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すべてのブログから「#デザインを読み解く」タグの検索結果

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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第13回 色と線だけで世界をつくる「デ・ステイル」

第13回 色と線だけで世界をつくる「デ・ステイル」20世紀初頭、ロシアで構成主義や抽象芸術が広がっていた頃、オランダでも新しい芸術を模索する動きが始まっていました。彼らが目指したのは、目の前にある自然や人物をそのまま描くことではありません。形、線、平面、そして色。それぞれを独立した造形要素として捉え、それだけで美しい世界をつくることでした。この芸術運動が「デ・ステイル」です。「描く」ことから「組み立てる」ことへそれまでの絵画では、風景や人物など、現実に存在するものをどのように描くかが大切にされてきました。しかし、デ・ステイルの芸術家たちは、そこから離れようとします。例えば、一本の線、一つの四角形、一つの色。それらにも、それ自体の美しさがあるのではないか。余計なものを少しずつ取り除き、最も基本的な造形要素だけで表現する。この考え方は、後のグラフィックデザインや建築、家具などにも大きな影響を与えることになります。一冊の雑誌から始まった運動1917年、オランダのライデンでテオ・ファン・ドゥースブルフが芸術雑誌『デ・ステイル』を創刊しました。『デ・ステイル』は単なる作品紹介の雑誌ではありませんでした。画家、建築家、彫刻家、デザイナーたちが、それまでの芸術とは異なる新しい考え方を発表し、議論するための場所でもあったのです。その中心人物の一人が、画家ピート・モンドリアンです。モンドリアンは、なぜ四角を描いたのかモンドリアンと聞けば、赤・青・黄などの色面と、黒い垂直線・水平線によって構成された絵画を思い浮かべる方も多いでしょう。一見すると、とても単純な絵に見えます。しかし、モンドリアンは最初
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第4回 ウィリアム・モリスが変えた「デザイン」という考え方

第4回 ウィリアム・モリスが変えた「デザイン」という考え方現代のデザインを語るうえで、決して外すことのできない人物がいます。それが、イギリスの芸術家、ウィリアム・モリスです。モリスは1834年にイギリスで生まれ、オックスフォード大学で学びました。1861年には「モリス商会」を設立し、美しい家具や壁紙、ステンドグラス、テキスタイルなどを制作します。さらに1888年には「アーツ・アンド・クラフツ展協会」の設立にも関わり、後のデザイン史に大きな足跡を残しました。機械化が進む社会への疑問モリスが生きた19世紀のイギリスは、産業革命によって社会が大きく変化していました。工場では大量生産が進み、それまで職人が一つひとつ手作業で作っていた製品も、機械によって効率よく生産されるようになります。大量生産によって、多くの人が製品を手に入れられるようになった一方で、モリスはその変化に強い疑問を抱きました。自然環境の破壊、単純作業を繰り返す労働者の苦しみ、そして装飾だけを真似た品質の低い製品が市場にあふれていることを、社会の大きな問題だと考えたのです。美しさと暮らしを取り戻したいモリスが目を向けたのは、中世のものづくりでした。当時の職人たちは、自分たちの技術に誇りを持ち、美しさと実用性を兼ね備えた製品を生み出していました。モリスは、芸術は美術館だけにあるものではなく、毎日の暮らしの中にあるべきだと考えます。家具や壁紙、カーテン、食器など、日常生活で使うものこそ、美しくあるべきだという考え方は、それまでの芸術観とは大きく異なるものでした。アーツ・アンド・クラフツ運動の始まり1888年に設立された「アーツ
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第22回 線が絡み合い、物語になる「ケルトの文様」

第22回 線が絡み合い、物語になる「ケルトの文様」複雑に絡み合いながら、どこまでも続いていく一本の線。動物の身体が植物へ変わり、植物が再び線となって別の形につながっていく。ケルトの装飾には、これまで見てきた幾何学文様や植物文様とはまた違った、不思議な生命感があります。「ケルト」と聞くと、アイルランドやイギリスを思い浮かべる方も多いかもしれません。しかし古代のケルト系文化は、現在のフランス、ベルギー、ドイツ、オーストリアなど、ヨーロッパ大陸の広い地域にも存在していました。その後、特にアイルランドやブリテン島では、ケルト系の伝統とキリスト教文化が出会うことで、独特な装飾文化が育っていきます。異なる文化が出会うことで、新しいものが生まれるキリスト教が広がったからといって、それ以前の文化がすべて消えてしまったわけではありません。古くから伝わる物語や造形、自然観などは、新しい宗教文化と混ざり合いながら別の姿へと変化していきました。ケルト系の伝承と中世キリスト教文化が複雑に交わりながら発展していった物語の一つに、アーサー王伝説があります。アーサー王や円卓の騎士、聖杯などの物語には、長い時間をかけてさまざまな地域の伝承やキリスト教的な要素が重ねられていきました。デザインも同じです。ある文化が別の文化と出会ったとき、どちらか一方が完全になくなるとは限りません。異なるものが混ざり合うことで、それまでになかった新しい表現が生まれることがあります。一本の線がどこまでも続いていくケルト文様を代表するものの一つが「組紐文」です。何本もの紐が上下に交差しながら複雑につながり、始まりと終わりが分からないほど
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第21回 終わりなく広がる美しさ「イスラムの装飾とアラベスク」

第21回 終わりなく広がる美しさ「イスラムの装飾とアラベスク」これまで世界の文様をたどってきましたが、その中でもひときわ緻密で、数学的ともいえる美しさを持つのがイスラム美術の装飾です。モスクの壁や天井、タイル、写本、織物などを見ていると、幾何学模様や植物のつるがどこまでも続いていくような、不思議な感覚を覚えます。そこには単なる装飾を超えた、イスラム文化ならではの世界観が表れています。描かないことから生まれた美しさイスラム美術について、「人物や動物を描くことが禁止されている」と説明されることがあります。しかし、これは少し丁寧に見ておく必要があります。イスラム世界では、特に宗教的な空間において偶像崇拝を避ける考え方が重視され、人物や動物の表現が控えられてきました。一方で、すべての時代や地域、あらゆる美術において人物や動物の表現が一律に禁止されていたわけではありません。そのような文化的背景の中で、宗教建築や装飾では、幾何学文様や植物文様、そして美しい文字を用いた装飾が大きく発達していきました。何かを描けないことは、表現を狭めることのように思えるかもしれません。しかし、その制約があったからこそ、別の方向へ驚くほど豊かなデザインが発展したとも考えられます。数学から生まれる幾何学の美イスラム装飾を見て驚かされるのが、非常に複雑な幾何学文様です。円や正方形、星形、多角形などを規則的に組み合わせ、一つの形を繰り返していくことで、画面全体を埋め尽くすパターンがつくられます。一見すると複雑ですが、その背後には明確な規則があります。小さな一つの形が隣の形とつながり、さらにその隣へと続いていく。どこが
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第20回 文様はシルクロードを旅する「古代中国の装飾」

第20回 文様はシルクロードを旅する「古代中国の装飾」これまでエジプト、メソポタミア、ギリシャ、ローマと、さまざまな地域の装飾を見てきました。ここから舞台を東へ移して、中国の文様を見てみましょう。中国では紀元前2000年頃には初期王朝の時代を迎え、その後、青銅器文化が大きく発達していきます。そこには西洋とは異なる独特な文様が生まれる一方、時代が進むと東西の文化交流によって、遠く離れた地域の文様も取り入れられていきました。青銅器を埋め尽くす不思議な文様古代中国の青銅器を見ると、その表面を隙間なく覆う複雑な文様に驚かされます。入り組んだ幾何学的な線の中に、動物や怪獣を思わせる顔や身体が組み込まれ、どこからが動物で、どこからが模様なのか分からないほど一体化しています。こうした青銅器は、単なる日用品ではなく、祭祀や儀礼などにも用いられる重要な器物でした。そのため表面に施された動物文様も、単なる飾りではなく、当時の信仰や権威、儀礼などと深く関係していたと考えられています。正面からこちらを見る「怪獣」の顔古代中国の青銅器を代表する文様の一つが、「饕餮文(とうてつもん)」です。左右対称の大きな目や角などが表現され、正面からこちらを見つめる怪獣の顔のように見えます。しかし、その姿が実際に何を表していたのかについては、現在でもさまざまな説があります。興味深いのは、動物を写実的に描くのではなく、目、角、身体などの特徴を取り出し、幾何学的な線の中へ組み込んでいることです。現実の動物をそのまま描くのではなく、形を分解し、再構成することで、強い印象を持つ文様へと変えているのです。動物の文様も旅をする動物
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第19回 受け継ぎ、組み合わせ、広げていく「古代ローマの装飾」

第19回 受け継ぎ、組み合わせ、広げていく「古代ローマの装飾」前回ご紹介した古代ギリシャでは、アカンサスやメアンダー、唐草など、後世まで受け継がれるさまざまな文様が発達しました。そのギリシャ文化から大きな影響を受けながら、さらに壮大なスケールで装飾を発展させたのが古代ローマです。ローマは紀元前753年に建国されたと伝えられ、共和政を経て、紀元前27年にはアウグストゥスの時代を迎えます。やがて広大な領域を支配するローマ帝国へと発展し、建築や美術、そして装飾も各地へ広がっていきました。ギリシャの美しさを、さらに壮大にローマの人々は、ギリシャ文化から多くのものを学びました。建築では柱の形式を取り入れ、装飾ではアカンサスや唐草などの植物文様を受け継いでいます。しかし、それをそのまま真似しただけではありません。巨大な神殿や公共施設、浴場、邸宅など、建築が大規模で複雑になるにつれて、装飾もより豊かになっていきました。柱、壁、天井、床など、それぞれの場所に合わせて文様を組み合わせ、空間全体を飾るようになったのです。装飾が帝国とともに広がっていくローマ帝国の領域は、ヨーロッパだけでなく、北アフリカや西アジアにまで広がりました。それに伴って、建築技術や美術、装飾の様式も各地へ伝えられていきます。ここで興味深いのは、デザインが「人と一緒に移動する」ということです。ある地域で生まれた文様が別の文化へ伝わり、そこで新しいモチーフと出会い、さらに形を変えていく。前回まで見てきた文様の「旅」が、巨大な帝国の中でさらに大きな広がりを見せることになります。植物の中に人や動物が現れる「グロテスク文」ローマの装飾
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第18回 繰り返すことで美しくなる「古代ギリシャの文様」

第18回 繰り返すことで美しくなる「古代ギリシャの文様」前回ご紹介したメソポタミアでは、植物の姿が整理され、パルメットのような文様へと変化していきました。古代の人々が生み出した文様は、一つの地域だけにとどまりません。人や物の交流とともに別の土地へ伝わり、形を変えながら新しい装飾へと発展していきます。その長い歴史の中で、後世の装飾に大きな影響を与えたのが、古代ギリシャの文様です。陶器と建築に広がった装飾古代ギリシャ文明の背景には、それ以前にエーゲ海周辺で発展した青銅器時代の文化がありました。やがてギリシャでは、神殿などの建築や陶器を中心に、独特の装飾文化が発達していきます。古代ギリシャの壺を見てみると、人物や神話の場面だけでなく、その周囲にさまざまな模様が描かれていることに気づきます。直線、渦巻、植物、組紐のような形。それらが規則正しく繰り返され、器の縁や帯状の部分を飾っています。ここで重要になるのが「繰り返し」です。同じ形を繰り返すと「リズム」が生まれる一つの模様だけを見れば、とても単純な形かもしれません。しかし、その形を一定の間隔で並べてみると、そこに視覚的なリズムが生まれます。これは音楽にも少し似ています。同じ音やリズムが繰り返されることで、全体にまとまりや心地よさが生まれるように、装飾も形を繰り返すことで秩序のある美しさをつくることができます。現在のテキスタイルや壁紙、包装紙などに使われるパターンデザインにも、その考え方はそのまま生きています。どこまでも伸びていく「唐草文」ギリシャの植物装飾で重要なのが、つる草が連続して伸びていくような文様です。植物の茎やつるが曲線を描き
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第15回 大量生産が生んだ新しいデザイン「アメリカとインダストリアルデザイン」

第15回 大量生産が生んだ新しいデザイン「アメリカとインダストリアルデザイン」20世紀に入ると、デザインの新しい舞台としてアメリカが存在感を増していきます。ヨーロッパでは芸術と工芸、産業をどのように結びつけるかが模索されていました。一方、急速な経済成長を続けるアメリカでは、デザインそのものが産業を支えるビジネスとして発展していきました。現在につながる「インダストリアルデザイン」が大きく成長した背景には、大量生産と大量消費という、アメリカならではの社会の変化があったのです。空へ伸びる摩天楼当時のアメリカを象徴するデザインの一つが「摩天楼」です。ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルをはじめ、高層建築が次々と都市に建設されました。空へ向かって伸びる巨大な建築は、単に土地を効率よく使うためのものではなく、経済成長や技術の進歩、そしてアメリカの繁栄そのものを象徴する存在となっていきます。前回ご紹介したアール・デコの幾何学的な装飾も、こうした高層建築と結びつきました。アール・デコはヨーロッパからアメリカへ渡り、ニューヨークの都市景観を象徴するスタイルの一つへと発展していったのです。「速そうな形」が商品を魅力的にするもう一つ、アメリカのデザインを象徴するのが「流線型」です。もともと流線型は、空気や水の抵抗を減らすために考えられた合理的な形でした。自動車や鉄道、航空機など、高速で移動する乗り物にとっては、形そのものに機能的な意味があったのです。ところが、その滑らかな曲線は「速さ」「未来」「進歩」といったイメージを人々に与えるようになります。やがて流線型は、実際には空気抵抗を考える必要のない
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第14回 曲線から幾何学へ「アール・デコ」

第14回 曲線から幾何学へ「アール・デコ」1925年、フランスのパリで「現代産業装飾芸術国際博覧会」が開催されました。世界各国から建築、家具、工芸品、ファッションなどが集められ、新しい時代の暮らしを華やかに紹介した大規模な博覧会です。この博覧会は、後に「アール・デコ博覧会」とも呼ばれるようになります。そこで見られた洗練された装飾性を持つ芸術やデザインを象徴する言葉として広まったのが、「アール・デコ(Art Deco)」です。曲線から直線へ第5回でご紹介したアール・ヌーヴォーと、アール・デコ。この二つは名前が似ているため、混同されることがあります。しかし、作品を並べてみると、その違いはかなり明確です。アール・ヌーヴォーが植物のつるや花など、自然から生まれる優雅な曲線を好んだのに対し、アール・デコでは直線や円、三角形、菱形など、幾何学的な形が多く使われました。自然の形をそのまま装飾へ取り入れるのではなく、形を単純化し、規則的に組み合わせる。アール・ヌーヴォーからアール・デコへの変化を見ると、デザインが次第に現代的な造形へ向かっていく様子がよく分かります。さまざまな文化を取り込んだデザインアール・デコには、一つの明確な源流があるわけではありません。アール・ヌーヴォーの装飾性を受け継ぎながら、立体派、未来派、ロシア構成主義など、当時の新しい芸術運動からも影響を受けました。さらに、古代エジプトやアフリカ、アジアなど、さまざまな地域や時代の造形も取り入れられていきます。異なる文化や新しい芸術を自由に組み合わせながら、時代にふさわしい美しさへとつくり変えていく。その柔軟さも、アール・デコの魅
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第5回 世界を魅了した曲線美「アール・ヌーヴォー」

第5回 世界を魅了した曲線美「アール・ヌーヴォー」19世紀の終わり、人々は新しい時代の美しさを求めていました。産業革命によって大量生産が進み、便利な製品が次々と生まれる一方で、「もっと芸術性のある暮らしがしたい」という思いも広がっていたのです。そんな時代にヨーロッパ各地で花開いたのが、「アール・ヌーヴォー」です。フランス語で「新しい芸術」を意味するこの様式は、それまでの歴史様式を繰り返すのではなく、新しい時代にふさわしいデザインを生み出そうという挑戦でもありました。自然が最高のデザイナーだったアール・ヌーヴォーを象徴するのは、植物のつるや花びらを思わせる、やわらかな曲線です。当時のデザイナーたちは、自然の中にこそ本当の美しさがあると考えました。花や昆虫、樹木、水の流れなどを観察し、その姿を家具やガラス工芸、ポスター、建築など、さまざまなデザインに取り入れていきます。そのため、アール・ヌーヴォーの作品には、生命が伸びていくような躍動感が感じられます。ヨーロッパ中へ広がった新しい芸術アール・ヌーヴォーは、一つの国だけで生まれた様式ではありません。フランスでは「アール・ヌーヴォー」、イギリスでは「モダン・スタイル」、ドイツでは「ユーゲントシュティール」、イタリアでは「リバティ様式」、オーストリアでは「分離派様式」と呼ばれ、それぞれの国で独自の発展を遂げました。呼び方は違っても、「新しい時代の芸術をつくろう」という思いは共通していたのです。今も語り継がれる名作たちアール・ヌーヴォーを代表する作品は、今も世界中で見ることができます。パリ地下鉄の美しい入口をデザインしたエクトール・ギマール
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第17回 絵から記号へ、植物から文様へ「メソポタミアの装飾」

第17回 絵から記号へ、植物から文様へ「メソポタミアの装飾」前回ご紹介した古代エジプトでは、ヒエログリフやロータス文様など、文字や植物にさまざまな意味が込められていました。同じ頃、エジプトから東へ離れた地域でも、世界最古級の文明が発展していました。現在のイラク周辺、チグリス川とユーフラテス川の流域に栄えた「メソポタミア文明」です。二つの大河から生まれた文明メソポタミアでは、紀元前3000年頃には都市文明が大きく発展していました。「メソポタミア」という言葉には、「二つの川の間の土地」という意味があります。その二つの川が、チグリス川とユーフラテス川です。豊かな水は農業を支え、都市や国家を発展させました。シュメール、バビロニア、アッシリアなど、時代によってさまざまな国家や文化がこの地域に登場します。そして、都市や社会が複雑になれば、物の数や取引、税、法律などを記録する必要も生まれます。そこで重要な役割を果たしたのが「文字」でした。絵だった文字が、記号になっていく古代エジプトのヒエログリフを見ると、人や鳥、植物など、何が描かれているのか比較的想像しやすいものがあります。一方、メソポタミアで発達したのが「楔形文字(くさびがたもじ)」です。「クネイフォルム」とも呼ばれます。粘土板に葦などでつくられた筆記具を押しつけて書いたため、文字は小さな楔を組み合わせたような形になりました。初期の文字には具体的な物の姿を表したものもありましたが、長い時間をかけて次第に単純化され、抽象的な記号へと変化していきます。絵を描くことから、情報を伝えるための記号へ。これは、文字の歴史だけでなく、デザインを考えるう
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第11回 世界のデザインを変えた学校「バウハウス」

第11回 世界のデザインを変えた学校「バウハウス」「バウハウス」という名前を聞いたことがあるでしょうか。現在でも、家具や建築、グラフィックデザインなどの世界で頻繁に登場する名前です。しかしバウハウスは、特定のデザイン様式の名前ではありません。もともとは、1919年にドイツのヴァイマルで誕生した学校でした。そして、この学校が存在したのはわずか14年間です。それにもかかわらず、その思想は100年以上が過ぎた現在も、世界中のデザインに大きな影響を与え続けています。芸術と技術をもう一度ひとつにバウハウスを創設したのは、建築家ヴァルター・グロピウスです。ヴァイマルの美術学校と工芸学校の流れを統合し、新しい造形教育の場として国立バウハウスを設立しました。グロピウスが目指したのは、芸術と手工業、そして産業を新しい形で結びつけることでした。画家は絵だけを描き、建築家は建物だけを考える。それぞれを別々のものとして扱うのではなく、さまざまな造形分野が協力しながら、一つの生活環境をつくっていく。その中心に置かれたのが建築でした。グロピウスは創立時の宣言で、「あらゆる造形活動の究極目標は建築である」という考えを掲げています。デザインを「学ぶ方法」までデザインしたバウハウスが革新的だったのは、そこで生み出された作品だけではありません。デザイン教育そのものを変えたことも、大きな功績でした。学生たちは最初から専門分野だけを学ぶのではなく、色、形、素材など、造形の基本から学びました。その後、家具、金属、織物、タイポグラフィ、建築など、それぞれの専門分野へ進んでいきます。現在、美術大学やデザイン学校で当たり前の
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第7回 「芸術には自由を」ウィーン分離派とウィーン工房

第7回 「芸術には自由を」ウィーン分離派とウィーン工房19世紀の終わり、オーストリアの首都ウィーンでも、新しい芸術を求める動きが始まります。当時の芸術界は、伝統的な様式や古い価値観を重んじる風潮が強く、若い芸術家たちは自由な表現を発表する機会を十分に得ることができませんでした。そこで1897年、画家や建築家、デザイナーたちは新しい団体を結成します。それが「ウィーン分離派」です。「芸術には自由を」という理念ウィーン分離派が掲げた言葉があります。「時代には時代にふさわしい芸術を、芸術には自由を。」この言葉には、過去の様式をただ受け継ぐのではなく、新しい時代には新しい表現が必要だという強い思いが込められていました。初代代表には、画家グスタフ・クリムトが就任します。また、建築家ヨーゼフ・マリア・オルブリヒやヨーゼフ・ホフマンなど、多くの才能ある芸術家たちが参加し、それぞれの分野で新しいデザインを追求しました。曲線から直線へ当時ヨーロッパでは、植物を思わせる優雅な曲線が特徴のアール・ヌーヴォーが流行していました。しかし、ウィーン分離派の芸術家たちは、さらに新しい表現を模索していきます。特にヨーゼフ・ホフマンは、曲線よりも直線や正方形などの幾何学的な形を積極的に取り入れました。無駄な装飾を抑え、形そのものの美しさを生かしたデザインは、それまでの華やかな様式とは異なる新鮮な印象を与えました。その作風から、ホフマンは「四角形のホフマン」と呼ばれるようになります。ウィーン工房が目指したもの1903年、ホフマンは工芸家たちとともに「ウィーン工房」を設立します。家具や照明、食器、布地、ポスターなど、
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第6回 ドイツが生んだ新しいデザイン「ユーゲントシュティール」

第6回 ドイツが生んだ新しいデザイン「ユーゲントシュティール」アール・ヌーヴォーはヨーロッパ各地へ広がりましたが、それぞれの国で少しずつ異なる個性を育てていきました。その中でも、ドイツで独自の発展を遂げたのが「ユーゲントシュティール」です。「ユーゲント」とは、1896年にミュンヘンで創刊された芸術雑誌『ユーゲント』のことです。この雑誌が新しい芸術を積極的に紹介したことから、ドイツではアール・ヌーヴォーを「ユーゲントシュティール(青春様式)」と呼ぶようになりました。自然への憧れは同じだったユーゲントシュティールも、植物や自然をモチーフにした優美な曲線を特徴としていました。しかし、ドイツでは装飾を楽しむだけではなく、「これからの時代にふさわしいデザインとは何か」という視点も重視されるようになります。その考え方は、後のドイツデザインへとつながる大切な一歩となりました。芸術から産業へこの時代を代表する人物の一人が、彫刻家ヘルマン・オブリストです。植物が成長するような躍動感のある作品は、多くの芸術家に影響を与えました。もう一人忘れてはならないのが、ペーター・ベーレンスです。彼は建築だけでなく、工業製品やポスター、書体まで幅広くデザインし、芸術と産業を結び付けようとしました。今日では、企業のロゴや広告、製品デザインを統一して考える手法は当たり前になっていますが、その考え方を早くから実践した人物の一人として知られています。モダンデザインへの橋渡しユーゲントシュティールは、美しい装飾を楽しむだけの様式ではありませんでした。芸術を産業へ生かし、暮らしをより良くするためのデザインへ発展させようとい
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第3回 会社にも「性格」がある

第3回 会社にも「性格」がある私たちは初めて会った人に対して、「誠実そう」「親しみやすそう」「何となく信頼できそう」といった印象を抱きます。実は、企業やブランドに対しても同じような見方をしています。「あの会社は挑戦する企業だ。」「このブランドは上品なイメージがある。」「安心して買える会社だ。」こうした印象は、商品の性能だけで決まるものではありません。企業の考え方や姿勢、そしてそれを伝えるデザインによって、少しずつ形づくられていくものです。ブランドにも人柄があるブランドづくりには、「ブランドパーソナリティ」という考え方があります。少し難しい言葉ですが、簡単にいえば「ブランドの人柄」のことです。もし企業が一人の人間だったら、どんな性格でしょうか。誠実なのか、親しみやすいのか、それとも革新的なのか。こうしたイメージが明確になると、広告やホームページ、商品、店舗、接客まで、一貫した雰囲気をつくることができます。反対に、その人柄が曖昧だと、見るたびに印象が変わってしまい、お客様の記憶にも残りにくくなります。人は商品だけを選んでいるわけではない昔は、品質や価格が商品の大きな差別化要因でした。しかし今は、多くの商品が高い品質を持っています。そのため、人は品質だけではなく、「どんな会社がつくっているのか」という部分にも目を向けるようになりました。環境への取り組みに共感して商品を選ぶ人もいます。職人の技術や長い歴史に魅力を感じる人もいます。つまり私たちは、商品を買っているようで、その背景にある価値観や世界観にも共感しているのです。物語がブランドを育てる企業には、それぞれ歩んできた歴史があります。
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第2回 ブランドは、ロゴではなく約束である

第2回 ブランドは、ロゴではなく約束である「ブランド」と聞くと、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。Apple、無印良品、ユニクロ、トヨタ。あるいは、近所にあるお気に入りのお店かもしれません。では、なぜそのブランドが好きなのでしょう。品質が良いからでしょうか。デザインがおしゃれだからでしょうか。それも理由の一つですが、それだけでは説明できない何かがあります。「この会社なら安心できる。」「きっと期待を裏切らない。」そんな気持ちになった経験はありませんか。実は、その目には見えない安心感や信頼こそが、ブランドの正体です。ブランドとは、人の心の中にあるものブランドとは、ロゴやマークではありません。企業や商品、サービスに対して、多くの人が共通して抱く印象や信頼、期待の積み重ねです。つまりブランドとは、お客様の心の中に育っていく「目に見えない価値」と言えるでしょう。だからこそ、ブランドは企業が一方的につくるものではありません。企業が積み重ねてきた姿勢や約束を、お客様が信頼として受け止めたとき、初めてブランドになります。時間をかけて育まれるからこそ、本当のブランドには簡単には真似のできない価値が生まれるのです。デザインは、企業の想いを伝える言葉では、そのブランドを育てるために、デザインは何をしているのでしょうか。多くの人は、「見た目をきれいにするもの」と考えています。しかし、本来のデザインにはもっと大切な役割があります。それは、企業が大切にしている価値観や理念を、お客様に伝わる形へと変えることです。ホームページ、商品パッケージ、店舗、広告、SNS、名刺。お客様と接するすべての場面で同じ考え方
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第16回 装飾には意味がある「古代エジプトの文様」

第16回 装飾には意味がある「古代エジプトの文様」これまで見てきたデザイン史では、時代や社会の変化とともに、デザインがどのように生まれてきたのかをたどってきました。ここから少し視点を変えて、世界各地に残されている「装飾」や「文様」に目を向けてみましょう。私たちは模様を見ると、つい「きれいだから描かれている」と考えてしまいます。しかし、古代の装飾には、美しさだけではない意味が込められていました。その代表的な例が、古代エジプトです。3000年以上続いた古代エジプト文明古代エジプト文明は、紀元前3000年頃から約3000年にわたって栄えました。ピラミッドや神殿、墓、彫刻などには、現在でも多くの文字や文様を見ることができます。それらは単なる飾りではなく、神々への信仰や死後の世界、王の権威など、当時の人々の世界観と深く結びついていました。つまり古代エジプトの装飾を見ることは、当時の人々が世界をどのように考えていたのかを読み解くことでもあるのです。絵のように見える「ヒエログリフ」古代エジプトを象徴するものの一つが、「ヒエログリフ」です。人間、鳥、動物、植物、道具などが描かれているため、一見すると小さなイラストが並んでいるように見えます。しかし、これは古代エジプトで使用されていた文字体系です。神殿や墓、石碑、像など、さまざまな場所に刻まれました。古代エジプトでは、文字は単に情報を記録するものではありませんでした。文字として刻まれた言葉には、その内容を現実のものにする力があるとも考えられていたのです。文字そのものが、神聖な力を持つ存在だったわけです。王の名前を囲む「カルトゥーシュ」ヒエログリフ
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第8回 モダニズムへの架け橋「グラスゴー派とマッキントッシュ」

第8回 モダニズムへの架け橋「グラスゴー派とマッキントッシュ」19世紀末、ヨーロッパではアール・ヌーヴォーが大きな広がりを見せていました。しかし、その流れとは少し異なる、新しいデザインがスコットランドの港町グラスゴーで生まれます。それが「グラスゴー派」です。アール・ヌーヴォーが植物を思わせる優雅な曲線を特徴としていたのに対し、グラスゴー派は、より幾何学的で落ち着いた美しさを追求しました。その独特の表現は、後のモダンデザインへとつながる重要な一歩となります。チャールズ・レニー・マッキントッシュという才能グラスゴー派を代表する人物が、建築家でありデザイナーでもあったチャールズ・レニー・マッキントッシュです。彼の作品は、細く伸びる垂直線や水平線、正方形や長方形を組み合わせた端正な構成が特徴です。一方で、そこへ繊細な植物モチーフを取り入れることで、幾何学的でありながら温かみのあるデザインを生み出しました。華やかな装飾が主流だった時代に、ここまで整理されたデザインはとても新鮮で、多くの人に驚きを与えました。シンプルだからこそ美しいマッキントッシュの家具や建築を見ると、「余計なものがない」という印象を受けます。装飾を増やして豪華さを演出するのではなく、線や形そのものの美しさを大切にしたのです。この考え方は、現在のインテリアデザインやプロダクトデザインにも通じています。私たちが「シンプルで美しい」と感じるデザインの原点の一つは、マッキントッシュの作品にあるのかもしれません。ウィーンで高く評価されたデザイン興味深いことに、マッキントッシュの才能は母国イギリスよりも、オーストリア・ウィーンで高く
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第10回 芸術と産業を結びつけた「ドイツ工作連盟」

第10回 芸術と産業を結びつけた「ドイツ工作連盟」アール・ヌーヴォーの華やかな装飾から、私たちが現在「モダン」と呼ぶデザインへ。その大きな転換点の一つとなったのが、20世紀初頭のドイツでした。1907年、ミュンヘンで芸術家、建築家、実業家などが集まり、「ドイツ工作連盟」が設立されます。彼らが目指したのは、芸術を美術館の中だけに閉じ込めるのではなく、産業と結びつけることでした。モリスとは違う道を選んだドイツドイツ工作連盟が参考にしたのは、ウィリアム・モリスらによるイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動でした。しかし、両者には大きな違いがあります。モリスは、産業革命による大量生産に疑問を持ち、手仕事の価値を取り戻そうとしました。一方、ドイツ工作連盟は、機械そのものを否定しませんでした。「機械を使いながら、どうすれば美しく、品質の高い製品をつくることができるのか。」彼らが考えたのは、芸術と産業、そして手工芸を協働させることでした。ここから、デザインは少しずつ「美しいものをつくること」から、「産業の中で美しさと機能を実現すること」へと変わっていきます。ペーター・ベーレンスという新しいデザイナードイツ工作連盟には、建築家ヘルマン・ムテジウスやペーター・ベーレンスなど、後のデザイン史に大きな影響を与える人物が参加していました。中でも興味深いのが、電機企業AEGのデザイン顧問を務めたベーレンスです。彼はAEGのタービン工場を設計しただけではありません。照明器具や家電製品などの工業製品から、広告、カタログ、書体、企業ロゴに至るまで、企業が発信するさまざまなものをデザインしました。現在なら、建築
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デザインを知ると、毎日が少しだけ豊かになるーー第9回 高層建築から始まった新しいデザイン「シカゴ派とサリヴァン」

第9回 高層建築から始まった新しいデザイン「シカゴ派とサリヴァン」19世紀後半、アメリカのシカゴは急速な発展を遂げていました。重工業や製鉄業が成長し、1900年前後には人口約170万人を抱える大都市へと変貌していきます。人口が増え、限られた土地を有効に使う必要が生まれると、建物は横ではなく上へと伸びていきました。鉄骨構造などの新しい建築技術も発達し、シカゴには次々と高層建築が建てられるようになります。こうした新しい都市の姿とともに生まれたのが、近代建築の重要な流れの一つである「シカゴ派」です。新しい時代には、新しい建築をシカゴ派を代表する建築家の一人が、ルイス・ヘンリー・サリヴァンです。建築の世界では長い間、過去の様式を参考にした装飾が使われていました。しかし、新しい技術によって高層建築がつくられる時代になれば、その建物にふさわしい新しいデザインも必要になります。サリヴァンは、建物の形はその目的や機能から生まれるべきだと考えました。彼の思想を象徴する言葉として知られているのが、「形態は機能に従う(Form follows function)」です。見た目を先に考えるのではなく、「何のために使うのか」を考え、そこから形を導き出す。この考え方は、その後の建築だけでなく、プロダクトデザインをはじめとする幅広い分野に大きな影響を与えていきます。装飾を捨てたわけではなかった「形態は機能に従う」と聞くと、サリヴァンは装飾を否定した建築家のように思えるかもしれません。しかし、実際の作品を見ると、植物を思わせる繊細で美しい装飾が数多く使われています。ここがサリヴァンの面白いところです。建築全体
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