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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜雪山スノボ編②

スキー場に来てからは、平和な毎日が続いた。仕事のストレスも少なく気楽だった。思えば、1ヶ月で契約満了の予定だったが、いつの間にか、3ヶ月も延長していた。僕にとってこれは、本当に珍しい事だった。何度か住み込みのバイトを経験したが、1ヶ月経つと例外なく辛くなっていた。それは、仕事内容への飽きや、人間関係の我慢、住んでいる町への閉塞感などから生じていた。だから毎回、残りの期間は、空元気で乗り切っていた。非常にしんどかった。だから僕は、そうなることを見越して、スキー場の契約も1ヶ月からにしていた。しかし今回は、いい意味でその予想を裏切られた。仕事内容は単調であったものの、それを忘れさせてくれるほどの、人間関係の楽しさがあった。スタッフみんな、スローライフマインド(?)的なものをもっていたし、小学生ぶりくらいに、居心地が良い友達とも出会えた。久しく忘れていた、心から楽しむ感覚を思い出せた。この環境ではなかったら、僕は確実に延長していなかった。本当にかけがえのない日々だった。だからこそ、帰宅の日は寂しかった。今まで、学校の卒業式ですら、寂しさを感じたことがなかった僕だが、この時に、人間の本来の温かさを取り戻せた気がした。改めて、いい時間を過ごせた。その子たちとは、今も連絡を取り合う仲だが、いつも僕の孤独を忘れさせてくれる。しかし、1年前の僕では、この出会いは生まれなかったと思う。自分の心を優先し、外側の変化を繰り返しながら、そこで関わる人間関係の相互作用で、内的な変化が生じた結果だと思っている。自分で言うのはおこがましいが、昔の自分から比べると、考え方も感じ方もまるで変わった本当に別人にな
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜雪山スノボ編

僕は、志賀高原にあるスキー場に来た。山奥シェアハウスで3ヶ月過ごし、次の目的地が決まって飛び出した。お金がない中でもスノボを続けるために、自分なりに思いついた行動だった。行く前は、陽キャが多いのではないかと不安だった。それは、スノーボードのイメージが明るい人が多いイメージがあったからだ。自分はそこまで人と積極的に話すタイプではなく、人混みなども嫌いなので、合う人がいるか心配だった。しかし、その不安はすぐに払拭された。同僚や先輩には、自分と似ている人が多かったのだ。「これなら自分ペースで過ごせそうだ」と安心した。仕事は、到着した次の日から始まった。僕の担当はリフトで、朝の動作確認をしたら、あとは1日座っているだけの仕事だった。これが本当に楽だった。座っているだけと言っても、もちろん、お客様が安全にリフトの乗り降りができているかを確認するための大事な仕事だ。ただ、それさえきちんとやれば、あとは本当に自由だった。先輩たちは、ジュースを飲む人もいたり、タバコを吸っている人もいた。また、外に出て雪だるまを作る人や、音楽を流してノリノリな人もいた。当然、みんな自由にはしつつも、仕事自体はきちんとやっていた。そのメリハリがある感じも好きだった。僕が、今ままで経験した仕事の中では、間違いなくトップクラスに楽だろう。しかしもちろん、良いことだけではなかった。1月のハイシーズンなどは、信じられないほど寒く、昼間でもマイナス15℃を下回った。外に出ると、一瞬でまつ毛が凍ってしまい、目が開けられなくなるほどだった。また大雪の日は、早出をして、雪かきをしなければならなかった。これがとてもキツかった。掻い
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編⑤

僕は、シェアハウスのオーナーにと一緒に、近所のスキー場に向かった。そこは、特別、大きいゲレンデではなかったが、地元に根ざした暖かい場所だった。僕は、オーナーに教わりながら必死に練習した。何度も転んでは立ち上がり挑んだ。半日っても成長幅が小さく感じ、「やはり難しいな」と思った。しかし、根気よく丸一日滑っていると、だんだんと成果が出てきた。そして、帰る頃にはターンができるようになった。その日はそこで終了したが、早くまた行きたいと思った。数年ぶりに苦手を克服できた気分になって、嬉しかった。その後も僕は、ゲレンデに通い詰めた。とにかく楽しかった。楽しくてしょうがなかった。値段など気にしなかった。毎回、8000円強かかったが、楽しさを優先したい気持ちが勝った。しかし、当然ではあるが、貯金はあっという間に底をつきた。少しは焦ったのだが、この時は、不思議と、そこまで不安にはならなかった。お金がなくなる恐怖より、スノボを続けたいという気持ちの方が強かったからだ。やっとここから、次の仕事を決めるモチベーションが生まれた。自分でも、スキー場の仕事なら続けらそうな気がした。山奥シェアハウスに来て約3ヶ月、終わりのないトンネルにいた気分だったが、ようやく光が見えてきた。僕は、志賀高原のスキー場に応募した。担当の方と電話で話し、すぐに採用が決まった。「やっと次へ進める。」僕は、荷物も揃わず、髪も伸び切ったまま、次の目的地に向かった。続く
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