『学ぶ』とは

記事
コラム
今回は 『論語』 の3連発で書いてみたいと思います。
なぜ 『3つ』 なのかは、今回のテーマを 『学ぶ』 という共通のテーマにしたかったからです。

『学ぶ』の捉え方については、人それぞれ異なると思います。そこで、今回紹介する内容を、読んで頂き、『自分』なりの『学ぶ』を見つけていただければと思いますので、ゆっくりと言葉の『意』を理解しながら、読んでみて下さい。
今回の文章の流れは、まずは参考にしている本の解説をそのまま記述し、その後、私なりの解釈(主観)を書きます。したがって、私の解釈に『間違い』があるかもしれませんので、元々の解説を各自が自分なりの感じ方で『理解』して頂いた方が賢明かもしれません。
私の解釈は、あくまで『参考』程度にして頂くと良いかと思います。
では、さっそく参ります。

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≪学びがあってこそ、正しい事が判断できる≫
★『仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚』★
(じんをこのみみてがくをこのまざれば、そのへいやぐ)
【好仁不好學】

≪学ぶことと考えることをバランスよく≫
★『学んで思わざれば則ち罔し』★
(まなんでおもわざれば すなわちくらし)
【學而不思則罔】

≪人は教えてこそ成長する≫
★『教えありて類なし』★
(おしえありてるいなし)
【有教無類】
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≪学びがあってこそ、正しい事が判断できる≫
★『仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚』★
唐突ですが、優しさって何でしょう? 例えば、誤った考えを持っている人を手助けしてしまったら、それはただの『お人好し』です。
それは、優しさではありません。本当の優しさには、『正しい事を判断する力に導く』がよいからです。
では『正しい事を判断する力』を身に付けるにはどうすればよいのでしょう?
それは、学べばいいのです。学ぶことで、人としてどうあるべきかがわかるようになります。
知識、誠実さ、実直さ、勇気、強い意志
これらも同じように『正しい事を判断する力』を持つことで、その効果が発揮できるのです。

≪学ぶことと考えることをバランスよく≫
★『学んで思わざれば則ち罔し』★
歴史、科学、経済・・・・。多くのことを『学ぶ』と、それだけ世界が広がり、世の中のことが良くわかるようになります。
それはそれで素晴らしいことです。でも、それだけでは何かが足りない気がしませんか? 『学んだことをどう役立てよう。』『どう発展させよう』そんなふうに自分で必死に考えてみる。
学んだことを生かし、発展させられるように考えることが大切なのです。
逆に『学ぶ』こともなく『考えている』だけでは視野が狭くなってしまいます。ひとりよがりの考えから救ってくれるのが『学ぶ』ということなのです。
『学ぶ』と『考える』ことをバランスよく両立させていくことで、大きな一歩を踏み出すことができます。

≪人は教えてこそ成長する≫
★『教えありて類なし』★
世の中にはいろいろな人がいます。能力や性格もそれぞれ。得意なこともあれば苦手なこともあります。でも、それは生まれつきではありません。
生きていく中で、知らず知らずのうちに身につけたこともあれば、自分で『学んだ』こと、人から『教えられた』こともあります。そして、これからも続きます。
自分で学んだり、人に教えてもらったり、また、教えてあげたりすることで、みんなが一緒に良い方向へ成長できるのです。

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相田みつを氏の言葉にこんな詩があります。
☆『考えてばかりいると日が暮れるよ』
☆『毎日少しずつ それがなかなかできねんだなあ』

『考えてばかりいると日が暮れるよ』
やるか/やらないか、やめるか/続けるか、変えるか/変えないか、Aか/Bか・・・。二択(二者択一)で考えていることが、実は三択の場合があります。もう一つは、迷っていて何もしない、悩ましいだけの時間を過ごしてしまう。タイミングやチャンスを逃してしまうなどという『隠れた選択肢』です。
二択で迷っている間に、一番よくない“第三の選択”をしてしまうことがあります。この第三の選択肢の存在に気づいていれば、決断すべき時がわかることがあります。

『毎日少しずつ それがなかなかできねんだなあ』
大きいことは、そう簡単にはできません。毎日少しずつでも、長く続ければやがて大きな実績になるでしょう。継続するためのいい方法は、その事を愉しむことだと思います。
苦労の中にも、一つでも愉しみを見つけ、少しでも喜べるように工夫することで、努力をより続けていくことができるでしょう。幸せになるのも、日々の努力を続けながら、少しずつ幸せになっていければいいのではないでしょうか。
相田みつを 「にんげんだもの」(文化出版局)より

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『学ぶ』 と 『考える』 は、違います。
☆『学ぶ』とは、自らが積極的に求め、吸収しようとする行為。
☆『考える』とは、自らの内面で思いを巡らせる行為。

『学ぶ』
その行為を、皆さんは意識してやっていますか?産まれたばかりの赤ちゃんは、実直で何事に対しても『素直に学ぶ』事ができます。
なぜなら、『雑念』がないから・・・。年齢を重ねていくと、さまざまな情報を得て『素直に学ぶ』といった行為が出来なくなってしまいます。
他者からのアドバイスに対し『自分の意に反した内容』であったりすると、その内容を『素直』に受け入れる事ができず『反発』してしまい、正しく『学ぶ』ことが出来なくなってしまいます。

『考える』
人は誰しも考えます。そのことは決して悪い事ではありません。しかし、度を越してしまうと『悪循環』の原因となってしまいます。、世間から『ポジティブになりなさい』と言われてしまう人々は、特に陥りやすい事なのだと思います。

『考える』という行為は『考えることを考える』などといった訳のわからぬ状態となり、自らを停滞させてしまします。
『学ぶ』とは、なにも学校での『勉強』と言う事ではありません。日常生活のありとあらゆることの中に『学び』があるのです。
それを、私達は『見過ごし』たり、『気づかなった』たりします。
『童心に戻りましょう!』と言っている訳ではありませんが、毎朝、昇る太陽や普段何気なく利用している道や公園、交通機関など。実は、その中に『学び』があり、それらを感じることが出来たとき『喜び』となり『充実感』や『幸福感』が生まれるのではないでしょうか。
布団の中の温もりが恋しくて、起き上がれないのも、ある意味『学び』なのかもしれません。でも、布団から飛び起き外の世界に視野を向けることで、さらなる『学び』がある事を知るべきだと思います。
さぁ。
いま、布団の温もりに『幸福感』を抱いている、そこのあなた。
そう、あなたです。
布団から飛び出して、朝の清々しい空気を感じてみませんか? 普段、見慣れた風景、道路や公園などに行って『季節の変化』を体感してみませんか?

さて、これらも『学び』ですし『考える』ですからね。
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