死は終わりではない

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 昨年11月11日付、産経新聞朝刊の1面に、東日本大震災で親友のゆいちゃんを亡くした小学1年生の羽奈ちゃんの記事が掲載されていました。羽奈ちゃんは親友のゆいちゃんと、海岸から1・5キロ内陸にある同じ幼稚園に通っていました。
 その幼稚園を津波が襲い、園児8人、職員1人が、避難するために乗った送迎バスごと流されて亡くなりました。早退していた羽奈ちゃんは、海から遠く離れた病院にいて助かりました。
 震災後、小学生になった羽奈ちゃんは、毎週、幼稚園の献花台を訪れ、置かれたノートにメッセージを書き続けているそうです。「まるで亡くなったゆいちゃんが目の前にいて、話しているかのよう」だと、記者は綴っています。
 私が住職を務めるお寺では、わが子を亡くした母親が、毎日お墓参りに来られています。もう1年が過ぎました。私は、その姿を見守り続けることしかできませんが、お母さんはきっと「ここへ来ればわが子に会える」との思いで来ずにはおれないのだと、私は感じてきました。
 住職として、多くの人の死と、その家族や周囲の人たちに会ってきました。予期せぬ別れであったり、つらい別れにも出会ってきました。それらの経験から私が学び感じてきたことは、「死んだら終わりではない」と仏教が説き続けてきたことが、その通りなんだということでした。「死んだら終わりではない」ことは、私の死ということと遺(のこ)された方にとっても、その両方に言えることなのです。
何でも話せる場所
 以前出会った詩に、小学6年生(当時)の中村良子さんが書いた『宿題』があります。良子さんのお母さんは若くして亡くなりましたが、学校の宿題で「お母さんの詩」が出されたのです。先生から「つらい宿題だと思うけど、がんばって書いてきてね。お母さんの思い出としっかり向き合ってみて」と言われました。詩の一部ですが紹介します。
  がんばってがんばって書いたけれど
  お母さんの詩はできなかった
  一行書いてはなみだがあふれた
  一行読んではなみだが流れた
  今日の宿題はつらかった今まででいちばんつらい宿題だった
  でも「お母さん」といっぱい書いてお母さんに会えた
  「お母さん」といっぱい呼んでお母さんと話せた
  宿題をしている間私にもお母さんがいた
 またあるとき、ご門徒さんからこんな質問を受けたことがありました。その方は、連れ合いの方と2人で暮らしていましたが、連れ合いの方が先に亡くなり、いま家にひとりぼっちで暮らしています。お仏壇に向かって、昨日あったこと、今日あったこと、うれしかったこともつらく悲しいことも、時には愚痴や不満も話しかけるそうです。
 「それはいけませんか」というのが質問でした。
「おうちのなかで、何でも話しかけられる場所があってよかったですね」と、私は答えたように記憶しています。今までは、家の中で話しかける相手がいたのですが、先立たれたあと、お仏壇に向かって話しかけるようになったというのです。
 お仏壇の前に座ったとき、阿弥陀さまを見つめながら、亡き夫に話しかけているのかもしれません。話しかけても決して返事がもどってくるわけではありません。それでも、いつでも、ずーっと黙って聞いてくれているのでしょう。きっと、どんなに日々支えられていることかと想像いたします。
 仏教が「死」を通して「生」を考えることを示し続けてきたからこそ、仏教が私に生きる力を与えてきたのではないかと思っています。そして、わが「いのち」を精いっぱい生きていくためには、時には亡き人に出会える「ところ」「とき」が必要なのです。その出会える「ところ」や「とき」は、人それぞれです。
 その一つに、お寺の本堂やお仏壇、あるいは儀礼があるとするなら、いまを生きる私にとって、宗教的空間や宗教の意義はとても大きく大切なものではないかと思うのです。

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