初めにお断りしておくと、大層なタイトルを付けていますが、大したことは書いていませんので、がっかりしないでくださいね。
では本文に入ります。
ブログ友達のマダム・ロセスの昨年12月31日の記事「年を取ると人生に意味がなくなっていくのか?」に以下のようなコメントを書かせていただきました。
「こんにちは、マダム
年を取ろうと取るまいと人生に意味なんてありません
それでもあると信じて生きればいいだけです
大した違いはありませんから」
このコメントに対するマダムの返事は以下の通りです。
「たぶんそれが正解なんだろうと思います。
私は信じたほうが楽なので 信じると思いますが」
私は相変わらずの偉そうなものいいで、何かわかったようなことを書いていますが、よく考えてみるとマダムが正しい。
「人生に意味」があると思う人にはあります。
本人がそう思っているのなら他人がどうこういうことではありません。
だいたい、私も「人生に意味なんかない」と書きましたが、誰かが存在しているのなら必ず「意味」はあります。
どんな形にしろ、存在自体が意味だからです。
ただ、これが社会的に有意義ということになると若干話は違ってくるかも知れません。
生きているうちに何かをなし遂げたい、他人の役に立ちたいと考える人も多いと思います。
結構なことです。
これも他人が口を出すことではありません。
ただ、私は段々と、人生が終わってしまえば、結局のところ、何をどうしても同じじゃないかと考えるようになってきました。
人生においてどれだけ成功しても、金を稼いでも、命が終われば、少なくともその人間にとってはすべて終わってしまいます。
人々の記憶に残るかも知れませんが、本人には関係がないですからね。
これは修行についても同じで、仏教なんかで死ぬほどの苦行をし、さらには悟りを開いたとしても、命が終わればそこですべて終わりです。
そして、これはブッダやキリストも例外ではありません。
こんなことを書くと怒る人が沢山いそうですし、信者の方たちを傷つけるでしょうが、結局、彼らの偉業もその人生とともに終わっています。
それを引き継ぐ人たちが多数いることは知っていますが、本人には関係がない。
ただ、それでは余りにも虚しいと考えるひとが多いために、現世で行ったことは来世にも引き継がれるという考え方ができたのでしょうね。
宗教の始まりです。
私は来世を信じている方を否定はしません。
議論もしません。
前にも書きましたが、私は死後の世界といったことについては考えません。
証拠がなく、考えても答えがわからないことは、考えないことにしているからです。
では