こんばんわ、Rayです。
稲妻は、空から落ちてきているだけではない。
地上からもまた、空に向かって、見えない手を伸ばしている。
今日は、出来事が起こる前の、
場に満ちている静かな気配について書いてみます。
稲妻は、突然落ちるように見えます。
さっきまで暗かった空に、ある瞬間、光が走る。
そして少し遅れて、大きな音が鳴る。
私たちはその瞬間を見て、
「あ、雷が落ちた」
と思います。
けれど本当は、稲妻はただ上から一方的に落ちてくるだけではないようです。
空と大地のあいだには、目に見えない電気の気配が満ちている。
雲の側から、見えない道のようなものが少しずつ伸びてくる。
そして地上の木や建物の側からも、それに応えるように小さな光の道が立ち上がる。
そのふたつがつながった瞬間、私たちはようやく、稲妻としてそれを見る。
つまり、光る前から、場はすでに変わっているのです。
この写真を見ると、稲妻が空から落ちているだけではなく、木の側からも稲妻が応じようとしています。※ストリーマーと言います。
もちろん、細かい科学の説明をしたいわけではありません。
でも私は、この感じがとても大事だと思いました。
稲妻は、何もない場所に突然起きるのではない。
場がすでに帯電している。
空と大地のあいだに、もう何かが満ちている。
その気配が限界まで高まったとき、私たちはそれを「出来事」として見る。
おそらく、慧眼なあなたもピンとくるのではないでしょうか?
何かが起きたあとで、
「ああ、やっぱりそうなったか」
と思うことがあります。
あの人の言葉。
あのときの沈黙。
急に変わった空気。
なんとなく感じていた違和感。
出来事は、ある日突然起きたように見えます。
けれど本当は、その前から、場の中には小さな気配があったのかもしれません。
恋愛でも、仕事でも、家族でも、友人関係でも。
私たちはつい、目に見える出来事だけを見てしまいます。
「君があれを言ったから」
「あなたがあの態度をしたから」
「だから私はこうした」
そうやって、起きたことに反応し、相手の反応にまた反応する。
まるで、稲妻が光った瞬間だけを見ているように。
でも、その前に流れていた気配に少し気づけたなら、私たちはもう少しだけ、うろたえずにいられるのかもしれません。
これは、すべてをコントロールするという話ではありません。
相手の気持ちを完全に読むとか、未来を全部当てるとか、そういうことでもありません。
ただ、場の中にすでに立ち上がっているものに、少しだけ耳を澄ませる。
その感覚です。
禅の老師である鈴木俊隆さんの言葉として、こんな言葉があります。
あなた方は皆、ただそのままで完全であるから、ほんの少しだけ改善すればいいでしょう。
ー鈴木俊隆老師ー
私はこの言葉がとても好きです。
何かを変えようとするとき、私たちはつい、今の自分を否定するところから始めてしまいます。
もっと強くならなければ。
もっと魅力的にならなければ。
もっと成功しなければ。
もっと愛される人にならなければ。
でも、この言葉は少し違います。
あなたは、すでにそのままで完全である。
そのうえで、ほんの少しだけ整えていけばいい。
これは、とても不思議な安心をくれる言葉です。
仕事の世界では、よく「成功する自分をイメージしなさい」と言われます。
もちろん、それも大切なのだと思います。
けれど私は、それは遠くかけ離れた成功者を夢想することではない気がしています。
成功するあなたは、どこか遠い未来にだけいるのではなく、すでに今のあなたの中に、気配として存在している。
まだ稲妻として光ってはいない。
まだ形にはなっていない。
けれど、場の中にはもう、その兆しがある。
そのことに気づくこと。
それが本当の意味でのイメージなのかもしれません。
人は、ときどき、大いなるものに救われたいと思います。
自分ひとりの考えでは、もうわからない。
誰かに、大丈夫だと言ってほしい。
この不安にも意味があるのだと、感じたい。
そういう夜があります。
私は、その気持ちはとても自然なものだと思います。
私たちは、ただ現実的な説明だけで生きているわけではありません。
理屈ではわかっていても、心が追いつかないことがあります。
正しい判断よりも先に、
「あなたは間違っていない」
と、何か大きなものから言われたいことがあります。
そういうとき、人は祈ったり、空を見たり、偶然目に入った言葉に救われたりします。
ある人は、それを引き寄せと呼ぶかもしれません。
高次の存在からサインとしてそれを受け取ることに秀でている人もいます。
またある人は、タロットのような象徴を通じて、その気配に触れようとするのかもしれません。
どれが正しい、という話ではありません。
ただ、私たちの心は、目に見える出来事だけではなく、目に見えない流れにも支えられているのだと思います。
タロットは、未来を決めつけるためだけのものではありません。
むしろ、すでに場に立ち上がっている気配を、象徴の形で受け取るためのものでもあります。
カードを開いたとき、そこに描かれている絵や色や人物が、今の自分の心にふっと触れる。
すると、
「ああ、そういうことだったのか」
と、まだ言葉になっていなかった感覚が、少しだけ形を持つことがあります。
それは、外から無理やり答えを押しつけられる感覚ではありません。
すでに自分の中にあったもの。
すでに場の中に漂っていたもの。
でも、ひとりではうまく見つけられなかったもの。
それに、そっと光が当たるような感覚です。
稲妻が落ちる前に、場は知っている。
この言葉を、人間関係にも、自分の未来にも、少しだけ重ねてみる。
何かが起きてから慌てるのではなく、
その前にある小さな違和感や、静かな予感を大切にしてみる。
不安をすぐに消そうとしなくてもいい。
答えを急いで出さなくてもいい。
もしかすると、その不安は、ただの弱さではなく、場に立ち上がっている何かを感じ取っているサインかもしれません。
そして、あなたの中にはもう、次の一歩の気配があるのかもしれません。
そのままで完全である。
けれど、ほんの少しだけ調えていける。
そう思えたとき、今日という一日も、少しだけやさしく見えてくる気がします。