絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

30 件中 1 - 30 件表示
カバー画像

リーディングセラピー16  まだ見ぬ海へ

※まずは深呼吸リラックスして読み進めてください。風の音だけが聞こえる。目の前には広がる海。波は繰り返し寄せては返すけれど、その先にあるものはわからない。 ただ、ぼんやりとその場所に立っている。 少し湿った砂の感触が足元に伝わり、冷たさと暖かさの間をさまよっているような感覚に陥る。 「どうしてここに来たんだろう?」と、ふと感じる。 答えは見つからない。 けれど、ここに立っている理由は確かにあって、それが何なのかを探している気がする。 ただ、何を探しているのかがわからない。 まるで霞んだ夢の中で手を伸ばそうとするけれど、いつもその夢が目を覚ます前に消えてしまうように。 風が少し強くなり、髪が揺れる。 塩の匂いが少し鼻をかすめ、遠くの空に一羽の白い鳥が見える。 羽ばたく音が聞こえるような気がするけれど、それはきっとただの想像だ。 鳥は迷わずに空へと飛んでいく。その姿を見ていると、何かを思い出せそうな気がして、じっと目で追いかける。 けれど、自分はただここに立っているだけだ。 どこにも飛べないし、どこに行くべきかもわからない。 やりたいことなんて、最初から何も思いつかないまま時間だけが過ぎていく。 波の音がさらに大きくなる。心の中に広がる空虚さと、どこかにあるはずの答えが微妙にずれていく感覚。 「何かが変わるかもしれない」――そんな淡い希望が胸に浮かんでくる。 でも、何が変わるのかもわからない。 自分はただ、ここにいるだけ。 ここに立って、ぼんやりと未来を眺めている。 けれど、目の前の海の先には何も見えない。 霧のように曖昧な未来がただ広がっている。 もう少し、歩いてみるかもしれない。
0
カバー画像

これいいな♡は全部OK

こんばんは♡よしのです。今日も暑いですね..今日はずっと家の中にいたので疲れてきました。外に出たいな♡でもやることあるし、外は暑いし..↑こんな時あなたならどうしますか?①やることあるから無理..②やること終わったら散歩行こうかな..etc私は②が浮かびました。そうだね、外出たいね!と受け止める。そして夜に喫茶店に行ってきました(⁎˃ᴗ˂⁎)⋈。大満足♡些細なことですが、「これいいな♡」「やりたいな♡」を認めてあげることって大切です。叶えなくてもいいから、ただ望ませてあげる。きれいになりたいな♡おしゃべりしたいな♡アイス食べたいな♡沖縄行きたいな♡おしゃれしたいな♡デートしたいな♡全部OK。できるできないとか考えなくてもいい。気持ちが変わっても大丈夫。それだけでアイデアがおりてきたり、情報が入ってきたりします♪叶える方法とか考えなくてもいい。考えるなら、どんな感じがいいかな?と妄想を膨らまして楽しむ♪あなたの「いいな♡」や「やりたいこと」をよかったら教えてくださいね(◍•ᴗ•◍)
0
カバー画像

🇯🇵 転機は、違和感にこそ身をひそめる。

「“なんか” 違う気がする…」理由は分からない。だけど、“何か” が違うことだけは分かる。そんな経験があなたにも多かれ少なかれ、あるのではないだろうか?以前、私は「あなたの人生の転機となるかもしれない『問題』」と称した記事を書いたことがあるのだが ↓今日の説法は、この『問題』に近いのではないかと思う。結論から申し上げると「想像力の欠如こそが、後悔の母である」というのも、古今東西、普遍的な題材を取り扱っている作品を読んだり観たりすると分かるように、人間の “本質” は何も変わっちゃあいない。身近なものでいえば、どこの家庭の親も、自分の子供には同じ轍(てつ)を踏まないように…と、尽力するわけだが、大抵の場合、この親の「両親」も漏れなく、同じことを言い聞かせていて、さらにこの両親の「両親」もまた、漏れなく同じこと言い聞かせていて…(以下、エンドレス)つまり何が言いたいかというと、大半の人間は「同じような後悔」を何代にも渡って繰り返して、後悔とともに生き、後悔とともに死んでいっているのが現状だとということだ。では何故、こんな現象が起きるのだろう?これがまず、1つ目の『問い』だ。ズバリ、その答えは“大半の人間は『なんとなく』生きてしまっているから”…である。日々の生活に追われるがあまり“何故、自分は生きているのか?”“なんのために生きているのか?”こんなこと考えることすらせず、ただひたすら、決められた時間に出社して、決められた業務をこなし、だいたい同じ時間に帰宅して、食事を済ませ、ダラダラと過ごし、気がつけば寝落ちて etc…こんな大人が年々、増加しているのだ。ただ、今も昔も人間の本質は
0
カバー画像

やりがいを見つける、やりたいことがない40代女性へのアドバイス

ご覧下さりありがとうございます。いつも、あなたに感謝しております。やりがいを見つけることは人生の中で重要な要素です。しかし、40代になると、やりたいことが見つからないと感じることもあります。今日の記事では、やりがいを見つけるためのヒントやアドバイスをご紹介します。自分自身を見つめ直し、新たな可能性を見つけましょう。自分自身を知ることが重要自分自身を知ることは、やりがいを見つけるための第一歩です。40代になると、人生の経験や価値観が変化していることがあります。自分が本当に求めているもの、何に興味があるのかを考えることが大切です。自己分析をするために以下の質問を考えてみましょう。○今までの人生で何が楽しかったか?○自分が得意なことは何か?○今後の人生で何をしたいと思っているか?新たな可能性を探す方法やりがいを見つけるためには新たな可能性を探すことも重要です。以下の方法を試してみましょう。①趣味や興味がある分野に関する 講座やセミナーに参加する。②ボランティア活動に参加する。③旅行や新しい場所に行くことで 新たな刺激を受ける。④自己啓発書やビジネス書を読んで 新しい知識や視点を得る。【まとめ】やりがいを見つけるためには、自分自身を知ることと新たな可能性を探すことが重要です。40代になってもまだまだチャレンジすることはできます。自分の興味や得意なことを見つけ、新しいことに挑戦してみましょう。やりがいを見つけることでより充実した人生を送ることができるでしょう。自分自身を信じて、一歩踏み出してみてください。あなたの未来は無限の可能性が広がっています。今日もあなたにたくさんのhappyが舞い
0
カバー画像

【もう悩まずにすむ】 やりたいことの見つけ方

3分で1個心のブロック解除マインドブロックバスター 藤田貴子 です「やりたいことを見つけ一生の仕事にしたい」と願うものの、やりたいことがわからず自己啓発、心理学、料理、コミュニケーション、話し方教室フィニッシングスクール、美容法、哲学、本を読んだり、占い、セミナー、セラピーなど手当たりしだいに学んで私は20代後半から40代前半まで、時間とお金を費やしていました。 たまたま出合ったマインドブロックバスター でだけ学べる「潜在意識のタイプの違い」を知るとやりたいことがわからない、その原因が自分で自分自身を理解できていないと気づいたのです。潜在意識のタイプを知った瞬間、私の中に大きな衝撃が走りました。15年悩み苦しみの理由があっけなく30分で理解できたのです。「もう悩まずにすむ」…と生きる意味や全ての答えが、そこに隠されているような気がしました。マインドブロックバスター養成講座を受講潜在意識のタイプの違いを深く知り、自分で心のブロック解除ができるようになりました。自宅でゴロゴロしながら、職場でも気が向いた時に自分でブロック解除して、悩み事や問題点の答えを出し潜在意識を変えていくと、人生の流れが一気に変わり始めました。私は活動的になりイベント出店、SNSを始めたり人に会うのが楽しく行動力がアップ人前で堂々とできる度胸もつき表情や容姿が変わったと言われます。その後、インストラクターの資格を取りキャリア、お金、人脈、自信もないすべてなしからフリーランス生活を満喫中できています。私の苦しかった経験全てが役に立っています。ブロック解除は知れば誰もが修得できるものです。初めは指導を受ける必要があ
0
カバー画像

やりたいことを見つける

朝起きてからが憂鬱毎日がつまらないやりがいを感じない人生このままの延長でいいんだろうかやりたい事を見つけたいけど分からない、やりたい事探しを終わらしたいなんとなくやりたいことを探してみる転職サイトを検索してみてもささるものがない日々モチベーションが上がらず表面的なやり方で見つからない、、、やりたいことを見つける方法は1つしかありません。「自分を根本から見つめなおす事」自分としっかり対話しないと見つかりません。でも、この「自分との対話」が結構時間がかかって面倒くさいさらに言うと、もう「忘れてしまいたい嫌な過去」にも向き合わなきゃいけないからエネルギーがいるし、一歩踏み出せない、向き合うのが怖いそうして放置し続ければし続けるほどつまらない日常が積み重なり生きぐるしくなってしまいます。自分一人で見つけるのは大変何からどう向き合うといいのか、やりたいことを見つけるには「やりかた」 と 「手順」があるんです。自分一人でなんとかしようとしなくていいあなたのやりたいことを一緒に見つけるサポートをしています。気軽にご相談ください。
0
カバー画像

自己理解の大切な理由

はじめまして、自己理解コーチのとしです。このたびブログを開設し、自己理解の大切さについて発信していきたいと思います。自己理解がなぜ大切なのでしょうか? それは自己理解こそが、私たちがより良く生きるための基盤だからです。自己理解が浅いと、何を Priority にすべきか判断できません。目的もなくうろうろすることになりがちです。自己理解を深めることで、自分の価値観や特徴を理解し、生き方の目標や優先順位を定める手がかりが得ることができるようになります!また、自己理解が浅いとストレスへの対処が難しくなります。自分を客観的に理解していなければ、ストレスの原因や本質的な問題が掴みづらく、上手く克服できません。自己理解はマインドコントロールの基本でもあるのです。自己理解をしようとしてもなかなかしっくり来なかったり本当にこれでいいのかという迷いながらすすめている状況ではないでしょうか?一人でも多く自己理解の大事さを伝え少しでも自分のやりたいことに向かって行動できるようにしていきたいと思っています。このブログを通じて自己理解のススメを発信していきますのでぜひフォローしてください!
0
カバー画像

理想の人生が思い描けない時

コーチングセッションで 「理想の人生」について 質問することがあります 人によって 自由に思い描ける方もいらっしゃれば 上手く想像できない…という方もいらっしゃいます 理想が上手く描けなくても それ自体は、良い・悪いとかはなくて 自分と向き合うことに慣れていないだけ という場合があります また、自分に自信がなかったり 自己肯定感が低いと 自分にはきっとできない、無理だ 自分にはそんな才能や力がないと、理想の前に抵抗感が出てくる場合があります その抵抗感は 考え方の癖、思考パターンのようなもので 長年の人生経験で身に付いたもの 理想を思い描く時に そんな抵抗感が出てきたら 1.思いっきり変顔をする 2.3回ジャンプしてでんぐり返りする 3.一心不乱に踊る 上矢印どれでもいいので、 その場でやってみて下さい(笑)いつもと違う自分を体験することで 固まってしまった思考パターンや心を 柔らかくほぐすことがポイント理想を思い描くのに 真面目である必要はないんです ワクワク、なんかおもしろいな♪それくらいの軽い気持ちでやってみる そうして何度も理想を描いていると だんだんと本当の自分の理想の人生が 見えてきます
0
カバー画像

やりたいことが分からないのは、あなたのせいじゃない!

こんにちは(^-^)はるです。今の仕事に喜びを感じない。だけどこれといって「やりたいっ!!!」って思うこともない。 そんな風に思っている方。 それはあなたのせいではないってことを知ってもらいたいんです! なぜ、やりたいことがわからないかというと、私たちはずっと正解を教えてもらう教育を受けてきたから。 学校教育も正解をひたすら答えていくようになっていました。 漢字や計算問題は分かりますが、自由度の高いはずの工作や作文、歌い方まで評価を受ける。 そんな世界で私たちはずっと生きてきたのです。 自由にって言われても、そこには評価がついてまわるので無意識に評価が高いものや受けが良さようなもの、先生の求めるものをやるようになる。 教育がそんな感じだったので、その先の社会も結局一緒。 自分がやりたいものよりも、人が求めるもの。 自分がやりたいものよりも、評価が高いもの。 自分の考えよりも、マニュアル(正解)に沿ってやる。 そんな流れの中で私たちは生きてきたのです。 だから、自分のやりたいことがわからなくなって当然なんです。 でも時代は変わりました。 個性を求められる時代の到来です。 だけど、今まで 「これが正解ですよ」 「こうすると幸せになれますよ」 「この方法だと上手くいきますよ」 のような世界にいたので、そう簡単には見つかりませんよね? でもこれはみんな一緒だと思うんです。 今までの時代を生きてきた人は、多かれ少なかれ誰しも影響を受けていると思うんです。 もちろん私も。 だから、ここからそれぞれにみんなスタートするんです。 他人の意見はひとまず置いておいて、 常識も脇に置いて、 もし、何
0
カバー画像

僕が、僕の本音を見つけるまで。さいごに。

「人生は何があるかわからない。」ありがたい事に、この1年で、昔からは想像もできない経験をたくさんしてきた。いいことも悪いことも含め、自分を回復させる材料となってくれた。不思議だが、終わってから思い返すと、辛かった記憶も、すべてが意味のあったことのように思える。思い返せば、最初の1歩はなかなか出なかった。脱サラした頃だ。ぼんやりと宮古島に行きたいと思っても、怖くて行動できなかった。全く知らない土地で、知り合いもいない環境で、自分1人で生きていける気がしなかった。あの時は、カウンセラーが何度も何度も、手を変え、品を変えて、説得を試みてくれたおかげで、1歩目を踏み出せた。その節は、本当に感謝しかない。僕は、中学生頃から、自分の生きずらさを発端に心理学を学んでいた。日に日に、知識は増えて行ったのだが、自分の変化はほとんど起きなかった。その度に、原因を考えて、試行錯誤しては、新しい方法を試し、結局、失敗していた。いつも「またか。」と落ち込んだ。しかし、少し時間が経つと、また新たな知識を見つけてきて、「これなら変われるかもしれない」と淡い期待を抱き、ぶつかっていった。そして、その度に返り討ちにあっていた。行動しただけ良しと思いたいが、手元には「絶望」だけが残り、いつもマイナスな気分だった。そして、「自分の理解者はいない」と思い込み、誰にも相談できず、一人孤独になっていった。心理学にも、世の中にも裏切られた気分になっていて、この時はもうどうしようもなかった。当時の自分に言いたいのだが、人の変化の本質は、心理学の小手先のテクニックや、自己啓発本の中にはない。。いくら知識を学んでも、そもそもの人
0
カバー画像

僕が、僕の本音を見つけるまで。〜雪山スノボ編②

スキー場に来てからは、平和な毎日が続いた。仕事のストレスも少なく気楽だった。思えば、1ヶ月で契約満了の予定だったが、いつの間にか、3ヶ月も延長していた。僕にとってこれは、本当に珍しい事だった。何度か住み込みのバイトを経験したが、1ヶ月経つと例外なく辛くなっていた。それは、仕事内容への飽きや、人間関係の我慢、住んでいる町への閉塞感などから生じていた。だから毎回、残りの期間は、空元気で乗り切っていた。非常にしんどかった。だから僕は、そうなることを見越して、スキー場の契約も1ヶ月からにしていた。しかし今回は、いい意味でその予想を裏切られた。仕事内容は単調であったものの、それを忘れさせてくれるほどの、人間関係の楽しさがあった。スタッフみんな、スローライフマインド(?)的なものをもっていたし、小学生ぶりくらいに、居心地が良い友達とも出会えた。久しく忘れていた、心から楽しむ感覚を思い出せた。この環境ではなかったら、僕は確実に延長していなかった。本当にかけがえのない日々だった。だからこそ、帰宅の日は寂しかった。今まで、学校の卒業式ですら、寂しさを感じたことがなかった僕だが、この時に、人間の本来の温かさを取り戻せた気がした。改めて、いい時間を過ごせた。その子たちとは、今も連絡を取り合う仲だが、いつも僕の孤独を忘れさせてくれる。しかし、1年前の僕では、この出会いは生まれなかったと思う。自分の心を優先し、外側の変化を繰り返しながら、そこで関わる人間関係の相互作用で、内的な変化が生じた結果だと思っている。自分で言うのはおこがましいが、昔の自分から比べると、考え方も感じ方もまるで変わった本当に別人にな
0
カバー画像

僕が、僕の本音を見つけるまで。〜雪山スノボ編

僕は、志賀高原にあるスキー場に来た。山奥シェアハウスで3ヶ月過ごし、次の目的地が決まって飛び出した。お金がない中でもスノボを続けるために、自分なりに思いついた行動だった。行く前は、陽キャが多いのではないかと不安だった。それは、スノーボードのイメージが明るい人が多いイメージがあったからだ。自分はそこまで人と積極的に話すタイプではなく、人混みなども嫌いなので、合う人がいるか心配だった。しかし、その不安はすぐに払拭された。同僚や先輩には、自分と似ている人が多かったのだ。「これなら自分ペースで過ごせそうだ」と安心した。仕事は、到着した次の日から始まった。僕の担当はリフトで、朝の動作確認をしたら、あとは1日座っているだけの仕事だった。これが本当に楽だった。座っているだけと言っても、もちろん、お客様が安全にリフトの乗り降りができているかを確認するための大事な仕事だ。ただ、それさえきちんとやれば、あとは本当に自由だった。先輩たちは、ジュースを飲む人もいたり、タバコを吸っている人もいた。また、外に出て雪だるまを作る人や、音楽を流してノリノリな人もいた。当然、みんな自由にはしつつも、仕事自体はきちんとやっていた。そのメリハリがある感じも好きだった。僕が、今ままで経験した仕事の中では、間違いなくトップクラスに楽だろう。しかしもちろん、良いことだけではなかった。1月のハイシーズンなどは、信じられないほど寒く、昼間でもマイナス15℃を下回った。外に出ると、一瞬でまつ毛が凍ってしまい、目が開けられなくなるほどだった。また大雪の日は、早出をして、雪かきをしなければならなかった。これがとてもキツかった。掻い
0
カバー画像

僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編⑤

僕は、シェアハウスのオーナーにと一緒に、近所のスキー場に向かった。そこは、特別、大きいゲレンデではなかったが、地元に根ざした暖かい場所だった。僕は、オーナーに教わりながら必死に練習した。何度も転んでは立ち上がり挑んだ。半日っても成長幅が小さく感じ、「やはり難しいな」と思った。しかし、根気よく丸一日滑っていると、だんだんと成果が出てきた。そして、帰る頃にはターンができるようになった。その日はそこで終了したが、早くまた行きたいと思った。数年ぶりに苦手を克服できた気分になって、嬉しかった。その後も僕は、ゲレンデに通い詰めた。とにかく楽しかった。楽しくてしょうがなかった。値段など気にしなかった。毎回、8000円強かかったが、楽しさを優先したい気持ちが勝った。しかし、当然ではあるが、貯金はあっという間に底をつきた。少しは焦ったのだが、この時は、不思議と、そこまで不安にはならなかった。お金がなくなる恐怖より、スノボを続けたいという気持ちの方が強かったからだ。やっとここから、次の仕事を決めるモチベーションが生まれた。自分でも、スキー場の仕事なら続けらそうな気がした。山奥シェアハウスに来て約3ヶ月、終わりのないトンネルにいた気分だったが、ようやく光が見えてきた。僕は、志賀高原のスキー場に応募した。担当の方と電話で話し、すぐに採用が決まった。「やっと次へ進める。」僕は、荷物も揃わず、髪も伸び切ったまま、次の目的地に向かった。続く
0
カバー画像

僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編④

次の行き先が決まらない僕は、悶々と生きていた。何かをしようにも手がつかず、ただ、自分の状況を恨めしく思っていた。そんな時、偶然にもオーナーから、「スノーボードに行かないか」と誘われた。僕は、とても迷った。なぜなら、スノボにあまりいい思い出がなかったからだ。以前、高校生の頃に1度だけいったのだが、その時は全く滑れなかった。当時はスノボの知識が無かったということもあったが、大きな原因は、初心者のくせにいきなり上級コースに向かったことだった。当時は、なぜか自分を過信しており、軽い気持ちで頂上に向かってしまったのだ。しかし実際に山頂に着くと、想像していた数倍は傾斜がきつく、思わず足がすくんでしまった。下から見上げるのと上から見下ろすのとでは、まるで景色が違く、恐ろしかった。なんとか転げ回りながら、やっとの思いで下山した。本当に恐ろしかった。そういった経緯があり、二つ返事で「行きます」とは言えなかった。一旦、考える時間が欲しかった。普段から、同じような生活に飽きていたのは事実だ。だからこそ、スノボで変化を生み出したいとも思った。しかし、どうしても過去のトラウマに足を引っ張られる。どうすればいいのか。。。僕は、1日葛藤した。そしてふと、「もし僕が、スノボに対する恐怖がなかったらどんなイメージを持っていただろうか」という問いが浮かんだ。それに対し、「楽しそう」「気持ちよさそう」「スピードが出て、爽快さを感じられそう」というポジティブな言葉が浮かんできた。その時に僕が、「スノボ自体には興味がある」ことを理解した。僕は、すぐオーナーにLINEを送った。「やっぱり連れて行ってほしいです」と。オーナ
0
カバー画像

僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編③

山奥シェアハウスに来て2ヶ月が経った頃、僕は悶々としていた。何故なら、ゆっくり過ごすことに飽きてきていたからだ。最初は、疲れ切った自分を癒すために古民家シェアハウスに来たのだが、スローペースな生活の中で段々と体力が回復してきていた。僕は、そろそろ動き出したくてうずうずしていた。とは言っても、他の場所に移り住むとかいう訳ではなく、何らかの住み込みの仕事をするつもりだった。それに、貯金も尽きかけていたので、働くしかなかった。当時の預金残高は15万円程だった。進む先が決まらない焦りに加えて、お金がなくなる恐怖がのし掛かってきた。毎日、indeedの画面を開いては、「あーでもない、こーでもない」とスクロールしていた。時間をかけた割に、あまりピンとくるものは見つからなかった。何度か、無理やり仕事を決めようとしてみたが、途端に無気力が体の中を駆け巡り、それ以上進めることができなかった。僕の心は、前より自分に対して正直になっており、嫌なことに力を出せなくなっていた。前進したい気持ちと、進めない苦しさがぶつかり合って、鬱々としていた。「何なんだよ俺の人生って…」何もしないで過ぎる時間に、虚しさを感じた。この時期は、いつも目覚めが悪かった。よく嫌な夢を見ていた。全部、後味の悪い夢だった。YouTubeや音楽を聴くこともしんどかった。ファッションにもこだわりがなくなっていった。何かをしたいのに、何をしていても楽しくなかった。出口のないトンネルを、永遠と歩いているような気分だった。いつになったら光が見えるのだろう。そもそも光なんてあるのか。ここまで来たのに、なぜ停滞しているのか。本当に苦しかった。も
0
カバー画像

僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編②

基本、僕はシェアハウスで、派手なこと何もせずゆっくり過ごしていた暇になったら、自然をぼーっと眺めたり、近くを散歩したりしていた。娯楽といえば、YouTubeとたまに見るNetflixくらいだった。その時は、ゆったりと過ごしているのが一番心地よく、僕の身体もそれを欲していたのがわかっていた。そんな僕に、特に何かを言ってくる人もおらず、みんないい距離感でそっとしておいてくれた。住人さん同士も、お互いを必要以上に干渉することなく、それぞれ自由に過ごしていた。自分で野菜を育てたり、アコギを弾いたり、プログラミングを書いている人もいた。僕の楽しみは、食事の時間だった。できるだけ、安く美味しく作ることを目指していた。付近にはコンビニすらなかったので、週一回、オーナーが隣町まで買い出しに連れて行ってくれた。他にも、自分たちが育てた米やサツマイモがあり、また、知り合いの農家さんが野菜をくれることもあった。米とサツマイモは食べ放題だったので、最悪、お金が無くなっても餓死することはなかった。とにかく食べ物は1番大事で、体温維持のためにも欠かせなかった。冬は、豪雪地帯になるので、家の中まで寒くなることが多く、しっかり食べないと耐えられなかった。また、寝る時は、布団の中があまりにも冷たいので、自作の湯たんぽを使っていた。ただ、正規品の湯たんぽがなかったので、500mlのペットボトルに熱湯を入れて代用した。とりあえず、足が暖まると落ち着いて眠ることができた。しかし、プラスチックなので、直接触れると熱すぎて飛び起きることもあった。他にも、シェアハウスの電気が急に止まったことがあった。原因は、近くの電線が切
0
カバー画像

僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編

僕の心は、今までよりも正直になってきた。以前よりも、やりたいことが明確にわかるようになり、逆に、やりたくないことを拒否する感覚も強まってきた。メンテルヘルス的には、とても良い兆候だと思った。しかし、その影響で心のストッパーが外れ、今まで何年も溜め込んできた「我慢や疲労」が一気に溢れてきた。やりたく無い事をやろうとすると、全身がとてつもないだるさと無気力に支配され、体が言うこと聞かなくなった。考え事をすると、頭にモヤがかかったように思考できなかった。今までのように、無理矢理に自分を奮い立たせて頑張るようなやり方は通用しなくなった。力が湧いてくるのは楽しいと感じる時だけで、基本的には無気力だった。初めは、自分に甘えているのかと思い自己嫌悪に陥ったが、カウンセラーの先生に話を聞くと、どうやらそうでは無いことがわかった。これは心理学的にはアパシーという状態らしく、僕の心は「今は何にもしないで、とにかく休んで。」というメッセージを「無気力」という形に変換して体へ伝えていたようだった。これは想像以上に強力で、当時は、どんなに気合を入れても力が出てこなかった。1度、この状態になると、もはや自分の意思ではどうすることもできず、素直に回復するまで休息を取るしかなかった。仕方ないので、とにかくゆっくり休めそうな場所を探した。自分の気持ちとしては、自然の中で誰にも干渉されずに過ごせる場所を求めていた。その方向性でしばらく探していると、山奥シェアハウスというものを見つけた。そこは、名前の通り山奥にあるシェアハウスで、オーナーごとに色々なコンセプトを掲げて運営されていた。僕が見つけたところは、「山の中で
0
カバー画像

僕が、僕の本音を見つけるまで。〜長野・八ヶ岳編②

休みになると、よく寮の近くを散策していた。付近には手付かずの自然が多く残っており、ただ歩くだけでも楽しかった。その中でもお気に入りだったのは、森の中を抜けると突如現れる池だった。そこは、標高が1600メートルの場所に位置しており、その場所に向かって何本かの遊歩道が整備されていた。僕が訪れたのは、紅葉の折り返し時期で、緑の木と枯れ木が混在していた。昼間は、池に太陽光が反射して周囲の木々を明るく照らしており、夜になると満点の星空と数台の人工衛星が確認できた。木々の後ろからは、赤岳などの高山も顔を覗かせ、まるで大自然の欲張りセットのように感じられた。僕は時間が出来るたびにその場所に行き、ただ池をボーッと眺めるという贅沢な時間を過ごした。しばらく見ていると、まるで自分が、自然の中に溶け込んでいくような感覚になるのが好きだった。仕事で溜まったストレスも浄化されていく気がして、とても心地よかった。これほど美しい場所がなぜあまり知られていないのかと不思議に思ったが、1人きりで過ごせるので僕には好都合だった。ところで、自然が大好きな僕なのだが、少し前まで、自分を都会好きだと思って疑わなかった。都会の煌びやかな刺激だけが、自分の孤感や寂しさを紛らわしてくれると感じ、渋谷や新宿に足繁く通った時期もあった。しかし今は、都会の灰色の景色も人混みも大っ嫌いだ。電車でたまたま通る時は、気が詰まりそうなこともある。この極端な変化は、前回の宮古島での生活を終えてから起こったことだった。島での激務や初めての熱帯の環境に置かれることで、生きる為になりふり構っていられなくなり、底力みたいなものが出たのだと思う。毎日
0
カバー画像

僕が、僕の本音を見つけるまで。〜長野・八ヶ岳編

宮古島での生活を終えた僕は、長野に来ていた。理由は、宮古島の海を見て山が好きだと気づいたからだ。中でも、長野の山脈に興味が湧いたので、八ヶ岳方面に向かった。次の職場は、その山脈の近くにあるホテルだった。ホテルの敷地内はとても広く、道路だけは綺麗に整備されていたが、生きた自然が多く残っていた。野生に手をつけていないせいか、鹿の群れも何度か見た。あまりの美しさに、僕の心は高揚していた。しかし、前回のホテル清掃で、なかなかハードだとは思い知らされていたが、悔しくも、またホテル清掃を選んだ。選んだのは、景観の美しさが理由だった。それ自体は大正解だったが、後に、田舎の人手不足の現実を思い知らされることになった。着いて早々、仕事が始まった。前回の経験もあり、仕事に慣れるまでに時間は要らなかった。しかし、宮古島と違う点が2つあった。それは、人手不足による仕事量の増加と、清掃スタッフの高齢化だ。1日の流れはこんな感じだった。9時に仕事開始し、そこから14時まで休憩なしで清掃をする。その後、軽く休憩をしてから、17時まで備品の補充などをして帰宅する。大まかな流れは大体こうだった。しかし、僕が来たときはちょうど繁忙期で、とても忙しかった。毎日、16時近くまで掃除をしないと終わらないので、休憩も取れず、昼食も食べられなかった。代わりに、お菓子を少しつまむ程度食べて凌いだ。毎日ヘトヘトで帰宅した。何度も、とんでもない場所に来てしまったと後悔した。自然が綺麗ではなかったら、すぐにやめていた。また、高齢スタッフのハラスメントも酷かった。ある70歳過ぎの女性スタッフの方と同じチームになることが多かったのだが
0
カバー画像

僕が、僕の本音を見つけるまで。〜宮古島編②

初めての休日になった。僕は同僚と、新城という海へ向かった。「新城」と書いて「アラグスク」と読む。地元でも結構、有名な海だった。僕たちは、着いて早々に潜りはじめた。透明な海の中を潜っては、色とりどりの魚やカメを見つけた。同僚は何度か来ていたらしいが、楽しんでいるように見えた。僕は20分くらいで海から上がり、遠くから、まだ潜っている同僚を眺めていた。海中の塩分濃度が高かったのか、乾いてきた肌はベタついた。この時、僕はひとり浜辺に座り込み、がっかりしていた。出てきた言葉は「こんなもんなのか」だった。心から宮古島の海を見たいと思ったのに、自分が望んで来た場所だったはずなのに。その程度の感想にしかならなかった。来るかどうかを何度も悩んで、考えて、それでも行きたいと思って踏み出した一歩が、すべて”無”に帰するような錯覚に陥った。呆然とした。「やっとの思いで行動したのに、なんの収穫も得られなかった」僕は、島に来た意味を見失っていた。今だからわかるが、当時の僕は、島に来る前から期待を膨らませ過ぎており、何かを掴もうと意気込みすぎていたのだった。遠くでシュノーケリングを楽しむ同僚がみえた。僕は一人、虚しい気持ちで浜辺にいた。「ずっと座っていても仕方ないから、一旦、歩こう…」おもむろに立ち上がり、なんとなく浜に沿って歩きはじめた。うっそうと茂る木々の前を通りすぎ、しばらく行くと、開けた場所に着いた。その場所からは、今まで、木々で遮られて見えなかった大きな岩山が見えた。その岩肌はゴツゴツしていて荒々しく、所々には苔が生えていた。まるで大地が躍動しているようで、強い存在感があった。僕は岩山に見惚れなが
0
カバー画像

僕が、僕の本音を見つけるまで。〜宮古島編

入社半年で会社を辞めた僕は、宮古島に来た。宮古島を選んだ理由は単純で、東洋一綺麗な海を見たかったからだ。羽田から下地島空港へ約3時間のフライトを終え、飛行機から降りた僕は、全身ににまとわりつくような熱を感じた。「本当に来たんだな...」新天地へ来た実感をいまいち掴めないまま、僕は指定されたタクシーに乗り込んだ。本当は旅行で来たかったのだ。しかし、当時の僕にそんな余裕はなかった。色々考えた結果、仕方なく住み込みの派遣を選んだ。担当者からは、事前に寮付きだとは聞いていたので汚いかもと想像していたが、綺麗な普通の1Kだった。寮費と水・光熱費は無料で、昼食だけ会社から弁当が支給された。朝晩は自炊した。因みに、僕はここから3ヶ月ほど宮古島で生活するのだが、今思えば、幅広い年代の人が働きに来ていた。下は19歳の学生から、上は70代のおじいちゃんまでいた。みんな島の海が見たくて来たと言っていた。リピーターの人も何人かいた。僕は、「何歳でもやりたいことやってる人はパワーがあるな」と思った。島に来た人たちの中には、独特な過去を持った人も多かった。個人的に、1番強烈に覚えているのは、「元々、年商ウン十億の会社の社長だったが、お客さんに裁判を起こされて、全財産を凍結されて裁判中」というおじさんだった。その人は客室清掃の責任者で、僕らの指導者的な立ち位置も担っていた。とても仕事ができる人で、清掃チームがバランスよく配置につけるように、いつもモニターで迅速に指示を出していた。来たばかりの自分ことも気にかけてくれて、僕も、仕事上ではその人を頼りにすることがあった。しかし関わるうちに、その人からは、隠しきれ
0
カバー画像

僕が、僕の本音を見つけるまで。〜脱サラ編

初めまして。心理カウンセラーのもっくんです。このブログでは、僕はどんな人間で、どんな経験をしてきたのかをまとめていこうと思います。もし、興味が湧いた方は、覗いていってみてください。1年前、僕は会社を辞めた。毎日、満員電車に揺られ、好きでもない仕事をこなす事に限界がきたからだ。また、社長とも仲が悪く、毎日会うのが苦痛だった。それらの理由が積み重なり、僕は会社を辞めた。レールから外れ、路頭に迷った僕は、未来への不安と恐怖で押しつぶされそうだった。辞めた日の夜は、強烈なめまいに襲われた。次の日から、焦って次の職探しをしていたが、どうしても決まらなかった。正社員だけでなくバイトも見てみたが、あまりピンと来なかった。僕は、一人で考えるのに限界を感じ、少し前から良くしてもらっているカウンセラーの先生に相談した。先生によると、僕の中に、「やりたくないことを頑張るキャパ」が残っていないようだった。学生時代からたくさんの我慢を続けてきた僕の体は、次の仕事を決めないことで、僕に危険信号を出していたようだ。イメージすると、僕の体が、「もうやりたくないことはやらせないよ!これ以上、我慢させたら病気になっちゃうからね!」と言っているような感じだ。続けて先生は、「君の対人恐怖や希死念慮も、今までの我慢の積み重なって吹き出したものだよ」といった。実は僕は、中学生の時から、希死念慮や対人恐怖を持っており、大人になってもそれらに苦しめられていた。そうだったのかと。先生の言葉が腑に落ちた。今までは、嫌なことを我慢して頑張らないといけないと思い込んでいたが、その時に初めて、「やりたいことをやってみよう」と思えた。僕
0
カバー画像

最後のやりたいことのみつけ方

3分で1個心のブロック解除マインドブロックバスター 藤田貴子です心のブロック解除セッションでは私がお客様のお気持ちをブロック解除しています。そして、宿命・潜在意識のタイプを判定しご自身を深く理解していただいています。ご相談の中でとても多いのが、自分のやりたいことがみつからないしそもそも何がやりたいのからわからない…ということ多くの方がかんちがいをされてますが、やりたいことって運命的にコレ!とあるのではなく、いろんなことをやっていくうちにこれかな?とジワジワ実感できるもので最初はよくわからない、興味レベルからのスタートでいいですね。私は5年前からマインドブロックバスター として活動してますが当初は意味も何もわからないままスタートして活動していく中で、過去の私と同じように、潜在意識のタイプがわからないためにやりたいことがわからず苦しみもがいている方々へこれまで学んできたことを伝え「なんだかうまくいかないと悩んでいる人を助ける」マインドブロックバスター を仕事にしよう!と決めました。これがやりたいことなんだなと感じるまでには、タイムラグがあるものです。そして、やりたいことに気づく前にあなたの価値基準をはっきりと設定することが大切です。努力は必ず報われると言われますが、その答えはNO!心のブロックだらけで、潜在意識のタイプを知らずにいると自分の苦手なことばかりに目が行き自己否定が加速していくだけ。まじめに努力してもそれがあなたの生まれ持った潜在意識のタイプに合っていなければしあわせにはなりません。あなただけが使える 勝ちパターンを手に入れると努力は報われます。潜在意識のタイプを理解し心
0
カバー画像

悩み相談、キャリアカウンセリングを届けたいワケ〜私の原体験20代〜

こんにちは、ちょんちょです。本日は、私がなぜ悩み相談やキャリアカウンセリングサービスを届けたいと思っているのか、自己の原体験をご紹介したいと思います。まずは20代、新入社員から入社数年間を振り返ります。子どもの頃から、人より特別に大好きなものも、得意なものもなかった私。就職活動の際も、どうしてもやりたいことが見つからず、勤務地や働きやすい制度などの条件を優先し、職場を決めました。そんな動機での就職だったので、仕事の面白さが見出せず、20代の頃は「どこかに面白い仕事はないか?」「好きなことを仕事にすればやりがいが得られるのでは?」とキャリア迷子に陥っていました。「次にやりたいことは見つからないので、会社を辞める勇気はない。」そんな諦めの気持ちで当時の仕事と向き合っていました。そんな毎日の中、当時日経ウーマンのウーマンオブザイヤーを受賞された、iモード生みの親の松永真理さんのコメントを読み、考え方が180度変わる強い衝撃を受けました。「仕事の95%は繰り返しのルーティンワーク。でも残り5%をどう膨らませるかで面白くできるかどうかが決まる。どこかに面白い仕事があるのではと探すのではなく、目の前の仕事を面白くする方法を探すことの方が重要。楽しいことをするんじゃなくてすることを楽しんでみる。こっちの方が知的だし、ずっと豊かな人生になると思うんです。」出典:しびれるほど仕事を楽しむ女たち「こんなに輝かしい仕事をされている方でも95%は繰り返しのルーティンワークなのか。。」「面白い仕事を探すのではなく、いまの仕事を面白くすれば良いのか」この時から、私の仕事の向き合い方は変わり、自分の変化が仕
0
カバー画像

やりたいことは「must」「can」「will」の順に見つける

やりたいことがありすぎるむらいちです。 「セミナーを開く」「英語をマスター」「世界一周」など色々ありますが、全てできるように精進していきたいと思います。 今回のテーマは「やりたいことは「must」「can」「will」の順に見つける」になります。 これはR25で紹介された >箕輪厚介さんのインタビュー記事 の内容ですが、私なりに感じたことをご紹介いたします。 まず、この記事で話している主な内容ですが、 ◯強くやりたいこと(will)がある人は全体の5%ぐらい ◯wiiがないのであれば、出来ること(can)から見つける ◯canを作るには、やらなければならないこと(must)をやりまくる ◯プロとしてやりたいこと(will)をするなら、それなりの覚悟が必要 ◯自分が今、「must」「can」「will」のどこにいるかを把握する このようなことが書かれていました。 これを自己啓発に当てはめると、始めにぶち当たる壁として 「やりたいことが見つからない」 というのがあります。 そんな時によく失敗する例として挙げられるのが 「インドに行ったけど、何も変わらなかった…」 という話です。 しかし、これは「must」が決まっていないからであって 「インドと日本の文化の違いを10個探しに行く」 「インドの人はなぜ、ITに強いのかを知るために現地に行く」 「インドの世界遺産を巡ってみて、感想をノート1冊にまとめる」 などの方が話のネタにもなりますし、人生の経験・ストックにもなります。 (ブログやYoutubeのネタ、マニュアルにも出来るかもしれません) さらにそのままインドに興味があるならば、それ
0
カバー画像

★やりたいことがみつかりません

宇宙の神様と守護天使を愛する皆さん、こんにちは。スピリチュアルヒーラーの沙耶美です。やりたいことが見つかりません。 どうしたら、やりたいことは見つかるのでしょう? この内容の質問はとても多いです。やりたいことって言うと、人生をかけてそれだけに没頭することって考えていることが多いのかなって思います。 でも若いうちに、そんなに人生経験豊富じゃないのに、やりたいことなんて見つからないでしょ。 だったら「興味があること」に置き換えてみたらどうでしょう。 興味があることを、いろいろやってみるの。 読書でも、スポーツジムでも、映画鑑賞でも。 それって趣味だよねって思うような、小さなことでもいいから、やってみるの。 やってみないと、自分の心がどう感じるかなんて、わからないから。 それでもわからなくなったら、子どものころからの夢を書き出してみる。 ノートをひとつ、作るといいですね。 いっぱい夢を書き出して、できそうなところからやってみる。 もうひとつ、いろんな体験レッスンを受けてみるのもいいと思います。 無料で受けられる、体験レッスンってきっとたくさんあると思うのね。 興味があるものを、片っ端から体験レッスンしてみて、その結果をノートに書き出しておく。 自分が何を感じたか、つまらなかったのか、楽しかったのか。 そうやっていろんなことを、いろんなスタイルで経験してみて。 そうしたら、いつの間にかチャンスは必ずやってくるから。 沙耶美
0