近日ルーツ探しをお手伝いした中で、とても興味深い苗字に出会いました。
苗字そのものは、個人情報に関わることでもあるので伏せておきますが、九州の肥前松浦地方にある「松浦党」とおぼしき氏族の苗字でした。
松浦党というのは、九州地方の水軍・海賊として有名ですが、もとをたどれば、「渡辺綱(わたなべのつな)」という平安時代の武将の家系に行き着きます。
この渡辺氏が、摂津国渡辺(現在の淀川の河口付近)あるいは住之江を拠点として瀬戸内海の海域を勢力下におさめ、瀬戸内水軍のリーダーとなっていったとされています。
瀬戸内海の水軍で有名なものは「村上水軍・村上海賊」と呼ばれた村上氏もあります。これも広島から愛媛にかけての沿岸地域を拠点とした水軍・海賊で河内源氏信濃村上氏がルーツとされています。
この村上氏も、九州の松浦党も、水軍として独立したり、海賊として中央勢力の支配権をふりほどいたりもしていたのですが、大きな枠組みでは、いちおう「摂津渡辺氏の支配下にあった」という形になっているのです。つまり瀬戸内海の水軍は大阪湾から九州まで、ネットワークでつながっていたのですね。
さて、渡辺綱は、源氏ですから本来は「源綱」で、父親が「源宛(みなもとのあつる)」といいます。そのまた父は「源仕(みなもとのつこう)といいます。
すでにお気づきと思いますが、この家系、みな「一文字の名前」がつけられており、どんどん遡ると
嵯峨天皇の第12皇子である「源融(みなもとのとおる)」
へとたどり着きます。
お父さんは嵯峨天皇なので、命名ルールからはすこし外れますが、源融の子孫は、代々「一文字名」を守っているわけです。
さて、このルール、松浦党になっても続きます。松浦氏の初代は「松浦久」であり、こどもたちもそれぞれ領地を得て苗字は変わるものの
波多 持
石志 増
荒久田 聞
神田 広
佐志 調
と、まだまだ一文字名が続くのです。
松浦党は分家が多く松浦48党とも呼ばれ、元祖AKBみたいなものかもしれません(笑)
興味深いことに、依頼者のお名前やそのお父さん、おじいさんに至るまでみな「一文字名」が続いていました。
現代でもそのルールが守られているのが、とてもすごいことと思います。
また家紋も渡辺水軍に特徴的な家紋と合致していましたので、そのおうちが松浦党の末裔であることは、おそらく間違いがないと思われます。
というわけで、佐賀や長崎など松浦郡に近い九州の沿岸部の方で、
「うちは代々、名前が一文字の人名が続いているよ!」
という方は、嵯峨天皇の末裔かもしれません。
ぜひお知らせくださいね!