空気は放っておくと、勝手に形を決める
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コラム
放課後の昇降口。
三條輝は、靴を履き替えながら、
何気ない顔でスマホを眺めていた。
画面に表示されているのは、
クラスの非公式グループチャット。
——未読、十二。
「早いな」
小さく、そう呟く。
彼は、昨日の教室での空気を思い出す。
凪が、声を出した瞬間。
悠真が、一歩引いた瞬間。
——流れが変わった。
だからこそ。
「ちょっと、整えないと」
三條は、指先で短い文章を打つ。
昨日の件、誤解も多いみたいだからさ
誰が何を言ったのか、
ちゃんと知ってる人いる?
名前は出さない。
断定もしない。
ただ、問いを投げる。
それだけで、
人は勝手に考え始める。
——誰が嘘をついているのか。
——誰が被害者なのか。
スマホをポケットにしまい、
三條は階段を下りる。
その途中、
二人の女子が
ひそひそ話しているのが聞こえた。
「でもさ、凪って結局」
「自分では、はっきり言ってないよね」
「悠真が前に出なかったら」
「どうなってたんだろ」
三條は、足を止めない。
——いい。
その程度でいい。
完全に追い込む必要はない。
必要なのは、
疑いを残すこと。
翌日。
教室の空気は、前日よりも静かだった。
誰も、凪を直接責めない。
でも、誰も、積極的に近づかない。
「……」
凪は、自分の席で、
ノートを開いたまま、動けずにいた。
(昨日より、静か……)
それが、余計に怖い。
悠真は、少し離れた席から、
何度か視線を送ってくる。
でも、前みたいに、すぐ近くには来ない。
——距離を、守っている。
その配慮が、
今は少しだけ、心細い。
休み時間。
後ろの席から、声が落ちてくる。
「三條くん、昨日のこと詳しいらしいよ」
「全部、見てたって」
凪の指が、止まる。
(……三條くん)
名前を聞くだけで、
胸が、ひやりとする。
そのとき。
三條が、
自然なタイミングで声をかけてきた。
「ねえ、凪」
周囲の視線が、集まる。
「ちょっと、話せる?」
断れない。
断ったら、それだけで“意味”がつく。
凪は、小さくうなずく。
廊下の端。
人目はあるけど、
聞き耳を立てなければ、
内容までは届かない距離。
「昨日さ」
三條は、穏やかな声で言う。
「凪、ちゃんと話そうとしてたよね」
凪は、驚いて彼を見る。
「でも」
一拍、間。
「全部は、言ってない」
責める口調じゃない。
事実を並べるだけ。
「だから、クラスも迷ってる」
「信じたいけど、判断材料が足りない」
——判断材料。
凪は、唇を噛む。
「俺はさ」
三條は続ける。
「凪が悪いとは、思ってない」
本心かどうか、
判断できない声。
「でも、空気は放っておくと」
「勝手に形を決める」
「それって、怖いでしょ」
凪は、何も言えない。
三條は、少しだけ距離を取る。
「だから」
「凪が全部話すか」
「誰かが代わりに話すか」
その“誰か”が、
誰を指しているのか。
言わなくても、わかる。
「選ぶのは、凪だよ」
三條は、微笑む。
でもその笑顔は、
逃げ道を示しているふりをした、
袋小路だった。
三條が去ったあと、
凪は、しばらくその場から動けなかった。
——全部話す?
——それで、誰かが傷ついたら?
——黙っていたら、また決められる。
教室の窓から、
空を見上げる。
青すぎて、
目が痛い。
(私……)
守られるだけでも、
試されるままでも、ない。
凪の中で、
何かが、はっきりと形を持ち始めていた。
——次は、拒む番だ。
三條の思惑とは、
少しだけ、違う方向へ。