国語の学習はなにをすればいいの?

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国語は出たところ勝負だから、勉強しなくてもOK!!

一回三万円の「試験ガチャ」思考


みなさん、こんにちは。
年の暮れも近くなり、すっかり追い込みモードになってきた今日この頃。いかがお過ごしでしょうか。

さすがに上のようなのんきなことは言ってられないなと思いつつ、でも実際は何も対策をしないままここまできてしまった……。そんな方も多いのではないでしょうか。

もちろん、「自分は国語、現代文の学習にしっかり戦略を持って取り組んできたぞ!」と自信がおありの方もいらっしゃるでしょう。ただ、多くの方は「入試問題は解いたし、一つ一つの問題に対して反省点を見つけたものの、どうも一皮剥けないな……」という所感をお持ちなのではないでしょうか。

何を隠そう、筆者が受験生の時も同じような状況でした。

学生時代の筆者は現代文の受験勉強らしい勉強はしたことがありませんでした。
古文や漢文は、文法事項や句形を覚えたり、古典常識や漢文脈の世界観を知ってみたり、塾や学校、参考書でも学習方法がよく整備されていますよね。
しかし、現代文は例えば『〇〇の最強の国語』など有名予備校講師の著作はあるものの、全ての文章を読むにあたって例外なく使えるワザや知識が載っていることはありません。傍線の付近に答えがあるなどと言われたりもしますが、まず「傍線の付近って具体的にどこ??」という疑問も抱きますし、段落内を探すくらいな経験則を得たとしても、「随分と離れたところに答えがあったな」と腑に落ちない気持ちが続きます。

そういう、正しいような正しくないような「解法」に触れることで、得点率が上がらなかったわけではありませんが、どうしても数学や物理のように100%当てはまる法則が見つからないことにフラストレーションを抱いた結果、「まあ、なんとなく得点できているから、これでいいかな……」と勉強を掘り下げないまま試験に突入してしまったのです。

そうすると、どのような結果が待っているか……
そうです。運要素の強い科目になるのです。なんとなく解けた問題では合格点に達しますが、よくわからない問題は他教科の足を引っ張るような点数になってしまうのです。それは一回三万円の「試験ガチャ」といったところでしょうか。

国語は解く気持ちが勝ってはいけない


では、どんなことに気が付くことで得点が安定するようになったか。
恥ずかしながら、これに気が付いたのは、筆者が教員採用試験の勉強をし始めてからです。

教員採用試験の試験科目は大まかに述べてしまえば、教員としての一般教養と専門科目、すなわち国語です。
大学受験や中学受験のように何科目も勉強する必要はありません。

教員採用試験には、架空の生徒の答案を添削するような出題もありますが、これまでの試験同様、文章読解問題も出題されます。
よし、気合を入れて学習するぞ、と思ったところで、妙な感覚に陥りました。

どうも難しい問題が少ないのです。学力自慢をしているようで恐縮ですが、本当にそんなに難しくないのです。
文章の内容はよくわかるし、問われていることもよくわかる。
なんだか紛らわしい記号問題もあるけれど、冷静に考えれば誤答も見抜ける。
記述問題もさすがに満点とはいかないまでも、八割は確実に届いているだろうという状況。

これはおかしなことです。なぜなら、教員採用試験のは大人向けの試験ですから当然難易度は高いはずです。しかも、筆者は大学に入学して以来、読解の勉強など全くしてこなかったのですから、勉強せずとも底力が上がってしまったことになります。

なぜでしょうか。しばらく考えて、思い当たる節がありました。そう。何より文章それ自体を読む力が、学問を始める大学入学前と卒業論文の作成を通じて様々な文章に触れてきた後では段違いに上がっているのです。
とすると、高校生まで行ってきた国語の考え方が大きく間違っていたことに気が付きました。

これまで筆者は読解問題に挑む際、問題を解こうということばかりに注意が向いていました。本文は問題のための付録であり、問題に答えることこそが得点につながるのであると、そう考えていました。
しかし、現実に得点を大きく上げるために必要な能力は、文章そのものを「読む力」だったのです。

そう考えてみると、全ての問題に例外なく当てはまる解法など、詰まるところあるはずがないのです。もちろん出題のパターンはあります。しかし、全てに当てはまるような法則を考えること自体、本文よりも問題に注意が向いてしまう誤った意識づけなのです。
ここまで記事を読んできて、そんなのあんまりな結論だと思うかもしれませんが、よく考えてみてください。

文章読解問題は、受験生にどんな能力が備わっていることを試験しようとしているのでしょうか。
数理的法則性を理解し、自然の事象に科学的問題解決を図る能力でしょうか。
それとも、社会的諸問題に対する広範な知識を有し、現代を牽引する力学関係を読み解く能力でしょうか。
あるいは、外国の言語と文化に親しみ、世界中の他者と対話をする能力でしょうか。
はたまた、人間の感性に鋭く反応し、身体的もしくは芸術的表現を可能にする基礎能力でしょうか。
もちろんどれも違いますよね。数学でも理科でも社会でも外国語でも、そしてもちろん体育や音楽・美術でもない能力です。

換言すれば、理系科目のように法則で解決できるわけでもなく、現代文を除く文系科目のように暗記をベースにした学習で乗り越えられるわけでもなく、外国語のように言語体系を理解すれば事足りるわけでもなく、実技のように感性に訴えるパフォーマンスを発揮すればよいわけででもないのです。

文章読解問題で問われている力は、文章を読み解く力です。極端に表現しましょう。「解く力」ではなく、「読む力」です。出題者は「この文章、読めたかい?楽しかったかい?じゃあ、今から簡単な確認をするから答えてね。」と問うているのです。

読解の解法のみを考えることは、こうした出題者の質問を無視して、AときたらBと答えれば何でも合格などと考えることと同義です。
面接試験であれば絶対にパスしませんよね。

動物に関する文章が出題されたら宇宙について返答する必要はありません。文章の内容をよく理解して、注意深く質問を聞き、わかりやすく答える。これ以外に道はないのです。

それでも解法はある?


では、巷によく言われる現代文の解法とは何なのでしょうか。
もちろん、「解法」という言葉が用いられている以上、それは複数の方から「解法」とされているのでしょうが、筆者はもう少し結論ありきの言葉とは違うかたちでとらえてみたいと思います。

現代文における設問は、「文章の読み方(時に書き方)」と「言葉の使い方」の能力を測定していることが多いです。

例えば、現代文で非常に多い、傍線の原因や理由を聞く問題を考えてみましょう。この場合、文章の流れ上、傍線の結論を導き出す手前に該当する内容が書かれる場合の方が多いでしょう。もちろん、結論を先に述べる文章の場合はもっと後に述べられますし、前の話題を受けて論を進めようとする場面に傍線があれば、意味段落をいくつか遡らなければいけないかもしれません。

問題の形式(記号選択か記述問題かあるいは空欄補充など)にもよりますが、共通してまず最初に考えるべきは、傍線の部分がどんな文脈の因果関係の上にあったかです。つまり、どこら辺に書いてあったかを思い返すことです。
換言すれば、この頭の働きは、本文の構成を整理し、論理関係を理解しようとするものだと言えます。だとすると、この設問の意味は、文章を理解して読み進めたかどうかが検査することです。

さらに問題の形式を考えてみましょう。
仮に理由の説明として適切なものを答える記号選択問題であったとしましょう。ここでは、論理関係が正しくつかめているかを確かめることもできますが、「Aは必ずBになる」や「Aは絶対にBにはならない」など、極端な表現で論理関係が不正確になっていたり、語彙の部分で論理破綻を招いていたりする誤答を作成できます。つまり言葉の使い方に正確さや敏感さがあるかどうかを検査できます。
また、記述問題でも解答から同様の検査ができますし、簡単な作文能力を試すこともできます。
あるいは理由の説明をした文に空欄を作り、空欄に当てはまる言葉を本文から抜き出させたり、選択肢から答えさせたりすることもあるでしょう。ここでもどの意味段落から答えを抜いてくるか、読み方を確かめたり、抽象度の釣り合った語を抜いてこれるか、言葉の使い方を確かめたりできます。

こうしてみると、やはり読解問題は文章を読めていることを前提に作成されているわけです。ですから、設問を読むと同時に、本文ではどんなことが書いてあったかを思い返しながら、どこら辺に書いてあったか、正確な(誤解を招かない)言葉で答えようという意識が、いわば解き方なのでしょう。

巷の「〇〇ときたら●●とせよ」系の解き方は、詰まるところ上のような考え方の結論のみを述べたものといえるのではないでしょうか。

どうやったら読解力がつくのか


ここまで読んでくださってお気づきのこととは思いますが、国語の学習は一朝一夕にはいきません。
日々のトレーニングが何よりもものをいうのです。

ではどんなトレーニングをすればよいのでしょう。
それは、正確かつ深く読むことです。

正確さとは、言うまでもないでしょうが、誤読をしないということです。
書かれている通りに、筆者作者の発言をご自分の頭にトレースできたらOKです。
辞書を引きながら、時にページを遡りながら、頭の中にイメージが湧くように読み進めます。

深さについては、また別の機会に記事を書きますが、簡単に述べれば、書かれている内容に関する知識を広く深く持つことです。
環境問題について述べた文章であれば、生態系や環境サミットや都市・民族・経済云々と周辺知識があればあるほど、これまでの議論の蓄積が功を奏して文章理解も早くなるでしょう。
小説であれば、表現技法に敏感であるということが深さにつながります。

そのためのトレーニングは、やはり精読と多読を繰り返すことです。なんでもたくさん読むというのは、学校教育段階の年齢にある方にとっては限度があることも承知しておりますが、これこそが王道であり最短距離であると筆者は考えます。

言い古されたことではありますが、「岩波ジュニア新書」や「ちくまプリマー新書」など非常に手に取りやすく、良質な本がみなさんの近くにはたくさんあります。
中学受験であれば、学校図書や光村書店の読本、大学受験であれば、筑摩書房の読本や現代文の教科書を一冊しっかりと読みこなしてみてください。
ドリルや過去問にいきなり取り組むよりも、よっぽど骨の太い学力が付きますよ。
ぜひ、お近くの書店や図書館で探してみてください。


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