“愛されていたのか”わからなかったわたしへ

“愛されていたのか”わからなかったわたしへ

記事
コラム

「愛されてなかった」とは言いたくない。
でも、「愛されていた」とも、素直に思えない。
そんな気持ちを、ずっと奥にしまい込んできた。
思い出すたびに、「わたしが悪かったのかな」と思ってしまうから。
それに、「あの頃の母も精一杯だった」と、わかっているから。
でも最近、ようやく少しずつ、
“わたしの感じていたこと”をそのまま受けとめていいんだって思えるようになってきた。
誰かを責めたいわけじゃない。
自分を正当化したいわけでもない。
ただ、ずっと言えなかった「ほんとうの気持ち」を、
今のわたしが、静かに聞いてあげたくなった。



“愛されなかった”とは言いたくないわたし

「愛されなかった」と言ってしまうのが、ずっと怖かった。
それは母を責めることになるようで、
どこかで母を守りたい気持ちもあったから。
母には母の事情があった。
母なりに、できることをしてくれていたと思う。
だからこそ、「愛されてなかった」と決めつけることに、強い抵抗があった。



「愛された記憶」より「満たされなかった感覚」が残っている

でも正直に言うと、
わたしの中に強く残っているのは、「愛された」という記憶より、
「満たされなかった」という感覚のほうだった。

たとえば、気持ちをわかってもらえなかったこと。
どう伝えていいかわからずに、黙り込んでしまったこと。
伝えても、伝わらないと感じて、あきらめてしまったこと。

言葉にしてもらった記憶が、あまりない。
「だいじょうぶ?」「どうしたの?」
そんなふうに気持ちをたずねられたことがあったか、今もよく思い出せない。

だから、次第に**“感じること”そのものをあきらめて、ただやり過ごすようになっていった**。



“わかってほしかった”わたしと、“伝えられなかった”母

本当は、わかってほしかった。
怖かったこと。悲しかったこと。
どうしていいかわからなかった気持ち。

でも、母に伝えるのはむずかしかった。
伝えたところで、通じる気がしなかった。
通じなかったときの寂しさを思うと、最初から黙っていた方が楽だった。

それでも、母の中にぬくもりがなかったわけじゃない。
小さな頃、母の胸に顔をうずめて、ただ安心していた記憶がある。
大きくてやわらかいその胸に触れていたわたしを、母は嫌がらなかった。
それだけで、もしかしたら母なりに受けとめてくれていたのかもしれない。
…そう思えるようになったのは、ごく最近のことだ。



「愛されたのか?」という問いとともに進む整えの旅

「わたしは愛されていたのか?」という問いに、
まだ明確な答えは出せていない。
だけど今は、それでもいいのかもしれないと思っている。

答えを見つけることが目的ではなく、
その問いとともに、わたし自身を整えていくことが大切なのかもしれないから。

感じることを取り戻すこと。
過去のわたしが感じていたことを「それでよかったんだよ」と肯定すること。
そして、いまのわたしが過去のわたしに寄り添い直していくこと。

それが、わたしにとっての“整え直し”なのだと思う。



今、“愛されなかったのかもしれない”と思っている誰かへ

このブログを読んでくれているあなたが、
もし今「わたしは愛されてなかったのかもしれない」と思っているなら──

どうかその気持ちを、そのまま抱えていてもいいと伝えたい。

それは、誰かを責める気持ちではなく、
あなた自身の感情が、ようやく声をあげてくれた証なのだと思う。

わたしも、まだその問いの途中にいる。
でも今はもう、「問いの中にいるわたし」を、わたし自身が見捨てずにいようと思っている。

だから、あなたもどうか、
自分の中に浮かんできた「わからない気持ち」を、否定せずにいてあげてほしい。


これは、「愛されていたのか」わからなかったわたしが、
過去の自分に宛てた、静かな手紙です。

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