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わたしの整えかた──「整える」という言葉がやさしく変わった日

「整えたい」「整わなきゃ」── そんなふうに思うことが、以前のわたしにはよくありました。 体調が整わないとき、気持ちがざわついているとき、 まるで「整えること」がゴールのように思っていたのかもしれません。 でも最近、わたしの中で「整える」という言葉の意味が、 少しずつ、静かに変わってきたように感じています。 「整わなきゃ」 そう思っていた頃のわたしは、 「整っている自分=ちゃんとしている自分」だと、どこかで信じていた気がします。 家の中が片づいていること、スケジュール通りに動けること、 体調も感情も安定していること── そうじゃないと、“わたしはダメなんだ”と思っていたんです。 でも、体調を崩したり、思いがけない変化が続いたとき、 がんばって整えようとするほど、からだも心も苦しくなってしまって。 そんなときに気づいたんです。 整えるって、もっと「やわらかくていい」って。 無理やり形を整えるんじゃなくて、自分の今に合うように、ちょっと寄り添ってあげること。 たとえば、朝に白湯を飲むこと、少しだけゆっくり歩くこと、 深呼吸して空を見上げること──それだって立派な“整える”なんだと知りました。 最近は「自律神経を整えるといい」とよく聞くようになりました。 わたし自身も、パーキンソン病と診断されてから、 心とからだのバランスがとても大切だと、実感するようになりました。 でもそれは、特別なことをしなきゃという意味ではなくて、 むしろ、日々の中の小さなこと── 自分にやさしくすることそのものが、整えることなのかもしれないと、今では思います。 今朝は、夫とお気に入りの喫茶店へ散歩を兼ねて出か
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20回目の記録。まだ途中のわたしで、ここまで来た

20回目の記録。完成ではなく、途中のまま、ここまで来たわたしの話です。このブログが、20回目だと気づいたとき、 正直なところ、達成感よりも 「まだ途中なのに」という気持ちのほうが先に来ました。 18回目から19回目までのあいだ、 実は、約2ヶ月ほど時間が空いています。 書けなかったというより、 立ち止まって、整えていた時間だったように思います。 答えが出たわけでもなく、 何かを乗り越えた実感があるわけでもありません。 それでも、迷いながら、整えながら、 書くことだけは、続いてきました。 完成していない今のわたしのまま、 気づけば、ここまで来ていました。 10月ごろから、 わたしの生活の中では、いろいろなことが重なっていました。 義理父の体調不良と、その先の予後の話。 娘のこと。 次男のこと。 夫婦の関係のこと。 そして、自分自身の体調不良。 どれか一つだけなら、 もう少し整理して書けたのかもしれません。 でも実際は、 どれもが同時進行で、 日々の暮らしの中にありました。 整えながら進んでいるつもりでも、 立ち止まる日もあって、 言葉にできないままの時間もありました。 それでも、 書くことを完全に手放したわけではなく、 「まだ途中だな」と感じながら、 この時間を生きていました。 次男のことは、 このブログの中でも、何度か書いてきました。 書いてきたけれど、 その話は、まだ途中です。 今、きれいな言葉でまとめられる状態ではありません。 わたし自身、 どう関わるのがいちばんいいのか、 まだ迷いながら過ごしています。 だから今回は、 無理に続きを書かず、 答えを出さずに、 このまま置
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“このままでは嫌だ”と願った日が、わたしの整えの始まりだった

パーキンソン病と診断されたのは、2023年12月のこと。それから一年間、わたしはずっと体と心の両方が重く、どうしたらいいのかわからなかった。 ただ毎日をやり過ごしていただけ。 「もう外では働かない」 そんな言葉が口から出てしまうほど、未来が見えなかった。 病気になったのは、これまでのストレスのせいだ。 そう思うと、余計に自分を責めた。 どこで間違えたんだろう、と。 それが、わたしの“整える前のわたし”だった。 転機は、2024年12月。 気がつけば一年が過ぎていた。 何もできなかった一年。 けれど、その「何もできなかった」が、逆に自分の本音を浮かび上がらせた。 「このままでは嫌だ」 ふと湧いてきたその言葉が、胸に残った。 残りの人生、ストレスに押しつぶされて終わりたくない。 もっと穏やかに、わたしらしく生きていきたい。 願いごとの紙に 「やりたいことを見つけたい」 「収入につながることをやりたい」 そう書いて、部屋に貼っていた。 何をすればいいかは、まだ全然わからない。 けれど、変わりたい気持ちだけは、確かにあった。 最初に意識し始めたのは「言葉」だった。 小林正観さんの本に出会って 天国言葉を知り、五戒を知った。 言葉を変えると、気持ちの向きも少し変わる。 ネガティブに引っ張られそうな日も 声に出す言葉だけは、優しくした。 自分を元気づけるために。 今日を少しでも穏やかに過ごすために。 それは大きな変化ではないけれど わたしにとっては 整えのはじまりだった。 そして、春分の日。 経済的なピンチの最中にふと目に止まった介護職の求人。 これまで経験したことのない仕事だったけれど
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がんばらない整え、がんばらない愛し方

「整える」という言葉を、かつてのわたしは「頑張ること」だと思い込んでいました。 もっとしっかりしなきゃ、もっと良くならなきゃと、 体の不調や痛みを抱えながら、気持ちを奮い立たせていた日々。 ストレッチや生活習慣の見直し、心のあり方さえも、 “努力してなんとかするもの”という感覚が根底にあったのだと思います。 あの頃のわたしには、それ以外の方法が見えなかったのだと思います。 けれど今、少し距離をおいて振り返ってみると、 「頑張らなければ整わない」「何かをしていないといけない」 そんな強い思いが、いつのまにか自分を縛っていたように感じています。 静かに、けれど確かに、体はそのサインを出してくれていたのかもしれません。 無理を重ねるたびに、少しずつこわばっていった心と体。 ほんとうは、もう少し力を抜いてもよかったのだと、今は思えます。   わたしが「整えることは頑張るもの」だと思い込んでいたのは、 ある意味では、体の声を無視し続けていたということだったのかもしれません。 少しの無理が積み重なるたびに、痛みは増していきました。 無理をしている自覚はあっても、どこかで「立ち止まることが怖かった」のだと思います。 不安や焦りが、わたしを動かし続けていたように感じます。 けれどある時期から、薬が効いているはずなのに重だるさが消えなかったり、 ふとした瞬間に涙が出てきたり── 「からだの限界」ではなく、「こころの限界」にも気づかされるようになりました。 そうしてようやく、「整えること」に無理を重ねるのではなく、 むしろ“無理をしないこと”こそが整えることなのではないか、と思うようになったのです
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“愛されていたのか”わからなかったわたしへ

「愛されてなかった」とは言いたくない。 でも、「愛されていた」とも、素直に思えない。 そんな気持ちを、ずっと奥にしまい込んできた。 思い出すたびに、「わたしが悪かったのかな」と思ってしまうから。 それに、「あの頃の母も精一杯だった」と、わかっているから。 でも最近、ようやく少しずつ、 “わたしの感じていたこと”をそのまま受けとめていいんだって思えるようになってきた。 誰かを責めたいわけじゃない。 自分を正当化したいわけでもない。 ただ、ずっと言えなかった「ほんとうの気持ち」を、 今のわたしが、静かに聞いてあげたくなった。 “愛されなかった”とは言いたくないわたし「愛されなかった」と言ってしまうのが、ずっと怖かった。 それは母を責めることになるようで、 どこかで母を守りたい気持ちもあったから。 母には母の事情があった。 母なりに、できることをしてくれていたと思う。 だからこそ、「愛されてなかった」と決めつけることに、強い抵抗があった。 「愛された記憶」より「満たされなかった感覚」が残っているでも正直に言うと、 わたしの中に強く残っているのは、「愛された」という記憶より、 「満たされなかった」という感覚のほうだった。 たとえば、気持ちをわかってもらえなかったこと。 どう伝えていいかわからずに、黙り込んでしまったこと。 伝えても、伝わらないと感じて、あきらめてしまったこと。 言葉にしてもらった記憶が、あまりない。 「だいじょうぶ?」「どうしたの?」 そんなふうに気持ちをたずねられたことがあったか、今もよく思い出せない。 だから、次第に**“感じること”そのものをあきらめて、ただやり過
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わたしを見捨てないために―言葉とわたしの関係

「このままじゃいやだ」そう思えたあの日から、わたしの中で少しずつ変わりはじめたものがある。 それは、「何を考えるか」よりも、「どんな言葉を選ぶか」ということ。 きっかけは、小林正観さんの教えだった。 五戒のこと、天国言葉のこと、そして── 「人生のシナリオは、生まれる前に自分で決めてきた」という考え方。 その言葉に出会ったとき、 “もう、受け止めるしかないんだな”と思った。 でもそれは、ただのあきらめではなくて、 “どうせなら、このシナリオを少しでも心地よく生きたい”という願いのはじまりだった。 それから、わたしは毎日の中で「使う言葉」を意識するようになった。 怒らない、責めない、不平不満を言わない── いわゆる「五戒」を避けて、天国言葉を選ぶようにしてみた。 とはいえ、いきなり完璧にできるわけじゃない。 だから、自分なりの小さな工夫も取り入れてみた。 たとえば、五戒と天国言葉を紙に書いてリビングに貼ったり。 その横に、こう書き添えたこともある。 **「天国言葉使用キャンペーン実施中!」**── ちょっと冗談みたいだけど、実はすごく真剣だった。 自分の気持ちが沈み込みそうな時ほど、 “自分で自分に働きかける”ことが、何より大切だと思ったから。 当時のわたしは、まだスピリチュアルの世界に深く入っていたわけじゃなかった。 ただ、どうにかしたかった。少しでも軽くなりたかった。 本を読んだり、YouTubeを見たり── 心に残った言葉や習慣は、深く考える前に試してみることが多かった。 「良さそう」「今のわたしに合っているかも」 その程度の直感だったけど、それでも十分だった。 気持ちだけ
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パーキンソン病と歩む日々の中で──「聴く人」として

こんにちは。 “あいのはね”と申します。 わたしは、パーキンソン病と向き合いながら日々を過ごしています。 症状や薬の効き方、気分の波…なかなか思うようにいかない日もありますが、少しずつ自分のリズムを見つけてきました。 そんな中、「同じ立場だからこそ寄り添えることがあるかもしれない」と思い、傾聴サービスを始めました。 パーキンソン病と診断されて感じた不安や孤独──それを誰かに話すだけでも、心が少し軽くなることがあります。 今のわたしにできるのは、専門家のようなアドバイスではなく、ただ“耳を傾けること”。 「わかるよ」「つらいね」と、同じ視点でそっと寄り添うことだと思っています。 このブログでは、そんな想いと、日々の中で気づいたことなどを少しずつ綴っていけたらと思います。 どうぞよろしくお願いします。もし今、 ひとりで抱えなくていい気持ちを、 ひとりで抱えていると感じていたら。 答えを出すためではなく、 ただ話すための時間として、 わたしが大切にしている“整える傾聴”があります。
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息子の就職が決まった日、わたしは“整える”を信じていた

長いあいだ、わたしは息子のことを心配し続けてきました。不登校の時期があり、受験でつまずき、心療内科に通い、アルバイトも続かなかったこと。動き出したと思えば、また止まってしまう。そのたびに、何も言わずに見守ることができず、言いすぎては後悔する。親として、どう関わるのが正解なのか、ずっと迷いの中にいました。 2025年10月7日、満月の朝。いつもなら感情が先に出てしまいそうな場面で、わたしは一度立ち止まりました。ただ静かに、「今日19時までに決めてね」とLINEを送っただけでした。責める言葉も、急かす言葉も添えませんでした。その夜、息子は2社の求人票を持ってきて、「決めた」と言いました。その一言を聞いたとき、何かが切り替わったような感覚がありました。 就職試験当日。息子は送迎を希望しましたが、夫は仕事で休めず、わたしは運転ができません。ダメ元で一人暮らししている長男に聞いてみると、ちょうど休みで、送迎を引き受けてくれました。兄弟ふたりを送り出し、10時少し前に長男から「無事に着いて向かったよ」というLINEが届いた直後、10時を少し過ぎたころに、息子本人から電話がかかってきました。面接をする前に、採用が決まったという知らせでした。驚きましたが、不思議と心の奥では、静かに腑に落ちる感覚もありました。 振り返ってみると、満月の揺れや、家族のすれ違い、自分自身の整え直しが、すべて重なっていたように思います。心配や焦りから動くのではなく、任せて、信じる。わたしにとっての「整える」は、何もしないことではなく、余計な感情を手放すことだったのかもしれません。親が変わると、子どもも動き出す。その瞬
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わたしが悲しかった朝──寄り添いと理屈のあいだで

前夜、「今日はふたりで動く日」と思っていたわたし。 前夜、ゆっくり湯船に浸かりたかった。 夫も「一緒にお風呂入ろう」と言っていたから、 パソコン作業をしながらウトウトしている夫に、何度か声をかけた。 けれどタイミングがつかめず、そのまま寝ることにした。 翌日は、やりたいことがたくさんあった。 寝室の模様替えや買い出し、そして── 最近お気に入りの喫茶店で、夫とのモーニングを何より楽しみにしていた。静かな店内で香ばしいトーストとコーヒーを味わいながら、 「今日はふたりで動く日」になるはず、そう思って段取りを考えていた。 段取りどおりにいかない朝と、「悲しい」の感情。 けれど、その翌日は思っていた流れとは少し違っていた。 夫は朝、いったん目を覚ましたものの、また眠ってしまった。 モーニングに行けると思っていたわたしは、 声をかけるタイミングを迷いながら、だんだんと心の中がざわついていった。 「今日は、ふたりで動く日になるはずだったのに」── その気持ちは、ちいさな苛立ちや焦りというよりも、 どこか“悲しさ”に近いものだった。 わたしはシフト制で働いていて、 土日休みの夫と休みが重なる日はそう多くない。 だからこそ、一緒に動ける日は貴重で、 運転ができない自分にとっても、買い出しや用事を済ませられる大切なタイミング。 効率よく動いて、午後はお互いのための時間を残したい── そんな想いが、静かに心の中に積み重なっていった。 「悲しい」と言葉にできるまでには、 いくつもの小さな“こうしたかった”が積もっていたのだと思う。返ってきたのは“理屈”だった──共感のすれ違い。ようやく「悲しかった
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わたしが整いはじめたら、息子が“動き出した”

子どもが動けないとき、わたしはずっと「どうしたら動いてくれるか」を考えていた。 声かけの仕方、タイミング、モチベーション……あれこれ工夫しても、うまくいかないことのほうが多かった。 でも最近、少しずつ意識が変わってきた。 「あの子をどうにかしよう」と思うよりも、「わたし自身はどう在るのか」に意識が向くようになっていた。 とはいえ、まだ完全に“手放す”ことはできていなかったのだと思う。 「応募する会社が決まったら教えてね」と伝えてはいたけれど、それではきっと、これまでと変わらない。 そう感じて、思いきってLINEで伝えた── **「今日の19時までに、決めてね」**と。 夕方、台所で夕飯を作り終えたころだった。 「味見して」と声をかけたら、息子が部屋から降りてきた。 手には、2枚の求人票。 「…2社に決めたよ」 あの瞬間のことは、今でもはっきりと覚えている。 彼の声も、表情も、夕方の台所の空気も── なにかがふわっと動いた気がした。 わたしが無理に引っ張ったわけでも、言葉を尽くして説得したわけでもない。 たった一言、「19時までに決めてね」と伝えただけ。 そしてその言葉の背景には、「あなたを信じてるよ」という想いがあった。 それに、彼自身が“応えた”ということ。 小さなことかもしれない。 でも、今までとは確実に、ちがう空気がそこにあった。① なぁなぁになってきた息子との関わり 振り返ってみると、いつの間にか“なぁなぁ”になっていたように思う。 通信制高校のレポート提出も、「そろそろやったら?」と声をかけても、 「あとでやる」「わかってるって」と、返ってくるのはいつも同じような言葉
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わたしのからだは、やさしい味方だった──痛みとの付き合い方が変わった時

【はじめに:わからなかった“この痛み”の正体】 「これ、本当にパーキンソン病の症状なのかな?」 そんなふうに思ったことが、何度もありました。 薬の切れている時間でもないような気がする。 でも、確かにからだが痛い。 重だるくて、ジーンと響くような感覚。 痛みの場所は日によって違って、 強さも、出方も、まったく同じ日はなかった。 それなのに、誰にも説明できなかった。 自分でもうまくわからなかった。 「こういう痛みがあるんです」と言い切ることすらできなくて、 からだの声を、ずっと黙らせてきた気がします。 【医師に伝えても、理解されなかった】 この痛みのことを、医師にも伝えてみたことがあります。 でも返ってきたのは、 「珍しい症状だね」 「他の病気の可能性も考えたほうがいいかもしれない」 そんな言葉でした。 たしかに、パーキンソン病と診断された時に説明された“主な症状”には、 この痛みのことは書かれていなかった。 どこか自分だけが違うような気がして、不安になりました。 「やっぱりおかしいのかな」 「わたしの感じていることは、間違ってるのかもしれない」 自分のからだの感覚に、自信が持てなくなっていきました。 誰にもわかってもらえない気がして、 気づけば、また何も言えなくなっていたのです。 【気づきは、ある日ふとやってきた】 ある日、ふと気づいたんです。 動き出すときに、ジーンとする痛みがあること。 逆に、じっとしていても、重くジワジワと響くような痛みを感じること。 そして、動いてから止まったときにも、ふっと痛みが広がるような瞬間があること。 あれ? 動いたときだけじゃない。 止まっていて
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わたしらしさを見失いかけた時のこと

パーキンソン病って言われたとき、正直よくわからなかった。 医師の言葉は聞いてたけど、どこか他人事みたいで。 家に帰ってからも、「ほんとにわたしが?」って、ぼんやりした気持ちのまま時間が過ぎていった。 そのとき思い出したのが、数年前に亡くなった義母のことだった。 当時は別々に暮らしていたけれど、病院の付き添いや外出のお世話をしたり、施設や入院先には毎週のようにお見舞いに行っていた。 だんだんと進行していく症状に、どうしてこんなに早いんだろう…と感じていたけど、再検査の結果「多系統萎縮症」という病気だったことが分かった。 義母の姿は、どこか自分の“未来の姿”のようにも見えてしまって。 「わたしも、あんなふうになっていくのかな」 そんな不安が一気に押し寄せてきたのを、今でもよく覚えている。 診断を受けたばかりの頃は、「どうして私が?」「これからどうなるの?」って、心の中がざわざわしていた。 家族に病気のことをLINEで送ったり、いろいろ調べては落ち込んだり…。 今思えば、「わかってほしい」「気づいてほしい」っていう気持ちが強かったんだと思う。 でもその一方で、「これまでの自分」と「病気のある今の自分」とのあいだに、距離ができてしまったような感じもして。 “わたしらしさ”がどこかに行ってしまったような、そんな感覚があった。 そんな中で、ある日ふと「このままじゃいやだ」って思った。 病気はあるけど、それだけで全部が決まるわけじゃない。 「これからの人生は、できるだけストレスを少なく、心穏やかに過ごしたい」 そう願ったとき、自分の中の“ほんとうの声”が、少しずつ戻ってきたような気がした。
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整えを届けられない日も、整えているわたしはここにいる

朝、目が覚めて、まずは寝起きのストレッチをする。 パーキンソン病向けに続けてきた、首や肩をほぐす小さな動き。 その静かな時間が、わたしにとっての「整える」の最初の一歩になっている。 そこから、娘のお弁当を作り、洗濯を回し、 家族の朝ごはんを用意して、愛犬のお世話をして、 自分の身支度を整えていく。 ひとつひとつこなしている間に、気づけば朝の時間はあっという間に進んでいく。 ふと、「今日はXまで気がまわらなかったな」と思う瞬間がある。 ストレッチを終えて、お水を飲み、少し支度をして、 そのあとでスマホを手に取ると、 気づいたらもう出勤の準備を始める時間になっていたりする。 やりたいのにできない、というより、 ただ物理的に時間が足りなくて、気持ちがポストまで届かない日が続いている。 でも、それを「できていない」と責める必要は本当はなくて。 むしろ今は、暮らしの中で整えの実践が増えているのかもしれない。 介護パートの仕事も、家族のサポートも、 寝室の環境を整えていく時間も、体調を見つめることも、 どれもわたしにとって大切な“整え”の一部になっている。 そしてブログやTikTokも、投稿予定日がずれることはあっても、 続けることだけは手放さずにいられている。 その事実は、静かだけれど確かな“継続”だと思う。 「続かない自分はダメ」「もっと頑張らなきゃ」 そんなふうに自分を追い込んでしまう癖が、わたしには昔からある。 でも、よく考えてみれば、言葉にならない日も、 言葉を届けられない日も、 わたしの内側では“整える力”が確かに育っていた。 毎日の生活のひとつひとつを丁寧に積み重ねてきたこと
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パーキンソン病とともに生きる、わたしの今

◆第1章:わたしを整える小さな習慣の奥に 前回のブログでは、 わたしを整えてくれる小さな習慣たちのことを綴りました。 白湯を飲むこと、テーマカードを書くこと、 眠る前のストレッチ、ひと呼吸の時間。 特別なことじゃないけれど、 そんな日々の習慣が、どれだけわたしを支えてくれているか── あらためて気づく時間でした。 でも、ふと思ったんです。 その「習慣」の裏側にある、わたし自身と、もう一度向き合いたいと。 薬を飲む手。 ストレッチでほぐそうとする首や肩。 朝の白湯を口に運ぶときの、ほんの少しの安心感。 あの習慣たちは、 「整えようとしているわたし」の、小さな証でもあって、 「わたしの今」が、そこに映っていたのかもしれません。 ◆第2章:ゆらぎとともに生きている パーキンソン病と診断されてからも、 日常は大きく変わらずに続いています。 薬が効いている今は、動けることも多く、 「いつも通り」に近い日々の感覚も、たしかにあります。 でも、ふとしたときに、不安になることがあるのです。 顔の表情が乏しくなっていないか? 姿勢が不自然ではないか? 声が小さくなっていないか? ──自分ではよくわからないからこそ、気になってしまう。 それから、左手の感覚。 利き手は右だけれど、左手も使う作業の中で、 「なんとなく動かしづらいかも」と感じる瞬間があります。 動きのことだけではありません。 からだの痛み、首や肩の凝り、全身のこわばり。 朝、目が覚めたときに感じる、どうにも重たいからだ。 眠りの質も、少しずつ変わってきたように思います。 寝つきが悪い日が増えてきて、夜中に何度も目が覚めることもあります
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わたしを支えてくれる小さな習慣たち

「整える」って、がんばることじゃなかったんだ── そんなふうに思えるようになったのは、ごく最近のことでした。 第8回のブログでも書いたように、 わたしにとっての「整える」は、努力や意志の力で何かを変えることではなく、 “いまここ”のわたしにそっと寄り添ってくれるような、やさしいケアの形でした。 体の調子や気分には波があるからこそ、 上手くいかない日があっても、自分を責めずに「また明日」と言えるような、 そんなゆるやかなリズムを整える“何か”がほしい──そう思ってきたのかもしれません。 そして、気づけばそんな役割を果たしてくれていたのが、 特別ではない、けれどたしかにわたしを支えてくれている“小さな習慣”たちでした。 ⸻ 小さな習慣たちが、わたしを助けてくれる わたしの朝は、ストレッチから始まります。 といっても、がんばるようなものではありません。 ベッドの中で背伸びをしたり、肩を軽く回したり。 その時の体調に合わせて、無理のない範囲で、呼吸をゆっくり感じながら体を目覚めさせていくような、そんな時間です。 ストレッチをしながら、心の中で小さくアファメーションを唱えるのも、わたしの日課になりました。 「大丈夫」「すべてうまくいっています」「今日も1日、穏やかに過ごせますように」── そんな言葉たちを、やさしく自分に届けるように。 パーキンソン病と診断されてから、体のこわばりやだるさに向き合う毎日の中で、 この“寝たまま・座ったままでもできるストレッチ”と“心を整えることば”は、 朝をスムーズに始めるための「わたしの味方」になってくれました。 痛みがある日も、気持ちが落ち込みがちな朝
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「そのままのわたしでは、足りないの?」──気持ちだけじゃ越えられなかった日々のこと

【はじめに:気持ちではどうにもならない現実】 「気持ちはあるんだけどね」 「ほんとは伝えたいんだけど」 そう言いながら、私はたくさんのことを飲み込んできた。 体の不調、波のある痛み、うまく回らない日常。 気持ちでは何とかしたくても、現実がどうにも動かない日もある。 「がんばりたい気持ち」は本物なのに、 がんばれないからって、置いていかれるような気がしていた。 ⸻ 【パーキンソン病とわたしの主な症状】 パーキンソン病には、4つの主な運動症状があると言われています。 ・ふるえ(振戦) ・筋強剛(筋肉がこわばる) ・動作緩慢(動きがゆっくりになる) ・姿勢反射障害(バランスがとりにくくなる) わたしがこの病気と出会ったきっかけは、右足のふるえでした。 服薬治療を始めてから、そのふるえは落ち着いていきました。 一方で、なかなか言葉にできない、つかみどころのない“からだの痛み”に悩まされるようになっていきました。 いつからだったかははっきりしませんが、 初期の頃から、首や肩、背中に「凝りのような痛み」があったことは覚えています。 それが少しずつ、日常の中で気になる頻度が増えていったような感覚です。 ⸻ 【「どこが痛いの?」と聞かれても】 「どこが、どんなふうに痛いの?」 そう聞かれても、うまく答えられなかった。 痛くなる場所はある程度決まっているのに、説明しようとすると言葉が出てこない。 首、肩、背中、腰、太ももの前側、ふくらはぎ、二の腕の外側、前腕── そのうちのいくつかが、日によって、組み合わせを変えて痛くなる。 じっとしていても痛むときがあるし、 動き出した瞬間に、ジーンと広がるよ
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満月とわたし。感情とからだの波を受けとめながら

数ヶ月前、ふと気づいたことがありました。 なんだか今日は調子が悪いな、からだの痛みがいつもより強いな… そんな日が何度かあって、あとからカレンダーを見返すと、 ちょうど“満月”の日だったことがあったんです。 それから「わたしのからだは、もしかしたら月のリズムにも影響を受けているのかも」と、少しずつ意識するようになりました。 満月の前後3日くらいは、からだだけじゃなく心も揺れやすいと聞いたことがあります。 実際、今回の満月の3日前、感情が大きく揺れました。 理由のない不安や焦り、イライラ、泣きたい気持ち… そういう感情と同じように、からだの痛みもいつもより強く出て。 昔のわたしなら、「こんなことで落ち込んでる場合じゃない」「また痛いなんて、情けない」と思っていたかもしれません。 でも今は、そんな自分の気持ちも、からだの声も、 否定せずに「そうなんだね」って認めてあげられるようになりました。 「無理しなくていいよ」って、自分に言ってあげられること。 それが、わたしの整え方のひとつになってきた気がします。 からだからの痛みや重さは、決して敵ではなくて 「ちょっと立ち止まってね」「ゆっくりしてね」と わたしに語りかけてくれているサインなのかもしれません。 月のリズム、心とからだの波、そしてわたしの過ごし方。 これからも、そんな“声”にそっと耳をすませながら、 わたしなりのペースで日々を重ねていけたらいいなと思っています。
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わたしたちは違う。 だから、整えていける夫婦でいたい。

前の日の夜から、わたしの中では小さな悲しさが積もっていた。 ほんの些細なことなのに、うまく言葉にできないまま眠りにつき、 朝を迎えたときには、胸の奥が少し重くなっていた。 ようやくの思いで「悲しかった」と伝えたとき、 夫は少し考えてから静かに言った。 「それは、量子力学でいう“抵抗”みたいなものかもしれないね」 その言葉を聞いた瞬間は、どこか遠い世界の話のように感じた。 でも、いま思えば―― それは“わたしを落ち着かせよう”という、彼なりのやさしさだったのかもしれない。 感情で感じ取るわたしと、理屈で整理する夫。 思考の向きがまるで反対だから、 同じ出来事でも、見えている景色が違う。 そのとき、わたしは「わたしたち、両極端だね」と言った。 夫は小さく笑いながら答えた。 「同じ人間が二人いるわけない」 あのときは、その言葉が少し冷たく聞こえた。 でもいま振り返ると、それは“違いを認める言葉”でもあったのだと思う。 わたしたちは、同じではない。 だからこそ、お互いを整え合うことができる。 その日の午後、わたしたちは、何も言わずに寝室を整えはじめた。 言い出したのはどちらだったのか、もう思い出せない。 けれど、どちらからともなく動き出したその瞬間、 わたしたちの間に流れる空気が、少しやわらかくなった気がした。 ベッドを動かし、掃除機をかけ、カーテンを洗って干した。 小さな作業をひとつひとつこなしていくうちに、 午前中まで重たく漂っていた“悲しみの残り香”が、 少しずつ薄れていった。 言葉はほとんど交わさなかった。 けれど、動きのリズムは合っていた。 重いものを運ぶときは、自然にどちら
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自律神経をやさしく整えるということ ──がんばらないケアで見えてきた、わたしの整えかた

① はじめに 最近、体調の波と向き合う中で、 「整える」という言葉の意味が、少しずつ変わってきたように感じています。 これまでは、頑張って立て直すことが「整える」だと思っていました。 けれど、パーキンソン病と向き合う日々の中で、 体調や気分が思うようにならない日があるのは当たり前だと気づいたんです。 無理に頑張ろうとするたび、かえって疲れてしまったり、 「できない自分」にがっかりしてしまったり…。 そんな小さな積み重ねが、自律神経をさらに乱していたことにも、 あとから気づきました。 だからこそ、いまは“がんばらない整えかた”を大切にしています。 自分の呼吸や、体の声に耳をすませながら、 小さな「心地よさ」をひとつずつ見つけていくこと。 それが、わたしにとっての「整える」のはじまりになりました。 ⸻ ② わたしの体と自律神経の関係 パーキンソン病と診断されてから、 わたしの体は、これまでよりずっと「正直」になったように思います。 少しの疲れや、気圧の変化、ストレスや緊張…。 ほんの小さなきっかけで、からだの痛みや重さ、気分の落ち込みが現れるようになりました。 最初は、「どうして今日はこんなにしんどいんだろう」と戸惑ってばかり。 でも、あるとき医師の言葉や本で読んだことがきっかけで、 これが 自律神経の影響かもしれない、と気づいたんです。 わたしの場合、体の痛みや震えだけでなく、 「気持ちが落ち着かない」「よく眠れない」「朝すっきり起きられない」── こうした症状の裏にも、自律神経が深く関わっていました。 からだとこころは、ちゃんとつながっている。 そう実感できたことで、 **「症
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