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僕が、僕の本音を見つけるまで。さいごに。

「人生は何があるかわからない。」ありがたい事に、この1年で、昔からは想像もできない経験をたくさんしてきた。いいことも悪いことも含め、自分を回復させる材料となってくれた。不思議だが、終わってから思い返すと、辛かった記憶も、すべてが意味のあったことのように思える。思い返せば、最初の1歩はなかなか出なかった。脱サラした頃だ。ぼんやりと宮古島に行きたいと思っても、怖くて行動できなかった。全く知らない土地で、知り合いもいない環境で、自分1人で生きていける気がしなかった。あの時は、カウンセラーが何度も何度も、手を変え、品を変えて、説得を試みてくれたおかげで、1歩目を踏み出せた。その節は、本当に感謝しかない。僕は、中学生頃から、自分の生きずらさを発端に心理学を学んでいた。日に日に、知識は増えて行ったのだが、自分の変化はほとんど起きなかった。その度に、原因を考えて、試行錯誤しては、新しい方法を試し、結局、失敗していた。いつも「またか。」と落ち込んだ。しかし、少し時間が経つと、また新たな知識を見つけてきて、「これなら変われるかもしれない」と淡い期待を抱き、ぶつかっていった。そして、その度に返り討ちにあっていた。行動しただけ良しと思いたいが、手元には「絶望」だけが残り、いつもマイナスな気分だった。そして、「自分の理解者はいない」と思い込み、誰にも相談できず、一人孤独になっていった。心理学にも、世の中にも裏切られた気分になっていて、この時はもうどうしようもなかった。当時の自分に言いたいのだが、人の変化の本質は、心理学の小手先のテクニックや、自己啓発本の中にはない。。いくら知識を学んでも、そもそもの人
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜雪山スノボ編②

スキー場に来てからは、平和な毎日が続いた。仕事のストレスも少なく気楽だった。思えば、1ヶ月で契約満了の予定だったが、いつの間にか、3ヶ月も延長していた。僕にとってこれは、本当に珍しい事だった。何度か住み込みのバイトを経験したが、1ヶ月経つと例外なく辛くなっていた。それは、仕事内容への飽きや、人間関係の我慢、住んでいる町への閉塞感などから生じていた。だから毎回、残りの期間は、空元気で乗り切っていた。非常にしんどかった。だから僕は、そうなることを見越して、スキー場の契約も1ヶ月からにしていた。しかし今回は、いい意味でその予想を裏切られた。仕事内容は単調であったものの、それを忘れさせてくれるほどの、人間関係の楽しさがあった。スタッフみんな、スローライフマインド(?)的なものをもっていたし、小学生ぶりくらいに、居心地が良い友達とも出会えた。久しく忘れていた、心から楽しむ感覚を思い出せた。この環境ではなかったら、僕は確実に延長していなかった。本当にかけがえのない日々だった。だからこそ、帰宅の日は寂しかった。今まで、学校の卒業式ですら、寂しさを感じたことがなかった僕だが、この時に、人間の本来の温かさを取り戻せた気がした。改めて、いい時間を過ごせた。その子たちとは、今も連絡を取り合う仲だが、いつも僕の孤独を忘れさせてくれる。しかし、1年前の僕では、この出会いは生まれなかったと思う。自分の心を優先し、外側の変化を繰り返しながら、そこで関わる人間関係の相互作用で、内的な変化が生じた結果だと思っている。自分で言うのはおこがましいが、昔の自分から比べると、考え方も感じ方もまるで変わった本当に別人にな
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編⑤

僕は、シェアハウスのオーナーにと一緒に、近所のスキー場に向かった。そこは、特別、大きいゲレンデではなかったが、地元に根ざした暖かい場所だった。僕は、オーナーに教わりながら必死に練習した。何度も転んでは立ち上がり挑んだ。半日っても成長幅が小さく感じ、「やはり難しいな」と思った。しかし、根気よく丸一日滑っていると、だんだんと成果が出てきた。そして、帰る頃にはターンができるようになった。その日はそこで終了したが、早くまた行きたいと思った。数年ぶりに苦手を克服できた気分になって、嬉しかった。その後も僕は、ゲレンデに通い詰めた。とにかく楽しかった。楽しくてしょうがなかった。値段など気にしなかった。毎回、8000円強かかったが、楽しさを優先したい気持ちが勝った。しかし、当然ではあるが、貯金はあっという間に底をつきた。少しは焦ったのだが、この時は、不思議と、そこまで不安にはならなかった。お金がなくなる恐怖より、スノボを続けたいという気持ちの方が強かったからだ。やっとここから、次の仕事を決めるモチベーションが生まれた。自分でも、スキー場の仕事なら続けらそうな気がした。山奥シェアハウスに来て約3ヶ月、終わりのないトンネルにいた気分だったが、ようやく光が見えてきた。僕は、志賀高原のスキー場に応募した。担当の方と電話で話し、すぐに採用が決まった。「やっと次へ進める。」僕は、荷物も揃わず、髪も伸び切ったまま、次の目的地に向かった。続く
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編④

次の行き先が決まらない僕は、悶々と生きていた。何かをしようにも手がつかず、ただ、自分の状況を恨めしく思っていた。そんな時、偶然にもオーナーから、「スノーボードに行かないか」と誘われた。僕は、とても迷った。なぜなら、スノボにあまりいい思い出がなかったからだ。以前、高校生の頃に1度だけいったのだが、その時は全く滑れなかった。当時はスノボの知識が無かったということもあったが、大きな原因は、初心者のくせにいきなり上級コースに向かったことだった。当時は、なぜか自分を過信しており、軽い気持ちで頂上に向かってしまったのだ。しかし実際に山頂に着くと、想像していた数倍は傾斜がきつく、思わず足がすくんでしまった。下から見上げるのと上から見下ろすのとでは、まるで景色が違く、恐ろしかった。なんとか転げ回りながら、やっとの思いで下山した。本当に恐ろしかった。そういった経緯があり、二つ返事で「行きます」とは言えなかった。一旦、考える時間が欲しかった。普段から、同じような生活に飽きていたのは事実だ。だからこそ、スノボで変化を生み出したいとも思った。しかし、どうしても過去のトラウマに足を引っ張られる。どうすればいいのか。。。僕は、1日葛藤した。そしてふと、「もし僕が、スノボに対する恐怖がなかったらどんなイメージを持っていただろうか」という問いが浮かんだ。それに対し、「楽しそう」「気持ちよさそう」「スピードが出て、爽快さを感じられそう」というポジティブな言葉が浮かんできた。その時に僕が、「スノボ自体には興味がある」ことを理解した。僕は、すぐオーナーにLINEを送った。「やっぱり連れて行ってほしいです」と。オーナ
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編③

山奥シェアハウスに来て2ヶ月が経った頃、僕は悶々としていた。何故なら、ゆっくり過ごすことに飽きてきていたからだ。最初は、疲れ切った自分を癒すために古民家シェアハウスに来たのだが、スローペースな生活の中で段々と体力が回復してきていた。僕は、そろそろ動き出したくてうずうずしていた。とは言っても、他の場所に移り住むとかいう訳ではなく、何らかの住み込みの仕事をするつもりだった。それに、貯金も尽きかけていたので、働くしかなかった。当時の預金残高は15万円程だった。進む先が決まらない焦りに加えて、お金がなくなる恐怖がのし掛かってきた。毎日、indeedの画面を開いては、「あーでもない、こーでもない」とスクロールしていた。時間をかけた割に、あまりピンとくるものは見つからなかった。何度か、無理やり仕事を決めようとしてみたが、途端に無気力が体の中を駆け巡り、それ以上進めることができなかった。僕の心は、前より自分に対して正直になっており、嫌なことに力を出せなくなっていた。前進したい気持ちと、進めない苦しさがぶつかり合って、鬱々としていた。「何なんだよ俺の人生って…」何もしないで過ぎる時間に、虚しさを感じた。この時期は、いつも目覚めが悪かった。よく嫌な夢を見ていた。全部、後味の悪い夢だった。YouTubeや音楽を聴くこともしんどかった。ファッションにもこだわりがなくなっていった。何かをしたいのに、何をしていても楽しくなかった。出口のないトンネルを、永遠と歩いているような気分だった。いつになったら光が見えるのだろう。そもそも光なんてあるのか。ここまで来たのに、なぜ停滞しているのか。本当に苦しかった。も
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編②

基本、僕はシェアハウスで、派手なこと何もせずゆっくり過ごしていた暇になったら、自然をぼーっと眺めたり、近くを散歩したりしていた。娯楽といえば、YouTubeとたまに見るNetflixくらいだった。その時は、ゆったりと過ごしているのが一番心地よく、僕の身体もそれを欲していたのがわかっていた。そんな僕に、特に何かを言ってくる人もおらず、みんないい距離感でそっとしておいてくれた。住人さん同士も、お互いを必要以上に干渉することなく、それぞれ自由に過ごしていた。自分で野菜を育てたり、アコギを弾いたり、プログラミングを書いている人もいた。僕の楽しみは、食事の時間だった。できるだけ、安く美味しく作ることを目指していた。付近にはコンビニすらなかったので、週一回、オーナーが隣町まで買い出しに連れて行ってくれた。他にも、自分たちが育てた米やサツマイモがあり、また、知り合いの農家さんが野菜をくれることもあった。米とサツマイモは食べ放題だったので、最悪、お金が無くなっても餓死することはなかった。とにかく食べ物は1番大事で、体温維持のためにも欠かせなかった。冬は、豪雪地帯になるので、家の中まで寒くなることが多く、しっかり食べないと耐えられなかった。また、寝る時は、布団の中があまりにも冷たいので、自作の湯たんぽを使っていた。ただ、正規品の湯たんぽがなかったので、500mlのペットボトルに熱湯を入れて代用した。とりあえず、足が暖まると落ち着いて眠ることができた。しかし、プラスチックなので、直接触れると熱すぎて飛び起きることもあった。他にも、シェアハウスの電気が急に止まったことがあった。原因は、近くの電線が切
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜長野・八ヶ岳編②

休みになると、よく寮の近くを散策していた。付近には手付かずの自然が多く残っており、ただ歩くだけでも楽しかった。その中でもお気に入りだったのは、森の中を抜けると突如現れる池だった。そこは、標高が1600メートルの場所に位置しており、その場所に向かって何本かの遊歩道が整備されていた。僕が訪れたのは、紅葉の折り返し時期で、緑の木と枯れ木が混在していた。昼間は、池に太陽光が反射して周囲の木々を明るく照らしており、夜になると満点の星空と数台の人工衛星が確認できた。木々の後ろからは、赤岳などの高山も顔を覗かせ、まるで大自然の欲張りセットのように感じられた。僕は時間が出来るたびにその場所に行き、ただ池をボーッと眺めるという贅沢な時間を過ごした。しばらく見ていると、まるで自分が、自然の中に溶け込んでいくような感覚になるのが好きだった。仕事で溜まったストレスも浄化されていく気がして、とても心地よかった。これほど美しい場所がなぜあまり知られていないのかと不思議に思ったが、1人きりで過ごせるので僕には好都合だった。ところで、自然が大好きな僕なのだが、少し前まで、自分を都会好きだと思って疑わなかった。都会の煌びやかな刺激だけが、自分の孤感や寂しさを紛らわしてくれると感じ、渋谷や新宿に足繁く通った時期もあった。しかし今は、都会の灰色の景色も人混みも大っ嫌いだ。電車でたまたま通る時は、気が詰まりそうなこともある。この極端な変化は、前回の宮古島での生活を終えてから起こったことだった。島での激務や初めての熱帯の環境に置かれることで、生きる為になりふり構っていられなくなり、底力みたいなものが出たのだと思う。毎日
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜長野・八ヶ岳編

宮古島での生活を終えた僕は、長野に来ていた。理由は、宮古島の海を見て山が好きだと気づいたからだ。中でも、長野の山脈に興味が湧いたので、八ヶ岳方面に向かった。次の職場は、その山脈の近くにあるホテルだった。ホテルの敷地内はとても広く、道路だけは綺麗に整備されていたが、生きた自然が多く残っていた。野生に手をつけていないせいか、鹿の群れも何度か見た。あまりの美しさに、僕の心は高揚していた。しかし、前回のホテル清掃で、なかなかハードだとは思い知らされていたが、悔しくも、またホテル清掃を選んだ。選んだのは、景観の美しさが理由だった。それ自体は大正解だったが、後に、田舎の人手不足の現実を思い知らされることになった。着いて早々、仕事が始まった。前回の経験もあり、仕事に慣れるまでに時間は要らなかった。しかし、宮古島と違う点が2つあった。それは、人手不足による仕事量の増加と、清掃スタッフの高齢化だ。1日の流れはこんな感じだった。9時に仕事開始し、そこから14時まで休憩なしで清掃をする。その後、軽く休憩をしてから、17時まで備品の補充などをして帰宅する。大まかな流れは大体こうだった。しかし、僕が来たときはちょうど繁忙期で、とても忙しかった。毎日、16時近くまで掃除をしないと終わらないので、休憩も取れず、昼食も食べられなかった。代わりに、お菓子を少しつまむ程度食べて凌いだ。毎日ヘトヘトで帰宅した。何度も、とんでもない場所に来てしまったと後悔した。自然が綺麗ではなかったら、すぐにやめていた。また、高齢スタッフのハラスメントも酷かった。ある70歳過ぎの女性スタッフの方と同じチームになることが多かったのだが
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エクストラスペシャルビター#8

こんにちは日本列島が冷蔵庫のように冷えていますが風邪などひかれませんようご自愛ください。本日も先日に引き続き軽井沢高原ビールを紹介いたします。第3弾です。第3弾は2022限定醸造のアメリカンESBのご紹介です。(写真右)ESBとは EXTRA SPECIAL BETTER (エクストラ スペシャル ビーター)の頭文字をとったものです。毎年違ったテーマのビールを「軽井沢高原ビール」の“〇〇年限定”シリーズ。として販売されています。2022年はアメリカ産ホップを使用したビールです。アメリカ産のホップの中でも柑橘類を思わせる爽やかな香りのホップを使用しているので一口口に運ぶとオレンジを感じます。さらに使用されている麦芽は、甘く香ばしい風味をもつ麦芽で後残りのないスッキリな軽い苦味に落ち着きます。さらに「ゆめかおり」の小麦も使用されているので柔らかな風味も感じられます。「ゆめかおり」は長野で栽培されているパン用の小麦です。発酵形式は上面発酵ビールイギリス発祥のエールスタイルでビールの色合いは銅の色に例えられる淡い黄色になります。エールビールの特徴はホップや麦芽の香りがくっきり出てくるので楽しみ方も、新しいビールの味も、構成なども無限に広がります。2023年に「軽井沢高原ビール」はどんなコンセプトの新たなビールが誕生するのか楽しみです。軽井沢高原ビールは地産地消の取り組みのビールなので長野県内での販売にかぎられるようです。是非長野に出向いてその地で堪能してください。今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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長野と書いて何と読みますか

私は小学校のときに野球部に入っていました。体が大きかったからなのか肩が強く、入団テストのキャッチボールで監督の目にとまり入部できました。中学からはサッカー部に入りました。そのころ、少年団やクラブチームはなく、サッカーができるのは中学に入ってからでした。 中学に入ってからも野球は好きで、テレビ観戦をすることが多く、特にジャイアンツが好きでした。当時、北海道には地元チームがなく、周りの多くはジャイアンツファンでした。 今では、日本ハムファイターズが北海道に勇気と感動、ときには笑いを与えてくれており、多くの道民の心を掴んでいると思います。しかし、ジャイアンツに育てていただいた私は、今でもジャイアンツファンです。 5年程前までは、背番号「7」のユニフォームを着て応援していました。それは、広島カープへ移籍してしまった長野選手のユニフォームでした。その後、なかなか推しを見つけられず、昨年までテレビ観戦するときには、背番号のついていないユニフォームを着ていました。今年は、そのユニフォームにも袖を通しませんでした。 私は今年、家を処分して小さなアパートへ引っ越すにあたり、大量の荷物を捨てなければならなくなり、正直なところ背番号「7」のユニフォームも候補にあがりました。でも捨てられませんでした。 先日、長野選手がジャイアンツに戻ってくるとニュースで知り、ジャイアンツファンの仲間に「やったぜ」と一言だけメールすると、「よかったな」と返事がきました。長野選手のことなど書かなくても私たちは通じ合えるのです。これを「ジャイアンツ愛」と呼びます。 さて、野球をよく知らない方は「長野」を何と読みますか。「な
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ジュースラベルデザイン

ジュースラベルデザインりんご農家さま長野県にあるりんご・もも農園の桃薫農園さまよりリピートでご依頼をいただきました🍎✨長野県産サンふじりんごをたっぷり使った贅沢なジュースです🍹🍎【コンセプト】○ポップでかわいい○ピクニック映えするデザイン○20、30代女性の旅行客のお客様に向けたおしゃれでシンプルなデザイン○文字量少なめ、英語表記メイン【デザインについて】今回は特に、洗練された雰囲気の表現にこだわりました。そのためイラストを、色鉛筆画のシックな雰囲気に仕上げました。また、英字書体の選定にもこだわりました。雑貨屋さん、オーガニックショップなどでリサーチを行い、時流に合ったセリフ体とエッジの効いたゴシック体を掛け合わせ、おしゃれな雰囲気を目指しました。桃薫農園さま、この度は数あるサービスの中からご発注いただきまして、誠にありがとうございました。
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わたしの月曜日の朝はこんな感じ☆

朝、散歩野鳥の声、ゆさゆさ風に乗って遊ぶような姿の葉たちいてもたってもいられずキャップを付けて外へ昨日よりも格段に涼しく空には特大の入道雲清里のソフトクリームが食べたいなでっかいトンボオニヤンマが私の周りを行ったり来たり夏のパワー全開だ確か今日からライオンズゲート
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長野県立美術館 開館直前イベントダイジェスト動画

長野県立美術館様(長野県長野市)の開館直前イベントダイジェスト動画のナレーションを担当いたしました!「美の壺」風の落ち着いたナレーションテイストにしました。 美術館周辺の自然豊かな景色にマッチした仕上がりとなっています。4月10日(土)に長野県信濃美術館から長野県立美術館としてリニューアルオープンするそうです。お寺の近くにある美術館は全国でも珍しい印象。デザート食べ放題なのが地味に羨ましい…コロナ収まったら行きたいスポットです。こちらの案件は、ココナラで出品させていただいているサービス経由でご依頼いただきました。ありがとうございました!
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北アルプスを眺めながら朝ランニング

昨日は大町、白馬ともに雪が降りました。寒い朝です。 というわけで池田町のクラフトパークにあるマウンテンバイクコースを朝散歩します。   朝9時、気温は5°c。ランニングにはちょうど良い気温かもしれません。   このマウンテンバイクコースにはカモシカがいます。今日はいませんが何回か見たことがあります。   どんどん走って行きます。  展望台に着きました。12月に入り、山が一気に真っ白になりました。  一日やるぞ!!と少しやる気が出てきました。仕事の前にランニングっていうのもいいものですね。
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