朝、目が覚めて、まずは寝起きのストレッチをする。
パーキンソン病向けに続けてきた、首や肩をほぐす小さな動き。
その静かな時間が、わたしにとっての「整える」の最初の一歩になっている。
そこから、娘のお弁当を作り、洗濯を回し、
家族の朝ごはんを用意して、愛犬のお世話をして、
自分の身支度を整えていく。
ひとつひとつこなしている間に、気づけば朝の時間はあっという間に進んでいく。
ふと、「今日はXまで気がまわらなかったな」と思う瞬間がある。
ストレッチを終えて、お水を飲み、少し支度をして、
そのあとでスマホを手に取ると、
気づいたらもう出勤の準備を始める時間になっていたりする。
やりたいのにできない、というより、
ただ物理的に時間が足りなくて、気持ちがポストまで届かない日が続いている。
でも、それを「できていない」と責める必要は本当はなくて。
むしろ今は、暮らしの中で整えの実践が増えているのかもしれない。
介護パートの仕事も、家族のサポートも、
寝室の環境を整えていく時間も、体調を見つめることも、
どれもわたしにとって大切な“整え”の一部になっている。
そしてブログやTikTokも、投稿予定日がずれることはあっても、
続けることだけは手放さずにいられている。
その事実は、静かだけれど確かな“継続”だと思う。
「続かない自分はダメ」「もっと頑張らなきゃ」
そんなふうに自分を追い込んでしまう癖が、わたしには昔からある。
でも、よく考えてみれば、言葉にならない日も、
言葉を届けられない日も、
わたしの内側では“整える力”が確かに育っていた。
毎日の生活のひとつひとつを丁寧に積み重ねてきたことで、
少しずつ、静かに、整えが深まっていた。
そのことに気づいた時、胸の奥に
何ともいえない、やわらかな安心感が広がっていった。
整えを届けられない日も、
整えているわたしは、ちゃんとここにいる。
そう思えたら、肩の力がすっと抜けた。
言葉が追いついてくる日は、また自然に訪れる。
焦らなくていいし、急がなくてもいい。
わたしは今日も、ちゃんと整えている。
その事実だけで、十分だと思えた。