僕が、僕の本音を見つけるまで。〜雪山スノボ編

記事
ライフスタイル
僕は、志賀高原にあるスキー場に来た。

山奥シェアハウスで3ヶ月過ごし、
次の目的地が決まって飛び出した。

お金がない中でも
スノボを続けるために、
自分なりに思いついた行動だった。

行く前は、
陽キャが多いのではないかと
不安だった。

それは、スノーボードのイメージが
明るい人が多いイメージがあったからだ。

自分はそこまで
人と積極的に話すタイプではなく、
人混みなども嫌いなので、
合う人がいるか心配だった。

しかし、その不安はすぐに払拭された。

同僚や先輩には、
自分と似ている人が多かったのだ。

「これなら自分ペースで過ごせそうだ」
と安心した。

仕事は、到着した次の日から始まった。

僕の担当はリフトで、
朝の動作確認をしたら、
あとは1日座っているだけの仕事だった。

これが本当に楽だった。

座っているだけと言っても、
もちろん、
お客様が安全にリフトの乗り降りができているかを
確認するための大事な仕事だ。

ただ、それさえきちんとやれば、
あとは本当に自由だった。

先輩たちは、
ジュースを飲む人もいたり、
タバコを吸っている人もいた。

また、外に出て雪だるまを作る人や、
音楽を流してノリノリな人もいた。

当然、みんな自由にはしつつも、
仕事自体はきちんとやっていた。

そのメリハリがある感じも好きだった。

僕が、今ままで経験した仕事の中では、
間違いなくトップクラスに楽だろう。

しかしもちろん、
良いことだけではなかった。

1月のハイシーズンなどは、
信じられないほど寒く、
昼間でもマイナス15℃を下回った。

外に出ると、
一瞬でまつ毛が凍ってしまい、
目が開けられなくなるほどだった。

また大雪の日は、早出をして、
雪かきをしなければならなかった。

これがとてもキツかった。

掻いても掻いても、
大粒の乾いた雪はすぐ積もってしまい、
キリがなかった。

ただ、それ以外には
特筆すべきような問題はなく、
みんな仲が良かった。

僕は、暫く友達がおらず、
ずっと一人で過ごしてきたが、
久しぶりに気の合う仲間とも出会えた。

彼らのおかげで、
大人になってからは忘れていた、
「意味もなく楽しい!」
という感覚も思い出せた。

人は、その感覚を思い出すような
体験をすることで、前向きに生きられる。

この感覚は、
心で無意識に「楽観視」のようなものを生み、
後に何か行動を起こす際の勇気となってくれる。

僕が、フリーで生きていくと決められたのも、
この時の記憶が後押ししてくれたと思う。

後から、そう気づいた。



続く

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す