「整える」という言葉を、かつてのわたしは「頑張ること」だと思い込んでいました。
もっとしっかりしなきゃ、もっと良くならなきゃと、
体の不調や痛みを抱えながら、気持ちを奮い立たせていた日々。
ストレッチや生活習慣の見直し、心のあり方さえも、
“努力してなんとかするもの”という感覚が根底にあったのだと思います。
あの頃のわたしには、それ以外の方法が見えなかったのだと思います。
けれど今、少し距離をおいて振り返ってみると、
「頑張らなければ整わない」「何かをしていないといけない」
そんな強い思いが、いつのまにか自分を縛っていたように感じています。
静かに、けれど確かに、体はそのサインを出してくれていたのかもしれません。
無理を重ねるたびに、少しずつこわばっていった心と体。
ほんとうは、もう少し力を抜いてもよかったのだと、今は思えます。
わたしが「整えることは頑張るもの」だと思い込んでいたのは、
ある意味では、体の声を無視し続けていたということだったのかもしれません。
少しの無理が積み重なるたびに、痛みは増していきました。
無理をしている自覚はあっても、どこかで「立ち止まることが怖かった」のだと思います。
不安や焦りが、わたしを動かし続けていたように感じます。
けれどある時期から、薬が効いているはずなのに重だるさが消えなかったり、
ふとした瞬間に涙が出てきたり──
「からだの限界」ではなく、「こころの限界」にも気づかされるようになりました。
そうしてようやく、「整えること」に無理を重ねるのではなく、
むしろ“無理をしないこと”こそが整えることなのではないか、と思うようになったのです。
体にやさしいことをする。
少し立ち止まって、呼吸を感じてみる。
あたたかい白湯を飲む。
どれも小さなことだけれど、それが“ちゃんと整え”になると知ったとき、
わたしの中で、何かがゆるやかにほどけていきました。
白湯を飲んだり、深呼吸をしたり、香水をまとったり──
今も、わたしの日常には小さな整えの習慣がいくつかあります。
けれど、同じことをしていても、そこに向ける気持ちは、以前とはまったく違っています。
昔のわたしは、整えることを“手段”のように捉えていました。
不調を軽くするため、気持ちを立て直すため、
「整える=がんばって良い状態に近づくこと」だと信じていたのだと思います。
今のわたしにとって、整えることはもっと静かで、やわらかいものです。
「これをやれば良くなるから」ではなく、
「今のわたしに、これが必要だから」という感覚で選んでいる。
白湯のあたたかさが、今の体にやさしい気がして。
香水の香りが、心をふっとほどいてくれる気がして。
そういう、自分へのまなざしごと変わっていったのだと思います。
整えるというのは、自分をつくり直すことでも、無理に変えることでもなくて、
今のわたしをそのまま受けとめて、そっと寄り添うこと──
今はそんなふうに感じています。
「整えること」と同じように、わたしは「愛すること」にも、ずっと頑張りすぎていたのかもしれません。
家族を大切にしたい。
子どもたちに寄り添いたい。
パートナーを支えたい。
そう願う気持ちは本物だったけれど、
いつしかそこに「ちゃんとしなきゃ」「できている母でいなきゃ」という力みが加わっていった気がします。
自分がしんどい時でさえ、「今はわたしの気持ちよりこの子のために」と、
感情を押し込めるようなことも、何度もありました。
でも、本当に必要だったのは、
「がんばる愛し方」ではなく、「ゆるめる愛し方」だったのかもしれません。
自分のこころをないがしろにしながら、誰かをまっすぐ愛し続けるのは、
思っている以上に無理があるものだと、身をもって知りました。
今は、自分の中にある痛みや不安にも目を向けながら、
「わたしも、わたしを大切にしよう」と思えるようになってきました。
今のわたしは、もう「頑張って整えよう」とはあまり思いません。
「ちゃんと愛そう」と力むことも、減ってきたように感じています。
それでも、わたしの中にはたしかに整えがあり、
たしかに愛し方があります。
それは以前のように、目に見える成果として現れることは少ないかもしれません。
けれど、そのぶん穏やかで、あたたかくて、深いものになってきたように思います。
無理に気分を上げようとしなくてもいい。
誰かを笑顔にできなかった日があっても、わたしの価値が減るわけじゃない。
整えることも、愛することも、「こうあるべき」から離れたところに、
本当のやさしさがあるのかもしれません。
そして、そうやって少しずつ力が抜けていくことで、
わたしはようやく「わたし自身と、ちゃんとつながっていられる時間」を
持てるようになってきたのだと思います。
がんばらない整え。
がんばらない愛し方。
そのどちらも、今のわたしにとって、大切な日々のかたちです。
そしてこの空。
わたしには、白い鳩がふわりと羽ばたいているように見えた。
がんばらなくても、
整えていること。
がんばらなくても、
愛していること。
そんな今のわたしに、そっと重なる風景だった。