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わたしはなぜ病気になったのか?と問い続けている

「わたしはなぜ病気になったのか?と問い続けている」どうして、わたしは病気になったんだろう。 そんな問いが、心の中で何度も繰り返されていた時期がありました。 きっかけは、「右脚の震え」でした。 いつの間にか、貧乏ゆすりのように勝手に脚が震えている。 自分では止められないわけじゃない。意識して止めようとすればしばらくは大丈夫。 でも、気づくとまた震えている──そんな日々が始まったのです。 すぐに「パーキンソン病かも」と思ったわけではありません。 でも、約7年前に亡くなった義理の母が、最初はパーキンソン病と診断され、 その後、進行が早いために再検査を受けて「多系統萎縮症」と診断された経験がありました。 同居はしていなかったけれど、病院や外出に付き添う機会が多く、 義母のいろんな姿を見ていたからこそ──「もしかして、わたしも?」 そんな思いがよぎったのです。 右脚の震えが始まって数ヶ月後、脳神経内科を受診。 そして、2023年の年末に「パーキンソン病」と診断されました。 診察室で先生の言葉を聞いた時、頭の中が真っ白になったのを覚えています。 でもその奥で、どこか「やっぱり」と感じている自分もいました。 答え探しではなく、「整え直し」の旅 「わたしはなぜ病気になったのか?」 その問いは、医学的な答えを求めていたわけではありませんでした。 遺伝や環境、ストレスなど、説明できる要因はあるかもしれない。 でも、わたしが本当に知りたかったのは、もっと奥の、自分自身との関係でした。 たとえば、ずっと抱えてきた思い込み。 「がんばらなきゃ」「わたしがやらなきゃ」 人に頼るのが苦手で、感情を出すのも
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わたしの整えかた──「整える」という言葉がやさしく変わった日

「整えたい」「整わなきゃ」── そんなふうに思うことが、以前のわたしにはよくありました。 体調が整わないとき、気持ちがざわついているとき、 まるで「整えること」がゴールのように思っていたのかもしれません。 でも最近、わたしの中で「整える」という言葉の意味が、 少しずつ、静かに変わってきたように感じています。 「整わなきゃ」 そう思っていた頃のわたしは、 「整っている自分=ちゃんとしている自分」だと、どこかで信じていた気がします。 家の中が片づいていること、スケジュール通りに動けること、 体調も感情も安定していること── そうじゃないと、“わたしはダメなんだ”と思っていたんです。 でも、体調を崩したり、思いがけない変化が続いたとき、 がんばって整えようとするほど、からだも心も苦しくなってしまって。 そんなときに気づいたんです。 整えるって、もっと「やわらかくていい」って。 無理やり形を整えるんじゃなくて、自分の今に合うように、ちょっと寄り添ってあげること。 たとえば、朝に白湯を飲むこと、少しだけゆっくり歩くこと、 深呼吸して空を見上げること──それだって立派な“整える”なんだと知りました。 最近は「自律神経を整えるといい」とよく聞くようになりました。 わたし自身も、パーキンソン病と診断されてから、 心とからだのバランスがとても大切だと、実感するようになりました。 でもそれは、特別なことをしなきゃという意味ではなくて、 むしろ、日々の中の小さなこと── 自分にやさしくすることそのものが、整えることなのかもしれないと、今では思います。 今朝は、夫とお気に入りの喫茶店へ散歩を兼ねて出か
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“このままでは嫌だ”と願った日が、わたしの整えの始まりだった

パーキンソン病と診断されたのは、2023年12月のこと。それから一年間、わたしはずっと体と心の両方が重く、どうしたらいいのかわからなかった。 ただ毎日をやり過ごしていただけ。 「もう外では働かない」 そんな言葉が口から出てしまうほど、未来が見えなかった。 病気になったのは、これまでのストレスのせいだ。 そう思うと、余計に自分を責めた。 どこで間違えたんだろう、と。 それが、わたしの“整える前のわたし”だった。 転機は、2024年12月。 気がつけば一年が過ぎていた。 何もできなかった一年。 けれど、その「何もできなかった」が、逆に自分の本音を浮かび上がらせた。 「このままでは嫌だ」 ふと湧いてきたその言葉が、胸に残った。 残りの人生、ストレスに押しつぶされて終わりたくない。 もっと穏やかに、わたしらしく生きていきたい。 願いごとの紙に 「やりたいことを見つけたい」 「収入につながることをやりたい」 そう書いて、部屋に貼っていた。 何をすればいいかは、まだ全然わからない。 けれど、変わりたい気持ちだけは、確かにあった。 最初に意識し始めたのは「言葉」だった。 小林正観さんの本に出会って 天国言葉を知り、五戒を知った。 言葉を変えると、気持ちの向きも少し変わる。 ネガティブに引っ張られそうな日も 声に出す言葉だけは、優しくした。 自分を元気づけるために。 今日を少しでも穏やかに過ごすために。 それは大きな変化ではないけれど わたしにとっては 整えのはじまりだった。 そして、春分の日。 経済的なピンチの最中にふと目に止まった介護職の求人。 これまで経験したことのない仕事だったけれど
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がんばらない整え、がんばらない愛し方

「整える」という言葉を、かつてのわたしは「頑張ること」だと思い込んでいました。 もっとしっかりしなきゃ、もっと良くならなきゃと、 体の不調や痛みを抱えながら、気持ちを奮い立たせていた日々。 ストレッチや生活習慣の見直し、心のあり方さえも、 “努力してなんとかするもの”という感覚が根底にあったのだと思います。 あの頃のわたしには、それ以外の方法が見えなかったのだと思います。 けれど今、少し距離をおいて振り返ってみると、 「頑張らなければ整わない」「何かをしていないといけない」 そんな強い思いが、いつのまにか自分を縛っていたように感じています。 静かに、けれど確かに、体はそのサインを出してくれていたのかもしれません。 無理を重ねるたびに、少しずつこわばっていった心と体。 ほんとうは、もう少し力を抜いてもよかったのだと、今は思えます。   わたしが「整えることは頑張るもの」だと思い込んでいたのは、 ある意味では、体の声を無視し続けていたということだったのかもしれません。 少しの無理が積み重なるたびに、痛みは増していきました。 無理をしている自覚はあっても、どこかで「立ち止まることが怖かった」のだと思います。 不安や焦りが、わたしを動かし続けていたように感じます。 けれどある時期から、薬が効いているはずなのに重だるさが消えなかったり、 ふとした瞬間に涙が出てきたり── 「からだの限界」ではなく、「こころの限界」にも気づかされるようになりました。 そうしてようやく、「整えること」に無理を重ねるのではなく、 むしろ“無理をしないこと”こそが整えることなのではないか、と思うようになったのです
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“愛されていたのか”わからなかったわたしへ

「愛されてなかった」とは言いたくない。 でも、「愛されていた」とも、素直に思えない。 そんな気持ちを、ずっと奥にしまい込んできた。 思い出すたびに、「わたしが悪かったのかな」と思ってしまうから。 それに、「あの頃の母も精一杯だった」と、わかっているから。 でも最近、ようやく少しずつ、 “わたしの感じていたこと”をそのまま受けとめていいんだって思えるようになってきた。 誰かを責めたいわけじゃない。 自分を正当化したいわけでもない。 ただ、ずっと言えなかった「ほんとうの気持ち」を、 今のわたしが、静かに聞いてあげたくなった。 “愛されなかった”とは言いたくないわたし「愛されなかった」と言ってしまうのが、ずっと怖かった。 それは母を責めることになるようで、 どこかで母を守りたい気持ちもあったから。 母には母の事情があった。 母なりに、できることをしてくれていたと思う。 だからこそ、「愛されてなかった」と決めつけることに、強い抵抗があった。 「愛された記憶」より「満たされなかった感覚」が残っているでも正直に言うと、 わたしの中に強く残っているのは、「愛された」という記憶より、 「満たされなかった」という感覚のほうだった。 たとえば、気持ちをわかってもらえなかったこと。 どう伝えていいかわからずに、黙り込んでしまったこと。 伝えても、伝わらないと感じて、あきらめてしまったこと。 言葉にしてもらった記憶が、あまりない。 「だいじょうぶ?」「どうしたの?」 そんなふうに気持ちをたずねられたことがあったか、今もよく思い出せない。 だから、次第に**“感じること”そのものをあきらめて、ただやり過
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息子の就職が決まった日、わたしは“整える”を信じていた

長いあいだ、わたしは息子のことを心配し続けてきました。不登校の時期があり、受験でつまずき、心療内科に通い、アルバイトも続かなかったこと。動き出したと思えば、また止まってしまう。そのたびに、何も言わずに見守ることができず、言いすぎては後悔する。親として、どう関わるのが正解なのか、ずっと迷いの中にいました。 2025年10月7日、満月の朝。いつもなら感情が先に出てしまいそうな場面で、わたしは一度立ち止まりました。ただ静かに、「今日19時までに決めてね」とLINEを送っただけでした。責める言葉も、急かす言葉も添えませんでした。その夜、息子は2社の求人票を持ってきて、「決めた」と言いました。その一言を聞いたとき、何かが切り替わったような感覚がありました。 就職試験当日。息子は送迎を希望しましたが、夫は仕事で休めず、わたしは運転ができません。ダメ元で一人暮らししている長男に聞いてみると、ちょうど休みで、送迎を引き受けてくれました。兄弟ふたりを送り出し、10時少し前に長男から「無事に着いて向かったよ」というLINEが届いた直後、10時を少し過ぎたころに、息子本人から電話がかかってきました。面接をする前に、採用が決まったという知らせでした。驚きましたが、不思議と心の奥では、静かに腑に落ちる感覚もありました。 振り返ってみると、満月の揺れや、家族のすれ違い、自分自身の整え直しが、すべて重なっていたように思います。心配や焦りから動くのではなく、任せて、信じる。わたしにとっての「整える」は、何もしないことではなく、余計な感情を手放すことだったのかもしれません。親が変わると、子どもも動き出す。その瞬
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わたしが悲しかった朝──寄り添いと理屈のあいだで

前夜、「今日はふたりで動く日」と思っていたわたし。 前夜、ゆっくり湯船に浸かりたかった。 夫も「一緒にお風呂入ろう」と言っていたから、 パソコン作業をしながらウトウトしている夫に、何度か声をかけた。 けれどタイミングがつかめず、そのまま寝ることにした。 翌日は、やりたいことがたくさんあった。 寝室の模様替えや買い出し、そして── 最近お気に入りの喫茶店で、夫とのモーニングを何より楽しみにしていた。静かな店内で香ばしいトーストとコーヒーを味わいながら、 「今日はふたりで動く日」になるはず、そう思って段取りを考えていた。 段取りどおりにいかない朝と、「悲しい」の感情。 けれど、その翌日は思っていた流れとは少し違っていた。 夫は朝、いったん目を覚ましたものの、また眠ってしまった。 モーニングに行けると思っていたわたしは、 声をかけるタイミングを迷いながら、だんだんと心の中がざわついていった。 「今日は、ふたりで動く日になるはずだったのに」── その気持ちは、ちいさな苛立ちや焦りというよりも、 どこか“悲しさ”に近いものだった。 わたしはシフト制で働いていて、 土日休みの夫と休みが重なる日はそう多くない。 だからこそ、一緒に動ける日は貴重で、 運転ができない自分にとっても、買い出しや用事を済ませられる大切なタイミング。 効率よく動いて、午後はお互いのための時間を残したい── そんな想いが、静かに心の中に積み重なっていった。 「悲しい」と言葉にできるまでには、 いくつもの小さな“こうしたかった”が積もっていたのだと思う。返ってきたのは“理屈”だった──共感のすれ違い。ようやく「悲しかった
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わたしが整いはじめたら、息子が“動き出した”

子どもが動けないとき、わたしはずっと「どうしたら動いてくれるか」を考えていた。 声かけの仕方、タイミング、モチベーション……あれこれ工夫しても、うまくいかないことのほうが多かった。 でも最近、少しずつ意識が変わってきた。 「あの子をどうにかしよう」と思うよりも、「わたし自身はどう在るのか」に意識が向くようになっていた。 とはいえ、まだ完全に“手放す”ことはできていなかったのだと思う。 「応募する会社が決まったら教えてね」と伝えてはいたけれど、それではきっと、これまでと変わらない。 そう感じて、思いきってLINEで伝えた── **「今日の19時までに、決めてね」**と。 夕方、台所で夕飯を作り終えたころだった。 「味見して」と声をかけたら、息子が部屋から降りてきた。 手には、2枚の求人票。 「…2社に決めたよ」 あの瞬間のことは、今でもはっきりと覚えている。 彼の声も、表情も、夕方の台所の空気も── なにかがふわっと動いた気がした。 わたしが無理に引っ張ったわけでも、言葉を尽くして説得したわけでもない。 たった一言、「19時までに決めてね」と伝えただけ。 そしてその言葉の背景には、「あなたを信じてるよ」という想いがあった。 それに、彼自身が“応えた”ということ。 小さなことかもしれない。 でも、今までとは確実に、ちがう空気がそこにあった。① なぁなぁになってきた息子との関わり 振り返ってみると、いつの間にか“なぁなぁ”になっていたように思う。 通信制高校のレポート提出も、「そろそろやったら?」と声をかけても、 「あとでやる」「わかってるって」と、返ってくるのはいつも同じような言葉
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整えを届けられない日も、整えているわたしはここにいる

朝、目が覚めて、まずは寝起きのストレッチをする。 パーキンソン病向けに続けてきた、首や肩をほぐす小さな動き。 その静かな時間が、わたしにとっての「整える」の最初の一歩になっている。 そこから、娘のお弁当を作り、洗濯を回し、 家族の朝ごはんを用意して、愛犬のお世話をして、 自分の身支度を整えていく。 ひとつひとつこなしている間に、気づけば朝の時間はあっという間に進んでいく。 ふと、「今日はXまで気がまわらなかったな」と思う瞬間がある。 ストレッチを終えて、お水を飲み、少し支度をして、 そのあとでスマホを手に取ると、 気づいたらもう出勤の準備を始める時間になっていたりする。 やりたいのにできない、というより、 ただ物理的に時間が足りなくて、気持ちがポストまで届かない日が続いている。 でも、それを「できていない」と責める必要は本当はなくて。 むしろ今は、暮らしの中で整えの実践が増えているのかもしれない。 介護パートの仕事も、家族のサポートも、 寝室の環境を整えていく時間も、体調を見つめることも、 どれもわたしにとって大切な“整え”の一部になっている。 そしてブログやTikTokも、投稿予定日がずれることはあっても、 続けることだけは手放さずにいられている。 その事実は、静かだけれど確かな“継続”だと思う。 「続かない自分はダメ」「もっと頑張らなきゃ」 そんなふうに自分を追い込んでしまう癖が、わたしには昔からある。 でも、よく考えてみれば、言葉にならない日も、 言葉を届けられない日も、 わたしの内側では“整える力”が確かに育っていた。 毎日の生活のひとつひとつを丁寧に積み重ねてきたこと
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わたしを支えてくれる小さな習慣たち

「整える」って、がんばることじゃなかったんだ── そんなふうに思えるようになったのは、ごく最近のことでした。 第8回のブログでも書いたように、 わたしにとっての「整える」は、努力や意志の力で何かを変えることではなく、 “いまここ”のわたしにそっと寄り添ってくれるような、やさしいケアの形でした。 体の調子や気分には波があるからこそ、 上手くいかない日があっても、自分を責めずに「また明日」と言えるような、 そんなゆるやかなリズムを整える“何か”がほしい──そう思ってきたのかもしれません。 そして、気づけばそんな役割を果たしてくれていたのが、 特別ではない、けれどたしかにわたしを支えてくれている“小さな習慣”たちでした。 ⸻ 小さな習慣たちが、わたしを助けてくれる わたしの朝は、ストレッチから始まります。 といっても、がんばるようなものではありません。 ベッドの中で背伸びをしたり、肩を軽く回したり。 その時の体調に合わせて、無理のない範囲で、呼吸をゆっくり感じながら体を目覚めさせていくような、そんな時間です。 ストレッチをしながら、心の中で小さくアファメーションを唱えるのも、わたしの日課になりました。 「大丈夫」「すべてうまくいっています」「今日も1日、穏やかに過ごせますように」── そんな言葉たちを、やさしく自分に届けるように。 パーキンソン病と診断されてから、体のこわばりやだるさに向き合う毎日の中で、 この“寝たまま・座ったままでもできるストレッチ”と“心を整えることば”は、 朝をスムーズに始めるための「わたしの味方」になってくれました。 痛みがある日も、気持ちが落ち込みがちな朝
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わたしたちは違う。 だから、整えていける夫婦でいたい。

前の日の夜から、わたしの中では小さな悲しさが積もっていた。 ほんの些細なことなのに、うまく言葉にできないまま眠りにつき、 朝を迎えたときには、胸の奥が少し重くなっていた。 ようやくの思いで「悲しかった」と伝えたとき、 夫は少し考えてから静かに言った。 「それは、量子力学でいう“抵抗”みたいなものかもしれないね」 その言葉を聞いた瞬間は、どこか遠い世界の話のように感じた。 でも、いま思えば―― それは“わたしを落ち着かせよう”という、彼なりのやさしさだったのかもしれない。 感情で感じ取るわたしと、理屈で整理する夫。 思考の向きがまるで反対だから、 同じ出来事でも、見えている景色が違う。 そのとき、わたしは「わたしたち、両極端だね」と言った。 夫は小さく笑いながら答えた。 「同じ人間が二人いるわけない」 あのときは、その言葉が少し冷たく聞こえた。 でもいま振り返ると、それは“違いを認める言葉”でもあったのだと思う。 わたしたちは、同じではない。 だからこそ、お互いを整え合うことができる。 その日の午後、わたしたちは、何も言わずに寝室を整えはじめた。 言い出したのはどちらだったのか、もう思い出せない。 けれど、どちらからともなく動き出したその瞬間、 わたしたちの間に流れる空気が、少しやわらかくなった気がした。 ベッドを動かし、掃除機をかけ、カーテンを洗って干した。 小さな作業をひとつひとつこなしていくうちに、 午前中まで重たく漂っていた“悲しみの残り香”が、 少しずつ薄れていった。 言葉はほとんど交わさなかった。 けれど、動きのリズムは合っていた。 重いものを運ぶときは、自然にどちら
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