がんばらない整え、がんばらない愛し方
「整える」という言葉を、かつてのわたしは「頑張ること」だと思い込んでいました。
もっとしっかりしなきゃ、もっと良くならなきゃと、
体の不調や痛みを抱えながら、気持ちを奮い立たせていた日々。
ストレッチや生活習慣の見直し、心のあり方さえも、
“努力してなんとかするもの”という感覚が根底にあったのだと思います。
あの頃のわたしには、それ以外の方法が見えなかったのだと思います。
けれど今、少し距離をおいて振り返ってみると、
「頑張らなければ整わない」「何かをしていないといけない」
そんな強い思いが、いつのまにか自分を縛っていたように感じています。
静かに、けれど確かに、体はそのサインを出してくれていたのかもしれません。
無理を重ねるたびに、少しずつこわばっていった心と体。
ほんとうは、もう少し力を抜いてもよかったのだと、今は思えます。
わたしが「整えることは頑張るもの」だと思い込んでいたのは、
ある意味では、体の声を無視し続けていたということだったのかもしれません。
少しの無理が積み重なるたびに、痛みは増していきました。
無理をしている自覚はあっても、どこかで「立ち止まることが怖かった」のだと思います。
不安や焦りが、わたしを動かし続けていたように感じます。
けれどある時期から、薬が効いているはずなのに重だるさが消えなかったり、
ふとした瞬間に涙が出てきたり──
「からだの限界」ではなく、「こころの限界」にも気づかされるようになりました。
そうしてようやく、「整えること」に無理を重ねるのではなく、
むしろ“無理をしないこと”こそが整えることなのではないか、と思うようになったのです
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