第11回 世界のデザインを変えた学校「バウハウス」
「バウハウス」という名前を聞いたことがあるでしょうか。
現在でも、家具や建築、グラフィックデザインなどの世界で頻繁に登場する名前です。しかしバウハウスは、特定のデザイン様式の名前ではありません。もともとは、1919年にドイツのヴァイマルで誕生した学校でした。
そして、この学校が存在したのはわずか14年間です。それにもかかわらず、その思想は100年以上が過ぎた現在も、世界中のデザインに大きな影響を与え続けています。
芸術と技術をもう一度ひとつに
バウハウスを創設したのは、建築家ヴァルター・グロピウスです。ヴァイマルの美術学校と工芸学校の流れを統合し、新しい造形教育の場として国立バウハウスを設立しました。
グロピウスが目指したのは、芸術と手工業、そして産業を新しい形で結びつけることでした。
画家は絵だけを描き、建築家は建物だけを考える。それぞれを別々のものとして扱うのではなく、さまざまな造形分野が協力しながら、一つの生活環境をつくっていく。その中心に置かれたのが建築でした。
グロピウスは創立時の宣言で、「あらゆる造形活動の究極目標は建築である」という考えを掲げています。
デザインを「学ぶ方法」までデザインした
バウハウスが革新的だったのは、そこで生み出された作品だけではありません。デザイン教育そのものを変えたことも、大きな功績でした。
学生たちは最初から専門分野だけを学ぶのではなく、色、形、素材など、造形の基本から学びました。その後、家具、金属、織物、タイポグラフィ、建築など、それぞれの専門分野へ進んでいきます。
現在、美術大学やデザイン学校で当たり前のように行われている「まず基礎造形を学び、その後に専門分野へ進む」という教育にも、バウハウスの思想につながる部分があります。
美しいだけではなく、使えるものを
バウハウスが目指したデザインは、芸術作品のように鑑賞するだけのものではありませんでした。
椅子なら座るためにあり、照明なら光を届けるためにある。目的にふさわしい形を考え、余分な装飾を減らし、素材や構造そのものの美しさを生かしていく。
こうした考え方から生まれた家具や照明、建築、グラフィックは、今見ても驚くほど現代的です。
私たちが現在「シンプル」「機能的」「モダン」と感じるデザインの背景には、バウハウスが追求した考え方が息づいています。
わずか14年間の学校が世界へ広がる
バウハウスの歴史は決して平坦ではありませんでした。1919年にヴァイマルで始まり、1925年にはデッサウへ移転します。さらに1932年にはベルリンへ移りますが、1933年、ナチス政権下で閉校へ追い込まれました。
しかし、学校を閉じても思想まで消すことはできませんでした。
バウハウスに関わった教師や学生たちは各国へ移り、その教育や思想を世界へ広めていきます。アメリカでは「ニュー・バウハウス」へとつながり、現在もドイツではバウハウス大学ヴァイマルやバウハウス・デッサウ財団などに、その歴史と理念が受け継がれています。
私たちの身近にもあるバウハウス
バウハウスというと、少し難しいデザイン史の話に聞こえるかもしれません。
しかし、身の回りを見渡してみると、装飾を抑えた家具、機能的な照明、読みやすく整理された文字組み、直線を生かした建築など、その考え方につながるデザインはいたるところにあります。
バウハウスを知らなくても、私たちはすでに「バウハウス以後の世界」で暮らしているのです。
おわりに
バウハウスが残したものは、特定の形やスタイルだけではありません。
「美しいとは何か。」
「使いやすいとは何か。」
「芸術と技術をどう結びつけるのか。」
そうした問いを、教育を通して次の世代へ伝えたことこそ、バウハウスの大きな功績だったのではないでしょうか。
たった14年間しか存在しなかった一つの学校が、100年後の私たちの暮らしにも影響している。デザイン史の面白さを象徴するような出来事です。
【参考資料】
バウハウスの図案や作品画像を含む、より詳しい参考資料については、私が別途まとめている記事でもご紹介しています。
ココナラの仕様上、この場で具体的なURLは記載できませんが、検索エンジンで「増田恵一バウハウス」などと検索すると、関連する記事が見つかりやすくなります。