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ミケが失踪…かけまくった電話鑑定占い

みなさんこんにちは!在米の鑑定師の紫檀ひかるです^^日本だとミケ猫ってごくごく普通に見かける猫ですよね?アメリカでは今でも珍しい猫なんですよ…日本から1960年代くらいに輸入されて繁殖されているらしいです。この子はもともと野良ちゃんでした。日本で言う保健所のようなところに連れて行って調べてもチップも去勢もなし。健康診断したら猫エイズなどにもかかっていない健康な野良ちゃんでした。我が家の裏庭で鳴いてて主人が保護しました。それが2021年の4月です。そしてその一週間後に6匹の子猫を出産して2022年の10月まで我が家でのんびりしてたのに突然の失踪...ブログの写真があの子が失踪する1週間くらい前に撮った写真...この子が来てすぐに、気になって、英語版と日本語版の両方から三毛猫について調べました。ある英語版のコラムではでは1960年代かな?にあるご夫婦が日本からカリフォルニアに連れてきたとありますが真実やいかに。…でも知れば知るほどこんな山中にいる日本のDNAを持った三毛猫と自分を重ね合わせると、ミケの気持ちがいとおしく感じられる。勝手に重ね合わせている私だが…(-_-;)カリカリご飯の上にたまにちょっとだけ散らす鰹節が好きだった...ミケ。私も絹ごし豆腐の上に少しだけ散らす鰹節がスキ...(´;ω;`)ウッ…嗚咽(鰹節は猫には与えない方がいいとかみたいなコメントは今回だけはご容赦ください。。。(泣))思えば母猫のミケは安全に産める場所を本能として探していたのかもしれません。でも1年半もうちでのんびりしてて子猫を残して失踪って…ひどすぎる...(´;ω;`)ウッ…残された私の気持ちも
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雨の日のココロ

今日もご覧いただき、ありがとうございます(^^)昨日は一日中、雨振りの一日でした☂シトシト静かに降る雨の日は、寒さをより感じてあったかグッズを沢山着こんでソファーやリビングでしばらく動かなくなってしまう私です(^^;雨の日は薄暗く落ち着いた気持ちになるせいか、行動がゆっくりモードになります。ゆっくり家事をして休憩時間にコーヒーを飲んだり、読みかけになっていた本を引っ張り出してきて読んでみたり、お昼寝したり…( ˘ω˘)スヤァ逆に、パァー!っと晴れた日は、さて、どこに行こう?何を洗おう!何を干そう?と、晴れているだけでワクワク♡😍行動的な自分になっていきます。お天気の力ってすごい!☀天気って、あって当たり前のものだけど、私たちに大きな影響を与えてくれているんだなぁ~と改めて感謝の気持ちを感じました。心の状態で人の行動は変わってくるものなんですね。雨の日はゆっくり心穏やかに過ごしたり、晴れの日はやってみたかったことに挑戦してみたり。人生にはどちらも必要ですね(^^)なにかゆっくり考え事をしたり、ゆっくりとした時間を過ごす中で自分の気持ちを聞いて欲しいな、心をスッキリさせたいなと思った時電話鑑定にてお話をお聞きします。お話をお聴きする中でいつもは見過ごしてしまう日常の気づきを見つけたりすることが出来るかもしれません。ぜひ、心を軽やかにして晴れの日にエイヤ!と行動できるお手伝いをさせていただきます。ぜひ、ご利用ください。
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電話占いによくあるあるご相談です。

私は現在ココナラと他社の電話サイトで電話鑑定をしてる。そのなかでどうしたら占い師になれますか?という相談が結構ある。ココナラでもよくみかけるのが。どの占術があなたにあうか?とかどうしたら占い師になれるか教えます。みたいな出品を目にします。なんて優しい方なんだろうと思いますマジで。そしてマジでお力があり忍耐力があるのかとも思います。わたしが経験したのはその前の段階、そもそもなんの能力がありどんな顧客を鑑定するか?そしてその顧客の需要に会うサービスが継続できる能力があるか?というところから説明する必要があるご相談者様のケースが多すぎでした。ある私のお客さんの例をあげてみます。「私本当に家に霊(幽霊)がいてみるんです。怖くて、除霊の修行に行きました。でもね、除霊とかできないんです。でもどうしても電話占い鑑定師になりたいんです。どうしたらいいですか?5社受けたんですが全部落ちました。どうしたらなれるんですか?次ぎは受かるか視えますか?」的な?(;^_^A(そもそも合否は鑑定しない)断っておくが私は除霊とか祝詞系は全く修行していないし、その系列ではないともご相談者に伝えてあります。霊視って幽霊が見える事も霊視かもだけど、そもそも五感じゃない目つまり第三の目とかで鑑定しているお相手の知りたい人の気持ちとか未来とか関連するものを第三の目で視たり、透視をしたり、霊感として感じることではないでしょうか?占いといっても↓の融合です。命術    (四柱推命、九星気学、西洋占星術など)相術     (手相、人相など) 卜術     (タロットカード、易など)スピリチャル系  (チャネリング、前世鑑定、
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西に沈む夕日を眺め

 私の今の楽しみの一つは、2人の子どもと本堂でお夕事(ゆうじ)のお参りをすることです。子どもたちが見たいテレビ番組などがあると、なかなか素直についてきませんが、子どもたちには、親である私が、阿弥陀さまのことを大切にして、お参りをする姿をできるだけ見せておきたいと思っています。  本当に大切なことは、後ろ姿を通して伝わっていくのではないかと思います。阿弥陀さまに手を合わせることもそうです。おじいちゃんやおばあちゃん、父親や母親、そして周りの大人たちが阿弥陀さまに手を合わせる姿を子どもたちが見て、またその子も手を合わせる人として育っていきます。 私自身も、かつて祖父と一緒にお参りをしたその後ろ姿が、心に強く残っています。  中学生の頃、私はサッカー部に所属していましたので、日頃は帰宅が遅かったのですが、定期試験前など部活動が休みのときは早く家に帰っていました。そういう時は、夕方になると決まって祖父が「おーい、おつとめやぞー」と呼びに来ました。私は祖父の後について、まず本堂で正信偈をおつとめし、続いて会館の2階の仏間でおつとめをします。そしてその後、天気のよい日には、祖父は決まって会館の2階の窓から西に沈む夕陽を眺めていました。  私の住んでいる地域は夕焼けが大変きれいなところで、「砥山夕照(とやませきしょう)」と呼ばれ、栗太八景の一つにも数えられています。周りをぐるっと山に囲まれているのですが、ちょうど西の方角だけ山が切れていて、天気がよければ、お夕事の時間帯に本当にきれいな夕焼けが見えます。そういう時、祖父は西の方に向かってじっと手を合わせて、なかなか動こうとしませんでした。  
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幻の完全試合

 2010年6月、大リーグ・デトロイトタイガースのアルマンド・ガララーガ投手は、9回ツーアウトまでパーフェクトピッチングを続けていました。27人目の打者が打った一、二塁間へのゴロを一塁手が捕球し、ベースカバーに入ったガララーガに送球しました。塁審はセーフのジャッジを下し、それに対してタイガースの選手たちは大いに抗議し球場全体も騒然となりましたが、判定は覆(くつがえ)りません。  試合終了後、ビデオ再生を見たこの塁審は明らかに自分のミスジャッジであると認め、すぐさまガララーガ投手に詫(わ)びました。審判のミスジャッジによって大リーグ史上21番目のパーフェクトゲーム達成投手になれなかったのですから、ガララーガ投手の無念さは想像に余りあるものがあります。  ところが彼は、「たぶん僕よりも彼のほうがつらい思いをしているだろう」と反対に気遣い、心から詫びるこの審判を「完全な人間なんていないのだから」と言って、寛容な態度で許したのです。  唐突なようですが、このニュースを聞いて私は、聖徳太子の「憲法十七条」の第十条の言葉を思い出しました。  「われかならず聖(ひじり)なるにあらず、かれかならず愚(おろ)かなるにあらず。ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ」 日本に仏教を受け入れて、仏教精神にもとづく社会のあり方を目指されたのが聖徳太子でした。もちろんガララーガ投手が聖徳太子や「憲法十七条」を知っていたはずはありませんし、彼の示した態度を仏教精神に裏付けられたものというつもりもありません。ただ世の東西を問わず、人は自分の非はなかなか素直に認めようとせず、逆に自分への不利益に対しては怒りや報復
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生老病死の四苦

 お釈迦さまは「人生は苦である」として、「生(しょう)・老・病・死」の四苦(しく)を示されました。確かに、生まれたからには誰しも、老・病・死を背負って生きていかなければなりません。  若い時には平気だったのに、体力が続かないなど、日常のふとした時に自分の老化を痛感することがありますが、そんな時は「本当に年はとりたくないもんだ・・・」と誰もが思うことでしょう。  病気もそうです。誰だって病気になんかなりたくありません。でも、病気になってしまったら引き受けるしかありません。それなのに、なんで私がこんなことになったのか・・・と思い悩んでしまいます。  昨年のことです。突然、腰に痛みを感じました。お酒の席でしたので、友人が「飲めば治る」というので飲み続けたところ、痛みが消えたのです。「本当に治った」と喜んだのですが、次の朝は痛みで目が覚め、動けないほどになり、お世話になっているカイロプラクティックの先生にみてもらいました。  先生は首から肩、腰とマッサージをして、「老化かな」と言ってお腹(なか)を手で診察された時、「あっ」と言われたのです。「何ですか」と聞くと、「いや、何でもありません」と言われましたが気になります。おかげで痛みは和らぎましたが、気になったせいでしょうか、帰宅する車の中でまた痛み出しました。  今度は友人のところで電気治療をしてもらい、湿布をたくさんはってもらいました。帰り際に友人が薬をくれたので、飲んでから帰りました。  家に着いて、横になって休んでいると、妻が「この薬を飲むと、痛くないの?」と尋ねるのです。「痛くないよ」と答えると、妻は「おかしいね、これは化膿止めよ
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自分を知ってる?

 私たちは、自分のことは自分が最もよく知っているつもりで暮らしているのではないでしょうか。ところが、案外、そうでもないことに気付かされたクイズがあります。簡単なものですので、ぜひ、挑戦していただきたいと思います。こんなクイズです。 ◇ <問題>父と息子がドライブに出かけました。ところが、事故に遭(あ)ってしまい、二人はそれぞれ別の病院に運ばれました。 息子が病院に到着すると、待っていた外科医が出てきて叫びました。 「これは私の息子!」 病院に運ばれてきた息子と、外科医とはどのような関係でしょうか。 ◇  答えは出ましたでしょうか。 息子のことを「私の息子!」と呼ぶ人は父か母です。お父さんはここにいませんから、外科医は運ばれてきた息子の母親になります。息子と外科医の関係は母子だというのが正解です。お母さんが外科医として勤務する病院に、たまたま息子さんが運ばれたのでした。  私はこのクイズに答えることができませんでした。なぜかと考えていきますと、「外科医と言えば男性」という誤った思い込みが原因でした。試(こころ)みに問題文の「外科医」を「看護師」に置き換えると、間髪入れずに正解できそうです。  もちろん、私も女性の外科医がおられることは知っていました。けれども、その知識は役立ちませんでした。つまり、このクイズでは、知識の有無ではなく、私の愚かさ、すなわち誤った思い込みに自分の力では気付くことができないことが問題にされているのです。 仏かねてしろしめして  私はこのクイズに出あうまで、自分の物事の見方がこんなに危ういものであるとは考えもしませんでした。  私がクイズに答えられなかった
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爆心280メートルで被爆

 8月6日、ヒロシマは79回目の朝を迎えました。私は爆心から280メートルの勤務先で被爆しました。19歳でした。奇跡的に一命は取り留めましたが、骨髄性異形症候群という難病のため、新しい血液があまり作れず、いま生きているのが不思議なくらいです。  あの時、即死された多くの遺体を見て私も覚悟しましたが、おかげさまで生かしていただいています。しかし、何も知らず、何も言えずに亡くなった多くの人たちがいます。どうか、二度と戦争のない平和な世の中を築いていってほしいと思います。  以前、NHKで朗読されました。 「原爆を知らない 幼い人たちに」 その時昭和20年8月6日 午前8時15分 とてもよく晴れた朝でした 赤ちゃんのミルクをつくっていたお母さん 植木に水をやっていたおじいさん 仏さまにお花をあげていたおばあさん ごはんを食べていた坊や 会社に出てこれから仕事をしようとしていたお父さん そして仕事にゆくために道を歩いていたたくさんの人 みんな死んだのです 原爆を落とされることなど何も知らないで いつものように用事をしていたのに 突然「ピカッ」と光って 「アッ」と気がつくまもなく 家の中にいた人は家ごと押しつぶされ 道を歩いていた人は吹き飛ばされ 顔も手も足もからだ中 ヤケドをして広島中の人がみなヤラれてしまったのです たったひとつの原爆で その時死んだ人 百人?いいえ千人?いいえ一万人? いいえもっともっとたくさんの人 かぞえきれないほどの人が なんにも言えないで なんにも知らないで 死んでしまったのです ほかの人も大ヤケドをしました大ケガもしました 投げ出されておなかのやぶれた人 背
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初めての出あい

 本願寺派のお寺がなかった愛知県刈谷市で布教所を開き、都市開教専従員として法務に勤(いそ)しんでいます。都市開教における法務の特徴を一つ挙(あ)げますと、「初めての出会いがその方の葬儀」ということでしょうか。  長崎県の地方都市で法務をしていた頃、寺院周辺の家庭のほとんどは本願寺派のご門徒で、それぞれの家庭で亡くなる方がおられたら、顔見知りであるのが当たり前のことでした。  顔見知りのお宅へ臨終勤行(りんじゅうごんぎょう)に訪れ、顔見知りの葬儀社のスタッフと打ち合わせをして、顔見知りのご遺族と故人の思い出を語り合うのが常でした。  長く門徒総代を務めていた方が亡くなられた時、臨終勤行に参らせていただきました。ご遺族と一緒に読経をさせていただきながら、報恩講やお彼岸の荘厳(しょうごん)(お飾(かざ)り)を一緒にしたことを思い出すと涙がこぼれて止まらず、困った覚えがあります。  おつとめを終えてご遺族やご近所の皆さんの方へ向き直ると、故人の長男さんが同様に涙をこぼしながらバツが悪そうに笑っておられました。  「家での親父は頑固でうるさいばかりで、お坊さんが泣いて惜しんでくれるような男でしたかなぁ・・・」  僧侶が泣いてしまうのはいかがかと思いますが、忘れ難い記憶として大切にしています。私の命が尽きるまで、何度も思い返すことでしょう。お寺とそれを護持されるご門徒が、代々にわたって関係性を築いてきたからこそ、故人お一人おひとりの話題やご遺族との絆が育まれていくのでしょう。  ところが、私が都市開教を行う愛知県下、特に都市部においては事情が異なります。本願寺派の盛んな地域、北陸・中国・九
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命がけで仏法を

 「無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法(ほう)は、百千万劫(ひゃくせんまんごう)にも遇(あ)い値(お)うこと難(かた)し。我今(われいま)見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得(え)たり。願(ねが)わくは如来(にょらい)の真実義(しんじつぎ)を解(げ)したてまつらん」京都の中央仏教学院に出講した時の話です。学院の教室では毎朝第1講時の開始前に、講師・学生全員が起立合掌してこの言葉を唱和します。「開講偈(かいこうのげ)」と呼ばれています。遇い難き仏法に出遇えたことをよろこび、命がけで仏法を学ぶ決意を表明する言葉です。布袍・輪袈裟(ふほう・わげさ)に身を包み、「開講偈」を唱える学生たちの姿に初めて接したとき、私は背中を打たれたような衝撃を感じました。 多くは大学を卒業した後、自坊の住職になるために入学された方々ですが、中には定年退職後の人生の依りどころを求めて来られた方、ご住職を亡くされ法灯(ほうとう)を守るために来られた坊守さまや中学を卒業したばかりの若い寺院後継者、さまざまな事情を抱え仏法に救いを求めに来られた方もいらっしゃいます。命がけで仏法を学ぶ人たちに、私は命をかけて講義ができているだろうかと、ふと思うことがあります。  源信僧都(げんしんそうず)の『往生要集』に、逃げ遅れたキツネの話が紹介されています。人道無常(にんどうむじょう)の相を説く一段に、死苦の恐ろしさを知らせるために提示された譬え話です。源信僧都はその文を天台大師の『摩訶止観(まかしかん)』から引用されていますが、キツネの譬喩は、もとは『大智度論(だいちどろん)』に説かれたものです。 物語風に
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阿弥陀さまを大事に

 「あなたにだけあげる」  心に残っているお同行(どうぎょう)の言葉です。  小学校低学年の頃の私は、自坊でお座があるのを待ちに待っていました。いつもご法座があると、私の好きなお菓子を袋に入れてお参りに来られるT子さんというお同行がいたからです。  T子さんはお寺にお参りになられると、本堂にあがる前に必ず家の玄関に来られます。そのT子さんの声が聞こえると、お菓子欲しさに一目散に走っていく私がいました。私の姿を見つけると、ニコニコしながらおいでおいでと呼んでくれます。  「これ、あなたにだけあげる」  と言ってお菓子の入った袋をカバンから取り出すのです。その袋を受け取ると同時に、T子さんは私の手をパッと握ってきます。袋の中身をすぐに見たい私がその手を振り払おうとすると、今度は両手でギュッと握って離してくれません。  「阿弥陀さま大事にしてね。お寺に参ってね」  T子さんの顔を見ると、ドキッとするような優しくも真剣な表情が私へ向けられているのです。「うん、わかった」と応えるまで握り続けるその手の温もりは今も心に残っています。 だひたすらに  昨年の10月のことでした。富山のお寺に嫁いでいる姉のご縁で、報恩講のご法話によせていただいた時のことです。いつもお念仏をよろこんでおられたT子さんの話になったのです。  「T子さんかあ。懐かしいなあ。いつも明るくて、ニコニコしてたおばあちゃんで・・・。そういえば、お寺に来られたらいつもお菓子くれてたよね」  「あれ??」と私は一瞬思いました。私にだけあげると言っていたはずでは?と思ったのです。  家に帰ってからもう一人の姉にT子さんのことを聞い
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親子で猛特訓

 「這(は)えば立て立てば歩めの親心」。子の成長を目を細めてあたたかく見守っているやさしい親心が表されています。しかし、あるご法話で、「這えば立て立てば歩めの親のエゴ」と聞かせていただいたことで、少し見方がかわりました。  息子の入園式を前に、先生から「お子さんのお名前を呼びますので、呼ばれた人はハイと大きな返事をして立ち上がってくださいね」と言われました。早速、家で猛特訓が始まりました。 「先生に呼ばれたらどうすんの?」 「知らん」 「違うやろ。はーいって大きな返事するんやろ。よし、練習や。藤本慶哉くん」 「・・・」 「慶哉くん」 「・・・はい・・・」 「よっしゃー、やればできる。返事したらどうすんの」 「知らん」 「立つんやろ」  まぁ、そんなやり取りで特訓した結果、なんとかできるようになったのです。  さて、入園式当日。先生が名前を呼び始めました。「はい」と力強く返事をして、すくっと立つお子さんがおられます。すると保護者の方でしょうか。「よくやった。えらい」と大きな声をあげて会場に響き渡るような拍手。一方で、恥ずかしそうにもじもじして返事ができないお子さんがいらっしゃいます。「もーうちの子は・・・」と恥ずかしそうにしている親御(おやご)さん。いよいよ息子の番です。  「藤本慶哉くん・・・・・・藤本慶哉くーん・・・・・・」  わが子は何をしているかといえば、椅子に後ろ向きに座って、先生にお尻をむけ、そ知らぬ顔ですましています。  「あーやりよった。あれだけ練習したのに」  私は恥ずかしくなって、悔しくなって、帰ったら怒ってやろうと思いました。 お念仏をいただく  入園式も終
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姪のケーキを作る

 昨年11月、妹の長女が3歳の誕生日を迎えるにあたり、家族全員でお祝いすることになりました。そこで、母が私の連れ合いに、誕生日ケーキを作るように頼みました。  なぜ、妹の長女の誕生日ケーキを私の連れ合いが作ることになるのかといいますと、私たちの娘が小麦アレルギーを持っていたからです。小麦粉が少量でも体内に入ってしまうと体中にかゆみが走り、顔を含めた全身がはれ上がるような状況でした。  店頭に並んでいるケーキは、基本的に小麦粉が使われています。それを買ってきたのでは、一人ケーキを食べることができない子が出てきます。それが、私たちの娘だったのです。  最近は小麦アレルギーで悩んでいる方が増えてきたようで、スーパーなどでも小麦粉に代わる米粉を置いてくださる所が増えてきました。そこで母は私たちの娘のことを一番理解している連れ合いに、アレルギーの出ない食材を使った、娘も食べることのできるケーキを作るように頼んだのです。  早速、連れ合いはスーパーに行き、娘に合わせ米粉を含めたアレルギーの出ない食材を探し、子どもたちが喜ぶようにと、果物などを買ってきてケーキを作りました。 条件などつけない  その晩、子どもたちが大喜びで、おいしそうにケーキを仲良く食べている姿を見た時、私も心からうれしくなりました。  この日の誕生日会では、たとえ主役であっても、妹の長女の好みだけに合わせてしまったのでは、娘はケーキを食べることができず、楽しい会にはならなかったでしょう。  どうすればみんながケーキを食べて、楽しい雰囲気のまま会を終えることができるのか?それは、アレルギーのある娘に合わせることでした。  相
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初参式は誰のため

 先日、生後4カ月になった息子の初参式(しょさんしき)のため、お世話になっているお寺に参りました。  初参式は、新たな命の誕生をよろこび、初めて阿弥陀さまにご挨拶をさせていただく大切な儀式です。私たち夫婦と、それぞれの両親も一緒に、家族総出で息子と阿弥陀さまのご縁を喜びました。  しかし、考えてみると、生後4カ月の息子は、おつとめができるわけでもありませんし、ご法話がわかるわけでもありません。阿弥陀さまという仏さまのこともよくわからないでしょう。わけがわからないまま連れてこられて、周りの大人が騒がしくしているなあ、くらいにしか思っていないかもしれません。  そんな息子にとって、この初参式は「お寺へのお参り」であったり「聞法(もんぼう)」であると言えるのだろうか?そんな疑問が後になってふとわいてきたのです。  そう思った時、初参式の時のご住職のご法話を思い出しました。  「初参式は、赤ちゃんが初めてお参りに行くことを祝う儀式ですが、その赤ちゃんのお母さんも、お父さんも、その子が生まれた時に親として生まれました。ですから、この子が4カ月生きたなら、この子の親も生後4カ月の親なのです」  確かに、私たちはこの子が生まれた時に、初めてこの子のお母さん・お父さんとしてスタートしたのです。生後4カ月の子の親である私たちは、生後4カ月のお母さん・お父さんというわけです。  「この初参式は、息子のための儀式だ」と思っていましたが、実は、親として生まれた私たちにとっても〝初参式〟だったのだなと知らされたのでした。 私のためのご縁  初参式は、息子を縁としておつとめする家族みんなのための初参式でし
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忘れられないひとみ

 銀座の一角にある画廊に「僧職ナイト」という、仕事帰りの会社員や学生たちと僧侶が語り合う場があります。仏教や浄土真宗のこと、日常生活の出来事から悩み事の相談まで、仏教とご縁がない方々と私たち僧侶が気軽に語り合っています。  悩みの相談で多いのは、家族や友人、上司と部下など、やはり人間関係の問題でしょう。そんな悩みを聞いて私がいつも感じるのは、状況は人それぞれですが、根源的な問題として横たわる、人と人との間にいつの間にかできてしまう「壁」という存在のことです。  数年前になりますが、国際協力活動を行うNGO団体の研修で中東パレスチナ自治区を訪れました。首都エルサレムは、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の聖地がある宗教都市です。訪れてまず驚いたのは、辺りを張り巡らす高さ8メートルの巨大なコンクリートの「壁」でした。  1948年、ユダヤ人がイスラエルを建国し、もともとパレスチナに住んでいたアラブ人との間に紛争が起こります。イスラエルの安全を守るという理由でこの壁は造成されました。壁は決められた境界線を大きくまたぎパレスチナ側の道路や学校、家の中までをも分断しています。そして何よりも二つの民族の心を分断しているのです。  ある者にとって必要であっても、他の者の平穏な生活を破壊する壁には違いありません。迫る巨大な壁を前に、他者を犠牲にしても自らの利益を追い求める人間の心の欲深さを見るような思いがしました。  そんな状況下でも、輝いていた子どもたちの目が忘れられません。ある難民キャンプを訪れ、楽しく遊び仲良くなった少年に質問されました。  「あなたの名前は何ですか?」  私が答え、少年の
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まさに無常(あるお坊さんの話)

 今夏、父がその一期(いちご)を終えました。長年、雅楽に親しんできた父は、8月上旬に久しぶりに舞楽を舞ったばかりでした。お盆の時も、住職として多くのご門徒と本堂でお話をさせていただいておりました。ところが、お盆明けに突然体調不良を訴え入院し、8月末に急逝しました。まさに無常を具現するような出来事でした。  通夜や葬儀の準備をしながら、まったく理解できないことの中で自分がいる、という、とても奇妙な気持ちでいました。父の死への悲しみも封印されたままでした。あまりにも突然すぎて、あっけなさすぎて、本来自然に湧き出るはずの感情すら、反応に困っている状態でした。  父や私が所属する雅楽会では、会員の通夜の席で、献楽するならわしになっています。演奏する曲は、父が一番得意としていた舞楽の曲をお願いしました。しかし、献楽の間近になって「これは失敗したかな」と思い始めました。その曲がきっかけになって感情があふれ出て、涙が止まらなくなって献楽後のご挨拶ができなくなったらどうしよう、と思ったのです。  そんな思いを巡らせているうちに、たくさんの方による演奏が始まりました。最初ははらはらしていたのですが、不思議なことに、雅楽の音の中から、笑顔で語り掛ける父の声が自然に聞こえたような気がしました。  「突然いなくなって、お前たちと一緒におれなくなったのは残念やけど、わしのことは悲しむ必要はないよ。お浄土に生まれさせてもろたから・・・。死んだ後も全然つらくないし、むしろ、この雅楽の音のように清らかでええところや・・・」  この声が聞こえてから、凍てついていた私の心は次第に解けほぐれて、涙が出るどころか、不
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終活〟をはじめる、手紙…

 ご院主さん聞いとくなはれ。ちょっと手紙を書かせてもらいます。私は今年77歳の喜寿を迎えました。なんとなく体がしんどくて、気になって早々と病院へ行きました。お医者さんがおっしゃいました。  「どこも悪いとこありません。としのせいでしょう」。そうです、加齢のためです。私は後期高齢者に分類されております。  平均寿命まではまだ何年かあるはずですが、日をまちがえます、時間をまちがえます。外出時には、カギをかけたやろか、電気消したやろか、仏だんのローソクの灯はどうやったろうか、と必ず一度は家へもどります。テレビみてましても、健康のために、長生きのためにと、サプリメントの広告が不安をあおりますし、市からは〝無料で検査をしてやるから病院へ〟と催促の案内がとどきます。  眠りは浅いし、夜中には2回も3回も便所へ行かんならんし、小学校の同窓会も3年に1回やったんが、5年前から「毎年しよう」ということになったんです。それでも参加者はへりつづけ、ついこのあいだなんかはまるで達者じまんみたいで、ああ同窓会もこれで終わりやなあと思いました。昨日の気力・体力が今日はないんです。  そんなこんなで、私もついに人生の終わりにむけての準備活動、つまりいま世間で言われる〝終活〟をはじめようと決心したのです。  現代は〝無縁社会〟やと言われ、そこへ〝孤独死〟やの、家族でのうて〝孤族〟やと追いうちをかけられ、いや恥ずかしいことですが、もっと早うに、若いときにしっかりと聴聞させていただいてたら、とご院主さんすまんことです。  息子夫婦も孫も、遠くに離れて住んでます。ですから、いま家ではばあさん、いや嫁さんと二人ぐらし
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お仏飯で育つ

 先日、あるお宅で報恩講のおつとめをした時のことでした。お茶をいただきながら話をしていますと、そのお宅のご年配の女性から突然、「私はあんたのおしめを取り替えたこともあるんよ。それもバスの中で」と言われました。そんなご冗談を・・・と思いながら続きを聞きました。  私のお寺では毎年、本山へ団体参拝を行っているのですが、二十数年前、まだ幼かった私も一緒に参加したようでした。おしめの卒業が少し遅れていた私は、予想通り、バスの中でしてしまったらしいのです。  予想していたものの慌てる母を察してか、周りのベテランの女性方が揺れる車中で手際よく私のおしめを取り替えてくれたそうです。話を聞き終わるや、あまりの恥ずかしさに私は耳の先まで赤くなりましたが、その方は「ええ思い出です」とにこやかにおっしゃいました。  また、私が生まれて間もない頃、「跡取(あとと)りが生まれたんじゃね。よかったね」と皆さんが言ってくださったそうですが、そんな言葉を聞いて過ごした私は、幼稚園に入り、将来の夢を絵に描こうというとき、何を勘違いしたのか「鳥」の絵を描いたそうです。お寺に参られた方々は、私が自慢げに示したその絵を見て、「アトトリを鳥じゃと思うとるよ」と皆で笑った、というお話も披露してくださったのです。  このような話を聞くと、周囲の方々の願いとお育ての中にいること、「あんたはお仏飯で育つんじゃよ」と言われたその意味を、あらためて感じることができます。 そんな幼少期を過ごした私も次第に大きくなりますと、自我の芽生えとともに、何でも自分で決め、自分でしないと気がすまなくなってきました。  以前は父が「今年も京都へ団
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長生きの保証書

 「浄土真宗ってどういう教えですか?」と尋ねられたら、「それはお浄土の真(まこと)を宗(むね)とすることです」と答えます。私のいのちが、人生が、お浄土の真に貫かれているということです。お浄土とは、私がこの限りあるいのちを生き切る依りどころ、支えです。  ところが、私たちの現状はどうかといえば、お浄土が生きることとは無関係なところに切り離されて、死後の世界に追いやられてしまっているように感じます。ですから、60歳や70歳になった方にお寺参りを勧めても、「私にはまだ早いから、当分お参りする気はありません」と言われます。80歳、90歳まで生きられて当然、死後のことなど考える暇があったら、いかに楽しく生きるかを考える方が利口と言わんばかりです。  ちまたでは、いわゆる「平均寿命」なる数字が幅を利かし、あたかも80歳までは生きられるかのように考える人も多いようですが、私は誰からもそんな保証書はもらっていません。私だけでなく、誰一人としてそんな保証はしてもらっていないはずです。  確かに、100歳まで生きる人は年々増えているのかも知れません。しかし、平均寿命に至らずに終わるいのちもたくさんあります。病気が縁で終わる若いいのちもあれば、不慮の事故が縁で終わる幼いいのちもあります。いのちの事実は「老少不定(ろうしょうふじょう)」。老いた者から順番にいのちが終わるのではないのです。  そう言うと、「そんなこと言われなくてもわかっているさ」と言われるかも知れません。しかし、頭ではわかっているつもりでも、私たちの心と体はなかなか理解しようとはしません。だから、大切な人を失った時には、私たちは平静を保
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西に沈む夕日を眺め

 私の今の楽しみの一つは、2人の子どもと本堂でお夕事(ゆうじ)のお参りをすることです。子どもたちが見たいテレビ番組などがあると、なかなか素直についてきませんが、子どもたちには、親である私が、阿弥陀さまのことを大切にして、お参りをする姿をできるだけ見せておきたいと思っています。  本当に大切なことは、後ろ姿を通して伝わっていくのではないかと思います。阿弥陀さまに手を合わせることもそうです。おじいちゃんやおばあちゃん、父親や母親、そして周りの大人たちが阿弥陀さまに手を合わせる姿を子どもたちが見て、またその子も手を合わせる人として育っていきます。 私自身も、かつて祖父と一緒にお参りをしたその後ろ姿が、心に強く残っています。  中学生の頃、私はサッカー部に所属していましたので、日頃は帰宅が遅かったのですが、定期試験前など部活動が休みのときは早く家に帰っていました。そういう時は、夕方になると決まって祖父が「おーい、おつとめやぞー」と呼びに来ました。私は祖父の後について、まず本堂で正信偈をおつとめし、続いて会館の2階の仏間でおつとめをします。そしてその後、天気のよい日には、祖父は決まって会館の2階の窓から西に沈む夕陽を眺めていました。  私の住んでいる地域は夕焼けが大変きれいなところで、「砥山夕照(とやませきしょう)」と呼ばれ、栗太八景の一つにも数えられています。周りをぐるっと山に囲まれているのですが、ちょうど西の方角だけ山が切れていて、天気がよければ、お夕事の時間帯に本当にきれいな夕焼けが見えます。そういう時、祖父は西の方に向かってじっと手を合わせて、なかなか動こうとしませんでした。  
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幻の完全試合

 2010年6月、大リーグ・デトロイトタイガースのアルマンド・ガララーガ投手は、9回ツーアウトまでパーフェクトピッチングを続けていました。27人目の打者が打った一、二塁間へのゴロを一塁手が捕球し、ベースカバーに入ったガララーガに送球しました。塁審はセーフのジャッジを下し、それに対してタイガースの選手たちは大いに抗議し球場全体も騒然となりましたが、判定は覆(くつがえ)りません。  試合終了後、ビデオ再生を見たこの塁審は明らかに自分のミスジャッジであると認め、すぐさまガララーガ投手に詫(わ)びました。審判のミスジャッジによって大リーグ史上21番目のパーフェクトゲーム達成投手になれなかったのですから、ガララーガ投手の無念さは想像に余りあるものがあります。  ところが彼は、「たぶん僕よりも彼のほうがつらい思いをしているだろう」と反対に気遣い、心から詫びるこの審判を「完全な人間なんていないのだから」と言って、寛容な態度で許したのです。  唐突なようですが、このニュースを聞いて私は、聖徳太子の「憲法十七条」の第十条の言葉を思い出しました。  「われかならず聖(ひじり)なるにあらず、かれかならず愚(おろ)かなるにあらず。ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ」 日本に仏教を受け入れて、仏教精神にもとづく社会のあり方を目指されたのが聖徳太子でした。もちろんガララーガ投手が聖徳太子や「憲法十七条」を知っていたはずはありませんし、彼の示した態度を仏教精神に裏付けられたものというつもりもありません。ただ世の東西を問わず、人は自分の非はなかなか素直に認めようとせず、逆に自分への不利益に対しては怒りや報復
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生老病死の四苦

 お釈迦さまは「人生は苦である」として、「生(しょう)・老・病・死」の四苦(しく)を示されました。確かに、生まれたからには誰しも、老・病・死を背負って生きていかなければなりません。  若い時には平気だったのに、体力が続かないなど、日常のふとした時に自分の老化を痛感することがありますが、そんな時は「本当に年はとりたくないもんだ・・・」と誰もが思うことでしょう。  病気もそうです。誰だって病気になんかなりたくありません。でも、病気になってしまったら引き受けるしかありません。それなのに、なんで私がこんなことになったのか・・・と思い悩んでしまいます。  昨年のことです。突然、腰に痛みを感じました。お酒の席でしたので、友人が「飲めば治る」というので飲み続けたところ、痛みが消えたのです。「本当に治った」と喜んだのですが、次の朝は痛みで目が覚め、動けないほどになり、お世話になっているカイロプラクティックの先生にみてもらいました。  先生は首から肩、腰とマッサージをして、「老化かな」と言ってお腹(なか)を手で診察された時、「あっ」と言われたのです。「何ですか」と聞くと、「いや、何でもありません」と言われましたが気になります。おかげで痛みは和らぎましたが、気になったせいでしょうか、帰宅する車の中でまた痛み出しました。  今度は友人のところで電気治療をしてもらい、湿布をたくさんはってもらいました。帰り際に友人が薬をくれたので、飲んでから帰りました。  家に着いて、横になって休んでいると、妻が「この薬を飲むと、痛くないの?」と尋ねるのです。「痛くないよ」と答えると、妻は「おかしいね、これは化膿止めよ
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自分を知ってる?

 私たちは、自分のことは自分が最もよく知っているつもりで暮らしているのではないでしょうか。ところが、案外、そうでもないことに気付かされたクイズがあります。簡単なものですので、ぜひ、挑戦していただきたいと思います。こんなクイズです。 ◇ <問題>父と息子がドライブに出かけました。ところが、事故に遭(あ)ってしまい、二人はそれぞれ別の病院に運ばれました。 息子が病院に到着すると、待っていた外科医が出てきて叫びました。 「これは私の息子!」 病院に運ばれてきた息子と、外科医とはどのような関係でしょうか。 ◇  答えは出ましたでしょうか。 息子のことを「私の息子!」と呼ぶ人は父か母です。お父さんはここにいませんから、外科医は運ばれてきた息子の母親になります。息子と外科医の関係は母子だというのが正解です。お母さんが外科医として勤務する病院に、たまたま息子さんが運ばれたのでした。  私はこのクイズに答えることができませんでした。なぜかと考えていきますと、「外科医と言えば男性」という誤った思い込みが原因でした。試(こころ)みに問題文の「外科医」を「看護師」に置き換えると、間髪入れずに正解できそうです。  もちろん、私も女性の外科医がおられることは知っていました。けれども、その知識は役立ちませんでした。つまり、このクイズでは、知識の有無ではなく、私の愚かさ、すなわち誤った思い込みに自分の力では気付くことができないことが問題にされているのです。 仏かねてしろしめして  私はこのクイズに出あうまで、自分の物事の見方がこんなに危ういものであるとは考えもしませんでした。  私がクイズに答えられなかった
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法要つとめる心持ち

 先日、ご門徒のお宅で一周忌のご法要をおつとめしました。 一周忌は最初の年忌法要ですので、私は「法要はどんな気持ちでおつとめしたらいいのか」ということを、お話しすることにしています。  私自身も若い時、そのことを先輩にお聞きしたところ、二つの心持ちでつとめよと教えていただいたのです。  一つは「故人を偲ぶこと」です。 法要にお参りしている人たちは故人と縁の深い人たちばかりですから、これは当然でしょう。皆さんが故人の思い出話をしていました。そして、自分の暮らしを故人にご報告されるのがよいと思います。  もう一つは「ご勝縁(しょうえん)」です。法要は、日常忙しい生活をしている人も、仏縁を結ぶことのできる優(すぐ)れたチャンスだということです。 つまり、ご法要は亡き人を偲ぶとともに、仏縁を結ぶ大切な行事であるということでしょう。  『三帰依文(さんきえもん)』の最初の文に、「人身受(じんしんう)け難(がた)し、今すでに受(う)く。仏法聞(ぶっぽうき)き難し、今すでに聞く」とあります。  人間として生まれることは、とても難しい。しかし、そのことを今初めて気付くことができた。仏法についても同じことだという意味でしょう。  私が学校に勤めていた時に、生物の先生とこんな話をしました。 「現在、地球上には多くの生命体がありますが、一番多いのは何ですか」と聞いたところ、バクテリアやウイルスなどのミクロの世界の生物、微生物だそうです。  グラウンドで話を続けました。「例えば、このグラウンドの砂が地球上の命の数だとしたら、人間の数はどれ位ですかね」と問うと、「一握りの砂」だと教えられました。 これで
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大人のあり方が影響

 新しい年度が始まり、日本列島も春爛漫(らんまん)の季節を迎えました。ピカピカの新入生たちが、それぞれの世界で輝き羽ばたいています。春の陽光に包まれてはしゃぐ子どもたちの笑顔は、何ものにも替えがたい尊いものです。  しかしながら今、子どもたちを取りまく環境は大変きびしく、学校でのいじめや教職員による体罰、さらには家庭内での虐待など、昨年1年間のまとめによりますと、これまでの統計で最も多かったことが報じられていました。残念ではありますが、その中にはかけがえのない尊い〈いのち〉を自ら絶ってしまった児童や生徒が含まれていることは周知の通りです。  このようないじめ・体罰・虐待はどうして起こるのだろうかと、その原因を探ってみますと、一つには大人社会の価値観の倒錯やその生き方などが影響していると言っても過言ではありません。さらに追跡をいたしますと、戦後教育において宗教教育を忌諱(きき)してきた文教施策のもたらした弊害と言えなくもありません。自分の権利の主張には長(た)けていても義務を遂行することは他人任せで、自分の思い通りにならなければ他人のせいにするなど、自己中心のライフスタイルが反映しているとも言えるのです。  かつての家庭には独自の家風があり、学校にはよき校風があって、それぞれが人間性を育(はぐく)む学びの場でありました。今、その学びの場が機能せず、親も教師も自己主張や防衛に腐心して、都合の悪いことは隠蔽(いんぺい)する体質で、人間存在の原点である〈いのちの教育〉についての学びを置き去りにしてきたからではないでしょうか。生きとし生けるものの〈いのち〉の尊厳について真摯に向き合うこと
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死は終わりではない

 昨年11月11日付、産経新聞朝刊の1面に、東日本大震災で親友のゆいちゃんを亡くした小学1年生の羽奈ちゃんの記事が掲載されていました。羽奈ちゃんは親友のゆいちゃんと、海岸から1・5キロ内陸にある同じ幼稚園に通っていました。  その幼稚園を津波が襲い、園児8人、職員1人が、避難するために乗った送迎バスごと流されて亡くなりました。早退していた羽奈ちゃんは、海から遠く離れた病院にいて助かりました。  震災後、小学生になった羽奈ちゃんは、毎週、幼稚園の献花台を訪れ、置かれたノートにメッセージを書き続けているそうです。「まるで亡くなったゆいちゃんが目の前にいて、話しているかのよう」だと、記者は綴っています。  私が住職を務めるお寺では、わが子を亡くした母親が、毎日お墓参りに来られています。もう1年が過ぎました。私は、その姿を見守り続けることしかできませんが、お母さんはきっと「ここへ来ればわが子に会える」との思いで来ずにはおれないのだと、私は感じてきました。  住職として、多くの人の死と、その家族や周囲の人たちに会ってきました。予期せぬ別れであったり、つらい別れにも出会ってきました。それらの経験から私が学び感じてきたことは、「死んだら終わりではない」と仏教が説き続けてきたことが、その通りなんだということでした。「死んだら終わりではない」ことは、私の死ということと遺(のこ)された方にとっても、その両方に言えることなのです。 何でも話せる場所  以前出会った詩に、小学6年生(当時)の中村良子さんが書いた『宿題』があります。良子さんのお母さんは若くして亡くなりましたが、学校の宿題で「お母さんの詩
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その視線の先は...

 長いゴールデンウイークも、あっという間に終わりを告げました。楽しい休日を過ごした子どもたちにとって、次の楽しみは夏休みでしょうか。  ある年の夏休みのことです。長いお休みも終わりに近付いた8月下旬、お寺のサマースクールには、朝から近所の子どもたちが夏休みの宿題を持って遊びにやって来ました。  一緒に「正信偈」のおつとめの後、机を並べてみんな一斉に夏休みの宿題帳「夏の友」を開きます。課題が進んでいる子もいれば、これから取りかかる子も・・・。その中に、兄妹で参加してくれているA君がいました。みんなが勉強しているのをよそに、何をするわけでもなく座っていました。  私が「宿題忘れたん?」と尋ねると、「宿題もうできたよ!」と言ったままじっと座っています。 「どうしたん?」と、さらに尋ねると、「でかいなぁ!」とひと言。珍しそうに見入るその視線の先は、お内陣の阿弥陀さまでした。  ご門徒さんのお仏壇の阿弥陀さまからすると、本堂の阿弥陀さまがとても大きいなぁと目に映(うつ)ったのでしょう。  しばらくA君の視線の先の阿弥陀さまを、一緒に眺めていました。すると「宿題終わったけん、遊んでもいい?」とA君。 「ほかのみんなは、まだ勉強してるから、もうちょっと待ってね・・・」 その時ふと、子どもたちと一緒におつとめした「正信偈」のご文(もん)がうかびました。  重誓名声聞十方(じゅうせいみょうしょうもんじっぽう) ── 「重(かさ)ねて誓(ちか)ふらくは、名声十方(みょうしょうじっぽう)に聞(きこ)えんと」 私が呼ぶ前から  阿弥陀さまは、自らの名前である「南無阿弥陀仏」の名号(みょうごう)が、あら
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この子の分まで...

※ある女性のお話です。 澄んだ夜空を見ると、いまも鮮明に思い出すことがあります。 その日は、通院の日でした。夕方からの診察だったので、終わって病院を出た頃には、夜の帳(とばり)がおりていました。当時、私は九州の小さな町に住んでいて、どこに行くのも自分で車を運転していました。  病院の帰り道に、町で一番の大きな交差点にさしかかったとき、猫の横たわった身体が運転する私の眼に入ってきました。往来する車も多く、止まることができずに通り過ぎましたが、バックミラーに映った猫はピクリとも動きません。ほどなく家に着いた私は意を決し、猫を納めるための箱とゴム手袋を手に家を出ようとしました。  すると、会社から帰っていた夫が「どこへ行くの?」と聞くので、猫のことを話すと、玄関のドアの前に立ちはだかり、「いまの君の状態では、そんなつらいことはしないほうがいい」と言いました。  病院通いの私の身を案じる夫。「このままだと、あの猫のことが心配で・・・」と言う私。 夫は何度も引きとめましたが、私の決意の固いことを知り、一緒に行くと言ってくれました。  交差点まで二人で歩いて行くと、猫の身体は、まだそこに横たわっていました。夫は、私が車にひかれないようにと、車道に立って見護ってくれました。私はそっと猫を持ち上げました。1キロほどしかない小さな猫でした。子猫は、お母さんとはぐれて、こんな大きな道路の角でひかれてしまったのでしょうか。  猫を入れた箱を抱えて10分ほど、家への緩やかな登り坂をトボトボと歩きました。夫も私も言葉が出ません。涙がほほを濡らし、小さな子猫の身体が、歩くほどに重みを増していきます。その重
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最後のお別れではなく

 最近、お念仏の声が小さくなっている、とよく言われます。特に実感するのが、葬儀の時です。以前はほとんどが自宅で葬儀をしていました。遺族、親族、会葬者が「正信偈」を読誦(どくじゅ)し、そこにはお念仏の声が満ちあふれていました。時代が変わったのでしょうか。葬儀がずいぶん静かになりました。  通夜の法話の中で、心がけていることがあります。人は死んだらみんな仏さまになると思っている人が時々ありますが、決してそうではありません。もしそうなら、キリスト教徒も、イスラム教徒も、仏さまになってしまいます。仏教はそんな独善的な教えではありません。  仏さまになることができるのは仏教徒だけなのです。親鸞さまは「南無阿弥陀仏」とお念仏申す人を真の仏弟子であると教えてくださいました。今こうして悲しみの中にある私たちにできることは、お念仏しかありません。ご一緒にお念仏いたしましょう。そうすれば、これが故人との最後のお別れにはならないはずです。このように法話の中で、必ずお念仏を呼びかけます。  しかし、法話の後で「一同合掌・礼拝」のアナウンスがあるのですが、お念仏の声が増えることはまずありません。どれだけ呼びかけても残念ながら法話の前と同じです。いつも自分の力のなさを思い知らされます。初めて法話を聞いて、いきなり「お念仏いたしましょう」と言われても無理だろうなと思いつつ、それでも愚直に同じことを繰り返しています。 裏切られた期待  しばらく前になりますが、こんなことがありました。60代の男性の方の葬儀でした。いつものように通夜の法話が終わり、やはり静かな合掌・礼拝があって、退出しようと立ち上がった時でした
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最後になるかも・・・

 母の病気が明らかになったのは、数年前の春の頃でした。すでに治療が難しいほど、病気は進んでいました。  痛みだけを和らげる治療を進めることとなり、在宅で緩和ケア専門の先生にお世話になることとなりました。  自宅での療養でしたから、病気が進行して体力がなくなっていく様子がよくわかります。夏を過ぎ、秋になり、いよいよ動けなくなりました。食事もほとんど受けつけなくなり、水も飲めません。  その頃、私は1週間ほど泊まりがけで布教に出かける予定が入っていました。 「もしかしたら、母の往生にあえないかも知れない・・・」との思いで、覚悟しつつ、「行ってくるからね」と母に話しかけました。 母は声を絞り出すように「気をつけてね」といって、いつものように私を送り出してくれました。  重体の母を気遣(づか)い、心配して、「行ってくるからね」と声をかけたつもりが、その母に心配されていたとは・・・。  最後になるかも知れない母の言葉を噛(か)みしめながら、車を走らせました。親の思いは、いつも子どもの心を越えているということでしょう。  布教に出かける二、三日前、往診に来られた先生から一枚の紙を渡されました。先生は、「大丈夫。お母さんはきっとうまく着陸できますよ」とおっしゃいました。その紙には、母の命が終わっていく過程で、心と体に起こりうる変化について丁寧に書かれていました。  母が往生したのは、布教を終えて寺に帰った翌日でした。静かな静かな臨終でした。家族全員で、お念仏を称えさせていただきました。  「穏やかな最期でした。うまく着陸できたのは、先生とスタッフ皆さんのおかげです」というと、先生は「それは、
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あいさつさえも

 みなさんはどんな音楽が好きですか?誰でもお気に入りの曲が一つはあると思います。音楽は、私たちの生活においても大切なものとなっています。  その音楽ですが、さまざまな音から成り立っています。トランペットだったり、サックスだったり・・・。それぞれ違った音色を奏(かな)で、自らが中心となるときは主張し、他の音を引き立てるときは一歩下がり、絶妙なバランスで成り立っています。  もし、そのバランスが崩れたらどうでしょうか。それぞれの音がぶつかり合っているような状態です。音階が一つ違っただけでも、不協和音になってしまいます。不協和音とは、それぞれの音色が本来素晴らしいものであっても、お互いの響きを遮(さえぎ)り、調和のとれない、耳障りに聞こえるような音のことです。  それは私たちの人間関係にもいえるのではないでしょうか。  私は僧侶になる前の仕事の時、まさに不協和音ともいえる関係の方がいました。その方は、私より少し年上の女性の上司・Aさんでした。最初はとても仲良く和気あいあいと仕事をしていたのですが、いつの頃か、私と話をしてもらえなくなりました。  Aさんとは一緒にペアを組んで仕事をしていたので、話さないことには仕事が進みません。しかし、仕事の話どころか、挨拶さえもしてもらえなくなり、意を決して話しかけてみると、「勝手にやったら?」としか言われませんでした。その時、ムカッとした私は、以降、自分からはほとんど関(かか)わろうとしなくなりました。  このことが原因かはわかりませんが、Aさんは胃かいようになってしまい、しばらく胃薬を飲んでいました。苦しかったとは思いますが、なぜそのような対応し
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何か心に引っかかる

今から3年ほど前、あるご門徒の葬儀をおつとめして、斎場に向かう車中でのことです。いつもなら自家用車で斎場に向かいますが、その日はご門徒が私のためにタクシーを呼んでくださっていました。  その時、運転手さんがご自身のお母さまの話をしてくださいました。  「実は私も先日、母を亡くしました。私はできるだけ時間をつくり、施設に入所している母の顔を見に行きました。でも、母は私の顔を見ても他人行儀。晩年から認知症になった母は、私の顔すら忘れてしまっていたのです。とてもショックでした。母の頭の中に、母の心の中に、私の存在がないのかと思うと本当にショックでした。 ただ、それは病気がさせたこと。決して母の意思ではないと何度も自分に言い聞かせました。そしてもう一つ残念なことがあるんです。 それは、母の遺言が聞けなかったことです。 最後に一言、母の遺言が聞けるとよかったんですがね・・・」  運転手さんは「遺言が聞きたかった・・・」と何度もおっしゃっていました。その都度、私は「そうですね・・・」と口では相づちをうっていたのですが、なぜか心の底のほうで何かが引っ掛かるような思いもしていました。  そして、お話を聞いているうちに、気付かせていただいたことがあったのです。それは「遺言」という言葉でした。何度か運転手さんがおっしゃった「遺言」という言葉に引っ掛かりがあったのです。 誰のためか考える  「遺言」という言葉は、ドラマなどでよく見られる臨終間際に発せられる言葉が「遺言」のように思われがちですが、そうではないことに気付かせていただいたのです。遺(のこ)された言葉。遺さなければならなかった言葉なのです。
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美しい蓮の花

 広島の作木町の溜池に自生する蓮の花を、見に行きました。青い空の下、優しいピンクや清楚な白の大輪の花が一面を覆い尽くす様は、あたかも大海の波のようで、その迫力に目を奪われました。  この溜池では、4年ほど前に水を抜いて護岸工事を行ったところ、その翌年から突然、蓮の花が咲き始めたそうです。近くの百歳くらいのおばあさんは、ここに蓮の花が咲くのは見たことがないとおっしゃっています。つまり、少なくとも百年以上昔にあった蓮の種が、工事の影響で傷つき、それが縁となって咲いたのです。  実(じつ)は、蓮の種は硬い殻に覆われていて、そのまま蒔(ま)いても発芽しません。種の一部をヤスリなどで削り、傷つけなければ発芽しないのです。傷つくことが縁で発芽し、美しい花を咲かせる蓮の花。私たち人間も、時に傷つくことが仏縁となり人生に目覚め、美しいいのちの花を咲かすということもあるのではないでしょうか。 私を目覚めさせる仏  「仏さま」「ブッダ」とは「覚者」。つまり「いのちの尊さに目覚めたお方」のことです。そして、自らが目覚めるがゆえに、寝ている者を起こし、必ず目覚めさせずにはおれないお方なのです。私たちは口では、命は尊いとは言うものの、日々有り難く尊い命だとは感じず、愚痴や不平の中に暮らしていて、とても目覚めたとは言えません。そんな私たちに、命の尊さに目覚めてほしいとはたらき続けてくださるお方こそが仏さまなのです。  昨年の2月、お寺の総代を以前してくださっていた方の長男さんが、働き盛りでお亡くなりになりました。初七日の折、「私たちが亡き方を仏さまと仰ぎ、手を合わすのは、私たちにいのちの尊さを目覚めさせて
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【タロット占い師】コントロールできずに大爆発!!

2022.07.10 ※ことの発端となったカード。師匠に向けた彼の気持ちから始まります。大爆発を起こしました。 わたしの中で、下弦の月は不安定期、新月はフラット期、上弦の月は興奮期、満月は成長期。 6月29日の新月は涙が止まらないリセット期になってしまい、第六感を刺激する上弦の月の興奮期にたくさん動いた結果、力を制御できずに大爆発(゚∀゚)!!!! 矛先が全部、師匠に行きました(´;ω;`)ごめんなさい!本当にごめんなさい!! 07月20日生まれのわたしは蟹座、第六感、直感が冴えてる月星座です。 月の