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死にたいと思う心

こんにちは心理カウンセラーのなぎです。今までの人生で死にたいと思ったことはありますか?死んでしまいたいと周りの人に相談すると「親が悲しむ」「家族が悲しむ」「友達が悲しむ」などと言われませんか。それって死んでしまいたいと思っている本人ではなく、周りの人の気持ちですよね。親や友達が悲しむと言われて「そうだよね」と思い、思いとどまる人はいいのですが…。どこか違和感を感じて、モヤモヤする人もいると思います。死にたいと思う人の心の中は、いろいろな悲しみや辛さが重なってどうすることもできない、身動きが取れないと思っている場合があります。「死にたいと言う人ほど死なないのよ」と心ない言葉を言う人もいます。そのように言われると、気持ちをどこに持っていけばよいかわからなくなってしまいます。「死にたい」と思う気持ちの奥には、悲しみや苦しみ、辛さや寂しさを分かってほしい受けとめてほしいと願っています。ただ漠然と何の理由もなく死を考えてしまう人は、精神的な病気の可能性もあるので医療機関に受診することをお勧めします。
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第34話 明日の分も

はい、皆様、毎度ありがとうございます。頑張ります!傾聴師タックありがとうで、御座います。ブログを更新していないと、心配!?って、わかります。でも他のツイッターやYOUTUBE(同アカウント)で一生懸命って時も御座います。あれらこれらですが、きちんと書きたいと思います。どのメディアを追おとも、皆平等にに徹して配信しておりますので、そのままで、読み進めてくださいませ。さて、なぜ?人助けをするのか?なぜ?初心者にそんなにやさしいのか!?です。それは、自分がそのサービスをあったら欲しい!気持ちを察してほしい!、一度入金したり、したら、そして成功したりしたら、その先生にずっと教えてもらいたい!という”ねがい”があったからです。私は、根っから、パチスロ依存症でした。パチンコも。でも、ある時思いました。私は、パチスロ店員である。っていうことは、私の生活費は、この方々から頂いているのだ。しかも、土地代(家賃)、機種代(台代)、(経費うんぬん)を指し除いて。私は、人気ありました。実際赤坂で、和田アキ子さまへ、台ヘ案内までしてました。凄い時代でした。でも、不思議とそういう時代でした。さて、ここでいいたい事は、ただ一つ。全て貴方の行動は、次へ連鎖しますよ!というただ一言です。貴方が、→へ行きたいなら、→をずっと二三日連打しなさい。でも、左でも良いやと思えば、そうしなさい。それが、貴方の未来です。だから、私は、ずっと、20代の頃から、20年左を押し続けました。叶いません。それが今、叶うかも知れません。応援、宜しくお願い申し上げます。具体的結果を出す名カウンセラータック☆ありがとう。でした。
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第33話 カウンセラーとは

先日、日本初のプロゲーマー梅原大吾さんの講演をyoutubeにて拝見致しました。エピソードトークです。僕が、通ってたゲーセンで、対戦ゲームで連勝してたら、いきなり殴られて、外に出ろ!ってボコボコにされて、親もびっくり、翌日友人もびっくり、その時僕は自分自身に対する怒りで寝れない日々だった。その後、いつかのあの忌まわしきゲーセンに行ってやろう!と、壁を前にした。ドアの向こう(ゲーセン内に彼がまたいたら)・・・。最悪の想定をした。いきなり殴られるほどイカれたやつだから武器も持ってる、いきなり刺されてボコられる。それとも、チャリで今、帰宅すれば、彼とも会わないし、無傷で、100%帰れる。この時、どちらが、自分にとってプラスかを考えたそうだ。さて、あなたならどっちですか?梅原さんは、『最悪刺されてボコられるだけなら、結構!』と、怯える自分自身との対決を選択しました。ドアを開けると、誰も居ませんでした。2,3日通ってみますが、そいつは来ませんでした。そして、その変な奴がうろつくゲーセンは、廃業しました。とさ。私は、梅原さんの言葉に、感激しました。震えました。凄い、講演家でもある。ゲーマーでもある。と思いました。凄い、凄まじいです。彼は、カウンセリングを学ばなくても、カウンセラーとしても超一流であると私は、おののきました。
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第32話 すみません。今日も待機してたのですが・・・

皆様お疲れ様です。傾聴師タックです。今日も待機をしてココナラ依頼を待っていたのですが、なかなか依頼が取れず、How TO的な事を探したり、ツイッターでいろいろ検索してみたりと苦戦の毎日でございます。すると、ココナラ民トークというラジオみたいなものにご招待頂き、9人ぐらいおり、聞き入っておりました。やはり、皆、苦戦しているようで、貧乏暇なしというか…と、あぁみんな同じなんだなぁ…。ブログしたり、これは、どうしようかなぁあれはどうだろうと暗中模索したり、会議しておりました。あぁわかるなぁ~。営業ってネットであまりしたことがないので、そういう意味では、ネットで広げる方法を編み出す、コツコツマメに”居ます!私暇!頑張ります!”をアピールする日々と申しましょうか。そんなこんなの日々の中、腰痛は治り、手の痺れも、鍼のお陰で治りかけております。ですので、平行してやっているYOUTUBE(こちらは歌ってみたで一匹狼の涙)というHNで著作権云々の関係で広告なしなので、完全にMix師や仮歌師としてのポートフォリオとでも言うのでしょうか?そんな日記みたいなMVを作って、おります。まぁ手順は、カラオケ(弾いてみた)の人や歌ってみたでお使いください!みたいなVocalレスの音源を、素晴らしいので是非貸してください!!!リンク張って報告致します♪と許可を得て、カラオケをゲット。歌って、コーラス付けて、動画作って、音と映像を合わせて、YOUTUBEにアップロードして、歌詞を字幕で付けて、オンオフ出来るようにして、歌詞も歌える感じにちょい早めにしてあげて、完成!となります。日記みたいに、昔を振り返ったり、ファ
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第13話 医師軍団登場!

続きとなります。体験談となります。よろしくお願いいたします。給食のオバサンの配慮により、しばらくすると、「医師軍団が6名参上」!!!!!!六!?6!?そんないる!?男4女2なにこれ・・・。逮捕?意味不明なんですけど・・・。なにこれ?マジで。でも、1人問答で、筋金入りに考えは私の戦略は練り尽くしている。もう病院だとわかった。医師は、防衛のために、腕を掴むだろう。そして、2人がノーガードで話、両脇後方を女性ナースが援護という布陣を敷いてやってくるはずだ。そうしたら、どうする?考えろ!一瞬で、消灯の時間だ。考えろ!自分!がんばれ!そうしたら、まず何したい?「話したい!」そうだ!、話を長引かせるんだ!まず、コンタクトレンズを外したいと願えおう。次だ、それだけじゃだめだ。だってだ、水2つ貰ったので、コンタクトレンズを紙コップ一つに一目レンズを入れてしまって解決してしまった。嘘はダメだ。あぁ、天才すぎて、はや周りしすぎたなぁ。でも、6名も来るってことは、奴らは、気を張っているはずで、下手したら注射でコトンだ。暴れちゃいけないし、コンタクトレンズ外したいは使っちゃったし。処方箋が欲しいわけでもない。むしろなんか絶対飲まされている気がするお腹がこんな減るわけがない。ロバぐらいしか食わないし。まず、こうだどうだいどうだい?を長引かせるトークをしつつ、ナースにここ何病院何区?とか聞けば良い。医師は、速攻で問題片付けに来るはずだ。食い止める作戦はこうだ。「痺れる」だ。「ずきんずきん、どきんどきん、きーんきーんする」と、打撃音連呼すると、良い。ドキドキするとか、ドックンドックン激しいとか。あと、痺れは
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第11話 放置時間がずっとでその後

何もすることがなく、人間ってこういう時、どうすると思いますか?寝る違います。歩きます。ひたすら歩き続けます。そうなります。状況がわからないから、ずっと呼んでいるのに、誰も返事がない。だから歩くのです。何時間でもです。その後、何時間経ったかわかりません。時計ないので。すると、ご飯が、ポストみたいにドアから出てきました!「あっ!あの!!!す、すみません!」ゴロゴロゴロゴロ(車輪の音)シーン・・・どうしたと思いますか?「怒った!」違います。”無心に食った!”です。もう全部平らげた。おかわりほしい…。おかわりがほしい…。多分何かしら、薬の副作用で食欲増進があるのだと思います。少食の私が、おかわりが欲しい何か食べたいと切に思っています。何もわからないこの状況なのに・・・。飯かよ?まじかよ?マジです。まず、水です。トイレの。次、訳わからない、ポストから出てきた飯です!すっごく美味しい!たまらない。さて、一段落すると、どうしたと思いますか?「体力回復したから怒った!出せやオラ!とか怒鳴った!」違います。正解は、また歩い始めた。です。意味不明な行動に見えますよね。ですが、不安なのもありますし、暇過ぎるのです。だから、歩くのが一番なんです。だって、嫌でしょ?寝たきりになりましたからずっとリハビリですね!なんて医師に登場されたら。モクモクと私は8歩進んで8歩下がる程度の場所を、寄せては返す波のように、歩き続けました。続く。体験談なんだからしょうがないです。ありのまま。
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第7話 歌ってみた 聞きたい

声を聞くには、私歌ってみたをしておりますので、是非まずは、歌を参考にしてみてくださいませ。なにぶん、傾聴は私は聞くだけであり、話し声は貴方の声が大変多い時間を占めます。私の声は、一応聞きたいでしょう。その方が安心します。Wolf's Sign一匹狼の涙歌ってみたLunaSea弾いてみた Boowyなどと、 YOUTUBEで検索してみずいろの狼のアイコンを探してみてください。YOUTUBEは競争相手が多く、次からアクセスしにくくならないように、チャンネル登録をしておきますと、大変楽です。そっちからは、ココナラサービスの存在は切り離して1人で活動しているプロジェクトなので、全部1人で作業しているから一匹狼だなぁだからウルフかな~みたいな感じで、歌っています。時々、映像も凝ったり、演奏もしたりしています。ミックスダウンが一番難しく、ちょっとバランスがおかしいなぁとかが苦戦の肝です。あと、なんせ有名でないので、再生回数が伸びません。勿論人の曲なので、再生されようが、広告収入はゼロ円です。
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第5話 発達障害って何ですか?パート2

パート1の第4話からお読みくださいませ。多彩で才能豊かで、羨ましい人も居れば、逆に自殺まで追い込まれる程の状態だったり、発達障害の突飛な行動には驚かされることはしばしありました。 しかし、病が起こした事であり、次の日謝ったりして素直であり、ケロッとしてたりします。 頭脳明晰のタイプも居れば、当然学習障害、知的障害を伴っていたり、やはり、バラ付きが見え、みんなの当たり前の何かにつまづき、怒りや不安を抱いてしまったり、人生で立ち止まってしまったりします。 共に、つながる意味は、大きいと思います。 しかも、お金が発生するので、依存も出来ない丁度よい、交流の場が作れます。 マシンガントークの人も多く居るので、過集中で、コンスタントに継続させることが本当に難しい人が多くみられます。 度が過ぎると、やはり、グッタリとなり、感情も健康も、いろいろと心配させられます。 リズムというか、ムードというか、独特な変拍子というか無調音楽というか、いろいろというのが発達障害にはありますが、普通って何と言われてしまえばそれまでなのですが、難しさを特性として抱えて1人悩んでいる人もまた多いです。 カップルだったりパートナーともなれば、一癖も二癖もあるもの同士だったりして、男女だけでもすれ違いが大きいのに、病気によって更に複雑化してしまう事もあったり、真逆にピッタリだったりと、こちらも二極化しがちです。 良いものとか悪いものとか言えるものではなく、あくまでもグラデーションであり、程度問題というのがあげられます。 程よい塩梅が難しすぎてわからない人も多く、やっぱりコミュニケーションに問題があったり、グッと我慢し
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僕が、僕の本音を見つけるまで。さいごに。

「人生は何があるかわからない。」ありがたい事に、この1年で、昔からは想像もできない経験をたくさんしてきた。いいことも悪いことも含め、自分を回復させる材料となってくれた。不思議だが、終わってから思い返すと、辛かった記憶も、すべてが意味のあったことのように思える。思い返せば、最初の1歩はなかなか出なかった。脱サラした頃だ。ぼんやりと宮古島に行きたいと思っても、怖くて行動できなかった。全く知らない土地で、知り合いもいない環境で、自分1人で生きていける気がしなかった。あの時は、カウンセラーが何度も何度も、手を変え、品を変えて、説得を試みてくれたおかげで、1歩目を踏み出せた。その節は、本当に感謝しかない。僕は、中学生頃から、自分の生きずらさを発端に心理学を学んでいた。日に日に、知識は増えて行ったのだが、自分の変化はほとんど起きなかった。その度に、原因を考えて、試行錯誤しては、新しい方法を試し、結局、失敗していた。いつも「またか。」と落ち込んだ。しかし、少し時間が経つと、また新たな知識を見つけてきて、「これなら変われるかもしれない」と淡い期待を抱き、ぶつかっていった。そして、その度に返り討ちにあっていた。行動しただけ良しと思いたいが、手元には「絶望」だけが残り、いつもマイナスな気分だった。そして、「自分の理解者はいない」と思い込み、誰にも相談できず、一人孤独になっていった。心理学にも、世の中にも裏切られた気分になっていて、この時はもうどうしようもなかった。当時の自分に言いたいのだが、人の変化の本質は、心理学の小手先のテクニックや、自己啓発本の中にはない。。いくら知識を学んでも、そもそもの人
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜雪山スノボ編②

スキー場に来てからは、平和な毎日が続いた。仕事のストレスも少なく気楽だった。思えば、1ヶ月で契約満了の予定だったが、いつの間にか、3ヶ月も延長していた。僕にとってこれは、本当に珍しい事だった。何度か住み込みのバイトを経験したが、1ヶ月経つと例外なく辛くなっていた。それは、仕事内容への飽きや、人間関係の我慢、住んでいる町への閉塞感などから生じていた。だから毎回、残りの期間は、空元気で乗り切っていた。非常にしんどかった。だから僕は、そうなることを見越して、スキー場の契約も1ヶ月からにしていた。しかし今回は、いい意味でその予想を裏切られた。仕事内容は単調であったものの、それを忘れさせてくれるほどの、人間関係の楽しさがあった。スタッフみんな、スローライフマインド(?)的なものをもっていたし、小学生ぶりくらいに、居心地が良い友達とも出会えた。久しく忘れていた、心から楽しむ感覚を思い出せた。この環境ではなかったら、僕は確実に延長していなかった。本当にかけがえのない日々だった。だからこそ、帰宅の日は寂しかった。今まで、学校の卒業式ですら、寂しさを感じたことがなかった僕だが、この時に、人間の本来の温かさを取り戻せた気がした。改めて、いい時間を過ごせた。その子たちとは、今も連絡を取り合う仲だが、いつも僕の孤独を忘れさせてくれる。しかし、1年前の僕では、この出会いは生まれなかったと思う。自分の心を優先し、外側の変化を繰り返しながら、そこで関わる人間関係の相互作用で、内的な変化が生じた結果だと思っている。自分で言うのはおこがましいが、昔の自分から比べると、考え方も感じ方もまるで変わった本当に別人にな
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜雪山スノボ編

僕は、志賀高原にあるスキー場に来た。山奥シェアハウスで3ヶ月過ごし、次の目的地が決まって飛び出した。お金がない中でもスノボを続けるために、自分なりに思いついた行動だった。行く前は、陽キャが多いのではないかと不安だった。それは、スノーボードのイメージが明るい人が多いイメージがあったからだ。自分はそこまで人と積極的に話すタイプではなく、人混みなども嫌いなので、合う人がいるか心配だった。しかし、その不安はすぐに払拭された。同僚や先輩には、自分と似ている人が多かったのだ。「これなら自分ペースで過ごせそうだ」と安心した。仕事は、到着した次の日から始まった。僕の担当はリフトで、朝の動作確認をしたら、あとは1日座っているだけの仕事だった。これが本当に楽だった。座っているだけと言っても、もちろん、お客様が安全にリフトの乗り降りができているかを確認するための大事な仕事だ。ただ、それさえきちんとやれば、あとは本当に自由だった。先輩たちは、ジュースを飲む人もいたり、タバコを吸っている人もいた。また、外に出て雪だるまを作る人や、音楽を流してノリノリな人もいた。当然、みんな自由にはしつつも、仕事自体はきちんとやっていた。そのメリハリがある感じも好きだった。僕が、今ままで経験した仕事の中では、間違いなくトップクラスに楽だろう。しかしもちろん、良いことだけではなかった。1月のハイシーズンなどは、信じられないほど寒く、昼間でもマイナス15℃を下回った。外に出ると、一瞬でまつ毛が凍ってしまい、目が開けられなくなるほどだった。また大雪の日は、早出をして、雪かきをしなければならなかった。これがとてもキツかった。掻い
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編⑤

僕は、シェアハウスのオーナーにと一緒に、近所のスキー場に向かった。そこは、特別、大きいゲレンデではなかったが、地元に根ざした暖かい場所だった。僕は、オーナーに教わりながら必死に練習した。何度も転んでは立ち上がり挑んだ。半日っても成長幅が小さく感じ、「やはり難しいな」と思った。しかし、根気よく丸一日滑っていると、だんだんと成果が出てきた。そして、帰る頃にはターンができるようになった。その日はそこで終了したが、早くまた行きたいと思った。数年ぶりに苦手を克服できた気分になって、嬉しかった。その後も僕は、ゲレンデに通い詰めた。とにかく楽しかった。楽しくてしょうがなかった。値段など気にしなかった。毎回、8000円強かかったが、楽しさを優先したい気持ちが勝った。しかし、当然ではあるが、貯金はあっという間に底をつきた。少しは焦ったのだが、この時は、不思議と、そこまで不安にはならなかった。お金がなくなる恐怖より、スノボを続けたいという気持ちの方が強かったからだ。やっとここから、次の仕事を決めるモチベーションが生まれた。自分でも、スキー場の仕事なら続けらそうな気がした。山奥シェアハウスに来て約3ヶ月、終わりのないトンネルにいた気分だったが、ようやく光が見えてきた。僕は、志賀高原のスキー場に応募した。担当の方と電話で話し、すぐに採用が決まった。「やっと次へ進める。」僕は、荷物も揃わず、髪も伸び切ったまま、次の目的地に向かった。続く
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編④

次の行き先が決まらない僕は、悶々と生きていた。何かをしようにも手がつかず、ただ、自分の状況を恨めしく思っていた。そんな時、偶然にもオーナーから、「スノーボードに行かないか」と誘われた。僕は、とても迷った。なぜなら、スノボにあまりいい思い出がなかったからだ。以前、高校生の頃に1度だけいったのだが、その時は全く滑れなかった。当時はスノボの知識が無かったということもあったが、大きな原因は、初心者のくせにいきなり上級コースに向かったことだった。当時は、なぜか自分を過信しており、軽い気持ちで頂上に向かってしまったのだ。しかし実際に山頂に着くと、想像していた数倍は傾斜がきつく、思わず足がすくんでしまった。下から見上げるのと上から見下ろすのとでは、まるで景色が違く、恐ろしかった。なんとか転げ回りながら、やっとの思いで下山した。本当に恐ろしかった。そういった経緯があり、二つ返事で「行きます」とは言えなかった。一旦、考える時間が欲しかった。普段から、同じような生活に飽きていたのは事実だ。だからこそ、スノボで変化を生み出したいとも思った。しかし、どうしても過去のトラウマに足を引っ張られる。どうすればいいのか。。。僕は、1日葛藤した。そしてふと、「もし僕が、スノボに対する恐怖がなかったらどんなイメージを持っていただろうか」という問いが浮かんだ。それに対し、「楽しそう」「気持ちよさそう」「スピードが出て、爽快さを感じられそう」というポジティブな言葉が浮かんできた。その時に僕が、「スノボ自体には興味がある」ことを理解した。僕は、すぐオーナーにLINEを送った。「やっぱり連れて行ってほしいです」と。オーナ
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編③

山奥シェアハウスに来て2ヶ月が経った頃、僕は悶々としていた。何故なら、ゆっくり過ごすことに飽きてきていたからだ。最初は、疲れ切った自分を癒すために古民家シェアハウスに来たのだが、スローペースな生活の中で段々と体力が回復してきていた。僕は、そろそろ動き出したくてうずうずしていた。とは言っても、他の場所に移り住むとかいう訳ではなく、何らかの住み込みの仕事をするつもりだった。それに、貯金も尽きかけていたので、働くしかなかった。当時の預金残高は15万円程だった。進む先が決まらない焦りに加えて、お金がなくなる恐怖がのし掛かってきた。毎日、indeedの画面を開いては、「あーでもない、こーでもない」とスクロールしていた。時間をかけた割に、あまりピンとくるものは見つからなかった。何度か、無理やり仕事を決めようとしてみたが、途端に無気力が体の中を駆け巡り、それ以上進めることができなかった。僕の心は、前より自分に対して正直になっており、嫌なことに力を出せなくなっていた。前進したい気持ちと、進めない苦しさがぶつかり合って、鬱々としていた。「何なんだよ俺の人生って…」何もしないで過ぎる時間に、虚しさを感じた。この時期は、いつも目覚めが悪かった。よく嫌な夢を見ていた。全部、後味の悪い夢だった。YouTubeや音楽を聴くこともしんどかった。ファッションにもこだわりがなくなっていった。何かをしたいのに、何をしていても楽しくなかった。出口のないトンネルを、永遠と歩いているような気分だった。いつになったら光が見えるのだろう。そもそも光なんてあるのか。ここまで来たのに、なぜ停滞しているのか。本当に苦しかった。も
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜長野・八ヶ岳編②

休みになると、よく寮の近くを散策していた。付近には手付かずの自然が多く残っており、ただ歩くだけでも楽しかった。その中でもお気に入りだったのは、森の中を抜けると突如現れる池だった。そこは、標高が1600メートルの場所に位置しており、その場所に向かって何本かの遊歩道が整備されていた。僕が訪れたのは、紅葉の折り返し時期で、緑の木と枯れ木が混在していた。昼間は、池に太陽光が反射して周囲の木々を明るく照らしており、夜になると満点の星空と数台の人工衛星が確認できた。木々の後ろからは、赤岳などの高山も顔を覗かせ、まるで大自然の欲張りセットのように感じられた。僕は時間が出来るたびにその場所に行き、ただ池をボーッと眺めるという贅沢な時間を過ごした。しばらく見ていると、まるで自分が、自然の中に溶け込んでいくような感覚になるのが好きだった。仕事で溜まったストレスも浄化されていく気がして、とても心地よかった。これほど美しい場所がなぜあまり知られていないのかと不思議に思ったが、1人きりで過ごせるので僕には好都合だった。ところで、自然が大好きな僕なのだが、少し前まで、自分を都会好きだと思って疑わなかった。都会の煌びやかな刺激だけが、自分の孤感や寂しさを紛らわしてくれると感じ、渋谷や新宿に足繁く通った時期もあった。しかし今は、都会の灰色の景色も人混みも大っ嫌いだ。電車でたまたま通る時は、気が詰まりそうなこともある。この極端な変化は、前回の宮古島での生活を終えてから起こったことだった。島での激務や初めての熱帯の環境に置かれることで、生きる為になりふり構っていられなくなり、底力みたいなものが出たのだと思う。毎日
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僕は、人の目を見るのが怖いです。

実は僕は、人の目を見るのが怖いです。「何をいっているんだ?」と思われるかもしれません。より詳しく言いますと、人の目を2秒以上見るのが苦手なのです。僕は会話の最中に、無意識の「目線の移動」を意識化してしまうことがあり、目のやりどころが分からなくなってしまうことがあります。相手と目が合うと、自分の弱さを悟られたような「恥ずかしさ」や、「自分の目線が変だと思われるかも」という「恐怖」を感じるのです。専門的には、「正視恐怖症」と呼ばれています。思えば、中学・高校時代は、常にこの症状との戦いでした。毎日、目線の違和感を悟られぬように、やり過ごすように生きていましたどうにか良くなってくれないかと、ネットで心理学などを調べていましたが、考えれば考えるほど、症状は重くなっていきました。結局、卒業までに数十人の友達と気まずくなり、耐えられず疎遠になりました。具体的申し上げますと、”会話の途中、急に、目線を逸らすタイミングが分からなくなり、混乱して相手の目を見続け、その違和感を相手に気づかれて、相手も苦痛を感じ始める”という感じです。お互いに違和感を感じているのに、それぞれが「自分がおかしいのでは?」と思い込んで、そのことを何も言い出せなくなります。この状態までいくと、自分だけでなく相手の違和感も絡んでくるので、対処はとても難しくなります。しかし、自分”だけ”が辛い段階ならば、まだ簡単な工夫で対処が可能です。僕は8年ほどこの症状に苦しめられていたので、自分なりに対処法がわかってきました。今ではかなり楽にはなりましたが、それでも、ストレスが溜まった時などはたまに発動します。その場合は、相手が違和感を
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜宮古島編②

初めての休日になった。僕は同僚と、新城という海へ向かった。「新城」と書いて「アラグスク」と読む。地元でも結構、有名な海だった。僕たちは、着いて早々に潜りはじめた。透明な海の中を潜っては、色とりどりの魚やカメを見つけた。同僚は何度か来ていたらしいが、楽しんでいるように見えた。僕は20分くらいで海から上がり、遠くから、まだ潜っている同僚を眺めていた。海中の塩分濃度が高かったのか、乾いてきた肌はベタついた。この時、僕はひとり浜辺に座り込み、がっかりしていた。出てきた言葉は「こんなもんなのか」だった。心から宮古島の海を見たいと思ったのに、自分が望んで来た場所だったはずなのに。その程度の感想にしかならなかった。来るかどうかを何度も悩んで、考えて、それでも行きたいと思って踏み出した一歩が、すべて”無”に帰するような錯覚に陥った。呆然とした。「やっとの思いで行動したのに、なんの収穫も得られなかった」僕は、島に来た意味を見失っていた。今だからわかるが、当時の僕は、島に来る前から期待を膨らませ過ぎており、何かを掴もうと意気込みすぎていたのだった。遠くでシュノーケリングを楽しむ同僚がみえた。僕は一人、虚しい気持ちで浜辺にいた。「ずっと座っていても仕方ないから、一旦、歩こう…」おもむろに立ち上がり、なんとなく浜に沿って歩きはじめた。うっそうと茂る木々の前を通りすぎ、しばらく行くと、開けた場所に着いた。その場所からは、今まで、木々で遮られて見えなかった大きな岩山が見えた。その岩肌はゴツゴツしていて荒々しく、所々には苔が生えていた。まるで大地が躍動しているようで、強い存在感があった。僕は岩山に見惚れなが
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜宮古島編

入社半年で会社を辞めた僕は、宮古島に来た。宮古島を選んだ理由は単純で、東洋一綺麗な海を見たかったからだ。羽田から下地島空港へ約3時間のフライトを終え、飛行機から降りた僕は、全身ににまとわりつくような熱を感じた。「本当に来たんだな...」新天地へ来た実感をいまいち掴めないまま、僕は指定されたタクシーに乗り込んだ。本当は旅行で来たかったのだ。しかし、当時の僕にそんな余裕はなかった。色々考えた結果、仕方なく住み込みの派遣を選んだ。担当者からは、事前に寮付きだとは聞いていたので汚いかもと想像していたが、綺麗な普通の1Kだった。寮費と水・光熱費は無料で、昼食だけ会社から弁当が支給された。朝晩は自炊した。因みに、僕はここから3ヶ月ほど宮古島で生活するのだが、今思えば、幅広い年代の人が働きに来ていた。下は19歳の学生から、上は70代のおじいちゃんまでいた。みんな島の海が見たくて来たと言っていた。リピーターの人も何人かいた。僕は、「何歳でもやりたいことやってる人はパワーがあるな」と思った。島に来た人たちの中には、独特な過去を持った人も多かった。個人的に、1番強烈に覚えているのは、「元々、年商ウン十億の会社の社長だったが、お客さんに裁判を起こされて、全財産を凍結されて裁判中」というおじさんだった。その人は客室清掃の責任者で、僕らの指導者的な立ち位置も担っていた。とても仕事ができる人で、清掃チームがバランスよく配置につけるように、いつもモニターで迅速に指示を出していた。来たばかりの自分ことも気にかけてくれて、僕も、仕事上ではその人を頼りにすることがあった。しかし関わるうちに、その人からは、隠しきれ
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜脱サラ編

初めまして。心理カウンセラーのもっくんです。このブログでは、僕はどんな人間で、どんな経験をしてきたのかをまとめていこうと思います。もし、興味が湧いた方は、覗いていってみてください。1年前、僕は会社を辞めた。毎日、満員電車に揺られ、好きでもない仕事をこなす事に限界がきたからだ。また、社長とも仲が悪く、毎日会うのが苦痛だった。それらの理由が積み重なり、僕は会社を辞めた。レールから外れ、路頭に迷った僕は、未来への不安と恐怖で押しつぶされそうだった。辞めた日の夜は、強烈なめまいに襲われた。次の日から、焦って次の職探しをしていたが、どうしても決まらなかった。正社員だけでなくバイトも見てみたが、あまりピンと来なかった。僕は、一人で考えるのに限界を感じ、少し前から良くしてもらっているカウンセラーの先生に相談した。先生によると、僕の中に、「やりたくないことを頑張るキャパ」が残っていないようだった。学生時代からたくさんの我慢を続けてきた僕の体は、次の仕事を決めないことで、僕に危険信号を出していたようだ。イメージすると、僕の体が、「もうやりたくないことはやらせないよ!これ以上、我慢させたら病気になっちゃうからね!」と言っているような感じだ。続けて先生は、「君の対人恐怖や希死念慮も、今までの我慢の積み重なって吹き出したものだよ」といった。実は僕は、中学生の時から、希死念慮や対人恐怖を持っており、大人になってもそれらに苦しめられていた。そうだったのかと。先生の言葉が腑に落ちた。今までは、嫌なことを我慢して頑張らないといけないと思い込んでいたが、その時に初めて、「やりたいことをやってみよう」と思えた。僕
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受け取る言葉は自分で決めればいい

ただただあなたを傷つけるだけの言葉そんなの聞き流せばいいよあなたに必要な言葉はあなたが決めればいいそれからね人を傷つけるために発した言葉って必ずその人のもとに返っていくと思う言い換えれば、受け取らずにそのままにしておけば、行き場を失った言葉はやがて発した人に戻っていくんじゃないかな心穏やかに過ごしていたいと思うなら、相手にも優しくしようそして自分にも優しくしよう故意に人の心を痛めるような言動は、自分自身をも崩壊させてしまうからそしてあなたが今、いつか誰かに言われた言葉が脳裏に焼き付き苦しくて仕方がないときは長い目で考えてみようあなたを救う言葉をかけてくれる相手が必ず現れるから生き急がなくていい自分を追い込まなくていい生きてみようあなたをあたたくふんわりとした優しい言葉で包んでくれる人が、今はきっとあなたを探しているところだから
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