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「人ってね、守る側が疲れた瞬間、一気に壊れるんだよ」

「……違う、から」凪の声が教室に落ちたあと、しばらく、何も起こらなかった。三條輝は、すぐには返事をしなかった。否定もしない。怒りもしない。ただ、じっと凪を見ている。その沈黙が、言葉よりも重かった。「そっか」やがて、三條は軽く笑った。「言えるようになったんだね」褒めるような口調。でも、その声には温度がない。凪は、無意識に拳を握る。「別に、責めてるわけじゃないよ」「ただ……気になっただけ」三條は、机に手をつき、少しだけ身を屈める。距離が近い。逃げようとすると、逃げたこと自体が“意味を持ってしまう距離”。「ねえ、凪」名前を呼ばれた瞬間、あの時の光景が、脳裏に蘇る。——教室の視線。——噂の刃。「悠真に守られるのは、楽?」その言葉は、優しさの皮をかぶっていた。凪は、すぐに答えられない。「悪い意味じゃないよ」「ああいうタイプ、安心するでしょ」三條は続ける。「自分で決めなくていい」「自分で説明しなくていい」「誰かが前に立ってくれる」——ズキリ、と胸が痛む。それは、凪が一番触れられたくなかった部分だった。「でもさ」三條の声が、少しだけ低くなる。「それっ、いつまで続けるの?」凪は、顔を上げる。「人ってね、守る側が疲れた瞬間、 一気に壊れるんだよ」淡々とした声。まるで、経験談のように。「そのときさ、 守られてた人は、何も残らない」——違う。そう言いたいのに、言葉が追いつかない。三條は、凪の反応を逃さない。「今のクラスの空気も、そう」「誰が悪いか、もう決めたがってる」「悠真が立ったことで」「余計にね」その言葉に、凪は息を詰める。「だからさ」三條は、まっすぐ凪を見る。「凪がどうしたいのか」「ちゃんと考
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試すみたいなやり方は、もう、通じない

教室の空気は、張りつめたままだった。三條と坂本のあいだに落ちた沈黙は、誰かが咳をするまで、解けなかった。坂本は、何事もなかったようにノートを開く。でも、ペン先が、わずかに震えている。——怖い。それでも、引かない。凪は、その横顔を見て、胸が痛くなる。(……私のせいだ)そう思った瞬間だった。「ちょっといい?」低い声。悠真が、立ち上がっていた。教室中の視線が、一斉にそちらへ集まる。悠真は、三條を見る。真正面から。「さっきのやり方さ」声は荒れていない。怒鳴ってもいない。でも、逃げ道もない。「坂本に言う必要、あった?」三條は、驚いたように目を瞬かせる。「必要、って?」「“目立つと疲れる”ってやつ」悠真は、一歩だけ前に出る。「それ、忠告じゃない」「圧だよ」教室が、静まり返る。——ついに、言葉にした。三條は、すぐに反論しなかった。しばらくして、口元に薄い笑みを浮かべる。「守ってるつもり?」その問いは、悠真に向けられているようで、実は凪に突き刺さる。悠真は、視線を逸らさない。「うん」「守ってる」即答だった。「坂本も」「凪も」一瞬、空気が止まる。「でも」悠真は、続ける。「前に立つのは、凪だ」「俺は、横にいるだけ」その言葉で、凪の胸が、熱くなる。——奪わない。——代わらない。「空気を回したいなら」「ちゃんと話そう」悠真は、三條を見る。「試すみたいなやり方は」「もう、通じない」三條は、数秒、黙ったままだった。やがて、肩をすくめる。「……強くなったね」それは、褒め言葉にも、皮肉にも聞こえた。「いいよ」「今回は、引く」三條は、席に戻る。引いたように見える。でも、凪にはわかる。——これは、撤退じゃない。た
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空気は放っておくと、勝手に形を決める

放課後の昇降口。三條輝は、靴を履き替えながら、何気ない顔でスマホを眺めていた。画面に表示されているのは、クラスの非公式グループチャット。——未読、十二。「早いな」小さく、そう呟く。彼は、昨日の教室での空気を思い出す。凪が、声を出した瞬間。悠真が、一歩引いた瞬間。——流れが変わった。だからこそ。「ちょっと、整えないと」三條は、指先で短い文章を打つ。昨日の件、誤解も多いみたいだからさ誰が何を言ったのか、ちゃんと知ってる人いる?名前は出さない。断定もしない。ただ、問いを投げる。それだけで、人は勝手に考え始める。——誰が嘘をついているのか。——誰が被害者なのか。スマホをポケットにしまい、三條は階段を下りる。その途中、二人の女子がひそひそ話しているのが聞こえた。「でもさ、凪って結局」「自分では、はっきり言ってないよね」「悠真が前に出なかったら」「どうなってたんだろ」三條は、足を止めない。——いい。その程度でいい。完全に追い込む必要はない。必要なのは、疑いを残すこと。翌日。教室の空気は、前日よりも静かだった。誰も、凪を直接責めない。でも、誰も、積極的に近づかない。「……」凪は、自分の席で、ノートを開いたまま、動けずにいた。(昨日より、静か……)それが、余計に怖い。悠真は、少し離れた席から、何度か視線を送ってくる。でも、前みたいに、すぐ近くには来ない。——距離を、守っている。その配慮が、今は少しだけ、心細い。休み時間。後ろの席から、声が落ちてくる。「三條くん、昨日のこと詳しいらしいよ」「全部、見てたって」凪の指が、止まる。(……三條くん)名前を聞くだけで、胸が、ひやりとする。そのとき。三條が
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黙っていたら、また誰かが決める

翌朝。教室に入った瞬間、凪はそれを感じた。——昨日とは、違う。視線がある。でも、向けられているのに、合わない。話し声はある。でも、凪が近づくと、少しだけ音量が下がる。「……おはよう」小さく挨拶をすると、二、三人が、ワンテンポ遅れて返してくる。それだけ。それ以上でも、それ以下でもない。(大丈夫……)凪は自分に言い聞かせる。誰も、何も言ってこない。直接、責められているわけじゃない。なのに。胸の奥が、ずっとざわついていた。席に着くと、前の席の女子が、ひそっと友達に耳打ちする。「昨日の、見た?」「三條くんと話してたよね」声は小さい。でも、凪にははっきり聞こえた。「結局、どっちなの?」「守られてるのか、利用してるのか」——利用。その言葉が、刺さる。凪は、俯いて教科書を開く。文字が、頭に入らない。(違う……)でも。違う、と言うには、昨日も、今日も、まだ足りない。悠真は、まだ来ていなかった。それが、余計に不安を煽る。——今日は、守ってくれる人はいない。チャイムが鳴る直前、後ろの席から、声が落ちてきた。「ねえ」振り向くと、クラスでも目立つ女子が立っている。敵意をむき出しにするタイプじゃない。むしろ、誰からも好かれる側。だからこそ、怖い。「はっきりさせたほうが   いいと思うんだけど」周囲が、しんと静まる。「悠真くんのこと」「三條くんのこと」「……あと、噂のこと」凪の心臓が、大きく鳴る。「私たち、   巻き込まれてる感じするんだよね」「クラスの空気、変わったし」“私たち”。その言葉で、凪は理解する。——これは、個人の問題じゃない。「別に責めてるわけじゃないよ?」そう前置きして、彼女は続ける。「で
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噂で人を傷つけるの、楽しい?

教室の空気が、少しだけ変だった。誰かが見ている。誰かが、話すのをやめる。凪が席についた、その一瞬だけ。——来る。理由はわからないのに、凪の胸はそう告げていた。「ねえ」背後から、女子の声。振り向く前に、教室の視線が一斉に集まるのがわかった。その中心に、自分が立たされている感覚。「三條くんに告白されたんでしょ?」静かな声だった。でも、その一言は、教室の空気を切り裂くには十分すぎた。「なんで、よりによってあの子なの?」別の女子が笑う。笑っているのに、目は笑っていない。「悠真のことも泣かせたらしいじゃん」「可哀想なのは、どっちなの?」凪の頭が、真っ白になる。違う。そんなつもりじゃない。何も、してない。言葉は、喉の奥で凍りついた。「……黙ってるってことは、図星?」誰かが、そう言った。その瞬間だった。椅子が音を立てて引かれる。悠真が立ち上がる。「それ以上、言うな」低い声だった。怒鳴っていないのに、教室が静まり返る。「凪は、何も悪くない」「本人が何も言ってないのに?」「守ってるつもり?」女子の声は、挑発的だった。悠真は、一歩前に出る。「泣いた理由も」「学校に来れなかった理由も」「全部、俺が知ってる」凪は、はっと顔を上げた。知られたくなかった。でも——守られている、と思ってしまった。「噂で人を傷つけるの、楽しい?」その一言で、空気が凍る。先生が入ってくるまで、誰も動けなかった。凪は、気づく。もう、この事件は二人だけの問題じゃない。クラス全体が、この関係を“裁こう”としている。——逃げ場は、もうない。それでも。悠真の背中が、凪の視界から消えなかった。怖い。でも。一人で立たされていない、その事実だ
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