その視線の先は...

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 長いゴールデンウイークも、あっという間に終わりを告げました。楽しい休日を過ごした子どもたちにとって、次の楽しみは夏休みでしょうか。
 ある年の夏休みのことです。長いお休みも終わりに近付いた8月下旬、お寺のサマースクールには、朝から近所の子どもたちが夏休みの宿題を持って遊びにやって来ました。
 一緒に「正信偈」のおつとめの後、机を並べてみんな一斉に夏休みの宿題帳「夏の友」を開きます。課題が進んでいる子もいれば、これから取りかかる子も・・・。その中に、兄妹で参加してくれているA君がいました。みんなが勉強しているのをよそに、何をするわけでもなく座っていました。
 私が「宿題忘れたん?」と尋ねると、「宿題もうできたよ!」と言ったままじっと座っています。
「どうしたん?」と、さらに尋ねると、「でかいなぁ!」とひと言。珍しそうに見入るその視線の先は、お内陣の阿弥陀さまでした。
 ご門徒さんのお仏壇の阿弥陀さまからすると、本堂の阿弥陀さまがとても大きいなぁと目に映(うつ)ったのでしょう。
 しばらくA君の視線の先の阿弥陀さまを、一緒に眺めていました。すると「宿題終わったけん、遊んでもいい?」とA君。
「ほかのみんなは、まだ勉強してるから、もうちょっと待ってね・・・」
その時ふと、子どもたちと一緒におつとめした「正信偈」のご文(もん)がうかびました。
 重誓名声聞十方(じゅうせいみょうしょうもんじっぽう) ──
「重(かさ)ねて誓(ちか)ふらくは、名声十方(みょうしょうじっぽう)に聞(きこ)えんと」
私が呼ぶ前から
 阿弥陀さまは、自らの名前である「南無阿弥陀仏」の名号(みょうごう)が、あらゆる世界を超えて響き渡り、聞こえ届くことを重ねて誓われました。名号の号の旧字「號」は、トラがほえるようにさけぶことを表します。まさに「阿弥陀」という救いのみ親の存在をこの私に知らせるための名号であったのです。
 いつの頃かはっきり覚えていませんが、よほど心地よかったのでしょう、お風呂場のベビーバスで、両親から「お母さんよ、お父さんよ」と声をかけられながら、体を洗ってもらったことが記憶に残っています。それはひとえに、私が親の名を呼ぶようになる前から、親の方から「あなたの親がここにいるよ」と、いつもよび続けてくれたからこそでしょう。
 阿弥陀さまは、救い難いあらゆるいのちをどうすれば救うことができるのかという大問題を、「五劫(ごこう)」という気の遠くなるほど長い長い時間、考えに考え抜かれ、さらに「兆載永劫(ちょうさいようごう)」という果てしなく長きにわたるご修行によって、ついに名号「南無阿弥陀仏」を成就されました。
 それはそのまま、この私を必ず救うという何より確かな「答え」でありました。阿弥陀さまは、み名となり声の仏となられて、私たち一人一人を「如来の子」として見まもり、常にはたらいてくださっています。
 私たちは直近の課題、目の前の問題が解決されると、肩の荷が下りてホッとした気持ちになります。でも、阿弥陀さまはこの私を必ず助けるという願いを立て、確かな救いの「答え」である親の名告(なの)りを完成し、久遠(くおん)の昔より今も、この私を救い取るためにはたらき続けておられました。
 「親の心子知らず」といいますが、阿弥陀さまの目に映る、如来の子である私の毎日のすがたは、時に腹を立て、時に愚痴をこぼしたり・・・と、お恥ずかしい限りのすがたです。でも、阿弥陀さまは、そのような私にこそ、親の願いを聞かせ、親の名をよぶ子に育ってほしいと、はたらき続けてくださいます。
 お寺に遊びに来る子どもたちは、幼稚園から中学生まで、元気のいい子からおとなしい子までさまざまですが、ともに合掌し、おつとめをします。
 お寺の本堂は、誰でもみ教えをお聴聞できる場であると同時に、ともに「如来の子」である子どもたちのすがたを通して、み親の願いを聞かせていただく場でもあったということを知らされた、夏のお寺のひとときでした。

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