苗字やルーツについて長年調べていると、「このおうちの場合は、この資料を調べたらいい」とか「この苗字の場合は、まずここを読めばいい」とか、そういう「データがどこにあるか」というのが、最初の段階でまず決まってくるのですが、その理由は至ってシンプルで、
「家系調べ、ルーツ調査とは ”公的な記録探し” である」
ということが言えるからです。
ルーツを探す、ということは「とても難しいことなのでは?」と思いがちですが、実はそれほど難解な作業ではありません。
すごく簡単に言えば、
「どこか公的な資料に、先祖の名前や苗字が載っている」
ということなんですね。
じゃあ、どこにそれが載っている(可能性がある)んだ?!
と誰もが考えるわけですが、
■ 昭和ならこの本
■ 明治大正ならこの本
■ 江戸時代ならこの本
とだいたい決まってくるわけです。
もう少し具体的に言えば、「うちのおじいちゃんは満鉄に務めていた」ということであれば、「満州鉄道の職員名簿」があります。あるいは、「うちの先祖はどこそこで織物を扱っていた」であれば、全国もしくは地方版の「商工名鑑」などに載っていることが大半です。
あるいは破産などをしていれば、「官報」に記載があることも。
まあ、こんなふうに、ルーツ探しは、「自分の家の内部という個人的な情報」と「公的な記録にその人や一族が記載されているか」の付け合わせ作業なのです。
ルーツ調べの第一歩である「戸籍の取得」なんかもまったく同じで、「その家の内部の情報が、公的な戸籍に記載されている」から、私達はそのデータを入手することができる、というわけです。
さて、そんなことを長年やっていると、子孫が先祖について調べるには、
「先祖が、何かをやっていて、行動をおこしていて、それが記録に載っているのが一番だ」
ということがわかってくるようになりました。
それを平たく言えば
「名を残す」「家名を残す」
ということですね。
そのアクションは、別に「良いこと」でなくてもかまいません。たとえば先日お調べしたおうちでは、江戸時代の武士だった先祖が、人を殺めてしまって名を変えて別の藩で客分になっていたことがわかりました。
その後、許されて子孫が元の苗字に戻した、なんてことも記録されていたのです。
この記録がなければ、いったんは事件のあと苗字を変えていますから、そこから先は追いかけられない、なんてこともあり得たわけです。
もちろん、「なにかよい働きをして名を残す」のが一番理想的ですが、子孫からみればどんなアクションでも記録に残っているほうが、重要だということになります。
その意味では一番困るのが、「あるとき、ある人物が、自分だけオリジナルの苗字をつけた場合」です。
その苗字はオンリーワンで、その一家にとっては大切な、大事なものなのですが、いかんせん公的な記録とはまったく無関係なので、あとから追いかけようとしてもまったくわかりません(苦笑)
そのひいひいおじいさんが、どのような考え、思考、頭の中でそう苗字をつけたのか、子孫に伝わっていなければ全然わからないのです。
そういう苗字がたまに存在しますが、もちろん何かしらの「元ネタ」があるので、それをイメージして名付けたのだろう、くらいは推測できますが、それが合っているのか間違っているのかも検証できないことになります。
苗字調べの依頼では、そうした事情もすべてお伝えしますが、依頼者さまからすれば不満足が生じるであろうことも想像がつきます。
なにしろ、「あるおじいさんの時に、よくわからないけれどオリジナルな苗字がつけられてしまった、それ以前の氏族は不明!」なのですから。
(その意味では、キラキラネームをつけられた子供が迷惑している、みたいな感じに似ているかもしれません)
また、お寺の住職だった方が、仏教や寺にちなんで苗字をつけることもよくあります。その場合は、寺の山号である「なんとか山ほにゃらら寺」のどれかに関係する文字が使われる場合が多かったりします。
その場合は、「お寺が村の(いちおう)公的な機関」に当たるため、記録は残るのですが、それ以上の過去を探るのは、「お寺や歴代住職の由来」が残っているかどうかにかかってきます。
昔の住職は血縁がなく継がれることも多く、そうなると、ある住職個人がどういう来歴だったのか記録がないと、まったくわからないことになります。
こんなふうに、苗字やルーツの世界では、「オンリーワン」な理由で生まれた苗字は子孫から見れば、やや困ってしまいますね。
それよりは、何かのジャンルで「ナンバーワン」になった家系、家名のほうが残りやすいと言えるでしょう。