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先生から、話があるって

放課後の教室。人が減ったはずなのに、空気は、昼より重かった。三條輝は、窓際の席に座ったまま、スマホを伏せて置いている。画面は、見ていない。もう、打ち終えていた。——送信。それだけで、いくつかの歯車が、同時に回り始める。「ねえ、聞いた?」教室の入り口で、女子の声がした。「今日、職員室に呼ばれた人いるらしいよ」「例の件で」凪の肩が、わずかに強張る。(……来た)坂本も、顔を上げる。悠真は、何も言わず、凪の様子を見る。三條は、立ち上がった。「凪」名前を呼ぶ声は、相変わらず穏やかだ。「先生から、話があるって」「一緒に行こうか」一瞬、教室の視線が凪に集中する。——善意の顔をした、公開の場。凪は、すぐには答えなかった。代わりに、深く息を吸う。「……いい」短い言葉。でも、はっきりしている。「一人で、行く」ざわり、と空気が揺れる。三條の眉が、ほんのわずかに動く。「そう?」「でも、誤解されたままだと——」「誤解なら」凪は、言葉を重ねる。声は震えていない。「先生に、話す」「クラスの前で話す必要は、ない」その一言で、悠真が静かに立ち上がる。「俺も、付き添う」前に出すぎない位置。でも、確実に“横”。坂本も、椅子から半分立ち上がって、迷ってから、言う。「……必要なら」「俺も、行く」三條は、三人を見る。——これは、想定外だ。「ふうん」小さく笑う。「団結、ってやつ?」凪は、三條をまっすぐ見る。「違う」「選んだだけ」「誰に、何を話すかを」一瞬。三條の笑顔が、ほんの少しだけ、硬くなる。「……わかった」そう言って、道を譲る。引いたように見える。でも、凪は感じていた。——これは、別の場所で切るつもりだ。廊下に出ると、
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「まじうぜー」で隠していた俺の本音

「まじうぜー」「まじめんどくせー」俺の口から、その言葉が出ない日はなかった。朝のホームルーム。先生の小言がまた始まった。「遅刻が多い」「授業態度が悪い」「将来困るぞ」──それ、昨日も聞いたよな。教室全体が重たい空気に包まれる。俺は時計を睨みながら、机に突っ伏して小さくつぶやく。「…まじうぜー」隣のやつがクスッと笑ったけど、俺の胸の中は全然笑えてなかった。放課後の部活。「今日は基礎練の反復だ!」キャプテンの声。周りは渋い顔をしつつも走り出す。俺も足を動かすけど、頭の中は反発ばかり。(何回同じことやらせんだよ…)汗が目に入るたびに苛立ちが募る。「…まじめんどくせー」後ろの後輩がチラッと俺を見て、視線を逸らした。その沈黙が胸にズシンと響く。休み時間。友達が丸めたプリントを俺の頭に投げてきた。「お前また寝てただろ〜!」教室に笑い声が広がる。普通なら「うるせー!」って笑って返せばいい。でも俺の口から出たのは。「…まじうぜー」笑い声がすっと消える。空気を壊してるのはわかってる。けど、どうしても笑えなかった。俺は「うぜー」でしか自分を守れなかった。そんな日常の積み重ねが爆発したのは部活の時だった。「おい!お前、やる気あんのかよ!」先輩が怒鳴る。「やる気?ねーよ!まじめんどくせーんだよ!!」俺の怒鳴り声がグラウンドに響く。空気が凍りついた。「だったら帰れ!お前なんか邪魔なんだよ!」仲間たちの冷たい視線が突き刺さる。悔しい。情けない。でも素直に「本当はやりたい」なんて言えなかった。俺は荷物を掴み、グラウンドを飛び出した。布団に潜り込んでも、頭の中でリピートされる。「帰れよ!」「邪魔なんだよ!」(
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待ってたら、また誰かが決める

その夜。凪は、自分の部屋でスマホを握ったまま、画面を見つめていた。通知は、増えていない。でも、それが逆に不安を煽る。——静かすぎる。学校の外では、噂はいつも、音を立てずに広がる。(待ってたら、また誰かが決める)その考えが、胸の奥で、はっきり形になった。凪は、ベッドに腰を下ろす。深呼吸を、ひとつ。逃げないと決めた。拒んだ。立った。——なら、次は。スマホのメモを開く。長い説明はいらない。弁解もしない。ただ、歪まれやすい部分だけを、自分の言葉で置いておく。指が、ゆっくり動く。《心配してくれてる人へ》《誰かを傷つけるつもりはありませんでした》《説明を誰かに任せたこともありません》《必要なことは、私が話します》送信先は、クラス全体でも、SNSでもない。坂本にだけ。——広げるかどうかは、彼に委ねる。それは、丸投げじゃない。“信頼して渡す”という選択だった。少しして、既読がつく。すぐには、返事は来ない。凪は、スマホを伏せる。——これでいい。結果を、コントロールしようとしない。その頃。別の場所で、三條輝はスマホを見ていた。新しい噂が、思ったよりも、広がらない。(……止まってる?)坂本の名前が、何度か目に入る。三條は、舌打ちしそうになるのを、ぎりぎりで抑えた。——先に、語られた。しかも、感情的じゃない言葉で。正論でも、暴露でもない。“余白を残した説明”。(やりにくいな)人は、怒りや混乱には反応する。でも、落ち着いた言葉には、考える時間が生まれる。それが、一番、厄介だった。翌朝。教室の空気は、昨日より、少しだけ軽かった。坂本が、凪に近づく。「……昨日の、読んだ」凪は、うなずく。「広めた?」坂本は、
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“整えられた物語”に飲み込まれる?

職員室のドアは、軽い音を立てて閉まった。それだけで、教室とは別の世界に入った気がする。「どうぞ、座って」担任の声は、穏やかだった。凪は、椅子に腰を下ろす。背筋が、自然と伸びる。悠真は、少し後ろに立つ。坂本は、ドアの近くで様子を見ていた。——守られている。でも、代わりに話されるわけじゃない。その距離感が、今はありがたかった。「最近、クラスで」「いろいろあったと聞いています」担任は、凪を見る。「凪自身から、話してもらえる?」凪は、一瞬だけ目を伏せ、すぐに顔を上げた。「……はい」心臓の音が、うるさい。でも。ここで曖昧にしたら、“整えられた物語”に飲み込まれる。「告白されたことは、事実です」「でも、誰かを泣かせる      つもりはありませんでした」言葉を選ぶ。責めない。煽らない。「私が返事を迷っていたことが」「噂になったのだと思います」担任は、静かにうなずく。「誰かに、説明を任せた覚えは?」「ありません」凪は、はっきり言った。「代わりに話されることも」「守られる形で広められることも」「望んでいません」悠真の視線を、背中に感じる。——大丈夫。「私は」「自分の言葉で、必要な人に話します」短い沈黙。担任は、ペンを置いた。「……わかりました」その一言で、空気が、少し緩む。「学校としては」「誰かを一方的に    責めるつもりはありません」「ただ」「これ以上、憶測が広がらないよう」「クラスには、事実だけを伝えます」“事実だけ”。凪は、その言葉を胸の中で反芻する。——それで、十分だ。職員室を出ると、夕方の光が、廊下に長く伸びていた。坂本が、小さく息を吐く。「……思ってたより」「ちゃんとしてたな」悠
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私の話を勝手に“分かりやすく”しないで

昼休みの終わり。教室に戻る途中の廊下で、凪は、呼び止められた。「凪」三條輝だった。人通りは、そこそこある。でも、聞き耳を立てなければ、会話の中身までは届かない距離。——逃げられない、ちょうどいい場所。「さっきの休み時間さ」「また少し、話題になってた」三條の声は、いつも通り穏やかだ。凪は、立ち止まる。「心配してる人、多いよ」「凪が無理してるんじゃないかって」“心配”。その言葉に、胸が、わずかにざわつく。「だからさ」三條は、少しだけ身を屈める。「俺が、説明しようか?」「凪の代わりに」凪は、はっと顔を上げる。——来た。これまで、何度も示されてきた選択肢。黙るか誰かに語らせるか。「それなら」「クラスも落ち着くと思う」三條の目は、凪の反応を、静かに待っている。凪は、深く息を吸う。(ここだ)ここで、また流されたら、全部が元に戻る。凪は、ゆっくりと首を振った。「……いらない」三條の眉が、ほんのわずかに動く。「私のことを」「私の代わりに話さないで」声は震えている。でも、逃げていない。「でも、それだと——」三條が何か言いかける。凪は、遮った。「それは」「三條くんの話でしょ」その一言で、空気が、はっきり変わった。「私は」「誰かに守られてる話でも」「誰かに利用されてる話でもない」凪は、まっすぐ見る。「私の話を」「勝手に“分かりやすく”しないで」——拒絶。はっきりと、逃げ道を残さない拒絶。三條は、しばらく黙っていた。やがて、小さく息を吐く。「……そっか」声の温度が、少し下がる。「強くなったね」褒めているのか、測っているのか、判断できない声。「でも」三條は、最後に言った。「強く出ると」「それなりに、反動
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「人ってね、守る側が疲れた瞬間、一気に壊れるんだよ」

「……違う、から」凪の声が教室に落ちたあと、しばらく、何も起こらなかった。三條輝は、すぐには返事をしなかった。否定もしない。怒りもしない。ただ、じっと凪を見ている。その沈黙が、言葉よりも重かった。「そっか」やがて、三條は軽く笑った。「言えるようになったんだね」褒めるような口調。でも、その声には温度がない。凪は、無意識に拳を握る。「別に、責めてるわけじゃないよ」「ただ……気になっただけ」三條は、机に手をつき、少しだけ身を屈める。距離が近い。逃げようとすると、逃げたこと自体が“意味を持ってしまう距離”。「ねえ、凪」名前を呼ばれた瞬間、あの時の光景が、脳裏に蘇る。——教室の視線。——噂の刃。「悠真に守られるのは、楽?」その言葉は、優しさの皮をかぶっていた。凪は、すぐに答えられない。「悪い意味じゃないよ」「ああいうタイプ、安心するでしょ」三條は続ける。「自分で決めなくていい」「自分で説明しなくていい」「誰かが前に立ってくれる」——ズキリ、と胸が痛む。それは、凪が一番触れられたくなかった部分だった。「でもさ」三條の声が、少しだけ低くなる。「それっ、いつまで続けるの?」凪は、顔を上げる。「人ってね、守る側が疲れた瞬間、 一気に壊れるんだよ」淡々とした声。まるで、経験談のように。「そのときさ、 守られてた人は、何も残らない」——違う。そう言いたいのに、言葉が追いつかない。三條は、凪の反応を逃さない。「今のクラスの空気も、そう」「誰が悪いか、もう決めたがってる」「悠真が立ったことで」「余計にね」その言葉に、凪は息を詰める。「だからさ」三條は、まっすぐ凪を見る。「凪がどうしたいのか」「ちゃんと考
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迷惑なんじゃなくて……悔しい

凪は、昇降口の陰に身を潜めるように座り込んでいた。校舎を満たす放課後のざわめきが、今日はやけに遠い。(なんで……私なんかに……)三条の告白。――「俺は凪を泣かせたりしない。守りたいと思ってる」クラスがどよめき、スマホを構える子すらいた。その数秒後から噂は一気に燃え上がり、三条のファンの女子たちは一斉に凪を睨みつけた。「なんでよりによって“あの子”なの?」「地味な癖に調子乗ってない?」「三条くんの好感度下げないでくれる?」全部、聞こえていた。笑い声も、ため息も、嫉妬の視線も――ぜんぶ、凪の胸に突き刺さる。(もう……どこにいたらいいのかわからない)俯いた視界に、涙が一滴落ちた。その瞬間、影が差し込んだ。「……凪」凪は、びくっと肩を震わせる。聞き慣れた声。だけど、いつもよりずっと深くて、揺らいでいた。悠真が立っていた。「探した。どこにもいなくて……」凪は慌てて涙を拭った。「……ごめん……なんか、いろいろ迷惑かけて……」「迷惑なんて思ったこと、一度もない」悠真は凪の前にしゃがみ込み、目線を合わせた。その瞳は、まっすぐで、苦しそうで、でも優しい。「俺が……守れなかったから、泣かせた。 だから、迷惑なんじゃなくて……悔しい」凪の胸が痛む。でも、同時に少しだけほどけていく。「……悠真のせいじゃ……」「俺は嫌だ」凪の言葉を遮るように、悠真は言った。「凪がひとりで抱えて泣くの、もう見たくない。 噂にも、女子の嫌味にも、三条にも…… 全部に怯えてる凪を見るのが……俺は、いちばん嫌なんだ」声が震えている。「俺が言わなきゃいけなかったんだ。 “凪は俺にとって大事な人だから、勝手に傷つけるな”って」凪は
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詩織、あなたがいてくれて、よかった。

出張で訪れた街の駅に降り立ったとき、胸の奥がふっとざわめいた。石畳の道、店先から漂う甘い醤油の香り、観光客のはしゃぐ声。──この匂い、この音、この空気。高校二年の修学旅行で過ごした日が、波紋のように広がって私の中へ戻ってくる。あの時の経験が、今の私の仕事の原点になっているなんて、当時の私は夢にも思わなかった。大変で、正直、泣きたくなるほどの出来事だったのに。それでも今では、ただただ感謝でしかない。あの日がなければ、私はきっと、今の私になっていない。高校二年の私は、教室で目立たないほうだった。クラスの中心で笑いをとるタイプでもなく、運動が得意でもない。テストで上位に食い込むわけでもなく、「私は、いてもいなくても同じかもしれない」と心のどこかで思っていた。修学旅行の班分けが決まった日もそうだ。誘われたというより、余ったピースが空いた枠にすべり込むみたいに、なんとなくその班に入った。笑い声の輪の内側に立っていても、心だけが半歩外にいるような、そんな置き去り感を抱えていた。──そして迎えた修学旅行。観光地をいくつか回り、写真を撮って、お土産を見て回り、歩き疲れてベンチに座ったときだった。ふと周りを見渡すと、ひとりがいないことに気付く。美咲。その名前が、私の喉の奥でひっかかる。「え、どこいった?」「さっきまで一緒にいたよね?」笑い声が途切れ、空気が一段暗くなる。集合時間まで、あと三十分。焦りが胸の内側を爪でかく。まずは連絡──。私はスマホを取り出し、LINEで「どこ?」と送る。スタンプも押した。電話もかけた。でも画面に表示されるのは、無機質な「未読」。そして「応答なし」。「やばくない?」
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正しさのデパートと、音の色

朝のチャイムが鳴る。窓の外はやわらかな青。なのに教室の中は、今日も灰色に沈んでいる。起立、礼、着席。動きはそろうのに、心はどこかそろわない。担任が出欠をとる。「提出物の締切は昨日。まだの者はこのあと来ること。」「連絡事項は掲示と配布プリントを各自確認するように。」1限目。チョークの粉が白く舞い、黒板の文字はまっすぐ並ぶ。「ここ線引け」「ここ重要」「ここ覚えろ」ノートの罫線には同じ大きさの文字が並び、ページが隙間もなく埋まっていく。(これ、あと何回繰り返すんだろう)2限目が終わる。休み時間。同じ会話が、また教室に流れる。「次の小テスト、やばいな」「宿題、間に合った?」「マジでだるい」——昨日も聞いた、たぶん明日も聞く言葉たち。蛍光灯はジジ、と小さくうなり、時計は同じ音で時を刻む。窓の外は澄んだ青なのに、教室だけは色が抜けたままだ。クラスメイトの佐藤が近づいてきた。「おい、先生が呼んでるぞ」「……俺? 何かしたか?」心当たりはない。胸の奥にざわめきが広がる。職員室。紙の匂いと、印刷機の低い唸りが途切れ途切れに続く。机の向こうで先生が顔を上げた。視線は冷たい。「提出物、締切は昨日だ。お前、まだ出していないな」「はい……すみません。今ここに持ってきました。これから——」声が一段低くなる。「遅れた時点で提出したとは言わん。規則は規則だ。 学校は社会の縮図だ。ここで守れない者は、社会に出ても通用せんぞ!」机をドンと叩く音が響いた。空気が揺れる。心臓の鼓動が耳の奥でガンガン鳴っていた。「……俺、本当にここまで責められることをしたのか?」教室へ戻ると、同じ会話が待っている。「で、どうだった」「
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ずるい、じゃない。怖いんだと思う。

校門を出た瞬間、空気が少しだけ軽くなった。でも、それは安心とは、違う。凪は、夕焼けに染まる道を歩きながら、胸の奥に残るざらつきを感じていた。——学校では、終わった。けれど。(終わらないものも、ある)スマホが震える。グループ通知。知らない名前が、いくつか並んでいる。《ねえ、聞いた?》《先生には、ああ言ったらしいよ》《結局、どっちが本当なんだろ》凪は、画面を伏せた。——始まった。悠真も、坂本も、同じようにスマホを見ているのがわかる。凪は、歩みを止める。「ね」「私、ちゃんと話したよね」声は、小さい。でも、確かめるような響きがあった。悠真は、すぐに答える。「話した」「逃げなかった」坂本も、少し遅れて続ける。「だから、これ以上は」「凪の責任じゃない」その言葉に、胸が、少しだけ楽になる。でも。(それでも、噂は回る)そのとき。道の向こうに、三條輝の姿が見えた。友達数人に囲まれて、楽しそうに笑っている。一瞬、視線が合う。三條は、軽く手を挙げた。——何も知らない、という顔で。凪は、目を逸らす。(学校の中では、動けない)だから。(外で、形を変える)そのことを、はっきり理解した。坂本が、歯を食いしばる。「……ずるいな」凪は、首を振る。「ずるい、じゃない」「怖いんだと思う」坂本は、驚いた顔をする。「主導権が、戻らないのが」三條は、学校の中では、もう動けなかった。だから今、“空気”を使おうとしている。——でも。凪は、立ち止まった。「ね」「私、もう黙らない」悠真と坂本が、振り返る。「全部を説明するわけじゃない」「でも、歪んだ話を」「放ってはおかない」悠真は、静かにうなずく。「俺も、横にいる」坂本は、少し笑
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誰かの味方になるということは、 同時に、誰かの視界に入るということ

坂本が席に戻ったあと、教室は、いつも通りの音に戻った。椅子を引く音。ノートを閉じる音。誰かの笑い声。でも、凪にはわかっていた。——さっきまでとは、違う。坂本が話し掛けたことで、この出来事は、ただの空気の揺れじゃなくなった。(戻っていいのかな……)凪がそう思った瞬間。「坂本」静かな声が、教室の後ろから落ちた。三條輝だった。呼び方は、いつも通り。声も、穏やか。でも。その場にいる全員が、無意識に耳を澄ませたのがわかった。「さっき、凪と話してたよね」坂本は、一瞬だけ動きを止めてから、振り向く。「ああ、うん」軽く返したつもりだった。でも、声が少し硬い。「何の話?」三條は、首をかしげる。「別に、 詮索したいわけじゃないんだけどさ」そう前置きしてから、続ける。「最近、みんなピリピリしてるでしょ」「変に誤解が広がるの、よくないなって」凪の胸が、ざわつく。——来た。三條は、坂本を責めていない。でも、場を三條のペースに戻そうとしている。坂本は、少し考えてから言った。「誤解、っていうか」一拍。「俺は、凪さんが ちゃんと話してたって思っただけ」教室の空気が、きしむ。三條の目が、ほんのわずかに細くなる。「ちゃんと、って?」坂本は、視線を逸らさない。「自分の言葉で、って意味」それは、三條の論理に、真っ直ぐ当たる言葉だった。「ふうん」三條は、笑う。「でもさ」「一部しか話してないのも、 事実だよね」凪の心臓が、跳ねる。(坂本くん……)坂本は、少しだけ言葉に詰まる。その“間”を、三條は逃さない。「ほら」「だから、みんな迷ってる」「誰を信じればいいか」その言葉は、坂本に向けたもののようで、実は教室全体に向けられて
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味方って、 最初から隣に立つ人じゃない

昼休みの終わり。凪は、教室の自分の席で、窓の外を見ていた。はっきりと拒絶し、言葉にした。——でも。世界が劇的に変わったわけじゃない。視線は、まだ感じる。噂も、完全には消えていない。ただ。昨日までの「決めつける空気」だけが、少しずつ、形を失っていた。「……なあ」背後から、声がした。凪は、一瞬だけ肩を強張らせてから、ゆっくりと振り返る。そこに立っていたのは、あのとき三條と話していた男子、坂本だった。坂本は、「凪さん、さぁ~」そう言って、照れたように頭をかく。坂本を見た瞬間、凪は、不思議な感覚に包まれた。今まで“クラスメイトの男子”“空気の一部”だった存在が、急に、一人の人間になった。「昨日のことさ」坂本は、少し声を落とす。「正直、 どう言えばいいか迷ったんだけど」凪は、何も言わず待つ。「凪さん、 ちゃんと自分の言葉で話してたよね」「それって、すごいと思った」胸の奥が、きゅっと鳴る。「三條くんの言い方もさ」「悪気ないんだろうけど……」「なんか、決めつけてる感じがして」坂本は、視線を泳がせる。「俺さ」「いままで、ただ空気に流されてた」正直な言葉だった。「でも、凪さんが拒否したの見て」「……あ、これは、 俺、ただ黙ってた側じゃいけないって 感じた」凪は、言葉を探す。感謝でも、謝罪でもない、何か。「……ありがとう」結局、出てきたのは、その一言だった。坂本は、少し驚いてから、笑う。「いや、別に」「味方とか、そういうんじゃなくて」一拍、置いて。「ただ、ちゃんと見てたいだけ」その言葉は、凪の胸に、静かに染み込んだ。——味方って、——最初から隣に立つ人じゃない。ちゃんと見て、ちゃんと考えて、遅れて
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彼女は、 まだ何も壊していない

三條輝は、自分の机に座りながら、何度も同じ一点を見つめていた。——おかしい。凪は、拒んだ。はっきりと、言葉で。それ自体は、想定内だった。多少は強くなるだろう、とも思っていた。でも。(迷わなかった)そこが、想定外だった。「……」三條は、ペンを指で転がす。彼の中で、これまでの凪は「揺れて、迷って、   選ばされる側」だった。守られるか。黙るか。誰かに語らせるか。どれを選んでも、主導権は、彼女の手には残らない。——はずだった。休み時間。女子たちの会話が、耳に入る。「凪、さっきの言い方」「ちょっとびっくりした」「でもさ」「ちゃんとしてたよね」三條の指が、ぴたりと止まる。“ちゃんとしてた”。評価が、変わり始めている。それは、空気が“動いた”ということだ。(……面倒だな)胸の奥に、じわりと、苛立ちが広がる。怒りではない。焦りに近い。「三條」声をかけられて、顔を上げる。クラスメイトの男子だった。「凪の件さ」「もう、いいんじゃない?」軽い口調。その言葉は、三條の神経を逆なでした。——もう、いい?「何が?」問い返す声が、驚くほど低い。「いや、だって」「本人もちゃんと話してるし」“ちゃんと”。三條は、小さく笑う。「……そう見える?」男子は、少し戸惑う。「だって、あれ以上何を——」「何も」三條は、遮る。「何も、言ってないよ」そう言ってから、自分の言葉に、わずかに眉をひそめる。——言い過ぎた。三條は、いつもの表情に戻る。「たださ」「人って、簡単に安心するでしょ」「“話した”ってだけで」「全部、解決した気になる」男子は、曖昧に笑って去っていく。三條は、机に肘をついた。(凪……)彼女は、まだ何も壊していな
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空気は放っておくと、勝手に形を決める

放課後の昇降口。三條輝は、靴を履き替えながら、何気ない顔でスマホを眺めていた。画面に表示されているのは、クラスの非公式グループチャット。——未読、十二。「早いな」小さく、そう呟く。彼は、昨日の教室での空気を思い出す。凪が、声を出した瞬間。悠真が、一歩引いた瞬間。——流れが変わった。だからこそ。「ちょっと、整えないと」三條は、指先で短い文章を打つ。昨日の件、誤解も多いみたいだからさ誰が何を言ったのか、ちゃんと知ってる人いる?名前は出さない。断定もしない。ただ、問いを投げる。それだけで、人は勝手に考え始める。——誰が嘘をついているのか。——誰が被害者なのか。スマホをポケットにしまい、三條は階段を下りる。その途中、二人の女子がひそひそ話しているのが聞こえた。「でもさ、凪って結局」「自分では、はっきり言ってないよね」「悠真が前に出なかったら」「どうなってたんだろ」三條は、足を止めない。——いい。その程度でいい。完全に追い込む必要はない。必要なのは、疑いを残すこと。翌日。教室の空気は、前日よりも静かだった。誰も、凪を直接責めない。でも、誰も、積極的に近づかない。「……」凪は、自分の席で、ノートを開いたまま、動けずにいた。(昨日より、静か……)それが、余計に怖い。悠真は、少し離れた席から、何度か視線を送ってくる。でも、前みたいに、すぐ近くには来ない。——距離を、守っている。その配慮が、今は少しだけ、心細い。休み時間。後ろの席から、声が落ちてくる。「三條くん、昨日のこと詳しいらしいよ」「全部、見てたって」凪の指が、止まる。(……三條くん)名前を聞くだけで、胸が、ひやりとする。そのとき。三條が
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凪が立つ場所を、俺が奪うなら、それは、守ってるって言わない

放課後の廊下は、妙に長く感じた。悠真は、先生の後ろを歩きながら、自分の足音だけが響いている気がしていた。——やりすぎたのか?教室で立ち上がった瞬間のことを、頭の中で何度もなぞる。凪を守った。ただ、それだけのつもりだった。でも。「正義」も「正論」も、学校という場所では、必ずしも歓迎されるものじゃない。職員室の前で、立ち止まる。「三條くんからも話は聞いた」先生の声は、淡々としている。「君が強く出たことで、 クラスの空気が一気に固まった」「結果的に、 凪さんを孤立させる形になった可能性もある」悠真は、言葉を失う。——そんなつもりは、なかった。「守ることと、前に出ることは違う」「それを、覚えておいてほしい」説教ではない。注意でもない。ただ、責任を置いていく言い方。「今日は、これでいい」「戻りなさい」廊下に出た瞬間、悠真は大きく息を吐いた。胸の奥が、重い。(俺は……)凪を見たとき、考える前に体が動いた。でも。その行動が、凪の立つ場所を、さらに狭くしたのだとしたら。——守ったつもりで、奪っていた?教室に戻ると、すでに人影はまばらだった。窓際の席に、凪がいる。悠真は、少し迷ってから近づく。「……大丈夫か」凪は、顔を上げる。昨日より、ほんの少しだけ、目が違った。「うん」即答じゃない。でも、逃げていない。「今日、話してたね」凪は、小さく笑う。「怖かった」「でも……黙るよりは、よかった」悠真は、胸が詰まる。「俺さ」言葉を選ぶ。「守ったつもりだった」「でも……それで、 余計なことになったかもしれない」凪は、少し驚いたように目を瞬かせる。「悠真が、悪いわけじゃない」「でも」悠真は続ける。「凪が立つ場所
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黙っていたら、また誰かが決める

翌朝。教室に入った瞬間、凪はそれを感じた。——昨日とは、違う。視線がある。でも、向けられているのに、合わない。話し声はある。でも、凪が近づくと、少しだけ音量が下がる。「……おはよう」小さく挨拶をすると、二、三人が、ワンテンポ遅れて返してくる。それだけ。それ以上でも、それ以下でもない。(大丈夫……)凪は自分に言い聞かせる。誰も、何も言ってこない。直接、責められているわけじゃない。なのに。胸の奥が、ずっとざわついていた。席に着くと、前の席の女子が、ひそっと友達に耳打ちする。「昨日の、見た?」「三條くんと話してたよね」声は小さい。でも、凪にははっきり聞こえた。「結局、どっちなの?」「守られてるのか、利用してるのか」——利用。その言葉が、刺さる。凪は、俯いて教科書を開く。文字が、頭に入らない。(違う……)でも。違う、と言うには、昨日も、今日も、まだ足りない。悠真は、まだ来ていなかった。それが、余計に不安を煽る。——今日は、守ってくれる人はいない。チャイムが鳴る直前、後ろの席から、声が落ちてきた。「ねえ」振り向くと、クラスでも目立つ女子が立っている。敵意をむき出しにするタイプじゃない。むしろ、誰からも好かれる側。だからこそ、怖い。「はっきりさせたほうが   いいと思うんだけど」周囲が、しんと静まる。「悠真くんのこと」「三條くんのこと」「……あと、噂のこと」凪の心臓が、大きく鳴る。「私たち、   巻き込まれてる感じするんだよね」「クラスの空気、変わったし」“私たち”。その言葉で、凪は理解する。——これは、個人の問題じゃない。「別に責めてるわけじゃないよ?」そう前置きして、彼女は続ける。「で
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白か黒かじゃない教室

朝の教室。千尋は席に鞄を置き、隣の美咲に声をかけた。「……おはよう」けれど、美咲は後ろの友達と話に夢中で、その声に気づかない。千尋の胸に小さな痛みが走った。(無視された? やっぱり私って嫌われてるのかな)不安がじわりと広がっていった。昼休み。美咲は友達と机を寄せ合いながら笑っていた。ふと千尋の方を見て、軽い調子で言う。「千尋って、私たちと食べたくないのかな」その一言に周りがクスクス笑う。千尋は慌てて首を横に振ったが、声は出なかった。(違うのに……みんなに迷惑かけたくなかっただけなのに)胸の奥に孤独感が積もっていく。放課後の音楽室。夕日が窓から差し込み、オレンジ色の光が床を染めていた。前にはグランドピアノ。生徒たちは譜面を手に立ち並び、声を合わせていた。だが、その中で千尋の声だけがかすれて消えていく。指が震え、譜面がはらりと床に落ちた。「千尋、もっと声出して! やる気あるの?」美咲の鋭い声が響いた。千尋は立ったまま顔を伏せ、肩を震わせた。「……ごめんなさい。どうせ私なんて、  いないほうがいいんだ」音楽室がしんと静まり返る。誰も動けず、千尋のすすり泣きだけが夕日の中に響いた。健太が一歩近づき、低い声で言った。「千尋……そんなこと言うなよ」美咲は拳を握りしめ、胸の奥が痛んだ。(私、何してるんだろう。 千尋の声は優しくて好きだったのに。 完璧じゃなきゃダメって思って、責めてばかりで…)そのとき、音楽室のドアが開いた。藤村先生が顔をのぞかせ、泣いている千尋と立ち尽くす生徒たちを見て眉を寄せた。「……おい、どうした? 何があったんだ」誰も答えられない。千尋のすすり泣きだけが響く。先生はし
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