『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。
ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』
受験勉強をしているとき、「やればできる」というフレーズは禁句にしてください。
なぜでしょうか?
理由はかんたん。受験に関して、まったく意味をなさない言葉だからです。
志望先の中学校が見ようとしているのは、受験生が「やればできる」子かどうかではありません。
端的に言えば、「できる」子かどうかにしか興味はないわけです。入試問題の難しさを知っている人なら、この点はすぐに納得してもらえるでしょう。
そして「できる」とはすなわち、「必要とされる課題を『やり遂げられる』能力」以外の何物でもありません。
「やれば」というまさにその条件を、条件のままにとどめおかず、勇気をもってすみやかに実行できるか否か。
合格のためにはアレとコレとソレをやらなきゃいけないとわかったときに、アレとコレとソレに真正面から向き合い、必死でこなせる生徒なのかどうかが、入試で一番問われていることなんですね。
要するに「やる」ことができるかどうかが試されているのであって、もし現状「やる」ことができているならば、その生徒さんはすでにある種の力を証明しつつあるわけです。
一方、「やればできる」の方はどうでしょうか。
たんに「今はまだやれていない」状況や、「今後もおそらくやるつもりがない」展望を、言い訳がましく表明したむなしい言葉にすぎません。
必要な課題を速やかに「やれる」力こそ、その子が「できる」存在であると証明する最大のものです。
そこを「やれば…」と仮定形にすることでウヤムヤにしても、ただただ状況を見誤らせるばかりで、弊害以外のどんな効果もありません。