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あなたの魂の声を聴かせて欲しい☆第5チャクラ☆

遠隔ヒーリング& チャクラ調整スペシャリスト みのりです。 あなたは自分の意見を 周囲に言えていますか? 自分がどうしたいのか? 伝えられていますか? 自分の意見など言わず我慢する方が 上手くいく、そう思ってませんか? 周りの意見に同調した方が上手くいく、 そう思って流されていませんか? 反対されることを恐れて、 初めから黙ってしまうことはありませんか? 自分の創造やアイデア、ひらめきに 蓋をしてしまっていませんか? あなたの魂は、 そんなあなたを悔しく思っています。 そんなこと言われなくても、 集団の中で悔しい想いを あなた自身、 体験されたことがあるでしょう。 「あなたの奥に眠る 本当の声を聞かせてほしい」 あなたが発声する声を、1番に聞くのは あなた自身。 ネガティブな感情も、 ポジティブな感情も、発声してみると 意外な発見があるかもしれませんね。 あなた自身に感謝の気持ちを 声に出してみるのもオススメします。 もし、まだ言えない時は 胸のあたりを、20回 トントントンと 叩いてみてくださいね。 あなた自身が、 大切で愛しい存在 に思えてきませんか? あなたの「魂の声」を聞かせて欲しい。 第5チャクラは スロートチャクラと呼ばれ、 場所としては、喉に位置します。 第5チャクラは 主に表現やコミニケーション、学び等を 象徴するチャクラです。 対応する神経叢は、頚神経叢(けいしんけいそう)で、 神経は、口、喉、発声器官、肺、消化管、耳に伸びています。 そこで、酸素を取り入れ二酸化炭素を排出し、 声を出し・聞き情報交換をしています。 甲状腺が活性化することで、肉体的にも
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あなたが素晴らしい5つの理由

こんにちは。ライフコーチ🌟やまさんです。今日は「あなたが素晴らしい理由」という観点で書いてみたいと思います。人は感情の動物と呼ばれますが感情の背景には理由がありますね。感情というエネルギーに対してどのように自分が捉えるかその選択は人に与えられた唯一の自由なのかもしれません。①疲れた「疲れた」は 頑張った証拠 限界まで頑張り 全力を尽くして 自分自身や他人のために 努力したからこそ そんなあなたは 素晴らしい ②失敗した「失敗した」は 挑戦した証拠 何もせず安全な場所に いるよりも 全力で挑戦し 何かを得るために リスクを取った証拠 みんなが失敗を怖がる中 不安を抱えながらも 挑戦を選んだあなたは素晴らしい ①緊張する「緊張する」は 本気の証拠 真剣にフルに組む時 自然と体は緊張し 心は焦る 人生の大切な場面で 重要なことに 集中しているあなたは 素晴らしい ④笑える「笑える」は 楽しんでいる証拠 人生を楽しんでいる あなたがいることで 周りの人々は 安心することができるそれを届けられている あなたは 素晴らしい ⑤怒る「怒る」は 真剣だった証拠 あなたはその事に 真摯に向き合い 全力を注いで いたからこそ 人生を大切に生きている あなたは 素晴らしい
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<お悩み相談5>インテリア業界の人間関係に悩む・・

ようやく憧れていたインテリアの仕事につけたけれど。職場の人間関係がしんどい・・・というお悩みの方は非常に多いです。特に新米インテリアコーディネーターの方達は、かなりのしんどさを感じている人も多いことと思います。たとえば、先輩や上司とギクシャクしている。職人さんや現場監督さんになんだか馬鹿にされているみたい。一般的な職場でもこういう話はよく聞こえてきますが、ことインテリア業界での人間関係はある種の独特のものかも知れません。今回は、インテリアコーディネーターあるあるの人間関係について、多少なりとも荒波?にもまれてきたわたしの経験則をもとに見ていきます。ほぼ全員が通過する、インテリアのプロの洗礼ところで、インテリアコーディネーターは、他業種からの転職組が多いことでも知られています。わたしも事務職からの転身でした。転職した当初に実感したのは「いやでも自分の名前が表に出ること」です。当然ですが、お客様や取引先に対して担当者として対峙することになります。事務職だった時は会社名の下に自分の名前が担当者として書いてあっても、そこまで担当者としての意識はなかったように思います。せいぜいが必要事項の連絡先程度で。でもそれが、担当者名として自分の名前が出るようになってからは、お客様からの質問もクレームも、取引先から来る連絡事項もすべて自分の名前が表に出るようになります。お客様からのクレームも名指しで入りますし、施工後のお客様からの評価も名指しですし、職人さんや現場監督さんからの指摘事項も名指しです。担当者イコール責任者となるわけです。新米にとってつらいのは、たとえ昨日入ったド素人だろうが10年選手の
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相手に見つからずに法的効力のある証拠を集める方法

セクハラやパワハラ、いじめなどを証明する場合は確実な証拠を集めないといけません。Web上には録音しましょうなど難易度の高い方法しか記載がありません。録音は確実な証拠にはなりますが、機器を購入する費用もかかりますし何より相手にばれずに録音するのはかなり難易度が高いです。携帯をいじっているふりをして録音する?胸ポケットに録音機を入れて録音する?録音が失敗したからもう一度やる?やれる?どう考えても難しく、何より録音するという行為自体が被害者の心の負担になります。いじめなど学校関係の問題の場合、そもそも携帯をいじるという行為自体が禁止されている場合が多いので不可能に近いです。そんな負担の大きな行動をしなくてもあることをするだけで裁判にも通用する法的証拠を集められます。これはわたしが実際に体験し、顧問弁護士と顧問社労士に教えてもらった方法です。つい最近も子供が小学1年生の時に一緒に通っている子に暴言などを言われいたらしく一緒に行きたくないと言い始めて先方と揉めたことがありました。この時も顧問弁護士などに教えてもらった方法で解決し相手の親も非を認めて、子供に厳しく接してしまいストレスをため込んだ子がうちの子に八つ当たりをしていたといことまで判明し今では、親が反省したせいか、その子も素直で明るい子になりました。人間関係の問題を解決するには相手に隙を見せないことと、言い返せない確実性のある証拠があれば意外とすんなり解決することもあります。わたしの商品の問題解決のノウハウには証拠集めの段階から問題を発覚させ、相手に反省をさせる又は手出しできないようにする段階までの内容となっております。証拠さえ持
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「ビックリが起きたので電話しました!」

ココナラで電話相談をしております、保健室まるみです。リピーター様からすっごくうれしいご報告のお電話を頂いたものですから、もう嬉し過ぎて「ブログに書いても良いですか?」ってうかがったら、「どうぞ!むしろ光栄です!」と言って頂けまして、今興奮して綴っております。***Aさん(ご相談者様)には以前から職場で嫌がらせを受けている件についてご相談を受けておりました。私は基本的にその苦悩をおうかがいするくらいしか出来ず、ストレスを吐き出して頂きながら、唯一対策めいたこととして、「自分をねぎらって下さいね」とお伝えしていました。「自分をねぎらう」というのは、「私こんな嫌なことされても仕事を休んだりせずに、ほんとよく頑張ってるなぁ、偉いよ私」とか、「こんなにひどいことされても私は仕返しをしないし、仕事は一生懸命やっている。私ってほんと立派、スゴイわ」などと心の中で自分に声をかけるということです。自分の頑張りを心の中で「よく頑張っているね」と認めてねぎらうんです。(ねぎらうを辞書でひくと「労苦や骨折りを慰め感謝する」とあります)「褒める」に近いんですが、褒めるだと、何か結果や成果みたいなものを出していないと褒められませんっていう方が多いので、目に見える成果みたいなのが無くても良い「ねぎらい」を私は重視しています。***Aさんが私のその提案を地道に実行して下さって3ヶ月、なんと、Aさんに嫌がらせをしていた2人が、異動でAさんの職場から居なくなったらしいのです!この2人は絶対異動しないとされていた人だったのに、謎の異動らしいのです!Aさんはそれだけでもメチャクチャビックリしたらしいのですが、その他に
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問題は幸せになるための気付きのサイン その理由

抱えている問題と解決のいとぐちとなる根本原因を見つける 1今抱えている問題にはそうなっただけの原因が必ず過去にあります。原因があるから結果として今、問題が起きています。因果応報友いわれています。今回は実例として抱えている問題の根本原因についてをご紹介したいと思います。実例 恋愛 いつも出会う相手は既婚者か恋人がいるご相談者にはそれまでに何人かの恋人がいました。いつも男性から近づいてきて交際が始まりました。そして毎回独身だと思っていたら実は結婚していた。今度は独身と思っていたら他に恋人が既にいたなど、必ず常に三角関係、自分が相手の男性にとって2番目に知り合った女性でした。そして毎回辛い思いをして別れていました。意外なところにある根本原因ご相談していたときにご両親とのことを聞きましたら、ご相談者は突然あることを思い出しました。小さいときに父親に愛人がいたことを父親から直接聞かされました。離婚したら自分と一緒に来るかと尋ねられ「行く」と応えました。ただ結局、父親はその愛人と別れて母親と家族のもとに戻ってきました。幼い心にしっかりと愛人2番目の女性を認め、父親=男性に愛人がいることを認めていたのです。そして男性は最初の女性のところに戻るということを無意識に認識していたのです。この思考はご相談者の潜在意識に深く入り込み、根付いていました。潜在意識の思考は必ず実現しますので、その後恋人となった男性にはいつも他に女性がいることになり、元の女性のところに去って行くか両方とも別れてしまうかでした。すべての時代の自分から今もっている思考を開放するそしてご相談者に今までの考え方、生き方をいつまで続け
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長生きの保証書ない

 「浄土真宗ってどういう教えですか?」と尋ねられたら、「それはお浄土の真(まこと)を宗(むね)とすることです」と答えます。私のいのちが、人生が、お浄土の真に貫かれているということです。お浄土とは、私がこの限りあるいのちを生き切る依りどころ、支えです。  ところが、私たちの現状はどうかといえば、お浄土が生きることとは無関係なところに切り離されて、死後の世界に追いやられてしまっているように感じます。ですから、60歳や70歳になった方にお寺参りを勧めても、「私にはまだ早いから、当分お参りする気はありません」と言われます。80歳、90歳まで生きられて当然、死後のことなど考える暇があったら、いかに楽しく生きるかを考える方が利口と言わんばかりです。  ちまたでは、いわゆる「平均寿命」なる数字が幅を利かし、あたかも80歳までは生きられるかのように考える人も多いようですが、私は誰からもそんな保証書はもらっていません。私だけでなく、誰一人としてそんな保証はしてもらっていないはずです。  確かに、100歳まで生きる人は年々増えているのかも知れません。しかし、平均寿命に至らずに終わるいのちもたくさんあります。病気が縁で終わる若いいのちもあれば、不慮の事故が縁で終わる幼いいのちもあります。いのちの事実は「老少不定(ろうしょうふじょう)」。老いた者から順番にいのちが終わるのではないのです。  そう言うと、「そんなこと言われなくてもわかっているさ」と言われるかも知れません。しかし、頭ではわかっているつもりでも、私たちの心と体はなかなか理解しようとはしません。だから、大切な人を失った時には、私たちは平静を保
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西に沈む夕日を眺め

 私の今の楽しみの一つは、2人の子どもと本堂でお夕事(ゆうじ)のお参りをすることです。子どもたちが見たいテレビ番組などがあると、なかなか素直についてきませんが、子どもたちには、親である私が、阿弥陀さまのことを大切にして、お参りをする姿をできるだけ見せておきたいと思っています。  本当に大切なことは、後ろ姿を通して伝わっていくのではないかと思います。阿弥陀さまに手を合わせることもそうです。おじいちゃんやおばあちゃん、父親や母親、そして周りの大人たちが阿弥陀さまに手を合わせる姿を子どもたちが見て、またその子も手を合わせる人として育っていきます。 私自身も、かつて祖父と一緒にお参りをしたその後ろ姿が、心に強く残っています。  中学生の頃、私はサッカー部に所属していましたので、日頃は帰宅が遅かったのですが、定期試験前など部活動が休みのときは早く家に帰っていました。そういう時は、夕方になると決まって祖父が「おーい、おつとめやぞー」と呼びに来ました。私は祖父の後について、まず本堂で正信偈をおつとめし、続いて会館の2階の仏間でおつとめをします。そしてその後、天気のよい日には、祖父は決まって会館の2階の窓から西に沈む夕陽を眺めていました。  私の住んでいる地域は夕焼けが大変きれいなところで、「砥山夕照(とやませきしょう)」と呼ばれ、栗太八景の一つにも数えられています。周りをぐるっと山に囲まれているのですが、ちょうど西の方角だけ山が切れていて、天気がよければ、お夕事の時間帯に本当にきれいな夕焼けが見えます。そういう時、祖父は西の方に向かってじっと手を合わせて、なかなか動こうとしませんでした。  
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幻の完全試合

 2010年6月、大リーグ・デトロイトタイガースのアルマンド・ガララーガ投手は、9回ツーアウトまでパーフェクトピッチングを続けていました。27人目の打者が打った一、二塁間へのゴロを一塁手が捕球し、ベースカバーに入ったガララーガに送球しました。塁審はセーフのジャッジを下し、それに対してタイガースの選手たちは大いに抗議し球場全体も騒然となりましたが、判定は覆(くつがえ)りません。  試合終了後、ビデオ再生を見たこの塁審は明らかに自分のミスジャッジであると認め、すぐさまガララーガ投手に詫(わ)びました。審判のミスジャッジによって大リーグ史上21番目のパーフェクトゲーム達成投手になれなかったのですから、ガララーガ投手の無念さは想像に余りあるものがあります。  ところが彼は、「たぶん僕よりも彼のほうがつらい思いをしているだろう」と反対に気遣い、心から詫びるこの審判を「完全な人間なんていないのだから」と言って、寛容な態度で許したのです。  唐突なようですが、このニュースを聞いて私は、聖徳太子の「憲法十七条」の第十条の言葉を思い出しました。  「われかならず聖(ひじり)なるにあらず、かれかならず愚(おろ)かなるにあらず。ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ」 日本に仏教を受け入れて、仏教精神にもとづく社会のあり方を目指されたのが聖徳太子でした。もちろんガララーガ投手が聖徳太子や「憲法十七条」を知っていたはずはありませんし、彼の示した態度を仏教精神に裏付けられたものというつもりもありません。ただ世の東西を問わず、人は自分の非はなかなか素直に認めようとせず、逆に自分への不利益に対しては怒りや報復
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生老病死の四苦

 お釈迦さまは「人生は苦である」として、「生(しょう)・老・病・死」の四苦(しく)を示されました。確かに、生まれたからには誰しも、老・病・死を背負って生きていかなければなりません。  若い時には平気だったのに、体力が続かないなど、日常のふとした時に自分の老化を痛感することがありますが、そんな時は「本当に年はとりたくないもんだ・・・」と誰もが思うことでしょう。  病気もそうです。誰だって病気になんかなりたくありません。でも、病気になってしまったら引き受けるしかありません。それなのに、なんで私がこんなことになったのか・・・と思い悩んでしまいます。  昨年のことです。突然、腰に痛みを感じました。お酒の席でしたので、友人が「飲めば治る」というので飲み続けたところ、痛みが消えたのです。「本当に治った」と喜んだのですが、次の朝は痛みで目が覚め、動けないほどになり、お世話になっているカイロプラクティックの先生にみてもらいました。  先生は首から肩、腰とマッサージをして、「老化かな」と言ってお腹(なか)を手で診察された時、「あっ」と言われたのです。「何ですか」と聞くと、「いや、何でもありません」と言われましたが気になります。おかげで痛みは和らぎましたが、気になったせいでしょうか、帰宅する車の中でまた痛み出しました。  今度は友人のところで電気治療をしてもらい、湿布をたくさんはってもらいました。帰り際に友人が薬をくれたので、飲んでから帰りました。  家に着いて、横になって休んでいると、妻が「この薬を飲むと、痛くないの?」と尋ねるのです。「痛くないよ」と答えると、妻は「おかしいね、これは化膿止めよ
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自分を知ってる?

 私たちは、自分のことは自分が最もよく知っているつもりで暮らしているのではないでしょうか。ところが、案外、そうでもないことに気付かされたクイズがあります。簡単なものですので、ぜひ、挑戦していただきたいと思います。こんなクイズです。 ◇ <問題>父と息子がドライブに出かけました。ところが、事故に遭(あ)ってしまい、二人はそれぞれ別の病院に運ばれました。 息子が病院に到着すると、待っていた外科医が出てきて叫びました。 「これは私の息子!」 病院に運ばれてきた息子と、外科医とはどのような関係でしょうか。 ◇  答えは出ましたでしょうか。 息子のことを「私の息子!」と呼ぶ人は父か母です。お父さんはここにいませんから、外科医は運ばれてきた息子の母親になります。息子と外科医の関係は母子だというのが正解です。お母さんが外科医として勤務する病院に、たまたま息子さんが運ばれたのでした。  私はこのクイズに答えることができませんでした。なぜかと考えていきますと、「外科医と言えば男性」という誤った思い込みが原因でした。試(こころ)みに問題文の「外科医」を「看護師」に置き換えると、間髪入れずに正解できそうです。  もちろん、私も女性の外科医がおられることは知っていました。けれども、その知識は役立ちませんでした。つまり、このクイズでは、知識の有無ではなく、私の愚かさ、すなわち誤った思い込みに自分の力では気付くことができないことが問題にされているのです。 仏かねてしろしめして  私はこのクイズに出あうまで、自分の物事の見方がこんなに危ういものであるとは考えもしませんでした。  私がクイズに答えられなかった
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爆心280メートルで被爆

 8月6日、ヒロシマは79回目の朝を迎えました。私は爆心から280メートルの勤務先で被爆しました。19歳でした。奇跡的に一命は取り留めましたが、骨髄性異形症候群という難病のため、新しい血液があまり作れず、いま生きているのが不思議なくらいです。  あの時、即死された多くの遺体を見て私も覚悟しましたが、おかげさまで生かしていただいています。しかし、何も知らず、何も言えずに亡くなった多くの人たちがいます。どうか、二度と戦争のない平和な世の中を築いていってほしいと思います。  以前、NHKで朗読されました。 「原爆を知らない 幼い人たちに」 その時昭和20年8月6日 午前8時15分 とてもよく晴れた朝でした 赤ちゃんのミルクをつくっていたお母さん 植木に水をやっていたおじいさん 仏さまにお花をあげていたおばあさん ごはんを食べていた坊や 会社に出てこれから仕事をしようとしていたお父さん そして仕事にゆくために道を歩いていたたくさんの人 みんな死んだのです 原爆を落とされることなど何も知らないで いつものように用事をしていたのに 突然「ピカッ」と光って 「アッ」と気がつくまもなく 家の中にいた人は家ごと押しつぶされ 道を歩いていた人は吹き飛ばされ 顔も手も足もからだ中 ヤケドをして広島中の人がみなヤラれてしまったのです たったひとつの原爆で その時死んだ人 百人?いいえ千人?いいえ一万人? いいえもっともっとたくさんの人 かぞえきれないほどの人が なんにも言えないで なんにも知らないで 死んでしまったのです ほかの人も大ヤケドをしました大ケガもしました 投げ出されておなかのやぶれた人 背
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初めての出あい

 本願寺派のお寺がなかった愛知県刈谷市で布教所を開き、都市開教専従員として法務に勤(いそ)しんでいます。都市開教における法務の特徴を一つ挙(あ)げますと、「初めての出会いがその方の葬儀」ということでしょうか。  長崎県の地方都市で法務をしていた頃、寺院周辺の家庭のほとんどは本願寺派のご門徒で、それぞれの家庭で亡くなる方がおられたら、顔見知りであるのが当たり前のことでした。  顔見知りのお宅へ臨終勤行(りんじゅうごんぎょう)に訪れ、顔見知りの葬儀社のスタッフと打ち合わせをして、顔見知りのご遺族と故人の思い出を語り合うのが常でした。  長く門徒総代を務めていた方が亡くなられた時、臨終勤行に参らせていただきました。ご遺族と一緒に読経をさせていただきながら、報恩講やお彼岸の荘厳(しょうごん)(お飾(かざ)り)を一緒にしたことを思い出すと涙がこぼれて止まらず、困った覚えがあります。  おつとめを終えてご遺族やご近所の皆さんの方へ向き直ると、故人の長男さんが同様に涙をこぼしながらバツが悪そうに笑っておられました。  「家での親父は頑固でうるさいばかりで、お坊さんが泣いて惜しんでくれるような男でしたかなぁ・・・」  僧侶が泣いてしまうのはいかがかと思いますが、忘れ難い記憶として大切にしています。私の命が尽きるまで、何度も思い返すことでしょう。お寺とそれを護持されるご門徒が、代々にわたって関係性を築いてきたからこそ、故人お一人おひとりの話題やご遺族との絆が育まれていくのでしょう。  ところが、私が都市開教を行う愛知県下、特に都市部においては事情が異なります。本願寺派の盛んな地域、北陸・中国・九
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命がけで仏法を

 「無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法(ほう)は、百千万劫(ひゃくせんまんごう)にも遇(あ)い値(お)うこと難(かた)し。我今(われいま)見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得(え)たり。願(ねが)わくは如来(にょらい)の真実義(しんじつぎ)を解(げ)したてまつらん」京都の中央仏教学院に出講した時の話です。学院の教室では毎朝第1講時の開始前に、講師・学生全員が起立合掌してこの言葉を唱和します。「開講偈(かいこうのげ)」と呼ばれています。遇い難き仏法に出遇えたことをよろこび、命がけで仏法を学ぶ決意を表明する言葉です。布袍・輪袈裟(ふほう・わげさ)に身を包み、「開講偈」を唱える学生たちの姿に初めて接したとき、私は背中を打たれたような衝撃を感じました。 多くは大学を卒業した後、自坊の住職になるために入学された方々ですが、中には定年退職後の人生の依りどころを求めて来られた方、ご住職を亡くされ法灯(ほうとう)を守るために来られた坊守さまや中学を卒業したばかりの若い寺院後継者、さまざまな事情を抱え仏法に救いを求めに来られた方もいらっしゃいます。命がけで仏法を学ぶ人たちに、私は命をかけて講義ができているだろうかと、ふと思うことがあります。  源信僧都(げんしんそうず)の『往生要集』に、逃げ遅れたキツネの話が紹介されています。人道無常(にんどうむじょう)の相を説く一段に、死苦の恐ろしさを知らせるために提示された譬え話です。源信僧都はその文を天台大師の『摩訶止観(まかしかん)』から引用されていますが、キツネの譬喩は、もとは『大智度論(だいちどろん)』に説かれたものです。 物語風に
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ひざの上が定位置に

 大切な人を失うと、いくら時間が経っても、遺(のこ)された家族には悲しみや苦しみが大きくのしかかってきます。人生は喜びや楽しみよりも、苦しみや悲しみに直面することの方が多いのではないでしょうか。  お釈迦さまの説かれた教えに「四苦八苦」があります。その中に、愛するものと別れる苦しみ「愛別離苦(あいべつりく)」があります。親鸞聖人の尊敬された七高僧のお一人・中国の善導(ぜんどう)大師も「五苦(ごく)」と顕(あらわ)され、第三代覚如上人の『口伝鈔(くでんしょう)』には、「愛別離苦、これもつとも切なり」と記され、愛するものと別れる苦しみは、さまざまな苦しみの中でも特にきびしいものであると示されています。  私自身も、愛する者と別れる苦しみを経験しました。それは母方の祖母との別れでした。祖母は大柄で、いつも笑顔で、優しく、温かい人でした。私が祖父母の家で両親に怒られると、泣いたり怒ったりした私を、祖母はいつも慰めてくれました。ですので、心安らげた祖母の膝(ひざ)の上がいつも定位置となりました。  祖母とは、学校の休みごとにしか会わなかったのですが、いつも、どんな時でも「ナンマンダブナンマンダブ」と称えていたそうです。 共にお念仏申す  そんな祖母は、毎日決まって夕方の5時になると、祖父と共に仏間で正信偈をおつとめしていました。そして、おつとめが終わったあとも、一人でお念仏を称えていたことを今でも覚えています。  そんな祖母が、体調を崩したのは10年ほど前のことでした。糖尿病になり、目が見えなくなりました。次々に病気にかかり、大柄だった身体もとても小さくなっていきました。  そして、私が
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阿弥陀さまを大事に

 「あなたにだけあげる」  心に残っているお同行(どうぎょう)の言葉です。  小学校低学年の頃の私は、自坊でお座があるのを待ちに待っていました。いつもご法座があると、私の好きなお菓子を袋に入れてお参りに来られるT子さんというお同行がいたからです。  T子さんはお寺にお参りになられると、本堂にあがる前に必ず家の玄関に来られます。そのT子さんの声が聞こえると、お菓子欲しさに一目散に走っていく私がいました。私の姿を見つけると、ニコニコしながらおいでおいでと呼んでくれます。  「これ、あなたにだけあげる」  と言ってお菓子の入った袋をカバンから取り出すのです。その袋を受け取ると同時に、T子さんは私の手をパッと握ってきます。袋の中身をすぐに見たい私がその手を振り払おうとすると、今度は両手でギュッと握って離してくれません。  「阿弥陀さま大事にしてね。お寺に参ってね」  T子さんの顔を見ると、ドキッとするような優しくも真剣な表情が私へ向けられているのです。「うん、わかった」と応えるまで握り続けるその手の温もりは今も心に残っています。 だひたすらに  昨年の10月のことでした。富山のお寺に嫁いでいる姉のご縁で、報恩講のご法話によせていただいた時のことです。いつもお念仏をよろこんでおられたT子さんの話になったのです。  「T子さんかあ。懐かしいなあ。いつも明るくて、ニコニコしてたおばあちゃんで・・・。そういえば、お寺に来られたらいつもお菓子くれてたよね」  「あれ??」と私は一瞬思いました。私にだけあげると言っていたはずでは?と思ったのです。  家に帰ってからもう一人の姉にT子さんのことを聞い
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親子で猛特訓

 「這(は)えば立て立てば歩めの親心」。子の成長を目を細めてあたたかく見守っているやさしい親心が表されています。しかし、あるご法話で、「這えば立て立てば歩めの親のエゴ」と聞かせていただいたことで、少し見方がかわりました。  息子の入園式を前に、先生から「お子さんのお名前を呼びますので、呼ばれた人はハイと大きな返事をして立ち上がってくださいね」と言われました。早速、家で猛特訓が始まりました。 「先生に呼ばれたらどうすんの?」 「知らん」 「違うやろ。はーいって大きな返事するんやろ。よし、練習や。藤本慶哉くん」 「・・・」 「慶哉くん」 「・・・はい・・・」 「よっしゃー、やればできる。返事したらどうすんの」 「知らん」 「立つんやろ」  まぁ、そんなやり取りで特訓した結果、なんとかできるようになったのです。  さて、入園式当日。先生が名前を呼び始めました。「はい」と力強く返事をして、すくっと立つお子さんがおられます。すると保護者の方でしょうか。「よくやった。えらい」と大きな声をあげて会場に響き渡るような拍手。一方で、恥ずかしそうにもじもじして返事ができないお子さんがいらっしゃいます。「もーうちの子は・・・」と恥ずかしそうにしている親御(おやご)さん。いよいよ息子の番です。  「藤本慶哉くん・・・・・・藤本慶哉くーん・・・・・・」  わが子は何をしているかといえば、椅子に後ろ向きに座って、先生にお尻をむけ、そ知らぬ顔ですましています。  「あーやりよった。あれだけ練習したのに」  私は恥ずかしくなって、悔しくなって、帰ったら怒ってやろうと思いました。 お念仏をいただく  入園式も終
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姪のケーキを作る

 昨年11月、妹の長女が3歳の誕生日を迎えるにあたり、家族全員でお祝いすることになりました。そこで、母が私の連れ合いに、誕生日ケーキを作るように頼みました。  なぜ、妹の長女の誕生日ケーキを私の連れ合いが作ることになるのかといいますと、私たちの娘が小麦アレルギーを持っていたからです。小麦粉が少量でも体内に入ってしまうと体中にかゆみが走り、顔を含めた全身がはれ上がるような状況でした。  店頭に並んでいるケーキは、基本的に小麦粉が使われています。それを買ってきたのでは、一人ケーキを食べることができない子が出てきます。それが、私たちの娘だったのです。  最近は小麦アレルギーで悩んでいる方が増えてきたようで、スーパーなどでも小麦粉に代わる米粉を置いてくださる所が増えてきました。そこで母は私たちの娘のことを一番理解している連れ合いに、アレルギーの出ない食材を使った、娘も食べることのできるケーキを作るように頼んだのです。  早速、連れ合いはスーパーに行き、娘に合わせ米粉を含めたアレルギーの出ない食材を探し、子どもたちが喜ぶようにと、果物などを買ってきてケーキを作りました。 条件などつけない  その晩、子どもたちが大喜びで、おいしそうにケーキを仲良く食べている姿を見た時、私も心からうれしくなりました。  この日の誕生日会では、たとえ主役であっても、妹の長女の好みだけに合わせてしまったのでは、娘はケーキを食べることができず、楽しい会にはならなかったでしょう。  どうすればみんながケーキを食べて、楽しい雰囲気のまま会を終えることができるのか?それは、アレルギーのある娘に合わせることでした。  相
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初参式は誰のため

 先日、生後4カ月になった息子の初参式(しょさんしき)のため、お世話になっているお寺に参りました。  初参式は、新たな命の誕生をよろこび、初めて阿弥陀さまにご挨拶をさせていただく大切な儀式です。私たち夫婦と、それぞれの両親も一緒に、家族総出で息子と阿弥陀さまのご縁を喜びました。  しかし、考えてみると、生後4カ月の息子は、おつとめができるわけでもありませんし、ご法話がわかるわけでもありません。阿弥陀さまという仏さまのこともよくわからないでしょう。わけがわからないまま連れてこられて、周りの大人が騒がしくしているなあ、くらいにしか思っていないかもしれません。  そんな息子にとって、この初参式は「お寺へのお参り」であったり「聞法(もんぼう)」であると言えるのだろうか?そんな疑問が後になってふとわいてきたのです。  そう思った時、初参式の時のご住職のご法話を思い出しました。  「初参式は、赤ちゃんが初めてお参りに行くことを祝う儀式ですが、その赤ちゃんのお母さんも、お父さんも、その子が生まれた時に親として生まれました。ですから、この子が4カ月生きたなら、この子の親も生後4カ月の親なのです」  確かに、私たちはこの子が生まれた時に、初めてこの子のお母さん・お父さんとしてスタートしたのです。生後4カ月の子の親である私たちは、生後4カ月のお母さん・お父さんというわけです。  「この初参式は、息子のための儀式だ」と思っていましたが、実は、親として生まれた私たちにとっても〝初参式〟だったのだなと知らされたのでした。 私のためのご縁  初参式は、息子を縁としておつとめする家族みんなのための初参式でし
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忘れられないひとみ

 銀座の一角にある画廊に「僧職ナイト」という、仕事帰りの会社員や学生たちと僧侶が語り合う場があります。仏教や浄土真宗のこと、日常生活の出来事から悩み事の相談まで、仏教とご縁がない方々と私たち僧侶が気軽に語り合っています。  悩みの相談で多いのは、家族や友人、上司と部下など、やはり人間関係の問題でしょう。そんな悩みを聞いて私がいつも感じるのは、状況は人それぞれですが、根源的な問題として横たわる、人と人との間にいつの間にかできてしまう「壁」という存在のことです。  数年前になりますが、国際協力活動を行うNGO団体の研修で中東パレスチナ自治区を訪れました。首都エルサレムは、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の聖地がある宗教都市です。訪れてまず驚いたのは、辺りを張り巡らす高さ8メートルの巨大なコンクリートの「壁」でした。  1948年、ユダヤ人がイスラエルを建国し、もともとパレスチナに住んでいたアラブ人との間に紛争が起こります。イスラエルの安全を守るという理由でこの壁は造成されました。壁は決められた境界線を大きくまたぎパレスチナ側の道路や学校、家の中までをも分断しています。そして何よりも二つの民族の心を分断しているのです。  ある者にとって必要であっても、他の者の平穏な生活を破壊する壁には違いありません。迫る巨大な壁を前に、他者を犠牲にしても自らの利益を追い求める人間の心の欲深さを見るような思いがしました。  そんな状況下でも、輝いていた子どもたちの目が忘れられません。ある難民キャンプを訪れ、楽しく遊び仲良くなった少年に質問されました。  「あなたの名前は何ですか?」  私が答え、少年の
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まさに無常(あるお坊さんの話)

 今夏、父がその一期(いちご)を終えました。長年、雅楽に親しんできた父は、8月上旬に久しぶりに舞楽を舞ったばかりでした。お盆の時も、住職として多くのご門徒と本堂でお話をさせていただいておりました。ところが、お盆明けに突然体調不良を訴え入院し、8月末に急逝しました。まさに無常を具現するような出来事でした。  通夜や葬儀の準備をしながら、まったく理解できないことの中で自分がいる、という、とても奇妙な気持ちでいました。父の死への悲しみも封印されたままでした。あまりにも突然すぎて、あっけなさすぎて、本来自然に湧き出るはずの感情すら、反応に困っている状態でした。  父や私が所属する雅楽会では、会員の通夜の席で、献楽するならわしになっています。演奏する曲は、父が一番得意としていた舞楽の曲をお願いしました。しかし、献楽の間近になって「これは失敗したかな」と思い始めました。その曲がきっかけになって感情があふれ出て、涙が止まらなくなって献楽後のご挨拶ができなくなったらどうしよう、と思ったのです。  そんな思いを巡らせているうちに、たくさんの方による演奏が始まりました。最初ははらはらしていたのですが、不思議なことに、雅楽の音の中から、笑顔で語り掛ける父の声が自然に聞こえたような気がしました。  「突然いなくなって、お前たちと一緒におれなくなったのは残念やけど、わしのことは悲しむ必要はないよ。お浄土に生まれさせてもろたから・・・。死んだ後も全然つらくないし、むしろ、この雅楽の音のように清らかでええところや・・・」  この声が聞こえてから、凍てついていた私の心は次第に解けほぐれて、涙が出るどころか、不
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終活〟をはじめる、手紙…

 ご院主さん聞いとくなはれ。ちょっと手紙を書かせてもらいます。私は今年77歳の喜寿を迎えました。なんとなく体がしんどくて、気になって早々と病院へ行きました。お医者さんがおっしゃいました。  「どこも悪いとこありません。としのせいでしょう」。そうです、加齢のためです。私は後期高齢者に分類されております。  平均寿命まではまだ何年かあるはずですが、日をまちがえます、時間をまちがえます。外出時には、カギをかけたやろか、電気消したやろか、仏だんのローソクの灯はどうやったろうか、と必ず一度は家へもどります。テレビみてましても、健康のために、長生きのためにと、サプリメントの広告が不安をあおりますし、市からは〝無料で検査をしてやるから病院へ〟と催促の案内がとどきます。  眠りは浅いし、夜中には2回も3回も便所へ行かんならんし、小学校の同窓会も3年に1回やったんが、5年前から「毎年しよう」ということになったんです。それでも参加者はへりつづけ、ついこのあいだなんかはまるで達者じまんみたいで、ああ同窓会もこれで終わりやなあと思いました。昨日の気力・体力が今日はないんです。  そんなこんなで、私もついに人生の終わりにむけての準備活動、つまりいま世間で言われる〝終活〟をはじめようと決心したのです。  現代は〝無縁社会〟やと言われ、そこへ〝孤独死〟やの、家族でのうて〝孤族〟やと追いうちをかけられ、いや恥ずかしいことですが、もっと早うに、若いときにしっかりと聴聞させていただいてたら、とご院主さんすまんことです。  息子夫婦も孫も、遠くに離れて住んでます。ですから、いま家ではばあさん、いや嫁さんと二人ぐらし
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お仏飯で育つ

 先日、あるお宅で報恩講のおつとめをした時のことでした。お茶をいただきながら話をしていますと、そのお宅のご年配の女性から突然、「私はあんたのおしめを取り替えたこともあるんよ。それもバスの中で」と言われました。そんなご冗談を・・・と思いながら続きを聞きました。  私のお寺では毎年、本山へ団体参拝を行っているのですが、二十数年前、まだ幼かった私も一緒に参加したようでした。おしめの卒業が少し遅れていた私は、予想通り、バスの中でしてしまったらしいのです。  予想していたものの慌てる母を察してか、周りのベテランの女性方が揺れる車中で手際よく私のおしめを取り替えてくれたそうです。話を聞き終わるや、あまりの恥ずかしさに私は耳の先まで赤くなりましたが、その方は「ええ思い出です」とにこやかにおっしゃいました。  また、私が生まれて間もない頃、「跡取(あとと)りが生まれたんじゃね。よかったね」と皆さんが言ってくださったそうですが、そんな言葉を聞いて過ごした私は、幼稚園に入り、将来の夢を絵に描こうというとき、何を勘違いしたのか「鳥」の絵を描いたそうです。お寺に参られた方々は、私が自慢げに示したその絵を見て、「アトトリを鳥じゃと思うとるよ」と皆で笑った、というお話も披露してくださったのです。  このような話を聞くと、周囲の方々の願いとお育ての中にいること、「あんたはお仏飯で育つんじゃよ」と言われたその意味を、あらためて感じることができます。 そんな幼少期を過ごした私も次第に大きくなりますと、自我の芽生えとともに、何でも自分で決め、自分でしないと気がすまなくなってきました。  以前は父が「今年も京都へ団
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長生きの保証書

 「浄土真宗ってどういう教えですか?」と尋ねられたら、「それはお浄土の真(まこと)を宗(むね)とすることです」と答えます。私のいのちが、人生が、お浄土の真に貫かれているということです。お浄土とは、私がこの限りあるいのちを生き切る依りどころ、支えです。  ところが、私たちの現状はどうかといえば、お浄土が生きることとは無関係なところに切り離されて、死後の世界に追いやられてしまっているように感じます。ですから、60歳や70歳になった方にお寺参りを勧めても、「私にはまだ早いから、当分お参りする気はありません」と言われます。80歳、90歳まで生きられて当然、死後のことなど考える暇があったら、いかに楽しく生きるかを考える方が利口と言わんばかりです。  ちまたでは、いわゆる「平均寿命」なる数字が幅を利かし、あたかも80歳までは生きられるかのように考える人も多いようですが、私は誰からもそんな保証書はもらっていません。私だけでなく、誰一人としてそんな保証はしてもらっていないはずです。  確かに、100歳まで生きる人は年々増えているのかも知れません。しかし、平均寿命に至らずに終わるいのちもたくさんあります。病気が縁で終わる若いいのちもあれば、不慮の事故が縁で終わる幼いいのちもあります。いのちの事実は「老少不定(ろうしょうふじょう)」。老いた者から順番にいのちが終わるのではないのです。  そう言うと、「そんなこと言われなくてもわかっているさ」と言われるかも知れません。しかし、頭ではわかっているつもりでも、私たちの心と体はなかなか理解しようとはしません。だから、大切な人を失った時には、私たちは平静を保
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西に沈む夕日を眺め

 私の今の楽しみの一つは、2人の子どもと本堂でお夕事(ゆうじ)のお参りをすることです。子どもたちが見たいテレビ番組などがあると、なかなか素直についてきませんが、子どもたちには、親である私が、阿弥陀さまのことを大切にして、お参りをする姿をできるだけ見せておきたいと思っています。  本当に大切なことは、後ろ姿を通して伝わっていくのではないかと思います。阿弥陀さまに手を合わせることもそうです。おじいちゃんやおばあちゃん、父親や母親、そして周りの大人たちが阿弥陀さまに手を合わせる姿を子どもたちが見て、またその子も手を合わせる人として育っていきます。 私自身も、かつて祖父と一緒にお参りをしたその後ろ姿が、心に強く残っています。  中学生の頃、私はサッカー部に所属していましたので、日頃は帰宅が遅かったのですが、定期試験前など部活動が休みのときは早く家に帰っていました。そういう時は、夕方になると決まって祖父が「おーい、おつとめやぞー」と呼びに来ました。私は祖父の後について、まず本堂で正信偈をおつとめし、続いて会館の2階の仏間でおつとめをします。そしてその後、天気のよい日には、祖父は決まって会館の2階の窓から西に沈む夕陽を眺めていました。  私の住んでいる地域は夕焼けが大変きれいなところで、「砥山夕照(とやませきしょう)」と呼ばれ、栗太八景の一つにも数えられています。周りをぐるっと山に囲まれているのですが、ちょうど西の方角だけ山が切れていて、天気がよければ、お夕事の時間帯に本当にきれいな夕焼けが見えます。そういう時、祖父は西の方に向かってじっと手を合わせて、なかなか動こうとしませんでした。  
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幻の完全試合

 2010年6月、大リーグ・デトロイトタイガースのアルマンド・ガララーガ投手は、9回ツーアウトまでパーフェクトピッチングを続けていました。27人目の打者が打った一、二塁間へのゴロを一塁手が捕球し、ベースカバーに入ったガララーガに送球しました。塁審はセーフのジャッジを下し、それに対してタイガースの選手たちは大いに抗議し球場全体も騒然となりましたが、判定は覆(くつがえ)りません。  試合終了後、ビデオ再生を見たこの塁審は明らかに自分のミスジャッジであると認め、すぐさまガララーガ投手に詫(わ)びました。審判のミスジャッジによって大リーグ史上21番目のパーフェクトゲーム達成投手になれなかったのですから、ガララーガ投手の無念さは想像に余りあるものがあります。  ところが彼は、「たぶん僕よりも彼のほうがつらい思いをしているだろう」と反対に気遣い、心から詫びるこの審判を「完全な人間なんていないのだから」と言って、寛容な態度で許したのです。  唐突なようですが、このニュースを聞いて私は、聖徳太子の「憲法十七条」の第十条の言葉を思い出しました。  「われかならず聖(ひじり)なるにあらず、かれかならず愚(おろ)かなるにあらず。ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ」 日本に仏教を受け入れて、仏教精神にもとづく社会のあり方を目指されたのが聖徳太子でした。もちろんガララーガ投手が聖徳太子や「憲法十七条」を知っていたはずはありませんし、彼の示した態度を仏教精神に裏付けられたものというつもりもありません。ただ世の東西を問わず、人は自分の非はなかなか素直に認めようとせず、逆に自分への不利益に対しては怒りや報復
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生老病死の四苦

 お釈迦さまは「人生は苦である」として、「生(しょう)・老・病・死」の四苦(しく)を示されました。確かに、生まれたからには誰しも、老・病・死を背負って生きていかなければなりません。  若い時には平気だったのに、体力が続かないなど、日常のふとした時に自分の老化を痛感することがありますが、そんな時は「本当に年はとりたくないもんだ・・・」と誰もが思うことでしょう。  病気もそうです。誰だって病気になんかなりたくありません。でも、病気になってしまったら引き受けるしかありません。それなのに、なんで私がこんなことになったのか・・・と思い悩んでしまいます。  昨年のことです。突然、腰に痛みを感じました。お酒の席でしたので、友人が「飲めば治る」というので飲み続けたところ、痛みが消えたのです。「本当に治った」と喜んだのですが、次の朝は痛みで目が覚め、動けないほどになり、お世話になっているカイロプラクティックの先生にみてもらいました。  先生は首から肩、腰とマッサージをして、「老化かな」と言ってお腹(なか)を手で診察された時、「あっ」と言われたのです。「何ですか」と聞くと、「いや、何でもありません」と言われましたが気になります。おかげで痛みは和らぎましたが、気になったせいでしょうか、帰宅する車の中でまた痛み出しました。  今度は友人のところで電気治療をしてもらい、湿布をたくさんはってもらいました。帰り際に友人が薬をくれたので、飲んでから帰りました。  家に着いて、横になって休んでいると、妻が「この薬を飲むと、痛くないの?」と尋ねるのです。「痛くないよ」と答えると、妻は「おかしいね、これは化膿止めよ
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自分を知ってる?

 私たちは、自分のことは自分が最もよく知っているつもりで暮らしているのではないでしょうか。ところが、案外、そうでもないことに気付かされたクイズがあります。簡単なものですので、ぜひ、挑戦していただきたいと思います。こんなクイズです。 ◇ <問題>父と息子がドライブに出かけました。ところが、事故に遭(あ)ってしまい、二人はそれぞれ別の病院に運ばれました。 息子が病院に到着すると、待っていた外科医が出てきて叫びました。 「これは私の息子!」 病院に運ばれてきた息子と、外科医とはどのような関係でしょうか。 ◇  答えは出ましたでしょうか。 息子のことを「私の息子!」と呼ぶ人は父か母です。お父さんはここにいませんから、外科医は運ばれてきた息子の母親になります。息子と外科医の関係は母子だというのが正解です。お母さんが外科医として勤務する病院に、たまたま息子さんが運ばれたのでした。  私はこのクイズに答えることができませんでした。なぜかと考えていきますと、「外科医と言えば男性」という誤った思い込みが原因でした。試(こころ)みに問題文の「外科医」を「看護師」に置き換えると、間髪入れずに正解できそうです。  もちろん、私も女性の外科医がおられることは知っていました。けれども、その知識は役立ちませんでした。つまり、このクイズでは、知識の有無ではなく、私の愚かさ、すなわち誤った思い込みに自分の力では気付くことができないことが問題にされているのです。 仏かねてしろしめして  私はこのクイズに出あうまで、自分の物事の見方がこんなに危ういものであるとは考えもしませんでした。  私がクイズに答えられなかった
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意地悪なあの人にもう限界!S気質の人の本質と接し方

10年くらい前から、人の性格的傾向を表現するために、「あの人Sっぽいよね」とか「私Mだから」などという会話が日常的に使われるようになりました。もともとSやMという表現はウクライナ出身の小説家、マゾッホの『毛皮をきたヴィーナス』の話などがもととなっており、性癖という意味合いが強かったのですが、最近では性格的な傾向を『攻撃的か受身か』という基準で当てはめるためによく使われるようになっていますね。もともとS的要素、M的要素は人の中に同居している感情です。そのバランスがどちからに大きく偏っているように見られる場合のみ本当の意味で使われる表現だと思います。占いのご相談にはいわゆるドSな人達への対処法がわからずに悩んでいる・・という人が多いです。ドSな上司に苦労する部下「うちの部署の上司はドSで、毎日のように部下をいびるから、あの人の下についた人はほとんどやめてしまって業務の効率が落ちてしまう」などという話をよく聞きます。以前占いのご相談をしてくださったあるご相談者の女性もいわゆるドSな上司から日々叱咤、嫌がらせを受けていて、精神的にとても追い詰められていました。彼女から聞いた話によると、上司は新人が入るとはじめは必ず怒鳴り、説教をするそうです。何かしらその人の痛いところ、つまり弱みをまさぐるように探し当て、「おまえは大学中退か?ここにいる全員大学をしっかり出て転職もせずにしっかりした職業人生を送っているというのに・・おまえはそれでどうするんだ!?人生ナメてんのか!?」などと、入社が決まり、これから頑張っていこう!と緊張しながら入社した社員に脅すようにそのような痛烈な言葉を浴びせるそうです
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法要つとめる心持ち

 先日、ご門徒のお宅で一周忌のご法要をおつとめしました。 一周忌は最初の年忌法要ですので、私は「法要はどんな気持ちでおつとめしたらいいのか」ということを、お話しすることにしています。  私自身も若い時、そのことを先輩にお聞きしたところ、二つの心持ちでつとめよと教えていただいたのです。  一つは「故人を偲ぶこと」です。 法要にお参りしている人たちは故人と縁の深い人たちばかりですから、これは当然でしょう。皆さんが故人の思い出話をしていました。そして、自分の暮らしを故人にご報告されるのがよいと思います。  もう一つは「ご勝縁(しょうえん)」です。法要は、日常忙しい生活をしている人も、仏縁を結ぶことのできる優(すぐ)れたチャンスだということです。 つまり、ご法要は亡き人を偲ぶとともに、仏縁を結ぶ大切な行事であるということでしょう。  『三帰依文(さんきえもん)』の最初の文に、「人身受(じんしんう)け難(がた)し、今すでに受(う)く。仏法聞(ぶっぽうき)き難し、今すでに聞く」とあります。  人間として生まれることは、とても難しい。しかし、そのことを今初めて気付くことができた。仏法についても同じことだという意味でしょう。  私が学校に勤めていた時に、生物の先生とこんな話をしました。 「現在、地球上には多くの生命体がありますが、一番多いのは何ですか」と聞いたところ、バクテリアやウイルスなどのミクロの世界の生物、微生物だそうです。  グラウンドで話を続けました。「例えば、このグラウンドの砂が地球上の命の数だとしたら、人間の数はどれ位ですかね」と問うと、「一握りの砂」だと教えられました。 これで
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大人のあり方が影響

 新しい年度が始まり、日本列島も春爛漫(らんまん)の季節を迎えました。ピカピカの新入生たちが、それぞれの世界で輝き羽ばたいています。春の陽光に包まれてはしゃぐ子どもたちの笑顔は、何ものにも替えがたい尊いものです。  しかしながら今、子どもたちを取りまく環境は大変きびしく、学校でのいじめや教職員による体罰、さらには家庭内での虐待など、昨年1年間のまとめによりますと、これまでの統計で最も多かったことが報じられていました。残念ではありますが、その中にはかけがえのない尊い〈いのち〉を自ら絶ってしまった児童や生徒が含まれていることは周知の通りです。  このようないじめ・体罰・虐待はどうして起こるのだろうかと、その原因を探ってみますと、一つには大人社会の価値観の倒錯やその生き方などが影響していると言っても過言ではありません。さらに追跡をいたしますと、戦後教育において宗教教育を忌諱(きき)してきた文教施策のもたらした弊害と言えなくもありません。自分の権利の主張には長(た)けていても義務を遂行することは他人任せで、自分の思い通りにならなければ他人のせいにするなど、自己中心のライフスタイルが反映しているとも言えるのです。  かつての家庭には独自の家風があり、学校にはよき校風があって、それぞれが人間性を育(はぐく)む学びの場でありました。今、その学びの場が機能せず、親も教師も自己主張や防衛に腐心して、都合の悪いことは隠蔽(いんぺい)する体質で、人間存在の原点である〈いのちの教育〉についての学びを置き去りにしてきたからではないでしょうか。生きとし生けるものの〈いのち〉の尊厳について真摯に向き合うこと
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報道の力は大きい

 あるお寺のお話です、田舎の小さなお寺です。境内の本堂の屋根に枝がかかりそうな場所に、斜めに生えた桜の木がありました。ほかの桜から遅れて4月の終わりごろの温かい時期に花を咲かせ、天気がいい日には、その桜の下で花見をしながら家族でお昼ごはんを食べたりしていました。  4年ほど前、門徒の方がきれいに咲いた桜を見て、この桜はなんという品種ですか、と尋ねてこられました。詳しいことは知らないと伝えると、植物園で聞いてみますと言われるので、枝を切って、持って行ってもらいました。  いろいろな調査の結果、この桜が、どこにもない新種であることがわかりました。名前を調べようとしたら、名前がない桜であるとわかったのです。  このニュースは、地元の新聞やテレビで大きく報道されました。メディアの力は大きく、その年の春はずいぶんと忙しくなりました。電話はひっきりなしに鳴り、境内にはカメラを持った人がたくさん訪れ、暗くなるまで人が絶えませんでした。はじめは、ようこそようこそと出迎えていたのですが、だんだんと説明するのも追いつかなくなり、お参りにも行けない状況となりました。あわてて案内のチラシを作りましたが、コピーしたものがすぐになくなり、結局、1000枚ほど印刷することになりました。本堂で手を合わせていかれる方も多く、桜のおかげで、たくさんのご縁を結ぶことができました。 仏さまのそばなのに  しかし、たくさんの方が来られると、困ったことも起こります。もっとほかに見るものはないかと、境内の裏のほうまで見に来られる方もいらっしゃいます。うっかり洗濯物も出しておけません。犬の散歩がてら来られて隅の方で用を足して
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死は終わりではない

 昨年11月11日付、産経新聞朝刊の1面に、東日本大震災で親友のゆいちゃんを亡くした小学1年生の羽奈ちゃんの記事が掲載されていました。羽奈ちゃんは親友のゆいちゃんと、海岸から1・5キロ内陸にある同じ幼稚園に通っていました。  その幼稚園を津波が襲い、園児8人、職員1人が、避難するために乗った送迎バスごと流されて亡くなりました。早退していた羽奈ちゃんは、海から遠く離れた病院にいて助かりました。  震災後、小学生になった羽奈ちゃんは、毎週、幼稚園の献花台を訪れ、置かれたノートにメッセージを書き続けているそうです。「まるで亡くなったゆいちゃんが目の前にいて、話しているかのよう」だと、記者は綴っています。  私が住職を務めるお寺では、わが子を亡くした母親が、毎日お墓参りに来られています。もう1年が過ぎました。私は、その姿を見守り続けることしかできませんが、お母さんはきっと「ここへ来ればわが子に会える」との思いで来ずにはおれないのだと、私は感じてきました。  住職として、多くの人の死と、その家族や周囲の人たちに会ってきました。予期せぬ別れであったり、つらい別れにも出会ってきました。それらの経験から私が学び感じてきたことは、「死んだら終わりではない」と仏教が説き続けてきたことが、その通りなんだということでした。「死んだら終わりではない」ことは、私の死ということと遺(のこ)された方にとっても、その両方に言えることなのです。 何でも話せる場所  以前出会った詩に、小学6年生(当時)の中村良子さんが書いた『宿題』があります。良子さんのお母さんは若くして亡くなりましたが、学校の宿題で「お母さんの詩
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その視線の先は...

 長いゴールデンウイークも、あっという間に終わりを告げました。楽しい休日を過ごした子どもたちにとって、次の楽しみは夏休みでしょうか。  ある年の夏休みのことです。長いお休みも終わりに近付いた8月下旬、お寺のサマースクールには、朝から近所の子どもたちが夏休みの宿題を持って遊びにやって来ました。  一緒に「正信偈」のおつとめの後、机を並べてみんな一斉に夏休みの宿題帳「夏の友」を開きます。課題が進んでいる子もいれば、これから取りかかる子も・・・。その中に、兄妹で参加してくれているA君がいました。みんなが勉強しているのをよそに、何をするわけでもなく座っていました。  私が「宿題忘れたん?」と尋ねると、「宿題もうできたよ!」と言ったままじっと座っています。 「どうしたん?」と、さらに尋ねると、「でかいなぁ!」とひと言。珍しそうに見入るその視線の先は、お内陣の阿弥陀さまでした。  ご門徒さんのお仏壇の阿弥陀さまからすると、本堂の阿弥陀さまがとても大きいなぁと目に映(うつ)ったのでしょう。  しばらくA君の視線の先の阿弥陀さまを、一緒に眺めていました。すると「宿題終わったけん、遊んでもいい?」とA君。 「ほかのみんなは、まだ勉強してるから、もうちょっと待ってね・・・」 その時ふと、子どもたちと一緒におつとめした「正信偈」のご文(もん)がうかびました。  重誓名声聞十方(じゅうせいみょうしょうもんじっぽう) ── 「重(かさ)ねて誓(ちか)ふらくは、名声十方(みょうしょうじっぽう)に聞(きこ)えんと」 私が呼ぶ前から  阿弥陀さまは、自らの名前である「南無阿弥陀仏」の名号(みょうごう)が、あら
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今の自分はどうか?

 「みんな生かされているんだよ」と、私は生徒に頻繁に語ります。 私が奉職している東京の千代田女学園中学校・高等学校は、創立125周年、本願寺の龍谷総合学園に加盟している中高一貫の女子校です。  4月になると新入生が入学してきます。中学1年生は、本当にまだ小学生の延長線上にあるような幼い状態ですが、その分素直な心を持っています。その姿を見て、先生として、というより人間として、恥ずかしく思うことが多々あります。鏡のように、自分の姿が生徒に映っているからかもしれません。  浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、ご自身のことを「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)」と自ら語り、常に自己と向き合ってみ教えに生きられた方であると言えましょう。  ところで、「素直に話を聞きましょう」「常に自分を振り返りましょう」などと日常的に使いますし、それを否定する人はいないのではないかと思います。学校という場所に身を置いているからこそ感じることかもしれませんが、素直に指導を聞いてくれる生徒ほど早く上達するということは、本当に多くの先生方が実感されます。先生が正しく一生懸命に生徒を指導すれば、生徒はきちんと成長します。クラブ活動などではそのことがよくわかります。  その生徒の姿を見て感じることは、「今の自分は素直に人の話が聞けているのか。素直に行動に移せているのか」という思いです。先生として今の自分は正しい指導ができているのか、という思いと、人間として素直に行動しているのかという思いは、共通しています。理想通りにはいきませんが、努力はしなくてはいけないという思いで日々生活を送っています。 知恵と智慧のちがい
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慌てず様子を見て...

 お釈迦さまの涅槃(ねはん)のご様子は、涅槃図として描かれ、時代を越え国を越えて、お釈迦さまを敬う人々の間で「絵解(えと)き」として伝えられてきました。その絵には、弟子たちの姿や悲しむ動物たち、沙羅双樹(さらそうじゅ)などが描かれていますが、空を見ますと、雲に女性の姿を見ることができます。  この方は、お釈迦さまの母「マーヤ夫人(ふじん)」の姿だそうです。お釈迦さまの誕生から7日後に亡くなられたお母さまのことを、お釈迦さまはとても大切に思っておられたことがわかります。いつもそのご活躍を見守られ、いよいよ涅槃をむかえられる時にも、会いに来てくださる姿がそこには描かれています。  私は今年の9月、三男の7回忌を迎えます。2007年の9月9日、三男の亮都(りょうと)は、3歳で急死しました。当時、私は妻と5歳の長男、3歳の双子の次男、三男の5人家族で、双子の弟たちがようやく幼稚園に通うようになった矢先のことでした。  9月8日、その日は土曜日でしたが、3人ともいつものように元気に朝のお参りをしました。そのお昼過ぎ、お昼寝からさめると、三男は38度の熱がありました。かかりつけの小児科の先生は、普段から「熱があってもあわてなくていいですよ。食欲があって元気なようだったら、しばらく様子をみてください。元気がなければいつでも診察しますから」と言ってくださっていました。  様子をみていると、元気にお兄ちゃん二人と一緒に遊んで、晩ご飯も残さずに食べましたので、少し安心していました。長男、次男を順番にお風呂に入れている時、三男は突然倒れました。あわてて抱き起こすと、まったく息ができず、唇は紫色に変わ
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この子の分まで...

※ある女性のお話です。 澄んだ夜空を見ると、いまも鮮明に思い出すことがあります。 その日は、通院の日でした。夕方からの診察だったので、終わって病院を出た頃には、夜の帳(とばり)がおりていました。当時、私は九州の小さな町に住んでいて、どこに行くのも自分で車を運転していました。  病院の帰り道に、町で一番の大きな交差点にさしかかったとき、猫の横たわった身体が運転する私の眼に入ってきました。往来する車も多く、止まることができずに通り過ぎましたが、バックミラーに映った猫はピクリとも動きません。ほどなく家に着いた私は意を決し、猫を納めるための箱とゴム手袋を手に家を出ようとしました。  すると、会社から帰っていた夫が「どこへ行くの?」と聞くので、猫のことを話すと、玄関のドアの前に立ちはだかり、「いまの君の状態では、そんなつらいことはしないほうがいい」と言いました。  病院通いの私の身を案じる夫。「このままだと、あの猫のことが心配で・・・」と言う私。 夫は何度も引きとめましたが、私の決意の固いことを知り、一緒に行くと言ってくれました。  交差点まで二人で歩いて行くと、猫の身体は、まだそこに横たわっていました。夫は、私が車にひかれないようにと、車道に立って見護ってくれました。私はそっと猫を持ち上げました。1キロほどしかない小さな猫でした。子猫は、お母さんとはぐれて、こんな大きな道路の角でひかれてしまったのでしょうか。  猫を入れた箱を抱えて10分ほど、家への緩やかな登り坂をトボトボと歩きました。夫も私も言葉が出ません。涙がほほを濡らし、小さな子猫の身体が、歩くほどに重みを増していきます。その重
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最後のお別れではなく

 最近、お念仏の声が小さくなっている、とよく言われます。特に実感するのが、葬儀の時です。以前はほとんどが自宅で葬儀をしていました。遺族、親族、会葬者が「正信偈」を読誦(どくじゅ)し、そこにはお念仏の声が満ちあふれていました。時代が変わったのでしょうか。葬儀がずいぶん静かになりました。  通夜の法話の中で、心がけていることがあります。人は死んだらみんな仏さまになると思っている人が時々ありますが、決してそうではありません。もしそうなら、キリスト教徒も、イスラム教徒も、仏さまになってしまいます。仏教はそんな独善的な教えではありません。  仏さまになることができるのは仏教徒だけなのです。親鸞さまは「南無阿弥陀仏」とお念仏申す人を真の仏弟子であると教えてくださいました。今こうして悲しみの中にある私たちにできることは、お念仏しかありません。ご一緒にお念仏いたしましょう。そうすれば、これが故人との最後のお別れにはならないはずです。このように法話の中で、必ずお念仏を呼びかけます。  しかし、法話の後で「一同合掌・礼拝」のアナウンスがあるのですが、お念仏の声が増えることはまずありません。どれだけ呼びかけても残念ながら法話の前と同じです。いつも自分の力のなさを思い知らされます。初めて法話を聞いて、いきなり「お念仏いたしましょう」と言われても無理だろうなと思いつつ、それでも愚直に同じことを繰り返しています。 裏切られた期待  しばらく前になりますが、こんなことがありました。60代の男性の方の葬儀でした。いつものように通夜の法話が終わり、やはり静かな合掌・礼拝があって、退出しようと立ち上がった時でした
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最後になるかも・・・

 母の病気が明らかになったのは、数年前の春の頃でした。すでに治療が難しいほど、病気は進んでいました。  痛みだけを和らげる治療を進めることとなり、在宅で緩和ケア専門の先生にお世話になることとなりました。  自宅での療養でしたから、病気が進行して体力がなくなっていく様子がよくわかります。夏を過ぎ、秋になり、いよいよ動けなくなりました。食事もほとんど受けつけなくなり、水も飲めません。  その頃、私は1週間ほど泊まりがけで布教に出かける予定が入っていました。 「もしかしたら、母の往生にあえないかも知れない・・・」との思いで、覚悟しつつ、「行ってくるからね」と母に話しかけました。 母は声を絞り出すように「気をつけてね」といって、いつものように私を送り出してくれました。  重体の母を気遣(づか)い、心配して、「行ってくるからね」と声をかけたつもりが、その母に心配されていたとは・・・。  最後になるかも知れない母の言葉を噛(か)みしめながら、車を走らせました。親の思いは、いつも子どもの心を越えているということでしょう。  布教に出かける二、三日前、往診に来られた先生から一枚の紙を渡されました。先生は、「大丈夫。お母さんはきっとうまく着陸できますよ」とおっしゃいました。その紙には、母の命が終わっていく過程で、心と体に起こりうる変化について丁寧に書かれていました。  母が往生したのは、布教を終えて寺に帰った翌日でした。静かな静かな臨終でした。家族全員で、お念仏を称えさせていただきました。  「穏やかな最期でした。うまく着陸できたのは、先生とスタッフ皆さんのおかげです」というと、先生は「それは、
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あいさつさえも

 みなさんはどんな音楽が好きですか?誰でもお気に入りの曲が一つはあると思います。音楽は、私たちの生活においても大切なものとなっています。  その音楽ですが、さまざまな音から成り立っています。トランペットだったり、サックスだったり・・・。それぞれ違った音色を奏(かな)で、自らが中心となるときは主張し、他の音を引き立てるときは一歩下がり、絶妙なバランスで成り立っています。  もし、そのバランスが崩れたらどうでしょうか。それぞれの音がぶつかり合っているような状態です。音階が一つ違っただけでも、不協和音になってしまいます。不協和音とは、それぞれの音色が本来素晴らしいものであっても、お互いの響きを遮(さえぎ)り、調和のとれない、耳障りに聞こえるような音のことです。  それは私たちの人間関係にもいえるのではないでしょうか。  私は僧侶になる前の仕事の時、まさに不協和音ともいえる関係の方がいました。その方は、私より少し年上の女性の上司・Aさんでした。最初はとても仲良く和気あいあいと仕事をしていたのですが、いつの頃か、私と話をしてもらえなくなりました。  Aさんとは一緒にペアを組んで仕事をしていたので、話さないことには仕事が進みません。しかし、仕事の話どころか、挨拶さえもしてもらえなくなり、意を決して話しかけてみると、「勝手にやったら?」としか言われませんでした。その時、ムカッとした私は、以降、自分からはほとんど関(かか)わろうとしなくなりました。  このことが原因かはわかりませんが、Aさんは胃かいようになってしまい、しばらく胃薬を飲んでいました。苦しかったとは思いますが、なぜそのような対応し
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何か心に引っかかる

今から3年ほど前、あるご門徒の葬儀をおつとめして、斎場に向かう車中でのことです。いつもなら自家用車で斎場に向かいますが、その日はご門徒が私のためにタクシーを呼んでくださっていました。  その時、運転手さんがご自身のお母さまの話をしてくださいました。  「実は私も先日、母を亡くしました。私はできるだけ時間をつくり、施設に入所している母の顔を見に行きました。でも、母は私の顔を見ても他人行儀。晩年から認知症になった母は、私の顔すら忘れてしまっていたのです。とてもショックでした。母の頭の中に、母の心の中に、私の存在がないのかと思うと本当にショックでした。 ただ、それは病気がさせたこと。決して母の意思ではないと何度も自分に言い聞かせました。そしてもう一つ残念なことがあるんです。 それは、母の遺言が聞けなかったことです。 最後に一言、母の遺言が聞けるとよかったんですがね・・・」  運転手さんは「遺言が聞きたかった・・・」と何度もおっしゃっていました。その都度、私は「そうですね・・・」と口では相づちをうっていたのですが、なぜか心の底のほうで何かが引っ掛かるような思いもしていました。  そして、お話を聞いているうちに、気付かせていただいたことがあったのです。それは「遺言」という言葉でした。何度か運転手さんがおっしゃった「遺言」という言葉に引っ掛かりがあったのです。 誰のためか考える  「遺言」という言葉は、ドラマなどでよく見られる臨終間際に発せられる言葉が「遺言」のように思われがちですが、そうではないことに気付かせていただいたのです。遺(のこ)された言葉。遺さなければならなかった言葉なのです。
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美しい蓮の花

 広島の作木町の溜池に自生する蓮の花を、見に行きました。青い空の下、優しいピンクや清楚な白の大輪の花が一面を覆い尽くす様は、あたかも大海の波のようで、その迫力に目を奪われました。  この溜池では、4年ほど前に水を抜いて護岸工事を行ったところ、その翌年から突然、蓮の花が咲き始めたそうです。近くの百歳くらいのおばあさんは、ここに蓮の花が咲くのは見たことがないとおっしゃっています。つまり、少なくとも百年以上昔にあった蓮の種が、工事の影響で傷つき、それが縁となって咲いたのです。  実(じつ)は、蓮の種は硬い殻に覆われていて、そのまま蒔(ま)いても発芽しません。種の一部をヤスリなどで削り、傷つけなければ発芽しないのです。傷つくことが縁で発芽し、美しい花を咲かせる蓮の花。私たち人間も、時に傷つくことが仏縁となり人生に目覚め、美しいいのちの花を咲かすということもあるのではないでしょうか。 私を目覚めさせる仏  「仏さま」「ブッダ」とは「覚者」。つまり「いのちの尊さに目覚めたお方」のことです。そして、自らが目覚めるがゆえに、寝ている者を起こし、必ず目覚めさせずにはおれないお方なのです。私たちは口では、命は尊いとは言うものの、日々有り難く尊い命だとは感じず、愚痴や不平の中に暮らしていて、とても目覚めたとは言えません。そんな私たちに、命の尊さに目覚めてほしいとはたらき続けてくださるお方こそが仏さまなのです。  昨年の2月、お寺の総代を以前してくださっていた方の長男さんが、働き盛りでお亡くなりになりました。初七日の折、「私たちが亡き方を仏さまと仰ぎ、手を合わすのは、私たちにいのちの尊さを目覚めさせて
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三つの小包

 学生時代、郵便局でアルバイトをしていた時のことです。  私の担当は、小包の仕分けでした。全国から届いた小包を、配達区域に分けて、配達員に引き継ぐ仕事です。さまざまな荷物を、差出人から受取人へと取り次ぐという作業の中で、毎月ある荷物が届いていました。  その荷物は大きな段ボール箱で、重量制限いっぱいの30キロの荷物でした。しかも、その荷物が同時に三つも届くのです。配達準備作業もひと苦労です。ところが不思議なことに、その荷物は配達されても、毎回受け取られることなく郵便局に戻ってくるのです。  戻ってくるたびに、翌日の再配達の手続きをしなければなりません。30キロにも及ぶ大きな荷物を持って、保管室と配達員の間を何度も往復するうちに、だんだんとその荷物が煩わしく思えてきます。「どうせまた返ってくる荷物なのに・・・」と思うと、自分のしている作業もむなしく感じてきます。そして保管期限が切れると、決まって差出人に還付されてしまうのです。どうして受け取りのされない大きな荷物が何度も送られてくるのか、長らく疑問でした。  ある時、その荷物を引き受けてきた局員さんに聞いてみました。すると、その三つの小包は年配の母親が息子さんに送ったものでした。ただ、その方は認知症で、息子さんが引っ越したことも忘れてしまい、元の勤め先の住所に荷物を送り続けているのだそうです。  局員さんは事情を知りつつも、その母親の気持ちを思うと言うに言い出せず、結局、荷物を引き受けていたのだそうです。そして、荷物が息子に受け取ってもらえずに戻ってくるときの母親の気落ちした顔を見るたびに「息子さん、次は受け取ってくれるといいです
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安心のメッセージ

 さて、お釈迦さま出世本懐の経典といわれる『大無量寿経』では、浄土からその説法の座に集まられた菩薩方は、「私たちが願わなくても、私たちのために大いなる慈しみをもって親友となり、私の重き荷物を一緒に背負ってくださる方々である」と讃えられています。  そのような菩薩方の中でも、ことにすぐれたお慈悲の心をもって現れてくださったのが、法蔵(ほうぞう)菩薩というお方でした。  師の世自在王(せじざいおう)仏の前で「恐れや不安を抱えて生きるすべてのもののために、私は大きな安らぎとなります」と高らかに宣言し、それを実現するために、長い長いご思案の末に、世に超えすぐれた四十八の誓願をおこされました。  さらに、もっともっと長い時間をかけて、これらの誓願を実現するための修行を積み、見事に一切衆生をもらさず救い取ることのできる「阿弥陀仏」という仏さまとなられたのです。  そして「あなたを救い取る手だてはすべて完成したから、どうか私にまかせなさい」という、仏としての名のりが、私の口からこぼれ出る「南無阿弥陀仏」というお念仏なのです。  いま、『大無量寿経』のお心と「あなたはどこに」という詩に込められたメッセージを重ねてみるとき、  無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり  智眼(ちげん)くらしとかなしむな  生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり  罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ という『正像末(しょうぞうまつ)和讃』の一首が、私の心に強く響いてくるのです。  私たちは、乗り越えられそうにないほどの苦しみや悲しみに出あうと、つらさのあまり、自ら心を閉ざしてしまいがちです。
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ラジオで仏事相談

 私の住む地域では、葬儀の大半が葬儀社の会場で行われます。ある時、葬儀の前に放映されていたビデオ映像で、宗派の紹介が行われていたのですが、「浄土真宗は、亡くなると誰もが極楽浄土に生まれて仏さまとなる有り難い教えです」というコメントを聞き、がくぜんとしました。  日常生活の中で、「死んだら仏」という安易な考えや言葉を聞くことがありますが、経典(きょうてん)のどこを探しても、「死んだら誰もが仏となって浄土に生まれる」とは一言も書いてありません。安易な往生論が安易な生きざまとなっていないか、自らを問いたいものです。  私は地元のラジオで、仏事相談の番組を担当しています。日頃の素朴な仏事に関する質問や疑問をはじめ、さまざまな苦しみや悲しみの想いを聴かせていただいています。また寺院や僧侶、宗教者への叱咤激励(しったげきれい)をいただくこともあり、その一つひとつが、私にとっての大切な学びとなっています。  昨年の暮れに、聴取者の方からお手紙をいただきました。60代後半の女性の方で、その手紙には「人は死んだらどうなるのですか?」「死んだらどこへ行くのですか?」という問いが記されていました。  春先にお嫁さんを亡くされ、残されたお孫さんから「お母さんはどこへいったの?」「何になったの?」と、ことあるごとに尋ねられるそうです。ある時、はからずも「お母さんは星になった」と伝えたその日から、お孫さんは毎日、夜空の下に立って母親を探しました。その姿が余りにもふびんで、本当にそのような答え方でよかったのかという自責の想いとともに、その手紙は綴られていました。  後日、その方とお会いして、お話を伺ったので
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酒蔵の並ぶ川辺に

 9月16日に上陸した台風18号は、河川の氾濫(はんらん)など、各地に甚大な被害をもたらしました。京都・伏見の町も、近くを流れる宇治川や桂川が急激に増水し、多くの家屋が浸水しました。宇治川に注ぐ派流も増水し、毎朝の散歩道も水に浸かる勢いでした。数日後、水の引いた川は、濁流に草が引きちぎられ、堤防は泥だらけの無残な姿になっていました。  そんな堤防を見ながら、私は「もう、土手にコスモスは咲かないなぁ」と、一人のご門徒さんとの想い出を振り返っていました。  そのご門徒さんとは、今年9月12日、102歳でお浄土にかえられた山口杉枝さんという方です。私がいつも「スギエばあちゃん」と親しみを込めて呼んでいた方でした。  スギエばあちゃんは、伏見の酒蔵が立ち並ぶ川辺にお住まいでした。90歳を過ぎて息子さんを亡くし、独り暮らしになってからも自宅前の土手に季節の花を育て、人々の目を楽しませておられました。やがてスギエばあちゃんは娘さんの所に身を寄せられますが、スギエばあちゃんがいなくなった後も、自宅前の土手にはいつもきれいな花が咲いていました。  数年前、初秋を迎えたある日のことでした。足が不自由になってお寺まで歩くことが困難になったスギエばあちゃんから、お寺に一本の電話がかかってきました。  「土手に、コスモスがきれいに咲いたから、とりにきて」  私はうれしくなって、自転車でご自宅へと向かいました。玄関を開けるとスギエばあちゃんは、たくさんのコスモスの花束を抱えて・・・ではなく、一本のハサミを持って、私を出迎えてくれました。  一瞬「えっ?」と思いましたが、スギエばあちゃんの電話は「(摘んだ
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予定通りのほうが・・・

 もう7年前になります。私は数人の友人たちと仏跡参拝旅行を計画し、およそ8日間、インドに滞在しました。すでにインドの旅行を経験した方々から、「現地に入ると、なかなか時間通り、予定通りに行動するのは難しいよ」と聞かされていました。しかし、インドでの最終日、帰国する航空便の遅延には、ほとほと疲れたことでした。  3時間ほど待たされたでしょうか。私たちと同じ便に搭乗予定の人の中には、怒り半分に、説明を求めてカウンターに詰め寄る人もいました。そのいずれもが、インド以外の国の人です。そこで、ずっとご一緒くださった現地ガイドの方に、疑問に思っていたことを友人と共に尋ねてみました。  「インドの人は待たされることに、なぜ苦情も言わず、憤りもしないのですか?」  するとガイドさんはニッコリ笑って、私たちに答えてくれました。  「私はいつも同じ質問を受けますよ。でも考えてみてください。予定通りに物事が進む方がおかしくないですか?あなたたちは仏教徒ですよね?『命は風前の灯(ともしび)のようなもの』だと、聞いたことはないですか?」  中国の善導大師のお言葉の中に聞いたことがありました。  「灯(ともしび)の風中(ふうちゅう)にありて滅(めっ)すること期し難きがごとし・・・」 私たちは「聞いたことがあります」と、その方に答えました。  「日本人は、『命は風前の灯・・・いつ壊れても、いつ消えてもおかしくない命』だと言われるのに、灯(ひ)の付くロウソクの長さだけを眺めていないでしょうか?『予定通り。まだしばらく大丈夫だ』と・・・」  先の善導大師のお言葉は、「忙々(もうもう)たる六道(ろくどう)に定趣無(
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戦いに勝つのではなく

 漫画家のやなせたかしさんが、10月13日に亡くなられました。「手のひらを太陽に」という曲の作詞者としても知られますが、何といっても「アンパンマン」の作者として、とみに有名でしょう。  絵本『アンパンマン』が誕生して50年、テレビアニメの放映が始まって34年になります。その間、アンパンマンは、つねに子どもたちのヒーローであり、国民的人気キャラクターであり続けているのです。  幼稚園の面接で、先生から「何が好き?」と尋ねられて、「アンパンマン・・・」と恥ずかしそうに答えていたのを、今も鮮明に覚えています。  アンパンマンのどこが魅力なのか?なぜ子どもたちは惹かれるのか?――その理由が、やなせさんが亡くなられてから、さまざまな報道を通してわかったような気がします。  やなせさんは言います。正義のヒーローは「戦いに勝つことではなく、ひもじい者に食べ物を与えることだ」と。アンパンマンのキャラクターは、その信念で貫かれているのです。戦争体験をされたやなせさんならではの発想です。そこから「自分の顔を食べさせることで、飢えから助けてあげる」真のヒーローとして、アンパンマンが誕生したのだそうです。  「ほんとうの正義というのは、決してかっこいいものではない。必ず自分も深く傷つくものです」とも言われます。  自らが犠牲になって、弱者や困窮している人を助ける――そこに人びと、特に子どもたちは尊敬のまなざしを持って共感するのでしょう。 大悲の心が私を救う  「他者を救うために犠牲になる」という出来事は、最近、ほかのところでも話題になりました。  横浜市緑区のJR線踏切内で、線路上に倒れたお年寄りの男
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大変だけど素敵

 「阿弥陀さまの光にいつも照らされている」って、どういうことか考えてみましょう。  あるご法事での出来事です。目の前に座ってくれていたのは、中学生の女の子でした。私は、次のような質問から話を始めました。  「ちょっと聞いていいかな。今まで、ウソついたことある?」  皆さんはいかがですか?今までウソをついたことはありませんか?私は「ありません」なんて言えません。あります。その数は・・・・・・正直数えることができません。大きなものから小さなものまで、いろんなウソをついてきました。  その女の子はビックリしていました。いきなり法事の席で質問されたことにもビックリでしょうし、質問の内容にもビックリ、二重の驚きだったようです。それもそのはず、隣にはご両親が、周りには親戚の方がいらっしゃる中での問いかけでした。  「まあまあ、どんなウソかは聞かないからさ(笑)、安心して答えていいよ」  そう言うと、彼女は目を真ん丸に開いて、息をのみながら首を縦に振ってくれました。ウソをついてきた自分を認めた瞬間でした。  しかし、ここで終わりではありません。私はさらに質問を続けました。  「ありがとう。じゃあさ、その今までついてきたウソの中で、まだ誰にもばれていないウソって、ある?」  女の子はさらにビックリです。今度は「えっ!?」と声まで出してしまいました。  とても答えづらい質問ですね。「ばれていないウソがある」って認めてしまうと、その後が大変そうです。その時、一言だけフォローしました。  「お父さん、お母さん、この後いろいろ追及しちゃダメですからね!」  そう言うと、ご両親も笑顔で了解してくださいま
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17年前から減少

 日本の人口は、2005年に戦後初めて前年に比べて減少しました。その後の2年間はわずかに増加しましたが、2008年には前年比7万9000人減と大幅な減少となりました。それ以降現在まで、いずれの月においても、人口は前年に比べて減少し、しかも減少率は徐々に大きくなってきています。つまり、日本は人口減少社会となったのです。  それまでも、少子高齢化が社会構造を大きく変える大変な問題だと指摘されてきましたが、なかなか実感として受け止められませんでした。そのうち、地域の子どもの数が少なくなり、お寺での日曜学校にお参りする子どもたちが激減していきます。  一方、老人会のメンバーの数が増え、地域社会を支える大きな力になっています。三世代同居の家族は少なくなり、多くの子どもたちは、高校卒業や就職を機に親元を離れるのが当たり前のようになっています。農山村地帯だけではなく、地方都市でさえも、伝統的な行事や風習などの伝承、さらには生活の継続さえも次第に難しくなりつつあります。 問題があるのは私  そんな状況の中、祖父母世代からその子どもたち、孫たちへの仏法相続が希薄になっています。かつては、両親が仕事で忙しくて子どもとの接触が薄くても、祖父母から孫へと仏法が伝えられてきました。その依りどころは、お仏壇だったのではないでしょうか。しかし、祖父母と孫が共に生活する機会が失われ、お仏壇のない生活では、仏法の相続が難しくなっているのです。  今や団塊の世代以降の家族では、お仏壇を持たないことが当たり前のようになっています。「亡くなった家族もいないのに、仏壇など必要ない」というのです。しかし、それでは家族に、
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この絵さえあれば...

(先人のお話です) 自坊のお内陣の片隅には、タンポポの花が咲き、綿毛が空に向かって一面に飛ぶ様を描いた屏風(びょうぶ)絵があります。  その絵は、私自身お寺に全く縁がなかった独身時代、浄土真宗のみ教えどころか、宗教に偏見さえ持っていた頃に、いただいたものでした。後に縁あって私はお寺に入り、お内陣に絵を置かせていただいて、今に至っています。  この絵を描いたのは、私の祖母の弟で、3年ほど前、68歳で亡くなりました。彼は生前、新聞記者をしながら男手一つで二人の息子を育て、記者を辞(や)めてからは、島根県の山奥で一人暮らしをしていました。牛小屋を改装し、ギャラリーにした彼の家へ、私は片道2時間半かけて車を走らせ、何度か遊びに行ったのです。話し上手で聞き上手の、冗談が大好きなおちゃめな人でした。そこで描かれたタンポポの絵が、不思議なほどどうしても欲しくなり、彼に頼み込んで譲ってもらったのです。  今思えば、当時の私は不満でいっぱい、何に関しても投げやりな状態でした。でも、タンポポの絵を見ると、「この絵さえあれば、穏やかに安心して生きられるかもしれない・・・」と感じたのです。彼は、  「ここまで取りに来るんじゃったらあげるけえ。その代わり、絵ができたらすぐに来んさいよ。手元に長くあったら、渡しとうないなるけえのお」  と言ってくれました。  その時は、鮮やかに輝くタンポポの黄色と空の青、光に向かって一斉に飛ぶタンポポの綿毛があまりにきれいで欲しがったのですが、この絵は私に、これまで多くの縁をつくり、さまざまなはたらきをしてくれています。 教えられ、導かれて  タンポポが花を咲かせて種を生
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独立を決心する

 ロンドンオリンピックにて注目を集めた選手がマラソンの川内優輝さんです。  川内さんは埼玉県職員として働く公務員の市民ランナーで、実力は日本人トップレベル。その素朴な人柄と、ゴールに倒れ込むまで懸命に走る姿が人気の若手です。埼玉県に住む人の多くが、川内さんを応援しています。  川内さんは雑誌のインタビューで自分のマラソン人生を振り返り、こう話していました。  「高校時代は5000メートル14分台を目指し、駅伝で埼玉県代表として走れば、箱根駅伝の強豪校からスカウトされるだろうと、将来陸上の道を進む夢を持っていましたが、高校2年生で腸けいじん帯を傷めたため、高校生活の後半は全く走れず、最大の挫折を味わいました。進学した学習院大学では自分に才能もなく、実業団からの誘いも来ませんでした。大学卒業後もしばらく母校の監督に指導を受けていたのですが、徐々に自分の理想とのギャップに悩むようになり、走行中に派手に転倒したことがきっかけで、指導者から離れて独立することを決めました」  川内さんは現在、監督やコーチを持たず、トレーニングを自分で考え、ひとり黙々と練習するスタイルで知られています。  「振り返ると、挫折と失敗の連続でした。ケガをしたから無理せず走ろうと思い、弱小校だから自分なりに工夫し、市民ランナーだから時間をやり繰りしてトレーニングに集中しなくてはいけない。落ちこぼれたことやエリートの道を外れたことは、自分にとって発想の転換になりました。だから私は、走るということが実業団か市民ランナーかの二者択一ではないということを知ってもらいたいのです。自分に合った形を見つけることが、競技を続ける
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「涙が止まらない...」

 お歳を召した女性から、こんなお話を聞きました。  「あるとき、私は幼稚園の孫娘とお話をしていました。すると、『おばあちゃん、いつまで生きているの?』って、突然聞いてきたのです。  私はそれでムッと腹を立てて、孫娘を一方的にしかりつけてしまったのです・・・」  このお孫さんは、3人兄弟の末っ子で、お兄さんやお姉さんには勉強部屋や、勉強机があるのに、自分にはいまだにないので、普段からお母さんに、おねだりをしていたそうです。それに対して、このお母さんは、  「家は余裕もないし、狭いからだめよ。でも、もうちょっと待っていなさいね。もうちょっと待っていたら、勉強部屋をご用意してあげるから」  と言ったとか?  もちろん、そんなことをおばあさんの目の前では言いませんが、同じ屋根の下に暮らしていると、お互い察するものがあるのでしょう。  ですから、この方もうすうす気付いていたところに、「いつまで生きているの?」と孫娘から言われたので、一方的にしかりつけたというのです。  このお孫さんは、おばあさんのあまりの剣幕に、びっくりして泣きじゃくりながら、  「だっておばあちゃん、私の結婚式に出てほしいの。出てちょうだいね・・・」 と言ったそうです。  おばあさんは言葉に詰まり、お孫さんを抱きしめながら涙が止まらなくなった、というのです。 わかったつもりでも  この話が、私の心に深く刻まれた理由を、自分なりに考えてみました。  私なりに親鸞さまの浄土真宗を聞いてきたつもりです。その私には、次のように自分の心の動きが見えてきました。  まず、私は「けしからんお母さんだな。たとえ、おばあさんがその場にい
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恋をしていますか

 学生さんにとっては、卒業式の季節が近づきました。「3月は別れの季節、4月は出会いの季節」ということで、3月4月を「恋の季節」と申します!  思い返せば二十数年前、高校の教室で一人の女の子の笑顔が見たい一心で、ずっこけてみせたり、おどけてみせたり、日々むなしい努力を積み重ねている私がいました。しかし現実は、好きな人には振り向いてもらえず、好かれようとすると、自分が自分でなくなってしまう。  結局、想いは伝えられませんでした(心が純だったから)。しばらくして、その子に彼氏ができたことを耳にした時、私に残ったものは、勇気を出せなかった自分のなさけなさと、怒りだけ。思えば、それが大人に一歩近づいた瞬間でした。  さて、恋にもいろいろあると私は思うのです。この会社に絶対入りたい・・・就職活動という恋ごころ。いつまでも元気で若くて・・・健康への恋ごころ。「オリンピック誘致」というのも、恋ごころの一つでは・・・。  ある中学生が、おばあちゃんに「受験に失敗したら、どうしよう・・・」と、不安を打ち明けました。おばあちゃんは孫を抱き寄せ、こう諭(さと)しました。  「受かっても、受からなくても、あんたの人生に寄りそってあげるよ。どちらを引き受けても、それはあんたの人生の宝だよ」  そこには、中学生の「受験」という恋ごころがありました。  皆さんは、どうお考えになりますか。ふつう、想いがかなった出来事は人生の宝になりますが、どうして想いかなわぬ出来事が宝であるのか。宝とは、何なのか・・・。  今、皆さんはどんな恋をしていますか。 心の眼を開こう  親鸞聖人がお書きになった『高僧和讃』という書物に
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忙しいから難しい?

 親鸞聖人750回大遠忌法要が終わりました。私自身、50年に一度のご勝縁にあわせていただく中で、こうして聖人のお導きに出あえたことを、ますます喜ばせていただきました。しかし、こうしてみ教えにご縁をいただきながらも、お念仏を申す難しさ、お念仏を喜ばせていただくことの難しさを、あらためて感じたご縁でもありました。  皆さまはいかがでしょうか。お念仏申す喜びということを、日々の生活の中で味わうことは、なかなか難しいと感じておられるのではないでしょうか。  私自身、共働きですので、日々の生活を忙しく送っておりますと、阿弥陀さまの前で腰をすえて手を合わせて、お念仏を申して喜ぶことの難しさを日々感じております。  わが家では、手の空いた者が食事の準備をしたり、洗濯をしたり子育てをしたり・・・、そういった生活をしておりますので、あれもしなければ、これもしなければならないという日常ですから、腰をすえて仏さまの前に座るということの難しさといったらありません。  それは共働きの家庭に限ったことではありません。皆さんそれぞれに忙しい日々を送っておられることでしょう。朝早くから夜遅くまで仕事をされている方もおいででしょうし、家事や子育てに追われる生活をされている方も、高齢化社会でありますから、家族の介護を中心として生活している方もいらっしゃるでしょう。  そうした本当に忙しい生活をしておりますと、なかなかお念仏を申すということが難しい、お念仏どころか口を開けば不平不満、何で私がこんなことをしなければならないのか、世間が悪い、あの人が悪いと、愚痴(ぐち)をこぼすことしかないのがこの私です。  また、忙し
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浄土真宗が風土に

 大津市は琵琶湖の南で「湖南」といいますが、長浜市など「湖北」では、今も人が生まれたら「赤ちゃん、もらわはったんやてな。おめでとう」「おおきに、おかげさんでいい子をもらいましたわ」。人が亡くなったら「今朝、ばあちゃん、まいらしてもらいましたんや」「ほらまあ、お早いお旅立ちどしたなあ」という会話が日常的に行われていることを知りました。  滋賀県には140万人が住んでいますが、浄土真宗の寺院は1600カ寺近く(そのうち本願寺派が601カ寺)あり、「浄土真宗が風土」ともいえます。そういえば、嘉田由紀子滋賀県知事は、6年前に「もったいない」をキャッチフレーズにして初当選しました。マスコミの取材で「なぜ"もったいない"なのですか」と聞かれ、若いときから県職員として琵琶湖研究所などで環境問題に取り組んできた嘉田さんは「調査で県内をくまなく回ったが、琵琶湖のほとり、あるいは山手のどんな小さな集落に行っても、皆さんが"もったいない"と言うのですよ、だから」と答え「私が生まれた埼玉県ではあまり聞いたことがありません」と言っていました。 「お育て」の大事さ  その滋賀県は全国でも数少ない、人口が増えている県です。この20年、田や山地が開発され新しい住宅やマンションができ、核家族化した住民が増えています。10年ほど前、そのような家族の子どもと昔から住んでいる家族の子どもが混在する20人ほどの集まりで、お経(きょう)をおつとめする機会がありました。  経本を配り、おつとめを始めようと「合掌」と言いました。ちょっと振り返ってみたら半分ほどの子どもは合掌をせずにキョロキョロしているのです。 「君たち合掌を
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お弁当の温もり

これは、ある先達のお話です。 35年前の春4月、高校へ入学して下宿生活を始めたある日、本来は、2年生担当の数学の先生が、都合でひとクラスだけ1年生の私のクラスを担当されました。その先生は、下宿生活で昼の弁当がない私のために、先生方が取られている弁当を、ご厚意で一緒に取ってくださることになりました。  毎日、弁当を先生から受け取り教室で食べ始めた半月後のこと、職員会議で「先生と生徒が同じ弁当を食べるとは、けしからん」と大問題になり、弁当は取ってもらえなくなり、先生も、私のために、ひどく怒られたそうです。  翌日、先生は「弁当、取ってやることができなくなったわ。すまんのう」と私に断りを言われ、「取ってやると約束して取ることができなくなったのは、私に責任があるから、明日からお前の弁当は私が作ってくる」と、その翌日から私のために約3年間、弁当を作ってきてくださったのです。  本当に有り難く、これほど人の温もりを感じうれしかったことはありませんでした。  しかし、高校3年生の2月、大学も決まり、卒業間近で気も緩み浮かれていた頃、私は学校を休んだのです。その先生は、金曜日が休みの日でしたので、「今日は弁当を持って来られない日だ。サボってやれ」と、学校を休んで下宿で寝ていたのです。  ところが、先生は学校がお休みにもかかわらず、わざわざ弁当だけ学校へ届けに行き、私が休んでいるとわかると、下宿先まで私のために足を運んでくださったのです。怒ることもせず、「明日は出て来いよ」とひと言、声を掛けられただけでした。  一人下宿生活する私を温かく見守り、道を逸(そ)らさないように導いてくださった先生に背
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「アシ」は「悪し」?

 2カ月ほど前、新聞にこんな記事が出ていました。  水辺に生える「葦」は「アシ」だが「ヨシ」とも読むこと。それは発音からアシは「悪し」に通ずるとして「ヨシ」(良し)に読み変えたのだというのです。こういうのを「忌(い)み言葉」といって、他にもいっぱいあると知りました。浄土真宗とは無縁な、いわゆる「げんをかつぐ」ということでしょう。  「アシ」を「ヨシ」に読み変えるというのは、単に言葉の表現上の問題だといわれれば、そうかも知れませんが、それを人の心について問いかけてみたらどうでしょう?  「悪し」つまり「悪いこと」をどう受け止めているでしょうか。例えば、マスコミなどが連日のように世の中の不正や欺(ぎ)まんを報じています。人間は悪を悪と受容したがらないのでしょうか。それとも人間の身勝手な欲望が、罪悪感を鈍感にさせているのでしょうか。  それでは、私自身はどうでしょうか?小学5年生の時でした。家ではニワトリを飼っていました。昼間は小屋から出すのですが、それがどこでもフンをするのです。勝手口を閉め忘れるとすぐ家の中に入ってきて、そこらはフンだらけ。閉め忘れた方が悪いのに、それにフンガイ?して私はニワトリを蹴ったのでした。  「ギェーッ」とすごい鳴き声の後、苦しそうな声になり、ピクピクと体をけいれんさせて息絶えたのです。  それを知った母は烈火のごとく怒り、私は長時間、命の尊さを説諭(せつゆ)されたのでした。生意気盛りの私も、この時ばかりは黙って聞いていました。それは、目の前で死んでいったニワトリの残酷な光景の一部始終が、私の心に食い込んでいたためでした。  食前の言葉、合掌「多くのいのち
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郷に入っては郷に

 数年前、十数人でインドに旅行に行った時のことです。インドの人は牛をとても大事にします。牛はヒンドゥー教のシヴァ神が乗る神聖な動物とされているからだそうです。インドでは街中のいたる所に牛がいましたが、牛が道路をふさいで寝ている場合も、人や車が牛をよけて通るのです。人間よりも牛が優先ということだそうです。  ですからインドの人は牛を絶対に食べません。そして旅行者である私たちの食事にも、牛肉が出されることは一切ありませんでした。あの有名なハンバーガーチェーンも、インドでは牛肉は一切使用せず、鶏(とり)肉などで代用しているそうです。  私たちの旅行中、現地ガイドとして案内してくれたのは、インド人のJさんでした。日本に住んでいたことがあるそうで、日本の文化をよく知っていて、流暢(りゅうちょう)な日本語を話す方でした。  10日間ほどの旅行日程も中盤にさしかかった頃でした。ある日の晩、ホテルの部屋でJさんを囲んで話をする機会がありました。その時、牛の話になり、ある人がJさんに次のような質問をしたのです。  「インドの人は牛を食べないけれども、外国では牛は普通に食べられています。このことについてインド人としてどう思いますか?」  Jさんはこう答えました。  「他の国には他の国のやり方があるのだろうから、それをとやかく言うことはできません」  Jさんは観光ガイドという職業柄か、幅広い国際感覚を持ち合わせているようでした。そしてさらに質問は続きます。  「日本に何年間も留学していたと聞きましたが、日本でも牛は食べなかったんですか?」  すると、「実は、牛とは知らずに間違って食べたことはあるけれ
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「おやさま」と呼ぶ

 私たちのご法義、浄土真宗のみ教えは「他力本願」(他力回向(えこう))のみ教えであるとよくいわれます。  阿弥陀さまは、ふらふら生きているこの私を、抱きかかえて共に歩んでくださいます。そしてこの娑婆(しゃば)のいのち終われば、お浄土へお連れくださり、私をさとりの身と仕上げてくださるのです。他力本願という阿弥陀さまの願いとはたらきは、私の親となってみせることがその中心であるといえるでしょう。  「間違いなく、お前の親はここにおるぞ!安心しておくれ」と、およびくださるその声が、いま私の口から「南無阿弥陀仏」と、お念仏となってくださいます。そして、この私をお念仏する身に仕上げてくださった阿弥陀さまのお慈悲の心に包まれて大きな安心をいただき、私たちはお念仏とともに阿弥陀さまを「おやさま」とお呼びしてまいりました。阿弥陀さまは私をいつも無条件に抱(いだ)いてくださいます。  確かにお経(きょう)さまをいただきますと、讃仏偈(さんぶつげ)の最後に、  たとひ身(み)をもろもろの苦毒(くどく)のうちに止(お)くとも、わが行(ぎょう)、精進(しょうじん)にして、忍(しの)びてつひに悔(く)いじ と、阿弥陀さまが私の親となる決意がうかがえます。  阿弥陀さまが法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)のお姿をして、師匠の世自在王仏(せじざいおうぶつ)にひれ伏される厳しいお姿です。でもそのお姿を、厳しい修行と精進のほどを、凡夫である私たちに説き示して見習わせようとされているのではありません。  人の親も、どれほど仕事で疲れていても、家に帰って幼い子が飛びついてくれば、笑顔で向き合い、優しく抱きしめます。子にいらぬ
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