蝉の声に見る「仏の心」

蝉の声に見る「仏の心」

記事
ライフスタイル
いきなりですが、我々の生きる「本来の命」には何も引っ掛かりがありません。無条件で「呼吸」をし、無条件で「消化」する。円通であり、「円」そのものであると。

これを仏教の言葉で「道本円通」といいます。

教義としては、

「本来この方、今まで長い事変わらずに、少しも変化なく、足し増しもない。我々の生きる世界というものは常に円通である。」

ということですね。

かの有名な松尾芭蕉が次のような詩をうたっております。

閑さや岩にしみ入る蝉の声(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)。

夏場、ミンミンミンミン「蝉」がうるさくてしょうがない。

しかし、芭蕉のこの「詩」から言わせればその「蝉」のうるささは、むしろ「静かさ」だというんですね。

何かしらの引っ掛かりがあれば、確かに「蝉」の鳴く声は非常にうるさく、「騒音」になってしまう。

しかし本来物事というのは「円通」であり、その真実に立ち返れば、それは騒音でもなんでもないということなんですね。そのようなことは我々の単なる決めつけであり、本来の大自然としてはそうではありません。私や人間の価値観というフィルターによって、そのような「諍い」が生じてしまうということなのです。

この世界に引っ掛かりは何もない。引っ掛かっているのは常に自分の思惑なのです。

もちろんうるさいと感じるのも大自然の事実です。

なのでそれは確かに「うるさく」もあり、でも実際は「静か」でもある。そのような姿勢が正しいということでしょうか。



サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す