この歌詞(言葉)に込められた想い!忘れてはいけない!忘れない!

記事
コラム
皆様、
いつもありがとうございます。

今回は、
「沖縄慰霊の日」
についてです。

そして、
あの歌詞に
込められた想い!とは・・・

1.「沖縄慰霊の日」

沖縄慰霊の日は、
旧日本軍の組織的な戦闘が
終わったとされる
6月23日
に設けられた日です。

この日は、
昭和20年の沖縄戦において、
激しい地上戦の末に
20万人以上の住民が亡くなり、
沖縄県民の4人に1人が
命を落としたことを慰念し、
亡くなった人々を
追悼する日とされています。

この日には、
沖縄県内の各地で
追悼式典や慰霊祭が
行われます。

遺族や関係者、
一般市民が集まり、
犠牲者への哀悼の意を
示します。

また、
沖縄戦で亡くなった人々の
墓地や慰霊碑を訪れ、
献花や祈りを
捧げることも行われます。

沖縄慰霊の日は、
沖縄県の歴史と
戦争の犠牲を忘れず、
平和を願う日
として大切にされています。

戦争の悲惨さと
犠牲の重さを考えると同時に、
平和を守るために
努力する必要性を
再認識する機会ともなっています。

2.あの歌詞に込められた想いって・・・?!


この「沖縄慰霊の日」について、
テレビ等で見ながら
ふと感じるものがありました。

それは、
あるミュージシャンが
沖縄戦の不条理な死と平和への願いを込めた。
という記事が浮かびました。

皆さんもよくご存じの歌です。
その歌詞の内容を見てみると
「言葉」の力、パワー、
それに込められた想い
というものを感じました。

その歌とは、
「島唄」
です。

三線の音
歌詞の内容
深く、考えさせられます。



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
でいごの花が咲き
風を呼び嵐が来た

でいごが咲き乱れ
風を呼び嵐が来た
くり返す悲しみは
島渡る波のよう
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
≪島唄 歌詞より≫
「でいごの花」
春から夏にかけて咲く
真っ赤な花・デイゴのこと
沖縄の県花に指定されています。

「風を呼び嵐が来た」
どのような状況を
表現しているのでしょうか?
戦争が嵐のように
無抵抗の人たちを
巻き込んでいった
1945年のこと。
デイゴが咲き始めた頃に
米軍による
沖縄上陸作戦が開始され、
武器を持たない民間人が
次々と殺されていきました。
デイゴが咲き乱れる
初夏を迎えても、
殺戮は続いていきます。
本土の“捨て石”
とされた沖縄では、
襲いかかる悲しみが
波のように
繰り返し沖縄全体に
広がっていったのです。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
ウージの森で
あなたと出会い
ウージの下で
千代にさよなら
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
≪島唄 歌詞より≫
「ウージの森」
サトウキビ畑のこと
ある若者たちがそこで出会い、
愛を育んでいった様子が
垣間見えます。

「ウージの下」
サトウキビ畑の下にあったのは、
ガマ
と呼ばれる自然洞窟です。
ガマは防空壕としての
役割を持っていましたが、
集団自決の場ともなりました。
非常に長い年月を示す言葉
「千代」
を使い、
命を断つことで
永遠の別れとなってしまったことを
表現しています。
サトウキビ畑で出会った
幼なじみの男女が
ガマで互いを
殺し合ったという
エピソードが
基になっているようです。
沖縄ののどかな
日常の風景である
デイゴやサトウキビ畑と
無惨な戦争の様子の対比に、
一層胸が絞めつけられます。

※『島唄』は基本的にレとラを使わない琉球音階が用いられていますが、この部分のみ日本のヨナ抜き音階が用いられています。
その理由について宮沢和史は、沖縄県民を死に追いやったのが当時の日本軍であるため、亡くなった人たちの無念さを思うと「この部分は琉球音階で歌ってはいけない、(伴奏の)三線も弾けないと感じました」とコメントしています。

こうした
細やかな気遣いが
あったからこそ、
沖縄の人たちの
思いに寄り添い
愛される名曲
となったのでしょう。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
でいごの花も散り
さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは
うたかたの波の花
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
≪島唄 歌詞より≫

「でいごの花」
が散った9月、
降伏調印式をもって
沖縄に惨劇をもたらした
戦闘はようやく
終幕を迎えました。

「さざ波がゆれるだけ」
このフレーズから
激しい戦争の惨劇が
嘘のような
静かな風景が
見えてくるでしょう。
そして
生き残った人たちの
呆然とした気持ちも
表現されているように感じます。

「うたかた」
水面に浮かぶ泡のこと
かつての
穏やかな日常の中にあった
「ささやかな幸せ」
海の波間で
生まれては
弾ける泡のように
儚く失われてしまいました。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
ウージの森で
歌った友よ
ウージの下で
八千代の別れ
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
≪島唄 歌詞より≫

「ウージの森」
ここで
一緒に歌い遊んだ大切な友。
愛する人だけでなく、
友たちとも
ガマで永遠に
別れてしまうことになりました。
戦争が沖縄県民の心に、
深い傷を負わせたことが
分かります。
『君が代』の
「♪千代に八千代に♪」
の歌詞と
重ねていることも
伝わってきます。
沖縄の人たちは
玉音放送で流れた
『君が代』
をどんな思いで
聴いていたのでしょうか。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の涙
島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
≪島唄 歌詞より≫

ここまでの歌詞では
沖縄の風景と戦争の惨状を
描いていましたが、
サビの歌詞では
自身の感情が記されていて、
それぞれどこかに
「私の涙」
「私の愛」
を届けたいと願っているように
感じます。
届けたい場所は、
沖縄で信じられている
海の向こうにある
理想郷・ニライカナイ
です。
毎年、
ニライカナイから
神様が沖縄に来訪して
住民たちの生活に
様々な恩恵を
与えてくれる
とされています。
また、
人の命も
ニライカナイからやって来て、
亡くなると
そこへ帰っていくとも
信じられています。
そのためこの歌詞には、
亡くなった人たちを
悼み愛するこの想いが
ニライカナイにいる
彼らの元へ
届いてほしい!
という
心からの祈りの言葉
であることが
理解できると思います。
そして同時に、
本土の人たちへ
沖縄を襲った
大きな哀しみが
届くように!
という願いでもある
と思われます。

『島唄』
が全国的にヒットしたことで、
願いは叶ったと言えるでしょう。
それでも
歌詞に込められた
メッセージを知り
後世に語り継いでいくことで初めて、
本当の意味で
この願いを叶えることが
できるのかもしれないと
思います。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
海よ 宇宙よ
神よ いのちよ
このまま永遠に夕凪を
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
≪島唄 歌詞より≫

広大な海や宇宙に、
豊穣をもたらす神に、
そしてほかの何物にも
代えられない宝である命に
語りかけます。

「夕凪」
夕方に波風が静まること

「このまま永遠に夕凪を」
というフレーズは、
永遠にこの平和が続き
二度と同じ苦しみを
味わわないように、
という祈りだと・・・。
日本人として
決して忘れてはいけない思いが
込められています。

『島唄』
は忘れてはいけない
平和への祈り!

切なく美しいイメージのある
『島唄』
その背景にある
沖縄県民が強いられた
過酷な状況と深い悲哀に
思わず涙があふれてしまいます。

戦争の歴史を記憶に刻み、
平和を祈り続ける気持ちを
忘れないでいたい!
と感じるのではないでしょうか。

この歌詞の
本当の意味を踏まえて聴くと
『島唄』
が伝えるメッセージは
深いんだなと感じることと
思います。

言葉って改めて
凄い力を持っているんだな
と感じました。

最後まで、ご覧いただき
ありがとうございました。

よろしければ、こちらもご覧ください!
↓↓↓

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す