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待ってたよ

家系図とご先祖調査のふることやです。数あるブログの中から見つけて下さり、まことにありがとうございます。 ご依頼者様からお聞きした言い伝えなどをもとに、とりあえず思い付く限りの資料に当たり尽くしたのに、一向にご先祖さまについての情報が出てこないということがあります。(むしろ、たいていの案件は、調査に取り掛かかってすぐの局面ではそれが普通です。) それが、あることがきっかけで調査の糸口が見つかって、その後はするするといろんな情報が出てくるという、私なりの小さなブレイクスルーが起こる瞬間があります。きっかけは、ご依頼者様からの「そういえば、.......とか聞いたことがあったような」という些細な一言だったり、「これには載ってないでしょ」と期待せずにたまたま開いた資料だったり、全く別の案件で目を通していた資料の中にあったりするのです。 こういう瞬間は、「きた!」と声が出そうになるほど嬉しく、これがあるからやめられないと言ってもいいでしょう。“そんなに探してくれるんやったら出てきてやるわ”とまるで向こうの方からひょっこりと現れたみたいに...(情報が擬人化されるほど行き詰まっている証拠ですね)。白状しますと、もしあの時あの情報に出会えてなかったら...と後から冷や汗が出ることもしばしばです。   もちろん先祖調査にもある程度の定石というか、基本的手法がありますが、それを踏んでいるのに行き詰まった時には、「これはどう考えても、見当違いの道を突き進んでるな」と気づいて、いかに早く本来の糸口を見つけるかが肝だとつくづく感じます。定石はあるけれど実際の調査過程は様々というのが、先祖調査の一筋縄で
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一見悪しきことさえも

 今年の7月にこちらに出店してから、ご先祖さまのことを知りたいという方々から少しずつですがお声掛けいただくようになり、お陰様で充実した一年となりましたことを感謝いたします。 戸籍を丹念に読み込むと、そのお家のそれまでの歩みが朧げに見えてくることがあります。中にはお伝えすべきか躊躇するような生々しい事実を知ることも、ままあります。例えば、血が繋がっていると思っていた親族が実はそうではなかったなど、戸籍を見なければ知らずに済んだのに…とショックを受けることもあるかもしれません。(なお、戸籍はあくまでも届出ですから、必ずしも事実が記載内容通りとは限らないのですが、ここではそれは脇に置いておきます。) 私も父方先祖が故郷を捨てて夜逃げしてきたらしいと初めて知った時は、正直複雑な気分になりました。それでもその後懸命に家を支えてくれたお陰で今があると思うと、先祖が乗り越えてきた苦労を愛おしくさえ思えるようになりました。 今年はほとんど手付かずだった母方の先祖調査も始め、偶然にも、大戦末期に獄中で最期を終えた元新聞記者の大叔父の存在について知ることとなりました。当時幼かった母や叔母らに、今に至るまでこの経緯が伝わっていなかったことを思うに、遺された身内にとっては、これが左右どちらからも批判の対象となりうる、触れて欲しくない過去であったからでしょうか。資料をいろいろ読み漁るうちに、大叔父には彼なりの義があり、それを全うする道を選んだ結果だったと思えるようになりました。 「戦時下、憲兵に捕えられ獄死」という家族の負の歴史を乗り越えて得られたのは、意外にも懸命に生きた先祖を誇りに思う気持ちでした。
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見知らぬ同姓さんからのお手紙

「突然のお手紙、たいへん失礼いたします。この人のことをご存知でしょうか?」2年ほど前のことになります。空き家同然の実家のポストに届いた見知らぬ人からの封書。訝しく思いながらも開封したところ、我が家と同じ苗字を名乗る男性の消息を尋ねる内容で、少し色褪せた写真のコピーも添えられていました。手紙の主によると、家系調査をしているうちに、母方と同姓のその方に行き着いたとのこと。先祖調査の手法の一つとして、同姓へのアンケート調査がありますが、その対象として我が家が選ばれたようでした。全国的にもかなり珍しい苗字なので、子供の頃からこのような「見知らぬ同姓さん」からの突然のお電話やお便りが偶にあったようです。そのたびに父がどのように答えていたかは定かではありませんが、逆に先方から苗字の来歴などの知識を得ることもあったようで、ひょっとして、父が生前語っていたのは、先祖からの伝聞というより、むしろこちらからの情報では?と最近睨んでいます。私たち兄妹とも、そのお名前にもお顔にも心当たりががない旨、返信したのですが、手紙の主の母方出身地が我が家のルーツに近しい所だとお伝えすると興味を持たれたようでした。その方とのやりとりはそれで終わってしまいましたが、なんにせよ、先祖調査で見知らぬ同姓さんに問い合わせするのは、とても勇気が要ることだと思います。警戒されたり無視されるのも承知の上でお手紙をくださったその方に、もう少し何かできることがなかったかなと今でも後悔があります。逆にいうと、こちらもその方から先祖に関する貴重な情報をいただけたかもしれず、大事な機会を取り逃したかも…との思いも残ります。その頃は、自分
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『先祖』とは

私は古いタイプの人間ですし 先祖供養が習慣化された地域で育った生い立ちから 『先祖』について、伝いたいことがありますので 今回は、先祖の考え方を書かせていただきたいと思います。 私の祖父は、祖母が34歳で亡くなってから、手一つで3人の子供を育て上げました。 小林麻央さんが34歳でお亡くなりになりましたが 祖母は、そのような若さで亡くなったのだなぁと 麻央ちゃんと祖母を重ねていたりします。 祖父はその後、大変苦労したのだと思います。 私の覚えている祖父は、とても慈悲深い人で、瞳を見るだけでその慈悲深さが伝わる人でした。 祖父からは生きる姿勢で、「どう生きればいいのか」を教わった気がします。 この様に先祖と言うのは、子孫にとっては絶大な影響を及ぼす存在で そして、同じ血が流れているという、逃れようのない存在なのです。 私の地域では先祖を大事にする習わしがあるため、ある時、こういう出来事を伺いました。 それは母の友達の息子さんのお話です。 その息子さんは田舎を離れて、都会で板前をしていました。 付き合っていた彼女が居たのですが、その彼女が妊娠してしまったそうです。 ですが、その息子さんは籍を入れるとか、 家族に紹介するということをせずに放置していたため その彼女は実家に身を寄せたそうです。 それを知った母の友人は、旦那さんと共に、その彼女の実家に伺い 「大変申し訳ないことをした。うちの嫁に来ていただけないでしょうか。」 と頭を下げて、息子の嫁に迎え入れたのだそうです。 これを聞いて、皆さんはどう思いますか。 母の友人が何故、その様にしたのか、理由が分かりますか? 私の地域では、先祖=
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土地の記憶を呼び覚ます

家系図とご先祖調査のふることやです。数あるブログの中から、こちらにお立ち寄りいただきありがとうございます。自己紹介を兼ねて、出店するまでのいきさつをぽつぽつと投稿しております。ご先祖様について調べてみようと思い立ったら、まずはご先祖の元々の本籍地を知ることが大前提となります。今でこそ、実際の居住地に関係なく、自由に本籍地を決められますが、近代戸籍制度が導入された明治の初めの頃は、大多数のお家にとって、本籍地イコール実際の居住地と考えるのが普通だからです。 なぜなら特殊な例を除いて、多くのお家は、相当な昔から、遅くとも江戸時代には先祖代々その地に住みついてきたからです。住処を自由に移せるようになったのは明治以降のことで、それまで庶民の移動は制限され、生まれた土地で先祖が耕し、手を入れ、守り抜いてきた田畑や山林、漁場を受け継ぎ、その地で産したものを食し、一生を終えることが当たり前だったのです。当然、今とは比べものにならないほど、土地と家との繋がりが深かったわけで、土地の成り立ちや土地柄抜きにはご先祖様のことは知り得ないと考えます。特に、ご先祖様の生業(なりわい)の多くは、その土地土地に根差したものであって、例えば田畑なら、お祖父さん・お祖母さん、そのまたお祖父さん・お祖母さんが一生懸命耕し、苦労して年貢を納めてきた土地を基盤として、日々の暮らしがあったのです。そのような土地に暮らす限りは、ことさら先祖のことを知ろうとせずとも、自然と伝わるものが日々の生活の中にあちこち散りばめられていたはずです。明治以降の近代化の流れで、都市部に居住地を移すケースが増えたことが、先祖について知る機会
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ただ導かれるままに

家系図とご先祖調査のふることやです。数あるブログの中から、こちらにお立ち寄りいただきありがとうございます。自己紹介を兼ねて、出店するまでのいきさつをぽつぽつと投稿しております。父の死を機に、ずっと気になっていた先祖のことを調べなきゃと思ったのも束の間、日常の慌ただしさにかまけて「そのうちに、そのうちに」と後回しにしているうちに、1〜2年があっという間に過ぎ去りました。そんなある日、かつて父方先祖が暮らしていたと思われる土地を偶然訪ねる機会がありました。城下町から川沿いを遡った谷間にある、古くは一帯が荘園だったという歴史をもつ村でした。稲刈りが済んだ田んぼの畦道を、一人自転車で駆け巡りました。よく、初めて来た所なのに懐かしく感じる、なんていいますが、そのとき私が感じたのは、魂が震えるような、いわく言い難い感覚でした。田んぼの真ん中で魂が震える、可笑しいですね、我ながら。父の一家は、父が生まれる前に田舎を離れ都会へ出ていましたが、戦時中、父とその姉は、母親の生まれ故郷であるこの土地へ疎開させられたようです。親戚の家の子に邪険にされたり、いろいろ辛かった思い出を聞かされたものです。幼い父は、毎日どんな心持ちでこの美しい田んぼの景色や山並みを眺めていたのだろう…そう思いながら眺めるうちに、なにより親と離れて寂しかった父の気持ちが手に取るように感じられたのでした。小春日和の午後、名残り惜しい気持ちを振り切って、ご先祖さまが暮らした土地を後にしたのでした。
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なぜだかわからないけれど、ご先祖様のことが気になって

こちらのブログを訪れてくださり、ありがとうございます。見つけて下さったあなたは、きっと歴史やご自身のルーツ・家系のいわれにご興味がおありの方ではないかと推察いたします。若い頃は自分の目の前のこと、将来のことで精一杯、ご先祖様と言われても遠い昔のことで、お墓参りや法要の折、手を合わせることがあってもあまり我が事として受け止められなかった私「ふることや」が、どうしてこのようなサービスを始めるに至ったか、そのいきさつについて、少しお話ししたいと思います。「戸籍集めをしてみて、親父のルーツがわかりました」数年前、父を見送った後、相続の手続き一切を任せていた弟から、一通り終わったとLINEがありました。その最後の一文を見て、「ああ、いい加減やらなきゃ」という焦りにも似た気持ちを掻き立てられたのを今でもはっきりと覚えています。子供の頃、うちの父はどういうわけか、時々、自分が生まれ育った家のことやら先祖の言い伝えらしきことやらを問わず語りする癖がありました。いつも上の空で聞き流していたので、私たちきょうだいともども断片的な内容しか憶えていないのが今でも悔やまれます。時が経ち、先祖に少し興味が湧き始めて、一度訊いておこうと思うようになった時には、父は肺炎を拗らせて人工呼吸器とともに病床にありました。かろうじて筆談は出来たので、ホワイトボードでやり取りし記憶の穴埋めを試みたものの、弱々しい筆跡から得られる情報は限られていました。結果、父に直接訊ける機会はこれが最後となってしまいましたが、今思うに、父自身がその上の世代から伝え聞いていた内容も同じように断片的なものだったのかもしれません。弟がどの程
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自分のルーツを知り、発言全てに説得力・人間力が増す神秘の力を借りる日本特有の方法

あなたは、このように感じた事はありませんか?同じ発言なのに説得力のある人と無い人がいるのはなぜだろう私のルーツは五条代官であった鈴木源内です。「自分のルーツを識(し)る」これって結構大事な事なのです私は自らの講座でもそうなのですが、短く端的に濃い内容をまとめるのが好きなので今回も、その方針でまとめていきますでは、どうやってしるのか?  ・自分に関係のある氏神様を識る    神社庁に電話し、自分の出生地と現在住んでいる場所、    人生の分岐点があった時に住んでいた場所の管轄の神社を    教えていただき、感謝の報告を数年に一度でもよいので    その地域の守り神である神社の氏神様にお伝えする。    ※因みに氏神様の総本山的な神社が伊勢神宮です。    地域の氏神様を飛び越えてお参りするより、    段階を踏んでお参りするほうが、さらに見守ってくださいます。    (外国に類似するような文化はみあたりません。「教会」で一括りでした)   ・自分の家系の家紋を調べる    こちらは、墓を参れば墓石に刻まれております。    もしくは父母の出生地地域や、戸籍で辿れる    古い情報の地域などで同姓の墓石を調べれば、    かなりの確率で、その家紋であることが多い。    どうしても見つからない場合は自分で決めてもよい。    ※外国で家紋という定義の文化は無いらしいですが    ロスチャイルドなどの大富豪は紋の重みを理解しているので、    一族に紋章があったりするのです。    (中国・韓国には家紋文化はありません)    (当たり前ですが中国・韓国には日本にない良い文化もありま
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亡き祖父が孫に見て欲しかった写真

今日は霊能者が日常で遭遇する出来事について書きたいと思います。(霊能者と言っても能力さがございます。あくまでもこれは"私の場合"です)初めに・・・ライティングは下手くそですのでご容赦ください。 もう何年も前の事ですが、友人とその親友のAさんのお宅にお邪魔した時親友Aさんも私の能力の事をよく知っていたので「うち、なんか感じる?」と聞かれた事がありました。 まぁ、皆さん半分怖いなと思いつつ聞いておきたい、聞いてみたい事かもしれませんね。 私は親友Aさんの家にお邪魔してからずっとAさんの亡き祖父から感情を受信しており急に言い出すのも怖がらせるかもしれないと思い黙っていたのでした。 「なんか感じる?」と聞かれて安心してお伝えすることができました。実はお爺さん亡くなられてると思うのだけど、とお伝えしたら「うん、そう。何か言ってる!?」と聞かれたのでお爺様との交信を全開に。 「さっきからお爺さんが自分のお洒落写真がそこの引出しに入っているから見て欲しい(孫に)と言ってる」と引き出しを指さすと、モノクロのお爺さんの写真が出てきました。 Aさんは「こんな所に祖父の写真があったなんてビックリ。」と驚かれつつも嬉しそうでした。 お爺さんはお洒落な帽子をかぶったスタイリッシュな雰囲気の方で思わず「おお〜〜〜」っと言ってしまう程。「Aさんがお洒落なのは自分譲りだとちゃんと伝えたい、知って欲しかったと言ってるよ」と伝えるとAさんは「小さかったからあまり記憶にないけど、なんかお洒落だな〜と思ってたのは覚えてる」と言っていました。 あとは色々会話を楽しんで頂きました。会話の初めは殆どが、生きている人からの質
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無事到着して隔離完了~お墓の儀式依頼開始まで

成田から出発してマレーシアに到着までとてもスムーズでした。数か月前と比べると人が少なく、PCR検査や書類確認もより簡単に。隔離が必要でしたが、特に問題なく完了。最初の1件のご依頼はお墓儀式依頼です。今回はお客様の許可を得て撮影できるように交渉しました。そうすると弟子達は将来参考できるように。特にレアな儀式が含まれてると、よっぽどタイミングよく参加しないと実際の目で見て習うことができませんので、全員を呼ぶわけには行けませんし(お客様がビックリします(笑))、このように録画することで、残せるのは時代の流れかもしれません。(供養品の準備中)簡単に説明しますと、土葬が完了した状態で、最後の儀式で難しい名前ですが「旺山儀式」と言います。これはお墓が正式に完成したことを示し、土葬完了後100日以内に吉日を選んで、行うこの儀式の目的は:(1)子孫と他界された方との因縁浄化(2)死者送り(最後のお別れ)(3)最初の祖先供養(4)子孫・後世に幸運と幸福の願いを実際今回のご依頼に一人の家族が他界された方との関係が良くなかったようで、そこで生前の因縁絶つことにより、お互いに憎しみや負の感情から解放され、他界の方は安らかに黄泉の道へ、現生の家族は通常の生活へそれぞれ分かれ道をハッキリさせることが大事です。先祖への供養の大切さ死の別れは恐らく人生最後で最大のイベントと言っても過言ではありません。それぞれの未練、後悔、憎しみや怨念等を残すのは何十年も生きてきた人間として当たり前です。残された家族との関係をきれいにする因縁浄化はとても大事です。これは別に悪いことではなく、最後に”仲良く”お互いに祝福試合、お
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#3 子どもに育てられている

昨日知った絵本作家ののぶみさんの投稿を一気見してて、感動して泣いていた。というよりも、勝手に涙が出ていた♡子どもが生まれるのは、抱きしめられるためじゃなくて、ママを抱きしめるため♡子どもって毎日ママが大好きに一生懸命!♡子どもって、ママがホントはこうしたかったってことを見せてるだけ中でも、わたしがグッときたのは♡甘えることができなかったママのもとには甘えん坊な子がくるうちの下の子は本当に甘えん坊で、ひょうきんで、毎日笑わせてくる。そっか、この子がしていることは全部わたしが本当はしたかったけどできなかったことなんだ〜ってわたし、もっと甘えたかったんだなって教えてくれてありがとう❤️そして、もっと子どもを甘やかして、わたし自身、もっともっと甘えて生きていこうって(^^)自分が子どもの頃を振り返ってお母さんを笑わせるために生まれてきたんだなーってお母さんが大好きでお母さんのもとにきたんだなーって誰にでも必ずお父さんとお母さんがいて、そのお父さんお母さんにもお父さんとお母さんがいて先祖代々命を繋いでくれているおかげで、今ここに自分がいる。うちの子たちにも、旦那の親、先祖がいるおかげで命が繋がれたこれは何にも変えられない事実いろんな時代を超えて今ここに私たちの命が紡がれている生きているだけで素晴らしいよねたくさんの命の延長に私たちがいるんだからもう、それだけで素晴らしいよただ、いるだけで愛されている先祖様が見守ってくれてる1人じゃないね、100万馬力だねご先祖様の存在を感じたら、もうすごいエネルギーだよねありがとう命を繋いでくれて
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科学技術「水猫」

【猫の祖先】猫の水嫌いな理由が今回の研究により明らかになりました。猫の水嫌いの理由は祖先から受け継がれる体の特徴のせいで嫌いなようです。猫の祖先は「リビアヤマネコ」という紀元前2000年前からいたスラっとした背の高い猫です。この猫が生息してた場所は中東にある川沿いの「肥沃な三日月地帯」この場所にはティグリス・ユーフラテス川がすぐそばに流れていて川沿いの各所に村がありました。ここの地帯は農業が盛んに行われててここで育つ作物がねずみによく荒らされました。しかしここに生息してた猫はねずみを捕食する為に村に入りそれをありがたく感じた人々が猫と共存し始めました。〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓【水嫌い】この頃の村の人々は気候の変化に伴い農作物が育たなくなると新たな土地を目指し移動します。この時村に一緒にいた猫を連れて行き新天地で一緒に生活を始め猫の生息地が拡大しました。このリビアヤマネコがいた中東やエジプトは非常に雨が少なく乾燥して水に触れる機会がありません。そんな場所にいた動物なので雨など降ると驚いてしまい水が怖くてたまらないのです。他にも苦手な理由があり猫の体温が平均38度台と言われ水にぬれて体温が下がると運動能力が低下してしまいます。捕食動物の猫はひえると代謝が下がってしまい素早い動きが出来なくなり獲物を捕らえられません。その為猫は暖かい場所を選び1日中日光浴をしてるのです。〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓【猫の毛】犬が水にぬれると体をフリフリして水を弾きますが猫がこんな事をする姿を見ません。それは犬が揮発性がある毛に対し猫の毛が水を吸い込むウール製の毛だからで
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新千夜一夜物語第3話:除霊と救霊

その日、青年は陰陽師を前にうつむいたまま黙っていた。というのも、青年は過去に霊能力を持っている人物の世話になったことがあり、その時にお祓いは済んでいたはずだからである。それなのに、陰陽師は霊障があると断言するのだ。陰陽師は青年の想いを察してか、彼が切り出すのを黙って待っていた。『じつはですね。先生にはとても申し上げにくいことなんですが…』青年が切り出した。「どうしたんじゃ? 何でも言ってくれて構わんぞ」『実は僕、過去に霊能力者に弟子入りしていたことがありまして、その時にお祓いを受けているんですよ。だから、昨日先生が僕に霊障があるというのは違うのではないかって』「なるほどのお。そなたは世話になった霊能力者とやらの言葉を今でも信じておるわけじゃな」『先生を疑っているつもりはないんです。ただ、僕にまだ霊障があるとするなら、過去に受けたお祓いは何だったのだろうと思って。よくわからなくなってしまったんです』いつもと変わらず、穏やかな表情のまま紙を差し出す陰陽師。何を言われても動じない不動の心を持っているかのようだ。『この紙は何ですか? 数字がいくつも書いてあって難しそうですが』「そなたの鑑定結果じゃ。昨日、名前(ふりがな)と職業を書いてくれたじゃろう」『ああ、そうでしたね』「それでな、“現世属性”の個所を見てみるがいい」“現世属性:7(5)―7(5)(−2)”『この、7(5)―7(5)(―2)の部分ですか? これはどういう意味ですか?』「7(5)―7(5)はまた別の機会に説明するとして、今日は最後の(―2)のところについて説明しよう」青年は眉をひそめながら紙をじっと見つめている。どうやら
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令和の時代でも? 戸籍に「士族」などの旧身分が載っていた!

 ココナラでは、もうずいぶんと一般のみなさまの「家系調査、ルーツ探し」をさせていただいておりますが、今回はかなり驚いた!事案がありましたのでご紹介。 士農工商とざっくり言われるような、旧身分は、現代の世の中については差別などの温床になるため、戸籍等の記載からは除外されているのがよく知られていますが、なんと「令和になって取得した戸籍(除籍)に士族などの旧身分が載っていた!」実例がありました。 私は行政書士ではないので、戸籍等の代行取得はしておりませんが、その代わりに歴史と家系・苗字の研究を積み重ねていますので、実際の戸籍の取得は依頼者ご本人さんにお願いすることになっています。 そこで、依頼者さんが取得なさった「除籍簿」に、今回はなんと「士族」とバッチリ書かれていて、なおかつ行政サイドの消し忘れで黒塗りも白抜きもされていないことが発見された次第。 こうしたその家に関わる重要な事項が残っている場合もあるので、ぜひみなさんも思い立ったら先祖の戸籍を取得なさることをおすすめします。 戸籍の保存期間は150年ですから、これからどんどん廃棄されるものも出てくると思われます。 というわけで、今回はたいへん珍しい実例でした。 
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ルーツ調べとお宝発見!

 ルーツ調べというのは、「おうちの中に眠っている情報」と「公(おおやけ)の記録に残っている情報」の付け合せ作業です。 ですので、「とあるお家の内部の情報が、そのおうちの親族しか知らない場合」には、まったく手も足も出ません(苦笑) そういうことがたまにあって、「ある人が明治に新しい苗字を勝手に名付けて、その由来などはとくだん外部に出していない」時には、その苗字の由来を知ることは、ほとんど不可能ということになります。 ただ、なんとなく状況証拠のようなものが残っている場合があるので、それらをかき集めながら「推理」することはできます。 あとはその推理の確率を上げてゆく、という作業になるわけですね。 さて、そうしたわけで「おうちの内部の情報(親族間の言い伝えなど)」をこちらに教えていただくことも重要なポイントになるわけですが、このココナラさんのサービスでも お宝発見!になることが、時折あります。 それはどういうことかというと、おうちに伝わっている「手紙」とか「掛け軸」とか、そうした古いものが、「おうちの方はただ古いものだと思っていたけれど、おそらく専門家が見ればお宝!だった」ということが起きるのです。 先日もこのココナラさんの先祖探しの依頼で、『幕末から明治にかけての偉人の直筆の手紙』が出てきたり、『歴史的に重要人物なから贈られた書画』などが出てきたことがありました。 そうした史料で、まだ博物館や大学などが「把握していない」ものがあれば、それは未知のお宝ということになるでしょう。 金額的にそれがいくらになるかは、「なんでも鑑定団」の世界なので、当方ではなかなか判断しかねますが(笑)、すく
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自分が、天皇家の子孫だと一発でわかる「家紋」

 日本には5000種類とも8000種類とも言われるほど多数の家紋があります。 家紋は平安時代ごろに生じて、自家と他家の区別や、氏族グループの判別のためにつけた紋章・文様が元になっています。 ルーツや先祖を調べる時に、かならず一緒に考慮するのが、この「家紋」なのですが、実は”家紋から氏族を特定することは非常に難しい”と言わざるを得ません。 もちろん、多くの先人の研究者や研究家たちが市井の家紋についてフィールドワークや文献調査を重ねてきて、市販の「家紋辞典」や、インターネットサイトなどに多くの情報があることも事実です。 それらの研究は大いに正しく、また膨大な積み重ねがあるのですが、それでも「今みなさんの家で知っている自分の家紋だけで、氏族を判定することはかなり難しい」と言えるでしょう。 その理由は「苗字や名字、氏族の姓は、基本的には好き勝手につけることができず、なんらかの背景や経緯がある」のに対して、「家紋は好きにつけたり、用いることができる」ためです。 皇室の紋である「菊」や、江戸時代は徳川家の紋である「葵」など、ごく限られた特定の紋を除けば、庶民でもけっこう好きに家紋をつけることができ、あるいは複数の家紋を使うことができたため、それを遡って判定することが非常に難しいのですね。 男紋・女紋という概念があったり、替紋というサブの家紋があったり、父方の紋・母方の紋を受け継ぐ場合もあるでしょう。 そうして元の家紋から変わってしまった場合、氏族と家紋のつながりは変化してしまうのです。 ただし、注意が必要で、「家紋から氏族を特定する」のは難しいのですが、「氏族が先にわかっていて、家紋を照合
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家を継ぐとは? ~法律上、家を継ぐ事は存在しない~

 苗字や家系について調べていると、どうしても「家」というものに着目せざるを得ないことが多々あるのですが、ちょっと面白いことを思いついたのでせっかくの機会なのでお話しておこうと思います。「家を継ぐ」という言葉を、みなさんは耳にしたり使ったりしているはずですが、実は「家を継ぐ」ということは現在の日本には存在しないのを知ってますか?! これを聞いて「はあ?」と思う方も少なくないかもしれません。「え?だってうちの兄貴は家を継いでおやじの家に住んでいるよ」とか「あたしは女子1人なので、親が『家を継ぐのに養子をもらえ』みたいなことを言ってるよ」とか、そんな事例は山ほどあるので、「家を継ぐということが存在しない」ということについてはピンとこないかもしれません。 しかし、はっきり言っておくと「家を継ぐ」ということは、みなさんの意識の中の慣習としては残っているのですが、実際には法的には全く存在しない出来事なのです。 というわけで、今日はそのへんをズバリ解説してみましょう。 戦前までの家父長制度では、「家」というものが存在しており、それを継ぐという行為もきっちり決まっていました。 ところが、戦後民法が改正され、私たちは法律上「家を継ぐ」ということを失っています。 ここまでが「語句と規定」上のお話。 実際問題として、私たちのこころには「家を継ぐ」という行為がイメージとして残っていますよね? それは、具体的には、①父親の家屋敷を、長男が相続してそのまま代が代わっても住み続ける。②女の子ばかりのこどもの時、父親の姓を残すために、娘の夫の苗字を変えてもらう。③長男が都会に出てしまったので、次男のほうが実家
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江戸時代の飢饉の恐ろしさと、ルーツや先祖

 ルーツ調べをしていると、ほとんどの場合はみなさんの「田舎や実家、本家」と思っていらっしゃるあたりに、何らかの先祖やルーツの痕跡があり、意外に簡単に遡ることができます。 今、都会に住んでいらっしゃる方でも、40代や50代であれば「父の実家」とか「祖父の実家」をある程度把握しておられることが大半なので、まあ、そのあたりをまず調べれば、氏族そのもののルーツを見つけることが容易いと言えるでしょう。 逆に、「おじいちゃんの代から都市部に住んでいます」という方は、いわゆる田舎や本家から脱出している時期が早い(おそらくは江戸時代の間)ため、そこから先をおいかけるのは、多少難しくなる傾向があります。 そのように、すごくベタな言い方ですが「実家や本家」というものと、その地域や氏族のルーツは密接に関わっているもので、「地縁血縁」のような言葉が生まれるのもそのためですね。 ところが、先日ルーツ調べに関わったおうちでは、不思議なことに「先祖の住んでいた土地と、今残っている苗字との繋がりがぷっつりと途切れている」ということが起きていました。 たしかにその苗字とおなじ地名は、少し離れたところにあるのだけれど、その村と今の苗字とは地縁や血縁が繋がっておらず、関連性がよくわからなかったのです。 もっと不思議なことがあって、ある地域に、仮にAという苗字があったとしましょう。その地域は室町時代や戦国時代からちゃんと記録に登場するくらい古い村だということがわかっています。 そこから50キロくらい離れたところにAという同じ言葉の「村名」「字名」「集落名」があるのですが、その村が出来たのは江戸時代前期の新田開発によっ
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氏族と家系 ナンバーワン?それともオンリーワン?

 苗字やルーツについて長年調べていると、「このおうちの場合は、この資料を調べたらいい」とか「この苗字の場合は、まずここを読めばいい」とか、そういう「データがどこにあるか」というのが、最初の段階でまず決まってくるのですが、その理由は至ってシンプルで、「家系調べ、ルーツ調査とは ”公的な記録探し” である」ということが言えるからです。 ルーツを探す、ということは「とても難しいことなのでは?」と思いがちですが、実はそれほど難解な作業ではありません。 すごく簡単に言えば、「どこか公的な資料に、先祖の名前や苗字が載っている」ということなんですね。 じゃあ、どこにそれが載っている(可能性がある)んだ?!と誰もが考えるわけですが、■ 昭和ならこの本■ 明治大正ならこの本■ 江戸時代ならこの本とだいたい決まってくるわけです。 もう少し具体的に言えば、「うちのおじいちゃんは満鉄に務めていた」ということであれば、「満州鉄道の職員名簿」があります。あるいは、「うちの先祖はどこそこで織物を扱っていた」であれば、全国もしくは地方版の「商工名鑑」などに載っていることが大半です。 あるいは破産などをしていれば、「官報」に記載があることも。 まあ、こんなふうに、ルーツ探しは、「自分の家の内部という個人的な情報」と「公的な記録にその人や一族が記載されているか」の付け合わせ作業なのです。 ルーツ調べの第一歩である「戸籍の取得」なんかもまったく同じで、「その家の内部の情報が、公的な戸籍に記載されている」から、私達はそのデータを入手することができる、というわけです。 さて、そんなことを長年やっていると、子孫が先祖につ
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ルーツや先祖はどこまで辿ることができますか?

 先祖調べや、ルーツ探しを希望なさる人にとっては「どこまで辿ることができるのか」ということは、興味深い質問だと思います。 これは、その家によってまったく違うので、「調べてみないとわからない」という身もフタもない答えになってしまうのですが(苦笑) けれど、どんな風に過去へ調べが進んでゆくのか、そのあたりをお話しましょう。<第一段階 明治から江戸末期まで> みなさんが一般的に「うちの先祖」とか「家系図が」といったイメージをお持ちになるのは、この段階です。 実は戸籍をたどれば明治29年前後に存命だった人の先祖は誰でも辿ることができるので、自分で戸籍をとって家系図を作る人もたくさんおられます。 行政書士資格を持っている人は「他人の戸籍を代理でとる」ことができるので、「家系図つくります」という業者さんは、その資格を利用して家系図にまとめて仕上げるサービスをしておられます。 ですが、自分でもできるので、ご予算に応じてお好きなやり方で取り組んでみてください。 とまあ、ここまでは一般的な話で、誰でもできるので当方では「家系図の作成」はやっていません。 それよりももっと専門的なことに取り組んでいる、と考えていただければと思います。(全体的な氏族の歴史に着目して、進めます) わずかながら「明治の段階で発生した苗字・名字」があるので、その場合はそこでストップです。確率的には数%しかありません。9割方はもっと先へ行けます。<第二段階 信長の時代くらい> 確率でいえば7割〜8割くらいの「田舎の農家です〜」というおうちに多いのがこのパターンです。いまの田舎の地域に先祖がやってきたのが「戦国時代」というおう
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先祖代々、平凡な農家のほうが名家名族である理由

 苗字調べや先祖調査というと、「うちはふつうの農家なので」とあまり関心を持たない方も多いかもしれません。「そんなたいした家柄じゃないよ、ふつうの田舎の農民だし」と思っておられる方も、たくさんいると思います。 ところが、ルーツ調べをしていて、いちばん名家名族、あるいは、古い家柄に繋がることがわかるのは「ど田舎村の、農民の家柄」の人たちばかりです。 逆に、「うちは○○藩の武士だった」というおうちのほうが、ある時期から先が、まったくわからなくなることが多いのです。 一般的に考えると「武士は偉い、農民は従属的存在だった」というイメージがついていると思いますが、それこそが「徳川家康」の狙いです(笑) 私たちは、まんまと「家康の策略」にハマってしまっていて、令和の現代になっても、家康の呪いをかけられたままなのです。 なぜ、そういうことが起きるのか、簡単にお話しますね。====== 先祖代々、田舎の農家の家柄、というと、ずっと農民として汗水足らして働いてきたイメージがあると思います。 それは一部ではまさにその通りで、ご先祖さまは、先祖代々伝わっている「たんぼ」を大事に守ってきたわけですが、ここでちょっと考えてみてください。 その先祖代々の「たんぼ」はどうやって入手したのでしょうか? はるか昔に、当時の不動産屋さんで「売ってた」のでしょうか?あるいは、原野のようなところに入植して、木を切り倒しながら田んぼに作り替えたのでしょうか? あるいは、誰かが持っていた田んぼを作物や布とか銭の束で交換したのでしょうか? もちろん、いろんなパターンがありますが、「たんぼ」と考えるからピンときませんが「領地」
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名字調べ、ルーツ調べの依頼が多いのはどんな時?

 もうずいぶんと長い間、みなさんの「ルーツ調べ」「氏族調べ」のサービスを提供していますが、「依頼したくなる理由」「依頼してみよう!と思う時」には、いくつかの傾向があります。 もし、みなさんの中で「一度調べてみようかな」と思っておられる方があれば、参考になさってください。■ こどもが生まれた時 お子さんが生まれたタイミングで、「自分の家や一族は、どういう流れや歴史があるのかな」と思うのは自然なことと思います。 若いご夫婦などが「それぞれの実家の苗字やルーツについて調べてください」という依頼をお寄せになることが多いです。 最終的にはお子さんが大きくなった時の宝物、という感じになるようです。「家宝として大事にします!」と言う声をいただくことが多く、励みになっています。■ 結婚する時 ・・・女性のほうが多い 女性が結婚したタイミングで、「自分の実家について調べてほしい」という依頼をいただくこともよくあります。 女性にとっては、自分の苗字が変わるという大きな出来事でもあるので、自分のルーツを再確認したい、という気持ちが強くなるのかもしれません。 その場合は、完成した資料などをご両親に渡したい、とおっしゃられることが多いように感じます。 逆に、男性が結婚した時に依頼を受けたことはゼロです(笑)男性の場合は、やはりお子さんが生まれたタイミングが多いと思います。■ 定年退職とともに 仕事を引退して、ある程度自由になったので、自分のルーツについて調べてみたい!と思われる方もおられます。 その場合は、当方に任せきりではなくて、実地調査などをご本人さんがなされながら、二人三脚で調査を進めて行く形が多
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なぜ名家はかならず没落するのか?

  ご先祖さま探しをしていると、よく、こんな話を聞きます。「うちは昔名家だったらしいが、没落した」「昔は土地をたくさんもっていたが、今は全部手放している」「うちは庄屋だった。現在はただの庶民だが」 こういう話を、一般的には「ああ、少しでも自分の家をよく思いたい、よく感じたい気持ちの名残なんだな」と解釈することが多く、家系図業者さんのサイトやブログ、苗字研究家さんの記述なども、そういう見立てをしている場合が見受けられます。 なので、私を含めて「ご先祖様探し系」の活動をしている人は、「その家に伝わっている伝承や、言い伝え、昔話は脚色されていることが多いから、注意しようね」というスタンスで物事に当っておられると思います。========== ところが、最近、いろいろ調査しているうちに、私個人は少し違う見立てをするようになりました。一般論として「家系は装飾しがちである」「伝承は、ちょっと良く見せたがるものである」ということまで否定するつもりはないのですが、名家とは、没落するものである!という公式のようなものを発見したわけです。 私のところに情報を寄せてくださる大塚さんの中に、同じような話を寄せてくださる沢山おられます。「うちは昔は名家だったらしく、土地もたくさんもっていたらしいが没落した」とか、今日の記事の冒頭に書いたような伝承は、やたら溢れているのです。========== 実は、うちの母方の先祖について、調査に入っているのですが、その家については、江戸中期に書かれた書物に「○○家は、旧家であり、この地方の庄屋を代々務めていた」という記録が残っています。 さて、この記録。別に自画自賛
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ご先祖さまの探し方 姓氏・家系・苗字の調べ方 姓氏家系辞書・辞典の一覧

 <辞典類 姓氏・苗字>■ 『姓氏家系辞書』 太田亮 磯部甲陽堂1920■ 『姓氏家系大辞典』3巻 太田亮 角川書店1963 ■ 『新編姓氏家系辞書』 太田亮・丹羽基二 秋田書店1979■ 『山口県姓氏家系大辞典』 角川書店1991■ 『富山県姓氏家系大辞典』 角川書店1992■ 『姓氏苗字事典』 丸山浩一 金園社1992■ 『沖縄県姓氏家系大辞典』 角川書店1992■ 『宮城県姓氏家系大辞典』 角川書店1994■ 『鹿児島県姓氏家系大辞典』 角川書店1994■ 『群馬県姓氏家系大辞典』 角川書店1995■ 『静岡県姓氏家系大辞典』 角川書店1995■ 『全国名字辞典』 森岡浩 東京堂出版1997■ 『新編日本姓氏辞典』 千葉琢穂編 展望社1997■ 『日本の姓氏 大総鑑』 日正出版1997■ 『神奈川県姓氏家系大辞典』 角川書店1998■ 『日本名字家系大事典』 森岡浩 東京堂出版2002■ 『姓氏家系大事典』 丹羽基二 新人物往来社2002■ 『日本家系系図大事典』 奥富敬之 東京堂出版2008■ 『全国名字大辞典』 森岡浩 東京堂出版2011■ 『苗字辞典』 新藤正則 湘南社2011<辞典類 家紋>■ 『家紋大図鑑』 丹羽基二 秋田書店1971■ 『上州の苗字と家紋』 萩原進編 上毛新聞社1979■ 『日本家紋総覧』 能坂利雄 新人物往来社1990■ 『姓氏・地名・家紋総合辞典』 丹羽基二 新人物往来社1990■ 『家紋でたどるあなたの家系』 千鹿野茂 八木書店1995■ 『続家紋でたどるあなたの家系』 千鹿野茂 八木書店1998■ 『日本家紋総鑑』 千鹿野茂 角川書店1
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【運勢の強さを自覚する】

日常的スピリチュアル、安田です。 運勢の強さというのは 表面的なことだけでは 判断ができないのです。 上手くいく、導かれるから 運勢が良くて、強い ということではないのです。 運勢が強いが故に 抑えられることもあります。 強い運勢が抑えられるのは バランスを取るためなのです。 そして、運勢が強いが故に 与えられる使命が大きくなり 試練も大きくなるのです。 運勢の強さを自覚することで 与えられていることの 意味づけができるのです。 基本的には 運勢は強いと 思い込んでください。 運勢の強さを意識するだけでも 現実の環境が与えられていることを 理解することができるのです。 実際、運勢は見えないのですが 環境、状況の導きによって 判断することができるのです。 表面的なことだけで 運勢を判断してしまうと 使命を悟ることができなくなります。 運勢の強さは 与えられているので その強さを活かす使命が 与えられているのです。 自分の力だけで、努力だけで 運勢が強くなったのではないのです。 先祖の功労や 持って生まれた性質と 自分の努力だけでは どうにもできない ことばかりなのです。 現実的には、自分の努力は 大したことではないのです。 あたかも、全てを 自分の努力だけでやってきたと 錯覚している人がいますが いくら功労があっても 功労を使い果たしてしまうと 功労を次世代につなげることが できなくなってしまうのです。 運勢の強さによって 何もかもが導かれて スムーズに行く場合がありますが 功労によって与えられているのです。 功労というのは 活かすことであり 使い果たしてはいけないのです。 功労
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亡くなった方の想い 占い師なつたまのブログ

基本的にはお断りしつつ、声が伝わってきたらお伝えしているご依頼が「亡くなった方からのメッセージ」です。個人的には、あまりお客様にはおすすめしていません。それが「亡くなる」ということだからです。そして、その能力がある方には是非、依頼して頂きたいのですが、基本的には、生きていた時の遺品ひとつでも見たことがあれば、死者の声は聴けるのです。スピリチュアル能力に自信が無い方でも大丈夫です。特に、その方の写真と書き文字があれば良いです。そこから感じられる人としてのぬくもりが、亡くなった人の人柄。そこから紡がれる言葉を想像するのは容易で、想像の範囲のものが正解です。また、人によっては故人の遺品に触れることでサイコメトリー能力を発揮して故人からのメッセージを受け取ることが出来ます。自分の感情以外の何かを感じたら、それがサインです。スピリチュアリストに頼るのもの良いですが、基本的には故人様は生きて会っていたあなたにメッセージを伝えたいものです。他者から亡き人の言葉を一言一句聞くより、わずかでも直接メッセージを感じるのが大事です。また、先祖供養についてもご質問を受けますが、ご先祖様は多少の不義理(お墓参りに行けていない等)は全くお怒りになりません。かつて「私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいません」という歌がありましたが、その通りです。天界で悠々自適にお過ごしです。同時に、子の不幸を願う親がいないように、子孫の不幸を願う先祖はいません。よって、占い師に「先祖が怒っている」と言われたら、無視しましょう。ご質問あればDM他でお待ちしております。
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田舎暮らしや移住がうまくいかない理由

 仕事をリタイアしたら、田舎でのんびり暮らしたい!とか、子供たちには自然豊かなところでのびのび育ってほしい!といった希望を持って、「田舎暮らし」を検討しておられる人はとても多いと思います。 ところが、実際に田舎に移住してみると、「田舎の人は閉鎖的」であったり、「都会暮らしと感覚が合わない」など、トラブルに見舞われるという話もちらほら聞こえてきます。 メディアなどでも、こうした「都市出身者の田舎移住」についての課題や問題点、あるいは起こりうるトラブルについていろいろ話が出ていますが、今回は「ルーツ調べ、ご先祖さま探し」というまったく違った視点から、この謎について解説してみたいと思います。 どうして都会からの移住者と、田舎の人たちの間で齟齬が生じてしまうのか、目からウロコの納得の理由を説明します。========== 一般的には、田舎暮らしを目指して移住してきた人たちは「都市・都会の感覚」を持っていて、田舎の人たちは「閉鎖的で村社会」であるといったイメージが思い浮かぶと思います。その感覚、考え方に違いがあるから、田舎暮し移住がうまくいかないのである、という話はわかりやすいと思います。 ところが、それらの記事や説明では「なぜ都会と田舎の感覚や考え方には違いがあるのか」について、あと一歩つっこんだ話がなされません。 田舎暮しを提案している人たちや専門家でも、いまいちよく知らないというか、さらっとスルーしていることが裏に隠れているのですが、そのためには、ある程度の「歴史」を知っておく必要があるのです。 まず、「都市生活者」と「田舎に住んでいる人たち」は、どうして切り分かれたのか、という疑
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苗字のルーツがわかりにくい地方ってあるの?

 これまで、数千件の苗字調べ、ルーツ調べをしてきたのですが、その中で気付いてきたのは「苗字やルーツが調べにくい地方」「氏族の動向がわかりにくい地方」がある!ということです。 もちろん、全国どこであっても、みなさんのご先祖様に対する思いは変わらないので、ルーツを知りたい!という気持ちはどこでも同じなのですが、実際には「ここはちょっと難しいぞ!」というエリアがあるのも事実です。 そこで、今回は、「ルーツがわかりにくい地方」をいくつか紹介してみたいと思います。もし、万一、その地方出身の方がおられたら残念に思うかもしれませんが、それでもあえて調べてみる価値はあるかもしれません。=========◆ 北陸地方 ◆ なんと言っても、ルーツを追いかける上で苦戦するのは「福井県・石川県・富山県・新潟県」です。 これらの地域は「旧・越(こし)地方」「越(こし)の国(くに)」と呼ばれたエリアで、「越前・越中・越後」に相当するのですが、とある理由で江戸時代以前のルーツが、非常にわかりにくいです。 その理由というのは「加賀一向一揆」です! そもそも、地名と苗字はとても強く結びついているのですが、ある氏族が「ここを領地とするぞ!」と主張するために「地名を苗字として名乗る」のが一般的です。 なので、基本的には荒っぽい言い方ですが、「その苗字と同じ武将がそこらへんにいる」というのが普通の地域なのですね。 だから戦国時代などの記録を見て、「その地域に、おなじ苗字の武将が活動していて、なおかつその武将の先祖は鎌倉時代や室町時代の守護地頭などの分れ」なんてことが判明すれば、まあざっくりですが、その人は、その武将ら
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皇室とは何か? ~ルーツ調べの現場から~

 いろんな意味で「皇室」が話題になっている昨今ですが、皇族にあたる女性の結婚のあり方によっては、「皇室という概念が破壊されたり、支持されなくなるのではないか?」なんて懸念も出ているほどです。 憲法の上では、現在の皇室は「国民の象徴」とされています。もっと丁寧に読み解くと、日本国憲法の第一条では”天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。”とされていますから、◆ 国民の総意が、天皇制をやめよう!ということになると存続できないの?◆ 天皇、と書いてあるけれど、皇族・皇室についてはどこまで適用されるの?といった、付随するさまざまな疑問が生じても、当然かもしれません。 さて、この記事では、皇室の女性がどのように結婚するのが望ましいかについては、これ以上言及しませんが、「皇室とは何か」ということをざっくりとでも意識したり、理解しておくことは大切だと思います。 ものすごく平たく考えると、「天皇や皇室というのは、ずーっとずーっと昔からの、この国の王様の一族なのだろうなあ」ということになります。 その考え方は間違っていないのですが、そうなると「昔からの王様の一族を尊重するのは、まあよいとして、けれど今では、国民に主権があるのだから、その尊重の方法はもっと検討してもよいのでは?」ということになります。 ただ単純に「昔から王様は偉かったんだ」では、説明がつかない、ということですね。 そこで、現在の日本国憲法では、「偉かった」ということは、取りあえず横に置いておいて、「国民統合の象徴」という言葉を使って説明しています。 これは、また平たく言う
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【感じたくない感情を拒否しない】

日常的スピリチュアル、安田です。 感じたくない感情は 反射的に避けたくなるのですが 必要な感情なので 感じているのです。 必要な感情というのは 心霊的な成長に必要なのです。 感じていることを 感じ切ることで 心霊基準を上げることが できるようになります。 使命が大きい人は 試練も大きいのですが 試練の中でも 内的な葛藤の試練が 最も過酷なのです。 なぜなら 逃れようがないからです。 誰でも感じたくない感情は 避けたいのです。 感じたくない感情を 無理にポジティブに しようとすると より苦しくなるのです。 感じたくない感情が 出てきたときは 何もしないで 放っておけばいいのです。 客観的に観察することができれば 感情に振り回されないで済むのですが 客観的に観察することが できないのであれば 何もしないでください。 感情というのは 放っておくことで 小さくなり やがて消えるのです。 次々に色々なことが 思い浮かんできても 放置しておけば 勝手に消えていきます。 真面目な人は 「こんなことを思ってはいけない」と 感じていることを消そうとするのですが 消そうとすると かえって長引いてしまうのです。 感情の放置というのは 感覚的でいいのです。 放置している感覚で 感じ切ることで 感情の整理ができるのです。 瞑想の時間というのは 感じていることを 整理する時間でもあるのです。 瞑想中に感じる 雑念というのは ありのままの自分なのです。 雑念に耐えられなくて 瞑想を続けることが できない人が多いのですが 瞑想を続けていくことで 雑念は小さくなっていきます。 私たちが感じていることは 先祖数十
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【功労を残す意識】

日常的スピリチュアル、安田です。 功労を残す意識で 歩むことで 超長期視点の観点から 歩むことができます。 功労というのは 見えないことではあるのですが どのような歩みをしたのかが 分かることなのです。 私たちの歩みというのは 過去の時代の穴埋めと 未来に功労を残す 両面があります。 過去の時代の穴埋めというのは 先祖が成し得なかったことや 逃げてきたことの穴埋めであり 戦争、闘いの中で 加害者になってしまったことを 穴埋めするということです。 先祖だけではなく 歴史的なことでもあるので より大きな穴になることもあります。 どのくらいの穴なのかは どんなに考えても分からないし 分析しようとしても 分析できません。 今の現実の中で 起こっていることによって 穴埋めができるのです。 今は時代の恩恵によって 穴埋めをしながら 功労を残すことが できるのです。 功労というのは 世のため、人のために 尽くすことをいいます。 多くの人に影響を 与えることができなくても たった一人にでも 尽くすことができれば 功労になっていきます。 穴埋めとなると 重くなり、苦しくなるので 功労を積む意識 残す意識で歩んでください。 功労が実るのは 100年先、200年先に なるのですが 超長期視点からの意識で歩むことで 功労を残す意識ができるのです。 自分が生きているときに 実らせられないと 損をするように感じますが 実りには時があるのです。 今、実らせることが できている人は 間違いなく 先祖の功労なのです。 努力ができるように 導かれることも 功労であるし 結果を実らせることも 功労であるのです。 功
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あなたの先祖は戦国武将?!

 これまで、ココナラさんのサービスで1000家以上の苗字を調べてきましたが、そうしたデータの積み重ねの中で気づいたことがあります。 それは、たいていの人、ほとんどの人が、「先祖は戦国武将である!」ということです。 もちろん、歴史上の人物には有名な「戦国武将」や「戦国大名」がいて、織田信長をはじめ、先日までの大河ドラマの主人公だった明智光秀などの、あまたの武将がいることはご存知のとおり。 それらの武将の中でも、一国の主となったものは特に「戦国大名」と呼ばれて、大きな力を持っていたことも、お馴染みのお話です。 逆に言えば、戦国時代でおなじみの毛利元就や伊達政宗なども、それぞれの国の支配者ばかりですから、いわゆる有名どころはみな「戦国大名」ということになるでしょう。 ここでちょっと誤解を解いておきますが、これまで苗字調べ、ルーツ調べをしてきた中で、「先祖が戦国大名」だった人は、残念ながら1家もありませんでした。なので、織田信長の子孫や、明智光秀の子孫、あるいは大友宗麟の子孫や武田信玄の子孫はめったにいない、ということでもあります。 さすがに一国の主となった「戦国大名」の子孫というのはなかなかいない、ということでもあります。  ところが、「戦国大名」の家臣であった「戦国武将」たちの子孫は、うじゃうじゃいます。 みなさんのご先祖のほとんどは、「戦国武将」だった!と言いきっても過言ではないくらい、「いち武将」の子孫はとてもたくさん広がっているのです。 どういうことかと言うと、「一国まるごと支配した戦国大名の子孫はさすがに少ない」けれど「小さい領地を治めた戦国武将の子孫は、たくさんいる」とい
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ご先祖さまは屯田兵?北海道の苗字の調べ方。

 苗字調べやルーツについての依頼を受けることが多い私ですが、北海道の方は「もともと北海道が新しく開拓された土地」であることもあって、北海道に入植(あるいは来道)以前のご先祖様の居場所を探ることが必要になってきます。 多くの場合は、北海道の方はやはり地理的に近いこともあって「東北地方」からの移住が多いです。経験的には、苗字を調べた方のざっくり8割くらいは東北由来ということになります。 北海道と東北近辺の苗字のつながりはとても強く、東北地方の分布が多い苗字は、多くの場合北海道でも分布が多い傾向にあります。 さて、北海道にお住まいの方で「先祖が屯田兵だと聞いている」方の場合には、自分でもある程度調べることができるサイトがあるのでご紹介しておきましょう。『北海道屯田倶楽部 屯田資料室』で検索してみてください。 ↑このサイトはとても情報量が多く、また屯田兵を研究している方々が執筆なさっているので、信頼性も抜群です。 『屯田兵名簿データベース』もあり、名前で検索することができますので、とても便利です。 私の親類縁者にも北海道在住の方がいるのですが、その方々は残念ながら屯田兵ではないので記載がありませんが、苗字調べの依頼者の方で「先祖を見つけた!」という方がたくさんおられるため、オススメです。
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【奇跡を願うのではなく、導きを願う】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちの無意識は 奇跡を願ってしまうのですが 奇跡というのは 穴が空くので 危険なのです。 何の代償もなく 受けたことというのは 必ずどこかで 代償を払うように なっています。 これは宇宙の法則なので 全ての人に平等に働くのです。 ですが、現実的には 平等には見えないし むしろ、不公平に見えるのです。 この差というのは 先祖の功労の影響が 大きいのです。 先祖の功労というのは 親や、その上の親だけの 功労ではないのです。 何だか分からないが 大したことをしていなくても 導かれる人というのは 間違いなく 先祖の功労が多いのです。 逆にどんなに一生懸命に努力をしても 一向に導かれない人もいます。 こればかりは結果でしか 判断できないのですが 功労の違いは どうすることもできないのです。 ただ、いくら先祖の功労が 多くあったとしても 無限に功労があるのではないのです。 功労というのは 先祖が残した貯金なので その貯金ばかりを 使っていたら やがて無くなります。 先祖の功労が多い人には 使命があるのです。 その使命を悟れないで 功労を食いつぶしてしまうと 功労の面での 無一文になってしまうのです。 先祖にどのくらいの 功労があるのかは 私たちには分からないのですが 功労が多い 少ないに関係なく 現実の中で 最善をつくしながら 歩むことが必要なのです。 そして、先に投入して 先に代償を払うことを 意識してください。 奇跡を願う前に 投入することを 意識してください。 先に投入しておけば 先祖の功労の多さ 少なさに関係なく 見えない貯金を 積むことができる
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ご先祖様に日頃の感謝を

私たちは神様に守られているわけですが、ご先祖様にも守られています。なので、日頃神様に手を合わす際は、ご先祖様にも日頃の御礼を念じましょう。また、ふと気がついた時、心の中で願うだけでもいいので、毎日のルーティンとして取り入れてみてください。
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魂を誘う運勢向上口伝秘儀「鎮感微詞」教えます ☆限定!正直お教えするのをためらう力の秘儀です・・☆

毎年お盆の季節になるとあの世の人々がこの世へ里帰りする時期でもあります。皆が皆あの世で幸せになっていればいいのですが昨今、世の中はそういうわけにもいかないのが実情です。日本は元々稲作を行ってきた長い歴史があり荒れた地を開墾してきた先祖が土地神となり子孫が安心して住めるように守ってきました。今では主に氏神として祀られています。しかしこの信仰を日本人は捨て始めているんですね。お墓にお参りすることも滅多になく、自身は無宗教だと主張し死んだら無になると考え、山でも海でも散骨してもどうでもいいと。宗教観は自由だという世の中ですし否定するつもりはないのですがそう考える魂は死んだ後、一体どこへ向かうのでしょうね。死後の世界は生きている時に自身で考えておかないと死んだら貴方が考えた通りの世界になると言われています。スピリチュアルな人々はあの世は想念の世界だからと仰いますが肉体の制限を受けない怒りや憎しみはあの世で鬼に変わると言われますし死んだら無になると思っていれば素粒子に分解されて自分はいなくなってしまいます。
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高御産巣日神による邪気祓いの古神道秘字 ☆黄泉比良坂で登場する桃の力を解放する古神道秘伝の字祓い☆

古事記・日本書紀でも桃は祝いであり邪気祓いの果実でもあります。あの世とこの世を隔てる黄泉比良坂の重要な場面に桃が登場するのですが、この桃は造化三神・高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の別のお姿と言われていて古神道ではあらゆる穢れを祓う桃のエネルギーを凝縮した秘字というものが存在しています。日本の神様の規模というより地球規模の神様の力を集めたものでその力は日本で祀られている神々の力を凌ぐほどです。おそらく見たことも聞いたこともないような文字だと思われます。今回は高御産巣日神が宿る不思議な文字とその使い方についてご紹介します。
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秘儀★時空を超える般若心経の秘密の手印教えます ☆貴方の力でこの世とあの世を往来する般若心経の深淵な世界へ☆

般若心経と聞くと誰もがあの有名なお経だと想像できると思います。書かれている内容は今でも多くの解釈がなされていますが実は般若心経にはこの世を超えあの世へ繋がると伝わる秘密の手印が存在します。苦厄に満ちた現世から時間と空間を超え空の境地に至りその喜びと感謝に満ちた思いが手印(ムドラー)として表れているのですが同時に万事如意(思いのまま)という仏の境地をも表しています。私が初めてこの手印を教えていただいた時もとても美しいものだなと今でも大切に使っています。今回は本来明かしてはならない般若心経の手印と般若心経の種字から浮かぶ頭頂部(百会)と仙骨に般若心経のエネルギーを通していく密教の特殊な秘儀をあなただけにお教えいたします。まさに般若心経の深淵の世界へ誘う内容となっています。
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ご近所さんの付き合い方。

在宅で仕事をするようになってから ご近所さんとのお付き合いの仕方に 何となく面白みといいますか、 日本ならではの 何となく 肌で感じるお付き合いの仕方が 面白みを感じています。 私の家は 私が小学5年生のころに引っ越しをしてきて 長く住んでいる町なのですが、 肌で感じるんですね。 皆さん 時間時間で 雨戸の開け閉めや ご家族が出勤される時間 帰宅される時間 この時間にいつも動く時間 というものがあって 朝の落ち着いた時間に 車を出す方や 朝一番に起きているのはこの家族 など、 肌で感じるんです。 ご近所付き合いは 自分たちのルールや習慣で 周りのご近所さんに 今日も元気ですよ 今日もいつもの日常ですよ と 普段の生活をしながら アピールしているんですね。 ですから 毎日の習慣は大切です。 それと ご近所付き合いは 肌で感じるものです。 余計なことは言わずに 何となく お付き合いしていくのが ご近所さんです。
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