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「家紋は必要なの?(^^;」

「カモ~ン?」って。ちょっと言いたかっただけじゃ。でも「家紋」って、日本人なら誰もが「所有している?」紋章だよね~?!「え?家紋持ってない?!」・・・「う~ん。そうねぇ~。それは・・・アナタは外国人なのかなぁ~?それとも(キリスト教)等の外国宗教なのかしらん??」・・・まあ、別に「家紋」はあっても無くても困らんけどね。ただね~「葬式」とか「墓」には、「必要?」かも知れんね。最近は「外国人」も多くなってきたので、「家紋ナシ?」でもOKかもね。^^最近の「お墓」には「家紋」よりも「言葉」の方が「流行」みたいかな?「ありがとう」、「天国で一緒」とか「しあわせだった」とか~「愛してる」とかね~イイじゃん。まあ、昔ながらの「三段墓」とかは「頭・胴体・足」等を表しているというし。それに昔は「家を継ぐ」というのが「一般的」じゃったよね。そう男がね~「家」を継ぐのじゃ。もし「男」がいなければ「養子」でもとって「家や家紋」を継ぐのが一般的じゃったかもね。でも、最近ではね~「少子化」じゃし、「核家族化」で、そもそも「人数」が足りないもん。昔は「人」がいっぱいおったのじゃから、「家制度?」も成立していたけどね。それで「本家」という「中心」が存在して「分家」が「枝分かれ?」していったのじゃろ~て。そうそう、それで「本家」から「分家」に小分け?されたのを「家紋」にわかるように「〇=マル」を付けたのじゃ。だから「家紋」に「マル」がついていれば「分家」?ということじゃね。確かそうじゃけど、まちがっていたら、ゴミンね。ちなみにボクの家の家紋は「〇=マル」に「木瓜=キウリ」じゃ。「モッコウ」とも呼ばれるけどね。
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ルーツヒーリングを受けての変化

脳疲労メンタルヒーリングを2回受けられてから、ちょうど1ヶ月後にルーツヒーリングを受けられました!【ご感想】ヒーリング中、頭がヴァンヴァンする感じや耳鳴りのような感じがありました。 今は治まってますし、だるさがかなり軽くなってます。 また、肩と腰が楽になりました。 顔の変化に関しては、目の重さが取れてスッキリしてます。 ただ、初めてヒーリングを受けた際の変化が大きすぎて…改めてエグい変化だったなと感じてます。▼ ルーツヒーリングということで、好転反応が大きすぎたら…と心配してましたが、多少の眠気等はあったものの穏やかに過ごせてます。何より、ご先祖様が浄められて良かったです。【目の変化】目の変化ですが、変化後の目が当たり前になってしまってまして… 見比べてみて、改めて変化を感じてます。上から 2月12日・16時(脳疲労メンタルヒーリング前) 3月17日・17時(ルーツヒーリング前) 3月18日・18時(ルーツヒーリング後) 3月18日・22時(同上)です落ち着いた眼になられましたね【ルーツヒーリングを受けて8日後の感想】初回の「脳疲労メンタルヒーリング」は、効果はかなり感じました。 頭の中のゴチャゴチャが取れた感じがしましたが、特にメンタル面での効果が大きく、以前ご報告したように穏やかな感じがずっと続きました。 あと、当たり前すぎて最近気付いたのですが… 私は10年以上花粉症を患っており、この時期は服薬プラスマスクがないと過ごせませんでした。 しかし、初めて施術を受けて以降は服薬はしているもののマスクなしでの生活でも支障はありません(服薬も軽めの薬ですし、たまに飲み忘れても特
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「中学生・学童疎開の謎!~生きて帰れ!;;」

「なに?中学生が親元を離れて、数か月の寄宿舎生活をするの?受験とか勉強のために??・・・」あ~、そう。という政府の発表じゃけど、これって、ナンナン??まだ「中学生」なのに、なんで親元を離れないとイケナイのかい?!今まで、そんな事は「神戸大地震」でも「東北大地震」でもきいたことないけど・・・なんでや?^^;しかも、最初は「2か月程度?」と言っていたのが、「無期限?」という怪しさじゃ。何でも「高校受験を控えているから・・・」という理由かい?!あのな~「高校受験」等よりも、まんず「親子や家族が一緒にこの震災を乗り切る!」というのが、一番の勉強じゃ!!!そう、「ホンモノの生きた実践的な知恵を育てる最高の時」じゃ!!!こんな「災害緊急時」はね~、「半年や一年」位の「学年のズレ?」があってもエエわい!自宅で「お勉強」すればエエのじゃ!「パソコンやタブレット、スマホ」等で十分じゃ!卒業の証書は、各学校で渡したらエエのじゃ!「ちょっとくらい単位が足らなくてもOK!」じゃ!卒業証書さえあれば「就職」も「進学」もOKじゃ!たとえ「学校」に行っても、あまり「お勉強しない?」子供もいっぱいおるのじゃ!何が「疎開?」じゃ??戦時中じゃ~ねえ!しかも「中学生400人中の240~250人くらい?」が「100キロ程度離れた寄宿舎的な宿?に滞在」するが「勉強は自由勉強?」というし「先生は不在?」とのことじゃけど、そりゃ~「子供は自分で勉強をするのかい?自由なら自宅でイイじゃん!」ということじゃ!ナンデこんな「アホな」事をダレが考えて、ダレが実行しているんじゃ?前の「大地震」のときは、こんなこと全然無かったじゃん
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幼稚園の原体験

原体験とは今の自分の考え方、行動を形成していく上で関係している幼少期の体験になりますが、自分の原体験を探る上で、幼稚園の文集を見てみました。今の私の考え方の中で、笑顔でいれば何とかなる、行動として、いたずら好きな面がありますが(堅くならずに楽しくやろうぜ、としていると捉えてください。嫌がらせをしているわけではありません)、この文集を読んでなるほどなと思いました。幼稚園児の文章なので、理由も何もありませんが笑、友達と笑い合ったり、いたずらっぽいことをしていたんだなということはわかりました。これが今に繋がっているのかと。少なくとも、出生時のハンデや周りの子の接し方は何もおかしなところがなく、楽しくやっていたのだなと感じました。原体験は、記憶の中を辿るのももちろん効果はありますが、このように過去の文集や作品、日記などがあれば新しい発見に繋がることがあります。小さい頃の話、どんな子だったか、どんな行動をしていたかなどを、家族や親戚に聞いたり、友達に聞いたりするのも良いかもしれません。私の持つ「原体験ファシリテーター」という資格も、質問などからその人のルーツを探るお手伝いをするものとなります。自分で思い出してみるも良いですが、人とのやりとりで引き出されることもあります。自分自身の原体験、時々思い出してみてはいかがでしょうか。
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イラストを描くようになった自分のルーツは

こんにちは。イラストレーター×ビジネスライターのタイスケです。私は昔からスポーツが好きで、小学校4年生の時に始めた野球は、結局大学4年生まで、13年間多くの時間を費やすことになりました。一方で、スポーツとは対照的に、絵を描くこともひっそりと好きでした。幼い頃から小学校低学年まで、昆虫や動物、魚などの生き物が大好きだった私は、図鑑を見ながらたくさんの生き物の絵を描きました。小学校高学年からは、ドラゴンボールや名探偵コナンといった漫画にハマり、暇があればイラストを模写していました。中高生になってからは授業中に教壇に立つ先生の似顔絵を(かなり小馬鹿にした感じで)よく書いて遊んでいたものです。この頃培った(?)似顔絵を描く技術は、大人になってからも役立ちました。大学生の頃、体育会系の野球部では、1年生が飲み会の席で前説(一発芸的な)をやらされるという昭和的な文化がありました。面白いことをするのが苦手だった自分は、野球部内の先輩や同期の面白似顔絵を描き、それを紙芝居にするという芸で乗り切っていました。このイラストスキルがなかったらと思うと、あのツラい一発芸文化を私は生き残っていけなかったに違いありません…さて、大人になってからも友人の結婚式のウェルカムボードを描かせていただいたり、決して本業ではありませんが多くイラストを描かせていただく機会に恵まれました。そして今ではこのココナラというプラットフォームで出会った方のためにイラストを描かせていただくことができています。自分が描くイラストで1人でも多くの方に満足していただけると嬉しいです。ご相談お待ちしています!
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【ルーツの理解が大きな力になる!?】「世界三大ギタリスト」と「日本の歌謡ロック」

【タイムテーブル】 00:00 「音楽のルーツ」世界三大ギタリストの話 03:58 「音楽のルーツ」日本の歌謡ロック 07:55 エンディング(まとめ) 今回は「音楽のルーツ」のお話です(。・ω・。) ルーツ、歴史への理解は「歌唱力UP」へのヒントにもなりますし、 より深く「音楽」を楽しむきっかけにもなります☆ 何より、私も勉強がてら動画をお届けしておりますので、 一緒に学んで行けたらと思います(^^)/~~~ 【世界三大ギタリストの話】 ・ジミー・ペイジ ・ジェフ・ベック ・エリック・クラプトン 皆さまご存知の通りの御三家。 以前は同じバンド「ヤードバーズ」に所属していたのも有名な話ですが、 彼らの真骨頂は、それぞれ別の活動をするようになってから☆ 「ルーツはココに!!」 そして世界三大ギタリストが一様にリスペクトしていたのが 「ジミ・ヘンドリックス」だったようです。 ジミヘンのブルースは・・・ 「ギターで叫び、喘ぎ、泣く!!」 テクニックに「感情の吐露」が乗っかり、 1960年代を代表するブルースギタリストとなりました。 そんな彼のブルースギターは 1970年代、ハードロック時代への大きな礎になったようです。 【日本の歌謡ロック】 一方で、日本の音楽の歴史はどのような変遷があったのでしょうか? 様々な要素があるかとは思いますが、私が一番気になっているのは・・・ 「昭和の歌謡ロック」 先に述べさせて頂きました「ブルース」にも通じる 「泣き」「ワビ」「サビ」のあるメロディが印象的です☆ そして実は今。2021年現在。 この「歌謡曲」の流れが復活している兆しがあります。 「歌謡テ
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令和の時代でも? 戸籍に「士族」などの旧身分が載っていた!

 ココナラでは、もうずいぶんと一般のみなさまの「家系調査、ルーツ探し」をさせていただいておりますが、今回はかなり驚いた!事案がありましたのでご紹介。 士農工商とざっくり言われるような、旧身分は、現代の世の中については差別などの温床になるため、戸籍等の記載からは除外されているのがよく知られていますが、なんと「令和になって取得した戸籍(除籍)に士族などの旧身分が載っていた!」実例がありました。 私は行政書士ではないので、戸籍等の代行取得はしておりませんが、その代わりに歴史と家系・苗字の研究を積み重ねていますので、実際の戸籍の取得は依頼者ご本人さんにお願いすることになっています。 そこで、依頼者さんが取得なさった「除籍簿」に、今回はなんと「士族」とバッチリ書かれていて、なおかつ行政サイドの消し忘れで黒塗りも白抜きもされていないことが発見された次第。 こうしたその家に関わる重要な事項が残っている場合もあるので、ぜひみなさんも思い立ったら先祖の戸籍を取得なさることをおすすめします。 戸籍の保存期間は150年ですから、これからどんどん廃棄されるものも出てくると思われます。 というわけで、今回はたいへん珍しい実例でした。 
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~秋のお彼岸~

            皆様こんにちわ(^^)/          連休いかがお過ごしでしょうか?今日は「敬老の日」ですね♪この秋はおじい様おばあ様・・・お孫さんにお会いできていない方も多いのではないでしょうか?そして秋のお彼岸ですね「お彼岸」は、「春彼岸」と「秋彼岸」の年2回、春分の日と秋分の日の前後3日を合わせた7日間のこと。          ちょっと危ういので調べてみました(^^)/    2020年は          彼岸入り      9月19日(土)          中日(秋分の日)  9月22日(火)          彼岸明け      9月25日(金)                                   春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」    秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日」あの世とこの世が近くなる日でお盆が間に・・・の思いでしたので、ご先祖様に元氣です♪と感謝を込めてお墓参りの日🎵に行きたくなる時期なので一緒かと思っていましたが・・・流石日本風流ですね♥引用文(春分の日と秋分の日は昼と夜の長さがほとんど同じで、太陽が真西の方角に沈みます。仏教の考え方では、西にあの世が存在する場所があるとされています。そのため、春分の日と秋分の日は、あの世と最も距離が近くなる日と考えられました)「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますけど、見事に涼しい・・・           今日は寒いです(笑)   お墓参りに行かれる方は1枚羽織れるものを持っていきましょう♪ 気温差が出てくる時期なので、体調管理に氣をつけて過ご
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ルーツ調べとお宝発見!

 ルーツ調べというのは、「おうちの中に眠っている情報」と「公(おおやけ)の記録に残っている情報」の付け合せ作業です。 ですので、「とあるお家の内部の情報が、そのおうちの親族しか知らない場合」には、まったく手も足も出ません(苦笑) そういうことがたまにあって、「ある人が明治に新しい苗字を勝手に名付けて、その由来などはとくだん外部に出していない」時には、その苗字の由来を知ることは、ほとんど不可能ということになります。 ただ、なんとなく状況証拠のようなものが残っている場合があるので、それらをかき集めながら「推理」することはできます。 あとはその推理の確率を上げてゆく、という作業になるわけですね。 さて、そうしたわけで「おうちの内部の情報(親族間の言い伝えなど)」をこちらに教えていただくことも重要なポイントになるわけですが、このココナラさんのサービスでも お宝発見!になることが、時折あります。 それはどういうことかというと、おうちに伝わっている「手紙」とか「掛け軸」とか、そうした古いものが、「おうちの方はただ古いものだと思っていたけれど、おそらく専門家が見ればお宝!だった」ということが起きるのです。 先日もこのココナラさんの先祖探しの依頼で、『幕末から明治にかけての偉人の直筆の手紙』が出てきたり、『歴史的に重要人物なから贈られた書画』などが出てきたことがありました。 そうした史料で、まだ博物館や大学などが「把握していない」ものがあれば、それは未知のお宝ということになるでしょう。 金額的にそれがいくらになるかは、「なんでも鑑定団」の世界なので、当方ではなかなか判断しかねますが(笑)、すく
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家を継ぐとは? ~法律上、家を継ぐ事は存在しない~

 苗字や家系について調べていると、どうしても「家」というものに着目せざるを得ないことが多々あるのですが、ちょっと面白いことを思いついたのでせっかくの機会なのでお話しておこうと思います。「家を継ぐ」という言葉を、みなさんは耳にしたり使ったりしているはずですが、実は「家を継ぐ」ということは現在の日本には存在しないのを知ってますか?! これを聞いて「はあ?」と思う方も少なくないかもしれません。「え?だってうちの兄貴は家を継いでおやじの家に住んでいるよ」とか「あたしは女子1人なので、親が『家を継ぐのに養子をもらえ』みたいなことを言ってるよ」とか、そんな事例は山ほどあるので、「家を継ぐということが存在しない」ということについてはピンとこないかもしれません。 しかし、はっきり言っておくと「家を継ぐ」ということは、みなさんの意識の中の慣習としては残っているのですが、実際には法的には全く存在しない出来事なのです。 というわけで、今日はそのへんをズバリ解説してみましょう。 戦前までの家父長制度では、「家」というものが存在しており、それを継ぐという行為もきっちり決まっていました。 ところが、戦後民法が改正され、私たちは法律上「家を継ぐ」ということを失っています。 ここまでが「語句と規定」上のお話。 実際問題として、私たちのこころには「家を継ぐ」という行為がイメージとして残っていますよね? それは、具体的には、①父親の家屋敷を、長男が相続してそのまま代が代わっても住み続ける。②女の子ばかりのこどもの時、父親の姓を残すために、娘の夫の苗字を変えてもらう。③長男が都会に出てしまったので、次男のほうが実家
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江戸時代の飢饉の恐ろしさと、ルーツや先祖

 ルーツ調べをしていると、ほとんどの場合はみなさんの「田舎や実家、本家」と思っていらっしゃるあたりに、何らかの先祖やルーツの痕跡があり、意外に簡単に遡ることができます。 今、都会に住んでいらっしゃる方でも、40代や50代であれば「父の実家」とか「祖父の実家」をある程度把握しておられることが大半なので、まあ、そのあたりをまず調べれば、氏族そのもののルーツを見つけることが容易いと言えるでしょう。 逆に、「おじいちゃんの代から都市部に住んでいます」という方は、いわゆる田舎や本家から脱出している時期が早い(おそらくは江戸時代の間)ため、そこから先をおいかけるのは、多少難しくなる傾向があります。 そのように、すごくベタな言い方ですが「実家や本家」というものと、その地域や氏族のルーツは密接に関わっているもので、「地縁血縁」のような言葉が生まれるのもそのためですね。 ところが、先日ルーツ調べに関わったおうちでは、不思議なことに「先祖の住んでいた土地と、今残っている苗字との繋がりがぷっつりと途切れている」ということが起きていました。 たしかにその苗字とおなじ地名は、少し離れたところにあるのだけれど、その村と今の苗字とは地縁や血縁が繋がっておらず、関連性がよくわからなかったのです。 もっと不思議なことがあって、ある地域に、仮にAという苗字があったとしましょう。その地域は室町時代や戦国時代からちゃんと記録に登場するくらい古い村だということがわかっています。 そこから50キロくらい離れたところにAという同じ言葉の「村名」「字名」「集落名」があるのですが、その村が出来たのは江戸時代前期の新田開発によっ
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現代も残る嵯峨源氏の末裔! 一文字の名前のあなたも?

 近日ルーツ探しをお手伝いした中で、とても興味深い苗字に出会いました。 苗字そのものは、個人情報に関わることでもあるので伏せておきますが、九州の肥前松浦地方にある「松浦党」とおぼしき氏族の苗字でした。 松浦党というのは、九州地方の水軍・海賊として有名ですが、もとをたどれば、「渡辺綱(わたなべのつな)」という平安時代の武将の家系に行き着きます。 この渡辺氏が、摂津国渡辺(現在の淀川の河口付近)あるいは住之江を拠点として瀬戸内海の海域を勢力下におさめ、瀬戸内水軍のリーダーとなっていったとされています。 瀬戸内海の水軍で有名なものは「村上水軍・村上海賊」と呼ばれた村上氏もあります。これも広島から愛媛にかけての沿岸地域を拠点とした水軍・海賊で河内源氏信濃村上氏がルーツとされています。 この村上氏も、九州の松浦党も、水軍として独立したり、海賊として中央勢力の支配権をふりほどいたりもしていたのですが、大きな枠組みでは、いちおう「摂津渡辺氏の支配下にあった」という形になっているのです。つまり瀬戸内海の水軍は大阪湾から九州まで、ネットワークでつながっていたのですね。 さて、渡辺綱は、源氏ですから本来は「源綱」で、父親が「源宛(みなもとのあつる)」といいます。そのまた父は「源仕(みなもとのつこう)といいます。 すでにお気づきと思いますが、この家系、みな「一文字の名前」がつけられており、どんどん遡ると嵯峨天皇の第12皇子である「源融(みなもとのとおる)」へとたどり着きます。 お父さんは嵯峨天皇なので、命名ルールからはすこし外れますが、源融の子孫は、代々「一文字名」を守っているわけです。 さて、この
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ルーツや先祖はどこまで辿ることができますか?

 先祖調べや、ルーツ探しを希望なさる人にとっては「どこまで辿ることができるのか」ということは、興味深い質問だと思います。 これは、その家によってまったく違うので、「調べてみないとわからない」という身もフタもない答えになってしまうのですが(苦笑) けれど、どんな風に過去へ調べが進んでゆくのか、そのあたりをお話しましょう。<第一段階 明治から江戸末期まで> みなさんが一般的に「うちの先祖」とか「家系図が」といったイメージをお持ちになるのは、この段階です。 実は戸籍をたどれば明治29年前後に存命だった人の先祖は誰でも辿ることができるので、自分で戸籍をとって家系図を作る人もたくさんおられます。 行政書士資格を持っている人は「他人の戸籍を代理でとる」ことができるので、「家系図つくります」という業者さんは、その資格を利用して家系図にまとめて仕上げるサービスをしておられます。 ですが、自分でもできるので、ご予算に応じてお好きなやり方で取り組んでみてください。 とまあ、ここまでは一般的な話で、誰でもできるので当方では「家系図の作成」はやっていません。 それよりももっと専門的なことに取り組んでいる、と考えていただければと思います。(全体的な氏族の歴史に着目して、進めます) わずかながら「明治の段階で発生した苗字・名字」があるので、その場合はそこでストップです。確率的には数%しかありません。9割方はもっと先へ行けます。<第二段階 信長の時代くらい> 確率でいえば7割〜8割くらいの「田舎の農家です〜」というおうちに多いのがこのパターンです。いまの田舎の地域に先祖がやってきたのが「戦国時代」というおう
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名字調べ、ルーツ調べの依頼が多いのはどんな時?

 もうずいぶんと長い間、みなさんの「ルーツ調べ」「氏族調べ」のサービスを提供していますが、「依頼したくなる理由」「依頼してみよう!と思う時」には、いくつかの傾向があります。 もし、みなさんの中で「一度調べてみようかな」と思っておられる方があれば、参考になさってください。■ こどもが生まれた時 お子さんが生まれたタイミングで、「自分の家や一族は、どういう流れや歴史があるのかな」と思うのは自然なことと思います。 若いご夫婦などが「それぞれの実家の苗字やルーツについて調べてください」という依頼をお寄せになることが多いです。 最終的にはお子さんが大きくなった時の宝物、という感じになるようです。「家宝として大事にします!」と言う声をいただくことが多く、励みになっています。■ 結婚する時 ・・・女性のほうが多い 女性が結婚したタイミングで、「自分の実家について調べてほしい」という依頼をいただくこともよくあります。 女性にとっては、自分の苗字が変わるという大きな出来事でもあるので、自分のルーツを再確認したい、という気持ちが強くなるのかもしれません。 その場合は、完成した資料などをご両親に渡したい、とおっしゃられることが多いように感じます。 逆に、男性が結婚した時に依頼を受けたことはゼロです(笑)男性の場合は、やはりお子さんが生まれたタイミングが多いと思います。■ 定年退職とともに 仕事を引退して、ある程度自由になったので、自分のルーツについて調べてみたい!と思われる方もおられます。 その場合は、当方に任せきりではなくて、実地調査などをご本人さんがなされながら、二人三脚で調査を進めて行く形が多
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なぜ名家はかならず没落するのか?

  ご先祖さま探しをしていると、よく、こんな話を聞きます。「うちは昔名家だったらしいが、没落した」「昔は土地をたくさんもっていたが、今は全部手放している」「うちは庄屋だった。現在はただの庶民だが」 こういう話を、一般的には「ああ、少しでも自分の家をよく思いたい、よく感じたい気持ちの名残なんだな」と解釈することが多く、家系図業者さんのサイトやブログ、苗字研究家さんの記述なども、そういう見立てをしている場合が見受けられます。 なので、私を含めて「ご先祖様探し系」の活動をしている人は、「その家に伝わっている伝承や、言い伝え、昔話は脚色されていることが多いから、注意しようね」というスタンスで物事に当っておられると思います。========== ところが、最近、いろいろ調査しているうちに、私個人は少し違う見立てをするようになりました。一般論として「家系は装飾しがちである」「伝承は、ちょっと良く見せたがるものである」ということまで否定するつもりはないのですが、名家とは、没落するものである!という公式のようなものを発見したわけです。 私のところに情報を寄せてくださる大塚さんの中に、同じような話を寄せてくださる沢山おられます。「うちは昔は名家だったらしく、土地もたくさんもっていたらしいが没落した」とか、今日の記事の冒頭に書いたような伝承は、やたら溢れているのです。========== 実は、うちの母方の先祖について、調査に入っているのですが、その家については、江戸中期に書かれた書物に「○○家は、旧家であり、この地方の庄屋を代々務めていた」という記録が残っています。 さて、この記録。別に自画自賛
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ご先祖さまの探し方 姓氏・家系・苗字の調べ方 姓氏家系辞書・辞典の一覧

 <辞典類 姓氏・苗字>■ 『姓氏家系辞書』 太田亮 磯部甲陽堂1920■ 『姓氏家系大辞典』3巻 太田亮 角川書店1963 ■ 『新編姓氏家系辞書』 太田亮・丹羽基二 秋田書店1979■ 『山口県姓氏家系大辞典』 角川書店1991■ 『富山県姓氏家系大辞典』 角川書店1992■ 『姓氏苗字事典』 丸山浩一 金園社1992■ 『沖縄県姓氏家系大辞典』 角川書店1992■ 『宮城県姓氏家系大辞典』 角川書店1994■ 『鹿児島県姓氏家系大辞典』 角川書店1994■ 『群馬県姓氏家系大辞典』 角川書店1995■ 『静岡県姓氏家系大辞典』 角川書店1995■ 『全国名字辞典』 森岡浩 東京堂出版1997■ 『新編日本姓氏辞典』 千葉琢穂編 展望社1997■ 『日本の姓氏 大総鑑』 日正出版1997■ 『神奈川県姓氏家系大辞典』 角川書店1998■ 『日本名字家系大事典』 森岡浩 東京堂出版2002■ 『姓氏家系大事典』 丹羽基二 新人物往来社2002■ 『日本家系系図大事典』 奥富敬之 東京堂出版2008■ 『全国名字大辞典』 森岡浩 東京堂出版2011■ 『苗字辞典』 新藤正則 湘南社2011<辞典類 家紋>■ 『家紋大図鑑』 丹羽基二 秋田書店1971■ 『上州の苗字と家紋』 萩原進編 上毛新聞社1979■ 『日本家紋総覧』 能坂利雄 新人物往来社1990■ 『姓氏・地名・家紋総合辞典』 丹羽基二 新人物往来社1990■ 『家紋でたどるあなたの家系』 千鹿野茂 八木書店1995■ 『続家紋でたどるあなたの家系』 千鹿野茂 八木書店1998■ 『日本家紋総鑑』 千鹿野茂 角川書店1
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田舎暮らしや移住がうまくいかない理由

 仕事をリタイアしたら、田舎でのんびり暮らしたい!とか、子供たちには自然豊かなところでのびのび育ってほしい!といった希望を持って、「田舎暮らし」を検討しておられる人はとても多いと思います。 ところが、実際に田舎に移住してみると、「田舎の人は閉鎖的」であったり、「都会暮らしと感覚が合わない」など、トラブルに見舞われるという話もちらほら聞こえてきます。 メディアなどでも、こうした「都市出身者の田舎移住」についての課題や問題点、あるいは起こりうるトラブルについていろいろ話が出ていますが、今回は「ルーツ調べ、ご先祖さま探し」というまったく違った視点から、この謎について解説してみたいと思います。 どうして都会からの移住者と、田舎の人たちの間で齟齬が生じてしまうのか、目からウロコの納得の理由を説明します。========== 一般的には、田舎暮らしを目指して移住してきた人たちは「都市・都会の感覚」を持っていて、田舎の人たちは「閉鎖的で村社会」であるといったイメージが思い浮かぶと思います。その感覚、考え方に違いがあるから、田舎暮し移住がうまくいかないのである、という話はわかりやすいと思います。 ところが、それらの記事や説明では「なぜ都会と田舎の感覚や考え方には違いがあるのか」について、あと一歩つっこんだ話がなされません。 田舎暮しを提案している人たちや専門家でも、いまいちよく知らないというか、さらっとスルーしていることが裏に隠れているのですが、そのためには、ある程度の「歴史」を知っておく必要があるのです。 まず、「都市生活者」と「田舎に住んでいる人たち」は、どうして切り分かれたのか、という疑
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苗字のルーツがわかりにくい地方ってあるの?

 これまで、数千件の苗字調べ、ルーツ調べをしてきたのですが、その中で気付いてきたのは「苗字やルーツが調べにくい地方」「氏族の動向がわかりにくい地方」がある!ということです。 もちろん、全国どこであっても、みなさんのご先祖様に対する思いは変わらないので、ルーツを知りたい!という気持ちはどこでも同じなのですが、実際には「ここはちょっと難しいぞ!」というエリアがあるのも事実です。 そこで、今回は、「ルーツがわかりにくい地方」をいくつか紹介してみたいと思います。もし、万一、その地方出身の方がおられたら残念に思うかもしれませんが、それでもあえて調べてみる価値はあるかもしれません。=========◆ 北陸地方 ◆ なんと言っても、ルーツを追いかける上で苦戦するのは「福井県・石川県・富山県・新潟県」です。 これらの地域は「旧・越(こし)地方」「越(こし)の国(くに)」と呼ばれたエリアで、「越前・越中・越後」に相当するのですが、とある理由で江戸時代以前のルーツが、非常にわかりにくいです。 その理由というのは「加賀一向一揆」です! そもそも、地名と苗字はとても強く結びついているのですが、ある氏族が「ここを領地とするぞ!」と主張するために「地名を苗字として名乗る」のが一般的です。 なので、基本的には荒っぽい言い方ですが、「その苗字と同じ武将がそこらへんにいる」というのが普通の地域なのですね。 だから戦国時代などの記録を見て、「その地域に、おなじ苗字の武将が活動していて、なおかつその武将の先祖は鎌倉時代や室町時代の守護地頭などの分れ」なんてことが判明すれば、まあざっくりですが、その人は、その武将ら
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皇室とは何か? ~ルーツ調べの現場から~

 いろんな意味で「皇室」が話題になっている昨今ですが、皇族にあたる女性の結婚のあり方によっては、「皇室という概念が破壊されたり、支持されなくなるのではないか?」なんて懸念も出ているほどです。 憲法の上では、現在の皇室は「国民の象徴」とされています。もっと丁寧に読み解くと、日本国憲法の第一条では”天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。”とされていますから、◆ 国民の総意が、天皇制をやめよう!ということになると存続できないの?◆ 天皇、と書いてあるけれど、皇族・皇室についてはどこまで適用されるの?といった、付随するさまざまな疑問が生じても、当然かもしれません。 さて、この記事では、皇室の女性がどのように結婚するのが望ましいかについては、これ以上言及しませんが、「皇室とは何か」ということをざっくりとでも意識したり、理解しておくことは大切だと思います。 ものすごく平たく考えると、「天皇や皇室というのは、ずーっとずーっと昔からの、この国の王様の一族なのだろうなあ」ということになります。 その考え方は間違っていないのですが、そうなると「昔からの王様の一族を尊重するのは、まあよいとして、けれど今では、国民に主権があるのだから、その尊重の方法はもっと検討してもよいのでは?」ということになります。 ただ単純に「昔から王様は偉かったんだ」では、説明がつかない、ということですね。 そこで、現在の日本国憲法では、「偉かった」ということは、取りあえず横に置いておいて、「国民統合の象徴」という言葉を使って説明しています。 これは、また平たく言う
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あなたの先祖は戦国武将?!

 これまで、ココナラさんのサービスで1000家以上の苗字を調べてきましたが、そうしたデータの積み重ねの中で気づいたことがあります。 それは、たいていの人、ほとんどの人が、「先祖は戦国武将である!」ということです。 もちろん、歴史上の人物には有名な「戦国武将」や「戦国大名」がいて、織田信長をはじめ、先日までの大河ドラマの主人公だった明智光秀などの、あまたの武将がいることはご存知のとおり。 それらの武将の中でも、一国の主となったものは特に「戦国大名」と呼ばれて、大きな力を持っていたことも、お馴染みのお話です。 逆に言えば、戦国時代でおなじみの毛利元就や伊達政宗なども、それぞれの国の支配者ばかりですから、いわゆる有名どころはみな「戦国大名」ということになるでしょう。 ここでちょっと誤解を解いておきますが、これまで苗字調べ、ルーツ調べをしてきた中で、「先祖が戦国大名」だった人は、残念ながら1家もありませんでした。なので、織田信長の子孫や、明智光秀の子孫、あるいは大友宗麟の子孫や武田信玄の子孫はめったにいない、ということでもあります。 さすがに一国の主となった「戦国大名」の子孫というのはなかなかいない、ということでもあります。  ところが、「戦国大名」の家臣であった「戦国武将」たちの子孫は、うじゃうじゃいます。 みなさんのご先祖のほとんどは、「戦国武将」だった!と言いきっても過言ではないくらい、「いち武将」の子孫はとてもたくさん広がっているのです。 どういうことかと言うと、「一国まるごと支配した戦国大名の子孫はさすがに少ない」けれど「小さい領地を治めた戦国武将の子孫は、たくさんいる」とい
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先祖供養

定期的に参拝に訪れるお寺は四国八十八か所の一番札所です。ここでは必ず「先祖供養」のロウソクを立てて手を合わせます。先祖供養は私達、生きている人の基本です。先祖がいないと、今の私はない。先祖供養は・・何をするでもないのです。お墓参りに行くこと、お仏壇にしっかり手を合わせること。お墓が遠い場合は、近くのお寺で先祖供養をお願いしたり、手を合わせて先祖を偲ぶことで供養となります。それが自身の開運にも繋がりますので、ぜひともご先祖様を偲んで、心からのご供養をしてください。ご先祖様は祟ったり、怒ったりしません。必ず見守ってくれています。
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あなたの根幹にある惑星

最近は、こんな↓図を作って楽しんでいます。 ファイナルディスポジターと言いまして、 その人の考えの根幹にあるもの、 意思決定にどの惑星が深く関わるか、等がわかります。 この方の場合、蟹座♋の月☽が一番影響力がありそうです。 (ピンクで囲んだもの) 感受性豊かな気配りの天才と言えるでしょう。ファイナルディスポジターで「この星が一番強い」というものに辿り着かず、 「ループ」する場合もありますが、決して悪いことではありません。 各天体のどれかに偏らず、慎重に考えて意思決定すると言えるでしょう。 また、2つの惑星が循環しているものも見られますが、 (水色で囲んだもの) これは2つの惑星の「良いとこ取り」ができるお得なサインです。 木星の幸運と魚座の想像力が力を発揮するでしょう。 自分の心の根底にある星がわかるなんて、面白いですよね!
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