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周易古占例 

天元春日  周易古占例 41 真勢中州とその一門の占 病因症治を問う/高島嘉右衛門の占 某県の知事、某省へ栄転せんとするに際し、その運気及び進退を占わんことを請う本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 今回は真勢中州とその一門の占、高島嘉右衛門の占例です。 (19)病因症治を問う             【得卦  師不変】           【真勢中州とその一門の占】 病因症治を問う。 師 不変  占にいわく、この病、客気(かっき)鬱結して腹を破りたる事三年已前に在りたるべし。これ変為生卦(へんいせいか)を二重に用いたるの法なり。  かつ、腎血を傷りたる事あり。これ以て今の病症となれるなり。  何となれば此卦は、もと地天泰の卦にて健かに在りつるところに三爻変じて乾の気を傷(やぶ)り、また初爻変じて腎水を傷り今師の卦象となれるをもってなり。  およそ震の気は上へ升(のぼ)りて傷れ、腎の水は下へ降りて傷るるものなり。これは震の気損し、また坎の腎水兌沢の中に止りしか。  初爻変じて流れ潰えたるの象あり。ゆえに即今にては小腹に痛みあるべし。  治方は二仙丹に参附を加減すべし。しかれども重き時には薬剤の力及び難かるべし。  まず、危篤難治の症なり。 (20)某県の知事、某省へ栄転せんとするに際し、その運気及び進退を占わんことを請う。                                      【得卦 水地比二爻】            【高島嘉右衛門の占】  某県の知事、某省へ栄転せんとするに際し、その運気及び進退を占わんことを請う。すなわち筮
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周易古占例 平沢随貞 近里において見る者あり、その品を問う/願望を占う

天元春日  周易古占例 40 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 今回は平沢随貞の占例です。 (17)近里において見る者あり、その品を問う             【得卦  需初爻】           【平沢随貞の占】  人二名あり。近里において見る者あり。その品を問う。  これを得ていわく、  坎は変ぜず。両坎、これ四足。  あるいは獣類ならんというに果たして獣なり。  いわく、坎、前にあり。これ険に近し。危うきことあらん。  足高し。疾走るか、あるいは傷るか。高に上るにあらざれば、低に陥るならんというに、  一は馬の溝中に堕ちて足を折るなり。  一は鹿の人に逐われて高岡林中に逃げ入るなりき。 (18)願望を占う             【得卦  師二爻】           【平沢随貞の占】  願望を占いてこれを得る(地水師二爻変)  これを断じていわく、一陽衆陰を主どる。  これ一ならず、党首ありて、数人の願なるべし。  その望む所、地面にあるか。水上の地不レ審(いぶかし)。  橋の事に預かるかというに、果たして数人橋を修復してその功を以て地を賜らんことを欲する願いなり。  二五相応ず、上また悪むにあらず。  かつ衆陰中の一陽、その勢い成るべきに似たり。  しかれども変じて坤となる、地をもって天を動かさんとす。  はなはだ難し。成るべからずという。  果たして遂に成らず。 ※文章は読みやすくするため、適宜加削変更しています。
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周易古占例 

天元春日  周易古占例 39  平沢随貞 前夜街上事あり。何事にやと問う/高島嘉右衛門 某鉱山の採掘事業を占う本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 今回は平沢随貞、高島嘉右衛門の占例です。 (15)前夜街上事あり。何事にやと問う。        【得卦  坤四爻変】           【平沢随貞の占】  前夜街上事あり。何事にやと問う。  いわく、坤は夜分一陽入り来りて人、これを悦ぶ。これ闇夜灯のごとし。  重卦争いあり。されば相争いて地上に踊る。  これ二人相撃つなり。灯の縁あらんというに、  果たして年少二人、互いに相闘撃して提灯を打ち破りたるなりと云いき。 (16)某鉱山の採掘事業を占う        【得卦  坤初爻】           【高島嘉右衛門の占】  明治二十一年冬、東京幸橋(さいわいばし)内に居住せる男爵某氏、来たり告げていわく、余、このごろ採鉱の事業に与(くみ)せんと欲す。  その鉱山は鉱学士某の保証して有益となす所なり。しかりといえども子幸にその得失を占えと。  すなわち筮して、坤の初爻を得たり。  爻辞に曰く、霜を履みて堅氷至る。  断に曰く、坤(こん)の卦たる、純陰にして一の陽爻なし。  これ事業を統御する者なく、衆人互いに私利を図るの時なり。  しかして初爻は陰の始めて凝る時にして、小人貪欲に急なる、その厭(あ)くことを知らざるの象とす、かつ乾を金となす、  今この卦に一の陽爻なきは、これ金を獲ざる象なり、  故に鉱学士の保証する所といえども、いまだにわかに信ずべからず、  かつこの爻は小人、利にはしり、君父(くん
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周易古占例 大島中堂 青島陥落の時期を占う/高島嘉右衛門 遣清大使の任を占う 

天元春日  周易古占例 38 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 今回は大島中堂、高島嘉右衛門の占例です。 (13)青島陥落の時期を占う 【得卦 剥之旅】           【大島中堂の占】  青島の陥落は時間の問題で、もはやこれを既定の事実と同視してよい。 されどその陥落はいつ頃なるか、いまだ俄かに予測し難きものがある、  ゆえにその期日について一占を試むるもまた全く無要のことではあるまい、よってこれを筮したがその卦は剥が変じて旅となった。  そこで卦象を案ずるに、剥はもと観、否等より来るところの消長卦の一で今や一陽が上に止まって居るけれども、まさに剥落して坤とならむとする所の象である、  ゆえにこれを名づけて剥と言ふたもので、剥とは上九の一陽が剥落消尽するの義である、  されば早晩陥落すべき青島の独軍とその意義を同じふして居るばかりでなく、上九の一陽が坤地の一端に偏在して居るのは、  即ち独軍が青島の要塞に籠閉(ろうへい)するの象(かたち)で、下の四陰がこれに逼迫しつつあるのは、すなわち我が皇軍の兵衆が彼を膠州(こうしゅう)の一角に駆逐窘蹙(くんしゅく)せしめつつある所の現状である、  しかのみならず、剥の裏面は夬で、夬とは下の五陽が上六の一陰を決去することを言ふたものであるが、五陽はすなはち独軍に当たる、  かくの如く剥の表裏を対観する所において、わが皇軍が海陸両方面より彼を挟撃して、一はこれを決去しまた一はこれを剥落せしむる所の象(かたち)が備はって居る、  これによって之を観れば、得卦剥の卦象は事実とよく符合して居ると言ふてよい、  
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周易古占例 高島嘉右衛門 朝鮮交渉易・平沢随貞 京極家士の被傷(けが)を占う

天元春日  周易古占例 37 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 今回は高島嘉右衛門、平沢随貞の占例です。 (11)朝鮮交渉易   【得卦  履之中孚】           【高島嘉右衛門の占】  明治十七年十二月、朝鮮京城において政党の軋轢よりして内乱を生じ、一時紛擾の際党派の邪正名弁ずべからず。  ために国王殿下、特使を派して我弁理公使竹添君について王宮の護衛を依托せらるること再三、 此において我公使その護衛兵を率いて国王の急に赴く。  しかるに清国将官某、その部下の兵を率いて王城に迫りついに我兵に向いて発砲し、同時にその兵商に令して我商民を屠殺せしめたり。 此報一たび我国に達するや、朝野騒然、物情恟々たり。  依て我外務卿井上伯全権大使の任を帯し、同二十四日を以て横浜を解纜し、朝鮮に向かう。 これ実に国家の重事なればその談判如何を筮して履の中孚に之くに遇う。 履之中孚 虎の尾を履(ふ)む、人を咥(くら)わず。亨(とお)る。  それ履の卦たるや、上卦の天を父とし、下卦の沢を少女とす。 すなわち少女、父のあとに随いゆく。ゆえに履と名づくるなり。  三爻にいわく、眇(すがめ)にしてよくみるとし、跛(あしなえ)にしてよく履むとす。虎の尾を履む。人を咥(くら)う。凶。武人大君たらんとす。 と。  三爻は成卦の主にして一卦の大体を見るなり。  そもそも朝鮮の国情たるや、古今知識制度の変遷を知らざる支那を学び、人民蒙昧にして天下の形勢に闇く、社会の事情に通ぜず。  今や十九世紀の世に処するに国としてその独立を持つべきも孤立すること能わざるなり。 ゆえに今
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周易古占例 新井白蛾の占例 器物二つ、類縁ありて類せざる物という/類縁なき物三品、一つは草、一つは虫、一つは建具という

天元春日  周易古占例 36 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 今回も前回に引続き新井白蛾の占例です。 (射覆二占) (9)器物二つ、類縁ありて類せざる物という   【得卦  大有之鼎(初爻変)】           【新井白蛾の占】 火天大有 初爻変 鼎   断にいわく、離は文あり。 この物模様あり。また離の象は中空また開いて円(まど)かなりとす。この物、この形なるべし。    乾は丸く、巽の象は下に凹あり。この物俗にいう「いとそこ」、碁笥尻(ごけじり)の物ならん。(注、1、糸底(いとぞこ)・・・陶磁器の底の部分。2、碁笥(ごけ)・・・碁石を入れる容器。)    さて、大有は大いに有なり。この物世に沢山なる器なるべし。     離は火にして升り、乾は水とし金とし重くして下る。巽は風にしてひるがえる。    この物用いるときに当たりて上たり下たりひっくりかえしするなるべし。     鼎は変革の義ありて改まるの意とす。これ物事を改むるに用るの意あるか。   「一つも上、空虚にして尻、丸長くして穴あり。その用とする所、穴にあるべし。    居(すわ)り悪き物、これも又倒(さかさま)にする意あり。    乾の丸く、巽の長く穴あるの象。 また風は動いて止らず居り悪きとす。」  一つは貴に属すべく、一つは賤に近かるべし。 一つは木にて作り、一つは金にて作る物とす。    大有の卦は貴に見、鼎の卦を賤に近くとす。 けだし此物、盃と上戸(じょうご)となるべし。 果たしてしかり。 (10)類縁なき物三品、一つは草、一つは虫、一つは建具という。    【得卦  坤
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周易古占例【高松貝陵の占例】北岡宗庵終身の占/ 備前国岡山の医師、男子の疾を占す

天元春日  周易古占例 33 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 今回は高松貝陵の占例です。 【高松貝陵の占例】 備前国岡山の医師、北岡宗庵終身の占     【得卦 蒙(もう)之師】           【高松貝陵の占】  備前岡山の医師、北岡宗庵、終身の事を筮す。 時に文化十五年の春なり。宗庵年三十有四 本卦 山水蒙(さんすいもう) 変(へん)卦(か) 地水師(ちすいし)を得たり。 断を予(高松貝陵)に乞う。  予示していわく、これより四年の後、春夏の際(あいだ)にあたって水難の恐れあるべし。 慎しめばすなわち免(まぬが)る。 謹(つつし)まざれば命、危うからんと。  果たして文政辛巳(ぶんせいかのとみ)宗庵年三十有七、京師(けいし)に上(のぼ)る途(みち)にして乗船す。 三月十九日、播州(ばんしゅう)赤石(あかし)沖(おき)において難船(なんせん)して死す。 断法、蒙(もう)、需(じゅ)、訟(しょう)、師(し)、比(ひ)みな主爻坎(かん)に體(てい)す。  これすなわち水難の象(かたち)なり。本卦蒙、変卦師、蒙より師に至る、すなわち四年なり。  また一爻を一年として考うれば四年は蒙の六四にして困(くるしむの)レ蒙(もうに)吝(りん)とあり。  また変爻より年を算(かぞ)うれば蒙の上九より四年にして需の九三にいたる。 いわく、 需二于泥一致二寇至一 (どろにまつ。あだのいたることをいたす)と。  このゆえに、これより四年の後、慎まざれば必ず水難ありという。 爻(こう)象(しょう)を推(おす)に、この水難必
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周易古占例 書状の内容の占 、高島徳右衛門の令息の生死の占

天元春日  周易古占例 32 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 今回は九鬼盛隆氏の占例です。 厳密には断易の占例ですが、柄沢照覚氏、高島嘉右衛門氏などが周易(高島易)による解釈も述べています。 現在では残された書物でして垣間見ることの出来ない先人の交流の一端をうかがうことができる好資料といえるでしょう。 【九鬼盛隆の占例】 (1)書状の内容   【得卦 賁之明夷】            【九鬼盛隆の占】 大正元年子月午日、余、東京本郷区湯島四丁目神誠館にあり、館主柄沢照覚氏、一封の書状を持していう、 これ我目下事業を経営せる友人青木利福の嘱なり、我も内容の記事は知るあたわざるも、記載文の事柄を代わりて判断せんことを需(もと)む、 余いわくこの如きは易占の本義にもとれり、 かつ余、いまだかかる占験なしといえども、今試みに断ぜんと、これを諾す。 しかして揲筮者(ちょうぜいしゃ)は同館員田辺天承氏にして、山火賁(さんかひ)の地火明夷(ちかめいい)に之くを得たりという(略筮) 断じていわく、初爻卯木官鬼の世爻をもって青木氏となす、まづ内容の記事の何たるを知るを要す。 すなわち五爻子水の財爻に卦身附するをもって、これを財貨に関する件と判し、かつ子の水は時令を帯ぶるをもって、小額にあらざる金件と断ず(秘訣あり)しかして世爻卯木の官鬼時の勢を得て、 応爻戌土に迫るの意あり、更に上爻寅木の官鬼は、独発し又応爻の土を剋す、これ明かに両官の同類共謀して、応爻に対して金を求むるものにして、しかも子水の財爻は日辰に冲起せられ、暗動し来りて世爻を生ず、 ゆえに金策の成りや
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周易古占例 (60)「出産の期を問う」の占、(61)「先妻の男子と後妻と不和なるをもって右二人の中にて何れをか出して吉なりやと問う」の占

天元春日  周易古占例 31 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(31)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (60)は「出産の期を問う」、(61)は「先妻の男子と後妻と不和なるをもって右二人の中にて何れをか出して吉なりやと問う」の占例です。 (60)出産の期を問う 恒(こう) 鼎(てい) 占にいわく、当月は臨月(りんげつ)たりといわるれどもその期は必ず延引すべし。 これ本卦恒(こう)の判たり。恒(こう)とは久しきなり。 常なり。 これ変動せざるの義なるゆえに延引と判じたるなり。  その出産は来月の初旬にして丙丁の日の中に必ず女子を生むべきなり。 果たしてしかり。 これ、之卦(しか)の鼎(てい)の象義(しょうぎ)たり。 鼎(てい)
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周易古占例 (58)「ある家の婢子(ひし・はしため)、当時の吉凶を問う」の占、(59)は「酒造家、その制酒の穀数を増さんことを問う吉凶」の占

天元春日  周易古占例 30 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(30)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (58)は「ある家の婢子(ひし・はしため)、当時の吉凶を問う」、(59)は「酒造家、その制酒の穀数を増さんことを問う吉凶」の占例です。 (58)ある家の婢子(ひし・はしため)、当時の吉凶を問う 咸 革 占にいわく、本卦の咸の卦の初爻変じ動きたり。 こと咸ずることの初めの義たれば必ず帰嫁 せんとおもうなるべし。 されども之卦革と変じたり。 革とは改革変更の義たれば、これ必ず間なく破 縁するの義たれば、まずこの帰嫁のことは止まり 休むを吉とす。 (59)酒造家、その制酒の穀数を増さんことを問う吉凶 屯  益 占にいわく、これ
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周易古占例 (56)「日蓮宗本山同志の官愬(うったえ)」の占、(57)「一僧、当時の吉凶を問う」の占

天元春日  周易古占例 29 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(29)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (56)は「日蓮宗本山同志の官愬(うったえ)」、(57)は「一僧、当時の吉凶を問う」の占例です。 (56)日蓮宗本山同志の官愬(うったえ) 蹇(けん)  既済(きさい) 占にいわく、この訟獄は今と為ては進むこともならぬ又退き去る事もあたわずして大いに艱難苦悩たるべし。 これ本卦蹇(けん)の象義(しょうぎ)たり。終には此方(このほう)散々(さんざん)の大敗北となるべし。 これ之卦(しか)既済(きさい)の象義(しょうぎ)たり。 (57)一僧、当時の吉凶を問う 大過 姤 占にいわく、これはその身の多疾なるに苦しみ疲れて寺 役をつ
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周易古占例 (54)菜種(なたね)の荷物十簟(たん)不足せるの占、(55)当時吉凶の占

天元春日  周易古占例 28 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(28)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (54)は菜種(なたね)の荷物十簟(たん)不足せるの占、(55)は当時吉凶の占例です。 (54)菜種(なたね)の荷物十簟(たん)不足せるの占 解(かい)  恒(こう) 占にいわく、本卦の解は、険難の解けるの象たれば、その混錯(こんさく)の険難も散るべきの象義とす。 また之卦の恒は平常の義たれば、これ平常に復してその物自然に出てくるべしという。 はたしてしかり。 (55)当時吉凶の占 遯  同人 占にいわく、これは主人の家の金子を引負して預けられていると見ゆ所全帰参埒明ざれば、いっそ出奔せんとの意みゆ。 これ甚だ大凶たるなり
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周易古占例 (52)器物混錯(こんさく)の占、(53)荷物混錯(こんさく)の占

天元春日  周易古占例 27 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(26)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (52)は器物混錯(こんさく)の占、(53)は荷物混錯(こんさく)の占例です。 (52)器物混錯(こんさく)の占 節(せつ) 臨(りん) 占にいわく、これ混錯のことは、元来彼方にも我方にも共に故妄あることなし。 ゆえにその旨を良く言い述ぶるなり。 その事は無事に済うべきことなり。 これは本卦の節にて彼方に坎(かん)の間違いしことあれども卦名、貞節の義 たれば故妄あることなきなり。 之卦にては、その坎の間違い消え失せて坤の柔順となりて、その事納まるべきなり。 彼方は本卦之卦ともに兌たれば兌の口をもって柔順に和悦してその理を説
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周易古占例 (50)待ち人の占、(51)水論勝敗の占

天元春日  周易古占例 26本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(26)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (50)は待ち人の占、(51)は水論勝敗の占例です。 (50)待ち人の占 艮(ごん)  賁(ひ) 占にいわく、この人は足に痛むところ出来て、来ることあたわざるべし。 初爻(しょこう)を足とす。 艮の初六爻(こう)の動きに取れるなり。 あるいは女子、重箱をゆずり提えて来ることあるべし。 はたして中(あた)れり。 重艮の卦に重箱の象義あり。 かつ艮、変じて離の卦となる。離を美麗とし、 女子とす。賁(ひ)は文飾るの卦象たればなり。かつ按(あん)ずるに この女子、重箱をかざりて提(たずさ)え来るとの判はこれを別象別義にて本題の待人の件
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周易古占例 (48)一婦人、その姪(おい)の吉凶を占う、(49)「昨夜の一事の進退を射覆(せきふ)」の占

天元春日  周易古占例 25 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(25)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (48)は一婦人、その姪(おい)の吉凶を占う、(49)は「昨夜の一事の進退を射覆(せきふ)」の占例です。 (48)一婦人、その姪(おい)の吉凶を問う 需(じゅ)之井(せい) 占にいわく、この人は性得大酒を好むの癖あるべし。坎を酒とし、乾を大とし、進むとし、坎を愛すとし、好とす。 需の卦に大酒を好むの象あり。序卦伝にいわく、需とは飲食の道なり。ゆえに酒を止める時には万事よろしかるべし。 これは需の初九の文義より取るなり。 もし酒をやめざる時には三十歳を過ぎて必ず身を亡すべし。 坎は酒なり。陥いるなり。溺るなり。険難なり。傷害
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周易古占例 (46)盗まれた牛の行方、(47)待ち人の占

天元春日  周易古占例 24 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(24)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (46)は盗まれた牛の行方、(47)は待ち人の占例です。 (46)ある農家、牛を偸(ぬす)まれたり。 その牽き往きたらんところの方角を問う。 予(よ)之震(しん) 占にいわく、これ強壮たる男子の牛を盗みて牽きて逃げ行くのところの象あり。   これ本卦予の判断たり。震を壮士とし、大塗(みち)とし、進み行くとし、坤を牛とし、道路とし、坎を盗むとし、牽とす。 また牛を偸(と)るものは先に逃げ行く。 后(あと)より一人進かけ行くの意味あり。 これ、之卦重震の卦の判断たり。 一人前に走りて行けば、一人後ろより追いかけ行くの象義たり。
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周易古占例 (44)娘の将来の吉凶の占、(45)途中で見たものは何か(射覆)の占

天元春日  周易古占例 23 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(23)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (44)は娘の将来の吉凶、(45)は途中で見たものは何か(射覆)の占例です。 (44)一婦人、その子の将来の吉凶を問う。 賁(ひ)之頤(い) 占にいわく、この女子は美麗なる生贄なるべし。 離を女子とし、美麗なりとす。 さて三弦をよく弾くべし。 これ本卦賁の卦象たり。 【伝】その女子は歌妓になるべきの意あり。 賁は文飾の卦なり。 頤は口腹の養いの象たり。 女子にしてその姿容を飾り三弦を弾いてもって業としてその口腹を養うべきものは、これ必ず歌妓たるなり。 さて、この女子と実母との間に人在りてこれをへだてて 相会うことあたわざら
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周易古占例 (42)病筮、(43)痢病の治効の占

天元春日  周易古占例 22 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(22)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (42)は病筮、(43)は痢病の治効 の占例です。 (42)ある人、病筮を先生に請う。 噬嗑不変 占にいわく、この病人は積気胃膈に上りて熱あるの象なり。 震を積気とし、上り進むとし、離を熱とし上卦にあり。 ゆえに胃痛の位とするなり。 ただしこの病人は食毒より発するならん。 頤中に物あるを噬嗑という。これ口中に食あるの象なり。 今その毒中脘にあり。 また爻卦を見れば中卦坎の主爻に坎を配し、初上に震を配し二、三、五に兌を配したれば熱ありといえども、その因は酒肉と寒湿より生ずる病なり。 爻卦坎を酒肉とし、また寒とし、兌を温とす。
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周易古占例 (40)父の家を継ぐことの吉凶の占、(41)生涯の吉凶の占

天元春日  周易古占例 21 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(21)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (40)は父の家を継ぐことの吉凶、(41)は生涯の吉凶の占例です。 (40)ある豪家、何某なるもの、父の家を継がん事を欲して先生に筮を請うて吉凶を示さんとおもうに、みずから筮して判を請えり。 大有 占にいわく、大有は大に有(たも)つの象なれば、恙なく父の志をつぎて繁昌ならんと占す。 両三年を歴て何某なるもの来たりていわく、子(し)の告のごとく父の業を継ぐといえども失売多くして繁昌の色なし。大有の義に当らざると申す。 答えていわく、余、ただ得卦の象によって占す。 当否はしらずといえども、おもうに吾子の行い、その筮時の如きには
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周易古占例 (39)中州先生神明の占

天元春日  周易古占例 20 (39)中州先生神明の占本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(20)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (39)中州先生神明の占 この占例は『周易本筮指南』所収の「占験諸例」の最後を飾る占例です。これだけの内容を全て的中させるのは人間業ではありません。 (39)天明七年先生和泉(いずみ)貝塚(かいづか)に在りし時門人、病人を筮して噬嗑名(ぜいこう)の无妄(むもう)に之(ゆく)を得たり。門人占之曰(これをせんしていわく)、離(り)を熱(ねつ)とし震(しん)を進(すすむ)とす。この病は熱(ねつ)あるの症(しょう)にして上逆(じょうぎゃく)甚なるべし。 変卦(へんか)乾(けん)を首(かしら)とし、また実(じ
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周易古占例 (37)は病人の治療方法の占、(38)「来客の名前を占う」の占

天元春日  周易古占例 19 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(19)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (37)は病人の治療方法、(38)は「来客の名前を占う」の占例です。(38)は次号に紹介する占例と合わせて「神明の占」と言われている神技です。 (37)ある人、病人の治方を問う。これを筮して家人(かじん)の小畜(しょうちく)に之(ゆく)を得。占之曰(これをせんしていわく)、巽(そん)を風とし、離(り)を熱とし、坎(かん)を毒とし、痛みとす。これ、風邪に水毒(すいどく)を兼ねたる症なり。大黄剤(だいおうざい)を用いたらば全快すべしという。中(ちゅう)す。以上の占(せん)は皆実事(じつじ)の的当(てきとう)する者にして初学(し
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周易古占例 (35)痘瘡(天然痘)の病症の占、(36)「病症治方」の占

天元春日  周易古占例 18 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(18)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (35)は痘瘡(天然痘)の病症、(36)は「病症治方」の占例です。 (35)痘瘡(とうそう)を筮(ぜい)して升(しょう)の蠱(こ)に之(ゆく)を得。 占之曰(これをせんしていわく)、艮(ごん)にて止(とど)められて山を上(あぐ)ることならず。 死するならん。戊己(つちのえ・つちのと)の日なるべしというに中す。 (36)ある人いわく、余が親家(しんけ)に大病人あり。諸治(しょじ)効(こう)なし。 病症治方(びょうしょうじほう)を問う。筮して蠱(こ)を得。 占之曰(これをせんしていわく)この人は生質剛強(せいしつごうきょう)に
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周易古占例 (33)「出養生の吉凶」の占、(34)「病症治方」の占

天元春日  周易古占例 17 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(17)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (33)は「出養生の吉凶」、(34)は「病症治方」の占例です。 (33)ある人の娘病気あり。京(きょう)へ出養生(でようじょう)に行かんと思う、その吉凶を問う。筮して家人(かじん)を得。占之曰(これをせんしていわく)家人(かじん)は女(じょ)の貞(ただしき)に利(よろ)しの辞(ことば)あり。貞女(ただしきじょ)は外へ出ざる者なり。ゆえに「家人は内なり」といえり。かつ火は内に包(つつ)みあれば消えず、外へ出れば巽風(そんふう)にて吹き消さるなり。【家人の卦象】ゆえに出養生(でようじょう)凶なりという。 (34)ある人病気あり
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周易古占例 (31)「寺の器物のありか」、(32)「失せ物の行方」の占

天元春日  周易古占例 16 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(16)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (31)は「寺の器物のありか」、(32)は「失せ物の行方」の占例です。 (31)ある寺の器物(きぶつ)、見えざる物あり。主僧(しゅそう)他行(たぎょう)の間なれば急に尋ねてその有所(ありしょ)を知らんという。これを筮して遯(とん)の旅(りょ)に之(ゆく)を得。占之曰(これをせんしていわく)遯(とん)は全卦(ぜんか)の巽(そん)なり。巽(そん)は伏(ふく)なり。入なり。ゆえに内にあることを知る。乾(けん)、離(り)となる。離(り)は見なり。かつ乾(けん)は君にして五は君位なり。ゆえに主僧(しゅそう)帰らば出べしというに中す。
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周易古占例 (29)「彗星出現の理由」、(30)「火の玉の実否・吉凶」の占例

天元春日  周易古占例 15 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(15)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (29)は「彗星出現の理由」、(30)は「火の玉の実否・吉凶」の占例です。 (29)辛未(かのとひつじ)の年彗星(ほうきぼし)出づ。ある天学者来たってその故をとう。 筮(ぜい)して咸(かん)を得。占之曰(これをせんしていわく)、艮(ごん)は止(とど)むなり。山なり。兌(だ)は星なり。また沢とし、止水(しすい)とす。咸(かん)は感なり。当年は雨多きゆえに山沢(さんたく)の水気(すいき)天に感じて上に止(とど)まり彗星の象をあらわすなり。秋終らば必ず消散(しょうさん)すべし。兌(だ)を秋とす。秋終われば乾(けん)となり、卦(か
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周易古占例 (27)「待ち人は今夜来るか」、(28)「来客との約束」の占

天元春日  周易古占例 14 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(14)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (27)は「待ち人は今夜来るか」、(28)は「来客との約束」の占例です。 (27)ある人、待ち人あり。今日来(きた)るの約(やく)なれども来らず。今夜にてもあらんか、いかんと。これを筮して鼎を得。占之曰(これをせんしていわく)、鼎(てい)はかわるの義あり。 今夜来ることはなし。明日来るべし。そのゆえは鼎(てい)は彼方(かのほう)にても革(かく)の卦なり。革(かく)は日、西に入るの象あり。これ夜の象なり。其夜明(あく)れば日、東方に出るの象なり。ゆえに明日来るべし。鼎(てい)は日、東方に出るの象なりという。中す。 (28)客
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周易古占例 (25)「童僕(でっち)の行方」、(26)「家出者の居所」の占

天元春日  周易古占例 13 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(13)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (25)は「童僕(でっち)の行方」、(26)は「家出者の居所」の占例です。 (25)ある人の童僕(でっち)朝出て今に帰らずと。これを筮して予(よ)の震(しん)に之(ゆく)を得。占之曰、予(よ)は楽(らく)なり。震(しん)は賑(にぎやか)なり。楽しんで賑やかなるは芝居ならん。かつ初爻(しょこう)を北とし上爻を(じょうこう)を南とす。ゆえに南より帰るならん。また坤を夜とす。ゆえに夜に入りて帰らんという。中す。 (26)家を出る者あり。居所(きょしょ)はいづれなりや。これを筮して屯(ちゅん)の既済(きせい)に之(ゆく)を得。占之
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周易古占例 (23)は「失人(うせびと)は帰るか」の占、(24)は「尼の出奔」の占

天元春日  周易古占例 12 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(12)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (23)は「失人(うせびと)は帰るか」、(24)は「尼の出奔」の占例です。 (23)失人(うせびと)あり。帰るやいなやを問う。筮して訴(しょう)の未済(みせい)に之を得。占之曰、訟(しょう)は和せずして争いあり。ゆえに走りたるならん。 しかれども五日には所知るならんという。果たして五日目に知るなり。 (24)ある尼出奔(しゅっぽん)す。筮して訟(しょう)の遯(とん)に之(ゆく)を得。占之曰、訟(しょう)は不和(ふわ)なり。 遯(とん)は遁(のがるる)なり。不和なるゆえに遁(のが)れ去り帰らざるの意ありという。中す。 ※出典
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周易古占例 (19)「船が何艘くるか」、(20)「いつ船が着くか」の占

天元春日  周易古占例 10 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(10)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されていますー真勢中州とその一門の占例 (19)は「船が何艘くるか」、(20)は「いつ船が着くか」の占例です。 (19)癸亥(みずのとい)十月十八日に遠境の舟、何艘来ることを筮して遯(とん)ノ同人(どうじん)に之(ゆく)を得。占之曰、遯(とん)は全卦(ぜんか)の巽(そん)にして大巽(たいそん)なり。また巽(そん)を舟とし、三八の数とす。 大巽(たいそん)なる故に三を取らずして八を取り八艘なることを知る。また彼より見れば月末(つきのすえ)なり。かつ本卦(ほんか)を当月(とうげつ)とし、之卦(ゆくか)を来月とす。ゆえに十一月末に至りて八艘著(つく)べしという。果たしてし
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周易古占例 (17)は「金の貸し借りに関する揉め事」の占、(18)は「呼び出しに応じた方が良いかかどうか」の占

天元春日  周易古占例 9 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(9)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (17)は「金の貸し借りに関する揉め事」、(18)は「呼び出しに応じた方が良いかかどうか」の占例です。 (17)ある人、田地(でんち)を質(しち)として金を貸すに返さず。筮を請う。因て筮して明夷(めいい)の謙(けん)に之(ゆく)を得。これを占していわく、坤(こん)は田地なり。離(り)は証文なり。艮(ごん) は止(とどまる)なり。しかれば田地を質(しち)として金を貸し、證文(しょうもん)を持ち居るの象なり。今彼これをくらまし破らんとするの意あり。【卦は即今を告ぐ】しかるに明夷(めいい)の伏卦(ふっか)訟(しょう)なり。故にこれを
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周易古占例 (15)「寺院間の訴訟の勝敗」、(16)「金子に関する訴訟の勝敗」の占

本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(8)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (15)は「寺院間の訴訟の勝敗」、(16)は「金子に関する訴訟の勝敗」の占例です。 (15)ある同宗(どうしゅう)の本寺(ほんじ)なるもの、その山本(ほんざん)と云ると論ありて訟(うったえ)に及ぶことあり。その本寺より勝敗(しょうはい)を先生に問う。 筮して蹇(けん)の既済(きせい)に之(ゆく)を得。 占之曰蹇(けん)は難(なやみ)なり。既済(きせい)は事の尽(つく)るなり。蹇(けん)は進退自由(しんたいじゆう)ならざるの象にして進む事も退く事もならず、大に難(なや)むの義なり。 また、外卦(がいか)動かずして内卦(ないか)変じたり。彼は動かずして我変ず
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周易古占例 (13)「4人の候補のうち、誰が役替えになるか」の占、(14)「医業を行うに際し、3つの選択肢の中のどれが良いか」の占

天元春日  周易古占例   本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(7)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (13)は「4人の候補のうち、誰が役替えになるか」、(14)は「医業を行うに際し、3つの選択肢の中のどれが良いか」の占例です。 (13)或士(あるし)の曰く、我國(わがくに)もとより役替(やくがえ)を告来(つげきた)ることあり。 其役(やく)を勤(つと)むる者四人の中(うち)、何(いずれ)の人なるや。ただし一より四まで順(じゅん)ありという。 これを筮して家人(かじん)の小畜(しょうちく)に之(ゆく)を得る。 占之曰、離を明(めい)とし、巽(そん)を命(めい)とす。 ゆえに明(あきらか)なる人に君命(くんめい)の下(くだ)る義
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周易古占例 (12)「失人(うせびと)は帰るか」の占、「尼の出奔」の占

天元春日  周易古占例 12 本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 【易学・易占界において「2千年来の1人」と称された真勢中州とその一門の占例(12)】 ー真勢中州について 真勢中州(ませ・ちゅうしゅう)は、日本の易学史上、最も有名な人物の一人です。 『浪速人傑談』の伝えるところに依ると、 「真勢中州。名は達富、字は発貴、中州と号し、また復古堂と号す。俗称を彦右衛門という。尾張の人。天性・廉直にして、若くして易学を好み、新井白蛾(あらいはくが)に従いて学び、なお自ら研究して遂に易道に妙を得たり。中年の後は浪花(なにわ)に移り、専ら易学を講ず。また象蓍(しょうし)を作り、爻卦(こうか)を製し、易経の本文を錯綜(さくそう)して『復古易経』と唱え、其の占験の群に秀逸せること、精義入神にして、世・二千年来の一人と称す。文化十四年丁丑二月四日、齢六十四にて終る。歿後、北野寒山寺に墓石を立つ。」 と記されています。 ー真勢中州とその一門の占例 (23)は「失人(うせびと)は帰るか」、(24)は「尼の出奔」の占例です。 (23)失人(うせびと)あり。帰るやいなやを問う。筮して訴(しょう)の未済(みせい)に之を得。占之曰、訟(しょう)は和せずして争いあり。ゆえに走りたるならん。しかれども五日には所知るならんという。果たして五日目に知るなり。 (24)ある尼出奔(しゅっぽん)す。筮して訟(しょう)の遯(とん)に之(ゆく)を得。占之曰、訟(しょう)は不和(ふわ)なり。 遯(とん)は遁(のがるる)なり。不和なるゆえに遁(のが)れ去り帰らざるの意ありという。中す。 ※出典 
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周易古占例 新井白蛾の占例 射覆(せきふ)「古人二人風情ある所」/射覆(せきふ)「獣に草と云」 

天元春日  周易古占例 35  本ブログでは、少しずつ周易の古占例を掲載してゆきたいと思います。 今回は新井白蛾の占例です。 (7)射覆(せきふ)「古人二人風情ある所」    【得卦 震之帰妹(二爻変)】             【新井白蛾の占】 「古人二人風情ある所なりという。」筮すれば 震為雷 二爻変 帰妹 断にいわく、此二人、同じ様なる勇者ならん。両人馬上にて先後に並び行く象(かた)ちあり。 下卦兌に変ず。兌は口なり。後よりして呼ならん。また兌に水気あり。馬の水上の行くの象あり。 佐々木梶原宇治川の先陣なるべし。はたして先陣なり。 (8)射覆(せきふ)「獣に草と云」    【得卦 火雷噬嗑之晋(初爻変)】            【新井白蛾の占】 火雷噬嗑 初爻変 晋 断にいわく、草は花ありて美なるべし。獣は猛獣にて身に文采あり。 此獣此花を愛するならん。 離は美なる義あり。震は勢いあり。離の花を震の猛獣がねらい飛びかかるごとくなる象あり。 坤もまた文彩にとる。これ獣身に毛彩の意とす。晋に美麗なる意あり。これ物賤しからぬ風情ありと見ゆ。 獅子に牡丹とす。果たして当れり。 ※文章は読みやすくするため、適宜加削変更しています。
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