“愛されていたのか”わからなかったわたしへ
「愛されてなかった」とは言いたくない。
でも、「愛されていた」とも、素直に思えない。
そんな気持ちを、ずっと奥にしまい込んできた。
思い出すたびに、「わたしが悪かったのかな」と思ってしまうから。
それに、「あの頃の母も精一杯だった」と、わかっているから。
でも最近、ようやく少しずつ、
“わたしの感じていたこと”をそのまま受けとめていいんだって思えるようになってきた。
誰かを責めたいわけじゃない。
自分を正当化したいわけでもない。
ただ、ずっと言えなかった「ほんとうの気持ち」を、
今のわたしが、静かに聞いてあげたくなった。
“愛されなかった”とは言いたくないわたし「愛されなかった」と言ってしまうのが、ずっと怖かった。
それは母を責めることになるようで、
どこかで母を守りたい気持ちもあったから。
母には母の事情があった。
母なりに、できることをしてくれていたと思う。
だからこそ、「愛されてなかった」と決めつけることに、強い抵抗があった。
「愛された記憶」より「満たされなかった感覚」が残っているでも正直に言うと、
わたしの中に強く残っているのは、「愛された」という記憶より、
「満たされなかった」という感覚のほうだった。
たとえば、気持ちをわかってもらえなかったこと。
どう伝えていいかわからずに、黙り込んでしまったこと。
伝えても、伝わらないと感じて、あきらめてしまったこと。
言葉にしてもらった記憶が、あまりない。
「だいじょうぶ?」「どうしたの?」
そんなふうに気持ちをたずねられたことがあったか、今もよく思い出せない。
だから、次第に**“感じること”そのものをあきらめて、ただやり過
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