終活〟をはじめる、手紙…

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 ご院主さん聞いとくなはれ。ちょっと手紙を書かせてもらいます。私は今年77歳の喜寿を迎えました。なんとなく体がしんどくて、気になって早々と病院へ行きました。お医者さんがおっしゃいました。
 「どこも悪いとこありません。としのせいでしょう」。そうです、加齢のためです。私は後期高齢者に分類されております。
 平均寿命まではまだ何年かあるはずですが、日をまちがえます、時間をまちがえます。外出時には、カギをかけたやろか、電気消したやろか、仏だんのローソクの灯はどうやったろうか、と必ず一度は家へもどります。テレビみてましても、健康のために、長生きのためにと、サプリメントの広告が不安をあおりますし、市からは〝無料で検査をしてやるから病院へ〟と催促の案内がとどきます。
 眠りは浅いし、夜中には2回も3回も便所へ行かんならんし、小学校の同窓会も3年に1回やったんが、5年前から「毎年しよう」ということになったんです。それでも参加者はへりつづけ、ついこのあいだなんかはまるで達者じまんみたいで、ああ同窓会もこれで終わりやなあと思いました。昨日の気力・体力が今日はないんです。
 そんなこんなで、私もついに人生の終わりにむけての準備活動、つまりいま世間で言われる〝終活〟をはじめようと決心したのです。
 現代は〝無縁社会〟やと言われ、そこへ〝孤独死〟やの、家族でのうて〝孤族〟やと追いうちをかけられ、いや恥ずかしいことですが、もっと早うに、若いときにしっかりと聴聞させていただいてたら、とご院主さんすまんことです。
 息子夫婦も孫も、遠くに離れて住んでます。ですから、いま家ではばあさん、いや嫁さんと二人ぐらしです。田んぼは少しありますが、他人に頼んで米をつくってもらってます。荒らさんだけのためです。米つくるより楽やし、買うた方が安いです。息子は田んぼなんかいらんと言うてます。築70年の家は雨もりを心配せんならんし、息子は帰りとうないと言うてます。過疎になっていく、ということです。ほんま・・・・・・。
まちまゐらせ候ふべし
 財産とか、健康とか、地位とか、そんなもんあてにし、自分の支えにして生きとったということに、ふと気づかされたんですわ。『人間臨終図巻』(徳間文庫)て読まはったことありますか。山田風太郎さんが書きはった、15歳から120歳までの有名人923人の〝人はどのように死を迎えたか〟全4巻です。
 自分に重ねましてね、としに関係なく人はいのちの終わりを迎えるんやと、聴かせてもろてたはずやのに、どないなっとるんや、思いましてね。無常やといわれてもおれだけは別やと、喜寿や米寿迎えても、傘寿や白寿迎えても、みんなあたりまえみたいで、このとしまでよう生かされたと言ういのちへのありがたさや、はらのそこからの喜びもなくなってしもうた。
 ときどき聴聞させてもろうてたときのこと、思いだしてたんです。いつ、どこで死んでもええ、そんな生き方させてもらわなあかん。81歳で亡くなった親父がいつも言うとりました。
 「お念仏さえとなえてたらええ、というもんではないぞ。そのもとにはな、アミダ如来さんの大きなおはたらきによって得させていただいたご信心がある、ということをしっかりといただけよ。ええようにしてくださる。おまかせしたらええのや、おまかせのほか、ないのや」
 このとしになって、無性に親に会いとうなりましてな。ほれ、ご開山(かいさん)さまのお手紙に、
 この身(み)は、いまは、としきはまりて候(そうら)へば、さだめてさきだちて往生し候(そうら)はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候(そうろ)ふべし
 そう、お浄土で、かならずかならずと・・・・・・、涙がこみあげてきます。
 ご院主さん、本願力にて往生させていただく、まさにこれこそいのちの〝終活〟、自分で何の準備もいらんということですね。お会いしておはなしすればすむことを、なんやしらん、手紙にしました。春の〝彼岸会(ひがんえ)〟には、ご本山へお参りして聴聞させていただこうと思うております。また、お手紙を書きます。
 ナマンダブツ、ナマンダブツ。
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