江戸時代の飢饉の恐ろしさと、ルーツや先祖

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 ルーツ調べをしていると、ほとんどの場合はみなさんの「田舎や実家、本家」と思っていらっしゃるあたりに、何らかの先祖やルーツの痕跡があり、意外に簡単に遡ることができます。

 今、都会に住んでいらっしゃる方でも、40代や50代であれば「父の実家」とか「祖父の実家」をある程度把握しておられることが大半なので、まあ、そのあたりをまず調べれば、氏族そのもののルーツを見つけることが容易いと言えるでしょう。

 逆に、「おじいちゃんの代から都市部に住んでいます」という方は、いわゆる田舎や本家から脱出している時期が早い(おそらくは江戸時代の間)ため、そこから先をおいかけるのは、多少難しくなる傾向があります。

 そのように、すごくベタな言い方ですが「実家や本家」というものと、その地域や氏族のルーツは密接に関わっているもので、「地縁血縁」のような言葉が生まれるのもそのためですね。

 ところが、先日ルーツ調べに関わったおうちでは、不思議なことに「先祖の住んでいた土地と、今残っている苗字との繋がりがぷっつりと途切れている」ということが起きていました。

 たしかにその苗字とおなじ地名は、少し離れたところにあるのだけれど、その村と今の苗字とは地縁や血縁が繋がっておらず、関連性がよくわからなかったのです。

 もっと不思議なことがあって、ある地域に、仮にAという苗字があったとしましょう。その地域は室町時代や戦国時代からちゃんと記録に登場するくらい古い村だということがわかっています。

 そこから50キロくらい離れたところにAという同じ言葉の「村名」「字名」「集落名」があるのですが、その村が出来たのは江戸時代前期の新田開発によって新たにできたというのです。

 より古い村にAという苗字がたくさん分布していて、Aという地名はそれよりかなり新しい村である、という逆転現象が起きていることがわかりました。

 不思議で仕方ありませんね!

 Aという離れた村があったところは、川がよく氾濫してぬかるみになっている湿地帯の下流域でしたから、そこに氏族がもともといた、というのは少しナンセンスです。

 そんな場所を、江戸時代のお殿様が一生懸命、新田開発に力を入れて、開拓して田畑へと変えていったわけです。

 お殿様としては、年貢の量が増えて、万々歳ですね。もちろん、そこを開拓した人たちも潤ったことでしょう。

 ところが、それよりも古い村に同じAという苗字が今も分布していて、Aという土地にはAさんたちは住んでいない、ということが起きていたのです。

 さらに不思議です。

 そこで、苗字や氏族ではなく、2つの村の近辺にどんなことがあったのか、歴史そのものを調べてみました。

 すると、江戸時代の中期に、とてつもない大飢饉がその地域を襲っていたことがわかりました。住民の半数近くが死んだり逃げ出したりしていなくなり、その数十数万人にものぼったらしいのです。

 その飢饉のために、古い方の村では、多くの農民が失われてしまいました。ちょうどおなじ地域の隣村では「住民がゼロになってしまう」という恐ろしい「潰(つぶ)し村」になってしまったそうです。


 どうもAという苗字が「新しい村の地名なのに、古い村に存在する」のは、その飢饉の後処理のためだとわかってきました。

 つまり、古い方の村では、全滅もしくは住民がほとんどいなくなってしまったので、新しい村へ開発しに行った、「旧住民」が戻ってきたのか、藩の政策で戻されたか、そういうことが起きたということです。

 江戸時代前期に「新田開発しよう!」という元気だった時期に村を離れた人たちがいて、もとの村が危機的状況になったために、おそらく子孫の一部が戻ってきたのだと思います。

 その時に、開拓した村の名前であるAという言葉を持ってきて、それをのちに苗字として用いたから「古い村に新しい言葉が分布した」と考えられるわけです。

 もっとすごいのは、その期間です。新田開発に出ていった人たちがいて、戻ってきた子孫との間に約100年の隔たりがありました。

 みなさんが今どこかに住んでいて、100年後の子孫が「ここにおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんの・・・4〜5代前の人たちがいたから、僕たちはここに帰ってきたんだ」と言ってるわけですね。

(20歳になるごとに子供を生んだと仮定すれば、100年間で4代から5代くらい代替わりします)

 飢饉のものすごさも恐ろしいけれど、「地縁血縁の繋がり」のすごさも、なんというか壮大だなあ!と感じる出来事でした。




 ・・・とまあ、なんだかすごい話をしているようですが、実は私達の間でも、これくらいの間隔は、実はたいしたことありません(笑)

 実は私の直系の父方をたどってゆくと、文政年間に生まれた人が戸籍にちゃんと載っています。文政という年号は1818年ですからなんと205年の期間になるわけです。

 え?苗字研究さんの家は、戸籍で200年前までわかるの?ということですが、戦争で焼けていない限り、たいていのおうちでもそれくらいは遡れます(笑)

 文化年間に生まれた喜平次さん、その子の梅太郎(明治生まれ)さん、その子の則男(大正生まれ)さん、その子のうちの父(団塊世代)、そして私が生まれて、ここで1970年代です。

 約150年間を5代で継いでいることがわかります。すこーしずつ元服したり結婚する時期が遅くなっていますから、代数を経るには期間が伸びてゆく傾向にあります。

 20歳ごとに100年を区切れば5代ですが、40歳で結婚するようになると2代半しか代数が増えないということになりますね。


 さて、うちの父は都市部で過ごしていましたが、私がおじいちゃんの実家近くに帰れば、ぜんぜんありえる話だとわかると思います(^^

 だから本家や実家というものは、いつになってもあなどれないものなのです。

 みなさんを取り巻く「地縁血縁」も馬鹿にできないことがわかっていただけたでしょうか?


(おしまい)






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