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国語講師のひとり言「受験の物語文はリアリズム」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』中学受験の国語で出題される物語文。小学生が親しみやすいジャンルのはずですが、意外と点が取れずに苦戦する子が多いのはなぜでしょうか。一因として、読書好きな子ほど"受験用の物語文の読み方"ができていないケースがあります。マンガ、ドラマ、アニメ、小説。物語というフィクションに慣れ親しんでいると、感動的な奇跡や劇的な変化を自然と期待してしまうんですね。でも、受験の文章ではそういった展開はほとんど起きません。受験用の物語文は、あくまで"現実的な人間の心の動き"が描かれています。つまりリアリズム重視。たとえば、ケンカしていた2人が、最後に「ごめんね」と仲直りしてすべてが丸く収まる。そんな展開は、映画やテレビの中ではよくあります。でも受験の物語文では、そんな取って付けたような展開はありえません。現実でも、そんなに急に和解するのはかなり不自然でしょう。読み手として「こうなったら感動的だな」と願ってしまう気持ちはよくわかります。でも受験の読解では願望は求められず、ただひたすら正確な読み取りが大事。どこまで行っても「この文章には何が書かれているか」に愚直に向き合うことが得点への近道です。お話の展開に夢を見すぎないこと。それが、受験の物語文攻略のカギなのです。
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国語講師のひとり言「小学校への義理立てはほどほどに」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』6年生の親御さんから「学校行事が立て込んでいて、勉強の時間が取りにくい」といった声をよく耳にします。音楽会、展覧会、卒業制作、修学旅行……最終学年はとくにイベントごとが盛り沢山。もちろん学校行事には意味がありますし、思い出作りの大切さもわかります。ですが、あと数ヶ月で卒業する小学校の行事に全力投球し、疲れ果てて勉強が手につかない日々が続くようなら、さすがに本末転倒と言わざるを得ません受験をメインで考えるなら、優先すべきはあくまで入試だからです。でも実際には、小学校のイベントをギリギリまで優先するご家庭は少なくありません。「小学校に迷惑をかけたくない」「みんなと同じようにさせたい」という気持ちはよくわかります。その根底にあるのは、塾よりもやはり学校への親和性が高いことがあるのでしょう。保護者としての付き合いが根付いていて、心情的に「塾より学校」になりやすい。けれど、それは本当にあるべき中学受験の姿なのでしょうか。軸足がいつまでも学校の方にあると、軸足を思いっきり塾や受験の方に置いていたたとえば私のような受験生には、はっきり言えば確実に負けます。受験には、ある種の"割り切り"が必要です。「いま何を優先すべきか」を考え、予定や体力の割り振りを冷静に行いたいですね。受験する以上は合格しないと意味がありません。受験勉強に回す余力がないほど学校行事に打ち込んでも、お子さんが志望校に落ちて泣いているときに、学校は何もしてくれないですよ。
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国語講師のひとり言「得意科目をすぐ言える子は…」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』何かの拍子に得意科目を尋ねてみると、「算数は得意です」「社会はできます」などと即答してくれるケースがよくあります。それ自体悪いことではありませんが、私は話半分にしか聞きません。苦手な国語を十分合格レベルまで上げたのに、本番で他教科をミスり栄冠を取り逃がす子をたくさん見てきたからです。ひるがえって自分の子ども時代。人から聞かれて得意科目を正直に答えたか考えてみると、おそらく私は答えなかったと思います。国語には並々ならぬ自信がありましたが、そうであればこそなおさら、「もっとできる子がいるかも」「自分なんかまだまだ」とも思っていたからです。"謙虚さが大事"などと説教臭いことを言うつもりはさらさらなく、また小学生当時の私が謙虚な子どもだったわけでもありません。「得意科目だ」と口にしたのに、その後良くない成績を取ってしまい、「なんだ大したことないね」と思われる屈辱をひたすら回避したかったまでのこと。プライドが傷つくのを恐れて、あらかじめ予防線を張っていたわけですが、すぐ得意科目を口にしてしまう子には、そのあたりの警戒感が薄いと感じます。本当に得意な子ほど、口には出さず、淡々と取り組んでいるものです。逆にすぐに得意だと言ってしまう子ほど、その教科に潜む自分の課題や弱点に無自覚であることが多いように思えてなりません。「本当に人に言い切れるほど得意だろうか?」立ち止まってそう考えら、答えるのを躊躇する子がいたら、私の目にかなり有望と映るのは確かです。
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国語講師のひとり言「眠気をどうするのか?」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』授業中あくびをかみ殺す生徒をよく見ます。私の授業が退屈という説もありますが、学校の授業を終えて夕方からの時間です。眠気が出ても仕方ない面はあるのでしょう。問題は国語の勉強にとって、眠気が致命的なさまたげになることの方。そもそもわれわれ大人だって、字がいっぱい詰まった本を読むのはおっくうではありませんか?興味のある内容ならまだしも、仕事の都合で読まねばならない文章で、個人的にはさして興味がなければ、だれだって眠気をもよおします。まして小学生が読まされる中学受験用の文章は、①内容的にほぼ興味がない。②制限時間に比べて長い。③レベル的にはかなり難しい。とまさに三重苦のような状況です。算数や理社が眠くても勉強できる科目だと言うわけではありません。しかし漢字多めの文字列が並ぶ文章を相手にしなければならない国語にとって、どんなわずかな眠気も大敵です。頭のスッキリした眠気のない時間を、忙しい毎日の中でどう確保するのか?国語が苦手な受験生にとって、第一志望合格はそもそも高いハードルですが、眠気のない時間の確保はその最初の関門と言えるのではないでしょうか。
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国語講師のひとり言「文章も記述の答えも"最後"が肝心」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』中学受験の国語では、選択肢の問題だけでなく、記述問題もまた小さくないウェイトを占めています。この記述問題、どうしても書き始めに気を取られがちですが、じつは採点者がもっとも注目するのは"文の最後"です。なぜかというと、記述は文末によってその答えがはっきり決まるから。たとえば「~だから。」で終わると理由になりますし、「~と考えた。」で終われば意見になりますよね。この"文末"があいまいだと、いくら途中の内容が良くても、「結局この子は何を答えたかったのか?」と思われかねません。そして最後の部分の大事さは、長文読解においても言えること。物語文でも説明文でも、筆者が本当に伝えたいことは最後の段落に込められていることが多いんですね。読むときも書くときも、最後の部分に注意を向けるようになった生徒は、ぐっと成績が安定してきます。最初のインパクトより、最後をどうするか。文章も記述も「終わりよければすべて良し」なのです。
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国語講師のひとり言「勉強の最大の敵は『めんどくさい』」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』中学受験の指導をしていると、いろいろな「壁」に出会います。漢字が苦手、記述が書けない、選択肢がいつも当たらない…。そのどれをとってもなかなかやっかいな壁ではありますが、最大の難敵があるとすれば、私は迷わず「めんどくさい」だと答えます。「この問題、やるのめんどくさいな…」「書き直すの、ちょっと…」という小さな声。これが習慣化してしまうと、子どもは少しずつ学ぶことから遠ざかっていくんですね。とくに国語では、「ちょっと読み飛ばしてもいいか」「なんとなくで答えちゃえ」といった身勝手な"省略"が、ダイレクトに失点につながります。問題をよく読む、記述の答えを推敲する、設問の条件を見直す──これらはすべて「めんどう」な作業です。しかし、それをきちんと1つずつこなせる子が、最後には合格にたどり着きます。もちろん、誰だってめんどくさいことは嫌です。けれどそこで、「やりなさい!」と頭ごなしに叱るのは逆効果。「めんどくさいと思っても、一歩がんばれると強くなるね」と声をかけてあげる方が、のちのち成長につながります。それに「めんどくさい」を乗り越える経験は、勉強以外の場面でも生きてくるもの。だからこそ「今、ちょっとだけがんばること」を応援してあげてください。中学受験で成功する子は、必ずしも天才タイプではありません。「やらなきゃ」が「やろうかな」に変わり、「めんどう」なことにも地道に向き合える──そんな小さな習慣が積もり積もって大きな差になるのです。
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国語講師のひとり言「最初がごちゃごちゃ、物語文」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』物語文を読んでいて、「最初の方が読みづらいなぁ」と感じたこと、ありませんか?実はこれ、中学受験の国語ではよくあることなんです。出題される物語文の冒頭は、しばしば「登場人物が多い」「舞台が不明」「関係性がつかめない」といった"ごちゃごちゃ三重苦"の状態でスタートします。読み進めるうちに人物どうしの関係や場面の状況が明らかになっていきますが、テストではそうそうのんびり読んでもいられません。限られた時間の中である程度速く正確に読み、設問に答えなければならないからです。だからこそ、冒頭でつまずいてしまうと結果を左右するほど大きな悪影響が。たとえば、登場人物が一気に3人も4人も出てきたときなどですね。「主人公はだれ?」「この人は家族?友達?」「今の場面はどこ?」と頭の中がパンクしそうになったら要注意。ここで一度立ち止まって、頭の中で相関図をざっくりと描いてみてください。問題用紙の余白にメモをとるのも良い方法です。また登場人物の名前については、"呼ばれ方"”にも注意を。物語文では、同じ1人の人物が「お母さん」「ママ」「山田さん」と相手によって違う呼ばれ方をしていることもあります。呼び名が変わると、まるで別人のように感じてしまいがち。ですがそこを見誤ると話がどんどんズレていってしまいます。ただ逆に言えば、物語文で最初の混乱を抑えられれば、もはや勝ったも同然です。「最後まで読んだはいいが、結局何が何やらわからなかった」は最悪。物語文の冒頭がごちゃごちゃしていた
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国語講師のひとり言「休みの多い子、危険信号」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』週1回で私のオンライン授業を受講されている生徒さんの多くは、通常の塾通いに加えての受講。 体力的にも経済的にもたいへんなのはわかるのですが、できれば休んでほしくありません。 1年は52週、4月スタートなら入試まで週1ペースだと全部で40回ぐらいなわけです。 人気の参考書に文英堂の「塾技」シリーズがありますが、掲載されている国語のテクはその数なんと100! 1回に2~3のテクニックを伝授しないと全部こなせないことになり、現実的にこれは厳しいですね。 「塾技」準拠で指導しているわけではなく、あくまで一例にすぎませんが、40コマでできることは正直かなり限られています。 そういう思いで授業を進めているさなかに「来週は学校行事のため…」とか「体調がおもわしくなく…」といったメッセージをもらうとちょっと心配に。 1週休むと2週空くことになり、指導してきた積み重ねの効果が薄れます。 できつつあった学習リズムも崩れざるを得ず、思う以上にそのマイナス効果は大きいんですね。 体調不良はもちろん仕方ないことなわけですが、厳しいことを言わせてもらえば、体調管理ができていたのかも気になります。 私の経験上、当初からの第一志望校を無事突破するような子は、毎回の授業をほぼ休みません。 私自身、受験の年に風邪を引くなどして寝込んだことはなく、塾は皆勤賞だったはず。 昔から休まず通う子に皆勤賞を与えて賞賛するのは、それが学業の進ちょくとの密接なつながりがあるからなのかもしれませ
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中学受験おすすめ本「くちびるに歌を」

『読書講座で生徒さんといっしょに読んだ本のうち、とくに感銘を受けたものを紹介します。』※読後感を書いたためネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。※『くちびるに歌を』(小学館)は、中田永一氏による長編小説です。長崎県の五島列島の中学生たちとシンガーソングライターのアンジェラ・アキさんの交流を描いたTVドキュメンタリーをもとに小説化した作品。ストーリーもまさに五島列島のとある中学校の合唱部を中心に進んでいきます。以前このコラムで紹介した『ソノリティ』とテーマは似ていますが、描き方はかなり違っています。章分けなどせず視点人物がしれっと変わるので、最初は少し読みづらく感じるかもしれません。1人は自閉症の兄を持つ、自称"ぼっち上級者"の桑原サトル。もう1人は、愛人と蒸発した父のせいで中学生にして筋金入りに男嫌いの仲村ナズナ。母親がガン闘病中にほかの女性とうつつを抜かしていたわけですから、その憎悪たるやすさまじいものです。ちなみにこの父親ははっきりと"救いようのない人物"として描かれており、作者のその潔い書きっぷりには感服しました。合唱コンクールでの地区予選突破を目指し、女子と男子がいがみ合いつつ、やがて歩み寄り目標に向かって1つになる姿が描かれます。産休中の松山ハルコ先生の代役として、東京から赴任してきた柏木ユリ先生が合唱部を率いますが、彼女は男子生徒がこぞって憧れる美貌の持ち主。映画では女優の新垣結衣さんが演じたようで、本を読んだ子に聞いたところ、「原作とちょっとイメージが違った」そう(笑)。思春期の淡い恋模様がさりげなく織り込まれ、280ページ以上のボリュームを感じさせない緊
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国語講師のひとり言「テストの結果、予想と合ってる?」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』中学受験の勉強をしていれば各種のテストはつきもの。週テストに組み分けテスト、オープン模試に合不合判定テストと枚挙にいとまがないほどです。そしてテストに関して親御さんに注目してほしいことの1つに、手ごたえと結果の乖離の問題があります。「今回の国語はかなりできた!」「前回よりすごく悪いかも…」など、テストのたびに悲喜こもごもの所感をお子さんから聞かされることでしょう。その際気をつけてほしいのが、受けたテストについてお子さんが感じた手ごたえと、実際の結果とが食い違っていないかどうか。「うまく行った」と自信に満ちた顔を見せたのに結果がかんばしくない。「できなかった」と落ち込んでいたのにいつもより良くできていた。後者だと結果オーライになりがちですが、成績の良し悪しではなく、予想と結果が食い違うこと自体が良い傾向とは言えません。"できていない"のに"できている"と思うことも、"できている"のに"できていない"と思うことも、問題に対する自身の理解度を見誤っている点で同じだからです。長年の経験から、国語の成績が上がりはじめるのは、テスト直後の手ごたえと結果とのあいだにズレがなくなってからだと感じています。
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国語の点数を上げるためには

こんにちは。いつもブログを読んでいただきありがとうございます。今日は、国語の点数を上げるために どうしたらよいかお伝えしたいと思います。定番ですが、本をたくさん読むことが重要で、読書の習慣がある人は国語の点数が上がりやすいです。たとえば、中学2年の国語で太宰治の「走れメロス」を習いますが、なかなか難しい熟語や普段使わない言葉が多く使用されています。そして、文章の背景の描写には主人公の心情が反映されていることが多いです。普段は小説ではなくても、自分の興味のある本を読むことで良いと思います。本を読むことで、様々な言葉を覚えたり、漢字を覚えたり、知識や情報も増えて、人の心情に気付きやすくもなるそうです。高校入試では説明文、小説など様々な文章が読み解く必要があるので、小学生、中学生には特にたくさん読書をすることをおすすめします。
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国語講師のひとり言「抽象的思考の第一歩、それは…」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』大学生の頃、下宿していたアパートの近くに住む中学生に家庭教師として国語を教えていました。ライトノベルを読み込んでいる読書好きな子でしたが、なぜか国語の読解問題となるとさっぱりお手上げ。ぬき出し問題や選択肢問題でもそのありさまですから、まして記述問題になると手も足も出ない状態でした。中学受験はしていない生徒さんだったので、私はとっさに「抽象的な思考の訓練が足りないのでは…」と分析したんですね。そんなある日、彼が学校に提出する課題作文を添削する機会に恵まれました。早速見させてもらうと、自力で書いた最初の作文に「友達に怒られてショックだったけど、おかげで自分の良くない点に気づけた」と書いていたんです。私は内心、ガッツポーズ。なぜならこれは、"自分の体験を通して何かを学んだ"と発展させやすい良い流れで、抽象的思考を実践的に理解してもらう絶好のチャンスだったからです。そこで私は彼にこう尋ねました。「今その経験を振り返ってみて、いったいどんなことを学んだと思う?」と。すると彼がひと言、「うーん…人に注意されるのは嫌だけど、直すチャンスでもあるってことかな」。これです。これこそまさに抽象化思考の第一歩!体験から"教訓"を引き出す。教訓なんて古くさい話と思いますよね?しかしじつはこのありふれた反省のスタイルの中にこそ、読解にも記述にもつながる思考のヒントがあります。子どもはよく、「今日何があったか」は話してくれます。でも「そこから何を学んだか」については、大人
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国語講師のひとり言「その見通し、甘いのですが…」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』親御さん自身が中学受験を経験されておらず、お子さんの中学受験も初めてだというケースで、しばしば私が強烈に不安になることがあります。たとえば今は5月ですが、入試本番から逆算してどれくらいのことができていれば良いか、そのあたりの見通しにとてつもない甘さを感じるからです。国語に関しては、塾でどれだけのことが身についているのか、そこもやはり不安にかられます。一番まずいのは"解説を聞くだけ"の受け身の姿勢で、国語の場合、これだといくら時間をかけても成績は上がらず、本番が迫るにつれ下降の一途…。お金をもらう身ですから、「もっとたくさん受講してください」とはなかなか言いづらい面もあります。ただ国語の読解や記述に難がある子ほど、集団塾より私のオンライン講座の方がはるかに身になるだろうとは自負している次第。また話を聞いていると、どうも皆さん概要の解説が好きみたいなんですね。いかにも解放のテクニック風だからでしょうが、概説なんかいくら聞いてもできるようにはなりません。実力を挙げるためにひたすら問題を解くしかない点では、国語は算数以上だと個人的には思っています。また話は少しそれますが、算数よりは国語の方がまだ、入試本番での得点ゲットの確実性が高いです。やはり算数は水物。とくに難しい問題は、ある切り口に気づけるかどうかで、まるまる1問平気で落としたりしますからね。「算数はできるんですが、国語は…」とおっしゃって申し込まれる親御さんの言葉、最近私は話半分にしか聞きません
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国語講師のひとり言「世の中の動きに関心は…」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』論説文では環境問題をはじめ、いわゆる社会問題をテーマとした文章も出題されます。しかも通り一遍の議論ではなく、かなり込み入った話題にまで踏み込んでいることも多く、昨今の中学受験の難易度の高さを思わされます。さてひるがえって私ですが、小学5年生のときの国語の先生が、やたら環境問題を熱く語る人で、その影響もあり子ども心に未来を憂えていました。とは言え10歳かそこらですから、問題意識と呼べるような高尚なものだったとは思えません。しかし気にはなっていたわけで、国語の論説文でその手の文章が出れば、興味・関心をもって能動的に読んでいた可能性ぐらいはあります。じじつ中学生になってからも環境問題への関心は途絶えず、岩波新書で経済学者・宇沢弘文さんの『自動車の社会的費用』を読んだりしました。私は読んだ本の内容をいつもきれいさっぱり忘れてしまうのですが、宇沢氏の本で今でも記憶に残っているのは"歩道橋批判"のくだりですね。今街なかにどれぐらい歩道橋があるかわかりませんが、少なくとも私の子どもの頃は普通に見かけました。宇沢氏によれば、歩道橋とは自動車社会が生んだまさに史上最悪の発明品。自動車を勢いよく走らせるために、なぜ人間が階段を昇り降りして遠回りしなければならぬのかと厳しく指弾していたと思います。…話がややそれましたが、私が思うのは、今の小学生にとって社会問題への意識はどうなっているのかという点ですね。塾のテキストや模試の文章では、それこそ親ガチャから生物多様性、ジ
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国語講師のひとり言「テストで役立つメタ認知」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』「メタ認知」という言葉本来の使い方とは違っているかもしれません。ただ問題を解いている自分を俯瞰で眺める行為には違いなく、ある種のメタ認知と言えるのではないでしょうか。以前、四谷大塚の模試だったか、与謝野晶子の、 海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家の短歌の問題が出題されました。この短歌に関する設問の1つに、結句にある「父母」の読み方を書かせる問題があったんですね。当然答えは「ちちはは」ですね。ある生徒さんがこれに✕をもらっていました。見ると解答らんには「ふぼ」と書いてあります。おそらく短歌の音数のことなど度外視して、「こりゃ簡単だ」とすぐに答えを書いてしまったのでしょう。でもこういうときこそメタ認知を働かせてほしいと思うんですね。中学受験に向けて頑張る小学6年生向けのテストなんですよ。もし「父母」を読ませる問題の答えは「ふぼ」だとしたら、これは受験などとはまるで無縁な小学校低学年向けのテストになってしまいます。解答らんに"ふぼ"と書きかけて、そこでふと思い直してほしいんです。いくらなんでも「あまりに簡単すぎやしないか?」と。「俯瞰で見る」「離れて立つ」「メタ認知」…。言葉は何であれ、そういう客観視ができる子とできない子がいると感じます。目の前の問題を今まさに解きつつ、状況を俯瞰で眺めて冷静にツッコミを入れられるか否か。1点2点を争う中学受験の世界では、けっこう重要な資質と思えてなりません。
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国語講師のひとり言「アンカリング効果にご用心」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』アンカリング効果というのをご存知でしょうか?出会いがしら一番初めに与えられた情報に、その後の判断が強く方向づけられることです。本来は認知心理学や行動経済学の用語のようですが、マーケティング関連の文章でも時々見かける言葉ですね。最近この概念が、国語の問題を解くときにも、1つの戒めとして役立つように感じています。とくに論説文ですと、書き手の論の進め方として、いきなり自分の主張から切り出すケースはまれです。自分の言いたいことを際立たせるために、本来の主張とはズレた見方、時には真逆の観点やそれに基づく事例などを紹介するケースはよくあります。生徒さんの回答を見ていると、「筆者の主張のポイントとかなりズレているな」と感じることがしばしばあります。しかし同時に、最初から最後までまるまる読み違えているというわけでもないんですね。要旨とピントがぴったり合った回答もある一方で、まるっきり逆の意見を書いてケロッとしていたりするのは、なんともチグハグな印象を受けます。そこで思いついたのが、アンカリング効果の影響なんですね。文章の冒頭で筆者があえて示した"自分のものとは異なる観点"やその観点を体現したエピソードに、刷り込みのごとく影響されているのではないか、と。ただし読み進めたり設問を問いたりするうちに、アンカリング効果は当然ある程度薄れていくわけです。薄れてはいくのだけれど、しかし設問によっては、アンカリング効果で刷り込まれた"別の立場"の影響がぶり返して、誤答の方へ
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【中学受験】模試で国語を時間内に終わらせるには?その2

国語を時間内に終わらせるには? ①音読の練習からする。 ②漢字の読み書きの暗記。 ③語彙の暗記(慣用句、ことわざを含む) ④論説文は要約の練習をする。 ⑤物語文は場面ごとの心情を暗記する。 ⑥記号問題の解き方を覚え反復する。 ⑦記述問題の解き方を覚え反復する。 ⑧『設問に正確に答える』練習をする。 ⑨日常会話で単語で答えず文章で答える。 ⑩日常会話の中で、相手の質問に端的に正確に答える習慣をつける。 ⑥記号問題の解き方を覚え反復する。 日本語は述語部分に大きな違いが出ます。 前半部分で はっきりと❌だとわかる選択肢は、 かなり少ないです。 まずは述語部分で切れるものは 切ってしまいましょう。 切れない時は前半を比べましょう。 その際、 はっきりと❌とわからないものは、 本文に戻って該当箇所を探して、 しっかりと照らし合わせてください。 物語文の時は該当箇所に戻って、 しっかりと場面を想像して 登場人物の心情を考えてください。 (実際には場面によってパターン化された心情を思い出してください。) ⑦記述問題の解き方を覚え反復する。 40字ぐらいの記述になると、 先頭からダラダラ書いて 設問に正確に答えるのは、 ほぼ不可能だと思ってください。 相当実力がないと無理です。 しっかりと下書きをしてください。 その際には文の最後、つまり 結論部分(物語文だと信じよ部分)から 端的に短く書くようにしてください。 結論部分が間違えていると、 いくら前半に良いことを書いても 最後が間違えていたら❌になります。 結論部分が出来上がったら、 写真のように少しずつ足してください。 文の意味、流れが変わ
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【中学受験】模試で国語を時間内に終わらせるには?その1

気合いと根性で速く解けるようにならない。 『とにかく速く読んで速く解きなさい‼️』 と鬼化するお母さんが最近多いです。 ただ、これは不可能です。 本文は読み飛ばすか、 傍線の前後しか読まなくなります。 記述問題は全て飛ばし、 記号問題をやって、 書き抜き問題をチョロっとやって終わり、 こんなことを本番まで繰り返し、 誤魔化し続けます。 根本的な解決にはなりません。 根本的に解決するためには、 ①〜⑩のことを時間をかけて コツコツやって行くしかありません。 国語を時間内に終わらせるには? ①音読の練習からする。 ②漢字の読み書きの暗記。 ③語彙の暗記(慣用句、ことわざを含む) ④論説文は要約の練習をする。 ⑤物語文は場面ごとの心情を暗記する。 ⑥記号問題の解き方を覚え反復する。 ⑦記述問題の解き方を覚え反復する。 ⑧『設問に正確に答える』練習をする。 ⑨日常会話で単語で答えず文章で答える。 ⑩日常会話の中で、相手の質問に端的に正確に答える習慣をつける。 ①音読の練習からする。 そもそもここから出来ていない子が 本当に多いんです。 小学校でやるような音読もできないのに、 難しい文章の意味を 理解することはできないです。 ②漢字の読み書きの暗記。③語彙の暗記(慣用句、ことわざを含む) 国語ができる子は 『知らない言葉があると気になる子』 が多いと思います。 国語が苦手な子は 知らない言葉があっても気になりません。 わからない英単語がたくさんある中で、 英文を読んでいるような状況です。 意味のわかる日本語から 文の意味を想像して読んでいます。 そのため、 理解は浅いし読むのに時間がかか
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国語講師のひとり言「受験する6年生に年中行事は存在しない」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』ゴールデンウイーク真っ盛りですが、受験予定の6年生の皆さんは、まさか遊びに出かけたりしていませんよね?受験の年はとっくに始まっていて、しかもすでに残すところ1年ありません。2025年4月30日時点で、1月入試なら8ヶ月ちょい、2月入試でも9ヶ月しかないわけです。受験のひと月前になれば、どんなのんびりした受験生でもお尻に火がついて、見違えたように必死になります。しかしまっとうな受験生なら、その時期には誰もが猛然とラストスパートを始めるわけで、じつはライバルとの差は埋まらないままです。本番間際になってようやくやる気に目覚め、「相当頑張った。でも結果が…」と嘆く受験生が毎年いますが、本当に1年通して頑張っていましたか?自分がどんなに頑張ったつもりでも、もっと頑張ったライバルがたくさんいれば、それだけで志望校への門戸が閉ざされるのが中学受験です。2月入試まで9ヶ月。9ヶ月でいったいどれくらいのことができるのでしょうか?良い例があります。私は理科と社会の勉強を、まさにそれぐらいの期間しかやりませんでした。結果を言いましょう。はっきりと何も身につかなかったと思います。6年生の4月から4科に切り替えるのがそもそも間違いですから、私の失敗はあまり参考にはならないかもしれません。しかし9ヶ月という時間が、マスターすべき学習項目の多さに比して、あまりにも短いことだけは確かでしょう。「そうは言ったって6年生のゴールデンウイークは人生に1回きりの貴重な体験だ」とおっし
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国語講師のひとり言「脳内の負荷を下げましょう」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』論説文は2つの事柄を対比させながら論じることが多いですよね。AとBを比較しながら話を進め、最終的には推しのAならAをプッシュして終わります。先日、外山滋比古さんの『ことばのある暮し』から出題された説明文の問題を解説しました。読み方について「アルファー読み」と「ベーター読み」の2つがあると提唱し、現代の国語教育が2つの違いに意識的でない点を問題視する内容です。生徒にとってはいずれも初めて目にする用語であり、それぞれどんな意味なのかも問題を解くときに初めて知ったばかり。もちろん2つの用語の定義は、筆者がていねいに説明しています。小学6年生なら「さっぱりわからん」とお手上げになるほど読みにくくはありません。しかし初めて知った2つの用語の定義を頭に入れながら、それに関連してさまざまな角度から聞かれる設問に答えるのは至難のわざ。脳内に2つの用語の定義を保持しながら、同時にややこしい問題を解く作業を行うのは、マルチタスク並みに負荷がかかるのは容易に想像できます。そこで役に立つのが図です。図と言っても本格的なものではなく、対比される2つを並べて書き、それぞれの定義を簡単にメモする程度。脳内にあるものを紙に転写するだけで、びっくりするくらい問題を解くのがラクになりますよ。
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国語講師のひとり言「小学校を卒業しよう」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』コラムタイトルが「?」な感じですが、中学受験をする以上、早い時期から精神的に脱・小学校すべきだと言いたいだけです。私の例を出すと非常に悪い見本になるので控えますが、クラブ活動をサボったり、学校行事で手を抜いたりするのはおすすめできません。中学によっては内申書の提出もあります。担任からにらまれるような悪目立ちする態度や行動は厳につつしむべきでしょう。ただ外から見えないメンタル面に関しては、なるべく早く小学校を卒業してほしいとの思いもあります。たとえば、これは前にもコラムで書きましたが、いつまで経っても模試の結果を点数で報告してくるケース。小学校のテストならそれでいいわけですが、塾のテストの場合は偏差値を示してくれないと、良い結果なのか悪い結果なのかさっぱりわかりません。1年生から通いつづけてきた"小学校の習慣"を、一朝一夕に捨てきれないのもわからないではないですが、引きずりすぎると不幸な結果になります。私の場合は塾に好きな女の子がいたのもあって、早い時期から気持ちは塾中心でした。勉強の内容はもとより、友だち関係まで塾の方に重きを置いていたんですね。いい意味でも悪い意味でも、かなりさばけた感覚を持った小学生だったと思います。小学校にも友だちは多かったものの、塾の仲間の方にシンパシーがあったため、卒業にあたっても何ら未練なし。夏休みの自由研究などもまったくやる時間がないわけで、図画工作の陶器の焼き物だったか、父親に作らせて平然と自分が作ったような顔を
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国語講師のひとり言「名言、探してみませんか?」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』国語の文章には物語文や説明文がありますが、どうせ読むなら書かれた内容に積極的な関心を持てると良いですよね。最近の生徒たちを見ていると、受験勉強以前にあまり読書の経験がないせいか、文章から何かを学ぶという姿勢があまり感じられません。テクニックだけで問題を解くこともできるでしょうが、せっかく文章を読むのですから、そこから自分にとって身になるものを吸収してほしいもの。そのための1つの方法として、私は"名言探し" を提案しています。まとまった文章の中から自分にとって役立つ、あるいはハッとさせられるような一文に線を引く。これは設問に直接役立つとか、読解の方法論として優れているとか、そういうものではありません。あくまで自分を基準に、心に響いたり着眼点に驚かされたり、そういう文に敏感に反応するだけです。たとえば河合隼雄さんの「こころの処方箋」は中学受験の国語の問題でも時々見かけますが、この本で私が感銘を受けた言葉に次のようなものがあります。 物事は努力によっては解決しない。今手元に本がないため正式な引用にしていませんが、たしか宗教家のクリシュナムルティの言葉を河合さんが引用して紹介していたはずです。第一印象は最悪の言葉でした。「なんだ、努力を否定するのか…」そんなふうに考えてしまったんですね。しかし言葉の言わんとすることはまったく違いました。「努力すればうまく行く」と簡単に言うけれど、さまざまな事情から、精一杯努力してもうまく行かないことなんて世の中にはざら
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国語講師のひとり言「ローマ数字の78は…」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』「ファイナルファンタジーXIV 」などで見かけるローマ数字ってありますよね。 先日、国語の授業で60進法や10進法について書かれた説明文を扱いました。その中で10進法以前の表記法として、ローマ数字のことが紹介されていたんですね。よく考えるとローマ数字って、壁時計の文字盤で見かけるか、「ドラゴンクエストⅢ」 といったゲームタイトルで見るくらい。しかも数字はひとケタか、せいぜい10いくつかまでです。これまで私もあまり意識してこなかたのですが、10進法でないということは、ようするに位取りの考えがないということ。 その文章でも、「(10進法と比べて)不便だ」との文脈でローマ数字のことが紹介されていました。 ひるがえって考えてみると、ⅦとかⅪとかならいざ知らず、50や100といった大きな数字については、 ローマ数字での表記を見たことがありません。たとえば今年は2025年ですが、2025をローマ数字で書くと、 MMXXVとなるそうです。Mが1000を表し、Ⅹは10、Ⅴは5ですね。じゃあ、たとえば9057は、 MMMMMMMMMXXXXXⅦになるのかと思いきや(これでも良いのですが)、実際は、 ⅨLⅦと短くも書けます。ただしⅨ(9)の上にオーバーラインを引いて、×1000の意味を加える必要あり。Lは50ですね。とは言え、ナンバリングにそんなデカい数字を使うゲームはなさそう(笑)。「ファイナルファンタジー」がいつまで続くかわかりませんが、「XXⅢ」とか出たら、
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国語講師のひとり言「問題集選びはほどほどに」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』国語の文章問題、難しいですよね!「どの問題集が良いでしょうか?」「おすすめはありますか?」といった質問をいただくことがあります。しかし市販のものに目移りする必要はまったくありません。塾で使っているテキストとサブテキストの問題集で十分です。解いていない問題があれば、すみずみまで解いてください。塾のテキストおよび演習問題集が、一番入試の内容および形態に近いです。もし6年生ならば、そして夏以降であるなら、絶対に受けない学校の過去問も使えますね。ただし「小手調べにはいいだろう」と、偏差値の低い学校の問題を解くことはおすすめしません。出題に明確な方針が感じられず、自分なりの解き方を確立している子ほど混乱しやすく、マイナスにしか働きません。今はメルカリなどで書き込みのない他塾のテキストが入手できたりと便利な世の中です。解答・解説付きであることをよく確認して、そうしたテキストを手に入れて活用するのも良いですね。どの参考書が良いか・どの問題集が良いか・どの解説書が良いか、と悩むことに割く時間があったら、初見の問題を1問でも多く解きましょう。合格への道はそこからしか始まりません。
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国語講師のひとり言「国語の勉強はタイパ重視で」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』塾に通っていれば宿題が出るはずですが、国語の記述問題はちゃんと解いてから授業に臨んでいますか?「よくわからないから、解説聞けばいいや」すべてのことで自分に厳しい必要はないと思いますが、もし国語の成績を上げたいなら、"解かずに解説を聞く"ことだけは厳しく自分に禁じてください。何も必ず正解を導けなんて言いません。的外れな回答でもかまわないので、制限字数の8割以上の答えを作ってから、授業の解説を聴いてほしいのです。以前このコラムでも書きましたが、国語は算数と違い、自力で答えを作ることなく模範解答を見ると、その設問はたちまち価値を失います。算数の場合、正解の数字だけ見て「なるほど」と思うことなどありえません。なぜその数字になるのか、肝心のプロセスがわからなければ、いかにめんどくさがりな子と言えど「この問題もう済んだ」とは思わないでしょう。しかし国語の場合、物語文でも論説文でも、記述問題で求められているのは結局、書かれてあった内容の把握に過ぎません。国語の答えを見て「おー、そうだったのか!」と思わず膝を打った経験なんてありますか?たいていは「ああ、なるほどね」と無感動に納得して終わりです。まとめ方のうまさに感心することはあっても、内容に感心することはまずありません。読んだ文章のある部分について丁寧にまとめ直したに過ぎないんですから、当たり前と言えば当たり前。でもだからこそ国語は自力で解くことが重要で、答えを見るのも解説を聴くのも、自分なりの答えを作った"
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国語講師のひとり言「志望校は低く見積もって上へ」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』見せていただいた現在の成績と、現状の第一志望校が明らかに釣り合っていないケースに時々出くわします。お子さんの中学受験が初めての親御さんで、ご自身も中学受験を経験していないといった場合に多いようです。第一志望校に憧れを持つことはやる気にもつながり、決して悪いことではありませんが、"憧れの対象を第一志望校にする"のはやめましょう。初めはやや低めに見積もって、頑張って少しずつ上げていく方がやる気が出ませんか?最初に現状の偏差値と10も20も違うような学校の名を挙げて、じょじょに目標のランクを下げていくなんて、士気が高まるとはとうてい思えません。「あくまで目標ですから、高いに越したことないじゃないですか」とでも言われそうですが、高すぎる目標はその存在があまりに遠すぎ、現実的な努力のトリガーになりにくいと思われます。人間、「手が届きそう」と思うからこそ躍起になって頑張るのではないですか?たとえば今の偏差値が、志望校の合格レベルに10足りないとしましょう。「まだあと1年あります。頑張って上げていければ」とおっしゃる親御さんもおられますが、忘れちゃいけないのはほかの受験生も「あと1年」同じように頑張るということ。ほかの受験生の頑張りと同じレベルの頑張りでは、志望校に対する相対的なポジションはまったく変わらないわけです。今ある差をくつがえすには、人並み外れた努力が求められます。
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国語講師のひとり言「受験の年は受験一色でないと」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』 「来週と再来週は夏休みで帰省しますので、授業はお休みにさせてください」小6の生徒さんで親御さんからそのようなメッセージをいただくと、内心ギョッとします。受験の年は、受験一色でないとダメと考えているからです。一生に一度しかない小学校の最終学年。いくら受験するとは言え、受験をしない子たち同様、子どもらしい楽しみも味あわせてあげたい──。親心でもしそのようにお考えなら、第一志望突破はかなり厳しくなると私は思います。中学入試は明確に「落とす」ためのテストです。100人しか入学できないところに500人志願するから、400人ふるいにかけるために課している試験なんですね。そうでなければ、あんなに難しい内容の長文を、50分程度の短時間で読ませ、ややこしい設問を大量に解かせたりしないでしょう。そこには人間的な温かみもなければ、子どもの健やかな成長を願う大らかな配慮などまったくありません。要するに点数で明確に序列化し、欲しい数より下は「ハイ、さようなら」。それだけです。なぜ「受験一色でないとダメ」かと言えば、これも理由は単純明快。志望校に合格したくて、「受験一色で勉強に専念」するライバルがいるからです。いいですか。どんなに自分が努力したつもりでも、それを上回る努力をした子が志望校の定員数ぶんいれば、それだけで確実に落ちるんですよ。少なくとも私の経験から言って、受験勉強以外のことは犠牲にしないと、第一志望の合格レベルにはまず届かないだろうと思います。「ひとつの経験
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国語講師のひとり言「『国語の○○が苦手』と言おう」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』血液型占いによれば、A型はきちょうめん、B型はマイペース、O型は社交的となります。自分の血液型に照らして「たしかに当たっているなぁ」と思わされますが、それでもやはりこの決めつけには問題があると言わざるを得ません。なぜならどんなに典型的なA型の人だって、1年365日、1日24時間たえずきちょうめんであるはずがないからです。たとえきちょうめんな傾向が強いとしても、まるでズボラな日もあれば、物事によってはきちょうめんとは程遠い面もあるでしょう。にもかかわらず「わたしはきちょうめんな性格だ」と自己規定してしまうと、自分自身のあるがままの姿に自ら目をふさぐことになりかねません。何にせよ単純化にはメリット・デメリットの両面があります。これはたとえば勉強についてもあてはまる話です。「わたしは国語が苦手」と自覚していること自体は、自覚がないよりかははるかにマシです。しかし本当に国語のあらゆる学習事項が苦手なんでしょうか?ひと口に国語と言っても、漢字もあればことわざ・慣用句もあれば、文法もあれば文学史もあり、だれもが苦労する文章読解の問題もあるわけです。文章読解ひとつに限っても、物語文もあれば説明文・論説文(この2つもそれぞれ微妙に異なる)もあれば随筆文もあるわけです。さらに言うなら読解問題の設問には、記号選択問題もあればぬき出し問題もあります。文章中の言葉を使って書く記述もあれば、本文加工NGの高度な記述もあり、字数の長短を含めそれこそさまざまな種類があるわけ
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国語講師のひとり言「話し言葉はいつ覚えたの?」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』国語は"書き言葉としての日本語"を学ぶ教科です。話し言葉としての日本語は、ネイティブならば"意識的に学ぶ"のではなく"自然に身につく"ものなので、わざわざ学校で教わる必要がないんですね。今やAI全盛で、AIは難しい医学論文でもあっと言う間に大量に読んで理解できると言いますから、もう人間には太刀打ちできないでしょう。昔聞いた話で印象的だったのは、コンピューターに自動翻訳をさせる場合、難しい本ほどコンピューターには簡単だと言うんですね。たとえばデカルトの『方法序説』だったら、たちどころに翻訳してみせるでしょう。理由は明確で、ようするにデカルトが精緻に論理的に言葉をつむいでいるからです。逆にコンピューターが一番苦手とするのは、子どもの話す言葉だと聞きました。子どもの言葉は興味のおもむくままあっちこっちへ話が飛び、論理もへったくれもありません。人間の大人が見れば、『方法序説』と子どもの言葉は圧倒的に前者が難しいわけですが、コンピューターにとっては逆に後者が処理しづらくなります。でも今のAIはそのあたりも克服しているのでしょうね。ロボットの進化もすさまじいですが、これも大昔に聞いた話では、どんな動きが難しいかで言うと、シャツのボタンをはめる指先の動きらしいんです。ふだん何げなくやっていますが、機械に再現させようとするとこれがきわめて困難なのだと聞きました。ずいぶん前の話ですから、これも今は解決しているのでしょうか。気になったのでChatGPTに聞いたとこ
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中学受験おすすめ本「わたしは食べるのが下手」

『読書講座で生徒さんといっしょに読んだ本のうち、とくに感銘を受けたものを紹介します。』※読後感を書いたためネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。※『わたしは食べるのが下手』(小峰書店)は、天川栄人氏による長編小説。会食恐怖症の葵(あおい)と過食嘔吐で苦しむ咲子(さきこ)の2人の中学生が、学校給食の改革を目指して仲間とともに奮闘し成長していく物語です。2人が通う鳴橋中学校では、食品ロスをなくそうと完食月間を実施中。配膳される給食の量が多すぎ、いつも時間内に食べきれない葵にとって、クラスごとに残量が比較されるイベントは苦痛でしかなく…。あるとき吐き気を催して駆け込んだ保健室で、同じく"食べる"ことに問題を抱えた咲子と出会い、いつしか2人は心を通い合わせていきます。私自身は嫌いな食べ物もとくになく、給食の経験は小学校だけですが、なんでも美味しくがっついて食べていた記憶しかありません。ただこの本をいっしょに読んだ生徒さんに話を聞くと、「昼ごはんの時間がとても短くて、量を少なくしてもらわないと食べきれない」とのこと。配膳や後片付けにけっこう時間が取られるようで、ゆっくり食べたい子にとっては相対的に早食いせざるを得ない状況らしいんですね。小説の中では、インドネシア人の女の子(イスラム教徒ゆえ宗教上食べてはいけない品目がある)や、家計が苦しく「給食がないと困るよ!」と切実に訴える男の子も出てきます。「食べる」ことをめぐって、いろいろな立場の子どもたちが描かれ、お互いの違いを理解しながら、少しずつ絆を深めていく様子が描かれていました。テンポの良い会話が多く、単行本で250ページあります
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国語講師のひとり言「自分の記憶力をあてにしない」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』選択肢問題は記述問題より解きやすい印象があるかもしれませんが、しっかり手順を踏んで解かないとポロポロポロポロ失点します。どの参考書にも書いてあることですが、読んだ記憶で解くのは一番まずいやり方です。なぜなら誤答のうちのいくつかは、おぼろげな記憶に訴えかけるように周到に作られているから。"ムツゴロウ"の愛称で知られた作家の故・畑正憲氏は、学生のころ試験の前に教科書をいっぺん読み通すだけで、その内容が全部記憶できたと言います。そういう"異能"の持ち主ならば、初見の文章を一読しただけで、ディテールの記述まで鮮明に覚えられるかもしれません。しかし普通はそんな神がかった記憶力とは無縁でしょう。にもかかわらず読んだ記憶を頼りに選択肢を選ぶのだとしたら、それは自ら進んで点を捨てに行くようなものです。傍線部まで一度戻って、内容を確認したうえで選ぶ必要がありますが、時間制限の厳しさもあるため、いかに効率良く処理するかが合否を分けます。記述問題との比較で言えば、ある傍線部が選択肢問題になっているのは、記述問題として作問するにはあまりに込み入った内容が含まれるから。逆から言うなら、選択肢問題で正解を導けば導くほど、本文の深い読解が可能となり、記述回答の作成にも多かれ少なかれプラスに働くわけです。
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国語講師のひとり言「中学入試は"落とす"ためのテスト」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』漢検や英検だって落ちますが、基本的なスタイルとしては「どこまで力がついたかな?」と実力の定着を見るためのテストです。合格・不合格は、ようするにその実力を検証した結果、希望は「英検2級」だけれどあなたはまだ「3級」レベルですよ、と言われているだけ。もちろん小学校のテストも同様ですね。授業で勉強したこと、ちゃんと身についてるかな?というのがテスト実施のスタンスであり、そこに選抜(ふるい落とし)の要素はありません。では塾のテストはどうでしょうか?じつは塾のテストも、ふつうは英検・漢検や小学校のテストと同じです。日ごろの塾の勉強を通して、学習事項がどれだけ身についたかをはかるためのもの。ただし「組み分けテスト」は異なります。塾がもっとも力を注いでいるであろう一番上のクラスに入ろうと思っても、順位が定員の数に満たなければ、ふるい落とされる結果になるからです。そして、こと中学入試に関する限り、その目的は「落とす」こと以外の何物でもありません。ときどき「何事も経験だから、無理かもしれないけど挑戦させてみたいんです」とかおっしゃる親御さんがいますが、正直首肯いたしかねます。「落とす」のが目的のテストだからあんなに問題が難しいわけで、そこを潜り抜けたら良い経験になるとか、そういう牧歌的なものじゃないんです。入試にあるのは数字だけ。大事なのはあくまで点数であり、定員の数であって、1点でも足りなければハイさようならの冷酷無比な世界です。中学入試の実施目的は、殺到する
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国語講師のひとり言「『君たちはどう生きるか』が楽しみ」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』宮崎駿監督の作品を熱心に観たのは、『となりのトトロ』までです。一番好きなのは『天空の城ラピュタ』でしょうか。「君たちはどう生きるか」と言えば、まずは吉野源三郎の小説ですよね。小学6年生のとき、成績が伸び悩む私を見かねてか、「こんなの読んでごらん」と塾の社会の先生が水色の岩波文庫を貸してくれたのを覚えています。ふだんマンガしか読んでいなかった私は、字がたくさん詰まった文庫本をまるまる1冊読み通すなどとても無理だと感じて、結局読まずじまい。優等生のプライドから、「読んだふり」をして返しましたが、先生はおそらく「読んでねぇなこいつ」とお見通しだったのではないかと思います。2018年に突如、原作の漫画版が大ヒットしたのは記憶に新しいですね。そのときも結局読まず、今に至るも主人公が「コペル君」であることぐらいしか知りません。読まずじまいの罪滅ぼしと言ったらおかしいですが、地上波でアニメ映画『君たちはどう生きるか』が放送されると知り、食指が動いたわけです。『ラピュタ』や『ナウシカ』のような冒険活劇ではないようですし、観た人の感想を読むと「難解」と評価する人さえいます。時間軸がねじれて、豊かなイメージがランダムにちりばめられたような作品なのでしょうか?"こんな話"と要約しにくい物語なら、"なぜそうしたか"も含めて俯瞰で眺めると良いのかもしれません。そもそも物語は"要約"して"把握"するものではなく、描かれる時空に身をゆだねて架空の世界を"味わう"ものでしょう
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国語講師のひとり言「君はハロー効果を知っているか?」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』※今回のトップ絵は、ChatGPT4.0による生成イラストです。画像の著作権は私ひらめきに属します。※返却された国語の答案を見せてもらうと、読みづらい字で書かれているケースがしばしばあります。字が薄かったり、マス目に対して小さすぎたり、やたらひらがなばかりだったり、読点が1つも使われていなかったり…。時間制限が厳しいテストであるのは重々わかっていますが、やはり採点者に読みやすいよう、ていねいな字を心がけたいものですね。ところで"ハロー効果"をご存じでしょうか?英語の"halo effec"を訳した言葉で、もともとは社会心理学の用語です。"halo"は、日本語で「後光が差す」と言うときの「後光」にあたる言葉。ものすごくベタに言うなら、"目くらまし効果"とでもなるでしょうか。最近はルッキズムの指摘がようやく出てきて、次に挙げる事例はすでにあまり好ましいものではなくなりつつありますが、ファミレスでランチを運んできたウエイトレスの女の子がすごくかわいくて、それだけで今日はなんだか得した気分になった。こんなのはハロー効果が発動している典型例。料理を運んできた女性の容姿は、サービスの質とは本来まったく無関係ですが、にもかかわらず似たような経験は誰しも日常茶飯事でしょう。プラスの後光もあればマイナスの後光もありますが、ようするに対象が持つ何か1つの属性に引っ張られて、全体の評価までもが左右される現象です。一体私は何が言いたいのでしょうか?授業では「字の上手い
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国語講師のひとり言「読めない漢字の対処法」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』英語の文字はアルファベット。大文字と小文字を合わせても、わずか52文字に過ぎません。一方日本語はと言えば、ひらがなだけで46文字。カタカナを合わせたらアルファベットの倍近いうえ、漢字という膨大な数の文字が控えています。漢字は全部で何個覚えればいいんでしょうか?文化庁のホームページで調べたところ、世の中で実際に使われている漢字のじつに96%が常用漢字だそう。全部で2136字あり、その約半数の1006字を中学卒業までに使いこなせるようになる必要があります。英語のアルファベットに比べると、とてつもない数なのがおわかりでしょう。中学受験では国語の論説文などやたら高度なものを読まされますし、物語文でも戦時中の話などでは難しい漢字や熟語がけっこう出てきます。ふりがなが振ってあることが多いものの、意味がわからない熟語がいくつも出てくると不安になるもの。しかしたとえば大人だって、新聞紙面に使われている熟語の意味をすべて正確に把握しながら読んでいるわけではありません。「だいたいこういう意味だろう」と前後の文脈で考えて、おおよその意味を推測しながら読んでいて、それで実際まったく問題ないわけです。文章の中に読めない熟語や意味の取りにくい漢字があっても、文脈でカバーできればOK。人名や地名などはなおさら。どう読もうが読解に影響はありませんから、「こう読む」と自分で決めて対処すれば大丈夫です。ちなみに「覚える文字の数が少ない英語圏の小学生はいいな~」と思ったそこのキミ!
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国語講師のひとり言「ひらめきは大事!すぐメモを」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』テストでも宿題でも、国語の文章を読んでさぁ問題を解こうとなったとき、記述問題ではとくにいきなりパッと頭に浮かぶ言葉ってありませんか?設問の条件はいろいろうるさくて、「60字以内で」とか「文章中の言葉を使って」とかあるわけですが、そういうものを度外視した状態でのひらめきです。主人公が友だちに舌打ちしたときの気持ちだったり、修学旅行中に出会ったおばあさんが主人公たちと話すうちに思わず涙ぐんでしまった理由だったり…。聞かれること自体はそれこそ千差万別ですが、文章を読んで設問に取りかかった一番最初に、「もしかしてあのことでは?」とおぼろげながら気づく──。人間関係でも第一印象は大事と言いますが、国語の問題の場合も、最初に頭に思い浮かんだ断片が核心を突いているケースが意外なほど多いんですね。もちろん字数は全然足りないですし、そのままでは答えにはなりません。しかしたとえば60字なら60字の記述のうち、もっとも重要になる文末の部分が、その第一印象で得たひらめきとほぼ同内容だったりします。授業でいっしょに問題を解くときなど、「どう思う?」と尋ねたらビックリするほど核心を突いた正解のエッセンスを答えてくれたなんてことがざらです。「お!今のいいね!」とか言ってほめまくるのですが、生徒さんはさほど手柄と思わないのか、実際に答えを書かせると「あれれ…」となりがち。「さっき答えてくれた内容が良かったのになぁ。ちょっと抜けちゃったね」と励ますと、どうやらメモを取っておらず
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国語講師のひとり言「模試ではジャンルは明示されない」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』最終目的が入試の突破ですから、いつもテストを意識した勉強を心がけたいですよね。まずは制限時間。できれば宿題で解く文章題も、タイムリミットを設定して解くようにしたいところ。決めた時間内に終わらなくてもかまいませんが、「どこまでできて、どこからできなかったのか」を意識することは大切です。それからこれは算数の方が顕著ですが、授業や問題集で解くときは「これはつるかめ算の問題です」とジャンルがはっきり示されています。でもテストでは、計算問題と図形問題と文章題だというのが見てわかる程度。ニュートン算か、場合の数か、はたまた数列の問題か。その「何の問題か」ということをあくまで自分で判断して、必要な公式や身につけた解法を記憶の中からたぐり寄せる必要があります。国語では、文章題の中にまぎれて出題される文法問題や、物語文かと思いきや随筆文だったときなどがこれに当たります。いくら言葉で説明されてもなかなか実感しにくいことなので、ふだんから定期的に塾のテストや全国模試を受けて実感しておきましょう。実戦練習を積む機会が少ないまま入試に挑戦することほど、危険なことはないと思います。
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国語講師のひとり言「一般的な解き方を知りたがる人」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』時々受講生の親御さんの中に「次回は個別の問題の解説ではなく、物語文の解き方そのものをお願いします」といった要望を出される方がおられます。私の授業は、事前に解いてもらっておいた実際の問題を素材に、誤答を中心に解説を加えるものです。しかし親御さんが求めておられるのは、個別の問題の解説を超えた、すべての物語文に対応する根源的な解法のようなんですね。登場人物の心情をとらえる、場面の変化に気をつける、主人公が抱えるトラウマは必ずチェック、描かれた出来事による精神的な成長も押さえる…。説明しろと言われれば説明できないことはありませんが、それらはあくまで概要にすぎず、個別の問題を解くのに大きなプラスとはなりません。それに実際の問題を解くことで、物語文の一般的なありようには常に向き合えているわけです。もし"すべての物語文に対応する根源的な解法"のようなものが存在すると考えているのだとしたら、それはそれで難しい注文になります。仮に存在していたとしても、極めて抽象度の高い説明の体系となり、その解法を理解したり、問題に適用したりすること自体が小学生には困難でしょう。算数の○○算の公式が、テストで出された実際の問題の前では決して万能ではない(それのみでは到底正解にたどり着けない)のと同じことです。解くたび違う文章、何パターンあるのか見当もつかない設問のバリエーションを前に、それらを一気に解決できる手段を求めたくなる気持ちはわかります。しかし結論から申せば、そのような"
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国語講師のひとり言「余白に図を書こう」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』算数のテストでは、問題用紙の余白を使って図を書いたり計算したりは当たり前。と言うか問題を解くときに使えるよう、メモのページがあらかじめ用意されているケースだって多いことでしょう。いっぽう国語はどうでしょうか?記述問題の下書き用にメモ欄が設けられていることはありそうですが、そもそも子どもたちの方に、メモを取る意識が薄いかもしれません。しかし文章ではややこしく感じられる内容も、図示することでいっぺんにわかりやすくなることはよくあります。だとしたら国語の問題を解くときも、余白をうまく使って読解に役立てない手はないでしょう。物語文なら登場人物の人間関係をかんたんにメモするだけで、読み進めるのがずいぶんラクになります。論説文なら2つの事柄を対比させて論じられることが多いので、二項対立となるワードを余白に大きく"A⇔B"の形でメモしておくだけで効果てきめんです。そんなご立派な図でなくて全然OK。国語と言うと文章に線を引くことばかり取り沙汰されますが、かんたんな図を書くことも試してみる価値ありますよ!
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国語講師のひとり言「選択肢の1つは"正解"という驚き」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』テストで問題用紙が配られます。算数でも理科でも社会でも、問題用紙に答えが載っているということは普通ありません。問題作成者がミスをして、ある設問のヒントや正解に近い内容を、別の設問の問題文に含めてしまったということでもない限り。だがしかし!小学生の頃にすでに気づいていましたが、国語だけは問題用紙の中に答えがもろに出ているんですよね。せんじつめれば文章読解ですから、文章自体まるまる「答え」と言えないこともありません。しかしそれでは皆さん納得しづらく、モヤモヤした感じが残るでしょう。ならば選択肢問題はどうです?たとえばア~エの4択だとして、そのうち1つは必ず正解です。「適切でないものを選びなさい」という聞き方の場合なら、4つのうち3つは正解の内容!すごくないですか?正しい選択肢の文は、課題とされた物語文や論説文の解説と同じ。読めば当然読みが深まり、他の設問を解くのに役立ちます。ようするに国語の文章題は、大問ごとに正のスパイラルと負のスパイラルが存在することになるわけです。 文章よく読めた→選択肢問題〇で理解が深まる→記述も書きやすくなる 文章よく読めず→選択肢問題✕で理解が深まらず→記述も書きあぐねる上昇曲線にうまく乗るには、やはり最初の読み取りが最大のカギ。そこでつまずくと、制限時間にせかされながら、目も当てられない負のスパイラルに落ち込むこともしばしばです。ただ選択肢の文の活用法はほかにもあります。そのへんのくわしい内容および実践テクニックをお知
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国語講師のひとり言「国語で学ぶのは書き言葉の日本語」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』私が講座で担当している科目は「国語」です。決して「英語」ではありません。日本で教えていて「国語」ですから、これはすなわち「日本語」とイコールでしょう。ただひと口に「日本語」と言っても、これには大きく分けて2つあります。「話し言葉としての日本語」と「書き言葉としての日本語」ですね。そして私が教えているのは、「話し言葉としての日本語」ではありません。なぜなら、誰だって小学生にもなれば、すでに話す方の日本語は完ぺきだからです。目上の人に対する適切なしゃべり方、初対面の相手にもよくわかる理路整然とした話し方…こういうのまでマスターしているとはもちろん言いません。話す内容はまだまだ未熟かもしれませんが、文法、発音など言語の基本的な部分は早い段階で完成されています。ですから、話す方の日本語については、私ごときがあらためて付け足す部分などひとつもないことになります。教科としての「国語」が難しいのは、それが「書き言葉としての日本語」だからなんですね。ひらがな・カタカナはまだいいとして、そこに大量の漢字が加わりますから、文字を覚えるだけでひと苦労。文法だって、ふだんあまり意識しない「主語・述語」から始まり、「話し言葉としての日本語」とはずいぶん勝手が違います。おまけに読まされる文章は、言語芸術である小説や詩のたぐい。詩は本来朗読して味わうべきものでしょうが、中学受験で出される詩は、初めから書き言葉として書かれ、そう読まれることを想定した現代詩ですからね。論説文で
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国語講師のひとり言「語呂合わせでもなんでも覚える!」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』覚えにくい漢字、覚えにくい同訓異字語、覚えにくい同音異義語…いろいろありますよね。そういうときは語呂合わせでもダジャレでも、自分の記憶に残りやすいように工夫しましょう。市販の書籍やネットなどで覚え方を探すのではなく、自分で考えて編み出すのがコツです。私は子どもの頃、「雑」という字がなかなか覚えられず、 九 + 木 + ふるとり(部首名)というふうに分解して、「クキフルトリ、クキフルトリ…」とくり返して覚えました。人それぞれ覚えにくい内容は違いますから、こんなのネットで探したって出て来やしません。今ならAIに相談して考えもらうのもありですが、いずれにせよ自分だけのオリジナルな覚え方を見つけて頭に入れちゃいましょう。覚えてしまえばこっちのもの。どんな覚え方をしたかなんて、誰にもわからないわけですから。同訓異字の「おさめる」も覚えづらくて、とくに「修める」は、 学問を修めるという例文での出題が多いことから、「修学旅行」で覚えました。そして一番大事なことは、このやり方を頻繁に使わないことです。本当に覚えにくい場合だけ、ここぞと言うときに使いましょう。まれに採用するからインパクトにつながり、記憶に残るということを忘れてはいけません。「ダジャレで覚える四字熟語」的な書籍がイマイチ使えないのは、全部ダジャレのため、「たまにやるから記憶に残る」の条件が無効化するからです。
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国語講師のひとり言「違和感も大事にしよう」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』小学生の頃国語の勉強で、「どうもこの表現よくわからないなぁ」と感じることがしばしばありました。今でも覚えているのは、ことわざの「急がば回れ」。「イソガバ? イソゲバじゃなくて?」ずっと変だと思いながら、誰に確認するでもなくそのままにしていたのは、いかにも子どもだよなぁと今では思います。ただ、古文の四段動詞「急ぐ」の未然形+「ば」で、「もし急ぐなら」という順接仮定の意味になるんだよ。なんて説明をされたとしても、小学生にはチンプンカンプンだったでしょう。それから対義語の「分析⇔総合」もよくわからなかった記憶があります。今なら、科学と宗教、西洋と東洋などを対比させながら論じる文章の理解に、この対義語が役立つとしみじみわかるのですが…。なんでもかんでもその場で全部わからずとも、違和感として頭の片隅にとどめておくことで、いつか「あっ!」と気づく瞬間がやってくる気がします。この「あっ!」までの長い時間、もしかしたら脳の中では、疑問の氷解に向けた無意識の作業が行われているのかもしれません。
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国語講師のひとり言「たまには選択肢にツッコミを!」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』国語の問題を解いていて、感動的な物語文の展開に涙したりはよくあります。テスト中など鑑賞している余裕はありませんが、心動かされると印象に残り、どこに何が書いてあるかの記憶となるので、設問を解くときにプラスです。ただ四字熟語に「喜怒哀楽」もあることですし、人間泣いてばかりが能じゃないでしょう。問題を解いていると、時々選択肢の文に「いくらなんでもこれはひどいだろw」とツッコミたくなる内容のがあったりします。物語文の選択肢で、過去のトラウマを抱える主人公に対し、あまりに希望の見えない身もふたもない展望を述べたものなど(笑)。自分で問題を作ってみるとわかるんですが、誤答を作るのは意外と難しいんですよね。4択のうち1つはすぐに候補から外せることが多いのは、誤答作りに疲れた問題作成者が、力尽きて1つは手抜き(失礼!)でひねり出した結果かも?とは言え、思わずプッと吹きだす笑える選択肢は、シリアスな受験勉強における一服の清涼剤。GoogleのGeminiに聞いてみたところ、ユーモアのセンスとIQとは関わりがあるそうです。僭越ながらこの私も、最初の愛読書はギャグ漫画の「すすめ!!パイレーツ」でしたし、小中学校時代の絶対的ヒーローは欽ちゃん。大学生の頃どハマりしたのは「鶴瓶・上岡パペポTV」ですし、イッセー尾形さんの一人芝居や桂枝雀さんの落語にもしびれてきました。対象を笑い飛ばすには、自分を含めた現実を俯瞰で眺める客観性が求められますから、笑いと知性の話はあながち戯
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国語講師のひとり言「印刷された文の1行は字数が多い」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』ぬき出し問題、最近の子はけっこう苦手ですね。文中の言葉を使って60字とか書かされる記述問題に比べれば、文章中にまんま答えが出てるわけですから、解きやすいかなと思うのですが…。いろいろ原因はあるでしょうが、指導していて感じるのは1行に含まれる字数のイメージのずれですね。「今解いてる問題の文章、1行何文字入ってると思う?」時々私はそんなふうに問いかけます。その際必ず、「数えなくていいからね。勘で答えてみて」と付け加えるのを忘れません。そうやって答えてくれた文字数は、たいてい実際のものより3割少ない印象です。たとえば四谷大塚の合不合判定テストは2段組みで印刷されていますが、1行に29字入っています。たとえば「35字でぬき出しなさい」と言われたら、2行だと大幅オーバー、1行ちょっとの部分が該当箇所となるわけですね。おおまかにでも字数のイメージがつかめていないと、「ここかな?」と見当をつけた際に、 ──あ~、この部分じゃ全然(字数が)足りないよと勘違いしがちです。文字を数えるのをめんどくさがる子が多いですから、数えもせずに「短い」と思い込んで、せっかく見つけた正解の場所からそそくさと離脱。一度離れてしまえば、テスト時間中に戻ってくるのはほぼ不可能です。  印刷された文章は、1行の字数が思ったより多いたったこれだけのことを意識するだけで、ぬき出し問題の正解率は改善されるはずです。  字数を制する者が入試を制す私が今即席で作った格言ですが、あながちガセとも言
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国語講師のひとり言「国語の勉強が最良の読書」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』受験用の国語の問題を教えていると、使われている文章が良いものばかりなのに気づきます。内容的にはたしかに高度ですが、ギリ小学生にもわかるレベルで、しかも読みやすく正確な日本語で綴られています。たとえば物語文なら、主人公の抱えたトラウマがクローズアップされ、周囲の人々を巻き込んで、彼や彼女の心に変化が兆す印象的なシーンが多いですね。論説文では、たとえば苫野一徳氏の文章で「一般化」について明快な解説がコンパクトになされ、戸谷洋志氏の親ガチャ論も非常に示唆に富む内容でした。随筆文では、向田邦子氏の「字のないはがき」などは白眉。戦争というものの悪の一端にふれようと思ったら、どんな歴史書より心にズシリと刺さるはずです。少し上級者向けなら、竹西寛子氏の「猫車」。内容はもちろん文章の美しさにしびれます。小学生にそこまでの鑑賞は難しいとしても、一度触れたか触れていないかはその後に大きく影響するはず。受験するつもりはないけれど、読書習慣の定着のために受験塾で国語だけ受講する──もしそんな子がいたら、有望なニュータイプでしょう。学校の教科書ではまずお目にかかれませんし、図書館で小学生が手に取るような本でもないわけで、どれも受験勉強をすればこそ出会えた文章なんですね。ですから自覚はないかもしれませんが、中学受験の小学生はみんなハイレベルな読書家。興味を持って取り組めば、難関突破以上の人生の贈り物をもらえるはずです!
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国語講師のひとり言「字を数えるのが遅すぎる」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。 ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』「43字でぬき出しなさい」「本文全体をふまえて60字以内前後で書きなさい」などなど、国語の問題には字数の制限がつきまといます。生徒さんには常々「字数はヒントなんだよ」と伝えていますが、正直あまり反応が良くありません。「なんでだろう?」と長年疑問に思ってきましたが、最近ふと思い当たりました。それは制限字数とのすり合わせのために字を数える際のスピードです。はっきり言えば明らかに遅い、と言うより遅すぎるんですね。時間をかけているから正確かと言えば、1~2字数え間違えているケースもしばしばあります。しかも43字の部分を探していて、見当をつけた場所を数えたら42字だった場合、「あー、ここじゃなかった」とすぐ他の場所を探そうとする子も。──せめてあと1回は数えてみたら? "数え間違い"ってこともあるでしょ?指導していてモヤモヤするのは、たいていそんなときですね。私自身、中学受験の国語の思い出と言ってまず思い出すのは、問題文の字数をやたら数えていたこと。速く正確に数えられることは、じつはかなり重要です。速読や精読の話より先に、まずは字を正確に数える練習をしましょう。
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国語講師のひとり言「記述問題、まだめんどくさい」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。 ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』年間いったい何問の国語の問題を解いているのか、もはや自分でもまったくわかりません。これだけ解いてきているにもかかわらず、いまだに記述問題に向き合うと正直「めんどくさいなぁ」と感じます。中学受験の国語では、どんなに長くても120字。ふつうは40~60字、もう少し長くても90字止まりです。小学生には長いでしょうが、私は仕事柄なんだかんだで月に最低でも10万字は書いている身。「なのにどうして、たかが80字を長く感じるのだろう?」自分でも不思議でしたが、答えは簡単で、講師である私の場合は「正解しなければ」とのプレッシャーゆえですね。ということは受験生ならなおさらでしょう。ただ"模範解答にぴったり近づけよう"だなんて意識は百害あって一利なし。ぬき出しや選択肢問題と違い、部分点がもらえるのが記述問題のいいところです。完ぺきな答えを求めて解きにくさを感じるよりは、「半分もらえりゃ御の字!」ぐらいに大胆にかまえてぶつかりたいですね。模試の模範解答も、問題集のそれも、国語を専門とする大人がさんざん考えて、推敲に推敲を重ねて練り上げた内容。わずか50分程度の試験時間で、小学生にそんな見事な解答、書けるはずがないんです。ところで記述問題には、じつはいろいろな"縛り"がありま
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国語講師のひとり言「慣用句アプリで各種AIたらい回し」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。 ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』以前に書いたブログ「慣用句はどうやって覚える?」の中で、慣用句を覚えるためのゲームアプリについて次のように書いていました。 そういう視点で探すと、使ってみたいと思えるアプリがなかなかないのが現状です。 (中略) AIとタッグを組んで自分で作るしかないのかなぁ。で、実際にやってみたところ、最新のAIは言葉で伝えるだけでコードもすらすら書けるんですね。ああだこうだと注文して作ってもらったら、ブラウザ版はすぐできました。問題は私が作成。全50問ですが、長年中学入試の過去問指導をしてきてますから、どれが出やすくどれが出にくいかは全部頭に入っています。正解だとピンポ~ン、間違うとブーとそれぞれ短く音が鳴り、10問終えると、「続行するか、終了するか」を確認してくれるシステムです。やっていて気になったのは、最初のうちは毎回コードの全体を書いてくれていたのに、途中から「○○の部分を△△の内容に置きかえてください」のように、一部作業をこちらにゆだねるようになったこと。こちとらAIはド素人ですから、対話していると妙に人間臭さを感じてしまい、「あれっ…ひょっとして面倒くさいのかな?」なんて忖度しそうに(笑)。しかしもちろん事情はまるで異なり、私が作業していたver.のAIに
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国語講師のひとり言「マンガは受験に役立つか?」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。 ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』最近の子はマンガもあまり読まないのでしょうか?私も最近のマンガはまったく読まないので別にかまわないのですが、小学生の頃マンガばかり読んでいた身からするとちょっとさびしい気はします。ゲームをやっているという話もあまり聞かず、テレビも見てない子が多いですね。説明文に人気お笑いコンビの「千鳥」の名前が出てきても、誰なのかさっぱりわかりらなかったことがありました。もしかしたら、今の子はYouTubeに夢中なのかもしれませんね!私の場合はマンガでしたが、なんであれ夢中になれるコンテンツがあるのは悪いことではありません。受験の国語の役立つかどうかなんて、本当はどうでもいいことですからね。でもまぁ、運良く役に立てば、こんなラッキーなことはないでしょう。学校の図書館に名作マンガが置いてあって、当時は文字だらけの本なんてまるで読む気がないですから、それらのマンガをむさぼるように読んでいました。『はだしのゲン』からは戦争の悲惨さを学んだかもしれません。手足をすべて失い、包帯でぐるぐる巻きにされた男性の描写は、今も目に焼きついています。それから手塚治虫の『ブラックジャック』。手塚治虫は阪大医学部卒の筋金入りの理系ですから、作品に徹底した合理主義が貫かれているのが素晴らしい。
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国語講師のひとり言「やっぱり辞書を引こう」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。 ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』お子さんは辞書をよく引いておられるでしょうか?私の生徒さんに聞くと、意外と電子辞書ではなく、紙の辞書を使っておられるケースが多いですね。私が小学生時代に一番使っていたのは、これも意外に思うでしょうが漢和辞典でした。塾の宿題で読めない漢字があった場合、そもそも読みがわからないので国語辞典では引けません。部首か総画数かで読めない字についてまず調べ、その字を含む熟語の意味までたどり着くというのを、土曜や日曜の休日によくやっていた記憶があります。読めない字があれば身近な誰かに聞けばよいと思うのですが、私は人にものを尋ねるのが嫌いな子どもで、自分でコツコツ調べていたんですね。インターネットが普及したとき、「おー、これで心おきなく"世間"に質問ができる」と感激したものです。ちなみに疑り深い性格でもあるため、得られた答えをすぐ真に受けることももちろんありませんが(笑)。さて話を辞書に戻しますが、やっぱり辞書は引いた方が良いと思います。そしてできれば小学5年生までのあいだにたくさん引いておきたいですね。語い力の増強は、本当はそうした地道な積み重ねによってしか成功しない気がしています。もっと言えば、学校や教室での"お勉強"で身につけるものでなく、日常生活という"現実"の
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国語講師のひとり言「ややこしいことを説明しよう」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。 ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』国語の力を上げるのに、何が一番大切でしょうか?…と書き出して、「この問題提起はオカシイ」と我ながら考えさせられた次第。なぜなら「大切」なことは1つではなく、複数あるからです。それはさておき、もう一度冒頭の問いに戻りますが、国語の力を上げるには読書も役立てば音読も役立ち、問題演習も漢字練習も知識の暗記も大切です。しかし多くのみなさんが、意外と見落としていることがあると常々考えています。それは、ふだんあれこれ考えて、その結果を言葉で伝える作業です。小学生と言えど、生活していて心にわだかまりを感じることはよくあります。舞台はおもに学校です。クラスメートあるいは先生との関係で不満や反発、物足りなさやすれ違いを感じることなど日常茶飯事でしょう。たとえば先生に注意されたとき。その場はおとなしくお説教に耳を傾けたものの、自分にだって言いぶんはある。たしかに僕も悪いけど、でも…みたいなやつですね。「今日学校で先生に叱られちゃった。でも先生の言ってること、7割は正しくて僕も反省したけど、あとの3割は違うんだ。どういうことかと言うとね…」心のわだかまりを解きほぐすには、だれかに話を聞いてもらうのが一番。しかも「本当はこうなんだ」とわかってもらうには、現場の状況を知らない聞
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国語講師のひとり言「選択肢問題でイが4つ続いたら…」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。 ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』みなさん、どうしますか?いや、コラムのタイトルの質問の話です(笑)。物語文の問1の選択肢問題の答えがイ、続く問2の慣用句問題もイ、ぬき出しの問3を挟んで問4の主人公の気持ちを選ばせる問題がまたイ、記述の問5の次の「適切でない」選択肢を選ぶ問題もイ…。──うーん、これはさすがにオカシイ。そう思うでしょうか?テストの終了間際に解答用紙を見返して、そこで初めてイの連続に気づいたとしましょう。残りあと1分。解き直しをして確認する時間はもうないとしたら…。──えーい、どれか1つアにしちゃえ!もしそう判断したとしたなら、残念ですがあなたは受験向きではないと言わざるを得ません。なぜでしょうか?イが4つ並んだのは、あくまでも合理的な判断の結果。1つずつ真剣に問題に向き合い、1つずつ答えを出した結果なのです。しかし「イが4つ並ぶのはオカシイ」とする受け止めにこれといった根拠はありません。変だという印象にすぎないものを、合理的な判断に優先させるのですか?中学入試の問題はすべて、合理性に裏打ちされた内容です。まやかしや迷信、当て推量に思い込み、運や偶然、まぐれ当たりなどとはそもそも無縁の世界になります。イが4つ並ぼうが、ウが3つ並ぼうが、自分が下した判断を重んじる姿勢を固守
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国語講師のひとり言「読書は遊びか勉強か?」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。 ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』国語力アップに読書は役立つと思いますが、6年生になってしまったらもうその時間は取れないでしょう。ところでそもそも読書は勉強なのでしょうか、遊びなのでしょうか?小学生の頃、字だけの本はまるで読まず、マンガばかり読んでいた私。好きな漫画家は圧倒的に『ストップ!!ひばりくん!』の江口寿史氏で、アラレちゃんやキン肉マンにはハマりませんでしたね。そんなでしたから、字がいっぱいの本を読むのはてっきり勉強だと思っていたんです。ところが中学で、休み時間に小説を読んでいる生徒にたまたま通りがかった先生が、「おいテストも近いぞ、遊んでる場合か」と、やんわりたしなめるのを見て、一瞬で考えを改めました。──そうか、読書って遊びなんだ!子ども心にカルチャーショックを覚えましたね(笑)。そういう意味で言っても、国語力アップのための読書は、やはり5年生までがリミット。それからどうせ読むなら、驚きや発見のある本がいいですね。自分の価値観や生き方をそのままなぞるだけの本は、読んでいて気持ち良く感じるわりに得るところが少ないです。
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中学受験おすすめ本「はずれ者が進化をつくる」

『読書講座で生徒さんといっしょに読んだ本のうち、とくに感銘を受けたものを紹介します。』※読後感を書いたため多少ネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。※稲垣栄洋さんの著作と言えば、中受の国語では非常によくお目にかかるものの1つ。中でもこの『はずれ者が進化をつくる』(ちくまプリマー新書)は、高度な内容をわかりやすく説明していておすすめです。たとえば「三時間目 『区別』とは何か?」には、こんな記述があります。 東京や大阪も富士山とつながった大地にあります。富士山の一部かもしれません。それどころか、富士山の地面は、海の底へとつながっています。地形だけ見れば、富士山は北海道や沖縄とつながっているとも言えるし、太平洋を越えてアメリカ大陸ともつながっているとも言えるのです。                                     引用:稲垣栄洋『はずれ者が進化をつくる』(ちくまプリマー新書)ことばで「富士山」と言われると、そういうものが他から独立してはっきり存在しているかに思えます。しかし実際には、あるエリアに見られる大地の盛り上がりをそう名付けたにすぎません。以前、小論文の講演のため地方の高校に出かけた際、在来線の車窓から見える巨大な山の眺めに生理的な怖さを感じたことがあります。山と言われれば山以外の何物でもないわけですが、一度名前を取っ払って考えれば、そこにあるのはとてつもない物量で迫る大地の隆起です。地理に不案内で山の名がわからなかったのもあり、"名付け=区別"以前の、あるがままのヤマの姿が一瞬かいま見えたものかもしれません。さて本に戻れば、「ナンバーワンかオン
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国語講師のひとり言「読解と鑑賞のあいだ」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。 ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』先日、国語の文章問題が浅田次郎氏の『霞町物語』から出題されていたのですが、読んでいて不覚にも泣いてしまいました。難関校対策の授業でかなり長文の抜粋だったため、しばし読みふけってジーンときちゃったんですね。ただし受験生は、テスト中に物語文を味わって読んでいるヒマはありません。スピーディーに読み終えて、待ち受けるけっこうな数の設問を、1つ1つたんねんに処理していかなければならないからです。現実問題としてたしかにそうではあるのですが、読み進めていて心が動かされることは、物語文などでは当然ありえます。設問では、文章中のいろいろな場所について細かく問われますから、最初に通して読んだときにできるだけ内容が頭に入っていた方が良いわけです。感動は強い印象ですので、当然記憶にも残り、それは設問に向かうときにも大いに助けになるでしょう。また逆から言えば、心が動かされたということは、物語の筋や登場人物の関係、主人公の内面の葛藤などがつかめている証拠とも言えます。感情を排し、読解に徹すると言えば聞こえはいいですが、実際はさして展開を追いきれておらず、それが原因で無感動のままなのかも…。
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国語講師のひとり言「説明文はつまらない」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。 ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』「物語文と説明文とあるけど、どっちが好きかな?」最初の授業で生徒さんによくそんな質問をします。もちろんお子さんによって答えはさまざま。ただ「好き!」と積極的な返事があるのは、どちらかと言えば物語文が多いですね。しかし最近気づいたんですが、この質問、ちょっと正確さに欠けます。「物語文と論説文、どっちが好き?」と聞く方が実際的でしょう。4年生など論説文がまだ難しすぎる場合に、かわりに解かされるのが説明文。論説文が筆者の"論"に重きを置くのとは対照的に、説明文は読んで字のごとく"説明"が主たる目的です。主観を排した正確な情報ということで言えば、ほんらい最も信頼の置けるタイプの文章なのですが…。淡々とした説明が続くため、はっきり言って「読んで面白い」ものじゃないんですよ。「説明文って筆者の色メガネを通さない客観的な記述がいいですよね」そんな境地に達している小学生がいたら、(国語については)どんな難関中学でも受かるでしょうね(笑)。このコラム、いったい何が言いたいのかがわかりにくいでしょうか?塾通いを始めて早々の頃に、無味乾燥な印象が強い説明文を解かされて、国語嫌いにならないでほしいということですね。それに説明文には、説明文に応じた読み方・解き方がちゃんとありま
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国語講師のひとり言「授業中にメモを取っていますか?」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。 ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』オンライン指導をしていて時々気になるのが、いっこうにメモを取ろうとする気配のない生徒さん。こちらとしては門外不出の㊙テクニックを伝授しているつもりなのですが、うんうんと納得はしながらも、かんじんの手が動かないんですね。ところで文章読解では、しきりに要旨の把握ということが言われます。要旨をきっちり把握する読み方ができれば、設問を解く際に大きな助けとなるのは明らかですから。であれば、授業中に先生の話を聞く場合にも、まったく同じことが言えるのではないでしょうか?先生の話の中から、一番重要なメッセージを聴き分ける力です。もちろん私の場合なら、「あ、ここ大事だからメモを取ろうね」と明示的に声がけができます。そもそも生徒さんの弱点を把握したうえで授業をしているわけで、それはオンラインで個別で指導する者の最大の強みでしょう。しかし集団塾ではこれはなかなか難しいですよね。一般的に重要な話であれば板書で示すことで対応できますが、生徒さん1人1人がかかえる弱点を細かくフォローすることは物理的にも不可能。塾で学ぶ以上は、物語文を要約し、説明文の要旨を見抜くあの要領で、国語の先生が授業で話す内容のうち、どれが自分にとってとくに重要か?をつねに意識しながら臨む必要があるゆえんで
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国語講師のひとり言「国語は答えを見たらおしまい」

『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。 ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』とくに記述問題に言えることですが、国語の場合、問題を解きあぐねてつい答えを見てしまうと、そこですべてが終わってしまいます。算数の場合は違いますよね。たとえば答えが「36㎤」だったとして、それを知ったところで「なぜ36㎤になるのか」の一番かんじんな疑問が残るからです。答えに至るプロセスを再現できなければ、その問題を克服したとはまったく言えず、よって算数の場合は仮に答えを見ても学びは阻害されません。いっぽう国語の場合はどうでしょうか?「傍線部の場面での主人公の気持ちを文章中の言葉を使って60字以内で書きなさい」そんな問いを前にして、しばしあれこれ思案。しかし書き出しては消しをくり返し、どうもうまく書けないからと、「ちょっと答えを参考に…」軽い気持ちでテキスト巻末の模範解答を見てしまったが最後、二度と自分なりの回答を完成させようという気は起きなくなるはずです。よほどの難問ならいざ知らず、たいていの国語の設問は、答えを読めば「あ~、なるほどね」で済むような話ばかり。問題文に書かれていることから出題する以上、読んだ内容から大きく飛躍する答えなどありえませんからね。つまりは「あ~、なるほど。そういうことね」で終わり。そのあとは、「わかったから、もう書かなくていっか
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慣用句小説"手"「オレとマコトと絵師のおっさん」

マコトのやつと来たら、ホント手に負えない。あれだけダメだと念を押したのに、またしてもシノノメさんの手を借りて展覧会用の水彩画を描いたのだ。これがもしシノノメさんも納得のうえで、2人が手を組んでいると言うのなら話はまだわかる。オレだっていっそその方が2人と手を切りやすい。でもシノノメさんはあんな人だ。まるで手のかかるおっきな子どものようなんだ。どうせシノノメさんの手があいたタイミングをねらって、マコトが無理やり共同作業を持ちかけたに違いない。あいつと来たら、自分の望みをかなえるために、いつだってシノノメさんのライフワークの油絵が一時中断するのを、手ぐすね引いて待ってるんだ。だけどさ、シノノメさんもシノノメさんだよ。マコトの強引な誘いに手もなく引っかかるなんて。マコトにしてみれば、シノノメさんの手が入った水彩画なら、展覧会入賞もありえると打算的に動いただけなのに…。頼まれたら断れない気の弱い性格なんだと言えば、それはよくある話で片が付く。でもはるかに年下の子どもに話を持ちかけられて、唯々諾々とその手に落ちる47歳のおっさんは、やっぱりどこかフツーではない。経歴サショーとか言うけれど、マコトの名で出品する水彩画にシノノメさんが手を貸すのは、そんな言葉があるか知らないが立派な絵師サショーだ。それはまた、純真無垢なシノノメさんが知らず知らず悪事に手を染めることでもある。もちろんシノノメさんにしてみれば、水彩画だってお手のもの。手玉に取られているとも知らず、いつものように手取り足取り指導して、マコトの描いた藤棚の絵に真剣に手を加えたのに違いないのだ。ゲージュツカ肌だなんてマコトはうそぶくけ
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