子供がいない人の命のバトン
相田みつをさんの「自分の番 いのちのバトン」という詩をご存知でしょうか。実家のトイレにあるんですよ。この詩が書かれているカレンダーが。日めくりカレンダーなのに、いつも実家に帰るとこの詩の日にちで止まっているんですよね。全然めくられてないの。我が家は私も姉弟も誰も子供がいないので、親からの無言の圧力 and 嫌みだと解釈しておりますが。滅亡に向かっている我が家です。父と母で二人父と母の両親で四人そのまた両親で八人こうしてかぞえてゆくと 十代前で、千二十四人 二十代前では ? なんと、百万人を超すんですってやつ。もうこれ見るとね、あー私が末代か。百万人のご先祖さん申し訳!すまぬ!って思いますけど。100万分の1の人間ですよ。自分が。ある意味凄いですけど。自分の命、存在は、親、祖父母、そのまた前のご先祖様の生き方、やってきた事の結果として産まれています。自分はご先祖様の因果応報という存在。自分に置き換えて考えてみても、私の命式のウィークポイントは、親から聞いた祖父母がやらかしたアノ出来事からきてるな、とかまぁいろいろ思います。複雑な気持ちにもなりますよ。自分のせいじゃないのに。だから、自分さえ良ければいいっていう生き方はやめた方がいいって本当に思います。次の代が苦しみますから。命式は、先祖から引き継がれて出来ています。性格を表す場所だったり、生き方を表す場所などに、遺伝子が刻まれています。ですから、親子を鑑定すると、似ている所が一目瞭然なんですよね。私には、若くして亡くなった叔父さんがいます。独身だったので子供はいませんでした。でも、親戚の中で、叔父さんにそっくりな命を持った
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