【第3話】 「返せない夜に、心が先に答えていた」
画面の端で光っている通知を、彼女は何度も見ていた。差出人の名前は、一ノ瀬 蒼。たったそれだけで、呼吸の深さが変わる。胸の奥がきゅっと狭くなる感覚と、逆にどこかが静かに開く感覚が、同時に起きていた。嬉しい。でも、怖い。この二つが同じ強さで並ぶ夜は、返事を打つ指を止める。内容は短かった。「久しぶり。急にごめん。少しだけ、話せる?」それだけ。責める言葉もない。言い訳もない。感傷に寄せるような文もない。だからこそ、余白が多かった。その余白に、彼女は自分の記憶を何度も流し込んでしまう。あの日、ちゃんと話せなかったこと。最後に会った時の、蒼の表情。言葉より先に伝わってきた、諦めにも似た静けさ。ずっと仕事が忙しいと言っていたこと。こちらも余裕がなくて、優しくできなかった日が続いたこと。どちらが悪いとも言えないのに、終わった後はなぜか「自分が何かを間違えた」と思ってしまう。そういう別れ方だった。彼女はスマホを伏せて、マグカップに残っていた冷めた紅茶をひと口飲んだ。ぬるい。味がよく分からない。心がざわついている時は、舌も鈍くなる。窓の外では、ビルの灯りが規則的に並んでいる。遠くから見れば整って見える夜景も、近づけば、それぞれに別の事情を抱えた部屋の集まりなのだろう。明るい部屋。暗い部屋。人の気配がある部屋。帰る人を待っている部屋。彼女はそんなことを考えながら、自分の部屋の静けさに耳を澄ませた。返事をした方がいい。でも、今返すと、気持ちが先走る。無理に冷静なふりをしても、文章の端に滲む。昔の彼女なら、ここで二つの方向に揺れていた。ひとつは、すぐ返す。「久しぶり。どうしたの?」と、何でもないふりをし
0