子どもに意味を伝えるのが難しいことは無理してやらないほうがいい、じゃないと大人と子ども両方ダウンする話
前回の記事児童発達支援センター(以下センター)の相談で多かったのは、
「お子さん集まりに参加できない」です
その中でも毛並みが違って、大体一年に数回あるのは、キリスト系の「お祈り」等の集まりがあります
特に先生が、どうにかしてお子さんがその「お祈り」に参加できるかを相談にきますが、正直
「そこに躍起になる前にやることがあるのでは?」と思っています
お子さん自身がそのイベントの意味などを考えられるのは、ずっと先のことです
考えられるお子さんももちろんいますよ。でも、それが意欲があって参加してる子は
ほとんどいないと思ってます
このような宗教的なイベントもそうですが、
大体習慣になった「子ども主体」ではなく「大人主体」のイベントは
・「どういう意味があって、行っているか」という根拠が薄くなる
・参加できないお子さんを「なにかおかしい」と決めつける
傾向があります。おかしいのは周囲の大人です
大人は
「どうやったらこれを子ども達に分かってもらえるのか」
「どうやったら参加できるのか」
という意識にとらわれず
「どうすれば興味をもって楽しめるものになるか」
「無理に参加しなくてもいいのではないか」
という方向性にシフトするのがいいと考えます
でないと、ずれたところで無駄な努力をし、大人も子どもも疲弊してしまいます
どんな理由であれ、お子さんに合わない事を強制することに意義はないのです
今一度、イベント事を子ども達に合わせ、目的を再考する機会があってもいいのではないでしょうか以上になります
これからも少しづつ投稿していけたらと思っています
良ければ↓の♡ボタンで評価をお願いします(´
0