美しい蓮の花

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 広島の作木町の溜池に自生する蓮の花を、見に行きました。青い空の下、優しいピンクや清楚な白の大輪の花が一面を覆い尽くす様は、あたかも大海の波のようで、その迫力に目を奪われました。
 この溜池では、4年ほど前に水を抜いて護岸工事を行ったところ、その翌年から突然、蓮の花が咲き始めたそうです。近くの百歳くらいのおばあさんは、ここに蓮の花が咲くのは見たことがないとおっしゃっています。つまり、少なくとも百年以上昔にあった蓮の種が、工事の影響で傷つき、それが縁となって咲いたのです。
 実(じつ)は、蓮の種は硬い殻に覆われていて、そのまま蒔(ま)いても発芽しません。種の一部をヤスリなどで削り、傷つけなければ発芽しないのです。傷つくことが縁で発芽し、美しい花を咲かせる蓮の花。私たち人間も、時に傷つくことが仏縁となり人生に目覚め、美しいいのちの花を咲かすということもあるのではないでしょうか。

私を目覚めさせる仏
 「仏さま」「ブッダ」とは「覚者」。つまり「いのちの尊さに目覚めたお方」のことです。そして、自らが目覚めるがゆえに、寝ている者を起こし、必ず目覚めさせずにはおれないお方なのです。私たちは口では、命は尊いとは言うものの、日々有り難く尊い命だとは感じず、愚痴や不平の中に暮らしていて、とても目覚めたとは言えません。そんな私たちに、命の尊さに目覚めてほしいとはたらき続けてくださるお方こそが仏さまなのです。
 昨年の2月、お寺の総代を以前してくださっていた方の長男さんが、働き盛りでお亡くなりになりました。初七日の折、「私たちが亡き方を仏さまと仰ぎ、手を合わすのは、私たちにいのちの尊さを目覚めさせてくださるからです」とお話ししました。
 すると奥さまが「主人が亡くなりこの初七日まで、一人仏間で寝ておりました。しかし、昨晩は寂しくって寂しくって、二十歳を過ぎた娘の布団に潜り込みました。娘の横で寝ながら、この娘と共に一つのお布団で休むなんて何年ぶりだろう。そして、じっとじっと娘の顔を見ていたら、なんてこの娘かわいいんだろう、と思い、今までこんなにかわいい娘と一緒にいながらも私はなんとも思わなかった。主人はあらためて家族の大切さに気付かせてくれました。これからは主人を仏さまと受け止め手を合わせていきます」と語られました。
 かけがえのない方を亡くされるというやり場のない悲しみのご縁でしたが、奥さまのお心に、美しく尊い、いのちの花が咲くきっかけとなられたに違いありません。

 一人ぼっちのように思えても大きな支えをもらっていることに気付くことは力となります。私たちも、喜びの時も、悲しみの時も、時には傷ついた時も、仏さまの教えを聴き、必ずや人生の花を咲かせましょう。

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