆の時は必ず助ける。これを繰り返していると、いつの間にか、すごく心に余裕が出てくる気がします。いいことも起きそうだな。 「見返りはいらないけど、感謝くらいほしいよね」というのが本音かもしれませんが、禅ではそれも期
0
カバー画像

蝉の声に見る「仏の心」

いきなりですが、我々の生きる「本来の命」には何も引っ掛かりがありません。無条件で「呼吸」をし、無条件で「消化」する。円通であり、「円」そのものであると。これを仏教の言葉で「道本円通」といいます。教義としては、「本来この方、今まで長い事変わらずに、少しも変化なく、足し増しもない。我々の生きる世界というものは常に円通である。」ということですね。かの有名な松尾芭蕉が次のような詩をうたっております。閑さや岩にしみ入る蝉の声(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)。夏場、ミンミンミンミン「蝉」がうるさくてしょうがない。しかし、芭蕉のこの「詩」から言わせればその「蝉」のうるささは、むしろ「静かさ」だというんですね。何かしらの引っ掛かりがあれば、確かに「蝉」の鳴く声は非常にうるさく、「騒音」になってしまう。しかし本来物事というのは「円通」であり、その真実に立ち返れば、それは騒音でもなんでもないということなんですね。そのようなことは我々の単なる決めつけであり、本来の大自然としてはそうではありません。私や人間の価値観というフィルターによって、そのような「諍い」が生じてしまうということなのです。この世界に引っ掛かりは何もない。引っ掛かっているのは常に自分の思惑なのです。もちろんうるさいと感じるのも大自然の事実です。なのでそれは確かに「うるさく」もあり、でも実際は「静か」でもある。そのような姿勢が正しいということでしょうか。
0
カバー画像

ここでは「花が枯れ」、「腹が減る」。私は仏。

ここでは花は枯れ、腹が減ります。それはもう絶対です。それは大自然の働きです。大自然は絶対です。花だけでなく「私の体」もそうです。それはどうすることもできません。しかし絶対ということは、それはある意味お救いです。お救いとは「絶対に〜してくれる。」「絶対に〜を叶えてくれる」。このように捉えられがちですが、確かにこの「絶対」以上の救いはこの世界に存在しません。絶対的なものはどうあっても「救い」なのです。自分の体も含め、世の中の全ては絶対です。絶対に腹が減る。絶対に足が痛くなる。絶対に花が枯れる。しかしこれはお救いなんです。全てはお救いだったんです。お救いとは仏様のことですから全ては仏様だということですね。ここは仏様のみの世界だということです。無論私も「仏様」だということです。花は枯れると目の前からなくなります。腹が減ると死んでしまいます。足を組むと痛いです。とても悲しいことかもしれない。花が枯れるのは悲しいことです。しかしそれは紛れもなく存在しているということで、それは仏様の息がかかっているということです。仏として生きているということです。紛れもなく救われているということです。全てがそうです。ここでは花が枯れ、腹が減ります。それが事実として常に共にあります。事実は全て仏なんです。事実は全て救いなんです。どんな事情があるにせよ、その事実が常に共にあるんですね。どんな事情があるにせよ、そこでは花は枯れて、腹が減っているはずです。そしてこの世界にあるのは事実だけです。会社が倒産した。貧乏暮らし。大病をした。事情はさまざまでも必ずそこには「事実」があります。その事実においては仏のみなのです。
0
カバー画像

「雑草」という名前の草花はない。

今『雑草』に関して辞書を引くと、我々人間の望まない場所に生える植物の事とあります。ひどいものです。人間からすればその草は雑草か、雑草でないか。或いはそれは部屋に飾ることのできる綺麗な花か、そうじゃないか。せめて食べられるものか、それとも食べられないのかという比較が大切で、そこで人間たちの役に立たないものは名前すら覚えてもらえない。雑草としてしか覚えてもらえない草花がたくさんあります。しかし「雑草」という名前の草はないように、あらゆる草花にはきちんとした名前があって、そこでは真実の姿を現成しております。仮に名前などなくてもそれは真実のお姿です。役に立つ役に立たないというのは人間界だけに通用する話なのです。大自然においてはそれこそ単なる物差しで、「人間の役に立つ」が逆に全く役に立たなかったりするわけです。それでむしり取られたり、除草剤をかけられたりする。人間が食べられないものだとしても、虫たちの栄養になっていたり、小さい動物の棲家になっていたり、何かしらの役には立っているものです。また仮に役に立っていなかったとしても、毎年季節が巡ればきちんと顔をだす。咲いては枯れていく。一秒後ごとに朽ちていく。彼らは嘘偽りなく真実の姿を表していて、真実に生きております。彼らも私たちと同じこの世界の一員なのです。この仏の世界の住人です。「草花」だけではありません。我々の眼の前に展開しているあらゆる物事に対してもこれは言える事です。もちろん私たちもです。一秒ごとに老化しています。ややもすると悲しいことも、しかし実はとても尊い。それは仏の、真実の、悟りの姿だからです。この仏の世界の一員として「真実」を表
0
カバー画像

今は幸せ?

 みなさんおはようございます。北風が冷たいですが、朝日を浴びで気持ちのいい千冬です。 さて、今日は「今、幸せですか?」です。将来幸せになりたいのに、今が不幸せでなれるでしょうか。なれませんよね。今の続きが未来ですから、今が不幸なら将来も不幸です。 お金持ちになりたい、今がお金持ちですか?お金がすべてではありませんが、何かにつけてお金はかかります。お金=幸せは間違いです。お金がなくても幸せな人はたくさんいますよね。お金がたくさんあるのに、自殺してしまったり、不幸な毎日を過ごしていたりする人はたくさんいます。 今です。今がすべてです。明日目覚めることがないかもしれないですし、今日事故にあうかもしれません。今、この瞬間を大事にしましょう。今が未来を作ります。 カイジという漫画知ってますか?YouTubeに動画もありますが、主人公カイジが借金の返済のため、地下の収容所に入れられて強制労働をします。そこで初給料をもらって散在してしまうシーンがあります。そこで、胴元の班長が言った言葉が「明日がんばるんじゃない。今がんばるんだ」と言っています。 結局どんなクソ貧乏でも「今が幸せ」だから生きていけるのです。傍から見れば不幸の塊でも、本人が「幸せだな」と思えば幸せなんです。 人それぞれ幸せは違いますが、今が幸せかをよく考えてみることが大切です。今日一日幸せに生きましょう。その継続が人生の幸せになります。 さて、私はマッハと遊んできます。今日も走るよ~。                            千冬 
0
カバー画像

未来は常に明るい。

 みなさんこんばんは。冷えますね。千冬です。 昨日は昼から休みをいただき、雨の中マッハの車検を通してきました。一応カッパも持って行ったのですが、パラパラの雨でしたので、作業服で行ってきました。帰りはずぶ濡れでした。圧倒的に安いので、ユーザー車検はおすすめです。 最近未来について考えます。まぁ、禅の教えでは未来を煩うことや過去を悔やむ思考は、全く幸せにならないと言われてます。今、この瞬間を生きようということです。 来年も同じ職場なのか、もっと劣悪な仕事をするのか、どこかに飛ばされるのか…。人間は暇を持つとネガティブ思考をするようにできているとのことです。そして思考が潜在意識によって現実化すると。 つまり、考えるだけ無駄な上、その結果をもたらすのではないかと。 ダメですね。ネガティブ満開なので、やめます。 常に明るい未来を描く修行をしてきます。読んでくださった方、すみません。忘れてください。 マッハあああああああ~、遊びに行こおおおおおおお。                           千冬
0
カバー画像

守るべき「国」とは何か。

先日、とある洋画を見ていました。中世の時代をテーマにした作品ですが、そこではとある男性が、国のために空軍に入隊するというシーンが描かれております。国を守るために青年はそれまで大好きだった彼女とも別れ、また大好きな「写真」という趣味をも投げ打って、国のために入隊する決意をするわけです。結果はやむなく「戦死」。そのようなコテコテの戦争映画を観たわけですが、その時に私はそこまでする必要があるのだろうか、国ってなんだろうなー、祖国ってなんだろうなー、と改めて思わされたのです。昔は確かにそういう時代だったのかもしれません。個人の意見など何一ついうことができず、ただ言われるがままになすべきことをする。お国のために入隊し、命を投げうつ。お国こそが絶対的存在だったわけです。しかし今はそうではありません。昔のような時代でもないし、宇宙船から実際に見てみるとわかるようですが、事実として国境なんてものはどこにもないわけです。それが目に見えやすい形で今は確認できるわけです。多様性が大いに認められるありがたい時代となりました。国や祖国というのは単なる人間が作り出した「枠決め」でしかないわけです。単なる概念なのです。なのに我々人間は今こうして戦争を始めてしまいます。事実はそうであると知っているはずなのに、その事実を顧みず、個人の概念、本来存在しない頭の中の支配によって、このような戦争を巻き起こしてしまうわけです。無惨な戦争映画と一才変わらない状況、それがしかも現実に巻き起こっているわけです。大変嘆かわしい事態です。我々人間が生きているのは国境のない真実の世界です。我々は日本人であって、同時に地球人であるわ
0
カバー画像

自我ってないの?

どうやらこの世界に「自我」はない、という話がまことしやかに広がっている。この自分だと思っているもの。理論上1秒後には姿形を変えているのだそうだ。細胞は生まれ変わっているからなのだという。それを正確に捉えようとすると、果たしてこの自分がなんなのかわからなくなる。という意味でいうと、確かに自我はないのかも、と思います。昔、お釈迦さまの説法を楽しみに、多くの大衆が今回も固唾をのんで待っていました。しかしそのお釈迦さまはというと、説法するため須弥壇に登ったはいいが、次にそこでは何も言わずに降りてきてしまった。もちろんそれに納得できた大衆は一人もいなかった。お釈迦さまは話をすることなく、ただ登って降りてくるだけ。そこで何か話せば、ふむふむ、おやおやと納得するものもいたはずです。そういったことを大衆たちは期待していたわけです。しかしそうはしなかった。ただご自身が登って、降りていく様を見せただけ。言ってしまえば人の移動を「見せた」だけ。しかし実はこれこそまさに本当の「説法」だったのです。真実には個人の納得がありません。痛いから痛い。うまいからうまい。暑いから暑いわけです。つまり真実には自我がないのです。我々はそうした世界を見ようとせず、自分で作った概念縛りの世界に、気づかずに身を置いてしまいます。そのような世界に知らず知らずのうちに足を踏み入れてしまうのです。そして勝手にそこで苦しんでいる。世界を見渡せば、鳥が泣き、車の走る音が聞こえ、時に地震が起きています。そこにはなぜ?が通用しません。人の概念が通じません。真実はいつもそのような大層なあり方を我々に示しているのです。お釈迦さまは今回の、こ
0
カバー画像

これで悩みの99%は解決!”今この瞬間を生きる”

未来は”今この瞬間”の連続で出来ているあなたは今この瞬間に、自分が何を考えているかを考えたことがありますか?恐らく、今この瞬間に集中して、今を楽しんで味わっていることは思っている以上に少ないと思うのです。昨日の出来事を思い出し憂鬱になったり、未来の心配ばかりしていたり・・・人の悩みの90%以上は、変えられない過去に囚われることと、起こってもいない未来を心配することに起因していると言われています。逆に言うと、”今この瞬間”に集中して、今を気分良く過ごすことで悩みは解決し未来は好転していくと言うこと。これは”禅”の思想にも通ずるのですが、今では海外にも広がり、”瞑想”や”マインドフルネス”が流行っている要因にもなっています。今に集中する方法ではどの様に”今に集中”するのか?今に集中するとはとてもシンプルなのですが、やってみると意外と難しいことに気付くと思います。でも、安心してください!トレーニングの様に少しずつ続けていけば、誰でも出来るようになります。ここではお勧めの方法をいくつか紹介します。今目の前にあるものに集中して感じるまずは日常生活の中に少しずつ取り入れてみましょう!例えば、朝コーヒーを飲む時に、コーヒーの良い香りに浸ったり、味わいながら”幸せだなぁ”、”ありがたいなぁ”と感謝をする。通勤途中に青空を見て、”綺麗だなぁ”、”気持ち良いなぁ”と感じる。こんな感じで少しずつ日常の場面場面を感じてみてください。意外と、コーヒー飲んでる時や通勤途中も、オフィスに着いてからの仕事の予定や、家族の予定など、今ではなく未来や過去に囚われていることに気付くと思います。何かに没頭するすでに運
0
カバー画像

本当の自由に気付かされた!高校生の時にいった山寺での坐禅体験

これは私がある友人のお寺に遊びに行った時の話です。あれは確か、高校生1年生くらいだったと思います。その友人のお寺で「坐禅合宿」があるというので、そのお寺に泊まりにいったんですね。それはもうかなり山奥のお寺でした。遊びに行った友人たちみんなで「坐禅」をして眠りにつくわけです。そして朝起きて、また「坐禅」をするんですね。明る日の早朝にも坐禅をしていた時、友人の父親であり、そのお寺の住職がその「坐禅」の中である提唱をされたんです。その中で、「羅籠未だ至らず。(らろういまだいたらず)」とおっしゃるんですね。「羅(ら)」は、鳥かごを意味し、「籠(ろう)」は魚をとらえるかごを意味します。なので「らろう」はどちらもカゴを意味するんですね。要するにその住職は、魚を捕る籠や、鳥を捕る籠などで、捕まえることが出来ない「命」を我々は生きているんだ。という風な内容のことをおっしゃるわけなんですね。ここでいう「羅籠(らろう)」というのは、「人間の価値判断」を表しています。これは今だからこそ改めて気づく部分ではありますが、本来この世界に鳥籠はありません。皆絶対自由です。その自由というのは概念の話ではなく、無条件に腹が減る。無条件に呼吸ができる。無条件に耳に何か聞こえる。今そこで足を組めば痛い。いつでもどこでもこうした命をいただいているということです。しかしそうだと思えない。自由とはなんだか綺麗なビーチで仕事もせず、大好きな音楽をかけながらお酒も嗜みながら、過ごせる時間のように思っている。そうではないんですね。本当の自由とは。本当の自由とは今、ここ、この命です。そこに我々の生命の源、全てが含まれるからです。
0
カバー画像

「延寿」とは?

「延寿」という言葉があります。今この言葉をwikipediaで引くと、「寿命を延ばすこと。長生き。」と出てきます。延寿、延命。これらは普段我々もよく使う言葉ですね。この言葉が出来た経緯が少し興味深いのでここでお話ししたいと思います。延寿の背景昔、中国に「智覚禅師」という、周りからとても慕われるお坊様がいらっしゃいました。この方は初め、官吏だったんですね。要するに国に仕える「役人」です。財産も多く、その上、心のまっすぐな「賢者」のような人であると言われていたといいます。ある時、何を思ったかこの智覚禅師は勤め先の役所のお金を盗んで貧しい人に施してしまったというのです。これを見ていた役人仲間たちが皇帝に告げ口をするわけですね。皇帝はそれを聞いて、大変驚き、また同時に不思議に思ったといいます。智覚禅師といえば真面目で、周りからも慕われるほどの人物。なぜそのようなことをしでかしたのかということを思うわけです。しかしその盗んだ額が非常に大金だったため、決議の上、敢えなく死罪に処されることになってしまいます。とはいえ、皇帝は非常にこの智覚禅師のことを信頼していたため、臣下に対し、「この者は学問もあり、賢者でもある。それなのにこのような罪を犯すのには何か理由があるはずだ。もし、首を切る時に悲しみ嘆く様子があったら、さっさと切ってしまって良い。しかしその様子がない場合はきっと何かあるだろうから切ってはならない」このように言い渡すんですね。当日を迎え、いざ首を切ろうとした時、少しも悲しむ様子がない。かえって喜んでいる様子もある。また智覚禅師は次のようにいうわけですね。「この度人間に生まれた命は、一
0
カバー画像

禅とは日本の仏教の一派で、もとは中国の禅宗(ちゅうぞう)に由来します。禅の根本的な考え方は、人間が本来持っている「心」に目覚めることで、自己の本来の姿を取り戻すことができるというものです。このため、禅は宗教的な面と、哲学的な面を持っています。禅の修行方法は、主に座禅(ざぜん)や坐禅(ざぜん)と呼ばれる、長時間にわたって座り続ける瞑想によって行われます。座禅によって、自分自身の本来の姿に気づくことができ、人生や世界について新しい洞察を得ることができます。また、禅には、「六波羅蜜(りくはらみつ)」と呼ばれる六つの修行があります。それは、布施(ふせ禅とは、日本の仏教の一派で、もとは中国の禅宗(ちゅうぞう)に由来します。禅の根本的な考え方は、人間が本来持っている「心」に目覚めることで、自己の本来の姿を取り戻すことができるというものです。このため、禅は宗教的な面と、哲学的な面を持っています。禅の修行方法は、主に座禅(ざぜん)や坐禅(ざぜん)と呼ばれる、長時間にわたって座り続ける瞑想によって行われます。座禅によって、自分自身の本来の姿に気づくことができ、人生や世界について新しい洞察を得ることができます。また、禅には、「六波羅蜜(りくはらみつ)」と呼ばれる六つの修行があります。それは、布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんじく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)の修行です。これらの修行を通じて、自己の成長や、他者への奉仕につながることを目指します。布施(ふせ)慈悲の心をもって自己の持つ財産や時間、知識、技能などを他者に施すことを言います。具体的には、お布施をすることや、
0
カバー画像

禅問答に学べ

求められてもいないのに長々とアドバイスしてくる人っていませんか。皆結構やってしまいがちだと思いますが、人に教えてあげるというのは自分の優位性を確認するいわゆるマウント行動に直結します。(説教するってぶっちゃけ快楽) またアドバイス自体が的を得ていても聞いている側がストンと腑に落ちてくれるとは限りません。 そこで近年注目されているのが、禅問答のように相手に気づかせるというテクニックです。 例えば「バランスの良い食事や運動が大事ですよ」と喧々諤々と説明するよりよい習慣を送っている自分を見せるほうが相手が自問して考える機会になります。 だから人に教えたいならばただ情報を与えるだけではなく、相手に自問し考えさせるよう言葉を選ばなければいけません。
0
カバー画像

肘が外に曲がらないこと、この絶対的な不自由こそ、自由である。

昔、「鈴木大拙」という有名な仏教学者がおりました。「釈宗演」という臨済宗の僧のもとに就いて学び、真実に目覚められました。またこの方は1870年から1966年までの生涯を全うされた方で、大正から昭和にかけて活躍した臨済宗の「仏教学者」です。「禅」についての著作を英語でしるし、日本の禅文化を世界に広く知らしめたお方でもあります。近代日本の最大の仏教学者とも称されるお方なんですね。そんな有名な「鈴木大拙」という方がある言葉を残されました。それが、「肘外に曲がらず」というものです。これは「何が本当の自由ですか?」という質問に対して、この「鈴木大拙」氏がお答えになったものです。「肘」というのは人間の体の重要な部分で、人間活動において大切な役割を担っている部分です。何かを持ったり、何かを押したり引いたりする際に重要となる機能であるわけですが、その肘を「内側」に引っ張ることで腕の本来の活動を支えられるわけです。肘の関節というのは内側に曲がる仕組みになっており、決して「外に曲がらない」仕様になっているわけですね。内側にしか引っ張れないというのは人間の「共通の仕組み」として約束されていることなんです。必ず肘の関節は内側に動く。外側には決して動きません。この「鈴木大拙」氏に言わせると「肘外に曲がらず、これが本当の自由である」と言うのです。どういうことか?我々は自分の頭で考えると、「自由」というのはなんでも出来ることが「自由」だと思ってしまう。例えば、空を飛べたり雲に乗っかれたり、仕事に行かなくて済んだり。そういうものを「自由」と考えるわけです。しかし「鈴木大拙」氏が言うには、「肘外に曲がらず、これ
0
カバー画像

禅の世界

季節は、だんだん春めいてきましね。私は、暑いのも寒いのも嫌いなので、春や秋が好きです。久しぶりにブログを書かさせて頂きます。様々な神々との対話をしていますと、自分が今!何をすれば良いのかが明確になってきます。私ももっと文章が上手く、お役を頂ければ皆様にお伝えしたい事が山ほどあります。しかし、私が表現しなくても今やYouTubeやエックスなど様々な所で、神々の言う事を話をしている方が多いので、あまり余計な事をしないで自分のやるべき事をやる事に集中します。ココナラを始めたきっかけが、「潜在意識を変える」と言うテーマで、神仏とも話をして始めました。いくら良い意識を学び身につけても、普段意識もしませんし見ることもない潜在意識が邪魔をしていては、良い意識も働く事が出来ません。私もいまだに必要のない無意識を消しています。必要の無い無意識でも、不のエネルギー(恨み怨念嫉妬考えすぎ思い込みすぎ)の要らない無意識もあれば、自分の良い意識を押さえてしまっている無意識があります。ですから、人との「和」を持つ事はとても良い事ですが、どうしても、喧嘩をしてしまったり、相手を批判してしまう事がります。自分が良くなりたいと方向性を選択している人は、良い意識を保とうとしますが、どうしても上手く行かないのが現実です。私自身も一霊四魂や陰陽五行説など、魂の事を学んだり肉体の事も学んできましたが、潜在意識(無意識)に邪魔をされて上手く行かない事が多くあります。現在もココナラで潜在意識の改善のご紹介をさせてもらっていますが、いまだに自分自身も要らない潜在意識を消しています。人の要らない潜在意識をその人の許可なく消す事
0
カバー画像

有料ブログ「禅(自分を観察する)」の宣伝

ココナラ有料ブログ「禅(自分を観察する)」であります。私自身も自分を変える為に、いろんな方法を学び活用してきました、でも、中々自分を変える事が出来ない日々が続きました。大学時代も明治学院大学で臨床心理学を学び実践もしました、理論だけではなく真から自分を変える。自分を変えなければ周りは変わってる事はありません、では、どうやって自分を変えるの?そんな事を見ていて本当に自分を変えるきっかけになったのが、高野山の空海様との出会いでありました。無論、今でも空海様は生きているとされていますが、高野山南院内海住職から僧名「教禅」を頂いた私の解釈は、魂は永遠に存在するという事だ。その空海様とリーディング(対話)の中で、本当に自分を変えるきっかけを知る事になった!修行って辛い事をしないと結果が出ないの?本当に修行って辛い事をすれば良いのでしょうか?身体の事を知り魂(霊・心)を知り自分にあった訓練をすれば良い。苦しく生きるか?楽しく生きるか?は貴方しだい!今回の禅(自分を観察する)だけでは潜在意識を変える事は出来ない、いっぺんにこれさえ学べばすぐにでも自分を変えられる事はない!これから、自分の意識を変える為に私のノウハウを有料ブログで書いています。この有料ブログを書きながら自分自身も変え成長します。
0
カバー画像

無宗教型スピリチュアル層の遊び?

こんにちは皆様。アメリカでは、無宗教型スピリチュアル層が、増えてきているのだそうで、日本に訪れたら宗教施設に行こうとしている人が多くなってきているみたい。虎視眈々と狙っている、と言って良いのかも知れない、一寸した宗教体験が心の豊かさになると言ってね。宗教の何たるかを知らなくても、体験は出来るよね、それに痺れる憧れるーなんてね。何をするのかと言うと、禅、ヨガの普及で心と体に耳を傾ける禅をお寺でしてみたいようです。きっと大人のテーマパークなんじゃ無いのかな、私は解らんけどね、そんな感じなのじゃ無いかな。宿坊も禅体験も、それ自体を毎日したいとは思えなくても、偶にしてみるのは気持ちがリフレッシュするのかも知れない。私は勘弁ですけど、落ち着きが無いので、昔禅体験をしてパッカーンと為ったからね。他と言うと後はお遍路さんが良いらしいですよ、大自然でウオーキングも出来る、煩悩が消えて願いが叶う、一石三鳥くらいの楽しさが有るのだろう。心の豊かさってお金では買えない、体験で気持ちが変わるのだったら、それはそれで良いのだと思う。殆どの人間は、自己を保全するのに、自分しか頼りにならないと思って居て、他に求めたりしない。海外の人は他に求めるのも、それはそれでいいもので、それが体験型のアクティビティになったら尚良しと思うんだろう。よき事なんだろうね、この感じは。いつも、有難う御座います。
0
カバー画像

手本を示すということ

物事を伝えて生きていくということを人生の中心におく場合、自分の言動にかなり責任感を持たないといけないと、最近はひしひしと感じております。色々なことを教え伝えてきましたが、自分が言っていること・やっていることが、教えていることと一致していないとおかしいわけで。(^^;)まずは、自分自身を律しないとまずいわけで。(^^;)私の目標は『カバラ』というユダヤ教密教のお話を伝えることです。そのためには、その内容を学んだら、その通りに生きないとお手本にならないわけで。言ったことを実行する。真理・真実に基づいて生きていくということを実践することがとても大切になるのです。そして、その『カバラ』を学び実践していくと幸せになるのです。つまり、私が実際に『カバラ』を実際に使いながら、幸せにならないと真実じゃなくなってしまうのです。(^^;)この現実世界で幸せに生きることが最終的に自分の生き方が間違っていないことを証明するのです。そうならないと、嘘になってしまいます。(^^;)それが背中を見せて生きていく人の責任であると思っています。だから、先生って大変よね。何事においても。素晴らしい師になるためには、それなりの苦労も多少は必要ってことよね。それが人間の深みになっていくので、それがあるかないかで心の余裕が違ってくるしね。(*^-^*)これから先、ちゃんと背中を見せられるような生き方をしていこうと改めて思いました。(^_-)-☆みんなが迷子になっちゃったら困っちゃうもんね。(^^;)とりあえず、がんばりま~す!!(^_-)-☆
0
カバー画像

おいしい「羊羹」に出会う時

かつて、馬祖道一(ばそどういつ)禅師という非常に有名な中国の禅僧がおりました。その馬祖道一禅師の法嗣に帰宗智常(きすちじょう)禅師という方がいたんですね。その帰宗智常禅師に李渤刺史(りぼつしし)という、当時師のもとで修行をしていたものがある質問をします。三乗十二分教は問わず、如何なるか是れ祖師西来意。この「三乗十二分教(さんじょうじゅうにぶんきょう)」というのは、仏教の経典を色々な種類に分類したもので、お釈迦様が説いたお説教を「詩」や「逸話」などに十二通りに分類したものをさします。なのでここで言う「三乗十二分教」というのは「全ての経典」、「お釈迦様の残された仏典」という意味で、この李渤刺史は「そういう学術的なものについて私は質問致しません。私が知りたいのは如何なるか是、祖師西来意のことです。」と質問するんですね。またこの「祖師西来意」というのは、かつて菩提達磨大和尚が真実の仏法を伝えるために、インドから中国に遥々やってきて、「面壁九年の坐禅」をされたその思いや意図の事を指しますが、その達磨様の実際の行動や言葉、意図を聞いている訳でもありません。つまりはこの「祖師西来意」とは、「真実の仏法」を伝えた達磨様の行動になぞられて「仏法の大意とは何か?」ということを指しているわけです。この「祖師西来意」という表現は様々な祖師方がさまざまな場所で引用され、例えば「仏法の大意」や、「自己の正体」、「本来の姿」、「生命の実物」などの仏法ギリギリの教えを指す言葉としても用いられます。今回の李渤刺史もこの「祖師西来意」という言葉を用いて、「究極の仏法ギリギリの教え」とは何かを聞こうとしたんですね。
0
カバー画像

趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)禅師をご存知ですか?

趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)禅師(778年 - 897年)は中国唐代の僧で、中国禅宗における巨人です。「庭前の栢樹子」を例に見ても、その道に通ずる方であれば、この趙州禅師の名はさまざまな場面で目にするはずです。今回はそんな趙州禅師とある二人の修行僧が残した逸話をご紹介し、「真実」とは何なのかを紐解いていきたいと思います。高齢で行脚修行に出た趙州禅師趙州従諗という禅僧がかつて唐時代の中国にいました。この趙州禅師というのは六十歳を過ぎた、高齢を迎えてから修行を始めた人です。幼くして曹州の龍興寺で出家し、7~8歳で既に悟りを得たとも言われております。またこの趙州禅師の師匠は南泉普願(なんせんふがん)禅師という方で、こちらも非常に有名な方です。非常に中国禅宗史においては有名な方なので、今回の趙州禅師を知らないという方はそう多くはないでしょう。趙州禅師は六十歳で行脚の旅に出る、修行の旅に出るんですね。その行脚の修行に出る際、七歳の子供でも私より優れた者があったならば彼に教えを請おう、また例え百歳の歳老いた老翁であっても私の方がもし優れていたら彼に教えようという。という一つの誓願を立てます。旅の途中で出会った二人の修行僧その行脚の旅、「庵主(あんしゅ)」と言って、一つの庵を構えてそこで坐禅三昧の修行をしている「二人」の修行僧に出会います。趙州禅師はその庵を構える修行僧の所へ行って次のように質問します。有りや、有りや。「有りますかね?」という風に質問するんですね。つまり、あなたは私を導いてくれる何かをお持ちでしょうか?という風に声を掛けた。するとその内の一人の修行僧はですね、まぁ小さな
0
カバー画像

🚶‍♂️歩行禅とは🚶‍♂️

はじめに歩行禅(ほこうぜん)は、ただの歩行ではなく、心を整え、内なる平和を見出すための深い瞑想の一形態です。この実践は、伝統的な座禅の教えを基にしながらも、身体を動かすことで自己を探求し、心の静けさを保つことを目的としています。この記事では、歩行禅の起源、実践方法、効果、注意点、そして日常生活への応用について詳しく解説していきます。 歩行禅の起源 歩行禅は、仏教の修行法の一つであり、特に禅宗で重視されています。禅の教えでは、心を静める方法として座禅が多く用いられますが、歩行禅は身体を使った瞑想法として、特に初心者や身体を動かすことが好きな人に向いています。 この実践は、自然の中で歩くことにより、心と体を一体化させ、自分自身とのつながりを深めることができるとされています。古代から続くこの修行法は、日本だけでなく、アジア全域に広がり、現代に至るまで多くの人々に受け継がれています。 歩行禅の基本的な実践方法 1. 環境を整える 歩行禅を行うための最適な場所は、静かで自然に囲まれた場所です。公園や庭、または静かな林道など、人の少ない場所が理想的です。周囲の環境を観察し、自然の音や風の感触を感じることが、心を落ち着ける助けになります。 2. 姿勢を整える 歩行禅を始める前に、まずは基本的な姿勢を整えましょう。背筋を伸ばし、肩の力を抜き、リラックスした状態で立ちます。このとき、両足を肩幅程度に開き、足の裏全体で地面を感じるようにします。3. 意識を集中させる 目を軽く閉じるか、少し前方を見つめるようにし、呼吸を整えます。大きく深呼吸をし、息を吐く際に心の中の雑念を手放すイメージを持ちましょ
0
カバー画像

カルフォルニアの禅僧たち

 サンフランシスコから北上。ゴールデンゲートブリッジを渡ると原野(?)が広がっています。日本と違って土地が余っている(?)という感じがします。こののっぱらの奥に禅心寺(Green Gulch Farm)があるらしいです。行ってみましょう。  場所は下記の情報をつかってグーグルマップを見て下さい。 禅心寺(Green Gulch Farm):1601 Shoreline Hwy - Google Maps 禅堂の外観はこんなでした。ヒサシがあって奥に人のいるところがある感じです。人が姿をみせたなら姿がはっきり見えるわけではない。いわゆる奥ゆかしいの語源につながる、床が奥にある形です。日本的ですよね。その他の建屋はこんな感じでした。皆さんがどんなふうに活動しているのかは『Green Gulch Farm』で検索して下さい。動画での紹介も出ています。写真を見ているだけでも楽しい気分になります。 ちなみに禅心寺(Green Gulch Farm)から車で北へ20分くらい走ったところにサンラファエルという町があります。この町にDominican Universityという大学があります。インターネットを使って、この大学の図書館の蔵書を調べて見たらZenという言葉で引っ掛る本が51冊もありました。 丘の上に上がってみると西の方にミラ・ビーチが見えました。ミラ・ビーチへ行ってみました。海の色が日本とは違うような気がするのは気のせいでしょうか。座るのにちょうどよい木を発見。座るとこんな感じ。帰りの森の中では鹿の群れを発見。こんな森の中で座禅を組めば、日本で修行するよりも、早く悟りに到達する
0
カバー画像

動物、飼う?飼わない?

今日、ある方とこんなことを話しました。「〇〇さん家ってお寺ですよね?犬とか猫とか飼っているんです?」「いいえ。」「なんかお寺っていうと、猫とか犬とかそういう何かしらの動物を飼ってそうなイメージがあります!だって、ほら!福井にある「御誕生寺」みたいに、猫寺で有名なお寺もあるじゃないですか!」「確かに。でもウチは住職(父)が決して許してくれなかったんです。そういう動物を飼うということを。お釈迦さまがかつて言ったことで「いきとしいける動物は全て同じ命の重さである」、それにちなんでなのか、我々人間が他の動物を飼うという行為に抵抗があったんだと思います。そしてお釈迦さまの教えをきちんと守っていたんだと思います。だから私の実家ではこれまでに一度も動物を飼ったことがありません。」このような返答すると、その方はひどく感激されたようで、そのような考え方、またその考え方をきちんと守ってきた我々を称賛してくれました。私はでもそこで、「確かにそうした考え方って、普通じゃないんだよな〜」とかと思いつつ、でもやはり我々にとってはそれがひどく当たり前のことでもありました。今回のことを通して在家の方、出家の身である我々の生活態度に改めてギャップがあることに気付かされました。我々としては実に当たり前のことです、なのでいまだに人間が動物を飼うということに抵抗がありますし、人間がリードを引いてワンちゃんをひっぱている姿をみると少し戸惑いを覚えます。実に不自由な生き方をしてるんです、出家のものは。特に仕切りに面倒だと思ってしまうのは、「今の私をお釈迦さまはどのように思われるだろうか?」そう言った思いに常に縛られるとい
0
カバー画像

静けさの中にこそ、答えはある。現代人に必要な「禅」の生き方

私たちは、常に何かに追われています。仕事の期限、スマホの通知、人間関係のプレッシャー。頭の中はいつも「次のこと」でいっぱい。でも、よく考えてみてください。本当にそれほど、急ぐ必要があるのでしょうか?禅の教えは、こう語ります。**「静けさの中に、真の答えがある」**と。禅とは「止まる」ことの勇気多くの人は、「何かを変えるために動かなければ」と焦ります。けれど、禅は逆を教えてくれます。「動くことよりも、止まることのほうが難しい」。心が荒れたまま動いても、正しい方向は見えません。怒りや焦りに突き動かされて出した結論ほど、後悔を生みます。一度、止まる。ただ、呼吸に意識を向ける。それだけで、脳の雑音が少しずつ静まっていきます。ハーバード大学の研究によると、1日10分の瞑想を2週間続けた人は、ストレスホルモン(コルチゾール)が平均20%低下したそうです。「静けさ」は、確かに人を変えます。心を整えるとは、世界の見え方を変えること禅の修行者は、感情を「消そう」とはしません。怒りや悲しみを否定するのではなく、ただ「見つめる」。まるで雲が流れていくのを眺めるように、心の動きを観察します。それができたとき、人は感情に支配されなくなります。誰かに振り回されることも減り、冷静な判断ができるようになる。つまり、心を整えるとは、「世界を変える」ことではなく、「世界の見え方を変える」ことなのです。置かれた場所で咲けないなら、根を動かせばいい禅の教えの中に、こんな言葉があります。「置かれた場所で咲けないなら、根を動かせ。」それは“我慢しろ”という意味ではありません。咲けない環境で無理をすれば、心が腐ります。もし
0
カバー画像

走行禅(有酸素運動+禅)を理解するための基礎:坐禅と歩行禅

🔹 坐禅(ざぜん)とは?坐禅とは、禅宗の修行の基本であり、「ただ座る」ことにより心を静め、自我を超えて今この瞬間に集中する訓練法です。姿勢を正し、呼吸を整え、思考にとらわれずに「無」の境地を目指します。- 背筋を伸ばし、顎を引く- 鼻呼吸を用いて、腹式でゆっくりとした呼吸を行う- 浮かんでくる思考を判断せず、ただ見送り、心を一点に整える- この静けさと集中力は、動きの中にも応用され、武道や身体鍛錬に深く活かされてきました。🔹 歩行禅(ほこうぜん)とは?歩行禅は「動の禅」とも呼ばれ、ゆっくりとした歩みの中で呼吸と意識を整える実践です。一歩ごとに呼吸を合わせる(例:3歩吸って、3歩吐く)地に足をつける感覚、体重移動、姿勢を丁寧に観察する呼吸と歩行の一致を通じて、心を「今」に留める山での修行僧や千日回峰行の行者が実践しているのも、歩行禅の延長です。🔹 走行禅とは?走行禅は、さらに、呼吸や心を不動にしたまま、有酸素運動である走行へ昇華させた、まさに坐禅の静けさと歩行禅の意識の流れを融合させた「走りの瞑想」です。- ナンバ走法(重力を利用した最小動作)により走りを整える※ナンバ走法:(世界陸上で銅メダルを獲得した末續慎吾選手が取り入れてる走行法で有名)呼吸とステップを合わせ、無駄な力を抜いて走る「走る」のではなく、「動の中で静を感じる」ための実践精神的には「不動心」、肉体的には「脱力と集中」の状態を保ちながら走ることで、単なる運動を超えた自己との対話の場となります。これができると、驚くほど走りが楽になり、さらには心も穏やかになります。まさに、呼吸と有酸素運動の融合で、心を整えるメンタルト
0
カバー画像

一瞬で気持ちが楽になるワード

【紀伊国屋書店・文庫総合4位】『放っておく力』桝野俊明 生きていれば予期しないことが頻繁に起こります。しかし、一度経験したことは経験値となり免疫ができます。すると、「まぁ、そんなこともあるさ」と余裕で受け入れられるようになります。歳を取って人間が丸くなる人は多いですが、経験の積み重ねが「まぁ、そんなこともあるさ」が増えた結果ではないでしょうか。予期せぬことが起きたら、「まぁ、そんなこともあるさ」とつぶやきましょう。この一言で楽になります。
0
カバー画像

他人に期待しないことが心の安定

【紀伊国屋書店・文庫総合4位】『放っておく力』桝野俊明 約束を破られた人の多くは裏切られたという心境になるでしょう。しかし、裏切りと感じるのは自分の心です。相手は、「約束したけれど無理になったのだから仕方ない」「勝手に期待されても困る」と思って、裏切ったという感覚は持っていないかもしれません。そもそも他人に期待しないと常に考えるクセをつければ心が乱れずにすみます。
0
カバー画像

あなたは去る者を追いますか?

【紀伊国屋書店・文庫総合4位】『放っておく力』桝野俊明 学生時代の友人、会社の同僚、仕事相手、恋人…。濃い人間関係をともに過ごした人が去っていくのはさびしいことです。禅の教えでは「去る者は追わず」。別れのさびしさを引きずらず淡々と見送るだけです。ご縁は人為的にコントロールなどできません。
0
カバー画像

失敗したあなたへ贈る思考法

『リセットする習慣』桝野俊明挑戦し続けると人生は好転する ・未経験のことに取り組むのは不安がつきもの ・それでも恐れずに挑戦してみよう ・たとえ失敗しても生まれた状態にリセットされたと考える ・挑戦を続ければ仕事も人間関係も好転するものだ
0
カバー画像

禅の教えに学ぶ日本人の同調圧力の愚かさ

【平均資産額など気にしない】 人の話を気にしすぎない ・老後資金が2000万円必要と報道されてもそれは平均値 ・平均値に当てはまる人など一握り ・同調圧力でやりたくもないことをする必要は無い ・不安になる情報に触れたら「そうか、分かったよ」と流せば良い
0
カバー画像

意味づけ

以前、偉いお坊さんに会う機会があって、当時悪阻真っ只中で、辛いと話したら「辛いとか苦しいとかそこに言葉と意味付けをするから辛いんだ。赤ちゃんは聞いているから言わないでね。」と言われた事があった。 当時はまあ確かにそうなのかもしれないけど、毎日朝昼晩吐きながら仕事して、家事やって、満員電車乗って、辛いものは辛いし。と密かに思っていた。 今ちょうど季節性の咳で気管支が常にチリチリ痒くて、ゲホゲホ、体力も消耗するし、イー‼️となっているんだけど、あのときのお坊さんの言葉が思い出される。 起きた事に意味付けをしない。 禅だわ。 気になる事をフォーカスし過ぎると、増幅して大きくなる。 自分の顔を鏡でみて、毛穴を気にすると毛穴開きまくりに感じるのと似ているかもしれない。 思考で追わない。 意味付けしない。 咳を堪えながら考えた土曜日の朝。 痒いなーチッキショー。皆様良い週末を
0
カバー画像

教禅有料ブログ「禅(貴方の知らない世界へ)の宣伝

教禅有料ブログ禅、貴方の知らない世界へを出しました!今回は、私が整体をやっていた頃に発見した技術があります、一般の人でも出来る健康に役にたつ技術です。その技術の一つをおまけで書いています。女性の方であれば必見の内容です。貴方の知らない世界へは、誤解が無いようにご説明します。例えば、霊界の世界の話が書いてある。とか皆様の知らない裏社会の事を書いてある。とかではありません。霊界の話や社会の裏話はけっこうYouTubeなどで出ていますので、ご興味がある方はそちらをご覧ください。誰でも生きていまして、自分ではどうしようも無い問題が出てくる事があります。誰に聞いてもどんなにいろんな事を調べても、今の問題が解決しない状態である。「潜在意識が貴方をコントロールしているとしたら?」このキーワードをヒントに一歩でも前にすすむ!教禅がいろんな困難を乗り越えてきた現実はとても広く、とても深い現実があります。やる事をやって問題にしない、貴方も教禅の世界へ
0
カバー画像

仏教の教えとコーチング

昨日、11月1日に参加したウェッビナーのアーカイブ動画(昨年開催されたセミナーの動画)をみました。登壇者は一橋大学の楠木さん、船橋家の渡辺社長、そして曹洞宗の藤田師。楠木さんの「日向と日蔭のマーケティング」や渡辺社長の「ビジョン経営」はビジネスの観点より学ぶべき点が多くありましたが、最も感銘を受けたのは藤田一照師のお話でした。「正解は問いの中にあり、そしてプロセスの中にある」というお話はコーチングそのものだと驚きを持って聴き入ってしまいました。クライアントに質問し、そのプロセスを通じてクライアントの中の答えを導きだす。これって仏教の教えだったの???そんな気持ちでお話を聴きました。「対一説」もう1つ、コーチングと同じだと驚きを持って聴いたのがこの言葉でした。一人ひとりに説く。一人ひとり考えも価値観も違うので、人に何か説く時は一人ひとりに説かなければいけないという釈迦の教えだそうです。まさにテーラーメード。一人ひとりに向き合いセッションを行う。この言葉もまさにコーチングだと思いました。現在の臨床心理学において最も先端な考え方はマインドフルネス。これも元をただせば禅の教えです。我々日本人は自分と向き合う方法を昔から開発し、慣れ親しんできているのですね。私の『ファーメンテーション・コーチング』も常に問い続け、色々な分野からのエッセンスを取り込んでバージョンアップしていきたいと考えています。
0
カバー画像

🌿【一瞬で気持ちが楽になる言葉】

「まぁ、そんなこともあるさ。予期せぬ出来事で心が乱れる時、深呼吸してこの一言をつぶやいてみてください。それだけで、肩の力がふっと抜ける瞬間があります。歳を重ねて人が“丸くなる”のは、感情を我慢するのではなく、経験から「気にしなくていいこと」が分かるようになるから。小さなことで動じない心の余裕は、何もしないで得られるものではありません。「そんなこともあったな」と笑える日が、きっと来る。📚【紀伊國屋書店 文庫総合4位】『放っておく力』桝野俊明(幻冬舎文庫)禅僧が教える、“手放すことで強くなる”生き方のヒント。
0
カバー画像

不立文字~言葉にできない愛~

愛とは何か。それは人類が古代から問い続けてきたテーマのひとつであり、言葉で説明しようとすると、どこか薄っぺらくなってしまうことがある。「愛している」という言葉は確かに美しいが、本当に愛を表現するには、言葉だけでは足りないのではないだろうか。「不立文字(ふりゅうもんじ)」という禅の言葉がある。これは「言葉では伝えきれない真理がある」という意味を持つ。愛もまた、まさにこの「不立文字」の世界に存在するのではないだろうか。言葉にできない愛の瞬間日常の中で、言葉にできない愛を感じる瞬間がある。たとえば、朝、目が覚めたときに隣にいる人の寝顔を見て、ふと胸が温かくなる瞬間。大切な人がそばにいるだけで安心する感覚。誰かのために何かをしてあげたいと思う無償の気持ち。何も言わなくても、相手が自分の気持ちを理解してくれていると感じるとき。このような瞬間は、言葉にしなくても確かに存在し、深く私たちの心に刻まれる。言葉の限界と心の交流言葉は便利なツールだ。しかし、愛という感情のすべてを言葉に置き換えることはできない。むしろ、言葉にしてしまうことで、その本質がこぼれ落ちてしまうことさえある。たとえば、赤ちゃんが母親の腕の中で安心しきって眠る様子を見たとき、その安心感や母親の愛情を完全に表現できる言葉はあるだろうか。恋人同士が無言で手を握りしめ、心が通じ合っていると感じる瞬間を、的確に説明する言葉はあるだろうか。愛は、目に見えない、触れることもできない。それでも、私たちは確かにそれを感じることができる。それは言葉を超えた次元での交流なのかもしれない。愛を伝える方法は言葉だけではないもし愛が言葉だけで成立する
0
カバー画像

後悔をやめて●●する

【紀伊国屋書店・文庫総合4位】『放っておく力』桝野俊明 終わったことは元には戻らないとわかっていても事あるごとに後悔の気持ちが浮かんで頭の中でグルグルすることはよくあります。 そんな時、思考の方向を後悔から検証へシフトしてみましょう。起きた失敗のプロセスを見直すことで失敗した過去が未来に失敗しないための経験値となるのです。
0
カバー画像

ご縁に従うことの大切さ

【紀伊国屋書店・文庫総合4位】『放っておく力』桝野俊明 私たちは、ご縁に導かれて行動することで人生はうまくいくようにできているのです。逆にいうと、就職できなかった会社、打ち切られた仕事、親しく付き合うまでいかなかった人間関係…、すべては縁がなかったということ。ご縁に逆らって無理に何かを進めてもうまくいきません。損得勘定に従って生きると間違えます。ご縁に従えば間違えることはありません。
0
カバー画像

つい人の顔色をうかがってしまう人へ

【紀伊国屋書店・文庫総合4位】『放っておく力』桝野俊明 人の顔色に合わせようとする人は卑屈さや他人軸で生きている人だといえます。感じ方は人それぞれですから、いちいち合わせていたら精神が持ちません。相手によって変わらない自分。それが本当の信頼関係を築く鍵なのです。
0
カバー画像

自分のことを全部わかってもらいたい人へ

【紀伊国屋書店・文庫総合4位】『放っておく力』桝野俊明 「自分のことを全部わかってもらいたい」という人がいます。SNSなどで自分のことをじゃんじゃん投稿するのも、その願望からなのかと感じます。しかし、そんな超絶な理解者などいません。お互いのことを半分、いや3割でもわかりあえれば十分と考えると楽になります。不特定多数の人と密な付き合いをしたいと思うこと自体が妄想なのです。
0
カバー画像

言葉の力を大切にするためには

『リセットする習慣』桝野俊明・言葉は人を勇気づけることも傷つけることもできる諸刃の剣 ・だからこそ言葉選びは重要である ・全では愛語を使うと教える ・愛語とは相手を思い、慈しみを持って発する言葉のこと ・愛語は相手の笑顔を生み、慈しみの言葉は相手との壁を取り除く
0
カバー画像

🎆禅の教え:心の平穏を求めて🎆

日本の文化や思想に深く根ざした「禅」は、単なる宗教や哲学ではなく、現代に生きる私たちにとっても大いに役立つ教えです。心の平穏を求める人々にとって、禅の教えは新たな道を照らす光となるでしょう。本記事では禅の基本的な考え方、実践方法、そして現代社会における禅の意義について詳しく探っていきます。1. 禅とは何か 禅は仏教の一派であり、特に「座禅」に重きを置く修行法です。禅の言葉は中国語の「禪」に由来し、これは「静かに座る」という意味を持っています。禅が強調するのは、思考を静め、今この瞬間に意識を集中することです。このプロセスを通じて、私たちは自己を理解し、心の穏やかさを得ることができます。 禅の教えは、過去や未来にとらわれることなく、現在に意識を向けることを促します。私たちの多くは、日常生活の中で過去の出来事や未来の不安に悩まされがちですが、禅はそれらから解放される手段を提供します。 2. 禅の基本的な実践法 禅の実践にはさまざまな方法がありますが、最も基本的なものは「座禅」です。座禅は単に座っているだけの行為ではなく、正しい姿勢や呼吸法、心の持ち方が求められます。 - 姿勢: 座禅を行う際の姿勢は非常に重要です。背筋を伸ばし、肩の力を抜いてリラックスした状態で座ります。手は「組手」と呼ばれる形で組むことが一般的です。 - 呼吸: 呼吸は禅の中でも中心的な要素です。自然な呼吸を心がけ、息を吸うときも吐くときも、その感覚に意識を集中させます。 - 心の持ち方: 思考が浮かんできたとき、それにとらわれず、ただ観察することが大切です。「思考は雲のようなもの」とされ、それが去るのを待つように
0
カバー画像

心と向き合うには、禅が効く!

自分は、何がしたいのか・何を思うのかを整理する・気づくなどあなたの感情同士の向き合い、話し合う時間が必要です。その時間を作るのに、とても良いのが日本イメージトレーニング『禅』です。不安やストレスが、モチベーションが上がらない傾向へと引き寄せることで、心身ともに崩れる手前ではありませんか?そこを立て直し気持ちをアゲアゲへと導いてくれる手引きが禅のパワーです。生活に取り入れるだけで、あなたに起こるメリットは・リラックスを味わえる・周りに振り回されず、ブレない自分・冷静と客観的から全体をみれる・不安材料を払拭でき、免疫力の向上まさに良いこと尽くしですね。 情報量の多い、現代ではダイレクトにあなたに届く道具や環境社会では、脳や神経がパンパには張ることで、日常生活が常に緊張生活と化してます。禅は、そんなあなたを目をつぶるだけで非現実なシンプルなところへと連れて行きます。家やお寺で、禅をして頑丈な自分を手に入れよう!座戦を体験できるサイト貼り付けますね!お近くのところへお行きなさい!!曹洞禅ナビ曹洞宗公式、寺院のポータルサイトです。曹洞宗の全お寺が条件別に検索できます。また、各寺院の活動やイベント情報、最新ニュースなどを紹介します。誰でも参加できる「てらパシャ」もありますのでどうぞ投稿して下さい。リンクsotozen-navi.com 最後まで、ご覧いただきありがとございます。
0
カバー画像

禅とは?

こんにちは。月宵です。 さて、私は占い師なのですがカードリーディング・・・ つまりタロットカードなどを使ったカード占いをメインでしています。 OSHO禅タロットというものを使用しての鑑定もしています。 OSHO禅タロットとは、簡単に言うと禅の教えと西洋のタロットをかけあわせたカードでして深層心理や深いところを鑑定するのに適したカードです。 そうですね・・・ 西洋のタロットや美しいオラクルカードやルノルマンカードを見慣れている方からすると絵柄が独特で、時には毒々しいというかちょっと怖いようなものもあります。 OSHO禅タロットはどうやら私と相性がいいらしく・・・けっこうズバッと確信をついてくるといいますか、ドンピシャのものを出してきてくれるカードで、イーチン(易)との組み合わせでの鑑定メニューが現在一番人気となっております。 このカードは先ほどお話しした通り、禅の教えが軸となっております。 OSHO禅タロットは、なんとなく絵柄や雰囲気に惹かれて入手したので・・・禅のことはほとんど知らない状態でした。 解説はついているものの、結構解釈が難しい。 そう言うわけで改めて禅を勉強 簡単に言うと禅とは禅宗という仏教の宗派の1つです。 坐禅って聞いたことありますよね?  坐禅を組むことで、悟りを開くという修行の1つです。 もしかしたら体験などでやったことがある方もいらっしゃるかもしれませんね。 私も子供の時体験したことがあります。 あれは禅宗のものなんです。 禅とは心。生き方を悟るということです。 四聖句という、達磨大師説いた教えが以下になります
0
カバー画像

やるだけのことをやったら

【紀伊国屋書店・文庫総合4位】『放っておく力』桝野俊明 「人事を尽くす」とはただひたすらに自分の持てる力をやるべきことに注ぎ込むことです。あとは放っておくしかありません。やがて下る天命の采配に任せればいいのです。結果を決めるのは自分ではないのです。事に挑む前から結果や評価を気にするのはやめましょう。心が乱されるだけです。
0
カバー画像

あなたは去る者を追いますか?

【紀伊国屋書店・文庫総合4位】『放っておく力』桝野俊明 学生時代の友人、会社の同僚、仕事相手、恋人…。濃い人間関係をともに過ごした人が去っていくのはさびしいことです。禅の教えでは「去る者は追わず」。別れのさびしさを引きずらず淡々と見送るだけです。ご縁は人為的にコントロールなどできません。
0
カバー画像

他人を変えることは可能か?

【紀伊国屋書店・文庫総合4位】『放っておく力』桝野俊明 結論からいうと他人を変えるのはまず不可能です。世の中全般、自分の思い通りになることなど皆無といえます。自分の思い通りになるのは自分だけなのです。変えられない他人は放っておく。そして、自分がどう変わればうまくいくかに思考を集中させたほうが最後に笑うのはあなたとなります。
0
カバー画像

人間関係に振り回されないために

【紀伊国屋書店・文庫総合4位】『放っておく力』桝野俊明 人間関係に振り回されない人は放っておく力のある人です。過去の後悔をいつまでも引きずったり、まだ起きてもいない先のことを無駄に心配したりして自分を苦しめることはしません。 世の中には自分の力ではコントロールできないことがたくさんあります。他人、過去、未来…そんなことは放っておく。その代わり、「今」に全力を傾けるのが後悔しない人生となるのです。
0
カバー画像

謝罪は気持ちが最優先

沈黙や間(ま)も大切 『リセットする習慣』桝野俊明 ・うまく伝えようとすると言葉は多くなる ・謝罪する時、長々と言い訳するより「申し訳ありません」とひと言、深々と頭を下げた方が相手には伝わる ・沈黙や間は実はすぐれたコミュニケーションの術なのだ
0
カバー画像

質問するということ

質問はコーチングがその機能を果たすために大きな役割を担っています。正しい答えは正しい質問によって導かれる。天才アインシュタインは「正しい質問は?」と質問の重要性を理解していました。昔会社の人材開発部にいた頃、コミュニケーション研修やリーダー研修では質問の重要性が必ずと言って良いほど話題になり、「オープンクエスチョンとクローズドクエスチョン」の使い方を参加者に教える場面も多くありました最近、その質問について改めて考える機会がありました。正しい質問とは何?正しい答えがある前提での正しい質問、間違った答えを導く正しい質問???天才アインシュタインの考える正しい質問とは正しい答えを導くためのものではなく問題や課題を解決するための新しい答えを創造する質問という意味ではなかったのかと私は考えています。禅の教えにある「問の中に答えがある」と同じ意味だと。質問するというのは相手に考えることを促すことになります。認知の歪みがあっても新たな問いを投げかけることで古い認知では対応できない新しい答えがクライアントから出てくることもあります。質問とは想像を促し、答えを創造することを可能にするプロセスではないでしょうか?創造するために「正しい質問」をすることは大事です。でも創造に正しい、間違っているという概念があるかという疑問も湧きます。そんなことを考えている時にある本*に「質問とは内容質問とプロセス質問がある」という記述を発見しました。その本はあるプロジェクトを完遂させることを例にしながら「内容質問」と「プロセス質問」の違いを解説していました。「内容質問」・建造コストが●●円にするにはどうすればよいのか
0
カバー画像

シンプルに生きるということ

いつもありがとうございます。雨の日が続いておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。大変なことになっている地域もあり、自然災害の恐ろしさをここ数年本当に思い知らされますね。生きていると色んなことがありますが、年齢を重ねれば重ねる程にシンプルに生きるということが難しくなる傾向にあるかもしれません。物事の裏側を読んだり、先のことを考えすぎてしまったり、常識(のようなもの)に囚われて目の前の大切なものを見失ってしまったり。知恵や知識を身につけて賢く生きるということは大切なことです。けれども、いろいろと身につけているが故に本来の自分自身を見失ってしまうということはけっこうあるのではないでしょうか。色んな経験は人を育て強くもしますが、子供のように自分の気持ちにただただ正直に生きるということがなかなか難しくなるものなのかもしれないですね。人からかけられた言葉ひとつにしても、大人になると色んな解釈ができるようになります。そしてそこに複雑な色んな感情が生まれ、それに囚われてしまう。色んな経験や知識を積み重ねながらも、いらないものを削ぎ落していくという作業が時には必要だなあと自分自身に対しても日々感じます。「いらないものを削ぎ落していく」という考え方は、禅の考え方に通じるところがあり、そして20代の頃に読んだ岡本太郎さんの本にもそのようなことが書かれていたような気がします。今になってようやく、その考え方に共感するというか腑に落ちるような気持ちです。
0
57 件中 1 - 57