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お話サービスはじめました♪

電話鑑定のサービスはあったのですが、 ご要望がありましたのでお話のみのサービスを 新しく出品いたしました✨ ただ話がしたいときってありますよね。 落ち込んでいるときだけではなくて、 嬉しいことがあったときも。 オタ隠しをしていて推しの話がしたいのに出来ない! と、言うこともあるかもしれえません。 そんなわけで、気軽なお話サービスをご用意いたしました♪ ココナラの電話相談ってどんな感じ? な方の練習も大歓迎です! かくいう私も、初めて電話サービスを利用する前は 「なんだか使い方が合っているのか分からない!」 と、相談したいのに出来ない、と二の足を踏み踏み。 実際にはなんてことなくて、ボタンを押すだけ。 それが怖かったんです(笑) 一度経験することでその壁はぴょーんと越えられますから! 安心して踏み台にしてください♪ 電話応対のロープレに付き合って!ぜんぜんオッケーです!!あなた様からのお電話、お待ちしています(*´˘`*)♡"
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ホリエモバイルがついに始動!!メリットデメリットについて解説

こんにちは!通信プランの専門家のゆめあとです(^^)他にも家計の節約や固定費の見直しを行っています。今回は先日発表されたホリエモバイルについて解説していきます。新しく発表されたMVNOなので、ぜひ学んでいってください!ホリエモバイルとは?ホリエモバイルと聞いて感じた方も多いと思いますが、ホリエモバイルはホリエモンが提供する格安SIMブランドです。実際のところはX-mobileと手を組んで、事業を展開されるとのことです。ホリエモンのバリューネームを活かした事業となるようですが、他の格安SIMブランドとは何が特徴的なのか見ていきましょう!ホリエモバイルの魅力とメリット①月額料金が月額2,480円(税抜)②データ通信容量は20GB③5分通話し放題④ホリエモンのメルマガやオンラインサロンが特典(詳細は後日公開予定)格安SIMということだけあって、比較的リーズナブルな価格設定になっています。とは言っても最安というわけではないので、ahamoや楽天モバイルなどが競合相手となって立ちはだかってくるでしょう。また最初の5分間は通話が無料なので、短時間の通話を頻繁にする方には向いていますね。最大の特典はなんといっても、ホリエモンが提供しているオンラインサロンやメルマガがでついてくる点です。詳細については後日発表予定なので、詳しいことはわかりませんが「携帯電話をほぼ無料で使えてかつ学ぶことができるサービス」を目指して展開されていくとのことです。格安で学びができる格安SIMとしてのオリジナリティを出していくと思われます。後日の詳細発表が気になるところですね(^^)ホリエモバイルのデメリット①最安の価
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人とつながるという安心感

2020年4月、私はとあるヒーリングサロンにセラピストとしてお勤めしておりました。当時、新型コロナ感染症で緊急事態宣言が発令され、完全歩合制の給料で働かせていただいていた私は、3月の悲惨な給料から、これからどうやって生活をしていこうか途方に暮れていました。そんな時、ぽつり、ぽつりと、男性のお客様のご予約が入るようになりました。「こんな時期に来ていただいてありがとうございます。」と心からの感謝の気持ちをお伝えして、未知の病気が流行り始めた事についてお客様と会話しながら施術を行いました。”不要不急の外出を控えるように”と総理大臣が声を高らかに言っている中感染するかもしれないという不安もある中で、来店してくださったのがありがたくも不思議に思いお伺いした時、お客様は静かにこうおっしゃいました。「自分は独身の一人暮らしで、急に在宅勤務になり会社の人と話す機会も減り、飯を作って食べるのも一人、先行き不安とかなんだか気持ちが沈んでしまって・・・。誰かと話したくて来ました。もちろん、自宅のパソコン作業が慣れない環境で身体が痛いのもありますが。」と笑いながら。その緊急事態宣言の中、来てくださったお客様は皆さん同じようなことを話してくださいました。誰かと他愛のない会話をするということが、心のオアシスになるということ、そしてその会話の中で少しでも笑ったりできることがストレス解消になるということを、私自身もお客様との会話で身を持って感じました。私と関わっていただくことがあなた様の心のオアシスになれたら幸いです。
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落とし物を拾ったら謝礼がもらえる義務があるってホント?

一般的には、落とし物を正しく報告し、返却することによって、謝礼がもらえることはありますが、保証はありません。謝礼がもらえるかどうかは、拾った人の意志や、落とし物の主人の意志によって異なります。 落とし物を拾った人には、謝礼をもらう義務はありません。落とし物を正しく報告し、返却することは、善良な人としてのマナーとされていますが、法律的な義務ではありません。ただし、落とし物の主人が謝礼を提供することを望む場合がありますが、それは落とし物を拾った人の自由意志によって決まります。 最寄りの警察署の探すためのポイント最寄りの警察署に落とし物を探すためには、以下のポイントが役立つかもしれません:     落とし物の場所や時間: 落とし物を拾った場所や時間を明確に伝えましょう。     落とし物の詳細な説明: 落とし物の特徴やデザイン、大きさなどを詳細に説明しましょう。 落し物が多い人の特徴とは落とし物が多い人の特徴は以下のようなものがあります:     忙しい生活: 忙しい生活スタイルや緊張感があると、落とし物を忘れがちです。     散らかっている環境: 散らかっている環境や、荷物を置き忘れやすい場所が多いと、落とし物が多くなります。    記憶力の劣化: 記憶力が弱くなっている場合、落とし物を忘れがちです。     複数のタスクを同時に行う: 複数のタスクを同時に行うことが多いと、落とし物を忘れがちになります。 これらの特徴を克服するためには、環境を整理することや、自分自身のスケジュール管理をしっかりと行うことが重要です。また、記憶力を鍛えるためのトレーニングも有効です。  
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今年の正月

去年義父が他界したので今年は喪に服し、何もない日々を過ごしています再婚してから 然程お会いした事はありませんでしたが 彼にとっては大切な親!私も父を亡くしていますので気持ちは分かります。コロナが流行り出した頃から病気がちで入退院を繰り返し、昨年は入院して退院は難しいと言われたので最期に顔をと 実家に帰ったもののコロナで面会は出来ませんでしたその後、亡くなった日に 私達2人がコロナに感染してしまい葬儀にすら参列出来なかったのです(´༎ຶོρ༎ຶོ`)彼は何も言いませんが、(感染で高熱の辛さの中)【よりによってなぜ!】間が悪く仕方のない事だけど辛く悲しかった事と思います次に私も3日遅れで高熱と焼きただれているかの様な喉の痛みに襲われて辛く苦しい日々彼を思いやってあげる事は出来ませんでした(まだ少し辛そうでしたが熱が下がった彼を、扱き使ってしまいました)【ゴメンね】(>人<;)人はいつしか 必ず死を迎えます辛く悲しい事だけど 当たり前の事突然にだけは来ないで欲しい(逝かないで欲しい)自らも望まないで欲しい精一杯生きて悔いが残らないように生きれたら…..何て理想ですね!
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日記「早起きと昼寝」

【着信会話】 昨日母親が いつもの夜食の詰め合わせ弁当を 早朝6時に持ってきてくれて ふと目が覚めてしまった。 しかし俺は まだ早朝6時で起きる時間じゃなく もう少し寝てようと思い布団にもぐった。すると母親のスマホに着信があり もの凄い爆音で音楽が流れ 思わずビックリしてして 目を開けてしまった。 ヒィー(゚ロ゚ノ)ノ そして母親が電話に出ると 大声で笑いながら話し始め とてもうるさすぎて寝る事が出来ず しばらく我慢するしかない。 (# ゚Д゚)プンスコ その後10分くらい話し続け ようやく話が終わったと思ったら 母親が目の前にいる俺に 電話をかけてきた。 何でだろうと思ったら母親が 「ごめん間違い電話」と言い 再度かけなおしてまた話し始め 全然2度寝ができず眠い! 結局また母親は 10分位大笑いしながら話し続け ようやく電話が終わり 俺の家から帰っていった。 〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓 【予定時間のずれ】 その後俺は 2時間くらい寝る事が出来 朝9時頃に目が覚めておきると 変な寝方したせいかまだ眠い。 でも起きてしまったので 仕方なく仕事を始めるると 何だかボーとしてしまってて 全然効率が上がらなかった。 しばらくするとまた 眠くなってうとうとし始めたので 素直に昼寝をしてしまったら なんと!2時間も寝てしまった! アワワワワ(((゚д゚; )))ワワワワッ 目が覚めて時計を見たら もう午後3時ごろになってしまい メチャメチャ焦ってやる事を始め 頭がテンパってしまってた。 その後何とかやる事を終わらせ ふと時計を見たら夜7前だったので 病院でマッサージしようと思
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栄養カウンセリング

普通のカウンセリングは聞いたことがあるけど、栄養カウンセリングは初めて聞く、という方が多いのではありませんか?今回は、栄養カウンセリングについて紹介します。<栄養カウンセリングとは> 食事や栄養に関する様々なお悩みを相談できます。 管理栄養士があなたと会話し、必要であればアドバイスをします。<どんなお悩みがあるの?> ・病気になったが何を食べてよいか分からない ・毎日の献立に迷う ・添加物にどう気をつけたら良いか分からない ・子どもが食事を食べてくれない ・高齢者の食事サービスを知りたい ・部活や勉強に良い食事バランスを知りたい ・買い物の方法を知りたい <時間はどれくらい?> チャットや通話でのやり取りも可能です。チャットの場合は要相談、通話の場合は15分~30分程度。<栄養カウンセリングの効果は?> 1カ月で体重が2㎏減った、便秘が解消したなどのお悩み解決に役立ちます。年間300件以上、栄養指導を経験しておりますので、あなたが効果を実感できるお手伝いができるはずです。 <どこでできるの?> ココナラでできます。ぜひ、ご相談ください。
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ブログ初投稿です!初めまして♪

初めまして!やまさんと申します! ココカラは2か月ほど前から始めていたんですが使い方がわからず 今日ブログ投稿というものを発見し投稿してみました♪ 私は昔から自分が愚痴を言うより人の愚痴を聞く方が好きで ココナラの愚痴聞きサービスを始めたのですが、 出品者が多くてほとんど購入してくれないですね、、、 愚痴聞きサービスで人気のある メンタル回復サポーター☆ ようすけさん のような皆に頼られるような人になりたいです 現在、公開依頼で販売実績数を稼いでいますが やっぱり自分の出品を購入してほしい!っていう気持ちの方が強いですね。 初投稿で短いですが今回はここでしめらせていただきます      現在、愚痴聞きサービスを公開しています!     1分でも長時間でも良いので     あなたのちょっとしたお話しや重い話、なんでもお聞きしますので      良かったらお話しを聞かせてください♪
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人生は経験の合計

もの凄くご無沙汰な投稿になります。昨年から家族の体調不良が続き約1年程お休みさせて頂いていました。コロナから3年。皆様どんな思いで今を過ごされていますか。世の中は2極化が進んでいるといわれています。・このコロナを上手く利用し新たに事業を軌道に乗せられている方。・壁にぶち当たり暗闇に入ってしまわれている方。この数年この私も何だかなんだと色々試しては失敗したり、次へのステップへと繋がることもあったり…結果は様々です。最近、実業家のある方がこんな素敵なお話をされていました。『貴方は未来の夢や目標の為に今を犠牲にし我慢していませんか。 やりたい事の先送りはしていませんか。 未来の為に今を犠牲にしてどうするの? 何に幸せを感じるか。 人生の重要度は年齢にふさわしい経験をさせてくれる。 これを私は旬と呼んでいるのだけれど…。 今貴方がすべきことは未来の貴方が今の貴方に対して褒めてくれる と確信してくれること。 記憶とは時に喜びを与え叱咤激励をしてくれるもの。一生何度も何度も よみがえり力をくれる記憶の配当だよ。』 生きているうちのすべての経験の合計数がその人の人生を輝かしくするもの おひとり、おひとりのお心の中にあるご不安を棚卸しする善き時期がこの 12月ではないかと思います。 宜しければ是非、心のシエルターとして詩音のお部屋にお気軽にいらして下 さいませ。心よりお待ちしております。                                詩音
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ニキビ面が嫌いだった

20代の頃 顔面全てニキビが覆い被さっていて 鏡を見るのも嫌でした就職して 早朝からレッスン、仕事、夜中までレッスンと一日の大半をお店で過ごしていました食事も不規則 食べれない日も時にはあって トイレは我慢し過ぎて膀胱炎に水を飲むのも控えるようになっていきました朝、お店でメイクをして落とさずに寝てしまう朝お風呂でメイクを落とし、またお店でメイクをするこんな日々を続けていたら 肌はいつしかボロボロに 酷いニキビに覆われていきました(>人<;)それを隠す為に厚くメイクをするホント悪循環な事をし続けていたんだと後悔しています美容の仕事をしているにも関わらず肌はボロボロ、自分は何をしているのだろうと辛くなりました自分がキレイになりたくて 入った業界なのに 早く一人前になりたくて、朝からレッスン夜もレッスン早くステップアップしたくてがむしゃらになって 常に寝不足 (オール-P)のお世話になっていました!今でいうと(メガシャキ)ですかねᕦ(ò_óˇ)ᕤ★仕事をしながらお肌の改善 ★レッスンを控えて生活改善 一度ボロボロになった肌は直ぐには改善しません 何年も何年も体の中からキレイにする必要があります!☆食事の改善、☆腸内改善、☆代謝機能改善☆化粧品見直し、とにかく気長に改善するまで>_<30代の頃 サプリのプラセンタに出会い少しお高めでしたが飲み続けて水分もたっぷり摂取して 便秘改善少しずついつしか ニキビは治まっていきました!でも 広がった毛穴雪崩毛穴は中々治りません>_<皮膚のたるみ、広がった毛穴を引き締める為 妹が勤めていた美容サロン通い家ではマッサージにパッ
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10月26日💖夜のご挨拶🍀「想うとは」の巻!

この投稿を見てくれてるあなたへ。おばんです🌛いつきです。今日はバタバタしてるのもあり、ちょっと燃え尽きつつもあり、ネタ切れもありで更新がこんな時間にwww🤣🤣🤣このサムネ、結構気に入っちゃった(笑)最初はこっち↓あなたはどっちが好みでした?知りたいな。…さて、本題。想うってなんだろうと良く考えます。想う=愛情だとも思ってる。僕は昔は自分一番主義者だったんだけど、出逢いや別れ、仕事関係、離婚などなど色んな経験を経て、自分の事は二の次の人になりました。とはいえ、世界中皆幸せに〜とかじゃないよ。そんなん無理だから。自分の抱えられる範囲。出逢えた人達。その中で好きな人達。応援したい人。一期一会の奇跡でたまたま出逢えた人。この中だけは、力になりたい。想いたいと思ってる。自分が弱いから、弱いなりに。元気づけられればいいと思ってる。ココナラを始めてから、世の中、こんな身近でこんな沢山の人が何かしらの悩みを抱えてるんだなって知った。もちろん僕も悩む時、あるよ。だからこそ、一緒に悩めるし、経験からのお話が出来るし、想えるんだと思う。あれれ😱真面目な話になってもた💦💦💦💦はぁ。今度はクスッと出来る話、見つけてくるぞ🥳いつものね→ブログ、♡お気に入りされると🐷は喜びますぞ😆✨いなくならないよう、ホントひとポチ頼んます🙏💕そして、ご感想・熱いメッセージや出品一覧はコチラ↓https://coconala.com/users/3456525では、🐽投稿はまた明日か、明後日か、いつの日か〜【#悩み #辛い #相談 #愚痴 #会話 #話し相手 #寂しい #彼氏 #恋愛 #性癖 】
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人に優しくなれない時は

心が疲れていませんかいつもは気にしない事でもなんだか腹が立ったり人に優しくなれないならもしかしたら休憩時間が足りていないのかも自分に優しくできていますか無理をさせていませんか『頑張る』って『無理をする』とは違うと思います例えば靴底が擦り切れた靴では歩くことは困難ですガラスを踏んでけがをしてしまう危険もありますそれって『無理をする』こと続けていると心にも体にも支障が出てしまう事じゃあ『頑張る』ってなんだろうそれはおそらくその行為を続ければ明るい未来がやってくる可能性があることあくまでも私の中の考えなんですけどね(´ー`)無理をし過ぎない事休みたいときは休みましょう心に余裕がなくなってしまうと大切なあの人にも優しくできなくなってしまうかもしれないから私自身、ココナラでの待機は心にゆとりがあるときだけにしていますお話をお伺いする立場としてとっても大切な事今月は仕事が忙しくてどうしても23時頃には眠くなってしまいココナラでの待機も一日3時間ほどとなっていますタイミングがなかなか合わずに申し訳ありません(*´Д`)そのぶん、土日は朝の7:30頃から外出時以外はお電話をお待ちしていますねまた、タロット占いは24時間いつでもご購入いただけます『世界で唯一あなただけの鑑定書』をPDFにてお送りしております※出品者様からのご購入はお控えいただいておりますが、これまでに一度でも私のサービスをご購入いただいた事がある方はご利用いただけます★おひとりでも多くの方が笑顔になれるようこれからも穏やかな心でお待ちしています
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生老病死の四苦

 お釈迦さまは「人生は苦である」として、「生(しょう)・老・病・死」の四苦(しく)を示されました。確かに、生まれたからには誰しも、老・病・死を背負って生きていかなければなりません。  若い時には平気だったのに、体力が続かないなど、日常のふとした時に自分の老化を痛感することがありますが、そんな時は「本当に年はとりたくないもんだ・・・」と誰もが思うことでしょう。  病気もそうです。誰だって病気になんかなりたくありません。でも、病気になってしまったら引き受けるしかありません。それなのに、なんで私がこんなことになったのか・・・と思い悩んでしまいます。  昨年のことです。突然、腰に痛みを感じました。お酒の席でしたので、友人が「飲めば治る」というので飲み続けたところ、痛みが消えたのです。「本当に治った」と喜んだのですが、次の朝は痛みで目が覚め、動けないほどになり、お世話になっているカイロプラクティックの先生にみてもらいました。  先生は首から肩、腰とマッサージをして、「老化かな」と言ってお腹(なか)を手で診察された時、「あっ」と言われたのです。「何ですか」と聞くと、「いや、何でもありません」と言われましたが気になります。おかげで痛みは和らぎましたが、気になったせいでしょうか、帰宅する車の中でまた痛み出しました。  今度は友人のところで電気治療をしてもらい、湿布をたくさんはってもらいました。帰り際に友人が薬をくれたので、飲んでから帰りました。  家に着いて、横になって休んでいると、妻が「この薬を飲むと、痛くないの?」と尋ねるのです。「痛くないよ」と答えると、妻は「おかしいね、これは化膿止めよ
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爆心280メートルで被爆

 8月6日、ヒロシマは79回目の朝を迎えました。私は爆心から280メートルの勤務先で被爆しました。19歳でした。奇跡的に一命は取り留めましたが、骨髄性異形症候群という難病のため、新しい血液があまり作れず、いま生きているのが不思議なくらいです。  あの時、即死された多くの遺体を見て私も覚悟しましたが、おかげさまで生かしていただいています。しかし、何も知らず、何も言えずに亡くなった多くの人たちがいます。どうか、二度と戦争のない平和な世の中を築いていってほしいと思います。  以前、NHKで朗読されました。 「原爆を知らない 幼い人たちに」 その時昭和20年8月6日 午前8時15分 とてもよく晴れた朝でした 赤ちゃんのミルクをつくっていたお母さん 植木に水をやっていたおじいさん 仏さまにお花をあげていたおばあさん ごはんを食べていた坊や 会社に出てこれから仕事をしようとしていたお父さん そして仕事にゆくために道を歩いていたたくさんの人 みんな死んだのです 原爆を落とされることなど何も知らないで いつものように用事をしていたのに 突然「ピカッ」と光って 「アッ」と気がつくまもなく 家の中にいた人は家ごと押しつぶされ 道を歩いていた人は吹き飛ばされ 顔も手も足もからだ中 ヤケドをして広島中の人がみなヤラれてしまったのです たったひとつの原爆で その時死んだ人 百人?いいえ千人?いいえ一万人? いいえもっともっとたくさんの人 かぞえきれないほどの人が なんにも言えないで なんにも知らないで 死んでしまったのです ほかの人も大ヤケドをしました大ケガもしました 投げ出されておなかのやぶれた人 背
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命がけで仏法を

 「無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法(ほう)は、百千万劫(ひゃくせんまんごう)にも遇(あ)い値(お)うこと難(かた)し。我今(われいま)見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得(え)たり。願(ねが)わくは如来(にょらい)の真実義(しんじつぎ)を解(げ)したてまつらん」京都の中央仏教学院に出講した時の話です。学院の教室では毎朝第1講時の開始前に、講師・学生全員が起立合掌してこの言葉を唱和します。「開講偈(かいこうのげ)」と呼ばれています。遇い難き仏法に出遇えたことをよろこび、命がけで仏法を学ぶ決意を表明する言葉です。布袍・輪袈裟(ふほう・わげさ)に身を包み、「開講偈」を唱える学生たちの姿に初めて接したとき、私は背中を打たれたような衝撃を感じました。 多くは大学を卒業した後、自坊の住職になるために入学された方々ですが、中には定年退職後の人生の依りどころを求めて来られた方、ご住職を亡くされ法灯(ほうとう)を守るために来られた坊守さまや中学を卒業したばかりの若い寺院後継者、さまざまな事情を抱え仏法に救いを求めに来られた方もいらっしゃいます。命がけで仏法を学ぶ人たちに、私は命をかけて講義ができているだろうかと、ふと思うことがあります。  源信僧都(げんしんそうず)の『往生要集』に、逃げ遅れたキツネの話が紹介されています。人道無常(にんどうむじょう)の相を説く一段に、死苦の恐ろしさを知らせるために提示された譬え話です。源信僧都はその文を天台大師の『摩訶止観(まかしかん)』から引用されていますが、キツネの譬喩は、もとは『大智度論(だいちどろん)』に説かれたものです。 物語風に
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ひざの上が定位置に

 大切な人を失うと、いくら時間が経っても、遺(のこ)された家族には悲しみや苦しみが大きくのしかかってきます。人生は喜びや楽しみよりも、苦しみや悲しみに直面することの方が多いのではないでしょうか。  お釈迦さまの説かれた教えに「四苦八苦」があります。その中に、愛するものと別れる苦しみ「愛別離苦(あいべつりく)」があります。親鸞聖人の尊敬された七高僧のお一人・中国の善導(ぜんどう)大師も「五苦(ごく)」と顕(あらわ)され、第三代覚如上人の『口伝鈔(くでんしょう)』には、「愛別離苦、これもつとも切なり」と記され、愛するものと別れる苦しみは、さまざまな苦しみの中でも特にきびしいものであると示されています。  私自身も、愛する者と別れる苦しみを経験しました。それは母方の祖母との別れでした。祖母は大柄で、いつも笑顔で、優しく、温かい人でした。私が祖父母の家で両親に怒られると、泣いたり怒ったりした私を、祖母はいつも慰めてくれました。ですので、心安らげた祖母の膝(ひざ)の上がいつも定位置となりました。  祖母とは、学校の休みごとにしか会わなかったのですが、いつも、どんな時でも「ナンマンダブナンマンダブ」と称えていたそうです。 共にお念仏申す  そんな祖母は、毎日決まって夕方の5時になると、祖父と共に仏間で正信偈をおつとめしていました。そして、おつとめが終わったあとも、一人でお念仏を称えていたことを今でも覚えています。  そんな祖母が、体調を崩したのは10年ほど前のことでした。糖尿病になり、目が見えなくなりました。次々に病気にかかり、大柄だった身体もとても小さくなっていきました。  そして、私が
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阿弥陀さまを大事に

 「あなたにだけあげる」  心に残っているお同行(どうぎょう)の言葉です。  小学校低学年の頃の私は、自坊でお座があるのを待ちに待っていました。いつもご法座があると、私の好きなお菓子を袋に入れてお参りに来られるT子さんというお同行がいたからです。  T子さんはお寺にお参りになられると、本堂にあがる前に必ず家の玄関に来られます。そのT子さんの声が聞こえると、お菓子欲しさに一目散に走っていく私がいました。私の姿を見つけると、ニコニコしながらおいでおいでと呼んでくれます。  「これ、あなたにだけあげる」  と言ってお菓子の入った袋をカバンから取り出すのです。その袋を受け取ると同時に、T子さんは私の手をパッと握ってきます。袋の中身をすぐに見たい私がその手を振り払おうとすると、今度は両手でギュッと握って離してくれません。  「阿弥陀さま大事にしてね。お寺に参ってね」  T子さんの顔を見ると、ドキッとするような優しくも真剣な表情が私へ向けられているのです。「うん、わかった」と応えるまで握り続けるその手の温もりは今も心に残っています。 だひたすらに  昨年の10月のことでした。富山のお寺に嫁いでいる姉のご縁で、報恩講のご法話によせていただいた時のことです。いつもお念仏をよろこんでおられたT子さんの話になったのです。  「T子さんかあ。懐かしいなあ。いつも明るくて、ニコニコしてたおばあちゃんで・・・。そういえば、お寺に来られたらいつもお菓子くれてたよね」  「あれ??」と私は一瞬思いました。私にだけあげると言っていたはずでは?と思ったのです。  家に帰ってからもう一人の姉にT子さんのことを聞い
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親子で猛特訓

 「這(は)えば立て立てば歩めの親心」。子の成長を目を細めてあたたかく見守っているやさしい親心が表されています。しかし、あるご法話で、「這えば立て立てば歩めの親のエゴ」と聞かせていただいたことで、少し見方がかわりました。  息子の入園式を前に、先生から「お子さんのお名前を呼びますので、呼ばれた人はハイと大きな返事をして立ち上がってくださいね」と言われました。早速、家で猛特訓が始まりました。 「先生に呼ばれたらどうすんの?」 「知らん」 「違うやろ。はーいって大きな返事するんやろ。よし、練習や。藤本慶哉くん」 「・・・」 「慶哉くん」 「・・・はい・・・」 「よっしゃー、やればできる。返事したらどうすんの」 「知らん」 「立つんやろ」  まぁ、そんなやり取りで特訓した結果、なんとかできるようになったのです。  さて、入園式当日。先生が名前を呼び始めました。「はい」と力強く返事をして、すくっと立つお子さんがおられます。すると保護者の方でしょうか。「よくやった。えらい」と大きな声をあげて会場に響き渡るような拍手。一方で、恥ずかしそうにもじもじして返事ができないお子さんがいらっしゃいます。「もーうちの子は・・・」と恥ずかしそうにしている親御(おやご)さん。いよいよ息子の番です。  「藤本慶哉くん・・・・・・藤本慶哉くーん・・・・・・」  わが子は何をしているかといえば、椅子に後ろ向きに座って、先生にお尻をむけ、そ知らぬ顔ですましています。  「あーやりよった。あれだけ練習したのに」  私は恥ずかしくなって、悔しくなって、帰ったら怒ってやろうと思いました。 お念仏をいただく  入園式も終
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初参式は誰のため

 先日、生後4カ月になった息子の初参式(しょさんしき)のため、お世話になっているお寺に参りました。  初参式は、新たな命の誕生をよろこび、初めて阿弥陀さまにご挨拶をさせていただく大切な儀式です。私たち夫婦と、それぞれの両親も一緒に、家族総出で息子と阿弥陀さまのご縁を喜びました。  しかし、考えてみると、生後4カ月の息子は、おつとめができるわけでもありませんし、ご法話がわかるわけでもありません。阿弥陀さまという仏さまのこともよくわからないでしょう。わけがわからないまま連れてこられて、周りの大人が騒がしくしているなあ、くらいにしか思っていないかもしれません。  そんな息子にとって、この初参式は「お寺へのお参り」であったり「聞法(もんぼう)」であると言えるのだろうか?そんな疑問が後になってふとわいてきたのです。  そう思った時、初参式の時のご住職のご法話を思い出しました。  「初参式は、赤ちゃんが初めてお参りに行くことを祝う儀式ですが、その赤ちゃんのお母さんも、お父さんも、その子が生まれた時に親として生まれました。ですから、この子が4カ月生きたなら、この子の親も生後4カ月の親なのです」  確かに、私たちはこの子が生まれた時に、初めてこの子のお母さん・お父さんとしてスタートしたのです。生後4カ月の子の親である私たちは、生後4カ月のお母さん・お父さんというわけです。  「この初参式は、息子のための儀式だ」と思っていましたが、実は、親として生まれた私たちにとっても〝初参式〟だったのだなと知らされたのでした。 私のためのご縁  初参式は、息子を縁としておつとめする家族みんなのための初参式でし
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まさに無常(あるお坊さんの話)

 今夏、父がその一期(いちご)を終えました。長年、雅楽に親しんできた父は、8月上旬に久しぶりに舞楽を舞ったばかりでした。お盆の時も、住職として多くのご門徒と本堂でお話をさせていただいておりました。ところが、お盆明けに突然体調不良を訴え入院し、8月末に急逝しました。まさに無常を具現するような出来事でした。  通夜や葬儀の準備をしながら、まったく理解できないことの中で自分がいる、という、とても奇妙な気持ちでいました。父の死への悲しみも封印されたままでした。あまりにも突然すぎて、あっけなさすぎて、本来自然に湧き出るはずの感情すら、反応に困っている状態でした。  父や私が所属する雅楽会では、会員の通夜の席で、献楽するならわしになっています。演奏する曲は、父が一番得意としていた舞楽の曲をお願いしました。しかし、献楽の間近になって「これは失敗したかな」と思い始めました。その曲がきっかけになって感情があふれ出て、涙が止まらなくなって献楽後のご挨拶ができなくなったらどうしよう、と思ったのです。  そんな思いを巡らせているうちに、たくさんの方による演奏が始まりました。最初ははらはらしていたのですが、不思議なことに、雅楽の音の中から、笑顔で語り掛ける父の声が自然に聞こえたような気がしました。  「突然いなくなって、お前たちと一緒におれなくなったのは残念やけど、わしのことは悲しむ必要はないよ。お浄土に生まれさせてもろたから・・・。死んだ後も全然つらくないし、むしろ、この雅楽の音のように清らかでええところや・・・」  この声が聞こえてから、凍てついていた私の心は次第に解けほぐれて、涙が出るどころか、不
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終活〟をはじめる、手紙…

 ご院主さん聞いとくなはれ。ちょっと手紙を書かせてもらいます。私は今年77歳の喜寿を迎えました。なんとなく体がしんどくて、気になって早々と病院へ行きました。お医者さんがおっしゃいました。  「どこも悪いとこありません。としのせいでしょう」。そうです、加齢のためです。私は後期高齢者に分類されております。  平均寿命まではまだ何年かあるはずですが、日をまちがえます、時間をまちがえます。外出時には、カギをかけたやろか、電気消したやろか、仏だんのローソクの灯はどうやったろうか、と必ず一度は家へもどります。テレビみてましても、健康のために、長生きのためにと、サプリメントの広告が不安をあおりますし、市からは〝無料で検査をしてやるから病院へ〟と催促の案内がとどきます。  眠りは浅いし、夜中には2回も3回も便所へ行かんならんし、小学校の同窓会も3年に1回やったんが、5年前から「毎年しよう」ということになったんです。それでも参加者はへりつづけ、ついこのあいだなんかはまるで達者じまんみたいで、ああ同窓会もこれで終わりやなあと思いました。昨日の気力・体力が今日はないんです。  そんなこんなで、私もついに人生の終わりにむけての準備活動、つまりいま世間で言われる〝終活〟をはじめようと決心したのです。  現代は〝無縁社会〟やと言われ、そこへ〝孤独死〟やの、家族でのうて〝孤族〟やと追いうちをかけられ、いや恥ずかしいことですが、もっと早うに、若いときにしっかりと聴聞させていただいてたら、とご院主さんすまんことです。  息子夫婦も孫も、遠くに離れて住んでます。ですから、いま家ではばあさん、いや嫁さんと二人ぐらし
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お仏飯で育つ

 先日、あるお宅で報恩講のおつとめをした時のことでした。お茶をいただきながら話をしていますと、そのお宅のご年配の女性から突然、「私はあんたのおしめを取り替えたこともあるんよ。それもバスの中で」と言われました。そんなご冗談を・・・と思いながら続きを聞きました。  私のお寺では毎年、本山へ団体参拝を行っているのですが、二十数年前、まだ幼かった私も一緒に参加したようでした。おしめの卒業が少し遅れていた私は、予想通り、バスの中でしてしまったらしいのです。  予想していたものの慌てる母を察してか、周りのベテランの女性方が揺れる車中で手際よく私のおしめを取り替えてくれたそうです。話を聞き終わるや、あまりの恥ずかしさに私は耳の先まで赤くなりましたが、その方は「ええ思い出です」とにこやかにおっしゃいました。  また、私が生まれて間もない頃、「跡取(あとと)りが生まれたんじゃね。よかったね」と皆さんが言ってくださったそうですが、そんな言葉を聞いて過ごした私は、幼稚園に入り、将来の夢を絵に描こうというとき、何を勘違いしたのか「鳥」の絵を描いたそうです。お寺に参られた方々は、私が自慢げに示したその絵を見て、「アトトリを鳥じゃと思うとるよ」と皆で笑った、というお話も披露してくださったのです。  このような話を聞くと、周囲の方々の願いとお育ての中にいること、「あんたはお仏飯で育つんじゃよ」と言われたその意味を、あらためて感じることができます。 そんな幼少期を過ごした私も次第に大きくなりますと、自我の芽生えとともに、何でも自分で決め、自分でしないと気がすまなくなってきました。  以前は父が「今年も京都へ団
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長生きの保証書

 「浄土真宗ってどういう教えですか?」と尋ねられたら、「それはお浄土の真(まこと)を宗(むね)とすることです」と答えます。私のいのちが、人生が、お浄土の真に貫かれているということです。お浄土とは、私がこの限りあるいのちを生き切る依りどころ、支えです。  ところが、私たちの現状はどうかといえば、お浄土が生きることとは無関係なところに切り離されて、死後の世界に追いやられてしまっているように感じます。ですから、60歳や70歳になった方にお寺参りを勧めても、「私にはまだ早いから、当分お参りする気はありません」と言われます。80歳、90歳まで生きられて当然、死後のことなど考える暇があったら、いかに楽しく生きるかを考える方が利口と言わんばかりです。  ちまたでは、いわゆる「平均寿命」なる数字が幅を利かし、あたかも80歳までは生きられるかのように考える人も多いようですが、私は誰からもそんな保証書はもらっていません。私だけでなく、誰一人としてそんな保証はしてもらっていないはずです。  確かに、100歳まで生きる人は年々増えているのかも知れません。しかし、平均寿命に至らずに終わるいのちもたくさんあります。病気が縁で終わる若いいのちもあれば、不慮の事故が縁で終わる幼いいのちもあります。いのちの事実は「老少不定(ろうしょうふじょう)」。老いた者から順番にいのちが終わるのではないのです。  そう言うと、「そんなこと言われなくてもわかっているさ」と言われるかも知れません。しかし、頭ではわかっているつもりでも、私たちの心と体はなかなか理解しようとはしません。だから、大切な人を失った時には、私たちは平静を保
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西に沈む夕日を眺め

 私の今の楽しみの一つは、2人の子どもと本堂でお夕事(ゆうじ)のお参りをすることです。子どもたちが見たいテレビ番組などがあると、なかなか素直についてきませんが、子どもたちには、親である私が、阿弥陀さまのことを大切にして、お参りをする姿をできるだけ見せておきたいと思っています。  本当に大切なことは、後ろ姿を通して伝わっていくのではないかと思います。阿弥陀さまに手を合わせることもそうです。おじいちゃんやおばあちゃん、父親や母親、そして周りの大人たちが阿弥陀さまに手を合わせる姿を子どもたちが見て、またその子も手を合わせる人として育っていきます。 私自身も、かつて祖父と一緒にお参りをしたその後ろ姿が、心に強く残っています。  中学生の頃、私はサッカー部に所属していましたので、日頃は帰宅が遅かったのですが、定期試験前など部活動が休みのときは早く家に帰っていました。そういう時は、夕方になると決まって祖父が「おーい、おつとめやぞー」と呼びに来ました。私は祖父の後について、まず本堂で正信偈をおつとめし、続いて会館の2階の仏間でおつとめをします。そしてその後、天気のよい日には、祖父は決まって会館の2階の窓から西に沈む夕陽を眺めていました。  私の住んでいる地域は夕焼けが大変きれいなところで、「砥山夕照(とやませきしょう)」と呼ばれ、栗太八景の一つにも数えられています。周りをぐるっと山に囲まれているのですが、ちょうど西の方角だけ山が切れていて、天気がよければ、お夕事の時間帯に本当にきれいな夕焼けが見えます。そういう時、祖父は西の方に向かってじっと手を合わせて、なかなか動こうとしませんでした。  
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幻の完全試合

 2010年6月、大リーグ・デトロイトタイガースのアルマンド・ガララーガ投手は、9回ツーアウトまでパーフェクトピッチングを続けていました。27人目の打者が打った一、二塁間へのゴロを一塁手が捕球し、ベースカバーに入ったガララーガに送球しました。塁審はセーフのジャッジを下し、それに対してタイガースの選手たちは大いに抗議し球場全体も騒然となりましたが、判定は覆(くつがえ)りません。  試合終了後、ビデオ再生を見たこの塁審は明らかに自分のミスジャッジであると認め、すぐさまガララーガ投手に詫(わ)びました。審判のミスジャッジによって大リーグ史上21番目のパーフェクトゲーム達成投手になれなかったのですから、ガララーガ投手の無念さは想像に余りあるものがあります。  ところが彼は、「たぶん僕よりも彼のほうがつらい思いをしているだろう」と反対に気遣い、心から詫びるこの審判を「完全な人間なんていないのだから」と言って、寛容な態度で許したのです。  唐突なようですが、このニュースを聞いて私は、聖徳太子の「憲法十七条」の第十条の言葉を思い出しました。  「われかならず聖(ひじり)なるにあらず、かれかならず愚(おろ)かなるにあらず。ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ」 日本に仏教を受け入れて、仏教精神にもとづく社会のあり方を目指されたのが聖徳太子でした。もちろんガララーガ投手が聖徳太子や「憲法十七条」を知っていたはずはありませんし、彼の示した態度を仏教精神に裏付けられたものというつもりもありません。ただ世の東西を問わず、人は自分の非はなかなか素直に認めようとせず、逆に自分への不利益に対しては怒りや報復
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生老病死の四苦

 お釈迦さまは「人生は苦である」として、「生(しょう)・老・病・死」の四苦(しく)を示されました。確かに、生まれたからには誰しも、老・病・死を背負って生きていかなければなりません。  若い時には平気だったのに、体力が続かないなど、日常のふとした時に自分の老化を痛感することがありますが、そんな時は「本当に年はとりたくないもんだ・・・」と誰もが思うことでしょう。  病気もそうです。誰だって病気になんかなりたくありません。でも、病気になってしまったら引き受けるしかありません。それなのに、なんで私がこんなことになったのか・・・と思い悩んでしまいます。  昨年のことです。突然、腰に痛みを感じました。お酒の席でしたので、友人が「飲めば治る」というので飲み続けたところ、痛みが消えたのです。「本当に治った」と喜んだのですが、次の朝は痛みで目が覚め、動けないほどになり、お世話になっているカイロプラクティックの先生にみてもらいました。  先生は首から肩、腰とマッサージをして、「老化かな」と言ってお腹(なか)を手で診察された時、「あっ」と言われたのです。「何ですか」と聞くと、「いや、何でもありません」と言われましたが気になります。おかげで痛みは和らぎましたが、気になったせいでしょうか、帰宅する車の中でまた痛み出しました。  今度は友人のところで電気治療をしてもらい、湿布をたくさんはってもらいました。帰り際に友人が薬をくれたので、飲んでから帰りました。  家に着いて、横になって休んでいると、妻が「この薬を飲むと、痛くないの?」と尋ねるのです。「痛くないよ」と答えると、妻は「おかしいね、これは化膿止めよ
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自分を知ってる?

 私たちは、自分のことは自分が最もよく知っているつもりで暮らしているのではないでしょうか。ところが、案外、そうでもないことに気付かされたクイズがあります。簡単なものですので、ぜひ、挑戦していただきたいと思います。こんなクイズです。 ◇ <問題>父と息子がドライブに出かけました。ところが、事故に遭(あ)ってしまい、二人はそれぞれ別の病院に運ばれました。 息子が病院に到着すると、待っていた外科医が出てきて叫びました。 「これは私の息子!」 病院に運ばれてきた息子と、外科医とはどのような関係でしょうか。 ◇  答えは出ましたでしょうか。 息子のことを「私の息子!」と呼ぶ人は父か母です。お父さんはここにいませんから、外科医は運ばれてきた息子の母親になります。息子と外科医の関係は母子だというのが正解です。お母さんが外科医として勤務する病院に、たまたま息子さんが運ばれたのでした。  私はこのクイズに答えることができませんでした。なぜかと考えていきますと、「外科医と言えば男性」という誤った思い込みが原因でした。試(こころ)みに問題文の「外科医」を「看護師」に置き換えると、間髪入れずに正解できそうです。  もちろん、私も女性の外科医がおられることは知っていました。けれども、その知識は役立ちませんでした。つまり、このクイズでは、知識の有無ではなく、私の愚かさ、すなわち誤った思い込みに自分の力では気付くことができないことが問題にされているのです。 仏かねてしろしめして  私はこのクイズに出あうまで、自分の物事の見方がこんなに危ういものであるとは考えもしませんでした。  私がクイズに答えられなかった
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法要つとめる心持ち

 先日、ご門徒のお宅で一周忌のご法要をおつとめしました。 一周忌は最初の年忌法要ですので、私は「法要はどんな気持ちでおつとめしたらいいのか」ということを、お話しすることにしています。  私自身も若い時、そのことを先輩にお聞きしたところ、二つの心持ちでつとめよと教えていただいたのです。  一つは「故人を偲ぶこと」です。 法要にお参りしている人たちは故人と縁の深い人たちばかりですから、これは当然でしょう。皆さんが故人の思い出話をしていました。そして、自分の暮らしを故人にご報告されるのがよいと思います。  もう一つは「ご勝縁(しょうえん)」です。法要は、日常忙しい生活をしている人も、仏縁を結ぶことのできる優(すぐ)れたチャンスだということです。 つまり、ご法要は亡き人を偲ぶとともに、仏縁を結ぶ大切な行事であるということでしょう。  『三帰依文(さんきえもん)』の最初の文に、「人身受(じんしんう)け難(がた)し、今すでに受(う)く。仏法聞(ぶっぽうき)き難し、今すでに聞く」とあります。  人間として生まれることは、とても難しい。しかし、そのことを今初めて気付くことができた。仏法についても同じことだという意味でしょう。  私が学校に勤めていた時に、生物の先生とこんな話をしました。 「現在、地球上には多くの生命体がありますが、一番多いのは何ですか」と聞いたところ、バクテリアやウイルスなどのミクロの世界の生物、微生物だそうです。  グラウンドで話を続けました。「例えば、このグラウンドの砂が地球上の命の数だとしたら、人間の数はどれ位ですかね」と問うと、「一握りの砂」だと教えられました。 これで
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大人のあり方が影響

 新しい年度が始まり、日本列島も春爛漫(らんまん)の季節を迎えました。ピカピカの新入生たちが、それぞれの世界で輝き羽ばたいています。春の陽光に包まれてはしゃぐ子どもたちの笑顔は、何ものにも替えがたい尊いものです。  しかしながら今、子どもたちを取りまく環境は大変きびしく、学校でのいじめや教職員による体罰、さらには家庭内での虐待など、昨年1年間のまとめによりますと、これまでの統計で最も多かったことが報じられていました。残念ではありますが、その中にはかけがえのない尊い〈いのち〉を自ら絶ってしまった児童や生徒が含まれていることは周知の通りです。  このようないじめ・体罰・虐待はどうして起こるのだろうかと、その原因を探ってみますと、一つには大人社会の価値観の倒錯やその生き方などが影響していると言っても過言ではありません。さらに追跡をいたしますと、戦後教育において宗教教育を忌諱(きき)してきた文教施策のもたらした弊害と言えなくもありません。自分の権利の主張には長(た)けていても義務を遂行することは他人任せで、自分の思い通りにならなければ他人のせいにするなど、自己中心のライフスタイルが反映しているとも言えるのです。  かつての家庭には独自の家風があり、学校にはよき校風があって、それぞれが人間性を育(はぐく)む学びの場でありました。今、その学びの場が機能せず、親も教師も自己主張や防衛に腐心して、都合の悪いことは隠蔽(いんぺい)する体質で、人間存在の原点である〈いのちの教育〉についての学びを置き去りにしてきたからではないでしょうか。生きとし生けるものの〈いのち〉の尊厳について真摯に向き合うこと
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報道の力は大きい

 あるお寺のお話です、田舎の小さなお寺です。境内の本堂の屋根に枝がかかりそうな場所に、斜めに生えた桜の木がありました。ほかの桜から遅れて4月の終わりごろの温かい時期に花を咲かせ、天気がいい日には、その桜の下で花見をしながら家族でお昼ごはんを食べたりしていました。  4年ほど前、門徒の方がきれいに咲いた桜を見て、この桜はなんという品種ですか、と尋ねてこられました。詳しいことは知らないと伝えると、植物園で聞いてみますと言われるので、枝を切って、持って行ってもらいました。  いろいろな調査の結果、この桜が、どこにもない新種であることがわかりました。名前を調べようとしたら、名前がない桜であるとわかったのです。  このニュースは、地元の新聞やテレビで大きく報道されました。メディアの力は大きく、その年の春はずいぶんと忙しくなりました。電話はひっきりなしに鳴り、境内にはカメラを持った人がたくさん訪れ、暗くなるまで人が絶えませんでした。はじめは、ようこそようこそと出迎えていたのですが、だんだんと説明するのも追いつかなくなり、お参りにも行けない状況となりました。あわてて案内のチラシを作りましたが、コピーしたものがすぐになくなり、結局、1000枚ほど印刷することになりました。本堂で手を合わせていかれる方も多く、桜のおかげで、たくさんのご縁を結ぶことができました。 仏さまのそばなのに  しかし、たくさんの方が来られると、困ったことも起こります。もっとほかに見るものはないかと、境内の裏のほうまで見に来られる方もいらっしゃいます。うっかり洗濯物も出しておけません。犬の散歩がてら来られて隅の方で用を足して
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その視線の先は...

 長いゴールデンウイークも、あっという間に終わりを告げました。楽しい休日を過ごした子どもたちにとって、次の楽しみは夏休みでしょうか。  ある年の夏休みのことです。長いお休みも終わりに近付いた8月下旬、お寺のサマースクールには、朝から近所の子どもたちが夏休みの宿題を持って遊びにやって来ました。  一緒に「正信偈」のおつとめの後、机を並べてみんな一斉に夏休みの宿題帳「夏の友」を開きます。課題が進んでいる子もいれば、これから取りかかる子も・・・。その中に、兄妹で参加してくれているA君がいました。みんなが勉強しているのをよそに、何をするわけでもなく座っていました。  私が「宿題忘れたん?」と尋ねると、「宿題もうできたよ!」と言ったままじっと座っています。 「どうしたん?」と、さらに尋ねると、「でかいなぁ!」とひと言。珍しそうに見入るその視線の先は、お内陣の阿弥陀さまでした。  ご門徒さんのお仏壇の阿弥陀さまからすると、本堂の阿弥陀さまがとても大きいなぁと目に映(うつ)ったのでしょう。  しばらくA君の視線の先の阿弥陀さまを、一緒に眺めていました。すると「宿題終わったけん、遊んでもいい?」とA君。 「ほかのみんなは、まだ勉強してるから、もうちょっと待ってね・・・」 その時ふと、子どもたちと一緒におつとめした「正信偈」のご文(もん)がうかびました。  重誓名声聞十方(じゅうせいみょうしょうもんじっぽう) ── 「重(かさ)ねて誓(ちか)ふらくは、名声十方(みょうしょうじっぽう)に聞(きこ)えんと」 私が呼ぶ前から  阿弥陀さまは、自らの名前である「南無阿弥陀仏」の名号(みょうごう)が、あら
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今の自分はどうか?

 「みんな生かされているんだよ」と、私は生徒に頻繁に語ります。 私が奉職している東京の千代田女学園中学校・高等学校は、創立125周年、本願寺の龍谷総合学園に加盟している中高一貫の女子校です。  4月になると新入生が入学してきます。中学1年生は、本当にまだ小学生の延長線上にあるような幼い状態ですが、その分素直な心を持っています。その姿を見て、先生として、というより人間として、恥ずかしく思うことが多々あります。鏡のように、自分の姿が生徒に映っているからかもしれません。  浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、ご自身のことを「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)」と自ら語り、常に自己と向き合ってみ教えに生きられた方であると言えましょう。  ところで、「素直に話を聞きましょう」「常に自分を振り返りましょう」などと日常的に使いますし、それを否定する人はいないのではないかと思います。学校という場所に身を置いているからこそ感じることかもしれませんが、素直に指導を聞いてくれる生徒ほど早く上達するということは、本当に多くの先生方が実感されます。先生が正しく一生懸命に生徒を指導すれば、生徒はきちんと成長します。クラブ活動などではそのことがよくわかります。  その生徒の姿を見て感じることは、「今の自分は素直に人の話が聞けているのか。素直に行動に移せているのか」という思いです。先生として今の自分は正しい指導ができているのか、という思いと、人間として素直に行動しているのかという思いは、共通しています。理想通りにはいきませんが、努力はしなくてはいけないという思いで日々生活を送っています。 知恵と智慧のちがい
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慌てず様子を見て...

 お釈迦さまの涅槃(ねはん)のご様子は、涅槃図として描かれ、時代を越え国を越えて、お釈迦さまを敬う人々の間で「絵解(えと)き」として伝えられてきました。その絵には、弟子たちの姿や悲しむ動物たち、沙羅双樹(さらそうじゅ)などが描かれていますが、空を見ますと、雲に女性の姿を見ることができます。  この方は、お釈迦さまの母「マーヤ夫人(ふじん)」の姿だそうです。お釈迦さまの誕生から7日後に亡くなられたお母さまのことを、お釈迦さまはとても大切に思っておられたことがわかります。いつもそのご活躍を見守られ、いよいよ涅槃をむかえられる時にも、会いに来てくださる姿がそこには描かれています。  私は今年の9月、三男の7回忌を迎えます。2007年の9月9日、三男の亮都(りょうと)は、3歳で急死しました。当時、私は妻と5歳の長男、3歳の双子の次男、三男の5人家族で、双子の弟たちがようやく幼稚園に通うようになった矢先のことでした。  9月8日、その日は土曜日でしたが、3人ともいつものように元気に朝のお参りをしました。そのお昼過ぎ、お昼寝からさめると、三男は38度の熱がありました。かかりつけの小児科の先生は、普段から「熱があってもあわてなくていいですよ。食欲があって元気なようだったら、しばらく様子をみてください。元気がなければいつでも診察しますから」と言ってくださっていました。  様子をみていると、元気にお兄ちゃん二人と一緒に遊んで、晩ご飯も残さずに食べましたので、少し安心していました。長男、次男を順番にお風呂に入れている時、三男は突然倒れました。あわてて抱き起こすと、まったく息ができず、唇は紫色に変わ
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この子の分まで...

※ある女性のお話です。 澄んだ夜空を見ると、いまも鮮明に思い出すことがあります。 その日は、通院の日でした。夕方からの診察だったので、終わって病院を出た頃には、夜の帳(とばり)がおりていました。当時、私は九州の小さな町に住んでいて、どこに行くのも自分で車を運転していました。  病院の帰り道に、町で一番の大きな交差点にさしかかったとき、猫の横たわった身体が運転する私の眼に入ってきました。往来する車も多く、止まることができずに通り過ぎましたが、バックミラーに映った猫はピクリとも動きません。ほどなく家に着いた私は意を決し、猫を納めるための箱とゴム手袋を手に家を出ようとしました。  すると、会社から帰っていた夫が「どこへ行くの?」と聞くので、猫のことを話すと、玄関のドアの前に立ちはだかり、「いまの君の状態では、そんなつらいことはしないほうがいい」と言いました。  病院通いの私の身を案じる夫。「このままだと、あの猫のことが心配で・・・」と言う私。 夫は何度も引きとめましたが、私の決意の固いことを知り、一緒に行くと言ってくれました。  交差点まで二人で歩いて行くと、猫の身体は、まだそこに横たわっていました。夫は、私が車にひかれないようにと、車道に立って見護ってくれました。私はそっと猫を持ち上げました。1キロほどしかない小さな猫でした。子猫は、お母さんとはぐれて、こんな大きな道路の角でひかれてしまったのでしょうか。  猫を入れた箱を抱えて10分ほど、家への緩やかな登り坂をトボトボと歩きました。夫も私も言葉が出ません。涙がほほを濡らし、小さな子猫の身体が、歩くほどに重みを増していきます。その重
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