この子の分まで...

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※ある女性のお話です。
 澄んだ夜空を見ると、いまも鮮明に思い出すことがあります。
その日は、通院の日でした。夕方からの診察だったので、終わって病院を出た頃には、夜の帳(とばり)がおりていました。当時、私は九州の小さな町に住んでいて、どこに行くのも自分で車を運転していました。
 病院の帰り道に、町で一番の大きな交差点にさしかかったとき、猫の横たわった身体が運転する私の眼に入ってきました。往来する車も多く、止まることができずに通り過ぎましたが、バックミラーに映った猫はピクリとも動きません。ほどなく家に着いた私は意を決し、猫を納めるための箱とゴム手袋を手に家を出ようとしました。
 すると、会社から帰っていた夫が「どこへ行くの?」と聞くので、猫のことを話すと、玄関のドアの前に立ちはだかり、「いまの君の状態では、そんなつらいことはしないほうがいい」と言いました。
 病院通いの私の身を案じる夫。「このままだと、あの猫のことが心配で・・・」と言う私。
夫は何度も引きとめましたが、私の決意の固いことを知り、一緒に行くと言ってくれました。
 交差点まで二人で歩いて行くと、猫の身体は、まだそこに横たわっていました。夫は、私が車にひかれないようにと、車道に立って見護ってくれました。私はそっと猫を持ち上げました。1キロほどしかない小さな猫でした。子猫は、お母さんとはぐれて、こんな大きな道路の角でひかれてしまったのでしょうか。
 猫を入れた箱を抱えて10分ほど、家への緩やかな登り坂をトボトボと歩きました。夫も私も言葉が出ません。涙がほほを濡らし、小さな子猫の身体が、歩くほどに重みを増していきます。その重みを受けて思いました。さっきのさっきまで生きていたこの子猫の分まで、私は精いっぱい生き抜かなければ・・・。
 ふと見上げると、澄んだ夜空に満天の星が輝いていました。
夜も昼も私のそばに
 遠い昔、お釈迦さまがおっしゃいました。
 人(ひと)、世間愛欲(せけんあいよく)のなかにありて、独(ひと)り生(うま)れ独(ひと)り死(し)し、独(ひと)り去(さ)り独(ひと)り来(きた)る。行(ぎょう)に当(あた)りて苦楽(くらく)の地(じ)に至(いた)り趣(おもむ)く。身(み)みづからこれを当(う)くるに、代(かわ)るものあることなし 
 病(やまい)に出合って暗やみの中を過ごしました。すごく孤独でした。そして、あらためて思い知らされました。
「生・老・病・死」の苦は、誰にも代わってもらえない。
 しかも、死は誰の上にも等しく訪れるけれど、それがいつかはわからない。今日かもしれないし、明日かもしれない。草の根もとに落ちるしずくのように、ポトポトと・・・。夫が先か、私が先か、死のあと先はわからない。そんなはかないこの世の縁を、うかうかと過ごしてはいないだろうか・・・。
小さな子猫の身体が、あんなに重く感じられたのは、いのちの重さと、誰もが受ける苦を伝えていたからでしょう。
涙でうるんだ眼で夜空を見あげると、九條武子さまのお歌がこころに浮かびました。
  星の夜ぞらのうつくしさ
  たれかは知るや天のなぞ
  無数のひとみかがやけば
  歓喜になごむわがこころ
  ガンジス河のまさごより
  あまたおわするほとけ達
  夜ひるつねにまもらすと
  きくに和めるわがこころ
 夜空の星の美しさを感じて、数えきれないいのちの輝きを想い、喜びに包まれてこころが和んでいきます。インドのガンジス河の砂よりも、たくさんの仏さまが夜も昼も見護ってくださっていると聞くと、ホッとします。そんな想いに包まれると、現実の厳しさを受けとめると同時に、緩(ゆる)んでいくこころ・・・。
 「私は、あなたと共にいます。安心して、あなたはあなたのままに、いのちのかぎり精いっぱい、生きなさい」
独りで苦を受けているとばかり思っていた私のそばに、阿弥陀さまは、そっと寄り添っていてくださいました。

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