僕が、僕の本音を見つけるまで。〜長野・八ヶ岳編②

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休みになると、よく寮の近くを散策していた。
付近には手付かずの自然が多く残っており、ただ歩くだけでも楽しかった。
その中でもお気に入りだったのは、森の中を抜けると突如現れる池だった。
そこは、標高が1600メートルの場所に位置しており、その場所に向かって何本かの遊歩道が整備されていた。
僕が訪れたのは、紅葉の折り返し時期で、緑の木と枯れ木が混在していた。
昼間は、池に太陽光が反射して周囲の木々を明るく照らしており、夜になると満点の星空と数台の人工衛星が確認できた。
木々の後ろからは、赤岳などの高山も顔を覗かせ、まるで大自然の欲張りセットのように感じられた。
僕は時間が出来るたびにその場所に行き、ただ池をボーッと眺めるという贅沢な時間を過ごした。
しばらく見ていると、まるで自分が、自然の中に溶け込んでいくような感覚になるのが好きだった。
仕事で溜まったストレスも浄化されていく気がして、とても心地よかった。
これほど美しい場所がなぜあまり知られていないのかと不思議に思ったが、1人きりで過ごせるので僕には好都合だった。

ところで、自然が大好きな僕なのだが、少し前まで、自分を都会好きだと思って疑わなかった。
都会の煌びやかな刺激だけが、自分の孤感や寂しさを紛らわしてくれると感じ、渋谷や新宿に足繁く通った時期もあった。
しかし今は、都会の灰色の景色も人混みも大っ嫌いだ。
電車でたまたま通る時は、気が詰まりそうなこともある。
この極端な変化は、前回の宮古島での生活を終えてから起こったことだった。
島での激務や初めての熱帯の環境に置かれることで、生きる為になりふり構っていられなくなり、底力みたいなものが出たのだと思う。
毎日、目の前のことに必死になるうちに、自分の中の古い感覚が削ぎ落とされていき、価値観がニュートラルに戻ったのだった。

僕は、「好きなことやる」という事と「自分を大切にする」という事は、ほぼ同義だと思っている。
現代社会では、知らず知らすのうちに、外側からの影響などで自分の本音が見えにくくなってしまうことが多い。
しかし人間は、やりたい方向に行動していくことで、自分の心を覆っている「本音を隠すベール」のようなものをどんどん外していける。そして、自分の心が求めている方向に進んでいけるようになるのだ。



続く。

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