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 スキー、行くぞ!!2023冬到来♡

私、スキーはデビュー3年前位でして、50歳手前のデビューです。幸いに体育会系出身という過去??をひっさげて辛うじて「遅咲きのお姐さんの参入」に踏み切っております。まずですね、、、。困ったことは「道具のセレクト」身長が低くて、全国小学校の身長体重でいうところの小学校4年~5年レベル。スキー板とかストックとか、22.5センチのブーツ探すとえ??ジュニアですか??と言う状況でありました。結局、チョー初心者なのにナント、スキー専門プロショップに行くことになりました。金額、半端ないがね>>>>最初は中古品で探して、1~2シーズン、スキーしてましたが、けっこう道具を破損させまして(/ω\)レベルですか??パラレル、ギリギリ出来てそうですが、斜度があると、腰、引けましてグダグダです。シュテムターンとか、微妙です。スピードは出し過ぎてました。スキーを楽しむ方ならご存知だと思いますが、ユキヤマアプリってありますよね。スキー場inして滑走すると、リフト乗車回数や走行距離、あとTOPスピード出るじゃないですか??初心者なのに「70㌔」スピード到達で、絶対、間違っとるわ!!と思いましたが、けっこう60㌔コンスタントに出ているので、ヤバいですね。でもスピードは求めていなくて、美しく滑らかな滑りを安定して滑走したいのです!!そんなところで、去年、ストックを新調して、今シーズンは、板新調しました。板のメンテナンスは、ワックスがけを夫がせっせとやっております。猛暑の影響や雪不足、直近では「雨」の影響で、行けそうなスキー場は限られそうです。デビューした時はゲレンデをスノボさんが横一列に並んで座っているところ、怖
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僕が、僕の本音を見つけるまで。さいごに。

「人生は何があるかわからない。」ありがたい事に、この1年で、昔からは想像もできない経験をたくさんしてきた。いいことも悪いことも含め、自分を回復させる材料となってくれた。不思議だが、終わってから思い返すと、辛かった記憶も、すべてが意味のあったことのように思える。思い返せば、最初の1歩はなかなか出なかった。脱サラした頃だ。ぼんやりと宮古島に行きたいと思っても、怖くて行動できなかった。全く知らない土地で、知り合いもいない環境で、自分1人で生きていける気がしなかった。あの時は、カウンセラーが何度も何度も、手を変え、品を変えて、説得を試みてくれたおかげで、1歩目を踏み出せた。その節は、本当に感謝しかない。僕は、中学生頃から、自分の生きずらさを発端に心理学を学んでいた。日に日に、知識は増えて行ったのだが、自分の変化はほとんど起きなかった。その度に、原因を考えて、試行錯誤しては、新しい方法を試し、結局、失敗していた。いつも「またか。」と落ち込んだ。しかし、少し時間が経つと、また新たな知識を見つけてきて、「これなら変われるかもしれない」と淡い期待を抱き、ぶつかっていった。そして、その度に返り討ちにあっていた。行動しただけ良しと思いたいが、手元には「絶望」だけが残り、いつもマイナスな気分だった。そして、「自分の理解者はいない」と思い込み、誰にも相談できず、一人孤独になっていった。心理学にも、世の中にも裏切られた気分になっていて、この時はもうどうしようもなかった。当時の自分に言いたいのだが、人の変化の本質は、心理学の小手先のテクニックや、自己啓発本の中にはない。。いくら知識を学んでも、そもそもの人
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜雪山スノボ編②

スキー場に来てからは、平和な毎日が続いた。仕事のストレスも少なく気楽だった。思えば、1ヶ月で契約満了の予定だったが、いつの間にか、3ヶ月も延長していた。僕にとってこれは、本当に珍しい事だった。何度か住み込みのバイトを経験したが、1ヶ月経つと例外なく辛くなっていた。それは、仕事内容への飽きや、人間関係の我慢、住んでいる町への閉塞感などから生じていた。だから毎回、残りの期間は、空元気で乗り切っていた。非常にしんどかった。だから僕は、そうなることを見越して、スキー場の契約も1ヶ月からにしていた。しかし今回は、いい意味でその予想を裏切られた。仕事内容は単調であったものの、それを忘れさせてくれるほどの、人間関係の楽しさがあった。スタッフみんな、スローライフマインド(?)的なものをもっていたし、小学生ぶりくらいに、居心地が良い友達とも出会えた。久しく忘れていた、心から楽しむ感覚を思い出せた。この環境ではなかったら、僕は確実に延長していなかった。本当にかけがえのない日々だった。だからこそ、帰宅の日は寂しかった。今まで、学校の卒業式ですら、寂しさを感じたことがなかった僕だが、この時に、人間の本来の温かさを取り戻せた気がした。改めて、いい時間を過ごせた。その子たちとは、今も連絡を取り合う仲だが、いつも僕の孤独を忘れさせてくれる。しかし、1年前の僕では、この出会いは生まれなかったと思う。自分の心を優先し、外側の変化を繰り返しながら、そこで関わる人間関係の相互作用で、内的な変化が生じた結果だと思っている。自分で言うのはおこがましいが、昔の自分から比べると、考え方も感じ方もまるで変わった本当に別人にな
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜雪山スノボ編

僕は、志賀高原にあるスキー場に来た。山奥シェアハウスで3ヶ月過ごし、次の目的地が決まって飛び出した。お金がない中でもスノボを続けるために、自分なりに思いついた行動だった。行く前は、陽キャが多いのではないかと不安だった。それは、スノーボードのイメージが明るい人が多いイメージがあったからだ。自分はそこまで人と積極的に話すタイプではなく、人混みなども嫌いなので、合う人がいるか心配だった。しかし、その不安はすぐに払拭された。同僚や先輩には、自分と似ている人が多かったのだ。「これなら自分ペースで過ごせそうだ」と安心した。仕事は、到着した次の日から始まった。僕の担当はリフトで、朝の動作確認をしたら、あとは1日座っているだけの仕事だった。これが本当に楽だった。座っているだけと言っても、もちろん、お客様が安全にリフトの乗り降りができているかを確認するための大事な仕事だ。ただ、それさえきちんとやれば、あとは本当に自由だった。先輩たちは、ジュースを飲む人もいたり、タバコを吸っている人もいた。また、外に出て雪だるまを作る人や、音楽を流してノリノリな人もいた。当然、みんな自由にはしつつも、仕事自体はきちんとやっていた。そのメリハリがある感じも好きだった。僕が、今ままで経験した仕事の中では、間違いなくトップクラスに楽だろう。しかしもちろん、良いことだけではなかった。1月のハイシーズンなどは、信じられないほど寒く、昼間でもマイナス15℃を下回った。外に出ると、一瞬でまつ毛が凍ってしまい、目が開けられなくなるほどだった。また大雪の日は、早出をして、雪かきをしなければならなかった。これがとてもキツかった。掻い
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丸沼高原スキー場 オープン

今日、丸沼に行ってきました。今年はシーズン券もシーズンロッカーもゲットしました。シーズンロッカーとても便利です。更衣室までスニーカーで行けるうえに、道具も置いたまま帰れます^^)ことしの、丸沼のコロナ対策、生まれ変わっていました。まず、自動で検温!!もう普通かもしれませんが、群馬県民の僕には初体験でした。そして何より、リフト待ちの密を避けるためと思われる施策がありました。 バイオレットコースのペアリフトが超超高速リフト化してました。もちろん普通の高速ペアよりだいぶ早かったです。降りる所でめっちゃ揺れる感じです!こんなん出来るなら、終息後もずーっと超高速リフトにしてほしいです。あと....360SKI-MOVIEの 5円企画まだ健在です(´;ω;`) お問い合わせの程、よろしくお願いします♡
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